GOMISTATION

沈む時期

2014年08月

■野中記事

8月に書くとか言っといて、遅れてるね。もう少しかかる、と思う。
多分9月の中旬(15日あたりの三連休)で、仕上げられたなあと思ってる。


■紙の質

ツイッターでとある人と話してたんだけど、紙の質って本当に大事な要素だなあって。手塚治虫の文庫本って、秋田文庫と講談社文庫と2個あるんだけど、秋田文庫の方がいいんだよね。それは、指にかかるかどうかとかそういう種類のこと。秋田文庫の方が紙が柔らかくて、すげえ読みやすい。講談社文庫の方は、余白のクソさもある上、紙が硬くて読みづらい。しっかりと広げて読めるかどうかみたいな問題がある。読むシチュエーションって何も、机の上だけじゃないじゃんね。

これは先日言った「マテリアル」の問題にも絡んできて、付加価値を付けるためには、ただ「マテリアル」であるだけではダメということがよくわかった。よく言われるのは差別化とか、ブランド化とか、そういうこともあるけど、一番の価値は「この本の手触りから変更したくない」っていう受け手側の安心・信頼みたいなもんなんだと思う。電子書籍がさほど普及しないのは、出版社とか製本業者の関係もあるけど、消費者の大半がいいものと思っていないことに起因する、と思うんだよ。

実際に、電子書籍と文庫と、違う媒体で同じ本を読んだことはあるんだけど、圧倒的に紙の方が何かね、いいのよ。まあ、それは多分色んな所で言われてるから言う必要もないかもしれないけど。「すぐに別の巻を参照できる」とか「同時に読むことができる」とか、挙げ出したらキリがなくて、電子書籍は場所を取らない、どこでも読めるっていうのが長所だと思ってるんだけど、そんなもん指先一本で跳ね返しちゃうくらい利便性が高いんだよね。また違う話だけど、「紙はアイパッドに勝てない」っていうのは、岡田も宮崎も皆言ってて、それは本と同じく自由度の高さ(利便性の高さ)の点においてなんだよね。自分の思うがままに(それこそ手足のように)、色んな機能が使えるようになったら、電子書籍もアイパッドも一気に普及すると思う。スマホみたいに。



■気になってること

エーピクにそんな期待してなかったんだけど、これはそこそこ良さそう。というか、多分けっこう面白いと思う。寄生獣とか色々あるけど、これは見るべし見るべし。1話の出来にもよるけど、PVはいい感じなので。 後、『キルミーベイベー』『ズヴィズダー』に関しては、特異なアニメなので見ていただきたい。特に、『ズヴィズダー』。これは革新的な作品だと思ってる。商業的な大成功はしなかったけど。



■増尾配信は著作権侵害なのか?

これは相当考えましたが、結論から言うと、侵害してないと思う。「増尾昭一を語る」という命題の主張・議論・批評において、映像、図版等についてはそれぞれに説明・必要性の解説をしているし、命題に必要な材料であると僕は少なくとも認識してる。だから、「映像を使った批評」という今回の配信は、引用として認められるべきであると思う。図版や画像はまだ、引用の妥当性というものが認知されつつあると思うけど、「映像に関する引用の妥当性」という点は、非常にグレーなゾーンで冒険が必要だと思うのが僕の認識。

商用利用を問わず、今回は規模が小さいということで見逃されてる点があるのも事実。だけど、これがyoutubeで10万回再生とかされて、規模がでかくなった時に、著作権侵害となるかどうかは、もう企業のさじ加減としか言いようがない。まるまる無断転載をしたわけでもなく、それが必要だから引用として映像を使ったというのが僕のスタンスだけど、全く分からん。今でも、無断複製は企業によって対応が違うのが多いでしょ。サンライズ・ジブリは著作権侵害に厳しいけど、あそこは厳しくないとか。

でも引用という認識なので(※増尾昭一氏に関する映像を無断で複製して公衆通信化等をしてやろうという意図ではない)、引用と認めてもらいたいというのはあるけど、難しい問題だと思う。スクエニとSNKの問題を見てても思う。

「増尾昭一を語る」という命題は、「アニメーターの原画を語る」という事と同義であることは当たり前で、「原画を語る」ためには、そのための映像・画像・図版が必要だから、結局元の命題を満たすためには、映像等の引用は必要不可欠という認識が正しいと僕は思う。



