GOMIstation

2025-1

2022年08月

リコリス・リコイル、話題ですね
話題には乗っていけ精神で見ましたが、すごかった…( ^ω^)

これを超える1話はマアそうそう出ないでしょう
それぐらいのレベルじゃねえかなあ、とおもう




*タキナがDA(組織)から追放処分されるまで
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追放処分とその理由を3カットで終わらせ、



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DA組織トップの処分理由のグダグダした話はそのまま続きながら、
タキナはDAの寮から新しい配属先へ移動する

この流れるようなカット割り!


極めつけは7カット目で、タキナへのそれぞれのDA隊員?の思いを1カットで描写
うんまい!( ^ω^)



──さて、改めて振り返って欲しいのですが、1話ではとんでもない数の端役が出てきます
・DAのトップ
・DAの同僚
・刑事
・センセイ(ミカ)、ミズキ
・アラン機関のボスっぽい人
・ウォールナット
・依頼者の女の人
・拉致する下っ端

…とこれだけの人物が登場するのですが、ぼくらはほとんど混乱しません。

なぜなのか?
それは、「画面内の人数」をコントロールしているからです。


例1
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初対面のタキナとセンセイ、ミズキのシーン


例2
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刑事をタキナに紹介するチサト

はい、察しの良い方はもう分かりますね( ^ω^)
そうなんですよ。どれも初登場時は「3人以下」に整理されている。
画面内のキャラクターは極力3~4人以下にしている、リコリス・リコイル1話



例3、4
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ヤクザへの訪問 / 依頼者との話し合い


この画面内の(情報量)コントロールにより、登場人物多くても、物語が追える
つまり、テンポよく(物語が追えないことがなく)楽しめる、ということです。




*チサトのいつもの風景に付き合うタキナ
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タキナ(幼稚園→日本語教室) / マッチカット
(※マッチカットとは、似たようなモノから似たようなモノを使って、画面をシームレスに切り替える技法のことです。満月→月見バーガー、みたいな)

ここではタキナの顔から、タキナの顔へジャンプ。しかし、シーン・状況はめっちゃ変化してる。そう、場所じたいが変わってる。この状況の変化からは、とつぜんな・唐突な印象を受けますよね。それがマッチカットという技法の面白いところ。




マッチカットといえば、映像のテンポを支える重要な技法の一つ
テンポといえば…このシークエンスも良い( ^ω^)


*タキナの勘違いを制止するチサト ★
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ここのカット割り・作画は上手かったですねえ


タキナ、怪しい匂いをヤクザから感じる

カバンから拳銃を取り出そうとする

左手で軽く制止するチサト

なぜ止めるんだと言わんばかりのタキナの顔(付けPAN)

このシーンでは、チサトが左手だけでタキナを制止しているので、チサトの底知れない強さが示されます。いいシークエンス。


同スロー
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左手はパーで、サッと押しただけ、というのもチサトの自然な強さが出ていて良い。
目線はヤクザの組長と合ったまま。つよそう(小並感)




◆テンポで分かる、チサトとタキナの強さの違い


*タキナの装填(リロード)シーン
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いっさいの無駄なく、マガジンをカバンから取り出しリロード
小気味よく4カットに分けて、正確さと早急さが強く映る

いっけん誰よりも強そうですが、


*アバンのDA
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そう!これはDAにとっては当たり前のこと
手際がとても良く、スムーズに制圧する
いっさいの無駄のなさが、逆にすごく不気味さを煽る

これを序盤から繰り返し映していた




それでは一方、チサトはというと、

*チサトの装填(リロード)シーン
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DAに比べると圧倒的に、ゆっくり・ゆったりと
(細切れなカットにはならない、これは完全にDAやタキナと差別化してる)

この戦闘シークエンス全体を見ると、タキナにとっては軽いお散歩のような感じ
チサトはDAとはまったく違う」、そういう風に映る


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佐藤もそう言っとる( ^ω^)
(ファブル7巻123頁)





*身体を動けなくしてからのワイヤー弾 ★★
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付けPAN(チサト)→(ワイヤー?)
チサトが近寄りながら非殺傷弾でザコの動きを「ゆっくりと」止めた後、ワイヤーガンで拘束をする


