GOMISTATION

足が絡まっても、踊り続けて

2015年01月

これに関しては、少しだけ述べておこうと思いまして。概要に関しては、アニメーターの橋口さんがaskで答えていらっしゃいました。

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(引用元:http://ask.fm/TorahArc/answer/110566648498

橋口さんが仰るとおり、次の牌をツモろうと手が入るカット、つまり、「手と牌だけが映っているカット」。これらは全て3DCG(※以下CG)です。手元より上、バストアップ(胸より上を映すフレームのこと)のカット等では、手書きの作画であったり、CGと作画が混在していたりします。(※この記事では、「作画」という言葉を「手書きの動画」の意味合いで使用します。「CG」については、背景であっても動画であっても、「CG」という意味で言葉を使用しています。)


橋口さんのaskを引用させていただくと、「咲-Saki-」における、CGと作画の使い分けの定義はこんな感じになります。

[咲-Saki- CGと作画の使い分け定義]
(A)手と牌のみが映るカットはCGで描かれる
(B)それ以外は、作画のみか、作画とCGが混在しているかのどちらか

この定義は既にシンプルなので、少しだけ一般的なものにします。制作側が想定しているであろう使い分けの区分定義みたいなモンは、「①手と牌のみが映るカットはCG+②それ以外は場合による」と言い換えることができます。

実際に、「咲-Saki-シリーズ」の一作目にあたる「咲-Saki-(2009)」での1話でそれらについて少し見て行きましょう。


(0)「咲-Saki-」における麻雀描写の実例

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咲さんがまだ文学少女だった頃の映像です。それから京太郎もいますね、何もかも皆懐かしい…。ここでは、何となしにCGと作画混じってんなあぐらいに思ってもらえれば大丈夫です。これから詳しく説明をしていく。ちなみに、CG制作会社はサンジゲンです。



(1)CGによって描かれるカット

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ツモ(1.2枚目)、カン、ポン、打牌(3.4枚目)など「手と牌が同じ画面に入った上での動作・行為」に関しては、このように原則としてCGによって描かれます。バストアップのように、キャラクターの顔が入ってしまうと(※腕はCGで、顔は作画でという風に)映像処理できなくなるからです。可能だったとしても、相当に面倒くさそう。


(1+α)CGと作画の画面

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例外として、こういう画面も存在します。ここでは、タコス、和、京太郎はセルで描かれており、「咲さんの手」だけがCGになっているのが分かると思う。麻雀牌、卓は原則どおりですが、別に咲さんの手は作画で描いていてもおかしくないですよね。こういうのを見ると、キャラの顔が画面に入るかどうかというのは、非常に重要な点なんだと思います。



(2)作画によって描かれるカット

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これは前述したとおり、バストアップのカット(1.2.3枚目)で多く使われます。さらに、卓全体の俯瞰アングルのカット(4.5枚目)や、キャラクターの上半身を収めたフレームのカット(6枚目)でも作画によって描写されます。作画によるカットの多くは、キャラの顔が真正面or若干斜めからのアングルで描かれます。つまり、作画はキャラクター重視。これは、後述の「アカギ」でも同じです。


ここまでで、「咲-Saki-」における原則的な「CGと作画の使い分け」については大体理解してもらえたと思います。次は、実践として映像ではどんな風になっているかを分解して見て行きます。



(3)実際の映像(CG・作画の混在)を分解

※これ以降のgifでは、左上の文字が青色の場合は作画で、赤色の場合はCGであることを表しています。

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まずは和がツモ和了りするシーン。1カット目は腕を上方へと挙げていき、2カット目で打牌しています。意外と省略されている動作が多いことが分かりますよね。「腕を振り下ろす」という動作は、オミット(省略)されています。


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こちらは、咲が自分の手牌からわざとタコスに振り込むシーン。カットごとに追っていくと、①CG→②作画→③CGとなっていることが分かる。2カット目では、麻雀牌も作画で描かれている(※というか、ここの作画めっさ上手い…)。「牌を持ち上げる動作」や「打牌の途中動作」が存在してないのに、シーンとしては絶妙に繋がって見えますよね。


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次は、和の打牌シーン。1カット目は作画で描かれ、2カット目はフルCG。これも、手先にカメラが寄るような格好(ポン寄りのような感じ)でCGへと移り変わってる。でもこれらのシークエンスに対する違和感あんまり無いんですよね。咲-Saki-シリーズでは、こういった「動作をオミットして、作画とCGを繋げる」といったパターンがほとんどなのに。

今まで説明してきた、「動作が省略されているのにも関わらず、きれいに繋がって見えてしまう」、この現象を、実は映像用語で「カッティング・イン・アクション」、よく使われる言葉では「アクションつなぎ(ACつなぎ)」と言います。定義としては、「ある一つの動作が始まってから終わるまでの複数のカット割りの2カット目以降」を指します。昔からある手法です。誰が発明したのかは、調べたんですけど判明せず。ハリウッド映画において発明されたようですが。いつ頃からあるんでしょうかね。ともかく、「咲-Saki-」においてはこの「ACつなぎ」を多用しています。



