GOMIstation

2025-1

2016年09月

◆そんなもんあるわけないやん

「これが正しい感想だ」というフレーズを、最近、巷でよく見かけるのですが、排他主義っぽいなあと。例えば、「シン・ゴジラ」が流行っていた時に、感想や批評が上がるわけですが、「こういうのでいいんだよ」「これが決定版の感想だな」「素晴らしく正しい感想だ」などと、声高にシャウトする人たちに違和感を抱いていた。いやいや、それは違うんじゃないのか。

ぼくが思うのはですね、まあ、ゼロ年代批評のようなとんでも解釈(俗に言う「こじつけ」)以外の感想は、自分なりの根拠と自分なりの言葉さえあれば、全部おっけーだと思うんです。劇場なりDVDで映像作品を見て、ブログで意見や感想を述べるに至った、ということは、その作品から相当に自分の心に響く何かがあり、その「何か」を言葉にしたり、考えを整理をしたかった人も大勢にいると思う。

そんで、「正しい感想」なんてのは、当然この世の中に存在しません。素晴らしい批評や、面白い論評はありますが、唯一無二の正しい感想などというものは、この世にあってはおそらくいけません。批評の好みはあれど、正しい/正しくないの二択は大きな間違いだと思います。「正しい」かどうかなんて、もっぱら主観にすぎないくせに、客観的な事実にしようとするのが不愉快。たいていの人の「正しい」とは、面白い/素晴らしいという言葉のいやらしい換言です。

そんなコメントを見るに、排他的だなと感じる(「正しい」ってことは、「正しくない」感想も存在するわけでしょ)。2chで言うとこの、自治厨みたいな感じ。自分が正しいと思うこと以外は、全て否定してしまう。他人の意見を受け入れられない、そのなんともいえない身勝手さは批判された方がいい。柔軟な脳みそではないので、受け入れにくいなあと思うことは自分も多々ありますけど、理解しようとは思いますよ。

カミシモ信仰とかが典型的ですけど、あんなのいっつも成り立つわきゃないじゃないですか(小声)。ああいうのがアニメブログって本流を占めてます(まるで前提のように受け入れられている)けど、僕からすれば眉唾もんですよ。正しくないとまでは言いませんが。あとは、制作者の発言崇拝みたいなもんもある。制作者が「意図していない」と発言すれば、画面が語っていても、その意図を受け入れない(参照:『ゴジラ』(本多猪四郎監督)と反戦・反核についてのつぶやき(2014.05.27))。「クリエイターの発言/言及が再優先される」、というもの。最も大事なのは大元の画面じゃねえのかなあ、僕はずっとそう思ってるけど。だいたいのアニメオタクは、インタビューやムックの読み過ぎだと思うよ、今すぐ窓から投げ捨てた方がいい。



◆小骨が取れた

どうにも納得できていなかったので、今になって落ち着いてガルパン記事を何度か読みなおしたんですが、 ようやくその原因が分かった。こじつけている部分が多少ある。「こじつけ」とは、「そうとも言えるけど、別にこうとも言えるよね」という類のもので、こういうのは好まないし良くないと思うので、少し直した(あまりに無根拠なとこに取り消し線を引いた)。何を浮かれていたんだろうか、クソみてえな承認求めた、しょうもない記事だな。ほんまモンのアホ。

こういう意図でやってるなあと(自分が素直に感じたことで)推測を立てていくのは多分良いんですが、あからさまに後付け(映像に後から自分の文章に都合の良いような意味付けを行う)している部分は流石にアウト。本当に失礼した恥ずかしい。自分の嫌な文章を書いていたから、なんかここ数ヶ月変な感じだったと思う。やっと、どういったものが「こじつけ」か分かったから、淡々とやっていけると思う。「因果が逆になっている部分」というのが、こじつけの正体ですね。自分の都合の良いように、論理を弄くってしまったと思う。これで膿は全部出切った、と思いたい。  