なんてことはないようなカットだけど、
これはふつうカット分けて2つのカットでやるんじゃないのかな~と
途中から、カメラがチサトのPOVに変化してるんですよ


うむ?なに?ムズカシそう?
ここからじっくりと解説するから安心シタマエ( ^ω^)



よく分かるカイセツ!
<カメラワーク>
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(※手前の青いのはカメラです)
最初はチサトが非殺傷弾でザコの動きを止めるところ、
つまり、2人を客観カメラで映していますが、



チサトが画面外に行くと、
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こういう風になりますよね。
だからこれって、途中からチサトはザコと対面する立ち位置に回った。で、そこから、ワイヤーガンを打ったと考えるのが自然。前後のカットを見てもそう。

すごいのは、途中から、カメラがチサト(もしくはチサトの銃)の主観視点(POV)になっているところ。1つのカット内で、カメラの視点が変わるのは珍しい気がする。あんまり見ないなあって、こういうカット。ふつうは2つのカットに分ける気がする。



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んで、こんなめんどくさいカットにした理由を考えたい

こんなの必須ではないですから。

このシークエンス全体を通して、チサトはDAとはいっさい違うアクションを見せます。それを踏まえて考えると、ガンアクション特有の爽快感は持たせつつ、チサトの「ゆっくり・ゆったりとした感じ」をキープするために、こういうカメラワークにしたのかな、と。そう感じる。

HN:名無しさん
この話に「おっぱい」結びつけるの笑ったw。そっか、オウム真理教の成功例か...。その通りですね。世界線を移動したい。記事がとてもおもしろいんじゃ。その文才くれ~
とりもなし、とりもなかずば、とりあえず/統一教会とおっぱいと
http://royal2627.ldblog.jp/archives/59556416.html


ぼくは普段から細かにメモってるだけなんですよ~統一教会や創価学会についてもそう。タブー化しちゃいけない、っていうのはまさしくで。というか、この記事それなりに面白いのか、それは良かった。成歩堂クン放置したまんまで、ああっ!wってなってたんですけど。良かったです。

んで、マジで感じたことしか、ぼくは書きません。「おっぱいの大小に対する偏見」と「カルトにハマりやすい人の偏見」の構造が似ている!と思って書いたので。カルトを調べていたら、両者の構造の似通いに気付いた。是非はともかく、似てね?ってなった。

なんだろうなあ、お褒めの言葉は本当に嬉しいのですが、上を見ればキリはなく…

文才っていうのは、なんというか某刀圭屋さんだったり、某彗星の人(※いまはもうやってないけど、ちょこはめさん)だったり、ぼくが知っている限りでは彼らのような文章ですよ。ああ、美しいなっていう、実直・真摯に書いている文章で、それが人を引き付ける魅力を持つ、みたいな…うまく言えないナア…自分の文章は良くも悪くも技巧的なんですよ、こうナチュラル感がない。

これ自分を卑下しているワケではないのです
こういう文章はそれなりに物書きしていれば書けるもの、みんながアウトプット的に書いてないだけ、とちょっと思ってしまう。休んだ時期はあるけど8年ぐらいだぜえ?そら、それなりには書ける。

もっと上に輝く文章はいっぱいあるわけじゃんね?それ見ちゃうとなあ…という
でも、楽しんでもらえたら幸い!それは喜ばしいことなので!

更新意欲も増します、みんなはアニメの記事を読みたいはずだけどね( ^ω^)
この更新頻度でわかるやろ?そろそろや、もうちょっとマテイ


でも、ぼく(そして、あるていどの良識がある人たち)にとっては、統一教会のようなカルトが、政界に入り込み、司法や警察ともつながりがある…そういう、オウム真理教の成功例(※もっと確実に把握できずに成功している;根がどこまであるか分からない)となってしまったことはとても恐ろしくて、「他のブロガーは逆になんで今アニメのこととか書けるの?」っていう思いですね。

いや、別に責めてる・煽ってるわけじゃなくてね。すげえなあっていう感じ。おれはアニメ記事だしてないから。だせない。衝撃だったもん、安倍首相の暗殺事件から統一教会の一連まで、まるっと衝撃だった。リアル「20世紀少年」じゃんねって。あれから、ずっと統一教会を追ってますよ。



