GOMISTATION

足が絡まっても、踊り続けて

2014年05月

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A
加持「海の生物が腐った匂いだ…生きていた証なのさ。あの何も無い赤い水とは違う。本当の海の姿なんだよ。本来、この世界は広くて、いろんな生命に満ち満ちている。その事を君らに知っておいて欲しかったんだ」
B
加持「ああ。かわいいだろ?俺の趣味さ。何かを作る、何かを育てるってのはいいぞ。色んなことが見えるし、分かってくる。楽しいこととかな」
二人は背中合わせで地面に向かいながら話す。
シンジ「辛い…こともでしょ」
加持「辛いのはキライか?」
シンジ「好きじゃないです」
加持「楽しいこと、見つけたかい?
シンジ「……」
加持「それもいいさ。けど、辛いことを知ってる人間の方が、それだけ人に優しくできる。それは弱さとは違うからな」
C
アスカ「こんな話ミサトが初めて。何だか楽になったわ。誰かと話すって心地いいのね。知らなかった」
ミサト「この世界は、あなたの知らない面白いことで満ち満ちているわよ。楽しみなさい」

ABCいずれも「ヱヴァンゲリヲンの世界より」引用 


まずは、エヴァのお話から。
ABCとナンバリングしましたが、これは便宜のためです。
どれも似たような内容ですが、庵野監督がやっぱりオタクと自分自身に説教してる感は否めません。「序:所信表明」の時から、庵野監督は”閉塞感”というワードを頻繁に使い続けています。(※遡ると、監督不行届であるとか、スキゾとかの当時の雑誌でも使ってますが)僕は、ずっとこの閉塞感という言葉の意味を考えてきました。閉塞感というのは、アニメを自分の見た範囲でしか物事を判断しないだとか、アニメを見て外へのエネルギーを持つわけでもなく期待もせず、とかそういう感じだと僕は思うんです。

「破」では、そういうことを中心に作ったと思うわけです。A:この世は素晴らしい。だからアニメもいいけど、もっと違うことにも目を向けろよとか、B:アニメ作るのは楽しいけど、辛い。でも、やっててよかったとか、C:自分のコンフォート・ゾーンに塞ぎこんでないで、面白いこと見つけろとか。

そんな感じです。庵野監督は、「旧劇」を見ればわかるように、自己嫌悪も含めアニメ業界・オタクのあり方に嫌気(もっと言うと閉塞)を感じて、あれを作ったんです。だから、やっぱり啓蒙じゃないですけど、説教して一部の人だけでも何とか変えたいと願ってるはずなんですよ。
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そういう見方で「破」のラストを見ると、これはもうオタクの表象としての”綾波レイ”を引っ張りだす、シンジ(オタク+外に飛び出した人間)の構図にしか見えないわけです。「さっさと世の中に出て、アニメ以外の面白いことを知りなさい!この引きこもりアニメオタク!」


またですね、そういう見方で「Q」を見ると大変なことになるんです。綾波レイという、オタクの表象・象徴たる存在は、アヤナミレイ(仮称)となり本性を表します。希望を与えてくれたはずのシンジに対しては、冷ややかな態度で、まるで深夜のアニメ1クールが終わった後のアニメファンの様相ではありませんか。
「え、そんな作品あったっけ」みたいな。
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ポイ捨て、使い捨て、切り捨て、傲慢な消費者、ここに極まれりです。そして「綾波レイは本が好きだった」という記憶を頼りに、シンジは必死に本を選んでアヤナミレイ(仮称)にサービスします。お前らの好みは大体わかるけど、俺の好みも追加でサービスするよと。でも、オタクは他のことをしようとしない。この世の面白さを知ろうとしない。ただ、「命令(公開)」を待つだけ。だから、シンジは積み重ねられた本(要素)を崩すんです。街中で走るエヴァも、戦車も、メカも、電柱も、装甲ビルも、好きなのはおかしくないけど、もっと楽しむことが他にもあろうと。

そして、シンジの助けも「覚えてない」と。
じゃあ、シンジも「知らねえよ!」となるわけです。
「(オタクを)助けてなかったんだ…」「エヴァなんか作らなきゃよかった!」
「エヴァを作れ。エヴァなんて作る必要はないわ。エヴァだけは作らんとってくださいよ。」
「もう、エヴァなんて作りたくない!」

