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おまえら…おまたせした ^し^

野中作画、語っちゃうぜ



初期の野中作画をとりあえず整理していく





(1)初期:アゴガクガク/予備動作の芝居

この時期の作品は、「ゼロの使い魔F」「ゆるゆり(1期)」など、2011年前後のものです。では、その作品内でどのような特徴があるか。



<1、アゴガクガク>

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(■「ゼロの使い魔F」2012/TV #12)

姫様とルイズの口げんかシーン(後に手も出る)
さて、野中さんの初期から今に至るまで変わらぬ特徴があります。それは、「頭部(顔)~肩の芝居」を他のアニメーターよりも重視していることです。これは姫様との口げんかのシーンですが、その怒りを上半身、とくに顔(アゴ)を激しく、小刻みに動かすことで表す。最後の方では、手に力が入って腕がピンと伸びた結果、肩の位置が上がっていますね。これも上手い。

顔は動かず口パクだけの作画が多い中で、これだけ情緒たっぷりに動かすことができる。それがまずは大きな大きな魅力の一つであろうと思います。で、これを「アゴガクガク」と呼んでもらった方が速いかなと思って名付けました。もちろん、馬鹿にする意図はいっさいありません、わかりやすさ重視。


アゴガク例2
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(■「偽物語」2012/TV #6)

月火ちゃんの狼狽シーン。駆けつけダッシュも上手いが、やはり顔アップの2カット目に注目。
誇張された、まるで舞台のような顔の動かし方。顔(アゴ)の位置が激しく上下し、遅れて髪の毛がリアクションする。音が無くても、この作品を知らなくても、彼女が慌てふためいているのは伝わる。




もう一つの特徴に行く前に、少しだけ抑えておいてもらいたいものがあります。

それは、アニメーションの基本的な動作について。簡単です。動作を3つに分けただけ。
予備動作、本動作、フォロースルー、この3つ(用語は明確に定まっていないようですが、この記事ではこのように書きます)。はい、次の画像で具体例を紹介。



動作の分割とは
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(■「スロウスタート」2018/TV #2)

花名ちゃんのど下手ソフトボール投げがいちばん分かりやすいので採用しました。
ここでのメインの動きって「ボールを投げること」ですよね?予備動作とフォロースルーはこの動きの前後にあるものです。

投げるために体をひねる→予備動作、投げた後の慣性の動き→フォロースルー
下図をご覧ください


動作の分割

こんな感じ
どんな動作にも、その準備になるような動作(予備動作)が存在しており、さらに動作が終わった後の慣性の動作(フォロースルー)もある。まあ野球のバッティングとか、ゴルフのスイングを思い浮かべて貰えれば分かりやすいかと思います。あとは、電車は急には止まれない、とか。それで、アニメーションにおいて、これがないと非常にキャラクターの動きが堅くなったり、活き活きとした様子になりません。

これはアニメーションの基本中の基本です。どのアニメーターも意識しているはず。意識してなかったら、そいつはド下手くそだ。


それで、ようやく本題ですが、野中正幸はキャリア初期から、予備動作周辺の芝居がズバ抜けて上手い。これが最盛期(2013~)のフォロースルー傾倒/柔らかい関節の芝居と上手くハマっていくんでしょうね、と思う。最盛期って言い方はアレですけど、これらとデフォルメ作画を合わせて、あの2013-15あたりの野中作画になるので、あのころってもう再現できないんですよ。その話はまた今度、初期の野中作画に戻りましょう。




<2、予備動作の芝居>


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(#12)

魔法が通じずうなだれるルイズ。後ろにたじろぎながら、手元をどこにやってよいか分からず落ち着いていないのが分かりますよね。体がストンと落ちてしまう、本動作よりも、1カット目の後ろにたじろぐカットの予備動作の芝居が上手いんですよ。本動作にキレイに繋がるのは理由がある。これを業界に入って、たった3年でやってしまう。



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(#6)

これは姫様との喧嘩シーンの続き。姫様が気に食わないのを、顔を「ふんっ」と振る芝居を見せることで描写(予備動作1)。肘関節を柔らかく後ろに回しながら(予備動作2)、ビンタ(本動作)。キャリア初期の野中さんは意外と過小評価されているんですが、これだけのことをやっている。

姫様の顔が2回に分けて落下していくのも注目ポイントです。確実に、野中さんは頭部の重さを重視して描いている。これぐらいの落下だと、だいたい2回にわけないと衝撃を吸収できないだろうというのが野中さんの思考だと思う。

ここら辺をちゃんと見とくと、そら「未確認で進行形」の芝居作画とかに納得いくんですわ。アニメーションの基本となる、予備動作の土台がしっかりと(センスも基本も)あるわけですので。だから、野中MADでここを外していない人を見ると、「渋いなあ~お客さん」となるわけです。嘘です。ニコニコの野中MADがいちばん好きではあります。


ようやく出せた。野中ファンの方々には大変お待たせしました。
次回は、中期を扱う予定。この辺から特徴がずいぶんと出てきますかね。

最初のころに書いた記事にコメントをもらうことが最近頻発してますね。

エヴァQ 広まった作画崩壊の噂と真実
http://royal2627.ldblog.jp/archives/37923981.html

なんでこの人、エヴァ板から引用してるの・・・?( ^ω^)なにその情熱。いま取り戻せよ。これはあれだなあ、まとめブログという存在を忌み嫌っているとき。今もそんなに変わってない。別に使うのは勝手だけど、それでなにか自分の中の思想を構築するのはよくないと思う。便利でも使っちゃいけないものもある。恣意的に転載されたレスポンスの数々で、金稼がれて、挙げ句の果てには何か起これば「(レスを引っ張ってきた)2chに問題がある」といえる。いや、ダメでしょう。あかんでしょう。