(4)「阿知賀編(2012)」「全国編(2014)」との比較

若干ですが、折角なので阿知賀編や全国編との比較もしておきましょう。


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まずは、16話。全国準決勝の大将戦オーラスで、大星淡が山へと手を伸ばすシーン。これは、第一期でも見られた、名付けて「こいつが最強なんやで」描写です。咲さんも第一話目から、こんなのかっ飛ばしてましたね。カット毎に見ていくと、作画→CG→作画という風に往来してテンポが良い。しかもやはり違和感が皆無。


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同じく16話。「阿知賀編」からは、こういった「煽りアングルで、牌をなめてキャラの顔が映り込む」といった描写が多くなっているような気がします。これいいですよね。対戦相手が相手の手牌に対して鋭い思考を放っているのが分かって良い。一期では見た記憶がない。(※「なめて」とは画面手前に大きな物体が置かれたアングルを意味する)


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こちら全国編の11話。作画→CG+作画→CG。末原さんが姫様の異変をやや察知して打牌しているシーン。これも上記の「阿知賀編16話」と同じく、手前の河牌をなめて咲さんが映り込んでいる。これ本当いいアングルです。2カット目では、打牌する咲さんの手が細かく作画されている。(※これ頑張ったら、手前の牌で隠せるから手の作画しなくてもいいよね。


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ラストは、同じく全国編11話での咲さんのツモ。CG→作画へ。これすごい丁寧なアクションつなぎだと思うんですよ。作画に入る時、難しいアングルじゃないですか。それをしっかりと下からインする形で描けているのは見事だなあと。

後、変態動画を見つけました。


この動画作成者は変態です。言い切れます。何か参考になるかもしれないので、興味がある方は見てみたらどうでしょうか。僕は見れる気がしません。(※だって17分だぜ…)



(5)「闘牌伝説アカギ 〜闇に舞い降りた天才〜(2005)」のCG麻雀描写

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もうお疲れの方も多いでしょう、僕も疲れてます。そろそろ終わりたいんですが、麻雀CGアニメの草分け的存在、「アカギ」を語らずして終わりというのは少し寂しい感じがありますので。打牌の感じも良かったんですが、個人的には、このシーンが一番魅力的だった。


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20話。鷲巣麻雀2回戦のアカギの手牌を右にPANする形で描写。パースが効いてて良いカットです(やはり、麻雀漫画・アニメといえば、パースをきつめに効かしているのがカッコイイ)。鷲巣麻雀での使う牌は、1種類につき3つが透明牌です。そこで起きる、この透明感の描写。凄まじいのは、鷲巣の部下鈴木の服の映り込み方。ラストで最も明確になるんですが、きちんと屈折してるんですよ。

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すげえこれ。CGだけじゃなくて、撮影も相当に頑張って作業したに違いない。このディテールによって、もっとリアルさが増加します。


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18話。煽りから俯瞰アングルへの転換。こういった立体的なカメラワークが多用されるのが、「アカギ」における麻雀描写の魅力の一端であると思う。対面のアカギや鷲巣の手は作画で、それ以外はCG。この立体的カメラワーキングによって、臨場感と麻雀が分からない人にも伝わる「何か良い手が来た」という状況説明になっているんですよね。本当、こういうカメラワークが多用されます。透明感はさっき説明したように、同様に素晴らしい。

これエンドクレジット見ても、「COXAI ANIMATION STUDIO」とかすんごい曖昧な感じなんですけど、何処がやったんでしょうか。最初オレンジと勘違いしてたんですが。「メトロポリス」みたいにマッドハウス内部なんでしょうかね。これ10年前にやってんの本当すごいと思う。



(N)麻雀CG表現

個人的に「咲-Saki-」よりも「アカギ」の麻雀描写の方が好みなんですが、どこらへんが良いのか具体的に分かってない。ただ何となく、重い感じが「アカギ」CGにはあるなあという程度で(後は、やはりカメラワークでしょうか)。次回は、その辺りを詳しく説明できたらなと思っています。「勝負師伝説 哲也(2000-01)」とかも麻雀アニメではありますが、あっちの麻雀描写はほとんど作画ですので、さわり程度にしか触れないと思います。「哭きの竜(1988-90)」に至っては見たことがないです。まあ、どちらにもアニメにおける「麻雀描写の基本」みたいなモンはあると思います。


比較コラ2


カン!(続く)


