GOMISTATION.

ちょっとペース落ち

2014年11月

初見時には、ミチルとユウジの会話シーン辺りと野中パートを推察したんだけど、どうにもしっくりこなくて、調べてみると(あのシーンは)大島縁の可能性も大きくあるので、考えなおすことにした。よく見てみると、確かに2話3話の野中作画とは違う。(※上手いのは、相変わらずある。大島さんも気になりますね。)

グリザイア1話野中に関しては、記事でも取り上げた通り、「ラストの周防天音」を他の候補として挙げていたんだけど、これも何かしっくりこない。だから、再度1話の作画シーンで候補的に挙げられるところは、何度も見て確認したんだけど、やはりピンとくる作画がない。ここら辺は他の人の意見も伺いたいところ。

再考して見た結果、「Bパートのサカキの唇が動くシーン」が一番それっぽい(としか言えなくて申し訳ないが)ので、今のところの結論はそうなった。後は、何本か野中っぽいところを乗せたが、どうだろうか。 


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とりあえず、gifだけ載っけて後でいろいろな考えを説明したいと思う。
天メソ1話もよく分からんし、本当に描いてんのってなる。 

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これまでの話数でまさしく、ピカイチだった。すごすぎた。


アバン:有馬と母親の過去

A:演奏開始~演奏ストップまで
・音符が消える表現
・渡「すげえ…」
・水に浸かる有馬

B:宮園演奏再開~ラスト喝采まで
・怒涛のラスト
・春が来た



脚本・作劇・構成

29]32]
22]29]

まず、アバンの過去回想は良かった。なぜ有馬公生がああいう風に(3話のように)呼ばれていたか、それが母親に依拠するということを執拗に描写してきたのだけども、この話数では表現手法が少し変わって、セリフが多くなっている。これが後半のAにおける、4段階ポン寄りのシーン(※車いすの母親が見えるところ)で素晴らしく活きてくる。ここは、色々なエフェクト(フォギー、パラ、ボカシ)がかかってる分、そのホラーチックに画面が仕上がっていて、一見幻想シーンの方が怖いと思うんだけど、シークエンスで見ると、何も存在してない方の画面が怖く感じるように仕組まれている。


37]32]51]53]

アバンではあれだけのセリフの文量で、有馬の暗い過去を描くんだけど、4段階ポン寄りのシーンでは一切のセリフなく、ただ音楽の高まりと共にシーンが進行していく。このシーンから(今まで明示されてこなかった)有馬の主観(※スポットライトはその示唆)へと没入していく。鍵盤を叩いても音が出ない、音符が消えていく、まるで海の底にいるような息苦しく・どうしようもない感じ、それら全てをセリフと音楽、そして映像で感じさせている。


07]16]
37]45]

有馬の必死な形相とその言動、そして示される映像の息苦しさと苦痛。「叩いても音が出ない苦しみ」、それがどんなモノかというのはイメージBG的な手法で(※抽象的に)表現するのかと思っていたんだけど、イシグロ監督はまさに「実直に」有馬の苦痛を具体的で明確に表現しているので、ここは喝采すべきところだと思う。 有馬の向き合ってきたモノがどれだけ恐ろしく、それだけ苦痛に溢れているかが素晴らしく分かるシークエンスだった。


58]02]
31]05]

シーンは現実(客観)へと帰り、有馬はピアノの演奏を中止する。これは宮園に迷惑をかけてはダメだという判断から。だけど、その宮園も演奏をやめてしまう。有馬と一応の会話(※いや感情的な機微の交換か)を交わし、有馬もそれを受け取る。そうして、宮園は「旅に出よう(※スヌーピーからかな)」と言い、演奏を再開する。しかし、演奏再開できない有馬。


34]37]
51]27]

有馬は相変わらず海の底で苦しんでいるのだけど、ようやっと辛い記憶のリフレインではない、母親との記憶を思い出す。演出的にはここが素晴らしかった。ここまで、有馬と母親の過去回想では全てモノトーンに仕上げてきたからこそ出来る、対比的な「カラー(※色彩的・明度的)」による柔らかさ・優しさ・安心の表現。「母さんからもらった全てをぶつける」という意志の元、有馬は演奏にのめり込む。それが、3枚目のカット、有馬の目線の動きを描写したカットに表れていたり、4枚目の逆光のカットでも(※宮園から見た有馬として)有馬の本来持つポテンシャルが示されている。


21]40]
43]31]

そして、演奏終了。終了に至るラストスパートは、画面も光源が強調されたモノとなっており、明度も上がっている。もがき苦しんでいた有馬に、わずかながら見いだせた希望の表現であり、宮園との演奏が楽しいという表現でもある。そして、有馬の主観(※未来)へと画面はジャンプカットし、ピアノ演奏の感情の再確認と同時に有馬の一つの思い出となっていることが分かる。 素晴らしい話数だった。





