GOMIstation

2025-1

2015年11月

■手を怪我した(2年目)

お湯で火傷した。ちょっと抹茶ラテを飲もうと思って、ティファールでお湯沸かしてた。お、湧いたなーと思って持ち上げようとした時に、ティファールのコードが何かに絡まってて、それに引っ張られる形で体の重心が前に傾いた。ここまでは良かった、ここまでは。よくあるミスだから。体が前に傾いた後に、ティファールをひとまず台座に置こうと思ったんだけど、その時にお湯が少し顔に散って、焦ってしまい重心が後ろに傾いて体勢が完全に崩れてしまった。

ここからは何があったかよく覚えていない。とにかく顔にかぶるのだけは避けたいという祈りをしたことだけは覚えている。たぶん右手で落ちてくるティファールを押して、体は逆方向に逃げたということなんだろうけど、何があったにせよとにかく顔には被らずに済んだ。ラッキーだった。その代わり、お湯の大部分は右手にかかってしまったけども。

さて、火傷にはとりあえず水で冷やすことだ。これはおばあちゃんから何度も教えられてきた、間違いはあるまい。10分程度冷やすと、神経が鈍くなったのか痛みが少なくなった。これは勝ちゲー「もろたで工藤」の気持ちで、なんだ久々の火傷も大したことないなと思い、布団に向かう。しかし、布団に入って3分も絶たないうちに、ヒリヒリした強い痛みが襲ってきた。なんだこれは、冷やしが足りなかったのか、そう思い再度流し場でボールに水を張り冷やす。5分ぐらい経つと、最初と同じように良くなったが、外気に触れるにつれ痛みは再度戻った。なんだこれは、こんなの僕は聞いてないぞ。

これでは何度やっても変わらないと思い、Googleに頼る。ほーん、オリーブオイルとラップがいいとな。これは良い、戸棚にしまってあったはずだ。さてヒリヒリする右手にオリーブオイルをドバーっとかける、おお!冷たくないのに痛みが飛んでいき、心地良い。気分はベトベトンだ。ラップの存在など消え失せるくらいに心地良かった。この状態で少し待てば良いのだろうと思い、5分待った後、手から油を落として再び布団へ。ようやく眠れる。

だがしかし、ヒリヒリした痛みがまた来てしまった。これでは眠れぬ、真面目に考えよう。さっきのサイトではラップが大事と書いてあった、もう一度読みなおそう。

なる~、外気をなるべく遮断してやるのがいいんだな。しかし、オリーブオイルでは布団がベッタベタになりそうだなあと思い、辺りを見渡すとオロナインH軟膏を見つける。いつでも助けてくれるのはオロナインと正露丸なのだ。

オロナインをヒリヒリした右手に塗りつけると、さらにヒリヒリしやがった。本当にあってんのかこれで、いや疑っている状況ではあるまい。信じるのみだ。オロナインであらかた右手を覆い尽くした後、ラップで手を覆う。あまり上手く貼れた気がしないし、痛みも取れない、何よりこの状態で眠れたとしてもオリーブオイルと同じく布団をベトベトにするだけだろう。

ここでまさしく天啓を授かった。そうだ、包帯だ。包帯で右手全部を巻けば、密着度も上がるし、ベトベトにならずに済む。オロナインの横にある包帯を持ってラップの上から巻く。親指だけ独立させ、他の4本は一緒に巻いた。しかし、この時の痛みはオリーブオイルをかけた時よりも和らいでおらず、正直どうしようかと思うようになっていた。

10分経っただろうか、驚いた。ヒリヒリした痛みが殆どなくなっている。指を動かすとちょっとした痛みはあるにせよ、さっきまでの苦痛とはおさらばしている。オロナインとラップ最高だ。外気を塞いでやることが軽度の火傷にはいちばん大切だと学ぶのに、5時間くらいかかった。土日で良かった。

どうもどうも、久々に爆発についてちゃんと書く。
今回書くのは、柿田爆発について。柿田爆発とは、柿田英樹というアニメーターが書くデフォルメ調の爆発のことです。これがカックイイんですよ。


