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まがって、ながれて、さようなら

2021年03月

はい、まずはコメント返信の前にみなさんに説明をします。よく読むように
少し長い(4000文字だって、面倒ダナ)ので休憩しながら、一呼吸ついて、読んでくださいネ


<1、テキストの受け手>
WEBにはテキスト、ブログから各社新聞WEB、動画共有サイト、Twitter、果てはゲーム内チャットなど、さまざまなところに、さまざまなテキストがありますよね。それぞれのサイトによって、テキストの長さや異なる読み方が存在します。

特にこのブログや、個人サイトの300文字以上~500文字以下について、(自分も含めて)多くの読み手はしばしば失敗をします。それは、ななめ読みしただけで、この文章を完全に理解した、と勘違いすることです。たった、これだけの文章なのだから、とななめ読みしてしまう。こういった背景の元で、議論のたたき台となる文章の「誤読・誤った解釈」が起こり、余計な手間が発生する。


実はWEBテキストを読む際に、些細なところまで人は読みません。自分に重要であるか分からない情報にいちいち時間をかけていては、日が暮れるからです。ですから、この失敗じたいは、ごくごく当然と言えます。たとえば、Twitterのななめ読みにより、「ウマ娘3期が制作決定!(1*)」という話題から、「3期作られるのか!」という勘違いをしてしまう。さいきん、戸田恵梨香って結婚したけど、あれって松坂大輔とだっけ?みたいなミスです(2*)。これくらいの、まあ言ってしまえば、そこまで大事ではないことでは、問題はありません。

(1*)いまのところ、そういう決定情報は公式から出ていません
(2*)松坂大輔は埼玉西武ライオンズに所属する投手。戸田恵梨香の婚約者は、俳優の松坂桃李さんです


問題は、重要な事柄、たとえば政治的な発信・情報であったり、とあるアニメの解釈について、「完全に読み取った」という誤解をしてしまい、そこに誤った言及をしてしまうことです。要するに、誤った言及・反応をしてしまうことで、誤った情報が真実・事実のようになってしまい結果的に公式やご本人が訂正されるケースを指します。余計な手間がかかっていますからね。



<2、テキストの書き手と「省略」>
それで、ここからが本題です。ここまでは、WEBテキストの受け取られ方、について説明してきました。みんなが思っているよりも、もっと僕らは情報を軽く、さっと眺めているし、誤読をたくさんする。誤った言及もしてしまうのは仕方がないけれど、影響が大きい話題については再読・再考してから、言及しようねという話。

さて、それでは発信側はどうなのか。発信側たる、書き手はあるていど書いていくと、「自分の主張を正確に伝えること」に重きを置くようになります。自分の主張の精度を高めたくなります。自分の言いたいことを分かって欲しいからですね。

そうしていくと、文章において、「省略するもの」と「絶対に省略しないもの」の2つが出てきます

絶対に省略しないもの」には、主語(S)と目的語(O)があります。たとえば、とある意見があったとしましょう。それが、「書き手のぼくのもの」なのか、それとも「また別のだれか」なのかには大きな違いがあります。なるべく誤読を防ぐために、必ず主語(S)をつけるわけです。目的語(O)も同様に、対象者が「あなたたち」なのか、それとも「また別のだれか」をハッキリと明確にするわけです。

では、「省略するもの」とはなんでしょうか。文章は文字数が増えれば増えるほど、誤読の可能性が単純に大きくなります。ですので、なるべく文字数を減らしたい…そういったときには、副詞・修飾語(M)といった、「それが文になくても成立するもの」を無くします。

実例

1、この映画は、面白い
2、この映画は、めちゃくちゃに面白い
3、この映画は、─四半世紀に渡って語り継がれるであろう─そういう予感がするくらいには、面白い


下線部がMに当たる部分です。1文であれば、さほど、誤読は発生しません。下に行くにつれて、度合いが大きくなっている。巷では、文字数が多ければ多いほど、文章としては高尚になっていますが、文字数をかさ増しするのは、実際のところこれぐらい簡単です。


