2014年09月

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ちょいちょい別の記事のために見ていく内に発見したり、教えてもらったりしたので。


■『ワルキューレロマンツェ(2013)』

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俯瞰からのアングルでスタートし、ピタッと止まる部分がありますよね。
そこから、バレットタイム開始。
やや煽りの角度を保ちつつ、ぐるんぐるんとカメラが水平方向に回る。

この後は、普通のコマスピードに戻ります。
反動で、いつもよりスピード感・疾走感が増す。



■『未確認で進行形(2014)』 MV
 
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ちょいと連番振ってみました。
カメラは90度回転。

これは『マッハGOGOGO』とかと同じタイプですね。
静止したキャラを、細かく角度別に描いてる。輪切りタイプ。



復習になりますが、

1、キャラの静止状態orスローモーション状態
2、それを「細かい角度別」、もしくは「輪切り」のように描いてつなげる
3、結果的に、カメラは高速度撮影になる(※必須ではない)
4、立体的なカメラワークが存在している



という感じの要件を2、3満たしていれば、バレットタイムだと考えています。
1、2は必須ですね。3、4はあればよりバレタイっぽくなるということです。
まあこれは僕が考えただけなので、参照ぐらいに考えてください。 


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まだまだいい爆発というのは眠ってるものです。



■『Under the Dog(2014)』 ティザー映像

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伊藤秀次爆発。
表面温度のリアルさもあるけど、中から爆発してる感じが出ててスゴイいい。爆発した後、爆発の現象が終わった表面が中心部に吸い込まれていくみたいな。



 ■『機動戦士ガンダム0080 ポケットの中の戦争(1989)』 5話

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磯爆発。
ピンと張っていた糸が切れるような脱力感あふれる爆発表現が上手い。これは多分、反応兵器(核兵器)だと思うんですけど、他のエフェクトアニメーターとは大分違ってる印象を受けました。庵野・本谷といった写実派は、吹き戻しであるとか、建物から煙が出る描写を(現実の現象をそっくりそのまま)緻密・精巧に描くという感じなんですが、0080磯は何か違うなあと。

この辺りの影の付け方が印象的です。

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0080磯は、西洋絵画における印象派の感じがします。決して(写実派ほど)細部まで描き込まれてるわけではないのに、そこに写実派とは違うリアルを感じてしまう。写実性というものが存在していながら、緻密なディテールは存在していない。「磯は理論派」という意味が、段々と分かってきたような気がする。

庵野・本谷が数学者だとすると、磯は物理学者みたいな。前者の論理性には飛躍がないんだけど、後者は部分的に飛躍が見られる。数学っていうのは、やはり階段を上がるように丁寧に記述していくんだけど、物理学というのは比較的その丁寧さが少ないという感じで、ある種感覚的というか。そこら辺の違いで、映像そのものに受ける印象が変わってくるんだと思う。まあ、完全なる推測ですが。



■『メガゾーン23(1985)』

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本谷作画(※推測)
ロボの上半身の崩れ方と、一面に広がる透過光ショックが見どころ。4カット目(gif2個目)の高架橋のコンクリが崩れて、瓦礫が散らばるシーンもかっこいい。こうぐわあっと、ゆったりと落下していくんだよね。リアル。



■『クレヨンしんちゃん 爆発! 温泉わくわく大決戦(1999)』

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木上作画(※推測)
全体的に、モクモク煙。じんわりとした煙と、橋のガレキの落ち方も重力にしたがっている感じが素晴らしく堪らん。ガレキがゆっくりと落ちていくんだよね。その後には1コマショックもある、爆発(gif3個目)。これはレイアウトが上手いのかなあ、押し寄せる感じがある。4個目は、右足の勢いで煙がブワッと従うのがいいよね。



■『ブラック・ブレッド(2014)』 1話

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おそらく吉成兄作画。
基本2コマなのに、それ以上にぬるぬるに感じる。これは、CGベースの作画なんすかね。すごいよね。じわじわくる煙の感じとか、これ作画なのかなあ。『ヤマト2199』とかのCG爆発ってまだちょっとアレじゃないですか。メカは「CGでもいけるかも」っていうのが僕の中ではあるんですけど、爆発・煙・炎系統のゆらぎがあるエフェクトはまだ難しい。でもこのエフェクトはいい感じですよね。



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黒田結花作画(※推測)
突っ込むエンジュと煙、そして破片。ゆっくりと立体的に広がる煙には、目を見張る。上手いなあ。そんな書き込んでもないのにね。写実性バリバリ。画面右上、左に散らばる破片は地味ですが、これまたいい感じに散らばしてるし、破片の動きが丁寧でいい仕事してる。



■『ロボットガールズZ(2014)』 4話(実質2話)

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黒田結花作画(※推測)