続いた。
今回は、セル背景動画が中心。

回り込みの定義は、おそらくカメラが被写体の周りを鈍角以上(90度以上)ワークすれば、完全に回り込みとみなしていいような気がします。(※45度くらいあれば個人的には、いいと思いますが)

【追記 2014-08-29】
そうそう重要なことを言い忘れてた。何も水平方向にのみカメラが動くものだけを、「回り込み」と呼ぶわけではなくて、鉛直方向や、放物線的な立体的なカメラワークも「回り込み」とみなしていいと思う。
回り込み リファレンス図1

回り込みカメラワークの種類としては、「水平方向」「鉛直方向」「放物線的(立体的)」の3つに大別できると思う。



背景動画(背動)というのは、簡単にいえば、「パラパラ漫画」みたいなもんです。基本的にアニメでは、背景とセルで別れて作業しますが、これはアニメーター(作画・動画)が全部描いてる。厳密には少し違うけど、まあそんな理解で。



■『サクラ大戦3 〜巴里は燃えているか〜(2001)』 OP 
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一部背景動画による回り込み。放物線的カメラワーク。
キャラの斜め上から後ろに向かってカメラは移動し、お墓参りに来ている心情を描写している。かいま見える一瞬のせつない表情がいい。『サクラ大戦3』のOPはこれに限らず、鉄塔のシーンのカメラぐるぐるなど、全体的なカメラワークも、立体的で楽しいOP。


■『銀河旋風ブライガー(1981)』 OP
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金田伊功による有名なOP。水平方向タイプ。
3つほど異なるパースを抱えつつ動かす妙技は、今更言うまでもないですNE。異なるパースを含んだセル回り込み全面背動は多分コレしか無いと思う。4人のキャラを最初に見せておいて、主人公に寄っていくように回り込むカメラワークは、ぐっと主人公の元に引っ張られるようで自然で良い。


■『フォトカノ(2013)』
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近年における変態全面背動回り込み。立体的タイプ。
とにかく動かないモノ(イス、机、窓)のパースペクティブ変化の作画が大変ですね。ただでさえめんどいパースの変化というものを、セルで描いちゃうという。作品内におけるカメラでの目線ということで、こういう表現を意図的にしてるんだろうと思うけど。若干イスに違和感を感じる(※カゲのせいかも)けど、どうやって書いてんのかなあ。普通に書き送りですかね。


■『名探偵コナン 14番目の標的(1998)』
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一部背景動画での回り込み表現。水平方向タイプ。
若干バレットタイムっぽくもありますね。ストーリー的には、小五郎のおっちゃんが、過去に妃(奥さん)を撃ったことに蘭ねーちゃんは怒ってたわけですけど、その伏線を回収する大事なシーン。コナンくんが銃をとり、過去のおっちゃんと同じことをするわけですね。コナン君だけの主観的な時間になってることは分かると思う。当然みんな物理的に拘束されているわけではなくて、「息を呑む」という表現が一番いいのかな、そういう感じで動けなくて、コナンくんだけがゆったりと動く。結果的に、シーンの重みというのを上手く表現してる。


■『きまぐれオレンジロード(1988)』 3期OP
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全面背動回り込み。水平方向タイプ。
ペットのジンゴローを中心に、キャラを見せていく演出。カメラはラブコメに合わせるように、ゆっくりとした動きを見せてます。背景動画ですが、作画的には省略・簡略もあって、男の子の顔面をさほど細かく角度別で描かない(カメラのTUで回避してる)代わりに、ネコの方に力を入れているように感じる。「このカットではネコが重要なんだ」と、否応なく思わせる演出な気がします。マッチカット的シーンつなぎの連続で、面白いOPでもあるので未見の方は是非。(※こういった背動回り込みは、『ハイスクール奇面組』など、福富博作品ではあるある回り込み作画のようです。)


■『涼宮ハルヒの憂鬱(2009)』 24話
20140831022659

全面背動回り込み。立体的タイプ。
長門が去っていくのを呆然としながら捉える、キョンの目線がカメラに反映されている形。カメラはTBしつつ、ぐっと左に回りこむ。位置関係的には、こんな感じ。

ハルヒ説明1 
この去っていく長門は、ネガティブなことを言ったので、キョンも呆然・呆気にとられて長門を目で追うしかなく、そのキョンのどうしようも無さとか、呆然としてる感じを上手く出してる。この図で言うと、左から右にキョンの視線が動くので、カメラは逆の動きになる。俯瞰的なアングルにしてるのは、そこに視聴者の客観的な目線を要求してる(※そういう風に見てね、という意図)からだと思う。この一連のシークエンスを目撃してしまった、みたいな。主観的なキョンの目線と、視聴者の客観的な目線が重なって、こういうカメラワークになってると思う。



