はい、まずはコメント返信の前にみなさんに説明をします。よく読むように
少し長い(4000文字だって、面倒ダナ)ので休憩しながら、一呼吸ついて、読んでくださいネ


<1、テキストの受け手>
WEBにはテキスト、ブログから各社新聞WEB、動画共有サイト、Twitter、果てはゲーム内チャットなど、さまざまなところに、さまざまなテキストがありますよね。それぞれのサイトによって、テキストの長さや異なる読み方が存在します。

特にこのブログや、個人サイトの300文字以上~500文字以下について、(自分も含めて)多くの読み手はしばしば失敗をします。それは、ななめ読みしただけで、この文章を完全に理解した、と勘違いすることです。たった、これだけの文章なのだから、とななめ読みしてしまう。こういった背景の元で、議論のたたき台となる文章の「誤読・誤った解釈」が起こり、余計な手間が発生する。


実はWEBテキストを読む際に、些細なところまで人は読みません。自分に重要であるか分からない情報にいちいち時間をかけていては、日が暮れるからです。ですから、この失敗じたいは、ごくごく当然と言えます。たとえば、Twitterのななめ読みにより、「ウマ娘3期が制作決定!(1*)」という話題から、「3期作られるのか!」という勘違いをしてしまう。さいきん、戸田恵梨香って結婚したけど、あれって松坂大輔とだっけ?みたいなミスです(2*)。これくらいの、まあ言ってしまえば、そこまで大事ではないことでは、問題はありません。

(1*)いまのところ、そういう決定情報は公式から出ていません
(2*)松坂大輔は埼玉西武ライオンズに所属する投手。戸田恵梨香の婚約者は、俳優の松坂桃李さんです


問題は、重要な事柄、たとえば政治的な発信・情報であったり、とあるアニメの解釈について、「完全に読み取った」という誤解をしてしまい、そこに誤った言及をしてしまうことです。要するに、誤った言及・反応をしてしまうことで、誤った情報が真実・事実のようになってしまい結果的に公式やご本人が訂正されるケースを指します。余計な手間がかかっていますからね。



<2、テキストの書き手と「省略」>
それで、ここからが本題です。ここまでは、WEBテキストの受け取られ方、について説明してきました。みんなが思っているよりも、もっと僕らは情報を軽く、さっと眺めているし、誤読をたくさんする。誤った言及もしてしまうのは仕方がないけれど、影響が大きい話題については再読・再考してから、言及しようねという話。

さて、それでは発信側はどうなのか。発信側たる、書き手はあるていど書いていくと、「自分の主張を正確に伝えること」に重きを置くようになります。自分の主張の精度を高めたくなります。自分の言いたいことを分かって欲しいからですね。

そうしていくと、文章において、「省略するもの」と「絶対に省略しないもの」の2つが出てきます

絶対に省略しないもの」には、主語(S)と目的語(O)があります。たとえば、とある意見があったとしましょう。それが、「書き手のぼくのもの」なのか、それとも「また別のだれか」なのかには大きな違いがあります。なるべく誤読を防ぐために、必ず主語(S)をつけるわけです。目的語(O)も同様に、対象者が「あなたたち」なのか、それとも「また別のだれか」をハッキリと明確にするわけです。

では、「省略するもの」とはなんでしょうか。文章は文字数が増えれば増えるほど、誤読の可能性が単純に大きくなります。ですので、なるべく文字数を減らしたい…そういったときには、副詞・修飾語(M)といった、「それが文になくても成立するもの」を無くします。

実例

1、この映画は、面白い
2、この映画は、めちゃくちゃに面白い
3、この映画は、─四半世紀に渡って語り継がれるであろう─そういう予感がするくらいには、面白い


下線部がMに当たる部分です。1文であれば、さほど、誤読は発生しません。下に行くにつれて、度合いが大きくなっている。巷では、文字数が多ければ多いほど、文章としては高尚になっていますが、文字数をかさ増しするのは、実際のところこれぐらい簡単です。


ではこれが複文になった場合はどうでしょう。

1”、この映画は面白いけれど、映像はイマイチだったとぼくは思う
2”、この映画はめちゃくちゃに面白いけれど、映像は前作のスペクタル感に欠けてしまい、そこまで良くなかったとぼくは思う
3”、この映画は、─四半世紀に渡って語り継がれるであろう─そういう予感がするくらい、には面白いけれど、映像に関しては、まさしくその作品の素晴らしさとは反比例するかのごとく、落ち度が目立ったものとなったとぼくは思う


どれも基本的な主張は、「映画は作品としては面白かった、でも映像はビミョー」というものですよね。下にいくにつれ、修飾語や明喩が増え、わかりにくくなります。こういう文章に、よくある「誤読」は以下のような感じですね。

この映画は、─四半世紀に渡って語り継がれるであろう─そういう予感がするくらい、には面白いけれど、映像に関しては、まさしくその作品の素晴らしさとは反比例するかの如く落ち度が目立ったものとなったとぼくは思う
おや、真反対の主張になりましたね。これがこの記事で繰り返し述べてきた、読解の失敗である「誤読」です。書き手がなにを言いたいのかまったく分からない、誤読を招くクソポエムを書く場合がある。つまり、いつも受け手に責任があるわけではないのです。