爆発から3コマで。画面を縦横無尽に動き回る破片が心地いい。煙自体もレベルが高く、政勝タイプの煙。最近は書き込み多めの煙と爆発だらけですが、これは写実的で素晴らしいです。

上のブラブレの煙、とっても気に入ってまして。そんでロボガをふと見る機会があったんですけど、そうすると似てる煙があるじゃないですか。もうウキウキになりまして、両者比較してみたんですよ。そうすると、カゲの入れ方の度合い・付け方は、けっこう似てると思うんですよね。フォルムもそこそこ似てるし。

(確定したらですが)この方の作画は注目していきたいと思います。 


ちょっと驚いた。

■『四月は君の嘘』 カバーソングCM第2弾(「鱗(うろこ)」ver.)30秒
 





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「エヴァ」ほどセル主張してないし、他のアニメで出てくる電柱ほど背景に溶け込んでるか浮いちゃってるわけでもない。これは多分CGですね。グラフィニカという、前身がゴンゾのデジタル部の会社なので、コンポジットとか撮影後の特効とか、そういうのが得意なのかもしれない。

グラフィニカ http://www.graphinica.com/ 

まあそれだけなんですけど、この電柱見た瞬間にうおっとなりまして。この驚きに近いのは、「言の葉の庭」の冒頭PVを見たときですね。あれは、AE等の多用なんですけど、凄まじくインパクトがあった。そこまでじゃないけど、少し驚きました。面白い電柱だなあと。


何か特に更新もできないので、雑記の積んでたネタを。
多分8月終わり頃に書いたと思う。


■物語、ストーリーへの関心の欠如

ゲームにしてもアニメにしても、どういうわけか、脚本・ストーリーといった事に、子供の頃からさほど興味が無い。「ストーリー性がない作品」というものは、駄作の烙印を押されがちで不思議にいつも思ってる。例えば、ゲーム「ロックマンエグゼ」「戦国無双」「マリオRPG」「クラッシュ・バンディクー」など色々好きなのはあるけど、どれも中身には興味がなくて、そのゲームシステムをいかに効率よく利用して(※時には浪費したりもして)、クリアしていくかにしか興味が無い。(※だから、やり直すたびにストーリーを思い出す(笑))最速タイムで倒す方法とか、より簡単にクリアする方法とか、こういうことしたらキャラはどうなるんだろうかとか、そういうものに興味があって、そういうやり方でしか多分ゲームというものをしたことがほとんどだと思う。だから、「ダブルキャスト」とか「かまいたちの夜」みたいなノベルゲームには一切の興味がなくて、やれと言われたら、お金をもらわないと多分出来ない。それぐらい、ストーリーメインなゲーム・アニメは好きでない。

衒学的(思わせぶりな)映像とか、トリッキーなシーン、映像的なギミックとかは大好きなんだけど、「これこれこうだから、こうなってこうなる」みたいなストーリー・展開にさほど興味が無い。だから、単純にインパクトのある映像とか、緻密に積み重ねられていく映像表現(今敏的な)がよく出てくる作品が好きなのかもしれない。

ストーリー性とか物語性、もっと言えば作家性みたいなモンは、全てを(お話だけでなく)通して出てくるものであって 、ストーリーだけでは測れないと思う。いやこれは、僕が作家性がある作品というものを見たことがないからかもだけど。だから、「映像から作家性が滲み出る」という意味では、『メガゾーン23』『ズヴィズダー』 『キルミーベイベー』『エヴァンゲリオン』『千年女優』なんかは、僕にとっては全部同列の存在になる。

もっと言うと、お話なんてものは全てフィクションだから、全部お芝居に見えてしまうのかもしれない。だから、そこに無理矢理に作家性を染みこませようとする脚本を要求することは求めてないと思う。求めるべきでないとも思う。最初から開き直って、「これには、テーマもなんにもありません」と銘打っている脚本、もしくは映像を積み重ねる内に作家性が滲み出る映像作品を求めている気がする。



■映像の享受の仕方:「破」

狂乱さ、熱中さ、夢中さ、みたいなモノは全然許容範囲であって、そういうのは別にどうでもいいんだけど(※純粋に、映像を享受しているということだから)。クッソ寒いネタ(リツコ太鼓ネタとか)を、何年やり続けてんだよ、しつけーよアホどもと思うことが多い(※しつこい人は大抵面白くない)。これは自分のTL見てだけの話だけど。やっぱね、そういう人って偏見でも何でもなく、「映像を見る」ということが苦手なんだと思う。見尽くしたと思っても、映画とかアニメは、意外と思わぬ(※自分が思い込んでいて、視野に入らない)ところから、色んなものが再発見できるはずなのに、何故かそういう姿勢を捨ててネタに走るのは、非常にもったいないし面白くもない。