今回はセル作画の回り込みを中心に見てきました。
これは、前回見た”擬似的な回り込み”とは違い、実際にカメラが回りこんでいます。だから、撮影や美術との兼ね合いというよりも、アニメーターに委ねられる場合が多く、アニメーター自身の技量が出る作画表現でもあると思います(※CGをアタリにして描いてるのありますが)。

何か上手いこと言えませんが、次回に続く。 


■野球

亀井・アンダーソン・長野・菅野の怪我は痛い。でも隠善が久しぶりに見れて、しかも打ててよかった。由伸が自分のように喜んでいたのは、きっと練習他色々と見てきた親心みたいなもんがあったんだろうね。星野上げろよ、原。外様に異様に厳しいよねこいつ、アホか。しかし、村田・大田は酷すぎる。サードいねえよなあ。坂口、中井ぐらいしかいない。後は大累か。坂本も地味に冷えてきた。けど、ここが正念場。9月頭の広島戦、ヤクルト戦、この6連戦が多分鍵を握ってる。主力が戻ってきて、さあどうなるかというところ。

今のうちに今年のベストオーダー(CSも含めて)出したいと思う。

DH無し:1長野2亀井3坂本4阿部5高橋6片岡7橋本or中井or横川8小林
DHあり:1長野2亀井3坂本4阿部5片岡6高橋7ロペス8橋本(上と同じく)9小林
控えは(8・9人)井端、中井、横川、鈴木、寺内、實松、ロペス、アンダーソン

もう亀井の体的にもサードで使うべき。
サードってそんな故障しやすい守備位置でもないよね。
飛びつくぐらいじゃ流石に壊れんだろうし。
まあ守備の人が復調すれば、当然6番ぐらいは打ってもらいたい。

こんな感じか。まさか由伸を2014になってもスタメンで見るとは思わなかったよ。
もう若手を見る余裕も無いだろうしね。 
阿部が復調しなけりゃ、ファーストはロペス・アンダーソン。 
松本は間に合わんだろうな、やっとこさ日シリの時期だと思う。 

由伸ケガを知ったのは、この2日後でした。泣きたい。
中井頑張れ。



■原画の名前表記

これは権利的な話ではなく、受け手側の目線から。
世の中には、「この原画を誰が描いたのか?」ということを原画に名前付きで紹介してもらいたい人が大勢いてひどくびっくりしてる。いや、パート当てゲームを楽しんでるとかそういうわけではなくて、僕としては純粋に絵だけを見たいのよ。例えば、「沖浦啓之」って表示されてたら、マーニーRT(どっかの誰かが晒してた原画に「沖浦」って表示があって、リツイートされまくってた)みたいに無条件・無自覚で賞賛されてしまうのが嫌なだけで。

権威主義に陥ると、前述した通り、瞬間で思考は盲目の世界になる。考えないで答えだけを見るのは、とても愚かな行為であるのは間違いない。悩んだ末に見たり聞いたりするのはいいと思うけど、すぐさま答えがあるのはおかしいんじゃねえのっていう。そこんとこ悩まない、バカはすぐ飛びつくんだろうけど。何らかの助力はあるにせよ、名前という表示は、自分で知って掴んでいくものだと思う。原画に名前が載ってるのは、数学のテキストなんかで言うと、解答だけ載ってて、過程の説明がない感じ。そこが一番楽しいはずなのに、何の実りもない。

「オレは別に権威主義なんかに引っ張られないから。」って考える人もいるだろうけど、権威主義って多分、僕たちが思ってるより強大な力があって、「沖浦啓之」っていう表示だけで凄まじい風圧がある。それまで丁寧に積み重ねていた思考なんてものは、たちまちふっ飛ばされる。

権威主義は増強剤的役目も兼ねてるけど、それはいいと思う。
ちゃんと考えてるって分かる証拠だから。



■甲子園

三重の選手は素晴らしい。監督はほんとに素人かと思うぐらい酷かった。結果論でも何でもなくて、あのスクイズはあり得ない。当たってるんだから振らすべき。後は、2度(桐蔭のバッテリーミスも含めると3度)のバントミスが痛かった。きちっと、1死2,3塁の形を作れていれば、1点は入ってた。まあ、一番許せないのは終盤の思い出代打なんだけど。  