ではこれが複文になった場合はどうでしょう。

1”、この映画は面白いけれど、映像はイマイチだったとぼくは思う
2”、この映画はめちゃくちゃに面白いけれど、映像は前作のスペクタル感に欠けてしまい、そこまで良くなかったとぼくは思う
3”、この映画は、─四半世紀に渡って語り継がれるであろう─そういう予感がするくらい、には面白いけれど、映像に関しては、まさしくその作品の素晴らしさとは反比例するかのごとく、落ち度が目立ったものとなったとぼくは思う


どれも基本的な主張は、「映画は作品としては面白かった、でも映像はビミョー」というものですよね。下にいくにつれ、修飾語や明喩が増え、わかりにくくなります。こういう文章に、よくある「誤読」は以下のような感じですね。

この映画は、─四半世紀に渡って語り継がれるであろう─そういう予感がするくらい、には面白いけれど、映像に関しては、まさしくその作品の素晴らしさとは反比例するかの如く落ち度が目立ったものとなったとぼくは思う
おや、真反対の主張になりましたね。これがこの記事で繰り返し述べてきた、読解の失敗である「誤読」です。書き手がなにを言いたいのかまったく分からない、誤読を招くクソポエムを書く場合がある。つまり、いつも受け手に責任があるわけではないのです。

ちなみに、これを避けるためには、書き手は基本的に複文を避けます。
つまり、2文に分けます。

この映画は素晴らしく面白かった、歴史に残るであろう。しかし、映像はその素晴らしさとは反比例するかのごとく、落ち度が目立ったものとなったと私は捉えている。
こうしてしまえば、誤読は避けられます。



それで、やっとこさ本題のコメント返信にいけるのです


コメント返信その1/0327決定版
http://royal2627.ldblog.jp/archives/57817850.html
きつい言い方になるけど、好き好んでやるなら好き好んで苦労しなさいっていうのと、文章と会話は違いますよって辺りかなあ

特に煽り形式は対面でないときに使うと、一方的に「感じ悪い」と思われる可能性がある
2021-03-29 05:05:54 D虫

まずは、コメントどうも!
好き好んで~に対して;ぼくは「お知らせ/*」の記事において、そもそも「親父が死んだダメージが予想以上に大きかったみたいで限界だから、今はおやすみするよ」と宣言をしているわけです。で、上の記事においても、以下のように、好き好んでやれる余裕はなくなったと明らかに主張をしている。
好きだから、書きたいから、たった1人にでも伝わればいいから、そういうので、本来いいんですよね。でも、もうその伝わったときの喜びが書く苦労を超えなくなってしまった。ここまでキて、限界を超えて書こうを思えば、金しかないでしょうね。

コメント返信その1/0327決定版より
つまるところ、ぼくはいまちゃんとした文章(*)を書く気がないわけです。
(*)アニメに関する文章

ですので、苦労はそもそも発生しない。書く気がないのだから。好き好んでやるということは現段階においてありえない(できない)と2回にわたって、ぼくは述べているわけです。こうなると、「あなたはきちんと文章を読んでいるのか?」という疑問が生じざるを得ない。そうでないならば、こんなよく分からない内容にならないだろう。よく読んでいなかっただろう、だんごむしくん?反省したまえ。


煽り形式~に対して;
これは僕の文章のアジテート方法論についてですね。「お前らオタクは本当にバカだから、教えるけど~」みたいなくだりを僕はときたま入れるじゃないですか。まあ、入れるんですよ。それで、あれはスパイスだよっていう話で、まあ今回の記事でも何度もいってますけど、みんな文章を本気で読まないので刺激物として「煽り」を入れているという前提があるんです。授業中に眠いと、生徒はうつらうつらするから先生が大きな声を出す、みたいな。

印象が悪い/感じが悪い/人格を疑われる…etc
この系統のことはもう仕方ないかなと思って、べつだん気にも留めてない。前回も書きましたが、なにを書いても、手練手管を尽くして書いても、書いてある内容とは別のことを穿って、ぼくに悪い印象を抱く人は存在するわけです。それ系のことについて、ぼくが他人に作用できることはないんです。お天気は変えられないので。この太陽キレすぎワロタ、って感じですよ。

