GOMIstation

2025-1

2020年11月

久々の新作野中作画(※NCです)、そしてこれは一つの到達点だろうとおもう
(こんな人材を独占しているスタジオがあるってマジ?)

ベッドに飛び込むひな:1カット目
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頭部の動きと髪の毛や布のリアクションに注目。飛び込んだ際、頭部は2、3回跳ねて、それに連動して髪の毛がパサパサと動いていく。首を完全に起こした後に、少し首がベッド方向に戻っていくところがすごいのよ。良い仕草・所作とはこういうもの。
(※あと、球体や球面を正確に取ろうとしている。これは2019年ぐらいからの傾向)





だらだらするひな:2カット目★
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身体を捻りながら、上体を起こす。腰~太ももに上体の体重を乗せて、よっこらセイーと身体を起こす。太ももに乗った体重を受けて、右足が浮く。このカットめちゃくちゃリアルですよね。あとはシーツのしわも良い。

たいてい次のカットは、そういうカットに引っ張られてリアルになりがちですが、そうならないのが野中のすごさの一つです。3カット目へ。



うむ!:3カット目★★★
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首をかしげて、肩が少し上がり、髪の毛が少しだけ揺れる。
デフォルメの女の子が可愛く映る。
これが野中だ。これこそが野中作画だ。

派手な動きではないけれど、良い芝居ですよね。このように細かい芝居・仕草を入れることで、キャラクターの性格はよりいっそう伝わる。昨今よく見る目立ちたいだけのクソ作画とは違って、キャラに魂を感じる。そこが良いですよね。



んなことわなぁい!:5カット目★★★
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いやあ、びっくりした。これは野中作画の一つの到達点だろう、とおもう。

なぜ、これほどまでの衝撃を受けているのか。それは野中さんはオバケを昔はこんな風に乱れ打ちしていなかったからです。



2013~14年あたりの野中作画では、オバケ+「線ブレ」or「デフォルメ崩し」で残像を表現してたんですよ。百聞は一見にしかず。ご覧あれ。

未確認で進行形#2(2014/TV)
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真白たんがびっくりしてお兄ちゃんに抱きつくシーン

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こういう崩し方で残像を表現していた。
どこまで崩しても、あくまでも線画だったんですよ。



線画・主線ではないオバケを使うようになったのは、わりと最近、2017年あたりから

エロマンガ先生(2017/TV)#8
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こういう感じです。オバケを使うことで、一瞬だけタイミングをずらす。そして、オバケを少し目に残すように描く。これをなぜ多用し始めたかなんですが、もともと、中抜きのタイミングを多用していた野中さんはおそらく、オバケを代わりに使っている。つまり、中抜き・中無しだった部分のタイミングにオバケを入れている、と思う。


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線がない(主線・輪郭線がない)オバケ

いい意味で野中作画は洗練されていき、2014年ほど中抜きをしなくなりました。ただ、そのタイミングの貴重さ、みたいなものは野中さんも重々承知なはずで、それをもっと良い形に昇華したんじゃないのかな。それがこのオバケの多用に繋がったと考える。


で、この流れを踏まえた上で、今回の「神様になった日」7話の5カット目を見てみましょう。


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同スロー
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ここまでオバケの乱れ打ちをした上で、元の作画スタイルを保つ(洗練されている)のは異常としか言えない。このオバケの多用は、2014年あたりの中抜きタイミングの進化だとぼくは考える。
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この線画なしのオバケ!
線なしのスカッシュアンドストレッチ(潰しと伸ばし)!
いやあすごい目に残る。2014年のタイミングに近い。再現ではなく進化している。


野中正幸ほどのトップアニメーターが何の意図もなしに、オバケ乱れ打ちをするはずがない。2014年のころのパカパカした、中抜きのタイミングを洗練させた。正直に言うと、これ以上進化すると思っていなかった。写実に傾倒した「Summer Pockes」や「バイブリーアニメーションPV」などで、正確なだけで面白くもないリアル系の動きになると思っていた。そういう部分は恥じ入る気持ちです。

野中正幸の作画のすごさとは、リアルと漫画(デフォルメ)の同居にあります。1カット内で、リアルな動きを保ちつつ漫画的な表現を入れてくる。5カット目で言うと、ヒナの困った顔ですよね。こんなデフォルメを入れながら、リアルで可愛い動きを描く。これがすごい。