でも、ああいう姿勢が評価されたりするのは、何かね、腑に落ちないというか。作品の周辺で語って、なんにも実にならないことをやってんのにね。「お前にとって「破」ってどんな作品なんだよ」、って聞いたら、コピペ通りの回答しか返ってこないんだよ、これが。「リツコ太鼓でしょww」「ここまでは良かった」「シンジさんだった」みたいな、何か感想を言ってるようで、抽象的な事言って誤魔化してる人は非常に多い。そうじゃねえよ、おめえは、コレ見てどう思ったんだよっていう。

この前、旧劇が流れた時に、「分かったようで、わからん」って感じにつぶやいてた人がいるんだけど、ああ見栄張ってなくていいなあってスゴく感動してた。オレも一部は分かっても、全然分かんねーもん(笑)で、他の奴らは、グロシーン・サブリミナル的なシーンがカットされてることに怒ったり(※多分、知識的に優位性を保ちたい姿勢が原因)、くっだらねえ事言いまくってんのに、もうその人だけは純粋に旧劇を作品として見てんの。本来、こうあるべき映像の享受の仕方が、例えれば、学校の英語の授業で正しく発音してもクスクス嘲笑されるように、村社会的な構造で下に見られてるんだよね。あいつ何真面目にやってんの、アホっぽいみたいな。前も言ったと思うけど、どんなに拙くても意見・感想はオリジナリティに溢れていれば、素晴らしいもんだと思う。当然、真剣に考える上で、結果的に他の人の意見の模倣になるのは悪いことでは全然ないけど、自分の意見というものはもう少し尊重してもいいと思う。



■「破」

「破」という作品は、僕にとっては、「とてもぎこちないけど、とても面白い作品」になる。「ぎこちない」っていうのは、コンテや映像の繋がりとか滑らかさとかなんだけど、それが凄まじくひどい。映画として下手したら破綻するんじゃねーのかってぐらいひどいんだけど、圧倒的な映像美で補完してて、ちゃんとエンタメ映画になってるとこがスゴイ。

ストーリなんて無いってぐらい開き直ってるわけでもない。ストーリーは存在してるようにやってる。全集とかで、脚本は相当苦しんだって確かあったんだよな。マリの出し方とか、絡め方、終わり方とか、もう本当コンテぐっちゃぐちゃなのよ。本当は、Bパートで初登場するはずだったのにとか、アバンがAパート行ったりとか。もうホント、よくこの形に出来たなって今でも思う。これは脚本の構成に起因するものなんだろうけど。(※だからテレビでカットされても分からないことが多い)

これは、全集を読んだからっていうわけでもなくて、劇場で見た後から思ってた。んーなんか継ぎ接ぎな感じがするなあと思ったら、まずコンテが多すぎる。「船頭多くして船山に登る」じゃないけども、これは流石に上手く溶接できねえよって。元を辿れば、脚本で悩みまくったのが原因なのは間違いなくて、確か合宿で榎戸が最終的には、ああいうラストにしたらいいんじゃないの的にまとめたんだよね。だけど、榎戸がばっさばっさTV版の脚本切っていったから、結果的にはシーンの欠落しちゃう感じも出てしまって、同時に「ぎこちなさ」にも繋がったんだと思う。


後はね、「トップ」「ナディア」に顕著に見られたカット割りが、存在してて面白い。「ナディア」では、ガーゴイルとネモが言い争うシーンは、毎回距離離れてんのに意思疎通しあってるじゃん。(合理性を求める人にとっては、NGなシーンだろうけど(笑))そういった合理性を僕はさほど求めないので、面白い表現だと思える。なおかつ何の装置も出さずに会話を演出できる表現だから、便利だよね。あれは、ある種のマクガフィンといってもいいのかな、ああいうのが実は「破」にもあって面白い。日常シーンでは、シンジと綾波は普通に交流するわけだけど、マクガフィンとしてDATが使われる。

シンジが捨てる→綾波が拾う→(ゼルエルと戦う)綾波の太もものDATにカメラが寄る→最後抱き合うシーンでDATに寄る みたいな感じで、すげえ感情移入・没入しやすい。このDATという装置の重要性というものが、いかんなく表現されているから、Cパートは神がかってる。当然、シンジはDATを綾波が拾ったとか最後に知るわけずじゃない。視聴者は、DATが出るその度に情報は得てるから、それなりに事実や一部の心情は拾っていけるんだけど、完全にシンジの心情と同期するのは最後(※あの真っ白シーン)にならないと出来ない。この構成に関しては、相当気を使ったと思ってて、すごいと思ってる。