で、ここでカヲルが助けてくれるわけじゃないですか。
これが実は、宮さんなんですよ。
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なんでかというと、まずは師匠でしょ。「宮さんに言われちゃ断れない」んですから、当然シンジはエヴァにも乗ります。声優もやります。そんでもって、助けた綾波レイじゃなかったことをボソッとシンジが呟くと、まあオタクは混乱しますよ。そのままの勢いで、鏡のメタファーである第12の使徒を見るわけじゃないですか、そうなると「これは、私?私はだれ…」と自分の存在が「Q」には希薄で、オタクは怖がるわけです。(オタク自身が求めている)オタク的要素が「Q」には少ないのです。
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(前作では大活躍だった電柱は、なぜ折れているのか。何を意味しているのか)

カヲルは死んじゃいますが、その前に。
「魂が消えても願いと呪いはこの世界に残る。」
某アニメ監督の説教が続きます。
「意志は情報として世界を伝い、変えていく。いつか自分自身の事も書き換えていくんだ。」
オタクであり、元オタクでもある監督。そんなこたあ知ってるよ。
「ごめん。これは君の望む幸せではなかった。」
ジブリの大監督でも、どうしようもなかったんです。そして引退。

でもですね、オタクに対しての儚い希望も残ってるんです。
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「あんたはどうしたいの!?」とまあ救助隊アスカさん(28)が来るわけですよ。そんで、アヤナミレイ(仮称)は外の世界へと、初めてゲンドウの命令ではなく、自分の意志で行動するんです。これはもう求められてるんですよ、オタクに。ラスト歩いて行くシーンも含めて、求められてるんです。若人よ、こんなアニメにかまけてないで、さっさと外に向かって歩けと。考察なんて無駄なことして時間潰してるんじゃねーよと。もっと楽しいことは他にあんだからよと。


…ということです。まあこういう見方もできるということで。というか、未だに責任を感じているとは思うんです。庵野監督は、こういったオタクを増やしてしまったということに関して。まあ、大学進学率によるモラトリアム期間の増加とか原因はいろいろあるので一概には言えないんですけどね。あ、ゼーレの奴は製作委員会方式のことだと思います。個人的には、ここがすんげえピッタリきます。最後は、宮さんの言葉を貼って終わりとします。

僕は児童文学の多くの作品に影響を受けてこの世界に入った人間ですので、今は児童書もいろいろありますが、基本的に子どもたちに「この世は生きるに値するんだ」ということを伝えるのが、自分たちの仕事の根幹になければならないと思ってきました。それは今も変わっていません。
宮崎駿 引退会見より引用





狂気なんて要素はほとんど無いです。これは字面がカッコええから付けただけ、と感じてる。

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製作:DWANGO
プロデューサー:川上量生(DWANGO会長)
音楽:高木正勝(「おおかみこどもの雨と雪」)
監督:砂田麻美(「エンディングノート」)

砂田さんは、初監督作品「エンディングノート」に引き続いて、2本目の実写映画。カワンゴは、初めての映画プロデュース。高木さんは「おおかみこども」で劇伴を務めた方です。

劇場へは足を運びませんでした。当時は、なにせ「かぐや姫の物語」の方が大事だったし、カワンゴがカラー取締役就任というショッキングかつ不快なニュースが飛び込んできたし、リアルの方も大変だったしで、全くとして見る気になりませんでした。そんで、暇さえあれば本屋とTSUTAYAを巡っているんですが、偶然にもDVD発売日にレンタル開始されていた一枚の「夢と狂気の王国」と目があって、まあ見るか!となった次第です。

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「風の谷のナウシカ」を制作したトップクラフトを母体として、1985年に作られた「スタジオジブリ」を舞台に、アニメ制作の現場の「夢と狂気」を描写しようとしたドキュメンタリー映画である。宮﨑駿、鈴木敏夫、三吉(「風立ちぬ」制作進行)&庵野秀明を中心に、物語は進行する。ポスターにドンと座る高畑勲は、ほとんど出て来ず、周りの人たちの話で”高畑勲”を形作っていくようになっています。


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まず最初に、宮﨑駿や鈴木敏夫、高畑勲に庵野秀明という大変高価な具材があります。この人達が面白いのだから、料理であるドキュメンタリーも当然面白くならないわけはないでしょう。といったら身も蓋もないでしょうか。いかにせよ、砂田監督は編集作業に大変困ったであろうことは容易に想像にできますね。どこをとっても面白いし、ドキュメンタリーにとってはオイシイとこしかないと思うので。

