もうすぐ、「うる星サーカス」に関係する記事を出します。
その前に改めて、増尾さんについて少し整理をしたいと思ったのがこの記事です。

まずは、80年代後半(85~87)の増尾・庵野両者のワークスを再確認。

★両方とも参加
・「POPCHASER(OVA/1985) 原画」 
・「メガゾード23(OVA/1985) 原画」 
・「うる星やつら(TV/156話) 原画」
・「王立宇宙軍(劇場/1987)」
→庵野は、スペシャルエフェクトアーチスト、作画監督(共同)、原画
→増尾は、助監督、原画

★増尾昭一のみ参加
・「戦え!!イクサー1 Act.Ⅰ、Ⅲ(OVA/1985)」 
・「プロジェクトA子(劇場/1986)」 

★庵野秀明のみ参加
・「バース(OVA/1984)」(※ナウシカ、愛・おぼと同じ年) 
・ 「風の谷のナウシカ(劇場/1984)」
・「超時空要塞マクロス 愛・おぼえていますか(劇場/1984)」

という感じ。
増尾さんは、スタジオジャイアンツ出身。
このスタジオには、摩砂雪や鈴木俊二も同じく在籍していました。

増尾昭一は、庵野とくらべて、キャリアのスタートは少し早いです。庵野が、大阪芸大で自主制作をしている頃には、「六神合体ゴッドマーズ(TV/1981)」などに、既に参加してたりします。 
写実系のエフェクト・メカの作画を得意としている印象ですが、初期には金田調のカットインも目にすることもできます。

「愛・おぼ(劇場/1984)」で、庵野秀明と出会います。そして、大きな転機となったのは、おそらく「グラビトン」設立のとき。このスタジオの設立参加に、庵野を誘いました。同じ時期に庵野は、摩砂雪・大月P・樋口真嗣らと出会っているので、後の作品への影響を考えると、「グラビトン」は重要なスタジオなわけです。

ガイナックスの前身はよく、「DAICON FILM」と言われますが、実際には、グラビトンも大きく関与してると思います。アマチュアからの流れが、「DAICON FILM」だとすると、「グラビトン」は、プロ側の流れではないのかなあと。
(※とすると、スタジオジャイアンツはもっと重要なわけですが、キリがないので)

2000年以降は、デジタル・エフェクトの第一人者として、庵野監督を支えています。
というか、増尾昭一がいないと「新劇」はできていません。
それぐらい、重要な人物です。