作画・画面構成

素晴らしかった、以上。
というのは流石に冗談(※冗談でもないか)ですが、これ以上は文量が多すぎる(※時間も足りない)ので、また別記事にでもするかも。簡単に言うと、序盤の演奏シーン、ラスト演奏シーン、控室での有馬のカチコチのシーン、ここらへんは何も言わずとも分かるように、素晴らしかった。濱口明はどこでしょうね、それは少し気になる。


以上です。 

こういうクダラナイことばっかりやってるから、他の記事の更新が遅れる。

先日の、TIFF(東京国際映画祭)の「庵野秀明の世界(監督他・短編)」において、以下のように庵野さんから言及された。

氷川:「(巨神兵の)光学作画については…」

庵野:「まあ、光線の作画をやりました。なぎ払いビームと光線ですね。実は、最初に打つ膨らむビームは『エヴァQ』からの流用なんですよ。」 

氷川:「作品を超えたバンクですか(笑)。」 
引用元:http://royal2627.ldblog.jp/archives/41627044.html 

この光線作画については、言われてみるまでは、まさか実写とアニメを行き来するバンクなんて想定もしていなかったので、両者の関係については全く分かっていなかった。そうして、事実を聞かされた時は、あの日において一番驚いた。それから少し考えると、これはさらに昔に見たことがあるような気がしてならず、少し資料を漁っているうちに、「元となったモノ」を推察した。おそらく、「エヴァQ」「巨神兵東京に現わる」、どちらについても、これを元にしているように思う。

まずは、その光線作画をそれぞれ見ていこう。



■『巨神兵東京に現わる 劇場版(2012)』

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同カットスロー
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■『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q(2012)』
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同カットスロー
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まずこの2つに関しては、大きさの違い(コマ数等のディテール的な違いも)はあれども、同じ作画であることが分かると思う。なぜそう言えるかというと、①最初に膨らむ②ビームが尖る③反動的に再度少し膨らむ。この3つの工程が存在しているからだ。以下に具体的な画像で説明する。


①最初に膨らむ
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18]16]
00]19]
01]20]
04]24]

「巨神兵」の方は、強い光のエフェクト表現も入り混じって少し見難い上、光線作画の上半分は画面外なので、一見すると別物にも見える。「エヴァQ」の方も見切れてしまっている部分もあり、少々分かりにくいかもしれないが、(おそらく)使った場所・大きさ・コマ数等の違いだけであるので、同じものといえるだろう。


②ビームが尖る

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「巨神兵」の方では、若干動画が増えている部分もあるが、基本的には同じとみなせるだろう。シチュエーションの違いもあるので、完全なバンクではないようだ。


③反動的に再度少し(※特に先の方が)膨らむ


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10]29]

ここらへんの微妙な差異は動画の関係と思う。


本題に入っていくが、これらの元になったのは一体どの作画なのかというと、僕は「ふしぎの海のナディア」の36話における増尾昭一によるヤマトオマージュの光線作画と推測しました。典拠の理由というのは、やはり見てもらった方が早いと思うのでご覧あれ。


■『ふしぎの海のナディア(1989)』 36話
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同カットスロー
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膨らみ加減も酷似してる。先程、「巨神兵」と「エヴァQ」の光線作画を比較した時に、③反動的に少しビームが膨らむ、というのがあったんだけど、これは「ナディア」においても顕在してる。(※同カットスローを見てもらうと、わかると思う。)当然、この元になった「宇宙戦艦ヤマト」の主砲ビームもあるわけだろうと。

だから、何が言いたいかというと。この一連の流れを見ていくと、庵野秀明の宮﨑駿(ナウシカ)と「宇宙戦艦ヤマト」への愛情がいかんなく溢れている。それはこれまでも確かにあったんだが、本人の口からこういった形で言及したというのは、「ヤマトとナウシカへの愛」を(隠喩的に)伝えたかったからではないのか、と結論付けました。毎度口に出しても、多分マスコミは食いつかないで、ピースしてる庵野さんをアホみたいに記事にするだろうし。


なんて感じの典拠推測記事でした。ちゃんちゃん。

■アニメの視聴による弊害

先日書いた、「四月は君の嘘の流血描写」記事が予想外に受けて驚いた。ぼくにとっては、「1話感想」の方が伸びるかもなという手応えだったので、愕然とした思いだった。「流血描写」自体には、何のコジツケもなく、ただ映像を細かに言語化して説明しただけなのに、それが受けるのは正直釈然としない。

というのがまず最初にあって、次に、最近「キャラの顔の差異を見分けられる」ようになってきたこと。これは本当にね、例えば、「エヴァ序・破」なんて今見れば、ここが誰の作監でとかそういったことまで分かるんだけど、2年前までは、キャラの違いなんて全く毛ほどにも分からなかった。皆が「序の絵がいい」というのも理解できなかった。だから、「Q」当時の本田作監の叩かれようにも疑問だったし、「これぐらいは許せる範囲じゃないの」って本気で思ってた。でも、今はキャラ絵の崩れとかも段々と分かってきてしまって、何だかなあと複雑な思いでいる。

