GOMIstation

2025-1

2018年12月

というのは、あまり面白くないものです。毒があってこそ、映像と思います。ドラえもんだってそうでしょう。アンパンマンにだって、ちょっとした人間の卑屈さ、というものは出ます。「よりもい」はそういう点で、僕には合わなかった…絶賛されている理由は分かるのよ。これは勇気を与える物語だからね。「勇気をもって挑戦しよう!」ってことですから、受けないはずがない。

行儀の良い、っていうのは、もうすごくユートピアな世界なんですよ。アイドルはうんこしないみたいなノリ。それが受け付けられなかった。彼女たちは、すごく過酷な挑戦をしていると言うけれど、実際は、ぶっちゃけママゴトじゃないですか。前半は100万稼ぐくらいストイックなのに、後半になるにつれてお遊びになっていく。南極4人で揉め事もさほど起こさない、ぶつからない。ぶつかってもすぐに解決仲直り。仲間は守るぜ(ドン!)みたいなワンピースのようなことはしても、関係が希薄すぎる。ぺらっぺらですよ。コンビニ行くけど、帰る方向同じだから一緒に行く?ぐらいの感じで、南極行ってますからね。で、エッチなのはダメなんです~ていうか無関心なんです~絆なんです~って、こいつらの脳みそ小6かって思いましたからね、見てたとき。




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こんだけ文句垂れときながらも最後まで見たのは、やはりOPのこの回り込みが素晴らしくできていたから。OPはよくできたなあ。いや、ホントこの回り込みはいいですよね。船の巨大さ、海の広大さを示した後で、彼女たちの無力さ・ちっぽけがやってくる。


まあ、そこら辺を来年細かく、よりもいファンにしばかれ、怒られながら、やっていきたいと思います。(※野中作画記事間に合わず。いつものことだな!)


今年一年ありがとうございました。
良いお年を!

ちょいちょい他人のレビューとか感想とか見たので再考するぞよ。旬が過ぎて興味ない人が多いとは思うけど、おれは止まんねえからよ…止まるんじゃねえぞ…まま、たまには珍しいジャンルも語ろうぜ。

というか、語りたくなる時点でなにかがあるのは間違いないんだ。ブログや日記でなにか自分の意見を発信したくなる時点で、程度の差こそあれ、その映像に揺さぶられている。いくら捻くれ逆張り人間ワインディングロードであっても、これは受け止めたほうがいい。そう思い直した。



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<疑問1:劇中劇って最初から、そんなに怖くなかったか?>

1カットで回すのはすぐわかったけれど、最初の方は怖かった。病的なまでの映像への拘泥を見た後に、劇中劇のロケ地である廃墟のうわさ話をナオさんがする。んで、微妙な空気になりますよね。そこに、ドンとドアにぶつかる音が響く。驚く一同。ここはよくあるホラーな展開ではあれど、出来の悪いホラーではなかったはず。間の取り方も含めて。ネットで多く見られたのが、「劇中劇ってすごく出来が悪いホラーよねw」みたいな感じのレビューだったんですが、いやそれは全編見たからそう言えるんやろ?って、それって結果論的じゃね?と思う。


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劇中劇のキモだと僕が思ったのは、これ最後に残るカメラマンどうなるんや…?ってことでした。タイトルからそこに注目してたんで、「血の呪文でオチ」の前に「残ったカメラマンが高いところへと逃げて留まらずを得ない」っていう感じだった。映画内で「ワンカットオブザデッド」を見ている人を逃さねえぞって感じの演出だったと思うんですよ。カメラマン殺されるでもなく、ずっと見つめたままっていうのが、「カメラを止めるな!(止まらなかった)」っていう意味だと思った。




<疑問2:ラストの台本変更いざこざのシーンで、画面に説得力はなかったのか?>


これまた、気取ったバカが評論記事を上げてたんですけど、こんなのは後出しジャンケン。
「番組として無事終わらせて」という要求をしていたライン・プロデューサーが、監督の激昂には応えずに、娘になんで従ったのか、そういう説得力は今ひとつない。だからその辺はばっさり画面にしていない。

まあこれはヒューマン・ドラマなんですよ。親子の確執が出てきた時点でそうなる。だから、画面の説得力よりも、娘が弱気な父親を助ける、という筋にした方がまとまりやすいのかもしれない。