<正当な怒り>

あとは、もっと怒らんと、日本人は
従順すぎねえか?
もう気分従順、ヘイ従順!で歌つくれますよ

文句つけるのがダセー」という認識もってる人が多いと思うんですけど、文句つけないと物事って変わらないんですよ。待遇も。あるときね、クソみたいな通信販売があって、ある手段でしか退会ができないのに嘘の事実(他の方法でも退会できる旨)をぼくに伝えた。だから、それはちゃうやろって怒鳴るんですよ。

そしたら、サービスはきちんと変化する。当たり前やん?これがクレームって言われるんならクレームでもいいんだけど、サービス受けてる側は、正当な不満は述べないと企業側も困るんよ。塾なんて不満すら言ってもらえんからねwすっと辞めていくだけ。なにが悪かったか分かるだけ、すげえ有り難いのよ。

たとえば、じゃいさんが馬券で税金取られる際に、「ハズレ馬券は経費に含まれない」みたいなクソ理屈並べられてその上で税金払えって言われた。儲けを出すためのいちばんの費用と言えるであろう、ハズレ馬券が経費に計上できんっちゅうのは理屈に合わん。だから、じゃいさんはいま裁判しとるわけで。

じっさい、アメリカでは費用として認識がされて経費に入れられる。不当なことは、正当な怒り(※(゚Д゚)ハァ?)をもって対抗しなきゃいけない。戦うものをバカにするなんてもってのほか。


しっかりとなにかの物事の是正を図りたいとおもったら、怒り以外はほとんど役に立たないんすよ。世の中の9割ぐらいは、こっち舐めてかかってるんだから。そういう態度だと付け込まれるやないですか。かんぽ生命の件にしても。あれアカンて!だいたい、さいきんは銀行のクセして、預け入れに手数料取るのアカンやろ!銀行そのものの成り立ち否定しとるで、ホンマ。


あとついでだから言うけど、
事なかれ主義」も嫌なんですよ。揉めたくないから話題に出さない、みたいな。事なかれ主義なんて続けてたら、いつか自分のところに回ってくるってw自分の番になったら、いっしょに怒ってくれる人おらんなるから、社会の諸問題に対して自分の態度を出しとるわけです自分は。

デモ・ストライキ・サボタージュ、この辺みんな学んだやろ?って思うわけ。労働者の権利だもん、この辺。権利どんどん行使していこうぜって。病院にかかるとき、みんな健康保険つかうやろ?それは国民皆保険制度っていう行政から付与された権利の行使やん。おなじおなじ。

おれは奴隷的になりたくないから、声を上げるわけで。政治=自分の生活なんですよ、周り巡ってぜったい他人事じゃなくなる。だから、調べて考えるんやないか。諦念したくない。


んで、こういった物事を「正当な怒りを抱えて、理性を持ちながら解決してくれている人」がいるから、世の中いろいろな物事が改善されていくんじゃないですか。飲酒運転(酒気帯び運転)なんかが典型ちゃうかな、ここ10年ぐらいで相当に変わった。めっちゃ刑事罰きびしゅうなったやないですか。

いつかはその一員にもなるんだろう。池袋の暴走母子事故とか許せるんか?人間として、そういうシンプルな話しかおれはしてないっすよ。

あと「1人で生きとる」、っていう感覚の人がまーじで多い。ゴミ収集こんかったらゴミなんてあっちゅうまに溜まりますよ。で、クソ不衛生になってハエがたかって疫病が流行る。下水処理もそう。物流の運ちゃんもそう、公共交通機関もそう、ぼくらが当たり前のように享受している物事は、マジでギリギリのラインでみんなが踏ん張ってるからなんとかなってる。

で、それらをぼくらは利用している。だから、この社会では1人では生きられないので、社会的な問題に対して自分の意見を持ち、対抗をするっていうのは当たり前の感覚ではないんか?ええ?工藤、違うんか!?1人で生きてないんや、人間。なにが自己責任論、や!アホ抜かせ!

自分の糞尿と、ゴミの処分と、あーあと健康保険もやな、この辺つかわずに初めてそういう、自己責任論みたいなことは言えっちゅうことや。社会に生かされとる身分でなに言うとんねんや。

(*「怒り」っていうのはシンプルでわかりやすいから使ってるだけ。「遺憾」とか言うとったら、めんどうくさいやろ)

あーもうホンマ腹立つ。アホみたいな同級しかおらんから腹立つ。あと20年もしたら、これが責任世代やで、頭痛いわ。
でも、こういうことを言うのは、「周りの評判的に、リスクが高いから」な、ホンマしょうもないわ!言わん方がええねん!おれも!