◆後付け防止運動

以前のエントリで言及したように、ある記事には少々こじつけしていた部分があった。そのような「こじつけ」とは、いわば後から自分の都合のいいように解釈する、「後付け」であり、平たく言えば最低である。これでは宇野や東と何ら変わらないと思う。ああいう人たちには僕はなりたくないので、今回は「後付けていないかどうか」の自分なりの確認方法を述べる。方法は3つ。


1、映像に対して素直かどうか
2、論理の順番や次元を間違えていないか
3、客観的な理論や根拠はあるか



<1、本当にそう思えるのか?(映像に対する素直さ)>

画面に対し、素直にそう思えるのかどうかということ。例えば、「彼氏彼女の事情」2話における、”信号機”の役割というものは、有馬の視界が閉じていったり、開いていったり、そうしてまだ彼には心にモヤがかかっていることを表す。情景によって、キャラクターの心情を間接的に伝えている。真にそう思えなければ、自分が(自分の都合のために)歪めてしまっているかもと少しに認識した方がいい。

これは抽象的で感覚的な観念だな。方法論としては曖昧なので、もう少し実践的にしたい。そこで、2、3を考えた。どれも当たり前のことだが、再認識していきたい。



<2、論理の順序は正しいか?(論理の順番)>

知波単の落石シーンを例にとってみよう。あれって、「車両が後退するために、落石してきた」わけではないですよね。「プラウダの砲撃があって、建物が崩れたから、落石してきた」んですよね。そんで、「落石してきたから、車両が後退せざるを得なくなった」んですよね。なにを当たり前のことをと言われるかもしれませんが、意外とこういうところをごっちゃにして考えている記事をよく見る。

これが「都合のいい後付け」ですね。自分の主張や意見を通すために、映像そのものの論理を捻じ曲げて解釈してしまう。自分の主張は、原因結果には含めないことを意識することが大事。

A「([原因]~[結果]~)だから、《主張》~」と、映像や作品の中における因果関係で閉じているか、どうかを確認する。B「《主張》~[原因]。だから、[結果]~」みたく考えると、文章は歪曲する可能性が大きくなる。

《主張》-
[原因]プラウダ砲撃で建物が崩壊
[結果]落石してきた

Bで言及すると、たとえば「落石してきた(結果)のは、知波単を突貫させコメディ感を演出するためだ(主張)。プラウダの砲撃が激しかったのは、それと対比して演出するためだ(原因と主張)」-①となります。これ、ちょっと無理がありますよね。主張は主観的なものなので別に問題はないのですが、主張に合うように、原因を根拠なく意味付けしている。映像における原因と結果は当然ですが、勝手に都合の良い意味付けはしない方がいいです。それらは確たる事実ですから。

映像の次元と僕ら視聴者の次元をごっちゃにして言及すると、論理が変になります。メタフィジカルな意味付けだと、何でもありになる。①の《主張》に、「激しい」概念に対となる意見を入れてみてください、何でも通用するんですよ。「あの掛け合い(あひるチーム他との)を面白くするためだ」、とかいくらでも言えちゃう。それは、なんかダメでしょう。



<3、(か細くとも)客観的な理論や根拠はあるか?(映像の客観性)>

客観的な(だいたいの人は納得できる)理屈や根拠がないと、主観的な主張は意味を持てません。ここで悪い具体例を。
 
その後、砲撃により、広がっていたあんこうチームの砲煙は消え去り、代わりにプラウダ校の砲煙が店内に充満します。煙をかき消すほどの砲撃ですから、ここで「プラウダ校が優位に立っているんだ」ということが分かります。

これって、僕がそう都合よく解釈しただけですよね。扉が開いたというのは、単に砲撃の激しさだけかもしれないし、プラウダが有利がどうかの根拠が「相手のかき消した程度」ではカミシモと同じくらい薄いです。そもそも、かき消したというよりは、あんこうの煙が消えて、そこにプラウダの砲煙が入ってきたというだけ。これはダメです。僕が都合よく考えただけ。

このカットは今思うに、砲撃のテンポが速いんだから「戦車同士の距離が近いこと」を表しているように感じる。戦車同士の距離が近いってことは、危ない状況ってことですよね。まあ、それ以上のことはないような気がする。お店に入った時に、煙がちゃんと暗くなってるのがいいなと思うぐらい。