ぼくとしては、このていどのジョークも通じねえからオタクで脳みそメロンパンなんだろうな、と理解が深まるばかりで、それ以上ないんですよ。コレは心配してくれているんでしょうけどね、その辺はべつにもう慣れたというか、何十、何百万といるネット住民に対してすべてのカバーはできません。それがぼくの結論です。

火をつけたとして、対面だと反発も同意も応答の中で消していけばいいけど、文章だと自分でつけた火は自分で消さなければいけない

イアキさんの場合、火をつけてコメント待ちで消すタイミングがない、みたいな時がありそう

この場合の火っていうのは、どこかの炎上とかじゃないよ。話題の盛り上げ方の話ね
2021-03-29 06:05:45 D虫
これも同様に、「文章中における刺激の長所/短所」についての話ですね

いま現在自分が大きく抱えてしまったことは、なんで自分をすり減らしてまで、誹謗中傷(*)するようなオタクどもに伝えたいと思っていたんだろう。オタクはコンパクトな情報を摂取することに必死で、そのあまり思考力が減り、ネトウヨになって、独裁政権と化している自民党でも支持しているクズばっかなんだろうな、という根本があります。自分をすり減らしてまで書く理由が見つからないから、おやすみするねと言っているわけです。
(*)とうぜんですが、アジテートがない文章にもたくさんあります

刺激、つまり文章におけるアジテートが一定の読者を怒らせ、よくないことになってしまう。それをどの辺で、「はいこれはあくまでも君たちを起こすための刺激物です」、というネタバラシを行うか、そのタイミングがないんだろうな、という感じの指摘だと思うんですが、あまり関係がないというのが正直なところです。

そういう表面上の小手先の文章テクニックによって、オタクから暴言が飛び交い、それによりなにか気に病んでしまったとかそういうものではなくて、もうこいつらに伝えても可能性ないなあという感じで。そういう根本がゆらいでしまった。アジテートはどうでもいいです。そういう表面上の問題ではない。



こんかいはここまで
手間がかかったわい

令和になっても、コメント返信とは!
(※いや、これは一周まわって新しいのでは?)

FC2コメントが思ったよりも溜まっていた、あらまあ

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なんかなあ|4/13

http://royal2627.ldblog.jp/archives/56642111.html
私が常日頃から思っていることを端的にわかりやすく述べている。素晴らしい
これは去年の4月なので、新型コロナについての検査体制を増やすかどうかで論争が起きていたときですね。スンナ派(笑)とかがいたとき。新たな疾病が発生したときには、検査は確実にすべき(※放置すれば新しい患者を増やすだけですので…)で、検査対象も増やしていく、検査の感度が悪ければ改善していく。その繰り返し。これだけのことなのに、マア世の中は権威と理不尽、とあとなんだ、政府への忖度か?(笑)で、なぜか「検査をするかどうか」だけで1年も揉めた。そんなのは日本ぐらいですよ。前代未聞。

そういうことにTwitterで述べても、ブログで述べても、みんな”タブー”として、避けるわけです。とても冷笑的、というか、事なかれ主義というか。異様なまでに、対立を避ける。PCR検査をするか否かについて広島県はきれいな回答を出しましたけどね。それについて、合理的に反論すればよろしい。いやあ、まさしく脚気のときと同じだったんじゃないのかな。鈴木梅太郎は農学部出身でしたので、論理や合理やデータをもっても、派閥には勝てなかったらしい。もう少し、脚気については知りたいな。

Twitter医師団(笑)は確実に、インフルエンサーとしての責任を取るべきです。あなたがたは一般の方とは異なり、専門的な知識を有している、とみなされるのだから、スンナ派のような被害者を増やしたことについてケジメをつけるべき。逃亡すな。EARLとか、あの手のは犯罪ですよ。


お知らせ/*あまりいい読み物ではない
http://royal2627.ldblog.jp/archives/57780350.html
1. 名無しさん2021年03月11日 20:26
何ヶ月先、何年先になってもかまわない
気楽な文章でもいいのでいつの日かあなたの記事を読める日が来ればいいと思っています
ご自愛ください
ひと月も経たない内にきてしまって、どことなくバツが悪いなと感じている。まあ、これは記事と呼べるものかわかりませんが。あほみたいに気楽な文章にしようと思います。なんせ、ブログですから。大層なことを書こうとしている段階で、なにかを背負ってしまっている笑。神経質な性格がなせる技です、本当に良くない。コメントありがとうございます。