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でもイヤじゃあ。カルトに国を乗っ取られとる現実は辛いけど、それが加速するのはもっとイヤじゃあ。1人1人、みんなで地道に対抗するんや。そういう権利があるのが主権国家なんだから。もう独立政府つくろうやあ。司法も行政府も機能してない国なんて、この21世紀に存在してはアカンやろ。仮にも先進国やぞ。いや、もう違うか…

そういう感じ!
もうテキパキ怒らんと間に合わんぞ!

ここは本当にアニメブログなのか…?( ^ω^)
(※リコリコ1話とか、そろそろ上げます;今年は集大成にしたい)


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*Eye/ぞうげんを、きみに
http://royal2627.ldblog.jp/archives/59133166.html


人間、失敗からの方が学ぶことが多いというものです。

1、ワークアウトメニューを増やしすぎた

ワークアウトと、でも呼べばいいのか
ぼくはウエイト(筋トレ)とフィットネス(有酸素メイン)の2つに「運動」を分けたのですが、この2つのうちウエイトを増やしすぎた感があります。昨今、フィットネスの要素はさほど必要ないと言われるのですが、ふくらはぎの血行促進など、様々な効果があり、そもそも健康にとって必要不可欠ではないか、という推論を立てていたので、これを途中から軽視したのはダメでした。

軽視してしまった運動、これめっちゃいいです。
楽だし、それでいてフィットネス+軽いウエイトにもなるので。
オヌヌメ( ^ω^)



ニートゥーエルボー、ですね

*ニー・トゥー・エルボー


50回*3回*2セットだけでも十分効きます
少なくとも、運動不足の自分には効いた

基本的で、こう身体を温めるウォーミングアップのような運動
さいしょのうちはちょっとキツイ

下半身→フィットネス
腹部→筋トレ

と別れているので、どちらも作用して効率がいいような…?
これがいちばん続いたし効果も出た

→「運動・ワークアウト」は、すぐさまに増やさない
→「ワークアウトメニュー」は、2つぐらいで良い
→続く感触があれば、少し足す;アカンなと感じたら、すぐにそのメニューはやめる

→効果よりも、継続を最優先!



2、いろいろなことをやろうとしすぎた>

友人Sのせいにするわけではないのですが、

・プロテインを取らないといけない
・これ(糖質)は食べて・摂取してはいけない
・睡眠をしっかり取らないといけない
・このサプリメントを取った方がいい
・朝ごはんは決して抜いてはいけない

といったように、「運動」のほかのメニューを考えたり、実行することは1ヶ月運動が続いて、「いけるな~」って感じになってからです。いくら運動にサプリメントが効果的であろうとも、継続できなければいっさいの意味はありません。ダイエットをする際には、ここを最も重視すべきです。

普通の人間において、三日坊主だの、なにかを途中で挫折してしまう、最も大きな要因は、「そのボリュームさ」です。やることがたくさんになったら、人間はそれに対するやる気を失ってしまう。だから、やめてしまう。

サプリメントを使いたい、プロテインを使いたいのであれば、一つずつ丁寧に増やしていくべきです。一挙に増やすと、とても大変、目まぐるしい。運動と同じことで、増やすならば一つずつ。それが日常の習慣になってから増やさないと、途中でダウンする。

一つ運動を増やして、少し経って、サプリも入れる。そういうのをドバっと一緒くたにやってしまった。それが敗因ですね。

→「運動」と同じく、サプリメント・プロテインなど追加したい場合は一つずつ
→けして、一挙にやらない



3、ゆるんでしまう時期の対処法を考えていなかった

人間だれしも、率先した能動的な行動はずっと続きません。「怠惰を認め、飼いならそう」ということが必要です。誰でも、だるくなるし、億劫になってしまう。怠惰になるときもある。その時期をコントロールすること、つまり、ゆるんでしまう時期を想定しきれなかったこと

これが問題。ゆるんでしまう時期はいつか訪れるのですから、これに対してのアンサーを用意していなかったのが良くなかった。ゆるんでしまう時期、つまり、やる気がない時期が来たら、運動のメニューをあらかじめ減らしたものにするとか、少しいつもとは違うメニューにする、であるとか、そういう前もった怠惰の対処法を考えていなかったのが問題だった。