こんなこと言ってますけど、ドキュメンタリー映画とはどういう風な着地点を迎えるべきか僕は、色々調べた今でも結局よく分かってないんです。認知症をテーマにした「恍惚の人」や、司法制度や痴漢冤罪の社会的問題を取り上げた「それでもボクはやってない」などは、ドキュメンタリー映画と見てもいいと思うんですけど、どういう風なラストが良かったのだろうか。ジブリが潰れているわけではないし、宮崎さんが亡くなってるわけでもない、どこに落ち着かせるのがいいのかはスゴク難しい問題に感じる。一方で、ラストなんてどうでもよくて、そこに至るまでのプロセスを映像で見せてくれるだけでもいいのかもしれないと感じている自分がいるのも本当なんです。


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前半は、まだ緩い感じ。ドキュメンタリー映画ではなく、TVとかで流される”ジブリとはどんな所かのインタビュー”な感じ。それでですね、制作の三吉さんと、動画検査の舘野さんとか女性陣がポイントポイントでいい感じに映像に入ってくるんですね。


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ラジオ第二が流れるときに、経営の方も会議の描写をする。これ上手いですねえ。商業性と芸術性の2つの間で挟まれてる感じがすごい出てていいんですよ。金勘定のことも気にしないといけないけど、作りたい、売れるかどうか分からん映画もあると。個人的には、もうプロモーションをどれだけやるかにかかってるような気が最近はしてますが。


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で、実は12月発表前に「かぐや姫の延期」はほぼ決まってたという話。まあ、よくよく考えりゃそうですよね、あの段階で(できるかどうか)分かってないはずがない。けど、発表では同時公開と踏み切った。巧いプロモーションだと思いますよ。


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西村Pによる、高畑勲の話。これが面白いです。その前に鈴木Pから、「昔、放ったらかしにしてしまったことがあった、あのヒトには24時間付いていなきゃいけない人間がいる」というのがあるんですけど、6年間西村Pはそれをやったと。もうここまで来ると、憎悪とかそういう段階ではないと思うんですね。スケジュールに関しては信用性はないけども、プロデュース力というものは大変なものがあるし、まあ色んな”高畑評”が見えます。


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吾郎監督の打ち合わせシーン。今年だったかなあ、吾郎監督のTVシリーズがあるじゃないですか。DWANGO製作で。その打ち合わせシーンだけど、カワンゴと揉めてるんです。吾郎は、「自分の能力にも疑問がある」「入り方を間違えてる」という風にさんざん不安なんですね。まあ、重要な所は当然カットされてて、推測でしかないわけですけど、これは監督やるかやらんかの問題だと思うんですよ。で、双方ぶつかる。

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こういうね、合理的で理論的な物言いをしちゃうからカワンゴはダメなんですよ。そういうのは、営業かけるTV局だとか、出版社にする話し方であって、監督とか作り手側にする行為じゃないと思うんですよね。理論武装が当然必要なときもあるとは思いますけど、ここは違う。ジブリとカラーの橋渡しだったら、轟木さん(もしくは大月P)と西村、鈴木Pでいいと思うんですけどね。カワンゴ必要か?っていう。どうなんすかね。


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そして、庵野秀明の話。宮崎さんは三吉と庵野の時に、満面の笑みを浮かべますね。僕も庵野さん好きなので、これは大変に面白い。もうほとんど知ってる話ばっかなんですけど、それでも面白い。「ナウシカ」の話をやるなら、ロマンアルバムとかサハラ(こっちは「もののけ姫」か…)の話もやれよ!と思うわけですけどね。


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庵野秀明と鈴木敏夫による、「風立ちぬ」評。それと…


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まあ説明不要でしょう。そういう事です。ジブリではないでしょうけど、頑張ってもらいたい。というかさっさとエヴァにかたをつけて…庵野さんにはなにか目指してる未来像みたいなモンがあるんですかね。楽しみです。

おっと脱線しました。まあ「夢と狂気の王国」、面白いとこだけピックアップしてご紹介しました。そんな興味無い方は、ちょっと待てば準新作になるし、急いで見る必要もないです。宮崎さんとか、庵野さんが好きな方は急いで見るように。特に、庵野さんが好きな方は義務です。冗談ですよ。まあそれぐらいには、面白いというわけです。 


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恥を忍んで告白致しますと、「アナ雪」見ておりません。「見てねぇくせに批評すんのかよ、死ねよクソバカ。」仰るとおりで、何の反論もありません。申し訳ない。別の方で少し進行してるものもありまして、まあ観に行く時間もないし、ここで観に行くと何だか負けた気分になってしまうので見ておりません。結局、天邪鬼なだけですね、本当にごめんなさい。