どこかしら、なにかを述べたところで、ぼくの言いたいことは伝わらないのではないか、という諦めがずっとあって抑えきれなくなった。いや、そんなの当たり前じゃないか、と。分かります。納得はしている。世の中にはどんなに言葉を尽くしても、自分の好きなように文章を捻じ曲げて、捻じ曲げた紙を紙ヒコーキする人々が大勢いるのだから、と納得はしているのです。

では、それでも、なぜ文章を書くのか。そういうところに行き着いてしまった。好きだから、書きたいから、たった1人にでも伝わればいいから、そういうので、本来いいんですよね。でも、もうその伝わったときの喜びが書く苦労を超えなくなってしまった。ここまでキて、限界を超えて書こうを思えば、金しかないでしょうね。

感動を他人と共有すること」に価値を見出だせなくなってきてしまった。そういう感じ。どうせウマ娘でバクシン萌えーなんて言ってる連中に競馬のスプリントレース(1200m)の素晴らしさ、たとえばキングヘイローのあの苦難の末、たどり着いた宮杯のG1勝ち鞍。グランアレグリアのあのスプリンターズステークスの怪物さ。それらは、どうせ伝わらない。自分が抱いた感動を、他人に伝えることはもはや難しくなってしまった。

Wikipedia(笑)をただただ引用したような記事がウケていて、ぼくはショック(※というか、呆れた)。ああ、ネットの諸君、オタクの諸君は、やはりコンパクトな情報を摂取することが、自分たちにとって重要だと勘違いしている。自分で調べもしない、探しにいかない、かといって、他人に聞くわけでもない。コンパクトにまとめられた情報を摂取し称賛することで、情報強者な自身にナルシズムを覚える。もはや知識に価値などないのに。本当に価値があるのは、その知識・情報に熱気があるかどうかなんですよ

正確な情報よりも、熱気のある情報、とぼくは昔から思っています。この人にしか書けない文章があると信じている。この人にしか、書けなかっただろうな、というコメントすらある。やっぱり楽屋情報(※当時の裏事情とか、そういったトリビア的なモノ)を得て、悦に浸る人々を見るに、苦笑いしか出なかった。どこかしら、やはり権威主義的なものは面白くない。



お疲れさまです。どうぞゆっくり休んでください
(FC2拍手コメント1:匿名)
染み渡ります。お心遣い、ありがとうございます。「お知らせ/*」と題した記事を書いたのは、去年の10月ごろから限界が来ていたにも関わらず、中途半端な態度でずっとなあなあにしていたのが気に食わなかったからです。もしかしたら、察してほしかったのかもしれません。

こういう記事は、実は何度も書いては消しました。まだ行ける、まだ舞える、そういうのもあったけれど、いちばんは恥ずかしかった笑。書き手の状態など、ぶっちゃけると、どうでもいいわけであって、それはポエムにしかすぎないわけです。そういうものを載せるのに抵抗がありました。正直にいうと、怖かったです。でも、まあこういう風なコメントをいただけると、ああ悪くなかったかもな、と思えるので出してよかったと思えます。ありがとうございます。


ガキのモードの著者の葛西です
たびたび読ませていただいていましたが、そんな大変な事情があったとは……。落ち着いたときに、また戻ってきてください。
(FC2拍手コメント2:EAB(葛西祝))
だれだよ(ピネガキ風)
嘘です。じっさいにこうやって交流するのは初めてですが、お互いに認知はしていたはずでしょうね。自分のサイトの個人リンクにもありますね、17.5歳がうんたらかんたらのブログをやっている人です。ぼく個人が配信なんかでお名前を出すときは、ガキモードの人って呼んでたかな。

ガキモードの人のブログについては、なんだろうな、ご本人が言われるように、書き散らしという表現がいちばん合っているとおもう。作画でいうと、ストレート・アヘッド、書き送りのような文章。さいきんはあまり更新されてないですよね。

