GOMISTATION

馬之翁塞

2015年11月

■手を怪我した(2年目)

お湯で火傷した。ちょっと抹茶ラテを飲もうと思って、ティファールでお湯沸かしてた。お、湧いたなーと思って持ち上げようとした時に、ティファールのコードが何かに絡まってて、それに引っ張られる形で体の重心が前に傾いた。ここまでは良かった、ここまでは。よくあるミスだから。体が前に傾いた後に、ティファールをひとまず台座に置こうと思ったんだけど、その時にお湯が少し顔に散って、焦ってしまい重心が後ろに傾いて体勢が完全に崩れてしまった。

ここからは何があったかよく覚えていない。とにかく顔にかぶるのだけは避けたいという祈りをしたことだけは覚えている。たぶん右手で落ちてくるティファールを押して、体は逆方向に逃げたということなんだろうけど、何があったにせよとにかく顔には被らずに済んだ。ラッキーだった。その代わり、お湯の大部分は右手にかかってしまったけども。

さて、火傷にはとりあえず水で冷やすことだ。これはおばあちゃんから何度も教えられてきた、間違いはあるまい。10分程度冷やすと、神経が鈍くなったのか痛みが少なくなった。これは勝ちゲー「もろたで工藤」の気持ちで、なんだ久々の火傷も大したことないなと思い、布団に向かう。しかし、布団に入って3分も絶たないうちに、ヒリヒリした強い痛みが襲ってきた。なんだこれは、冷やしが足りなかったのか、そう思い再度流し場でボールに水を張り冷やす。5分ぐらい経つと、最初と同じように良くなったが、外気に触れるにつれ痛みは再度戻った。なんだこれは、こんなの僕は聞いてないぞ。

これでは何度やっても変わらないと思い、Googleに頼る。ほーん、オリーブオイルとラップがいいとな。これは良い、戸棚にしまってあったはずだ。さてヒリヒリする右手にオリーブオイルをドバーっとかける、おお!冷たくないのに痛みが飛んでいき、心地良い。気分はベトベトンだ。ラップの存在など消え失せるくらいに心地良かった。この状態で少し待てば良いのだろうと思い、5分待った後、手から油を落として再び布団へ。ようやく眠れる。

だがしかし、ヒリヒリした痛みがまた来てしまった。これでは眠れぬ、真面目に考えよう。さっきのサイトではラップが大事と書いてあった、もう一度読みなおそう。

なる~、外気をなるべく遮断してやるのがいいんだな。しかし、オリーブオイルでは布団がベッタベタになりそうだなあと思い、辺りを見渡すとオロナインH軟膏を見つける。いつでも助けてくれるのはオロナインと正露丸なのだ。

オロナインをヒリヒリした右手に塗りつけると、さらにヒリヒリしやがった。本当にあってんのかこれで、いや疑っている状況ではあるまい。信じるのみだ。オロナインであらかた右手を覆い尽くした後、ラップで手を覆う。あまり上手く貼れた気がしないし、痛みも取れない、何よりこの状態で眠れたとしてもオリーブオイルと同じく布団をベトベトにするだけだろう。

ここでまさしく天啓を授かった。そうだ、包帯だ。包帯で右手全部を巻けば、密着度も上がるし、ベトベトにならずに済む。オロナインの横にある包帯を持ってラップの上から巻く。親指だけ独立させ、他の4本は一緒に巻いた。しかし、この時の痛みはオリーブオイルをかけた時よりも和らいでおらず、正直どうしようかと思うようになっていた。

10分経っただろうか、驚いた。ヒリヒリした痛みが殆どなくなっている。指を動かすとちょっとした痛みはあるにせよ、さっきまでの苦痛とはおさらばしている。オロナインとラップ最高だ。外気を塞いでやることが軽度の火傷にはいちばん大切だと学ぶのに、5時間くらいかかった。土日で良かった。


どうもどうも、久々に爆発についてちゃんと書く。
今回書くのは、柿田爆発について。柿田爆発とは、柿田英樹というアニメーターが書くデフォルメ調の爆発のことです。これがカックイイんですよ。