まずは2015最新の柿田爆発から見てみましょう。

・「コンクリート・レボルティオ(2015)」 01話

20151115014617

十字クロス光からの爆発。
爆発の上昇に合わせて、古い煙は中に巻き込まれていってます。柿田さんの爆発の特徴は、この内部への巻き込み回転と、ギザギザ模様のディテールです。5個ぐらい見れば誰でも、「あっ柿田さんの爆発だ」と分かるようになります。それぐらい、個性的な爆発を描く。


内部への巻き込み回転は、ずっと変わらぬ普遍的な特徴です。その一方、ギザギザ模様のディテールは時代によってとても異なります。というか、すごい違う。コンレボでは、ジグソーパズルのようなギザギザ加減ですが、初期の頃とか、「鴉」の頃はもっと丸っこいです(※そのへんの説明は後の記事でやるのでご安心を。)


さて、今回は初期について。初期は2002年~05年くらいです。
(※柿田さんのキャリアの最初期は90年代なんですが、そこは今調べてるので割愛)



・「ボンバーマンジェッターズ(2002)」 13話「シロボンの敗北」
20151118232108

柿田爆発の基本形はこんな感じ。
爆発が起きた後、その中からまた新しい爆発がブクブクと湧き出てるのが分かると思う。内部から次々と爆発が生まれる感じですね。このgifだと右上、左上が一回ずつ、真ん中は小刻みに2回湧き出てます。


・18話「友情のサンライズボム」
20151118232110

もう一つの基本形。こっちのほうが分かりやすいかも。
爆発の中に、ギザギザのディテールがあるのが分かりますかね。上から下へと爆発球形に合わせて、動くヤツです。初期の柿田爆発(※特に球形、半球ドーム形)では、これが多用されます。



・24話「電撃サンダーボンバー!」
20151118232109

そんで、柿田さん、だいたい3層に分けて爆発の層を書きます。
最も熱い層、そこが冷えて二番目に熱い層、すっかり冷えて煙になってしまった層、この3つに分けて書きます。このgifだと、透過光→茶色→灰色の順に層が分かれてますね。


<初期の「柿田爆発」整理>
・ディテール少なめ
・写実より
・内部への巻き込み回転
・破片は少なめ 


柿田爆発については長くなりそうですので、小分けにしていきます。 

「おおかみこどもの雨と雪」にはいろいろと他にもありますが、

「おおかみおとこの死
この点のみを、ちょっと追っていきたい。




10]06]

どうしても理解出来なかった点、それは、「おおかみおとこの死」のシーン。「おおかみこども」に関する議論、問題の本質というのはこの部分が大きな割合を占めると思います。おおかみおとこは、何故あのような理不尽な形でこの物語から退場せざるを得なかったのか。



<1、「おおかみおとこの死」の目的と、シーン自体の説得力の有無>
37]05]

花をシングルマザーにさせるべく、おおかみおとこを退場させたい」という目的は当然あると思います。描きたいシーンを妨げる要素はそれとなく退場させるべきです。この部分は問題ない。問題は、その描写のやり方、。説得力・合理性ある描写ならば、納得はできなくても理解はできる。

だけども、このシーンではそういう描写が欠如していると考えています。「おおかみおとこの死」というものに、こちらから見て納得できる描写があれば、その目的が何であろうと説得力あるシーンとなり、結果受けて側は享受できる。しかし、この「おおかみおとこの死」の一連のシーンには、合理的な演出や描写はほとんどないと言っていい。




<2、「おおかみおとこの死」の意図と、「理不尽」について>

「おおかみおとこ」の死によって、彼を退場させる以外に表現として何を達成したかったのか。
それは、おそらく「強烈な悪」の示唆。

50]05]
20]38]

花はおおかみおとこの死後、都会での生活に辛さや息苦しさを感じます。おおかみおとこの事を何度も思い、辛さに負けそうなことを伝える。この辺りから、「都会」というものは、花を困らせる厄介者として描こうとする意図を感じます。このように、都会を悪として描くのであれば、「児相」「近隣住民の苦情」などのジャブを重ねるだけで足りず、不快感を伴うぐらい強い「合理性の無い理不尽」を描かればならないはず。

これが、「おおかみおとこの死」ではないのかと思うわけです。児相なんて目じゃないくらい、この世には「とんでもない悪」があることを示唆している。このシーンは、都会に対しての印象を最悪なものにするためのものであり、非合理的な理不尽を描くべき部分です。ですが、その「非合理的な理不尽」に対して、少し違和感がある。


