GOMIstation

2025-1

2020年08月

■放課後ていぼう日誌
配信で勧められました。魚や血に免疫のない、都会っ子が田舎に引っ越してきて、なぜか釣りの部活に入るというお話。そこそこ面白い。主人公の趣味の手芸との絡ませ方も上手い。「釣った魚は食べる」ことに主眼を置きつつも、ヒットしたときの快感、いろいろある釣りの種類それぞれの楽しさ、これらも良い感じかなと。

部長のスタイルがたぶんいいんですよ、この作品は。「釣っても釣れなくても」、みたいなのは別に珍しくないですが、部長は「釣りに関連する物事」すべてを楽しんでいるように見える。だから、みんな楽しそうに見えるのかなと。これは「天」の「赤木しげる通夜編」とも少し似ている点があって、あのとき赤木は「不運なことで気持ちが落ち込むことも、別に悪くはない」とかそういうこと言ってたはず。釣れなくても、事故で竿が折れても、フナムシに脚を噛まれても、そのことじたいで落ち込むことはあっても、べつにそれが悪いとは思っていないんだろうな、みたいな。それを含めて、釣りと思っているんだろうな。釣りの環境すべてを受け入れている。そういう態度が部長にはある気がする。


「部長の生足で抜かないやつは全員バカ」と配信で言いましたが、これは変わらず。断固として。しかし、ピクシブ18禁では、長身無口娘がなぜか人気でした。逆張ってんじゃねえぞハゲども。部長以外おらんやろがい。しかし、じっさいに、部長のそういうエッチな絵を見てもピンと来ない・・・。いや、放課後ていぼう日誌じたいにそういう感じがない。珍しいですね。



■ソウルイーター
10年前のものにハマる感じになっている。全巻大人買いしたせいで金欠や。1~6巻、最初のメデューサ戦くらいまでは圧倒でした。いやーすごい。「武器職人としてデスサイズを作る」という根本は後半になるにつれ、薄れていき、マカちゃんが出てこない巻数も多々あった。メデューサの支配下にあったクロナを救っていっしょに学校に行けるようになった話は泣きそうになった。そこからあれだからなあ・・・ああ、救いがない。

思ったよりも、鬼神、つまり、阿修羅の強さについてはそこまで描けていなかった印象。この世を滅ぼしかねないから、封印したぐらいの強さは、やっぱり表現が難しいんだな。だれも届かない強さ、みたいなのは難しいんですよ。ここは困ったとおもう。後半はぐちゃぐちゃでしたけど、クラスメートたちの活躍も良かったですね。ふつうに熱かった。ぼくはもみあげくんがけっこう好き。

アニメ版はまたラストの結末が違うらしく、見てみてるとおもう。1~4話ていどまで見ましたけど、ああ、これはボンズ信者を量産しても致し方ないなと。これ以降のアニメはどんな目で見てたんだろう。あと、ぼくは小見川千明すきなんですよ。しかもこれが初声優作品という衝撃。これキャスティングしたやつどんな脳みそしてんの?よう踏み切ったわ。




<+の内容>
えー野中正幸記事( ^ω^)
もう顔文字でもごまかせなくなってきた( ^ω^)

7月余裕!とかいったけれど、
まったく余裕じゃなかった。
すまんな( ^ω^)

8月末~9月くらいか、もうちょい待ってクレイ。8月は本数減るから他のブログに期待を。こんな時勢ですから、なかなか帰省できない人も多いとおもう。ぼくも帰れないんですけど。まあ帰るべき家は売ったんですけどねガッハッハ。今日は親父が夢に出てきてなあ、すこし辛かった。いや、お盆の時期に来てくれたと思いましょう。夢でも会えることは素晴らしい。お線香ぐらいはみなさんも立てるように。では。

山田尚子といえば、小刻みで丁寧な省略コンテを切る、というのが一つのイメージになってきた。


「聲の形(2019)」でのワンシーン

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ここはとある映像を石田くんに見せるのが最も大事なところで、それ以外はぶっちゃけどうでもいい。だけれど、ほかの部分を無下に扱うわけではない。きちんと玄関から入り、おばさんい挨拶する。そういった段階を踏んでいるのが丁寧でいい。

1:石田の家に到着

おばさんに挨拶する

(石田の部屋に上がっていく)

2:屋根裏部屋の直前のはしご

3:カーテンシャッで石田の部屋に到着

(タブレットを取り出す動作)

4:ユヅル「極秘映像を入手した」;ここでもうタブレットを取り出している

5:石田(なんだなんだ)

6:机に置いて一緒に見る


こういう流れ。わずか6カットでここまで丁寧にできるのがスゴイ。大きな省略はないけれど、小刻みな省略、つまり、まあ必要なかろうという部分を的確に省略している。ユヅルが階段を上がったり、タブレットを取り出したり、という部分。

目的地は「とある映像を一緒に見る」にあるので、そこに向かって無駄なく、小刻みにカットを切ることでテンポを加速させる。けれど、突然ユヅルが石田の部屋にジャンプするみたいな、そういった大きな省略じゃないのが山田尚子演出の魅力の一つなのかな。丁寧だよね。


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「私の声ヘン?」の後のシーン。石田が「やってしまった!」という焦りで、スタンドを上げて(2カット目)自転車に乗る(3カット目)。見送りながら、いやいや言わなきゃと焦って自転車のリアキャリアを掴む西宮(4カット目)、急制動でびっくりする石田(5カット目)、西宮どしたん?の石田(6カット目)、止めたはいいがどうしようの西宮(7カット目)



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あまり説明いらないと思うがいちおう
こんがらがった感情でダッシュ帰宅(1カット目)、荷物ドサー(2カット目)、ベッドダイブ(3カット目)、なんかあったのか?と聞くユヅル(4カット目)、メールで返答する西宮(5カット目)、メールを見るユヅル(6カット目)、まじかよびっくりのユヅル(7カット目)

付け加えるならば、西宮を映す画面はベッドで落ち着くまで、ずっと動きっぱなし。ふだんの西宮とは違う、躍動的な動きがある(3カット目は俯角アングル)。一方、ユヅルは傍観しているので、客観的な水平アングルによって止まったままで描写されている。動と静の対比がいいよね。



小刻みなカット割りでテンポを加速させると、ギャップで止めのカットに没入してしまう。最初のワンシーンでいうと、映像を見るシーンに長い止めのカットがあるんだけれど、それに見入ってしまう。小刻みな省略はこういう点でも効果的に見える。ここが一つ、山田尚子演出の魅力の大きな一つであろうなと思う。

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