洋画

■2001年宇宙の旅(’68) スタンリー・キューブリック

3度目くらいでようやく全部見れた。これは詳細に評論したいから、暇があればいいな。モノリスを巡る人類の進化の話かもしれない。第一にジャンプカット(マッチカット)するシーンで有名な、猿が骨を使うということには、モノリスの知恵の授けがあった。第二はその400万年後、月にぽっかりと現れたモノリス。これが木星へと強い電波を放出しているということで、それを確かめるべく、最新のコンピュータ「HAL9000」を載せた宇宙船が長い旅を始める。そして、HALの暴走(※完璧なのに嘘をつかなくてはならないという矛盾を抱えたことに起因している)から船長以外は全員死んでしまう。残った船長がHALを殺害している間に、宇宙船は木星圏内へと到達し、これまで搭乗員には隠されていた事実がビデオレターで告げられる。それから、あっという間に船長が木星に浮かぶ、モノリスへと飲み込まれていく。スターゲイトを通り、モノリスのあらゆる刺激を受けるシークエンス、約10分あまりだろうか。よく分かんないが、何かしら強烈な刺激であったに違いないと思う。そうして辿り着いたのは、ホテルの一室のようなところ。そこに船長はポッドで乗り込んで来たのだけど、食事をしてる老人がいる。それを見ていると、すっとポッドはなくなり、船長が老人となる。今度は、船長(食事をしている老人)がベッドに横たわる老人を見ると、またもやベッドの老人へとすげ替えられる。オーバーラップ的なシークエンスと言ったらいいのだろうか、つまるところ、これらは全部船長なのだ。ベッドに横たわる船長の前には、再度モノリスが現れる。4度目のモノリス。そうすると、船長は胎児(スターチャイルド)になり、美しき青きドナウが流れながらエンド。

最終的なモノリスについて、船長についてはよく分からないけれど、HALと人間のやり取りは非常に面白かった。今作に出てくる人間には、感情じみたものがなく、まるでコンピュータのようで近寄りがたい。一方、HALの方は命乞いをしたり、殺意があったりと人間的である。HALの姿見は、赤いカメラ・アイだけなんだけど、それだけで人間のように感じられる。まるで「寄生獣」のミギーのように。



■フルメタルジャケット(’87)

戦争映画。ベトナム戦争を題材に、訓練生と戦争の2段階に分けて、描いていく。特に訓練生時代の、「ほほえみデブ」の最後の晩に至るまでの描写は圧倒的だった。戦争において、訓練生からは人間らしい個性やらを全部まっさらに取り除き、一から育て上げる。普通の人間が殺戮マシーンになる様は、見ていて恐怖だった。

また僕が心惹かれたのは、戦争の方のラストでどんどん軍隊組織が崩壊していくところだった。訓練生時代は、行進や全員一致の行動が理想とされた。人間の均一化とともに組織を作り挙げていたはずだったろう。しかし、隊長がブービートラップによって殺されてから、その組織はだんだんとちぎれていく。次に指揮するのは、カウボーイであったが、アニマルマザーはこれに従わない。狙撃兵によってやられた隊員を助けようと必死なアニマルマザーは、命令に従わず、銃を発砲し続ける。「撤退する」と言っているにも関わらず、隊員の1人は助けに行こうとし、また狙撃される。ここで、隊としての組織は崩壊しきっていた。後は、隊長でもないアニマルマザーが飛び出し、みんなが付いていくという理想とはかけ離れた、パーソナルな戦争であった。 最後に、「ミッキマウスマーチ」を歌うところには、訓練生時代への皮肉と戦争の実際を表してる。







■未知への飛行(フェイル・セーフ)(’64) 監督:シドニー・ルメット

水爆を搭載した爆撃機が機械の故障から、モスクワ、ニューヨークへと落としてしまう物語。白黒映画。アバンは、主人公だけを抜き取り、合成したかのような表現で面白かった。闘牛士というものが何を指しているのかはイマイチ今は分かってない。観客、牛を全てコントロールしているという意味だろうか。それが人間と水爆に置き換わるような気がする。

大統領や議会を中心に、こうするべき、ああするべきと議論が飛んで行く。しかし、「フェイル・セーフ」を超えて5分経ってしまうと、大統領の命令さえも「敵のマネ」とみなし受け付けない訓練をパイロットは受けているので、説得は不可能で撃墜することにするが、それもまたできない。ソ連との電話中、幾度も理解と共有をしようと図るが中々巧くいかない。そして、最後にニューヨークへと主人公は水爆を投下する。

タイポグラフィが美しい作品でもあった。黒BGに白文字で、アバンタイトルの3コマショックのような表現は、核爆発の示唆であろう。映像的な美しさと、脚本における意味を兼ね備えたアバンタイトルであった。





■ミッドナイト・ラン(’88) 監督:マーティン・ブレスト

元刑事のウォッシュは、保釈屋と手を組み、犯罪者を捕まえて生計を立てていた。シカゴには、再婚した妻と娘がいて、それに会いたいと思っている。そこに、10万ドルを稼げるチャンスがやってくる。ギャング・セラノの金を横領し慈善団体へと寄付した、会計士「デューク」を捕まえることで、それがもらえるというのだ。簡単にデューク自体は見つかり、捕まえるがここからが大変。警察、FBI、ギャング、そして商売仲間からも狙われる自体に発展する。

ウォッシュは非常に頑固で考えを変えない男だったが、デュークはシカゴの娘への再会を促したりと会計士らしく、理屈で物事を進めようとする。時には、立場が逆転したり、辛い気持ちを吐露したりとウォッシュ自体の弱さも垣間見える。逃走劇の果て、ギャング・セラノにシカゴから追い出されたウォッシュはFBIと共謀し、セラノを捕まえることに成功した挙句、またもや逃走する。最後には、デュークを逃しお礼として30万ドルをもらうが、もの寂しい様子のウォッシュを見る限り、デュークとの別れは辛かったものと思う。

ストックホルム症候群というのは、この作品に関しては全く当てはまらないだろう。 




■ビアンカの大冒険(’77)

まさしくディズニーアニメの傑作。「101匹わんちゃん」や「ピーターパン」の大きさに隠れながらも、作画・演出ともに素晴らしい作品。ネズミたちの国連要請で、ビアンカとバーナードは少女を救いに行く。フィッシャーの「バッタ君街に行く」を彷彿とさせるような、ネズミたちから見た世界はとても広大で乱暴だ。

また、この作品では液体の作画が光る。池に落ちるぬいぐるみ、それを拾い上げる少女、滴る水の表現はとてもフォトリアルで素晴らしい。水中ボートのエンジンの表現もディズニーらしく(ピーターパンっぽく)、コミカルな表現と危険・脅威的表現の混在もまた良かった。

「ビアンカの大冒険2」は、コレ以上に面白かった記憶がある。それはまた追って紹介したい。興行的には、1は成功し、2はそこまで盛況ではなかったようだ。何とも言いがたいが、確実に言えることは、この作品はどちらも素晴らしいということだ。