後付けするぐらいなら、正直に「根拠とかないけど、俺は直感的にこういう風に思ってしまった」と言及した方が潔いし、見てる方も楽だと思います。変に理由付けるから、ダメなんだと思う。


コメント(後付についての)

[ちゃっきーさん]
すごく共感しました。 
自分は、好きな分野ほど知識が増えていって何か理由付けしたくなります。 

ストイックにも感じますが、自分を正しく表現するために、たまには、自分の理論や知識に左右されてないか見つめ直す必要がありそうです。

[管理人]
例えば、ガラスを指で切って血が出てる人が画面にいるとします。この人を見て感じることって痛そうとか、大体の人が納得できる理論や根拠で、理由付けをするのは構わないと思うんです。ただ、「指を切ったのは自傷行為の現れ・示唆」というのは、(シーンにもよりますが)フロイト的な妄想の仕方という感じで、あんま良くないと思うんですよ。 

自分を正しく表現するというのが、「素直」ってことだと思いますね。「ないわー」っていう演出があったら、やっぱりそれにきちんと言及をする。好きな作品だからといって、自分の感情を黙殺して、その「ないわー」っていうシーンを理由付けで評価しちゃうと、きちんとした批評は困難になると思います。


◆リアルが極まった2016

庵野秀明による「シン・ゴジラ」、新海誠による「君の名は。」はアニメーションの界隈を席巻しました。両者は、この上なくリアル、リアリティある作品でありました。「シン・ゴジラ」は政務室などの主たる画面を病的なほど精緻に整えた上で、在来線爆弾という突拍子もないフィクションをやった。これによって、すさまじいインパクトを与えました。 また、「君の名は。」(というか、新海作品か)では、前作「言の葉の庭」よりも鳴りを潜めたとは言え、緻密な背景美術はやはり存在していた。

これと合わせて、京アニについて(1*)。京アニは、ここ数年、実写のカメラを再現しようと躍起になっています。レンズありきと言っても過言ではない、カメラの収差やボカシを再現しようとする撮影は、「シン・ゴジラ」の画面と同じく病的なほどリアルです。まあ、公開される「聲の形」がレンズ・カメラ基地外がどうかは分かりませんが。後は、芝居もクソ丁寧。

何が言いたいのかということなんですが、もう、この3作品でアニメーションのリアルは頭打ちだと思うのです。庵野の緻密な画面の作りや、新海の背景美術、京アニのレンズに即した撮影を超えるものは流石にほとんどありません。ですので、少なくとも映像面に関しては転換期だと思うんです。以前のエントリで述べた通り、リアル志向な作品(2*)は増えていくと思いますが、映像はそれとは対照的にちょっと抜いた感じ(3*)になるのではないかなと、「言の葉の庭」を見返していて思い始めました。

リアル志向な作品が増えていくのに、映像はリアルを失っていく、と思うのです(4*)。ネタと真面目を半分ずつで言いますが、「キルミーベイベー」のような作品が増えていくような気がする。素朴な背景に、デフォルメの効いたキャラクター。そのような形態で、現実に即したテーマを扱うのではないのかなと思います。漫画的な(5*)アニメが増えていくのかもしれない。そう考えていくと、「しらたまくん」みたいなのが最も適した題材だなと感じてきます。



(1*)「聲の形」はPVを見ましたが、なんか面白そうです。久々に興味が湧いた。
(2*) 扱うテーマやコンセプトが、「現実に即したもの」、ということ。
(3*) そこで野中正幸ですよ(「ゼロ魔」の方向でお願いしたい)
(4*)これ以上リアルな映像となると、CG作品が多数になりそう。
   「AKIRA」「王立宇宙軍」で一旦リアルを極めたアニメは、その後どうなったんだろうか。
(5*)素朴な背景に、デフォルメされたキャラや行動・仕草があるもの。



◆リアルその2(サマーウォーズとしらたまくん)

