これは事前から書いていた記事です。
お蔵入り予定だったけれど、暇だから出す。



■塾の子から見る世間

親父は塾の経営者、母親は数学教師(※ぼくが小学生時にはすでに辞めて家庭に専業)、そんな家庭でどういう風に育ったのか。もっといえば、あるあるを言いたい。誇張される教育広告では、「そんな偏差値ではダメ、現実を見ろ」とか、「勉強しろとは言われない」とか、「教科書だけやったら東大・京大に受かった」とか、過度に特殊なケースをよく見ます。すべて是正する。



1、まず基本的に塾をやっている親でも「勉強してるのか?」みたいなことは聞く


ここでは、「勉強しとんか?」みたいなクエスチョンから入るのがミソです。勉強しろと命令形に言われたことは少ないような、まあもう常日頃から勉強というものが身近だったので、言われて嫌だったのは中学生時くらい。つまり、一方的な押し付けではなく、コミュニケーションを大事にしているんですね。ここは塾関係者だったら首をぶんぶん振って同意してもらえるところ。

Q1
勉強してんのか?
そこそこしてる
なんか問題でもあるんか、なんかあったら相談しろ
はい


同Q1
してない
どうした?なにか悩みでもあるのか?
気が入らない、分からなくてヤダ
分からない問題があるならもってこい、こうやってやれば勉強は楽しいぞ


こういう信頼関係の構築をベテラン講師はもっとも重視します。ぼくは「ご審査用見本」をもらって勉強していたので、「分からないところがあったら、すぐにもってこい!」と22時ごろに帰宅した親父によく言われました。分からないところは「◯F」マークをつけて、すぐに質問できるように改善しました。


当時、勉強がうまくいかなかったお兄ちゃんに、父親が「弟のやり方を見習え!工夫しろ!」と言っているところを目撃したので、兄貴はこういうのやらないのか、ふーんとなっていた。まあ兄貴は勉強ぎらいでしたね、かれはちょっとした勉強さえ突破してしまえば、センスの塊でしかなかったのでもったいない印象でした。



2、質よりも量は間違いない

うちの家庭は3兄弟ですが、姉貴も兄貴も5科目、特に理数のセンスは抜群だったと思う。ぼくは算数以外できなかったので、いちばん不出来でした。でもかれらは根本的に勉強が嫌いだったので、問題集は山のように残りました(※ひとりは私立まで行ったのに…)。で、ぼくは小学生時代には、やることもない(※友達も少なかったし1人遊びが好きだった)し暇だったので、兄弟が残した問題集をやっていた。完全なるゲーム感覚。勉強は大好きだったので、ひたすらやっていた。

そこそこの大手塾の難関クラスに入りますが、ここで問題は発生しました。ぼくは塾の子に生まれながらも、きわめての緊張しい・上がり症だったのです。勉強についていけないとかではなくて、教室空間の雰囲気が苦しかった。親父の塾の空間は平気だったので、まあ大手特有の気持ち悪さ(※余裕がいっさいない雰囲気/ピリピリした雰囲気;なんなんだろう?あれは?嫌だよねえ)、みたいなものが嫌悪の対象だったんでしょう。行くたびに体調を崩していた(※ワロスwww)ので、せっかく入ったのに辞めた。だから、自宅テキスト学習のスタイルに落ち着いたんですね。


量は質を上回ります。課題の量をいたずらに増やす、ということではなく、簡単な、とてもイージーなものからノーマルな難易度の問題を繰り返し解くことが重要という認識ですね。そして、同じ問題集をひたすらに繰り返す、ということが最も重要です。類型問題を解くメリットっていうのはほとんどないんですよ。数値が少し変わったり、文面が違うだけなので、同じ問題を何回も解いた方が定着の効率がいい。




3、家の外の方が勉強は多かった

つねに、自分の父親は疑問を子どもに投げかけました
飲食店にご飯を食べにいって注文したあとの待ち時間に、「あの機械はなんでおいてあるのか/どういう目的で使われるのか?」「どうしてこのテーブルには、他のテーブルとは少し形状が違うのか?」みたいな質問をしてくる。まあかれは、独り言を言いながら、なるほどああなっているのか、と仕組みや構造を常に考える人だったので、それが漏れ出た感じ。強制させる感じはなかった。