だって、それってどうでもいいでしょ。キャラが多少ロング(レイアウトの隅にいるのとか)で崩れていても気にならないし、気にすべきでないと思う。そりゃ、「ここ作監修正追いつかなかったんだな」とか野暮なことは言えるにせよ、何ら実になることは言えないからね。最低限、レイアウト・構図に対する批評・言及というのは出来るかもしれない。

この2つのことから、僕が思うのは、「アニメをよく見てるかどうかの経験値」というのはさして必要ではないということ。アニメの視聴時間と、見方・論評の仕方との巧技というのは比例しないと思う。基本的なストーリー展開、王道展開、真反対な展開、後は映像に対する基本的な下地があれば、誰だって出来ることで。僕はずっと、知識やどれだけアニメを視聴しないとダメか、どれだけ資料を持ってないとダメかという岡田斗司夫的(いわば典型的オタク的)な考え方をしてたんだけど、これは全部とは言わないまでも誤ってると思う。ましてや、これだけ似通ったアニメが増えればなおの事。

で、すんげーアニメ見てるような人でも、あの1話で「暴力ヒロインだ」とか、「流血描写はやりすぎだ」とかそういった穿った見方をする。1話で、むしろ僕らに分かることは、事実と推論だけで、事実を追っかけて行く上に、推論を乗っけるから楽しいのであって、(現実にフィードバックする)重箱の隅をつつくような批判をするために見てるわけではない。基本的に、映像の享受方法が間違っている。もっと純粋に享受すべきなのに、(自分の嗜好に合っていないのを隠して)穿った偏見がかった見方をするのは心地はいいだろうけども、間違っている、と思う。

アニメの経験とか、資料とか、トリビアについては、オタクが占有する「何の役にも立たないムダ知識」であって、誇るようなもんじゃない。それを持っていれば持っているほど、幸せになれると思うから、いつまでも不幸なのだ、と思う。だって、今は21世紀、情報は否応なしに共有せざるを得ないんだから。それを自分だけが独占的に所有して(るつもりで)優勢感を抱くのは、何か間違ってるなあと。 知識自体を持たないで、無知なまま評論するのが正しいと言ってるわけではないので、誤解なきように。



これは3週間ほど前に書いたまま出すの忘れてた。

そのね、(知識の)所有量で比べてやってたら、いつまで経っても議論という段階には進まないだろうし、つまんないとも思うんよ。「知識を持つならば、議論の勝者となる」っていう命題が真だとすると、これは素晴らしく権威主義的(※もっと適切な語彙がある)な考えで良くないよね。知識という前提で決まってるんだから、議論の壇上に立てないのも分かるでしょ。それは対偶を見れば明らかで、「議論の敗者は、知識を持っていない」ということで、対偶は元の命題と同値だからね。(※細かい日常生活における理屈はここでは無視してる)

知識前提での議論がいかに愚かかということがわかると思う。何度もいうとおり、最低限の知識はあるにせよ、それさえあれば議論できるし、もっと建設的に議論しろよと。「あなたの考えはとんでもない、はい論破」じゃなにも進まないわけで。「おめえの考えはとんでもない、なんでかというとな~。俺はー思うんだよ」 という風な議論じゃないと、結局何も自分は主張してないことになるんだよね。結果、他に委ねながら(自分の主張はしないまま)話を進めると、それはもう議論ではないから。自分を守りたいからといって、盾として他人を使うのは良くないよと。盾で満足できるならいいけどね。

まあそんな感じです。

少し気になったので。

「Fate」の時に触れた、金田エフェクトは、(基本的に)丸と十字で作られる誇張的エフェクト表現です。カメラのレンズ表現を誇張して、アニメーションに落としこんでいるという表現です。(※金田エフェクトじゃないヤツも当然ある)。後は雑多に光りの表現を集めてみた。ハレーションとかクロスフィルターとか、レンズフレアとか、スミアとかいろいろ。


まずは一覧的に列挙。

01]46]
(「スペースコブラ」01話)

44]
(「ふしぎの海のナディア」37話)

06]
「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q」

52]18]
33]33]
(「異能バトルは日常系の中で」04話)

28]37]
11]21]
35]21]
(「ゆゆゆ」01話)

01]26]
31]33]
24]07]
55]14]
(「新Fate」04話)


系統別にカテゴライズすると、
①ビーム発射系
②反射光系(スミア?)
③クロスフィルターの発展的装飾系
④金田エフェクト

と大体こんな感じだと思う。①はビーム発射とか、何かを放出するときの強光に対しての表現。②は、金属による照り返しみたいな感じの表現。③は、クロスフィルター、砂浜のキラキラを装飾的に用いた感じの表現。④は、そのまんま。ただ、それぞれが重複する部分もあるから、一概にこれ通りに分けられる訳ではないのは当然として(金田エフェクトが、全て包括してる可能性もあるし)。まあ、何か最近光のエフェクトが気になっているのでメモしとく。

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