現実的なテーマを扱うけど、映像(キャラクターの顔や動き)がさほど写実的ではない作品は、自分の感覚として「サマーウォーズ」がいちばん近い。現在か少し先の世界を描きつつ、映像では多少嘘を吐くという感じ。抽象的だな。もうちょっと具体的にしてみる。僕らが生きている現実世界のような舞台を描く一方、可愛いキャラクターは面白く動いている、みたいな。小難しく考えすぎな気もする。

なんかなー、すごく現実的なテーマをやるのに、リアルなキャラクターでやるとダメな感じがするんすよ。これは、どうにも微妙なとこなんですけど。「残響のテロル」とか「惡の華」って何か少し(見てて)重たく感じないすか。テーマが現実的な上に、キャラまでリアルだったら、なんかポテチにマヨネーズかけてるみたいで重たい気がする。重たいと見るのがしんどくて、なんというか虚構としては認識できないというか(最近流行った言葉で言うと「共感性羞恥」になるのかな。あれは予期不安の一種だろうけど)。なんで「AKIRA」はそこまで感じないのかは分からん。金田や鉄雄って意外と(コメディチックに)表情豊かだから、そういうのがあるのかもしれない。

手塚漫画のキャラや表情がめっちゃリアルだったら、たぶん「メトロポリス」とか「ブラックジャック」の現実的(「科学への盲信に対する問題提起」とか「死生観」)なテーマって、伝わってこないような気がするんすよね。あの寸胴なキャラクターだから、一歩引いた地点から受け取れるというか。「寄生獣」や「キングダム」も同じ感じじゃないかなあ、ちょっとデフォルメしてるから、まだフィクションとして享受できるというか。「GANTZ」ぐらいリアルになっちゃうと、ちょっと僕はダメだなあ。不気味の谷のような気持ち悪さを感じて、フィクションとして見れない。まあ、この辺の塩梅は人によって変わってくるだろうけど。そういう意味で、「しらたまくん」はやっぱよく出来てるなあと思います。あの漫画は本当にすごい面白いんすよ、また詳しく話したい。 


◆雑記と配信

やっぱ、配信でなんか喋りたい欲みたいもんもあるんだけど、昔からどうしても原稿ないと上手く喋れないので、やっぱブログで書くのが自分にとっては一番かなあ。どっちもたくさんやったから、一応の結論としては。テキストって可視化できるから自分にもわかるし、後から修正もできるんで便利。配信だと録画見直すのはキツイし(CV細見大輔なら何度でも見返せると思う)、言葉にしようとすると脳みそが追いつかない笑。まあそういうのはたまにやるんからやっぱいいんすよね。

休憩するとやっぱ大分楽。なんか溜まっていたかのように雑記だけ毎日更新している笑。何書いても大体許されるし、やっぱ心底ムカついた事は書くといいな(ただ、キレ芸になってしまうと、面白くなるなるから真剣にムカついたことだけやな)。記事の段階になると、ちゃんと書こうと思うから、若干だけど客観的になれる。ただ、ちょっと時間かかってるから、もうちょい大雑把に書きたいと思います。塩梅が分からん!  


◆代入する病

kanoseさんのTweet
上記のTweet群は、僕の読解に問題がなければ、「セカイ系」という用語の曖昧さを利用した文章よりも、自分の言葉で語った方が(文章の是非は置いといて)面白いということだろう。ここで留意されたいのは、当然ながら「セカイ系」というワード自体がワルモノではないことである。

前述のTweet群にはすごく納得した。その上で他のことにも通ずるなーと思った。というのも、これって「セカイ系」以外(新海誠の批評)のいろんなことにも言えて、

SFモノの荒廃した感じ→ブレードランナーだ
テロップでの演出→エヴァ、市川崑、庵野秀明だ
タイムリープもの→バタフライエフェクトだ

みたいな感じの「一言元ネタ」言及にも、うんざりするのと同じ構造ではないかと思う。それしか言えんのけお前!と笑。作画で言うと、「柿田は庵野だ」「今石は金田系だ」で終わるぐらいつまんない言及であって、おそらくそこに自分の脳味噌から捻り出した文章はない。他所からの借り物や、手垢の付いた言葉で語った気になってしまっている。