緊張の糸が張ったままでは苦しいですから、こういう時期ともお付き合いをするべき。

→「だらけ」用のメニューを考える
→「だらけ・怠惰な時期」を認めて、その時用のラインを決めておく



4、体調不良・仕事・イベントなどに対して前もって決めておく

もともと、病弱なので、ここはしっかりと考えておくべきでした。
体調不良・イベントや友達と遊んだとき、そういった際に、「ワークアウトのメニューはどうするのか?」、「サプリメントやプロテインはとるのか、とらないのか?」といったことを前もって決めておきべきです。

まあ体調不良のときは、決して無理をしなかったんですが。
前もって決めておけば、判断がもっとスムーズになっただろうし、ワークアウトを休んだことによる罪悪感も出なかったはず。つまり、モチベも下がらない。決まりごとなんだから。



5、毎日、少しだけでもメモろう

メモが圧倒的に足りなかった。自分の身体がどのように変化して、動きが軽くなったのか、どの辺にこの運動は効いているのか、自分の身体に対して、どういった運動が必要か。自分なりにメモったつもりでしたが、これはいっさい足りませんでした。

メモは明日への改善です。今日なにがあって、どのように失敗をしたのか、どのように痛めたのか、どのようなことをしたら上手く行ったのか、そういったことをメモしないと意味がない。

ただこれもやれる範囲で。

→体重測定
→何食だったか?
→運動メニューはなにをしたか?
→その他

さいしょはこのていどでしょうネ。
少しづつ増やしていく。

こう思うと具体的にできること(具体化・可視化しないといけないこと)をサボった感があります
雰囲気・ふわふわした感じでやってしまった、ざんねん



<6、友達とのバトルは、勝負ではなく、交換日誌のように使うべし

根本的なまちがい( ^ω^)
バトルなんてするもんではありません、ましてや、なにかを奢る・奢らないなどと罰ゲームのようにすべきではない。罰ゲームはヒトを萎縮させます。萎縮すると、ヒトは失敗を恐れ行動に移すのが難しくなります。つまり、失敗ができない!

「失敗ができない」というのは、「行動ができない」とほぼ同値です
!同じ目標を目指すのであれば、恐怖ではなく、お互いに褒め合うべきです。登山といっしょ。で、これが当人同士2人だけだとダメなので、第三者にも入ってもらって、「今日はこれやった!」『すごい~!』と交換していくとモチベーションも上がるような気がします。そもそも、バトルすな~~~~~~




・・・といったところで、自分の初ダイエット失敗記録をここに収めたいと思います。
次回はいつになるのか、9月ごろから、また少しだけでもやりたいですねえ。

おおよそアニメブログとは思えない更新が続いている。
更新はしている、ということでゆるして欲しい。

科目・資格の勉強が、


(※浅倉透に一目惚れしたのは間違いなかったようです、かわいい)



まず、独学には3つあります。はい、独学とは一つではないのです、ここが多くのヒトがよく分かっていないところ。塾の子の特権です。独学とは次の3つに分けることができます。

1、完全独学
2、部分独学
3、ちょっと独学

完全?部分?( ^ω^)…???となっていても安心してください、かんたんです。


1、完全独学
指導者をいっさい必要としないモノ

テキストと自分で完結します。だから、たとえば、簿記のよくできたテキスト(TACよりもネットスクール愛用者でした;今のはあまり良くないなあ…)とか、青チャートとか、そういったものはテキスト内でほとんどの不明点・疑問点を解決することができるので、指導者が必要ないんですね。

だから、完全に自分1人で学習ができる。そういう意味での完全独学。
ようできたテキストだからできること。


2、部分独学
指導者がいちぶ必要になってしまうモノ

かゆいところに手が届かない!イマイチここの説明・解答が不十分、4ね!となるテキストは、指導者が必要となります。指導者に聞くことで、ままええわ…今回は許したる、そういう意味だったんやなこの解答は…となるテキストですね。これが全テキストの8割ぐらいを占めるのではないか。

学生ならば教師に聞けばいいわけですが、社会人になってしまうと、なかなかそういう都合のいいヒトがいるわけでもなく、難しい。ネットで調べて解決すると時間を食ってしまうから、そういうデメリットがある。