で、何とか、内容をつかもうとwikiなり感想なりを読みまくり、レリゴーを聴きまくり、普通に見るより時間がかかったような気もしています。まあどうでもいいです。

ちょっと自分なりに、「アナと雪の女王」の内容をまとめました。概要的な感じですね。
アナとレリゴーがいて、お互い姉妹だけど、何かレリゴーの魔法が暴走して、アナはお姉ちゃん子だったから寂しいけど会えなくなる。最後には、愛が魔法を制御する手段であることに気付いてハッピーなエンド。

この両者を比べる時に、脚本より前に一番最初に出てこなきゃいけないのは、「フル3DCGアニメーション」と「とんでもなく労力のかかる手書きアニメーション」という構図です。 つまりは、まず映像について。これは、別に「手書きだから偉い」とかそういうことを言いたいわけではありません。

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アナ雪はフル3DCGということで、とんでもなく完成されたものになっています。キャラの表情、カメラワーク、エフェクト、何処をとっても曖昧さやゆらぎは感じられず、アメリカ人の好きそうな不変的で、完璧なアニメーションになっています。 対してかぐや姫は、手書きアニメーション。この上に、水墨画のような淡い感じや、線画のあいまいさなアニメーションでやる。つまり、非完成的なものとなってます。ここには、日本人の一瞬の儚さを好む「わびさび」であるとか、「刹那性」を感じることができます。なのに、なぜ日本人にウケなかったか。


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アナ雪は、前述した通り、完璧な作品という風に感じています。ディズニーらしい演出(ロングで引いていって、いきなりポンと寄るとか)とミュージカルテンポなアニメーション、これはよくよく考えればディズニーの王道を少し誇張した感じのもので、ウケないはずがない。特に、映画を見に来るとなったら、女の子やカップルは楽しいポジティブな作品の方が当然いいに決まってる。愛が最終的な決め手となっている点も大きいです。「アナ雪感動したね~」「大事なことを感じられたね」なんて優等生な感想を残しながら、夜の街ではズッコンバッコンです。


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対して、かぐや姫。日本最古の物語で、中高生で誰しもが触れているような作品です。だから、みんな内容知ってるし。しかも、内容はネガティブ。かぐや姫は、自分の存在意義に疑問を持ち、叫んだりもします。夢の中で逃走を図るが、現実は逃げ切れない。絵はどことなく古びたもので、とっつきづらいし、綺麗な感じも多分そういう人たちには行かない。映画もどうせならキレイでオシャレな方がいいだろうし、コミュニケーションツールとしては、かぐや姫は駄目なわけです。だからウケなかった。こんなもん女子会の話しネタにもならないし、ズッコンバッコンのきっかけにはならない。


こういうわけで、日本人にアナ雪がウケて、かぐや姫はウケなかったと僕は思いました。


もう一つ大きな違いとして、アナ雪はストーリーの上に絵が乗っかっているのに対し、かぐや姫は逆です。ちゃんと子供でも理解できるストーリーに、綺麗な絵を乗っける。これだけできちんとお客さんは入ってくると、ディズニーはもう確立しちゃってるわけです。かぐや姫は、高畑勲の50年来ですかね?東映動画入ってすぐにあった企画を今回どうしてもやりたかった。その面では、アニメ黎明期の「絵」というモノが高畑さんの中で悶々としたものがあったと思うんです。鳥獣戯画的な、淡いタッチで、素朴に自然にやりたかった。だから、絵が先行してしまったんです。絵にストーリーが乗っかっちゃっている。絵がストーリーを作っていくという感じですね。そういう点では、非常に特殊な作品で、幹たる物語の展開はわかっているはずなのに、何故かなかなか見えてこない。逆にアナ雪は、単純明快で綺麗な展開の王道ストーリー。 だから、アメリカのみならず、答えは一つの日本教育のおかげで日本でも大いにウケたわけです。


そういう感じです。
こんな感じに、僕はアナ雪とかぐや姫を見比べて思いました。

ちょっと急ぎ足で申し訳ない。僕の妄想や、勝手な推測も大きく含んでいる部分が今回はすごく多いです。そういう点は本当にも申し訳ない。

コメントでいただいた、児童文学、古典文学としての比較もちょっとできてないので。まあもうホントすいません…そういう点は、やはり見ないとできないと思うので…



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