もちろん、それの全部が悪かったり面白くないわけではないけども、感想や批評の個性が消えて(結果的に陳腐なものになって)しまう、と思う。というのも、ブログやコラムは、その人の直感や感性が全面に出ることにより、様々な批評が生まれ多様性が増す。そうした結果、面白いものが多くなると僕は思っているので、なんというか安易に「一言で片付けてしまう」のは常に危うさが伴っていると思う。生態系の中でゲコゲコと鳴くカエルだらけになっちゃうみたいな、いやトンボもコオロギもいないと困るくないみたいな。当然、メモとかは別ですよ。そうじゃなくて、コラムや批評で「今ヒットしている作品はブレードランナーの焼き直しだ!」みたいな感想で終わったら、なんというか、何か意義なくね?みたいな風に思う。

「柿田って庵野だよね」という言及では、具体性がなく面白くない。誤ってはいないだろうけど、広がりは全く感じない。ちょっと頭を悩ましてでも、柿田作画に対して具体的な文章の方がいい。そこで終わらずに、「金田系だから何なのか?」「タイムリープものだが、バタフライエフェクトとはどこが違っているのか」なり、具体的で発展がある場合は面白くなる、と思う。

「シュタインズゲートって結局、バタフライエフェクトだよねw」という感じの批評って読みたいですかね。「AKIRAってブレードランナーだよね~w」みたいな感じの言及って楽しいすかね(それって多分、自分の知識を披露しているだけだよ!)。そういった、未知数に何か値を入れて「これが正解だ!」とするような、代入的な批評を読みたいとは、僕はまったく思いません。少なくとも、僕が読みたいなと思うのは(どれだけ表現が拙かろうが)書き手が感じた素直な思いや、自分なりに感性で導き出した結論があるものであって、手垢のついたような文で「表面的に批評の体をなした」文章ではありません。格好だけを気にしたスカした文章ではなく、拙くても作品への愛情や情熱が伝わってくるような文章の方が素晴らしいことに、おそらく間違いはないと思います。




◆増加の要因を推測する/池上彰

簡潔に言うと、他の人より賢く見られたいからだと思う。そのお手軽な方法が、表面的に難しい言葉を使って、一見よく分からないけど、何か意味ありげな文章を書くことなんですよ。宮台だの東だの宇野だのいるでしょ。ああいうのが権威持っちゃったのは、いかに僕らが表面しか見てないかということを浮き彫りにさせたと思うんですよ。小難しい表現を使って、小難しい評論みたく書けば、読者は聡明な批評・論評として認識してくれる。これほど、楽な商売はないでしょう。そんでもって、あの池上彰をバカにするんだぜ信じられる?「池上彰ていどの知識なら俺も持っているし、みんなも数冊本読めば、あれぐらいの知識や教養はつくよ」と。この風潮はマジで良くないと思う。真面目に。

言い方を選ばなきゃ、バカのために程度を下げて、池上彰は解説してくれているんですよ。当然、僕らをバカにする意図はないっすよ。ただ、専門の人から見たら当たり前だけど、一般人から見たら「なにそれ」ってなることは山ほどあるじゃないですか。散髪屋とかでもそうですよ、トニックの効果とかイマイチよく分かってないけど、なんかこう頭皮に良いらしいから毎日俺は頭に振ってますし!

門外漢の人に難しい専門用語なんて使っても、伝わらないでしょう。だから、対象を決めて、「このくらいまでレベルを下げれば分かるな」とかで話す内容を決めるんですよ。ですので、TVに映っている池上彰は、「大衆レベルの池上彰」なんです。ここを勘違いしている人が多い。

そりゃ、池上彰が何の配慮もせずに専門分野について話したら、多分僕らは付いてけませんよ。僕らの歩みに合わせてスピードを落としてくれてるんですよ、流石のボルトも僕らと並走する時は力を抜いて走るでしょ、山田哲人が学童の球を本気で打たんでしょ、それと同じなんすよ。優しい言葉で解説する人を下に見て、小難しい講義を賞賛する風潮だけは本当に意味が分からないし、そろそろ卒業した方がいい。それって、小難しい言葉や講義にただ陶酔してるクソオナニー野郎なだけじゃろ、と思います。