<参考文献>
2-2-3 <アクションつなぎとジャンプショット>-映像の読み書きについて考える
アニメにおけるマッチカットの実例-大匙屋@セミリタイア 
アニメ用語、絵コンテ用語、映像用語、井上ジェットのカメラワーク大辞典
ジャンプカット-Wikipedia
<ジャンプ・カット手法>-テアトル十瑠 
蓮實重彦×青山真治-怠惰なひな菊 


■明けましておめでとうございますん

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今年もメインはエフェクトだろうと思います。時々、自分が曖昧にしてる部分(レイアウトと構図の違いとか)を記事にしていくだけでしょうかね。後は野球のこととか、こういった雑記とか。それくらいだと思う。まあ、それなりによろしくお願いします。後、情報やテキストに致命的な間違いがあったら、遠慮なくコメントで怒鳴って頂けるとありがたいです。嘘です。なるたけ優しく諭してください。



■年末の魔物と「話数単位で選ぶ」

年末に書いたエフェクト記事がバカ受けしたようで。300ブクマ、400ツイートとかいくようなもんじゃないと思うんですが。まあ売れるものは売れるという感じで。橋本敬史さんとか北久保さんにまで波及してしまったようで恐縮です。

あの記事を書くきっかけは、主にブロガーの間で2010年頃から流行ってる「話数単位で選ぶ、年間アニメ何とか」があまり好きでは無かったからです(直接のキッカケではありませんが、遠因ですね)。

みんなで同じことやって、同じような内容の記事書いて、何の広がりも実りもないんですよ。じゃあ何のためにやってんだろうと色々考えたんです。その結果、普段は色々なことやってる人たちが、年末だけは同じことやってその多様性を見る、ということが主な目的なんだと思いましたが、それでも僕としては了解できなかった。実際問題として、多様性がなく画一的で魅力的でない。もしくは「統計を取る」というのが目的だったら、Twitterでやった方がリソースが確実に多いんだから、そっちでやればいいと感じてた。

まず、この「話数単位」はとても閉鎖的です。なぜかというと、あの記事を読むためには今年のアニメを相当数見ているという前提が必要だからです。そんな人沢山いるわきゃない(※ましてや話数単位で覚えている人など皆無)。だから、これはブロガー間でのお遊び、アクセスしてくれる人をわざわざ除いての「自己満足」なんだなと結論付きました。じゃあブログでやる必要性はなくね、と思ってしまう。アニメと同じで、見る人がいるからブログというのは成立している。そうじゃなかったら、メモ帳にでも書いていればいい。オンラインにわざわざ載せる必要がない。見る人の存在を無視して、内輪でやってるのが非常に気色悪い、というのが実直な感想だった。

「話数単位で選ぶ」こと自体そんなにいいなあとは感じませんが、これは個人の嗜好なので、置いといて。それを集団でやるということに何の実りがあるのか分からなかった。みんな自由に自分の好きなように年間のまとめをすればいいのに、と感じていた。 だから、アンチテーゼのつもりで、大晦日にヒイヒイ言いながら年間エフェクト記事を書いたんですよ。ここまでじゃないけど、受ける公算はあったし、そうあるべきだと思ってました。

何が言いたいかというと、気持ちの悪い閉鎖性を伴った馴れ合いは僕は好きではないということです。「話数単位で選ぶ」をやった人の中で、アニメの面白さを知ってもらおう、こんな見方もあるんだよということをわずかばかりでも伝えようとしている人は、残念ながら某氏(1名)しか居なかったように感じます。ウェブログの一番の特権である「自由」や「多様性」を捨ててまで、あんなことをする人たちの気持ちが僕には理解できません。

ついでに推測として言及しておくと、これはオタクの悪い部分が出ていると思うんですよ。知識だけで推し進めていく、「知識の優位性」、これは、「所有の優位性」と言い換えることができます。俺たちはこれだけアニメを見ているんだよ。これだけ、演出家、アニメーターの名前を知っている。演出技法を知っている。何か業界人しか知らないことを知ってる。そういう人でないと論評してはならないし、そうでないヤツの論評を許すなんてことはできない。そう言っているように感じるんです。それが、閉鎖性を増すということに気付けないというのが何とも悪いとこだなあと。アングラな趣味であるのならば、この考えはむしろ正しいんですが。



■CGエフェクトのこれからと、アニメ艦これ1話

参考資料が少なくてアレなんですが、「CANAAN」から、「ブラック・ブレッド」「楽園追放」までで大分進化した感じがある。たった5年なんですが、凄いなあと。「ブラック・ブレッド」1話のクオリティなら、ええとこまでいけるんちゃうんかと。あれCGなら本当すごいと思うんですよ。オレンジすげえなって。「亡国のアキト」は1章しか見てないんですが、あんな煙あったかなあと(見直さないと…)。あっちはメカの方がすごかったから、あんな面白く動くんだと当時は結構驚いてた。

