GOMISTATION

足が絡まっても、踊り続けて

2014年11月

何かあんま更新できないのもアレなので。
(※一応、Fate、グリザイア、君嘘に関しては必ず感想記事出しますので、ご安心を。少しばかり遅れるかもしれませんが…そこはごめんね。) 

「ソードアート・オンライン」を最近見始めたんですが、いやあそこそこに面白いですね。売れる、人気になる理由も分からんではないです。というかメッチャ分かる。ああ、これは人気出て2期もやるわなと。



■『ソードアート・オンライン(2012)』 #1
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1つ目は、90度回転の擬似バレットタイム。2つ目は180度超えのカメラワークによる、バレットタイムですね。多分そう言って大丈夫だと思う。で、こういったバレットタイムを何故使用するかですが、もう単純にカッコイイからですね。スポーツでも、「ボールが止まって見える」じゃないですけど、そういった「スローモーションのように見えるほど集中できた」経験って誰しもあると思うので。そういった現実に起きる事象の誇張的表現だと思うんですね。だから一見、デフォルメ(ハイスピードカメラで撮られるような)っぽいんだけど、実はめっちゃフォトリアルな表現です。



■ED1
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後は、こういった面白い回り込み作画もあったりしたり。面倒臭そうなのにね、良くやりますわ。ここは回り込みもいいんだけど、髪の毛のリアクション、フォロースルーじゃないけど、行って帰っても上手い。ふわふわしてる感じ上手く出せてますよね。 


■知識の多寡と論評(2)

アニメ・映画を語る時、例えば、「じわーっと引くことが画面全体にとって効果的だ」というAの言及と、「じわTUは画面として効果的だ」というBの言及は、表現が高等化してるだけで、言及している内容自体は変わらんわけです。ここについて知識は必要かどうか言われれば、疑問が残ります。極端に言えば、(撮影用語を知識として習得したところで)言い方がかっこ良くなるだけです。ですが、それは単語としての機能もあります。説明文をわざわざ毎回書くことをしないために、単語はあるので、(当たり前のことですが)文章の冗長化も防げます。

最近思うことは、あるジャンルに対する知識の多寡です。例えば、少女漫画に対しての言及をしたいとき、サンプリングの多寡によって、果たして論評の質は変化するのか、ということについて疑問があります。ukkahさんの『閾値』という表現は的確な気がします。一定のサンプリング数を超えると、知識から論評が出てくる(という意味でいいのかな?)。少女漫画の例で行けば、まず古典的な『はいからさんが通る』『ベルサイユのばら』『赤ずきんチャチャ』押さえ、エポック作品であろう『セーラームーン』『魔法騎士レイアース』といった別ジャンルの要素を含んだものを享受する。王道的な作品と、それとは少し違う作品の両方を吸収することで、例えば『四月は君の嘘』に対しての言及はもっと濃く実のある批評になるのか。それとも、そうではないのか。類似点を探し、対比することは確実に意味がありますが…

ここがボクの最近の疑問点です。だから、作品を見て、違和や悶々とした感情を言葉にできない時は、「作品数のサンプリングが足りないのでは無いのか」という焦燥も少し持つことがあります。ただ、そうじゃないと思う時もある。今までの作品によるバイアスがかかり、純粋な目で映像というのを捉えられていないのではないのか、と感じる時もある。だからボクにとっては、不明瞭です。「薬も過ぎれば毒となる」というように、知識はたくさんありすぎても得をしないような気がします。だから、知識と論評は比例しないと思ったんですね。

そんなことをグダグダ考えずに、まずはやってみる、というのが一番確実で近道のような気もします。だから、今古い映画でも何でもいいから洋画をたくさん見てます。多分、それは作品やジャンルによって変わってくる気もします。例えば「新Fate」に関しては、知識を積極的に避ける(つまり、深入りしない)という姿勢で論評しています。それは、無意識の思い込みによって起こる、良くない見方を避けるためです。「グリザイアの果実」も同じく。最近のwikiは、「核心的な内容をネタバレする」ということを知っていますので、wikiすら見ていません(笑)。「四月は君の嘘」については、正直困っています。原作既読の思い込みが否が応でも発生しますので、読んだ時の自分の感情によって思い出補正されてしまう。だから、こういう時は他人の意見を求めます。自分で気付かないクセというのは、他人からの指摘でないと中々分かりませんから。