■綺麗な映像ソフトが欲しい

さっさと”綺麗な”データで売れ。おまんら配信サイト様の「Dアニメストア」 だの、「バンダイチャンネル」だの、「ニコニコチャンネル」だの、きったねえロゴを載せた上で見せている時点で、もう商品を汚している。あんなロゴを入れた映像データは商品価値は下げるべき。iTunesというプラットフォームで販売する際に、音楽の最後にAppleがジングルでも入れているか?サンプル再生するときに、ジョブズの声は流れるか?同じことだろう。この点に関しては、Amazonが一番優秀だ。最初から大画面表示で映像を見せようとしてくれるAmazonさん最高。各配信サイトはAmazonを見習え(ただ、Amazonビデオは配信を停止する日付を大きく明示せずに突然終了するので、そこだけは改善願いたい)。

iTunesと合わせて、着メロのブームを思い出すに、購入するためのプラットフォームがあれば、大体の人はちゃんと購入する。すなわち、torrentなり違法動画サイトなりは撲滅できないし、そんなイタチごっこをする前に「楽に買える場所」を作ってあげる方がよっぽど利益に繋がる。クレカ登録やiTunesカードを使うことで、ほぼワンタッチで作品が閲覧・購入できる。そうやっていくと、2話6000円みたいなアコギな価格設定は自然と解消されていく。ワンタッチで6000円払うのは誰しもちょっと躊躇うだろう。今現在は、形があるものだから、その値段が出せているのであって、データという無形に対しては、戸惑いが生まれる。そのような流れで、適正価格が議論されていくといちばん良い。

「君の名は。」が受けた理由の一つとして、劇場作品だった、すなわち1000円札1枚で中高生が手軽に見ることができたから、というのがあると思う。てか、話数で販売するっていうのは何かあれだなあ。OVAじゃないんだから、1クール一括購入で10%割引ぐらいはした方が良さ気な気もする。まあ、各所で叫ばれている通り、パッケージビジネスは限界。代替ビジネスモデルは、配信というよりは「綺麗なデータ」で販売すること。 

ドラ映画35周年記念作品。お話が残念極まりなかったが、画は素晴らしいので紹介。
(作画パートは全て推測)


・のび太ふっ飛ばされ後の煙
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桝田浩史作画。最近、ようやく桝田煙が分かってきました。桝田煙は、線の動かし方(「瓦」みたいな線のディテールを動かしたりするの)が特徴的かな。あとは、楕円を何個もくっつけた感じの影を動かして、煙の膨張や展開を表したりするのもよくやる。ただ、試行錯誤される方なので、影の入れ方とかは変わることが多い印象です。

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立方体の破片を大小さまざまに入れるのも特徴。この破片が重力を受けて落ちていくんのがめっちゃリアル。これほど良いと思った破片は、本当に久しぶりじゃないかなあ。村木以来と言っても過言ではない。良くも悪くも、「方形破片を描く」という文化はシルエットの流行と撮影(コンポジット)の発達で廃れてしまったので、描く人が少なくなった。ああ悲しい。



・しずかちゃんの水ビーム
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弾ける感じの水作画。ここはレイアウトがいいっすねえ。弾ける水が全方向に。



・のび太落下後の波★★
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桝田作画(※推測)。いやあ圧巻です。

落水した後、水の流れが2つに分けて描かれてますね。その場で打ち上がる水と、手前に押し寄せる波の2つ。波が伝わるスピードとか、遅れてついてくるのび太たちに合わせて動く波とか、すごく良く出来ている。のび太が水に落下してから、地下の秘密施設に辿り着くまでの一連は桝田さんかなーと思います。


[橋本作画との比較]
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(セシル04話:橋本敬史パート)

個人的には橋本作画と迷ったんですが、その迷ったポイントは

(1)持ち上がった水が再度落水する時のタイミング
(2)水内部のカゲの付け方

この2つが似ているので、大分悩みました。今でもよく分かってない。ただ、違うなあと感じた部分は、「落水するときのフォルム」ですね。橋本さんはまとまった塊で落下させるんですが、桝田さんは何個かの部分に分けて落下させていると思う。後は、桝田さんの方がややデフォルメ寄りなのもある。