ちなみに、これを避けるためには、書き手は基本的に複文を避けます。
つまり、2文に分けます。

この映画は素晴らしく面白かった、歴史に残るであろう。しかし、映像はその素晴らしさとは反比例するかのごとく、落ち度が目立ったものとなったと私は捉えている。
こうしてしまえば、誤読は避けられます。



それで、やっとこさ本題のコメント返信にいけるのです


コメント返信その1/0327決定版
http://royal2627.ldblog.jp/archives/57817850.html
きつい言い方になるけど、好き好んでやるなら好き好んで苦労しなさいっていうのと、文章と会話は違いますよって辺りかなあ

特に煽り形式は対面でないときに使うと、一方的に「感じ悪い」と思われる可能性がある
2021-03-29 05:05:54 D虫

まずは、コメントどうも!
好き好んで~に対して;ぼくは「お知らせ/*」の記事において、そもそも「親父が死んだダメージが予想以上に大きかったみたいで限界だから、今はおやすみするよ」と宣言をしているわけです。で、上の記事においても、以下のように、好き好んでやれる余裕はなくなったと明らかに主張をしている。
好きだから、書きたいから、たった1人にでも伝わればいいから、そういうので、本来いいんですよね。でも、もうその伝わったときの喜びが書く苦労を超えなくなってしまった。ここまでキて、限界を超えて書こうを思えば、金しかないでしょうね。

コメント返信その1/0327決定版より
つまるところ、ぼくはいまちゃんとした文章(*)を書く気がないわけです。
(*)アニメに関する文章

ですので、苦労はそもそも発生しない。書く気がないのだから。好き好んでやるということは現段階においてありえない(できない)と2回にわたって、ぼくは述べているわけです。こうなると、「あなたはきちんと文章を読んでいるのか?」という疑問が生じざるを得ない。そうでないならば、こんなよく分からない内容にならないだろう。よく読んでいなかっただろう、だんごむしくん?反省したまえ。


煽り形式~に対して;
これは僕の文章のアジテート方法論についてですね。「お前らオタクは本当にバカだから、教えるけど~」みたいなくだりを僕はときたま入れるじゃないですか。まあ、入れるんですよ。それで、あれはスパイスだよっていう話で、まあ今回の記事でも何度もいってますけど、みんな文章を本気で読まないので刺激物として「煽り」を入れているという前提があるんです。授業中に眠いと、生徒はうつらうつらするから先生が大きな声を出す、みたいな。

印象が悪い/感じが悪い/人格を疑われる…etc
この系統のことはもう仕方ないかなと思って、べつだん気にも留めてない。前回も書きましたが、なにを書いても、手練手管を尽くして書いても、書いてある内容とは別のことを穿って、ぼくに悪い印象を抱く人は存在するわけです。それ系のことについて、ぼくが他人に作用できることはないんです。お天気は変えられないので。この太陽キレすぎワロタ、って感じですよ。

ぼくとしては、このていどのジョークも通じねえからオタクで脳みそメロンパンなんだろうな、と理解が深まるばかりで、それ以上ないんですよ。コレは心配してくれているんでしょうけどね、その辺はべつにもう慣れたというか、何十、何百万といるネット住民に対してすべてのカバーはできません。それがぼくの結論です。

火をつけたとして、対面だと反発も同意も応答の中で消していけばいいけど、文章だと自分でつけた火は自分で消さなければいけない

イアキさんの場合、火をつけてコメント待ちで消すタイミングがない、みたいな時がありそう

この場合の火っていうのは、どこかの炎上とかじゃないよ。話題の盛り上げ方の話ね
2021-03-29 06:05:45 D虫
これも同様に、「文章中における刺激の長所/短所」についての話ですね

いま現在自分が大きく抱えてしまったことは、なんで自分をすり減らしてまで、誹謗中傷(*)するようなオタクどもに伝えたいと思っていたんだろう。オタクはコンパクトな情報を摂取することに必死で、そのあまり思考力が減り、ネトウヨになって、独裁政権と化している自民党でも支持しているクズばっかなんだろうな、という根本があります。自分をすり減らしてまで書く理由が見つからないから、おやすみするねと言っているわけです。
(*)とうぜんですが、アジテートがない文章にもたくさんあります

刺激、つまり文章におけるアジテートが一定の読者を怒らせ、よくないことになってしまう。それをどの辺で、「はいこれはあくまでも君たちを起こすための刺激物です」、というネタバラシを行うか、そのタイミングがないんだろうな、という感じの指摘だと思うんですが、あまり関係がないというのが正直なところです。

そういう表面上の小手先の文章テクニックによって、オタクから暴言が飛び交い、それによりなにか気に病んでしまったとかそういうものではなくて、もうこいつらに伝えても可能性ないなあという感じで。そういう根本がゆらいでしまった。アジテートはどうでもいいです。そういう表面上の問題ではない。



こんかいはここまで
手間がかかったわい