<3ー1、「理不尽」に内在する道理>

17]

まず1点目は、「理不尽に内在する道理」を描写していない部分。

「理不尽」というのは、「道理に合わないこと」を意味します。つまり、理不尽を描くためには、その道理を一緒に描く必要がある、と思うんです。『Aは怒られず、自分は怒られた』。これが理不尽の単純な構造です。「Aが怒られない(から自分も怒られない)」という道理を一緒に描写して初めて、理不尽を主張できる。道理が無ければ、理不尽は描けない。「おおかみおとこの死」には、「溺死した」という結果はあるんだけど、「~をした(から事故に合わない)」という道理は描いていない。

たとえば、死のシークエンスと合わせて、青信号一つ渡るのでも描写していたとしたら、それだけで道理になりうる可能性(※「信号機をきちんと守って渡るので、事故に合わない」という道理)はあった。しかし、それが明示されていないのでは、「おおかみおとこの死」は理不尽というよりは、「意味不明」になります。『非合理なシーン』であるべきなんだけど、根本的に描写が不足している、と思ってしまう。多少の理不尽さも含んでいるけれど、「おおかみおとこの死」については意味不明の方が印象として強い。



2点目は、キャラクターの動き方。

37]02]
48]32]

おおかみおとこは、普段から読書家で、勤勉でなおかつ聡明なキャラクターとして描かれています。その上、子供に対して面倒見が良さそうで、子供からも人気がある。つまり、秀才イケメン野郎です。

ここで、「おおかみおとこの死」の一連のシークエンスを振り返ってみましょう。あのシーンは、ナレーションでその日が淡々と述懐されるのみで、おおかみおとこがどのようにして死んだかは、溺死体で見つかったという結果でしか示されていない。ということは、受け手側の我々はその結果で判断せざるを得ないわけですが、このシークエンスだと少なくとも賢い印象とはならない。

このような聡明なキャラクターが、あのような「馬鹿みたいな死に方」をするのは少々納得がいかない。彼は賢いキャラクターなんだから、賢いまま理不尽に死んでいけばいい。それこそ、信号機を青で渡って、撥ねられるだけでその目的は達成されるわけで。こんな素人でも思いつくんだから、『非合理的な理不尽さを保ちつつ、聡明なままキャラクターを退場させること』を、あの細田守ができないわけがない。何か裏があるはず。




<3、細田監督の意図したところ ― (解答編)>

1、2と少し、おおかみおとこの退場について見てきました。「時かけ」「サマーウォーズ」でガチガチの合理的な演出をしてきた細田監督にしては不自然さがある。こんな安易な事をするとは、到底思えない。だったら本人に効いてみよう、ということでアニメスタイルのインタビューを見てみる。

細田 ただ、ひとつ確かにあるのは、今回の映画で描いたモチーフ、ストーリーの流れが、自分にとっては未知の領域だったというか……自分が今までに試したことのない表現を、作品そのものから求められている感覚は、すごくあったと思うんですよ。

小黒 作っている細田さん自身が、作品に求められたということ?

細田 そう。もちろん、モチーフやストーリーを決めたのは僕なんだけどね。それが今までの手管で表現できるようなものではないという実感は、絵コンテを描いている時からあった。自分の持ち駒では対応できないぞ、と。その持ち駒って何かというとジャンル映画的な作り方ですよね。そのジャンルの中でのお約束だとか、ウェルメイドな娯楽作だとしたらこういう流れになるだろうとか。

(中略)

小黒 この場合のジャンル映画というのは、アクション映画とか、ホラー映画のことだよね。もっと単純明快で、分かりやすい感動作にもできたわけだね。

細田 だけど映画って、そこには収まらない部分も出てくるわけ。ジャンル映画的な約束事からはみ出した部分が、実は映画の面白さだったりする。そういう部分の割合が、今回の作品は今までに比べてすごく多いという実感はありました。
(「アニメスタイル2013.03号」より引用) 
作品から自分の容量以上の求められていると思った細田守は、「お約束」、青信号を渡って撥ねられて退場なんて描写では、自分の描きたい世界は達成できないと考えた。こりゃあびっくり。つまり、あの「おおかみおとこの死」は、企画や出資者に何か言われたわけでも、制作が遅れたわけでも、コンテが間に合わなかったとか、そういうわけではない。そういう偶然ではなく、明らかに狙って外していたと。