自分が考えた筋を出しても、それは後からどうとでも言えることですよね。いや、言いたいことは分かるんだけどさ、その前に「どうして娘(とPのいざこざ)のカットをいっさい画面にしていないのか?」と考えることが重要だと思います。


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それで、結論から言うと、「娘の場面をいっさい画面にしていない」のではなく、「娘の場面を画面にする必要がない」んです。なぜなら、お父さんがそれらの役割をすべてを担っているから

軽いノリで「(オチを)捨てましょう!」と言っちゃうPに、お父さんは激昂しました。見ている人がいる!と、カメラワークの変更なんてありえないと叫んだ。でも、いつも頼まれてきたのは、「そこそこで、安くて、速いもの」だった。これからの仕事の関係も考えると逆らえないし、自分は本当に良い映像を作ってこなかった。



本当に納得できる良い映像を作ることはできない。奴隷の鎖のような、映像への諦念がそこにはあった。お父さんは頑張ろうとしたけれど、最後の最後で、これまでの安っぽい映像作品を作ってきた自分に諦めろと言われてしまった。理想と現実は違い、また安っぽい映像を妥協して作るしかない。娘にいいところを見せてやろうと張り切ってきたお父さんは、完全に諦めます。叩きつけた台本だけがむなしく残る。



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ここで台本にカメラがいきます。娘はお父さんのことをこれっぽっちも尊敬していなかったはず。軽蔑すらしていただろう、映画人として。こんな安っぽい映像なんか作り、理想を追求しない、情熱が欠けた親父、と思っていた。でも、本当は違った。めちゃくちゃ考えて、なにより、この画が必要だと言い切って台本を叩きつける情熱がお父さんにあった。ここで、娘はお父さんへの認識を改め、おもむろに台本を拾うわけです。「なんとかして助けてあげたい、その画を取る方法はないか」と考える。で、そこには、自分とお父さんの肩車の写真があり、あの発想に至った。


長くなりました。つまりは、「映像に対する理想と妥協」の流れはお父さんがすでにやっていて、むしろ省略した方がテンポは良くなる。娘がPといざこざしても、それは既にお父さんとPでやってるシーンであり、同じシーンの繰り返しになってしまう。そのため、省略しちゃった方がスムーズでテンポはよくなる。これはいつもしているテンポの話と関係しますね。

娘がPを説得できるかとか、ぶっちゃけどうでもいいし重要でもないんですわ。重要なのは、お父さんを救えるかという一点だけなので。娘がいざこざしても意味ないんですよ。同じことの繰り返しで冗長になっちゃう。だから、あの台本変更シーンの娘の場面はいっさいいらない。お父さんを映すだけで十分に、あのあとの娘に説得力を与えるわけです。


これだけのことが分からねえとは、変な論客気取りゴミブログもあったもんだな!!!

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[うちのメイドがウザすぎる!#6]

ミーシャが肩をすくっとさせる、舌で追いかける仕草、つばめのキスに至るまでの角度、フェティッシュを超えて一種の執着心を感じさせる。石膏デッサンみたいに確実なる立体で動かしている。ラストのデフォルメも上手いですよね、リアルもどっちも描ける。

小松さんもアニメ業界も詳しく知らないのでなんともなんですが、こういうのはもう全原画でやるんでしょうか。それとも、動画マンにめっちゃ割ってもらうんでしょうか。



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うどんこねこね。腕をまくるときの、オバケの入り方とかブレ線とかいいですよね。小松作画では、こういう地味にめんどいアングル(1*)のキャラ顔をさらっとこなすのがすごい。しかも、立体的に動かそうとしている。

[追記]小松さんみたいな人が、個性が出てるっていうんですよね、悪い目立ち方をしない、悪目立ちしちゃう人は個性を出そうと出そうとしすぎてて考えが足りない。小松さんの作画は、世界観を壊さない、それでいて自分の動かしたいようにやる。考えがあるように思う、アイマスのプチ・シューにしても。


(1*)カメラは俯瞰ショットだけれど、キャラの顔はアオリ

参考文献は下記ブログ様を参照ください。Twitterに転がっている意見はあまり参考にならない。



実に4年ぶりの原画でした。ぼくは天メソ11話の布団に包まる芝居が好きなので、今回取り上げてみた次第。あまり大したことは言えてないですが、かれの素晴らしさが伝わればけっこう。有志の方が作られたMADをご覧いただければ、小松作画のすごさはテキストを超えて伝わると思います。