■野球:日米野球と草野球

柳田、菊池、坂本、丸、嶋、筒香は特に良かった。といっても短期決戦なので、固定的・確定的な評価などあり得ないわけですが。中田の4番固定は物議を醸しています。小久保監督の意図は分からないこともないです。流動的な打線になっては良くないだろうと。そういう意味でせめて4番だけは固定して、責任を持ってもらおうと。ただ、それならそれで、前後は色々と試行錯誤するべきです。短期決戦では、やはり「お祭り男」なる者の存在がかかせません。しかし、2009イチローを反例として出されると難しいところです。一度、スタメンから外れるほど、状態が最初は悪かった。準決勝あたりですかね、調子が上向き始めたのは確か。結果論だけで言うと、栗原の起用とか原采配ドンピシャリなわけですが。

ベターな選考方法は、①実績+②今年の成績+③その大会における状態、でしょうか。

内川、糸井といった安定的な選手でも今回のように打てない時はあります。先行試合も当然あるわけですから、あまりに状態が良くない選手は下位に置く、外す等した方がチャンスは拡大します。短期決戦は勝負勘が強い人がトップでないとダメですね。それこそ、原はいい人材だと思います(※今年のCSは誰がやっても、どうにもなりません)。

兼任監督の難しさというのが、2013WBCで露呈し、今回の小久保ジャパン結成というわけですが、どうも納得できない。これは逆に小久保に対して、監督としての経験を積ませないようにやっているんでしょうか。シーズンでの戦い方を応用しても上手くいくとは限らないと。でも一応のセオリーは守ってほしい。成績が残ってない、今日はバッティングの内容も良くないという選手には代打を送る、といった当然のことから、守備固めまでしっかりと。そういった意味では、スコアラーや裏方さんの重要性が増しますね。どういう打撃内容だったか、というのを客観的に詳しく監督・ヘッドに伝達できるような存在は必要不可欠です。



■四月は君の嘘OP:ブランコのカット
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このブランコのカット、カッコイイっすよね。
このカッコよさの要因は、おそらく「右方向への一貫性」です。

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白い鳥は、画面の左方向に向かって飛んでいますが、(カメラワークによって)相対的な位置は右方向に移動しています。ここでは、画面下に見える白い流線によって、風が左から右に向かって(つまり右方向)吹いていることも分かります。この2つの事象が、次カットでのブランコの急速的な運動の示唆・伏線になっているんですよ。



この後のカットも、「右方向への一貫性」は保たれたままで展開されます。

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さっきのブランコとは反対方向からのアングル。風は右方向へと吹いています、それに従う形で有馬のネクタイと髪の毛も右方向へとなびいている。後ろでは、さっきのブランコが余韻をもった動きを見せています。ここでは、動きの対比として、明らかに有馬のネクタイの挙動の方が大きくて、しかも速いです。だから結果的に、ブランコの左方向への動きよりも、右方向への方にアクションの比重がかかっています。つまり、ここでも「右方向への一貫性」が保たれていることが分かりますよね。

まあ言っちゃうと、これって実際にはあり得ないカットじゃないですか。さっきは右方向に風が吹いてて、ブランコがそれによって動いたのに、反対方向にカメラが動いた次のカットでも、右方向に風が吹いている。現実に即して考えると、有馬のネクタイは左方向に揺れるべきなんだけど、何でこういう風にしてるのかって言うと、「右方向への一貫性を保つため」だと僕は思うんですよ。

有馬は別の位置にいて風を受けてるんだよとか、そもそもOPにそんなことを言うのは野暮ったい、というのは当然あるわけなんですが、一連のシークエンスとして、何故違和感なく自然にカットが繋がっているのか、ということを見ていくと、やはりこういう「大切な矛盾」含んだカットが存在しているからではないかなあと思うわけです。



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