だとするならば、気になるのは、細田守が描きたかった「おおかみこどもの雨と雪」の世界。どんな世界を描くために、ああいった演出をしたのか。


小黒 単純にジャンル映画的にまとめられる内容ではなかった、と。

細田 そうですね。そもそも今回の映画は、モチーフからしてジャンル化できるものではなかった。つまり、親が子を育てること……その時々の大変なこと、楽しいこと、つらいことなどを積み重ねていって、その中で「親というのはどこから始まって、どこで終わるのか」ということをまるごと1本の映画の中で描きたい・・・・・・というような作品は、そもそもジャンル映画ではないわけですよ(笑)。
(中略)

小黒 分かりやすく面白がらせるような演出を避けたのは、どうしてなんですか。

細田 言い方が難しいんだけど、つまり、全人類の歴史の中に脈々と続いている「親が子を育て、子が成長していく」という営みのダイナミズムみたいないものを描くとき、そこに演出が出ちゃいけないような気がしたわけですよ。デフォルメしちゃいけない、と言ったほうがいいのかな。

小黒 なるほど。

細田 その上で、子供が成長していくということ、その時間の流れを、もっと大きな視点で捉えた映画にしたかった。部分ごとの面白さとか、分かりやすさではなくてね。モチーフに対して誠実になろうとすると、いよいよそうなっていくわけです。
(中略)

細田 もう少し違う喩えをすると、人が死ぬときに自分の人生に満足するかしないか、という話にもつながるわけ。なるべく満足して死ねたらいいな、と思うけど、本当にそんなことができるのかどうか分からないわけじゃん。人生、常に半ばなわけだから(笑)。

小黒 まあ、若い読者にはピンと来ない話かもしれないけれど、満足して死ぬために、毎日を積み重ねているわけですね。

細田 本当はそうなんだよね。もちろん、そんなにきっちりと思いどおりの生きざまを積み重ねていけるわけじゃないし、その時々によって激情に流されたりすることもままあるけど、(人生を)大きく見て、満足できるかどうか、達成感があるかどうか・・・・・・みたいなことが、その人の生きてきた時間の勝ちを決めるんじゃないかなと思うんだよね。

小黒 そういうことを描く映画だったと。

細田 うん、そうなんです。
(「アニメスタイル2013.03号」より引用) 


細田監督の意図としては、とにかく大きな流れの中での家族、生命を描きたかった。面白く分かりやすく描くことはできなくもないんだけど、それだとモチーフに対して誠実になれない。あの細田守をしても、人の一生を大きな流れの中で描くということは、演出の範疇を超えていると思わせた。

そういう点で見ると、賢いキャラクターがバカみたいに理不尽な死を遂げるのも、大きな流れの一つとしては、自然なのかなと腑に落ちた。なるほど、これはそういう演出で狙ってどうのこうのする話ではなかったんだなと。おおかみおとこが、普通に死ぬ方が分かりやすくていいんだけど、それではモチーフから逃げていることになるんですね。だから、あんな理不尽な死に方が、大きな流れで見た時には正しい。

いや正しいというか、「そうなってしまうこともあるよね」という感じだと思う。おおかみおとこは賢いんだけど、ついうっかり何かに気づかず車に引かれたとか、大きな流れの中では避けられない出来事が「おおかみおとこの死」であった。つまり、この非合理的な理不尽は、世界が主格だったんです。世界の大きな流れの中では、どうしようもなく避けられないことであった。

「おおかみおとこの死」に対しての細田監督の正確な狙いは分かりませんが、定型的な演出ではないことは間違いない。だとすると、「おおかみおとこの死」については、「意味不明」でいいんじゃないのかなあと思います。世界はいつも勝手で乱暴で、合理的ではないので、人の手で変えられるものでもない。世界の勝手さというか、どうしようもなく不可避な感じを出すためには、ああいう非合理な死を遂げるべきだったのかもしれない。


<参考文献>
アニメスタイル2013.03号 

<あらすじ>
魔物から大陸を救った一輪の聖者は、その後また大陸に危機が迫った時に、大陸中から6人の勇者を選ぶようにした。それを人は「六花の勇者」と名付け、彼らは何度も大陸を救った。この10年で魔物、キョウマは増殖し、再び6人の勇者が選ばれるかと思ったら、7人目が出てきてしまって誰がニセモノか突き止めなくてはならなくなった。


