GOMIstation

2025-1

2020年04月

スマートフォン向けアプリ「EVA-EXTRA」内において、オーディオコメンタリー版(急きょの様子;4/22,23に録音)が公開中です。それで、こういった情報の整理は「STAY HOME EVA」というコンセプトとはズレもいいところなので、遅らせて出そうかと思ったけれど、どうせ情報はどこかで整理されてしまうわけなので。出しちゃえニッサン。基本的に新しい情報だけ。敬称略あり。



「序」
・爆発/増尾昭一
故・増尾昭一に言及あり。まあこのブログ読んでる人には既出の内容というか、それでも良かったですね。「増尾さんの原画は今でも使われている」というところは正直に驚いた。血しぶきであったり、破片のガヤであったり、タタキであったり、ディテールアップのような原画が主に使われている様子です。アーカイブされている。

・高倉武史(ディテールワークス)
鉄オタらしい

・シンジがトウジを殴り返すところ
カラー弐号機(Twitterカラー公式;加藤亜姫(※1))曰く、鶴巻和哉原画
※1加藤亜姫:序・破・Qで制作進行を担当(「Q」では「制作進行チーフ」とクレジット)


・ミサトの干している下着
松原秀典原画
松原さんは版権絵でも、じっさいの洋服があれば本物を作画参考にするらしい。

・ヤシマ作戦時の作業員モブなど
コヤマシゲト原画
鶴巻「コヤマさんに書かそう、動けない(絵だから)から書けるだろ(原文ママ)」(※カラー弐号機)

貞本原画のモブシーン(作業員がケーブルを引っ張るシーン)以外は、モブシェルターに逃げているあたりのモブ住民。カウントダウンのあたり。貞本も作画の参加予定はもともとなかった。


・ラミエルとの戦闘シーンのラスト
「彼に託すべきです」のあたり、姿勢を立て直すエヴァ初号機のあたりの煙は鶴巻原画
そういうテイストがあるらしい(カラー弐号機)。



「破」
・加持さんとリツコの戯れシーン
パースの点で、デジ部(カラーデジタル部)といろいろと摩砂雪が当時話し合っていた。摩砂雪は「パースの鬼(カラー弐号機)」らしく、キャラクターに対して空間があっていないと気色悪いとのこと。この場合における空間とは、キャラクターがどの位置に(壁から何cm程度離れて)いるのか、ということ。


・ミサトの部屋の散らかり(ペンペンがミサトの服に突き刺さっているところ)
平松禎史原画(※これは全記録全集にも載っていたような…)
その後のダンボールに囲まれるシンジも平松原画(カラー弐号機)



「Q」

・将棋のシーン
シンジと冬月が、将棋を「差す」シーンは鈴木俊二
将棋駒の漢字はテクスチャなどの貼り付けではなく、手書きになっている。「少年将棋は打てるかね?」(※2)という冬月のセリフには、神村(クロックワークス代表)さんが「3.33のときになんで直さなかったんだろうか…」と述べている。
※2 将棋は「打つ」ではなく「差す」と呼ぶのが一般的には正しいため

・連弾のシーンの馬
前田真宏原画

※第13号機覚醒後パンアップしていくときの大判セルも前田真宏



・シンジくんが持ってきた本の背表紙などの映り込み
増田朋子(グラフィックデザイン※3)が専ら担当
おそらく、テクスチャの張り込みなど2Dのディテールアップが彼女の貢献が大きいと思われる。
※3 序、破でのクレジットは「2Dデジタルワーク」

・シンジくんがDATを直してもらったところ
頬を染めるシンジは、林明美原画
総作監の本田雄に絵が最も近かったので、Qではたくさんの仕事をされた(カラー弐号機)

・カヲルくん顔ぶっ飛び後の、マリのおっぱい揺れ
井上俊之原画


全般
・電柱のミニチュアガチャ
そのガチャの電線が4本だったため神村さんは買わなかった。なぜかというと、日本の電気システムは三相交流を用いているために、基本的に3本であり、3の倍数の本数でないとおかしいから。

・0706作戦は実はいろいろと大変だった
ゲヒルン(Twitterで防災アカウントNERVなどを運営)の中の人(石森さん)がご活躍されたそうです。その縁でオーディオコメンタリーに呼ばれたらしい。

以上です。ミスなどありましたらご指摘お願いします。

エフェクトひさびさ

現在YouTubeにおいて、新劇序・破・Q3作すべて無料配信中、ということで、ひさびさのエフェクト記事にあわせて、ひさびさのエヴァのエフェクトについて触れたい。


エヴァを象徴するクロス光とは言わずもがな
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こういうヤツ

「トップをねらえ!」「エヴァシリーズ」を見て分かるとおり、「風の谷のナウシカ」に参加してからずっと庵野秀明はクロス光を多用してきた。エヴァが攻撃する際はもちろん、使徒の攻撃の結果もクロス光になってたりしますよね。破の水柱とか、序のサキエルが攻撃した後のジオフロント内に広がるものだったり。