まずは2015最新の柿田爆発から見てみましょう。

・「コンクリート・レボルティオ(2015)」 01話

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十字クロス光からの爆発。
爆発の上昇に合わせて、古い煙は中に巻き込まれていってます。柿田さんの爆発の特徴は、この内部への巻き込み回転と、ギザギザ模様のディテールです。5個ぐらい見れば誰でも、「あっ柿田さんの爆発だ」と分かるようになります。それぐらい、個性的な爆発を描く。


内部への巻き込み回転は、ずっと変わらぬ普遍的な特徴です。その一方、ギザギザ模様のディテールは時代によってとても異なります。というか、すごい違う。コンレボでは、ジグソーパズルのようなギザギザ加減ですが、初期の頃とか、「鴉」の頃はもっと丸っこいです(※そのへんの説明は後の記事でやるのでご安心を。)


さて、今回は初期について。初期は2002年~05年くらいです。
(※柿田さんのキャリアの最初期は90年代なんですが、そこは今調べてるので割愛)



・「ボンバーマンジェッターズ(2002)」 13話「シロボンの敗北」
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柿田爆発の基本形はこんな感じ。
爆発が起きた後、その中からまた新しい爆発がブクブクと湧き出てるのが分かると思う。内部から次々と爆発が生まれる感じですね。このgifだと右上、左上が一回ずつ、真ん中は小刻みに2回湧き出てます。


・18話「友情のサンライズボム」
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もう一つの基本形。こっちのほうが分かりやすいかも。
爆発の中に、ギザギザのディテールがあるのが分かりますかね。上から下へと爆発球形に合わせて、動くヤツです。初期の柿田爆発(※特に球形、半球ドーム形)では、これが多用されます。



・24話「電撃サンダーボンバー!」
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そんで、柿田さん、だいたい3層に分けて爆発の層を書きます。
最も熱い層、そこが冷えて二番目に熱い層、すっかり冷えて煙になってしまった層、この3つに分けて書きます。このgifだと、透過光→茶色→灰色の順に層が分かれてますね。


<初期の「柿田爆発」整理>
・ディテール少なめ
・写実より
・内部への巻き込み回転
・破片は少なめ 


柿田爆発については長くなりそうですので、小分けにしていきます。 


「おおかみこどもの雨と雪」にはいろいろと他にもありますが、

「おおかみおとこの死
この点のみを、ちょっと追っていきたい。




10]06]

どうしても理解出来なかった点、それは、「おおかみおとこの死」のシーン。「おおかみこども」に関する議論、問題の本質というのはこの部分が大きな割合を占めると思います。おおかみおとこは、何故あのような理不尽な形でこの物語から退場せざるを得なかったのか。



<1、「おおかみおとこの死」の目的と、シーン自体の説得力の有無>
37]05]

花をシングルマザーにさせるべく、おおかみおとこを退場させたい」という目的は当然あると思います。描きたいシーンを妨げる要素はそれとなく退場させるべきです。この部分は問題ない。問題は、その描写のやり方、。説得力・合理性ある描写ならば、納得はできなくても理解はできる。

だけども、このシーンではそういう描写が欠如していると考えています。「おおかみおとこの死」というものに、こちらから見て納得できる描写があれば、その目的が何であろうと説得力あるシーンとなり、結果受けて側は享受できる。しかし、この「おおかみおとこの死」の一連のシーンには、合理的な演出や描写はほとんどないと言っていい。




<2、「おおかみおとこの死」の意図と、「理不尽」について>

「おおかみおとこ」の死によって、彼を退場させる以外に表現として何を達成したかったのか。
それは、おそらく「強烈な悪」の示唆。

50]05]
20]38]

花はおおかみおとこの死後、都会での生活に辛さや息苦しさを感じます。おおかみおとこの事を何度も思い、辛さに負けそうなことを伝える。この辺りから、「都会」というものは、花を困らせる厄介者として描こうとする意図を感じます。このように、都会を悪として描くのであれば、「児相」「近隣住民の苦情」などのジャブを重ねるだけで足りず、不快感を伴うぐらい強い「合理性の無い理不尽」を描かればならないはず。

これが、「おおかみおとこの死」ではないのかと思うわけです。児相なんて目じゃないくらい、この世には「とんでもない悪」があることを示唆している。このシーンは、都会に対しての印象を最悪なものにするためのものであり、非合理的な理不尽を描くべき部分です。ですが、その「非合理的な理不尽」に対して、少し違和感がある。


