最初に言うのもなんですが駄文です。
でも、これ以上我慢すると、多分川の近くで虎になっちゃうので書きました。
この心境が分からない人は、多分オタクじゃないです。安心してください。

まずオタクというのは、決してアニメや漫画の愛好家を指すわけではありません。
それらは、オタクに包括された存在で、次のような関係になります。愛好家∈オタク。
オタク論1


ここで分かりやすいように、庵野秀明のオタク論を少し引用します。

いわゆるオタクの内包的特徴を挙げると、内向的でコミュニケーション不全、つまり他者との距離感が適切につかめないとか、自己の情報量や知識量がアイデンティティを支えているとか、執着心がすごいとか、独善的で自己保全のために排他的だとか、会話が一方的で自分の話しかできないとか、自意識過剰で自分の尺度でしか物事をはかれないとか、ナルシスト好きだとか、肥大化した自己からなりきり好きであこがれの対象と同一化したがるとか、攻撃されると脆い等々、とかくネガティブイメージの羅列になってしまうのですが

「監督不行届」 庵野監督カントクくんを語る p142 から引用

今回述べたいのは、太字にした部分。知識で自己を保っているという、オタクの性質です。どれだけの映画を知ってるかとか、どれだけアニメ見てるか、どれだけその作品について詳しく知っているか、そんな感じの知識を収集し、オタクはその知識の分量でアイデンティティを形成し、自分の心を保っています。

ですので、自分より知識が多い相手を見ると、敗北感にさいなまれます。ただし、圧倒的な知識の差がある人間に対しては、むしろ尊敬の念が湧いてきます。問題は、知識量の近い相手。「ああ!こいつ、俺の得意分野なのに、俺が全然知らないことを既に知っている!しかも詳しく、的確に!」という感じで、悲しみにくれます。相手にとったら、嫌味でも何でもありません。それは自分にとって話すこと、語ることが相手を傷つけようとしないのと同じです。 でも、当人は傷ついてしまう。「俺はなんて知識が浅いんだろう…世間様に顔向けできないよ…」と。

2014y03m23d_120155596 2014y03m22d_085858162


そして、知識を追い求めていく終わりのない旅始まりです。ゼノンのパラドックスの一つアキレスと亀と同じような感じに、相手も同じように進むから結局追いつけないのです。アキレスは、悲しみに暮れながら走るオタクです。これがとてつもなく心にくる。この心情がわからない人は、すごい幸せだと思います。そういう人は賢いんだろうなあと。知識と適切な距離を持つから、多分大丈夫なんだと思います。最近、僕はサンドバッグにされて、タコ殴りされてるような心境です。最近、この劣等感は一生拭えないような気がしています。

まあそんな感じです。こういうのは溜め込みすぎると良くないので、発散しました。少しは、まともになったかな…