なんかナゾトキしている感じですよね。なんで、うな重の方がうな丼より高いのか、とか疑問を連続させてぶつける。考えさせるんですよ、答えを出すわけでもなく、なにか答えるわけでもないんですが。というか、親父自身も話しながら整理していた。あとは、素直に体制に従わないこと、反骨心もその辺で培われた気がする。簡単に納得しない点で、ですね。

ネトウヨや無思考人間、冷笑主義者になってないのは両親のおかげですね。マジで周りの同級生はすべてにおいて従順でしたよ、今でも常に従順だし自己責任原則・周りと共同歩調・同調圧力で生きてる人がとても多い。従うことしか知らない。疑問すら抱かない。怒りを抱かない(※怒りを抱くことをダサいと思っている節すらある)。これは20代後半のリアルですね。ヤバイわよ!

あとは車のナンバーを四則計算して10にする計算とか常に(お遊びで)やっていた記憶。暇つぶしで。あれ面白いっすよ。計算能力に大きく寄与した感じはしないけど、なんというか執着心がつくんですよ。こいつを絶対に10にするという根性がつく。さいきんは改善して、お釣りが何円になるか、そのお釣りの硬貨の枚数はどうなるかとかレジで暇なときにやっている。




3、教科書だけで東大は真っ赤なウソ

これは明確にウソです。騙されないように。

灘・筑駒・開成などの超進学校は、センセー特製のプリントをクソほど(※一歩まちがえたら潰れるような分量を出します)配って演習するので、そこで力がつくんですよ。アホみたいに小テストもする。教科書だけはマジでウソです。圧倒的な演習量で制覇するんですよ。灘や筑駒の教育の質はいいだろうけれど、基本的に物量ゴリ押しですよ。高1の段階で高3の勉強まで終わるんだから、そら余裕でしょう。2年間も受験マシーンになれる時間があるんだから。

中高一貫の強みが出ますよね。高校受験を挟まなくていいんで。そういうことで、中高一貫の流れは岡山にも数年前からあって、段々といい感じになってますね。岡山大安寺という学校は、岡山5校というくくりの中では、そこまでレベルは高くなかったんだけれど、近年になって中高一貫を導入。その、一期生が圧倒的な結果を出しました。阪大は7人受けて7人合格。



岡山5校の勢力図は変わる…!となる。岡山朝日はあと5年も経たないうちに抜かれちゃいますね。これ以降の流れとしては、中学受験がもっと熾烈になりますよね、ついに地方までこの流れが来たかという感じ。




4、偏差値以外の教育をする/人生を見据えたロングスパンの進路選択

偏差値を重視しないわけではないけれど、20代前半あたりまで、もっといえば30代あたりまでを見越して、うちの父親は進路選択をさせていました。だから、偏差値は高いけれど、ついていけない可能性が大きい高校よりも確実についていける高校にしたほうがいいと助言する。地方は本当に良い塾が少ないので、高校からは自分で、自宅学習でどれだけやれるかっていう話をするんですよ。塾でそういう話をするんですよ、すごいでしょ?

これがなんですごいかっていうのは、塾事業っていうのは、もう実績ありきなんですよ。「〇〇高校に何人合格させた!」っていうので、保護者も基本的には選択や信頼をするわけ。岡山5校でいえば、岡山朝日、岡山操山、倉敷4校でいえば、倉敷青陵、倉敷天城に何人通したかでご父兄は塾の評価をなさるわけです。だから、受ける高校のランクを下げるっていうのは本当に英断以外の何物でもなく。これを真摯に、まっとうにやれる塾なんてそうそうないんですよ。


寝ても覚めても、塾のプリントをずっと改善してもっと良いものをと、試行錯誤を繰り返す人でして、そういう本物を超えた超人を見ていると、学校の教師とか、他塾の先生っていうのは、アホ面にしか見えないわけです。ああ、いっさいこだわりのないプリントだなとか、ああ、こいつ自分の保身しか考えてないなとか、そういうのが一瞬で分かる。逆にこんなに楽しくない/汚いプリントを、よく作れるなあと感心をする。レイアウトや色が命なんです、意外にも、プリントやテキストは。楽しくやれることがベストなので。