んで、もう世の中にだんだんと現れてきた通り、ネット工作/ネット・ネガティブキャンペーンのようなものは陰謀論では既に無くなり現実として存在しています。それは「アナ雪ステマ」騒動だったり、なんとかペラチーノだったり、いろいろなアジテートが増えていることで分かるとおり。昔だと郵便受けに投函されていた怪文書の類が、なんとインターネットだと効果的に発揮できる。そういうことに2008年あたりに気付いたやつらの子孫が、増殖してるんだろうなあ。そういう実感。

まあでも、
何を企んでるかしらないが、まさに無駄なあがきである。
貴様らなど、自分からどうせ犯罪を犯すに違いない。勝手に自爆しろ。 
そして、牢屋の中で存分に悔め。自分たちのしてきた事の愚かさを。

オカリンかな?( ^ω^)
これは憎しみが憎悪でマシマシされてますね。ラストの文章がこれでは、いくら最初期の記事とはいえ、未だにコメントをもらうのも納得。



あとついでに、「テラスハウス」の1件はスピード感はアブノーマル。

なんかあれでしょ、「あいのり」みたいな番組なんだろう。いちども見たことがない。あんなつまんねえ番組見てるのもどうかと思うけど、それより、亡くなった方がどういう原因で自刃するに至ったか、というのを慎重に検証をすべきです。ネットの誹謗中傷が全ての原因になっちゃうのは、いやあ流石に早計すぎるだろうと。どういう経緯を辿って、どういうことがあって、というファクトを丁寧に並べてから慎重に議論を重ねていかないといけない事柄だと本当は思いますよ。

まあ、匿名化されている現状が限界なんでしょうね。それはわかるけれど、それならそれで、もっと有害で邪魔なネットデブリも同時に議論されるべきであろうし、そもそも情報技術の有識者を入れないでトントン拍子に進んでいく法改正とはなんなんだという気持ちでしかありません。


ネット上の誹謗中傷、発信者特定へ制度改正検討 高市総務相
https://mainichi.jp/articles/20200526/k00/00m/040/073000c


高市が言っている「先月、有識者会議を設置し」というのは下記のリンク内容だと思います。ということは、テラスハウスは関係なく、もう既に準備はしていたということですね。


発信者情報開示の在り方に関する研究会(第1回)配布資料
https://www.soumu.go.jp/main_sosiki/kenkyu/information_disclosure/02kiban18_02000091.html

素直に思うのはこれ法改正ありきじゃねえかなあ。情報技術、もしくはインターネットにおける誹謗中傷や実害の研究者はこのメンツにいないんですよ。さらっと見ましたけど、ほぼ全て法務関連の方なんですよね。これ有識者会議って呼ばねえと思うけどなあ。

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ときどきみる

こういう意見を時々見るんだけれど、いやそれは違うかな、たぶんそういう経験がない人の理想論だなあと思ったので。おっこほど若くはないにせよ、似たような日々を送った自分からすると、若おかみの見方は随分と異なる。



自分の父親は塾を経営してました。全科目、そして事務処理も含めて全て1人でやっていた。で、2年ほど前に急逝しました。だれが残務処理をするか、そこで割と復職が楽であり親父の塾の最後をきちんとやってあげたい自分が手を挙げました。というか、まあ正直に言うと自分にしかできなかった。

親父が急に死んで、たった1人で塾の残務処理(精算)をする、そして、塾をそのまま続けるか決断を迫られた。随分きつかったけれど、まずは身内の死亡の際に「じっとしている」とおかしくなりそうになるんです。忙しい方がいい。これから受験の生徒に対して最大限できることだったり、自分なりになんとかやる。ご父兄のみなさんとの面会でも、たとえば、他への転塾はどこがいいか、とか相談に乗る。関係会社と連絡を取り合う。銀行や役所に毎日行って煩雑な手続きをする。これほんの一部ですけど、それだけ忙しいと、親父が死んだ事実と四六時中付き合わなくて済むんです。




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成長物語として描くのは異常だ、という言説がありますが、いや、親が死んだ時点で成長せざるを得ないんです。だってこれから、おっこは少なくとも「両親がいない子供」として生きていかなくてはならないんですから。そして、おっこを一人にしてぼーっとさせてはいけないんです。これは確実に言える。彼女に休ませる時間を与えようっていうのは、いっけん優しく見えるんですけど、時間をたっぷりと与えても、ただ四六時中ぼーっとして親の死と向き合うわけなんで、おかしくなりそうで余計にきついんです。だから、おばあちゃんは若女将に据えたんじゃないかな。なにかの役目を与えてあげることで、彼女なりに熱中できる部分を用意した。

ラストは微妙だけど、物語の全体構造が、なにか現実とはかけ離れた異常なものであるとはまったく思いません。むしろ、監督はこういった経験をしたことがあるのではないか。それぐらいの勘ぐりをしてしまうぐらいには、「身内の死」についてはリアリティのある映画でしたよ。

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