<1、カメラワークと作画>

カメラワーク(CG背景)の仕上げの大部分がMADBOXだと思いますが、大変に素晴らしかったです。特に01話から、変わったカメラワークが多くてですね、この人狼的なお話においては効果的と思います。カメラがぐるぐるしたり、ダッチアングルが多用されることで、いろんなことが怪しく感じてくる。

例えば01話のコレ

01話
20151118175007

うまいなあ、アドレットとナッシェタニアの最初の会話。面白いですよね、檻の扉を挟んでの1カット。PANスピードによって、どっちが心理的に優位かを表してます。アドレットはここで図星をつかれているんですが、それがクイックPANによって表されているんですね。「ギクッ」みたいな感じです。


04話
20151118175008

こちらはぐるぐるカメラワークです。全員がを疑い合っている描写で、みなそれぞれに誰が怪しいかとか考えているのが分かりますよね。混乱してる、不安に思っている、そんな心理状況が伝わってきます。

個人的には、そこそこ面白かったんですけど、レール台車でやっても良かったかもです。FIXだと、正面からの顔しか見えないので、後ろ頭とかを画面に映した方がより「お互いを疑っている状況」を演出できたと思います。でもただキャラなめ+じわPANだと面白くないかもですね。本気でレール台車を1カットでやったら、大変な作業になりますね。



エフェクトが良かったのは11話。
正直、この話数と最初の2話以外はちょっと制作がきつかったと思う。

11話 フレミーズドーン
20151118175012

マズルフラッシュの光の表現が上手いです。フレミーが一瞬青く光って、背景も暗くなる。1Fとかならこういうネガポジ反転的な画はよくあるんですが、1カット通して明暗をきちんとやってる(明→暗→明)所は中々凝っているかなあと。煙はもっとフレミーの後ろに流れていった方がリアルかなあとか思いますけど、画的に良いのでグー。


11話 煙詰め合わせ

201511181750142015111817501320151118175011

そこそこ良かった煙を詰め合わせ。2番目のカット書いた人は上手いですねえ、立体を保ちつつ動かそうとしている。この煙見たことあるんですけど、分からない。工原しげきさんかも。4番目も反射する光へのこだわりが垣間見えていいです、これは煙のフォルムもいいですね。


09話 もくもくエフェクト 
20151118175010

後は09話のここも良かった。どなたか分かんないですけど、煙のもわっとした感じが良いですねえ。余計なディテールは付けずに、線の広げ方で立体を表現している。立ち上っていく煙の影の付け方も良いです。



09話 ドリーズーム
20151118175009

ドリーズーム。アドレットが感じた違和感を上手く表しています。

ドリーズームは見れば分かるんだけど、なんか定義にしにくくて困ってたので個人的に整理。まず基本的な事柄ですが、TU/ドリーインは被写体に寄ります。一方、ズームイン/アウトは、拡大/縮小します。一見違いがないように見えますが、相違点はいくつかあります。

例えば、iPhoneを持ったまま寄っていくのがTU/ドリーで、iPhoneを持った人がその場で静止した状態で機能を使って撮るのがズーム。アニメには実際にカメラが無いのでわかりにくいですが、カメラが被写体に向かって寄っていくのがドリーインなんですね。下記参照。


ドリー1ドリー2

ドリー/TUは肉食系男子で、ズームは草食系男子と思ってもらえればいいです。大事なのは、カメラと被写体との間の距離が、短くなるかそうではないかです。もう1点押さえておきたいポイントは、画角の変化です。画角はカメラが映す範囲、とみなしてください。ドリー/TUの場合は画角は一定ですが、ズームは変化します。この画角のズレによって、ドリーズームは発生するんですね。

どこの画角のズレかというと、基本的には被写体と背景の画角です。被写体にはドリーという画角が変わらないもので寄っているけれど、背景に対しては画角が変わってしまうズームアウトを使用する。画面全体で画角が統一されてないことで、変な歪みが生じるんですね。大体こんな感じ。