ああ、ローリング・ガールズをデザイン的に?とても絶賛されていた記憶、2年間ぐらいローリングガールズのエフェクト作画を見なきゃなあ…と思っていました。さらにそこから5年くらい経った、ダメな典型例ですね。こういう積み重ねが私めのブログでございます。いやあ、これについて言えてよかったあ。ロリガのエフェクト見れなくて、ごめんね。

要するに、やはりみなさんとは下地や背景が違っているんですよ。アニメを視聴することがそこまでできない。キャパが少ない。余裕があるときでも、1クール2~3本だった。みなさんは、いい感じにアニメファンじゃないですか。むしろ、サブカルチャーまでも手広く分かっている。ぼくは基本がそこになく、アニメ作品の話数別/きわめて局所的なアニメーター掘りでまきまきいっぱいでしたので。

そこは純粋に羨ましいポイントですよね。アニメが習慣ではないので。自分の苦労はわかりにくいところにあると思う。別にアホほど見ていた時期もないので。



義手の描写とその変化/エヴァガ(2018)
http://royal2627.ldblog.jp/archives/56948862.html
おもしろかったです。普段身の回りにアニメのこと語ってくれる人とかいなかったのでこういう話聞けるだけで楽しい
投稿者:山本
いやあ、ありがとうございます。語るというのは、やはり視点の違いぐらいに思います。そんなに高尚なものではない。

もっとも、自分の読み取れていない、うーんなんだろう、要素や、読み取れていたとしても、それぞれが接合しないように(思われる)要素を、どこかしらで繋がることで、ひとつの形をつくる文章を読むのは面白いです。簡潔にいうと、視点を作ることができる、みたいな。独特の視点、というのは、(言葉にしてみれば)要素という最小単位がどのようにつながるか、というだけですけど、マア感服したものはたくさんあります。

ヴァイオレット・エヴァーガーデンでいえば、要素に当たる部分が僕にとっては、”義手”ですね。でも、この記事はちょっと強引だな笑、とくにラストは。エヴァガは僕にとって、2話でオチているんですよ。義手の女の子が歩み出せそうだな、って感じで。その義手がビジュアルとして、きわめて、精緻に描かれている。彼女の性格を映すように描かれていた。だからといって、2話まで見ればいい、という話でもありませんけど。別にヴァイオレットの由来とか、少佐への思いとか、僕にとっては基本どうでも良かった。2話に惚れていたという話ですね。



こんかいはこのへんで

シン・エヴァ、もうすぐですね。あとわずかで新劇場版のエヴァが終わってしまう。そのことに正直にいえば、驚きは隠せません。

ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Qを見てきました
http://royal2627.ldblog.jp/archives/20047216.html

これ、このブログのいちばん最初の記事です。いい意味で、素直に、実直に書けている。自分の思いを10割、白状している。本当はこのためだけに作って終わりだったんですよ、ゴミステーション。


たくさんのご縁に恵まれました。本当に。

比喩でも謙遜でもなく、人生でアニメを僕はほとんど見たことがありませんでした。これを読んでいるみんなの方が見ているとおもう。教育家庭だったからですね、母は数学教師、父親は塾の経営者。ディズニーとピクサー、ジブリとドラえもん以外は見ることが基本的には許されなかった。友達がクレヨンしんちゃんのピクニックシートを持っていたりするのは、すこし羨ましかったけれど、家庭の状況が大しておかしいとも思わなかった。

それで、教育家庭だったので、アニメにおいて、ぼくにあったのは論理だけなんです。当時は、田中宏紀とか、まあ今でもそうですけど、アクション作画がメインストリームだったので、それらには対抗できないと考えました。だから、エフェクト作画に特化する必要があったんですね(*)。その成果は2014あたりですぐに出ましたね、時期も良かった。

でも、別に小説が好きなわけでもなかったし、何なら苦手だったので、文章を書くのは難しかったです。まあ慣れたら、それとない文章はいくらでも書けるようになれます。その、自分が憧れた文章にはなかなか至れないなあという感じで。ああいう文章を書きたいな、という一心で、書いては消しを繰り返してきたと思う。



では、なぜ今このような女々しい文章を書いているか。
やはり限界が来てしまった、から。

「宝石の国」08話/CGとプリヴィズ(松本憲生作画)の比較と分析
http://royal2627.ldblog.jp/archives/52552846.html