3、ちょっと独学
指導者ありき(もしくは個人の能力ありき)で作られているテキスト

もうこれに関しては4ね・くたばれとしか思わん。古くはスタンダード数学…、まあこれはそういう時代だったからいいでしょう。さいきん出ているテキストで、個人の能力に依存してしまう、いっさい分かりやすくなく、指導者ありきのテキストは犯罪と言っても過言ではない。

さいきんだと、LEC・TAC系列は本当にセンスがなく…、中等教育ならば駿台テキストもそういう傾向はあり…まあこれはうちにお金払って勉強してね^^ということなんでしょう。教科書にすらならない、字面の羅列をしてしまう。どうしたんだ!なんのためのテキストだ!これはいけませーん!!


要するに、優秀なテキストほど、(指導者いらずの)独学がしやすいという結論です。当たり前。

ぼくはマイペースでやりたいし、分かってるところに50分かけるのが嫌だ。分かっていないところに、50分しか割かないのは嫌だ。というかバカじゃねえのと思っているので、よほどのことがない限り、指導者を頼りません。ひどく門外漢の分野だとたぶん頼る。



**テキストの選び方

じゃあその優秀なテキストはどうやって選べばいいのか?」という疑問がみなさん出てくると思うんですが、これはかんたん!学びたい分野の参考書を3冊ほど買って自分に合うのを探せ!合わなかったのは捨てろ!

売れてても自分にとって分かりにくければ意味はなし。「内容が雑」とかレビューされてたとしても、レイアウトがいい・見やすい・読みやすいテキスト、そういうのでいい。だいたいの書籍の載っている内容に実はほとんど差(*)はないので、「自分が続けられそう」なヤツを選んでお付き合いをしましょう。

継続がいちばん。こと学習において、継続に勝るものはほとんどありません。



*内容の差
アホな指導者ほど、内容(載っている情報量)の差にこだわりますが、そんなマイクロな部分はあとからいくらでも補える。まずは、骨格・血肉となる部分を身につけられるような書籍がいちばん良いです。枝葉はあとからでよい。

大逃げのレース…といえば、
ウマムスメが流行った現在では

ツインターボのオールカマーであったり、
サイレンススズカの毎日王冠であったり、
タップダンスシチーの2003ジャパンカップであったり、
セイウンスカイの菊花賞であったり、

そういうのがやはり定番として出ているんでしょう。
しかし、ここまできたら、もうみんなアレを見るべきです。アレがいちばん心に来る。
ぼくが見てきた中で、もっとも感慨深かったそのあのレースとは、


やはり2017年の中山大障害です。中山大障害(J・G1)は平地競走ではありません、障害レースです。

障害レースとは、宝塚記念や有馬記念のように平地競走とは違い、途中にジャンプしなくてはいけない障害がそれぞれ設けられています。生け垣障害であったり、すいごう障害であったり、高低差5mの販路(平地ではせいぜい2mです)、それらをクリアしていく。とてもタフなレースです。これらをすべてこなして走る距離は4250m。タフ!

中山大障害は、障害レースの有馬記念という感じです。
2017年は特に熾烈で、アップトゥデイトオジュウチョウサンのマッチレースとなりました。いや、「マッチレースにさせた」、という言い方の方が的確ですね。



ぼくは競馬史に残るマッチレースだと思ってる

アップトゥデイト騎乗の林満明j(引退)は、ここまでオジュウに3回負けていて、あいつに勝つにはこれしかないと大逃げの手を打った。おそらく当時、最盛期であったオジュウチョウサンに半馬身迫った名レースです。オジュウチョウサン騎乗の石神深一jとお互いの騎手と馬のプライドがバチバチなんですよ。

でもね、レースが終わったあとには、「これには勝てんわw」と馬上で林jが言って、お互いニコニコで会話しててね、もうすごいグッとくるんですよ。直線残り150mまでは、アップトゥデイトが先頭で、もしかしたら…だったかもしれない。しかし、たった半馬身でも負けは負け、勝敗はきちんと決まる。けして悪態をつくことのない潔さが素晴らしく、勝った方は絶対王者としての運命が決まった。

2022年、オジュウは再び中山GJを勝ち、J・G1を8個目を獲った。衰えつつある絶対王者・オジュウチョウサンの旅路を、もう少しばかり眺めたい気持ちです。

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