なにが言いたいかというと、庵野さんはずっと作品内でこれを使ってきていた、それも大変な愛着をもって。敵味方の攻撃など関係なく使ってきたわけですが、「シン・エヴァ冒頭10分」ではそのクロス光に大きな変化がありました。衝撃的だったのに誰も触れていないので、驚きました。


変化したクロス光;マリ殲滅シーン
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特報からあったカット。ここまでの流れを踏まえると、割と分かりやすいかと思う
なんじゃとわからない?それでは、以下の図を見てください、すべてまるっと理解できます

説明

そうです。中心の「球体」の有無が大きな変化だったのです。Qまでのクロス光は、ほぼ直線だけで構成されていました。刺々しさやビームの強さを表現したかったのかどうかは分かりませんが、とにかく直線だけでクロス光は形どられていた。それがこんなに変化してるんですよ!衝撃を受けない方がおかしい。


マリ殲滅その2
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美しい・・・マズルフラッシュと交じるように、球体ありのクロス光が連続して発生している。


それで、これをどこから使おうかと思ったのか、つまり着想については、おそらく「エヴァQ」の庵野爆発からじゃないかなあと。あ、Q冒頭の改2号機が回転する爆発全原画のところじゃないですよ。改2VSマーク9の戦闘シーンのラスト、自爆シーン。


ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q|庵野パート
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これ過去に言及したんですが、やはり庵野作画だと思う。決め手はディテールの少ない球形爆発であること。こんな板野調を現代アニメでやるのは、故・増尾昭一か庵野秀明しかいない。増尾昭一のディテールやショックコマとはわずかに異なっている。よって、庵野秀明作画だろうと。

直線ばっていた他のクロス光に比べて、このシーンのクロス光はややなめらかになっていますよね。そこから、なんやかんやあり(マズルフラッシュを真似たとか)中心に球体を足したんじゃないかなあと。その辺は微妙ですが、どうでもいいことだ。とにかく、この「球体ありクロス光」は衝撃も衝撃。いやあ、カッコいい。もう進歩はないと思われたクロス光が、まだ進化していく。そこが凄い。

なんかね、いろいろなことに疲れたねえ。疲れる世の中になった。

「モノは溢れ物質的には満ち満ちているけれど、精神は貧しい」と庵野が述べていたことを改めて痛感する。合理的な社会が素晴らしいかといえば、そんなわけもないのは、十全も承知のはずです。インプレッシブを優先する態度が社会的に求められ評価される。それはSNSだろうと、現実世界だろうと変わらんわけです。

それは分かるけれど、インプレッシブを優先する態度によって、なにも発言しない・触れない態度の評価が上がってしまう。つまり、タブーな事柄、民族だのレイシズムだの政治的な事柄については触れない方が評価されてしまう。おかしな話だ。


短期的な観点で見れば、これは戦略としては優れています。いつの時代も沈黙は金、人の噂も七十五日。ただ、10年20年という長期的には、大したプラスにはならないと僕は考えます。その人その人のオピニオンがこれから重要になっていく社会で、なぜか主張をずっとしない人がいる。「人狼」というゲームだと、ずっと黙っている村人がいるようなことで、その人の信頼や信用って相対的に薄れていってしまうんですよね。つまり、「なにも言わないとなにを考えているのかわからない」ので、怪しく見えてしまう。今は優秀な戦略ですが、高潔さの欠片もない。ノンポリならば、ノンポリのそれを述べて欲しいのですが、それを今はやってしまうと評価されないのです。前述の通り。だから、黙っているのが最善というおかしな構図になってしまった。

その延長線上にあるのが、「いいね」などのソーシャルアクションです。自分は主張しないけれど、この発言には賛成だということを示唆することができる。これ上手いことやってて、なおかつ制度的に良くない。なぜかというと、あくまで「示唆」の段階で止めることができるんです。自分の意見と似たものであるかどうか、それらをなにも言わないで、醸し出すように主張できるわけです。

で、こういったことが増えていくと、空中戦にならざるを得ず、意見や議論をダイレクトに交わすことはなくなります。議論を交わさないと、意見・主張の昇華はありません。意見の昇華、つまり、改善された意見や主張が存在しないことは、「だれかの発言」の代理戦争のオンパレードで、話す場所も成熟せず、人々はストレスフルになるのです。その結果、争いを好まない人々は争いが起きた段階ではまったく議論もできず、まあクソの役にも立たない。そういったことが積み重なっていくと、議論や論壇といったところからは遠いところになっていくのは目に見えますよね。だから、長期的に見て、大したプラスにはならないのです。

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