上のgifの場合は、キャラTU+bookTB/背景TB(CGレイアウト)みたいな感じです。キャラの画角は変わっていませんが、背景の画角は大きく変わっているのがわかると思います。画角という日本語はわかりにくいので、画角は「カメラの映す範囲」と考えたら理解しやすいです。



ここからはストーリーについて。

<1、疑惑の目の解決と、対価>

古代サスペンスファンタジーでした。視聴前は、「ファンタジーバトル系かなあ」なんて思っていたんですが、まともに戦ったのは3回ぐらいで、後はひたすらにキャラクター同士の疑い合いと推論で埋め尽くされました。

主人公アドレットは、結界を作動させる神殿に最初に入ったために、「7人目(ニセモノ)」であると疑惑の目を向けられます。弁明を繰り返しますが、他の六花は聞く耳を持たず。この「疑惑の目」をいかに解決するかが、今作の肝であるように感じます。キーワードは「対価」です。


最初は、ハンスに対して。

ハンスを武力で叩きのめすのでは、主人公の無実の証明にはなりません。7人目の疑いは増し、逆効果です。そのために、「自分が7人目なら、ハンスを殺さざるを得ない」状況を作った上で、ハンスをわざと殺さない。このアドレットの論理によって9割程度は無実の証明を果たしましたが、決め手となったのは「ハンスはそれでも7人目と決め付け、アドレットはそれに従った」という対価です。

ハンスは殺し屋で合理的な男です。信用するべきことと、疑うべき事の基準はあるはず。だからこそ、信用した後は最後まで意見を変えなかった。合理的なハンスに対しては、論理と対価で何とかなりましたが、フレミーは一筋縄ではいかないです。

フレミーは、「信じるものがない屈折した」女の子ではなく、「誰も信じないと決めた」女の子です。彼女はチャモ暗殺のミスから、キョウマから用済みと認定され裏切られます。そこに、希望(信じられるかも)と恐怖(裏切られるかも)を感じてしまうアドレットという存在が現れてしまった。フレミーの感情は、ここですごく複雑なものになります。この複雑な感情は、10話の会話でちゃんと示されています。

【10話 アドレットとフレミーの会話】
1、フレミー「(理解できないけど)信じられるかもしれないから、もう少しここにいて」

2、フレミー「何でかばうのか教えて(銃口を向ける)」
>アドレット「好きだから」

3、フレミー「私に居場所なんてない(後ずさる)」
>アドレット「俺が作る、地上最強だからよ(笑)」

4、フレミー「やっぱりあなたは敵(発砲)」

ここでフレミーがアドレットに心を許さなかったのは、フレミーの求める対価がなかったからです。「言葉では何とでも言える」とハンスが言っていたように、ここでは言葉だけで対価がありません。そもそも、フレミーはアドレットのことを理解できていません。これではフレミーがアドレットを信用できるはずもないです。しかし解決するためにはハンスのように論理が必要かと言ったら、それは違います。なぜかというと、「信じないと決めて」いる以上、一般的な論理はフレミーの心を揺さぶれるだけの力を持てないからです。

最終的には、自分の身を投げ打って(俺が死んだら、ハンスを頼れ)と言い、フレミーの無実を完全に証明します。ここで、ようやく物理的な対価を手に入れたフレミーはアドレットに心を許すんですね。信用するにも言葉だけではどうも胡散臭い、でも自分のために(生死を問わずに)行動してくれた。フレミーが求める対価をきちんと払ってくれたことで、心が動いたと思います。


ストーリーについては、この辺で終わり。
以下は、「六花の勇者」の売上について少し考えます。



戦闘アクションに比重を置いた謎解きモノと感じた人が多かったと思いますが、実際は謎解きの比重がすごく高かった。そこに原因があるのではないかなと思う。アクションメインで謎解きもするモノを期待してた人にとっては、肩透かしの恰好になってしまったのではないのかと思います。

デスノートが実はバトルに比重置いてましたなんてことしたら、やっぱり何か期待してたのと違うと感じてしまうと思うんですよね。PVを見ても、激しいアクションがメインであるように感じます。不運なミスマッチで、いやあ、もったいないです。 

■真の枢軸、真のリーダー、真のキャプテンとは何か

[水曜日]世界最高のストリートどんちゃん騒ぎ主型破りな日本台北のナイトクラブ
http://www.nextmag.com.tw/breaking-news/news/20151117/30049042 