■シャニマスと、推しと

これは流星の方から「シャニマスおすすめですよ」と言われたときの返信だったとおもう。

それで、付き合いが長い方には指摘されることが多いのですが、こういう「やれたらやる」「いけたらいく」「みるかも!」「やらないかもですねえ(※やりそうな雰囲気だけ残しておく)」というときは98%ぐらいの確率で僕はやりません。そういう認識で、大多数の人からは諦められている。その場しのぎで人生を生きてきたんすよ。ライブ感なんすよね(許されない)。でも、まあ流石に不義理だなあと思ったので、一回はやろか~と思い立った次第。




<推しとはなにか、アイドルに価値はあるのか>

まずは、前提として、アイドルの価値みたいなものがよく分かってなかったんですよ。いや、「モー娘。」のだれかれが好きかといって別に結婚できるわけちゃうやん。なにしてんの君らみたいな。アホなん?金と時間の無駄じゃないかと。ましてや、相手は絵やぞ。どういうこっちゃねん。そういう疑問があった。


さて、シャニマスにおいて、初めてプレイしたキャラクターは浅倉透(ノクチル)

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このキャラがノクチルの中で最もかわいかった、もっと正確に言えば、異質なキレイさがあったので少し気になったし、おすすめされたのでやることに。ADVのようなストーリーゲームにもさほど興味がないんですが、まあ人間とりあえずやってみることです。


「【10個、光】浅倉 透」のシナリオ自体は良い出来でした。ぼくはこういう関係性、とても好みなので良かった。ネタバレになるので詳細は書けませんが、性格の波長が浅倉と合っていたので楽しかった。あ~こういう感じで生きてきたから、分かるわ~みたいな。浅倉、そうよなあ。そういう感じよなあ、って少しずつ分かってくる。性格の波長や感性やものの感じ方、そういう共通なんかが積み重なって、「推し」という存在につながるんだろうなとふと思った。


前述のアイドルの話があるじゃないですか。自分が応援していても、けっして自分のものにはならないだろう、けれど、まるで自分の身内のように応援してしまう感覚。こいつのことはおれがいちばんよく知っているし、いちばん幸せになる方法を知っている、そして、おれは一緒にいたい、そういう感覚ですよね。まあ、この辺は少し個々人で違うのかもしれません。


んで、この感覚にめちゃくちゃ似てるものがあったんですよ。それは馬です。

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ぼくが愛する、ダノンキングリーです。ダノンキングリーには馬主(オーナー)がいます。牧場主もいる。つまり、育ての親も生みの親もいる。ずっと乗っているジョッキー(戸崎圭太)もいる。そして、共同で個人でも出資できる一口馬主の対象馬でもない。だから、ぼくがなにかダノンキングリーに介在する余地はないんです。

それでも、ぼくは世界でいちばんこの馬が好きで好きでたまらなく、「応援」していました。競馬もシャニマスと同じく、1番でないと評価されません。WING準決勝で2位だと敗北するのと同じように、G1で僅差の2着になったところで、戴冠した馬との評価は雲泥の差です。☆1つの差で破れても、2位は評価されませんよね(※というか敗退扱いだ)。ダノンキングリーはずっと僅差で2着でした。それがずっと心苦しく、もどかしかった。「こいつは強いはずだと信じている」けれど、それに値する王冠はなく世間に証明する手段がない。

人間のくだらない思惑に振り回され、去年かれは輝ける舞台には立つことはできなかった。今年の11月1日、天皇賞・秋というレースがありました。これがかれにとっては最高の舞台だったんです。1年越しではあるけれど出走が叶った。世間はアーモンドアイの8冠に注目していたかもしれませんが、ぼくはダノンキングリーの1冠だけを見つめていた。

結果は、足の動きもバラバラで最下位でした。故障かと思われるような、歩様のひどさで、直線でずるずると後退していく様子を見ていました。もうテレビ画面の前でぼーっとしちゃっててね、30分くらい。いまはもうレースなんていっさい見てないんですよ。それぐらいダメージがあった。


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正直にいうと、アイドルみたいなものは見下していたんですよ。いや、自分のものにならないじゃん、なにやってんだあいつらと。しかも、これ絵じゃんと。でも、シャニマスやってみるとね、馬との共通部分がすごくあって、あ、同じだなと。疑問が解消されたんです。ああなるほど、これは確かに、シャニマスのだれかれが好きになってもおかしくはないなと。時間とか金の無駄とか、そういう次元にないんです。

また「推し」という言葉は、ようできとるなあと感じます。「自分のものにはならない」にも関わらず、「我を忘れて応援したくなる」もの。そういった感じかなあと。ただの応援じゃないんですよね。ただの応援じゃ説明がつかない、そういったものだなあ。いや良かったです。ありがとうございます。

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