<3ー1、「理不尽」に内在する道理>

17]

まず1点目は、「理不尽に内在する道理」を描写していない部分。

「理不尽」というのは、「道理に合わないこと」を意味します。つまり、理不尽を描くためには、その道理を一緒に描く必要がある、と思うんです。『Aは怒られず、自分は怒られた』。これが理不尽の単純な構造です。「Aが怒られない(から自分も怒られない)」という道理を一緒に描写して初めて、理不尽を主張できる。道理が無ければ、理不尽は描けない。「おおかみおとこの死」には、「溺死した」という結果はあるんだけど、「~をした(から事故に合わない)」という道理は描いていない。

たとえば、死のシークエンスと合わせて、青信号一つ渡るのでも描写していたとしたら、それだけで道理になりうる可能性(※「信号機をきちんと守って渡るので、事故に合わない」という道理)はあった。しかし、それが明示されていないのでは、「おおかみおとこの死」は理不尽というよりは、「意味不明」になります。『非合理なシーン』であるべきなんだけど、根本的に描写が不足している、と思ってしまう。多少の理不尽さも含んでいるけれど、「おおかみおとこの死」については意味不明の方が印象として強い。



2点目は、キャラクターの動き方。

37]02]
48]32]

おおかみおとこは、普段から読書家で、勤勉でなおかつ聡明なキャラクターとして描かれています。その上、子供に対して面倒見が良さそうで、子供からも人気がある。つまり、秀才イケメン野郎です。

ここで、「おおかみおとこの死」の一連のシークエンスを振り返ってみましょう。あのシーンは、ナレーションでその日が淡々と述懐されるのみで、おおかみおとこがどのようにして死んだかは、溺死体で見つかったという結果でしか示されていない。ということは、受け手側の我々はその結果で判断せざるを得ないわけですが、このシークエンスだと少なくとも賢い印象とはならない。

このような聡明なキャラクターが、あのような「馬鹿みたいな死に方」をするのは少々納得がいかない。彼は賢いキャラクターなんだから、賢いまま理不尽に死んでいけばいい。それこそ、信号機を青で渡って、撥ねられるだけでその目的は達成されるわけで。こんな素人でも思いつくんだから、『非合理的な理不尽さを保ちつつ、聡明なままキャラクターを退場させること』を、あの細田守ができないわけがない。何か裏があるはず。




<3、細田監督の意図したところ ― (解答編)>

1、2と少し、おおかみおとこの退場について見てきました。「時かけ」「サマーウォーズ」でガチガチの合理的な演出をしてきた細田監督にしては不自然さがある。こんな安易な事をするとは、到底思えない。だったら本人に効いてみよう、ということでアニメスタイルのインタビューを見てみる。

細田 ただ、ひとつ確かにあるのは、今回の映画で描いたモチーフ、ストーリーの流れが、自分にとっては未知の領域だったというか……自分が今までに試したことのない表現を、作品そのものから求められている感覚は、すごくあったと思うんですよ。

小黒 作っている細田さん自身が、作品に求められたということ?

細田 そう。もちろん、モチーフやストーリーを決めたのは僕なんだけどね。それが今までの手管で表現できるようなものではないという実感は、絵コンテを描いている時からあった。自分の持ち駒では対応できないぞ、と。その持ち駒って何かというとジャンル映画的な作り方ですよね。そのジャンルの中でのお約束だとか、ウェルメイドな娯楽作だとしたらこういう流れになるだろうとか。

(中略)

小黒 この場合のジャンル映画というのは、アクション映画とか、ホラー映画のことだよね。もっと単純明快で、分かりやすい感動作にもできたわけだね。

細田 だけど映画って、そこには収まらない部分も出てくるわけ。ジャンル映画的な約束事からはみ出した部分が、実は映画の面白さだったりする。そういう部分の割合が、今回の作品は今までに比べてすごく多いという実感はありました。
(「アニメスタイル2013.03号」より引用) 
作品から自分の容量以上の求められていると思った細田守は、「お約束」、青信号を渡って撥ねられて退場なんて描写では、自分の描きたい世界は達成できないと考えた。こりゃあびっくり。つまり、あの「おおかみおとこの死」は、企画や出資者に何か言われたわけでも、制作が遅れたわけでも、コンテが間に合わなかったとか、そういうわけではない。そういう偶然ではなく、明らかに狙って外していたと。