甲子園もますますセミ・ドラフトみたいになってきちゃって、何か良くないね。ダルが東北で投げてた頃ぐらいが一番良かった気もする。まあ裏金問題とか色々あった時期でもあるんだけど。よりマスコミが選手を押すようになった感じと言ったらいいのかなあ。そんな大選手でもないのに、名前だけで報道しちゃって(※龍谷大平安の4番とか色々)、これは原画の話にも通じるとこがある。後は、去年のカットマンと今年のイーファスだね。ああいうのは、何がしたいのか分かんない。物議を醸すことでもない。甲子園をダシにして騒ぎたい輩がやってるだけだよ多分。僕は、日本文理の飯塚くんとか、八頭のだれだっけ、すげーいいバッターと、後は、豊中の田中くんだね。彼らはプロか社会人行くと思うし、頑張って欲しい。全部見れたら、こいつは注目すべきとか分かるんだけど、流石に無理だからね。



■ジブリ後継者

まあ色々と雑感と意見を。米林、吾郎と色々試行錯誤して鈴木が何とか、存在しないはずの”ポスト宮崎”を作ろうとしたのは大体の人は分かると思う。宮崎駿は、今敏と同じく、ポストがいない存在だから。だけど、経営者的には次のジブリの看板を作らなきゃいけなかった。そいつが次のダライ・ラマにならなきゃいけなかったんだけど、結局『アリエッティ』も『ゲド戦記』もダライ・ラマたる存在になるには爆発力がなかった。

2作目の『マーニー』と『コクリコ坂から』もそんな爆発しなかった。本当にね、仕方ないことだと思うのよ。結果的には、自分で選んどきながら、その今までの労苦・努力・5カ年計画をかなぐり捨てたのは最低だけど、もうしょうがない。鈴木が後継者決めるのもおかしな話だと思うけど、宮崎駿から直々にするわけにもいくまいし。そんなことを公の場でする人でもないだろうし、鈴木がこれまでもあることないこと言ってきたし。もう身投げの宣伝だと思うんよ、この後継者問題っていうのは。正確には、虚像の”ポスト宮崎”という存在を作る作業なんだろうけど。

僕としては、何故森田にもう一本撮らさなかったのかっていう思いが非常に強い。一番はまってたのに。ファンタジーも十二分にできる監督だと思うんだよ、森田は。テーマ性とか、作家性みたいなこと言い出すと、全員もうダメになって、「家族で楽しめるジブリ」っていう方針なら全然いけたのに、そこにこだわりすぎた。実際、『猫の恩返し』『ゲド戦記(コクリコ坂から)』『アリエッティ(マーニー)』並べて、どれが一番茶の間で受けるかといったら、やっぱり『猫の恩返し』と思うんだよ。

それは何でかというと、ファンタジー感は他の2作に比べて少ないけど、デジタル初期ってこともあって、シンプルな線と色味がいい。それと、お話も難しくないし、キャラは立ってるし、茶の間では必ず受ける。そこにテーマ性があるかと言われると、絶対ないんだけど、そういう方針で行くべきだった。正確に言うと、”ポスト宮崎という虚像”を諦めて、ニュージブリ路線(※オールラウンダーな内容)の開拓をするべきだったと僕は思う。

だから、吾郎と米林と森田並べたときに、「どれが一番ジブリっぽいですか」って聞かれたら、それは、米林とか吾郎になるんだけど、「どれが一番家族と見たいですか」ってなった時には、『猫の恩返し』になると思う。これは僕の主観だけど、いくつか根拠もあって。例えば、カラスが喋るとか、ツンデレデブネコとか、スマートな紳士ネコとか、色々と押さえるべきポイント(※家族で見て、ヴィジュアル的に・直感的に楽しい)を押さえてる。主人公は女の子で、そんなクセがあるキャラデザでもないし。こういう感じで、森田に監督もう1本やらせろってのはずっと思ってた。

ジブリ色というモノを捨てきれなかった経営陣の負け、と思う。ジブリというブランドは既に確立されてるんだから、そこを濃くする必要はない(※既に差別化しきってる)のに。だから、何度も言うけど、「家族で楽しめるジブリ」で良かった。安心して親が見せられて、親も少し楽しめるアニメにすればよかった。爆発力よりも、1000万人が安定して見れる力みたいなものが必要だった。そんな感じ。

もしかしたら、巨人の監督みたく、「生え抜きじゃないとダメ」みたいな理論があるのかもしれない。別に視聴者は気にしないと思うけど、世襲っていうモノを大事にするんでしょう。



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