”たいぷはてな”ではなく、”小松勇輝”としてアニメの世界に戻ってきてもらいたい。もちろん、たいぷはてなを否定しているわけではなく、内包して戻ってきてもらいたい。自分がそのように渇望する人間は殆どいません。黒田結花とかれぐらい。

ちゃんとした再考記事↓




ようやく見ました。絶賛されているものはハードルを上げてしまう癖があり、けっ大したことはねえじゃねえか。となるんですが、まあこれは割と面白かったです。各所でいろいろな感想やら論評やら書かれていると思うので、ぼくは絶賛された要因と、さほど取り上げられていないであろう部分に絞って取り上げたい。


好評の要因は、「ホラー映画にマッチしている部分が、実はこういう偶然の連続でした」というところに集約されるかと思います。違和感がある部分がほぼすべて伏線として回収された、そこが受けたんだろうなあ。あっ!これ進研ゼミでやったところだ!みたいな。

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廃墟にまつわる噂話をしていると、いきなり奇妙な音が響く。重苦しい雰囲気を打開しようと、助監督役がマオさんに趣味を聞く展開へ。雰囲気を変えようとして失敗しているのが、ホラー映画としては効果的に働いた。カメラが地面に落ちたときもそう。ダッチアングルも相まって、カメラ役が倒れてしまったのか?と身構える。


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要するに、(ホラー映画に)マッチしていた部分の裏側はこんなに苦労していた、こんな偶然があった、というピタゴラスイッチみたいな演出が好評を博したんだろうなあ。受け手側はパズルがはまっていく感覚だと思う。


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親子の確執、ベテランと若手の意見の相違。このへんはちょっとくどかった。中だるみ感は否めず。そんなにやらなくても伝わる伝わる。


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アル中おじさん好きですよ。本番でも失敗しているのがさらに良い。理想どおりに現実はうまくいかないっていうのが全体のテーマなんで、こっちを深掘りしたのはすごく良かった。


ただ、大絶賛されるほどの内容かと言われれば懐疑的にならざるを得ず。現場側と企画側で勧善懲悪の対立構造を作ったのはいいけれど、ラスト以外さほど活かされていないような。「番組として無事終わらせて」という要求をしていたライン・プロデューサーが、監督の激昂には応えずに、娘になんで従ったのか、そういう説得力は今ひとつない。だからその辺はばっさり画面にしていない。


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まあこれはヒューマン・ドラマなんですよ。親子の確執が出てきた時点でそうなる。だから、画面の説得力よりも、娘が弱気な父親を助ける、という筋にした方がまとまりやすいのかもしれない。ただ、このシーンはライン・プロデューサー役と監督役の人の演技が際立っていたので、もったいない。


個人的には、劇中劇のカメラリレーに注目していました。だから、ラストのカメラって誰なんだろうとか考えてたけど、そこは上手くやられたなあと。コメディですから、腰痛おじさんのリタイアは早すぎた。いや、リタイアするのは当然だけど、腰痛で倒れたまんまのおじさんをまったく映さないというのは前半のやり取りが活きない。でも、ラストを踏まえると仕方ないのかな。微妙なところ。


記事を書くときにGIF作るのメンドクセーと思っていたので、動画にメモをすることを試みた。まあ、GIFよりメンドクサかったんですけど(※グリッドマンはなんでこんな長いシーン選んだんだろうNE?)。やはり、作画というのは、根拠と論理で述べたいという気持ちが多くあります。無理な論理は、ただのこじつけ・屁理屈だから良くないんですが。早計な結論よりも、考える過程、確実な答えよりも良い間違え、そういったものを大事にしていきたい。

この動画でいうところの「要素」は、2つあり、状況と技術です。どういったシークエンスなのか、なぜこのアクションなのか、どういう感情を抱いているのか、そういったものを表すのが状況であり、それに付随する形で、PAN、中なし、ブレ線、オバケ、ツメ方、構図などの技術があると考えています。

年内も残り少ないですが、
☆野中正幸 整理記事
☆グランクレスト田中宏紀記事
☆佐藤利幸 記事

あたりを作っていければなと。3本中1本は書きたい。

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