後は、CGエヴァとか違和感ない。モデリング小林と本田のおかげ様様。今日見直して思ったのは、ワンダースワンを持って座るところのアスカ作画うめえなあって思ったりした。後は橋本祭りで(多分3割ぐらい書いてる)カッコエエ爆発も多いですね。僕は、津波のシーンが橋本作画ではナンバーワンなんだけど、一番のお気に入りシーンは、疾走するエヴァが電車とか街とかをぶっ壊していくところ。あれはすげえいい。コマ送りでgifにしたいってぐらい良いシーン。ジャンプして空中を滑走するシーンもいいけど、あれは劇場バージョンの方が良かったような気がいつもしてる。



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前回は、背景動画を中心に見てきました。
今回はデジタル&CGを利用した表現がメイン。やはり、表現の幅が広がります。

流れる時間は、回り込まれる(被回り込み)キャラのためにあるのか、それとも別の所にあるのか。ということを、意図的にやっていることに注目すべきです。前者は当然、主観的な時間、後者は、別のキャラであったり、視聴者であったり様々です。


 ■『戦姫絶唱シンフォギアG(2013)』
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カメラが右に動きながら、1人のキャラのところでTUしていくわけですが、もったいないですよね。完全に書いて欲しいカットは、この後なのに、と。これは、主観的な時間ですから、なおさら。

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これが2カット目。1カット目とこの間が主観的な時間を表現するベストポイントじゃないのかと思うんですが、キャラの顔に最後までTUしなかったのは、作画の関係なんでしょうか。


■『翠星のガルガンティア(2013)』 1話
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流れるのは男の子の主観的な時間。比較的分かりやすい多段構造での背景(BGとbook2個)で、ジオラマ的に遠近感を出している。男の子の動揺を表現してるのがよく分かる。


■『フォーチュン・アテリアル(2010)』
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当然、これは女の子の主観的な時間です。ところで、回り込みって、さっきのシンフォギアみたく「ああ!この肝心なところが作画されてない!」ってなることも、しばしばあるんですが。これは全部描いてますね。カメラがキャラの後ろから入ってきて、キャラの顔を細かく角度別に描いていく。


■『進撃の巨人(2012)』 22話
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これは、一見、被回り込みキャラの女型の巨人の時間っぽいが違う。リヴァイ兵長のスゴさを見つめる、ミサカの主観的な時間です。CG背景を利用した回り込み表現。女型の巨人のスケールさを表しつつ、リヴァイ兵長の俊敏で広範囲な攻撃を描写してる。透過光の入れ方がセクシー。


■11話 
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ミサカの主観的な時間が流れる。江原作画。ミサカがくるっと一回転する所に少しカメラが回り込む。CG背動だから、回り込みしようと思えば多分何処でも出来るけど、いい入れ方だし、作画も良いですよね。背動しつつも、少しエキセントリックな感じ。

■25話
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巨大エレンの高速パンチの回り込み。これだけカメラのスピードが速いのは、当然エレンの攻撃の速さを表現してるのもありますが、それとは別に女型巨人の主観の時間が入ってるという要素もある。つまり、これは第三者的な視点なんだけど、回り込んだ後に女型のカットを入れることで、その女型の主観的時間をシークエンス自体に含ませてる。


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これも同じく25話。第三者的(作品内の他の人)の時間に、巨人が割り込んでくる形。カメラは、(レール引いてんのかって思うぐらい)綺麗な弧を描いて動きます。大量の破片や人間、店を配置することで、ここで巨人との比較対象としてる。そのおかげで、より特撮的なアクションになる。


■『中二病でも恋がしたい!』 9話
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これは、もう2人のための主観的・独占的な時間です。ローアングルでパノラマ的なカメラ。360度全部入れようとしてるから、当然校舎は歪む。いやースゴく奇怪な画面です。意図はなんでしょうねえ。夕焼けをメインに見せたかったのかなあ。夕焼けのカットを挟んで、情景描写みたいなのは一杯ありますけど、1カットでは見ないですね。


【2014/09/08 追記】
そういえば、この中二病に似た、画面を広角で歪めてるやつの類似がありました。

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(『まいっちんぐマチコ先生』 75話)

あくまで、これは止め絵ですけど。右から光源が差し込んできてるのが分かりますよね。やっぱり、空の状況を画面に入れたいがために、広角にしたりパノラマにしたりすんでしょうか。


「回り込み」と簡単に言いますが、そのシーン・カットで流れている時間は誰のものなのか、ということは作品の理解においても重要で、例えば古典や現代評論で言えば、主語が分からないと文脈はメチャクチャになりますよね。それと同じで、主観的な時間なのか、それとも別キャラの視点なのか、はたまた別の目線なのかを考えるのは見方として楽しいかもしれない。とにかく、「このカットを何で回り込みにしたのか」という意図を探してみる意義はあります。まあ、これは回り込みに限った話ではありませんが、全部やろうとすると大変なので、「回り込み」のシーンだけ考えてみる、というのがいいのかもしれません。


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