だとするならば、気になるのは、細田守が描きたかった「おおかみこどもの雨と雪」の世界。どんな世界を描くために、ああいった演出をしたのか。


小黒 単純にジャンル映画的にまとめられる内容ではなかった、と。

細田 そうですね。そもそも今回の映画は、モチーフからしてジャンル化できるものではなかった。つまり、親が子を育てること……その時々の大変なこと、楽しいこと、つらいことなどを積み重ねていって、その中で「親というのはどこから始まって、どこで終わるのか」ということをまるごと1本の映画の中で描きたい・・・・・・というような作品は、そもそもジャンル映画ではないわけですよ(笑)。
(中略)

小黒 分かりやすく面白がらせるような演出を避けたのは、どうしてなんですか。

細田 言い方が難しいんだけど、つまり、全人類の歴史の中に脈々と続いている「親が子を育て、子が成長していく」という営みのダイナミズムみたいないものを描くとき、そこに演出が出ちゃいけないような気がしたわけですよ。デフォルメしちゃいけない、と言ったほうがいいのかな。

小黒 なるほど。

細田 その上で、子供が成長していくということ、その時間の流れを、もっと大きな視点で捉えた映画にしたかった。部分ごとの面白さとか、分かりやすさではなくてね。モチーフに対して誠実になろうとすると、いよいよそうなっていくわけです。
(中略)

細田 もう少し違う喩えをすると、人が死ぬときに自分の人生に満足するかしないか、という話にもつながるわけ。なるべく満足して死ねたらいいな、と思うけど、本当にそんなことができるのかどうか分からないわけじゃん。人生、常に半ばなわけだから(笑)。

小黒 まあ、若い読者にはピンと来ない話かもしれないけれど、満足して死ぬために、毎日を積み重ねているわけですね。

細田 本当はそうなんだよね。もちろん、そんなにきっちりと思いどおりの生きざまを積み重ねていけるわけじゃないし、その時々によって激情に流されたりすることもままあるけど、(人生を)大きく見て、満足できるかどうか、達成感があるかどうか・・・・・・みたいなことが、その人の生きてきた時間の勝ちを決めるんじゃないかなと思うんだよね。

小黒 そういうことを描く映画だったと。

細田 うん、そうなんです。
(「アニメスタイル2013.03号」より引用) 


細田監督の意図としては、とにかく大きな流れの中での家族、生命を描きたかった。面白く分かりやすく描くことはできなくもないんだけど、それだとモチーフに対して誠実になれない。あの細田守をしても、人の一生を大きな流れの中で描くということは、演出の範疇を超えていると思わせた。

そういう点で見ると、賢いキャラクターがバカみたいに理不尽な死を遂げるのも、大きな流れの一つとしては、自然なのかなと腑に落ちた。なるほど、これはそういう演出で狙ってどうのこうのする話ではなかったんだなと。おおかみおとこが、普通に死ぬ方が分かりやすくていいんだけど、それではモチーフから逃げていることになるんですね。だから、あんな理不尽な死に方が、大きな流れで見た時には正しい。

いや正しいというか、「そうなってしまうこともあるよね」という感じだと思う。おおかみおとこは賢いんだけど、ついうっかり何かに気づかず車に引かれたとか、大きな流れの中では避けられない出来事が「おおかみおとこの死」であった。つまり、この非合理的な理不尽は、世界が主格だったんです。世界の大きな流れの中では、どうしようもなく避けられないことであった。

「おおかみおとこの死」に対しての細田監督の正確な狙いは分かりませんが、定型的な演出ではないことは間違いない。だとすると、「おおかみおとこの死」については、「意味不明」でいいんじゃないのかなあと思います。世界はいつも勝手で乱暴で、合理的ではないので、人の手で変えられるものでもない。世界の勝手さというか、どうしようもなく不可避な感じを出すためには、ああいう非合理な死を遂げるべきだったのかもしれない。


<参考文献>
アニメスタイル2013.03号 


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