そんで昨日から、「アニメ艦これ」が始まったわけですが。あれの作画ではないエフェクトは、セルにAEとかでテクスチャ載せてるんですかね。もしくは、CGなのかなあ。混合だったような気がします。ただ、いいエフェクト作画にボカシが乗っかってるのはちょっとなあと…。あのボカシは何のためでしょうね、分からん。魅力半減してる気しかしない。ただ単にボカしたからといって、写実的になってるわけでもないし。

言っても変わらないんですが、やっぱり艦に変身してもらいたかったなあと個人的には思ってます。水に飛び込むと、女の子が艦船に変わるんですよ。らんま1/2で良いんですよ。そんで、アルペジオみたくメンタルモデルにすれば良かったと凄い思う。そしたら、増尾昭一も嬉々として参加したはずなのに。陸に上がったら、女の子に戻って日常風景を描けばいいじゃないですか。Win-Winですよ(意味不明)。まあ、増尾昭一は見本市に期待します。


前々回、セシルの波について少し言及したんですけど、そういや橋本さんのエフェクトについて整理したような記事を書いてないなあと思い出しまして、今回ご紹介をしようと思います。タイトル通り、今回は水エフェクトについてのみ触れます。(※爆発・煙も素晴らしいんですが、それはまた次の機会に) 


■「ウィザード・バリスターズ 弁魔士セシル(2014)」 04話
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まずは前回のおさらいから。セシルの波作画は前回言及したように、橋本敬史作画っぽいと少し感じていました。その要因は、水柱のフォルム(形)にあります。上記の「セシル04話」においては、水柱自体はそれぞれが独立せずに、全体で波を構成していますよね。そうした水柱が立ち、丸まって重力に従い落ちていく。これが基本的な橋本水エフェクトの要素だと考えています。付け加えて言うならば、衝撃波の作画にとても特徴があります。それはこれから説明していきたいと思います。



■「犬夜叉 紅蓮の蓬莱島(2004)」 劇場
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まずは水柱の作画を一つ。最初に龍が倒れてから、まず水柱が立つ。そうして重力に従い(画面には映っていませんが)、ゆっくりと落ちていく。衝撃波についてですが、波が一回ぶわっとこちらに押し寄せた後、放射状に尖ったものが画面に迫ってくるように作画されていることが分かると思います。僕はこれを、「橋本衝撃波」とかそんな感じに勝手に呼んでます。



■「宇宙戦艦ヤマト2199(2012)」 01話
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ここは波よりも、衝撃波の表現に注目してもらいたい。これも橋本作画なんですが、微妙な違いはあれど橋本衝撃波はどの作品においても似ている点があります。押し寄せてくる波は、やはり鋭く放射状に尖り、画面に迫ってくる。最後は、その衝撃波の真ん中が画面となり、まるで吸い込まれるようにカットが終わる。



■「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q(2012)」 劇場
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これも同じく、衝撃波がメインで描写されているシーン。1カット目は分かりやすいと思う。どっひゃーんという感じで迫ってきてますよね。2カット目に関しては、色が被って少しみにくいと思いますが、レイヤーを2つ重ねて作画されています。波が尖って丸まっていく描写と、衝撃波の描写と2つある。少しスローで見てみましょう。


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大体、こんな感じ。手前側に衝撃波が存在しているのが分かると思います。橋本衝撃波は(水に限らず、爆発でも)ラストに4~6枚ほど使って、衝撃波のカオス感(ごちゃごちゃ感)を出しているんですが、これ増尾昭一の作画から来てんじゃねーのかなあなんてふと考えとります。まあ、それもまた今度。



で、セシルの波のフォルム自体にクリソツなのは、実は爆煙作画で一つあるんです。


■「サマーウォーズ(2009)」 劇場
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サマヲのラストシーン。橋本作画、特に爆煙、爆発、煙の作画は、あんまり尖らせることなく、全体的には丸いフォルムで作画されることが多いと思うんですが、サマヲだけは異なっていて、むしろ水エフェクト(特に衝撃波)に近い描写になっている。小惑星探査機が物凄いスピードで落ちてくるのは、やはり普通の爆煙描写ではダメで、衝撃波でないと橋本さんは納得できなかったと思うんですよね。だから、こういうフォルムになっている。




普段はこういう煙なんですよね。

■「キルミーベイベー(2012)」 OP
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こういう「煙全体が繋がっている」感じの柔らかいフォルムで普段は描くことが多いです。というか爆発や煙に関しては殆どこういった作画だと思う。爆発の基点として最初に尖ることも少なく、最初から丸いフォルムでどーんと爆発することが多い。後、キルミーベイベーは神。

次(橋本作画に触れる時)は、橋本さんの爆発や煙作画についても少し触れたいかなあと思ってます。そういや、橋本敬史作画触れてこなかったなあと。まあ、やっぱりエフェクトっていいもんですね。


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