・敵キャラドッスン
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割りかしハッキリとしたエフェクトが多いドラ映画では、珍しく粘土みたいな煙。破片の広がり方は空気の流れに合わせた感じで、意外と計算されている。青山浩行さんみたいな煙だなあ。


知らない方のために補足としてカッコイイMADを。

・青山浩行 爆発作画集


有名ドコロでは、「時をかける少女」「サマーウォーズ」なんかの作監をしています。アクションも上手いらしい、そこはよく知らん。日本でリアルな炎と煙を書かせたら、この人の右に出る人はいない、そういう私見がある。



・ビーム発射
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バシュンとビーム。広がる輪っかのタイミングも上手いなあ。タイミングと内部のディテールは政勝さんっぽい、後は全セルの中での、流線のディテールとか。うまく言えねー、もうちょい具体的に言えると思う。




新ドラになってから必ずと言っていいほどエフェクトの見せ場があったんだけど、今回は爆発や煙が少なく個人的には残念。政勝爆発や橋本煙が好きなんだけどなあ、あまり見れなかった。まあ、そんなとこです。そろそろ、「新・日本誕生」もレンタルできるので、そっちも見たいと思う。

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(コミックメガストアα 2016年03月号 「トイボックス2箱目」神楽もろみ)

変態おねえちゃんが「これがええんか!これがええんか!」と妹をローターで責めまくり潮吹きさせまくったせいで、妹のサトミは風邪を引いてしまう。学校の同級生がお見舞いがてらプリントを届けに来たところ、プリントに紛れて、ラブレターらしきものが入っていた。そういう状況です。


<ポン寄り>
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(右から左へ)

こういうのが僕はすごい好きなんですよ。ほぼ同じ画面なんですけど、ちょっと寄ってますよね。こういうのを「ポン寄り」というんですが、まあ珍しい技法でもなんでもないです。野球で言えば、バント。麻雀で言えば、喰いタン(ポンだけに)。それぐらいポピュラーな演出技法。


定義はというと
ポン寄り(ポンより)
現在撮影している位置や角度を変えずに、そのまま前に移動したりズームレンズを操作して、画角の狭い映像を撮影する事。(反対語:ポン引き)
映像業界用語辞典03様から引用 http://www.geocities.jp/amukoris/dictionary03naha.htm
こんな感じ。アングルやポーズを変えずに、ちょっとアップするという認識で大丈夫です。

何でこれが好きかっていうと、大して画面は変わらないのに、その持つ意味は変わるからです。なんというか、ちょっとしか変わってないのに、まるで違うってすごく面白くない?


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ここでは男の子の焦りや「しまった」という混乱を強調している。すなわち、手前の男の子の感情の方が大きい。やべえ!しまった!どうしよう!みたいな感じのを伝えておいて、


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変態お姉ちゃんにアップすることで、画面の主導権が姉に移り変わる。男の子の混乱した感情などは、もはや画面外に弾き出され、お姉ちゃんの感情や考えが全面に出る。場面転換(画面の主人公の転換)も兼ねていて、それがすごく面白い。 

■かんそう

贅沢なのは分かっているけども、自分の中ではもっと受ける公算だったので、ちょっと悔しい。これで大きな記事はないので(あったとしてもそこが目的だとダメになる気がするので)、あまり数字を気にしていくのはそろそろ終わりにしようと思う。憑き物も落ちたように感じる。小さい記事は2、3本出しますが、それ以外は多分ほとんど更新しないとおもいます。ここで一旦区切る。たくさんの方に読んでもらえて良かったです。

エモさ満点のポエム記事を一旦書きましたが、流石にキモイので消しました。読者の方、コメントしてくれた方、お世話になった方全ては言い尽せませんが、ありがとうございます。こんな雑記はぼちぼち更新していくと思います。

長く続けるコツってなんだろうなあ、ハードルとか設けないことなのかなあ。未だに、よく分かりません。とりあえず、お疲れ様でした。

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