最近で最も腹が立っていたのは、この事だ。
セクキャバに行こうが、路上喫煙しようが、それは構わない。息抜きもある程度は必要だろう、僕はそうみなす。だが、あろうことかホスト国の路上にシャンパンをぶちまけ、空き瓶をポイ捨てするなど、そんな行為は断じて許されない。 ましてや、賭博問題でより厳しい態度であるべき巨人軍の選手がだ。

坂本勇人は良い言い方で言えば、「やんちゃ」であった。フライデーにすっぱ抜かれたり、それはそれとして僕としては許容範囲内であった。選手の活躍と人格は分けて考えるべき、そういう意見は当然あるべきだが、今回の騒動は人格の問題ではない。れっきとした犯罪行為である。例えば、これが意図せず事故を起こしてしまった、過失であるなら、まだ分けて考える範疇にある。彼は確かに事故を起こしたが、それは過失のものである。選手とは別に考えるべきだと。

今回の騒動は、「シャンパンをぶちまけ、空き瓶を地面に置いた」というのが確固とした事実だ。台湾の法律はシンガポールと同じく、ポイ捨て、不当投棄に厳しい。そもそも、日本においても軽犯罪法に当たる。彼がした行為は明らかな犯罪行為である。誰しもポイ捨てはするかもしれない、しかしプレミア12という世界大会のホスト国においてその行為をするのは、明らかにその国への侮辱だ。グラウンドを国際試合のために提供し、大会も運営してきた。それだけの恩恵を選手として受けながら、今回の失態。

法に違反する行為を行ったことが、本質的な問題なのではない。賭博問題が起こり、3選手が契約解除という未曾有の状況下にある球団に所属する1選手が、ホスト国に対して侮辱行為を行ったことが問題なのだ。高橋監督の下、夜遊び禁止、ゴルフ禁止、と秋季キャンプでは厳しい制限を課され、巨人軍の選手は練習に励んでいる。一日でも速く、信頼を取り戻すべく、選手一人ひとりが取り組んでいる。

そんな中で、国を代表して選抜された選手がこのような問題を起こすことによって、巨人への信頼は遠のいていく。彼は、球団にどんな影響が及ぶか、それを全く理解していない。僕は坂本勇人に巨人軍のキャプテンであって欲しくない。今、総力を挙げて、問題改善、信頼回復に努めている他の選手に対しても侮辱だ。彼は、球団を、同じチームメイトである巨人の選手を馬鹿にしている。

どれだけ優れたSSであろうと、やってはいけないことがある。ホスト国への侮辱は何があってもやってはならない。それは、法律であるとか、倫理的に問題であるとか、そういった次元の話ではなく常識の問題だ。その常識すら守れない人間に、なぜ選手のキャプテンを任せられようか。なぜ、花形のSSを任せられようか。球団として巨人は坂本勇人に対して、何らかの処分を下すべきである。それが一番の改善策だ。

フライデーにすっぱ抜かれよう程度では、さほど僕は気にしない。それは選手の人格/私生活であり、成績や活躍とは分けて考えるべきだからだ。しかし今回の行為は、ホスト国、球団、そして野球というスポーツに対しての侮辱である。僕は彼が何らかの処罰を受けるか、何らかの誠意ある対応・再発防止策を提示しない限り、坂本勇人をSSかつキャプテンとして起用することには反対である。


キャプテンは人一倍の挫折を経験し、真面目な亀井善行に、託すべきである。野手陣の中心であり、彼は2010年に打撃不振に陥って以来、真摯に野球に向き合ってきた1人であろう。他の選手が向き合ってないとは言わないが、2軍に落ちようが、理不尽な代打を送られようが、厳しいコメントを監督から告げられようが、逃げずに向き合ってきた亀井善行をキャプテンにすべきだ。

キャプテンとは、年齢で決まるものではない。成績で決まるものでもない、どのような野球人であるかどうかで決定されるべき存在なのだ。僕は来年度の巨人の中心にいるのは、亀井善行と期待している。彼は逃げなかった、ふてくされなかった、度重なる故障でも逃げなかった。感情論であるのは間違いないが、僕は亀井善行をチームの要とすることが巨人の復活に繋がるものと期待している。 

↑このページのトップヘ

©GOMISTATION 2012-2023 All rights reversed