この記事を出したあたりで、自分の父親は死んでしまった。まだ50代だった。まだまだ生きれた。自分の父親は、身内びいきとしても、客観的に見ても、一人の講師として、完璧でした。小学校と中学校の5科目、すべてを一人で教えきる上、大学受験の対応までしかけた。恐るべきことです。作った3つの個人塾はどれも成功しました。つまり、どの地域においても人を集めて合格させた。まさに、超人としか言いようがなかった。

金勘定なんて些末なものは置いておいて、父親のすごさは、徹底した”指導”にありました。みなさんが思っているような、指導、たとえば、数学の解説がうまいとか、英語のここの教え方がうまいとか、そういうものではありません。そういうのはあまり次元が高くないんです。

数字の書き方からスタートするんですよ、最初の面接で直させる、「こんな6の書き方をしているから計算間違いをする」と。でも、それを直したら、おまえはもっと成績が今より上がると言う。で、この世の中、そのあたりを、しっかり言ってくれる講師はいないわけです。ご父兄もそれは信頼を置いてくれる。素晴らしい、完璧としかいいようがない。

そんな父親と、ぼくの性格や考え方は瓜二つでした。で、他の兄弟や母親には伝わらないであろう、意見を交換しました。小さいころから、ホワイトボードと、カラーペンカスの匂いが当たり前の中では、おれも一緒に、いつか父親と塾をやる日が来るんだろうな、とふんわりと思っていた。まあでもそれは今じゃなくても、いいかなと思っていた。なんとなく、自分しかできないなとも思っていた。

死んだ直後から、激しく、とても激しく、何日経っても、何年経っても、後悔をしている。もはやそういった気持ちを隠せなくなってきたんです。押し殺せなくなってきた。父親が死んだ後の塾の残務処理は、とてもやりがいがありました。本当にご父兄も優しく接してくれて、いっさいのトラブルなしに終わりました。周囲のお心遣いはありがたかった。父親の人望がなしたものとも同時に思った。

そして、父親と数十年来の付き合いがある会社の方から、なんとかこの塾を残せないか、と何度も打診を受けました。特殊な考え方を、ほぼそっくりに持った一人の人間がいるんだから、それは僕でもそう思う。やや傲慢かもしれないけれど。ただ、その人間には、なんにもなかったんです。中学5科目教える力量も、いや数学1科目でさえも、まったくになかった。新しい塾をスタートさせて、いちから中学科目を学び直しながら、生徒に教える勇気さえもなかった。自分の体調すらままならない人間だった。空っぽだった。

それが別にブログのせいとかではなくてね、その時点で、なにか一つくらいは、せめて体調くらいは、よくしておけばよかったという後悔があったのが、とても虚しかった。ひどく、とてもひどく、自分を恨んだ。人生で他人から大きな期待を持たれるなんてのは、さほどないことです。応えられないのが、とても申し訳なかった。

あと響いたのは、実家のこと。
形見分けで荷物を分けたら、あとは実家を売るだけ。実家を売却する際に、何十年も親しんだ親父の、クローゼットとか、ベッドとかも捨てなきゃいけないわけです。産廃業者を呼んで、かれらはいっさい悪くないんです、事情なんて知らないんだから。親父のベッドや、机が、粗大ゴミのように扱われるのは、たまらなくしんどかった。窓から放りなげて、壊して、間を適当に埋めて。がらんどうになった自分の部屋を見て、やはり寂しくなりました。

それは、あらためて父親の死をぶつけられるようなもので、思った以上に、何十倍もしんどかった。みんなも、そういうときがいつかは来るけれど、遺物整理は1人で絶対にしないようにね!家族で手分けしてやろう!ダメージは分散するんだ!

すべての処理を終えて、東京に帰ってきて、やはりここ数年は精神的に参っていた、と思います。冗談抜きで、競馬とブログと家族と友達がいなかったら、そこらでおっ死んでいた笑。正直にいえば、ほとんどの物事は楽しくないんですよ今は。なにをやっても、なにかを変えても、ちらつくのは、後悔ばかり、父親の姿ばかり。

だから、少し今は休ませて欲しい。それがお知らせです。

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