何だかんだこの雑記も20個目(ドンドンパフパフ


■個人の自主制作だらけなのは良くないことかも

あまりに自主制作は「ほぼ1人で全部作りました」、というのが多すぎて良くないことだと思う。新海誠の出現が原因とは言い切れないけど、一端だと感じる。もちろん1人で全部作る(作画から美術まで)人がいてもいいとおもうんだけど、あまりに多すぎないかということが問題の要点。世界観の多様性の観点から見て、僕としてはもっと集団でやる人が増えた方がいいと思ってる。1人1人だとどうしても、他の人が関与しないので、その人だけの世界観になってしまう。つまり、団体でやるのに比べ、世界のディテールが必然的に狭くなる可能性が大きくなる。もう1点、作画(アニメート)できる人にしかアニメーションが作れないと仮定されるならば、それはこの業界の愚かさを嘆くべきだと思う。山賀博之だとか、水島努、高畑勲、山本寛みたいな人の存在を否定してるわけで(※これは、アニメートできる人の待遇が改善されていないことに起因する。技術者を使い捨てカイロみたいにしか扱わないところに責任がある。待遇を向上させれば、過労を伴う演出・作監業務をしなくても、ちゃんとした生活を遅れる。つまり、演出家を無理に目指そうとするアニメーターが減るので、必然的に作家の需要が上がる)。書けなくてもアニメーションは完成するし、動かなくてもアニメーションは成立する、それは具体例を示すまでもないと思う。

だけど、1人でやる価値も当然あって、その人にしか出せない、その人がやりたいこと全てを盛り込んだのは1人でしかできないと思う。他の人の意見がここに介入する必要はなくて、その人の動かしたいように、やりたいように世界は作られるべき。個人制作においては、むしろ他人の存在は妨害要素になる。だから何度も言っているように、1人で自主制作をすることを問題にしているわけではない、その数があまりに多すぎる(逆に言えば、集団制作が少なすぎる)ことが問題であると考えている。

これは、「見本市OP」を企画・監督をした後に強く再確認したことだけど、あれは7名全員初対面で作ったんですよ。そりゃあ色々ありましたけど、何とか作れたわけです。作れないわけではないんです。この大変さ(コミュニケーションの煩わしさ、意見の衝突、自己のアイデアを否定される恐怖)を回避しようとして、個人制作に走ってる人が多いんではないんかなあと思うわけです。だから、アニメーション業界はオタクの巣から抜けられないんです。1人1人が教養的であれば大丈夫でしょうが、そうではない。それぞれに得意な分野があって、それぞれに苦手な分野がある。これ自体は問題ないですが、それぞれが上手く補完されていないのが今の現状だと思います。僕は絵が全く描けないどころか、アニメーションを殆ど見てきていません。ですが、(誰にだって)作りたい世界は多少なりともある。究極的に言えば、アニメでも実写でも、紙芝居でも何でもいい。僕にとっては、アニメーションがより正確に構築できる可能性を感じるというだけの話です。

だとすると、非商業である自主制作において重要なのは人間性とか人間関係だと思うんですよ。こんなの実社会と変わらないんですよ。やっぱり、作りたい人と作りたい。好きな人がいる現場で、職場で仕事したい。現実の世界においても、馬が合わない人とは一緒にアニメなんか作っても楽しくないと思うんですよ。お金を貰ってるなら別ですが、それでもなるたけ自分と合う人とやりたいというのは、アニメ業界に限らないと思います。



■「1人でやったから凄い」と考える人が勘違いしていること

最近、中国の方が作ったアニメーションが話題になっていまして。このアニメーション自体は素晴らしいと思いますし、じっさいカメラワークやエフェクトも相当に上手い。そう感じます。だけど、評価として、「1人で作っている」という視点が入るとマズイと思うんですよ。まず、こういった視点が入った時点で、評価基準はすり替わっています。それまで、「作品の内容・クオリティ」で作品の評価を考えていたはずのに、「このアニメは1人で作っている」という基準にいつの間にか変わっているんです。1人で作ることをすごいと感じるのが悪いとは言っていません。因果が逆転しているんですよ。本来あるべき評価の論理体系は、「アニメーションを見る→これはすごいものだ→1人で作っているのか」であるべきはずなのに、「1人で作っている→これはすごいものだ」となってしまっている。これが僕の言いたい問題点です。

新海誠の「ほしのこえ」公開の時もそうだったんですが、みんな思い違いしている。「1人で作ったから、すごい」という論理を採用すると、同じ作品は「多人数で作ったら、そこまで凄くないもの」と自然となってしまうんです。そんなわけないでしょ。大抵ですが、こういう評価の仕方をする人は、想像力が足りていません。一つ質問したいと思います。「多人数で制作すれば、個人の場合に比べクオリティが(その人数に比例して)上がる可能性は高くなる」のでしょうか。

多人数には、そのの強みと弱みがあります。まず多人数で作る場合、物量的なクオリテイ(破片や効果、実作業など)は個人制作よりも増す可能性が大きいです。その代わり、意見の衝突、内容の変更、それによる妥協など、多人数ならではの「人間関係」「コミュニケーション」が制作において大変な問題となってくる可能性も大いにあります。個人制作は、1人ですからケチをつける人が存在しません。なので、妥協や意見の衝突などはほぼありません。その分、自分で全ての作業を行うので物量的な面が制作において一番大変です。

結論を言うと、「1人で作ったから」なんて論理を使うのはオススメできません。それは元の命題としての「作品そのもの」を考慮していません。何度も言っているんですが、作品そのものをもっと純粋な目で見れないもんなんでしょうか。映像に関しては、思い込みやバイアスはゴミです。