今週もいただきました( ^ω^)
ありがとうございます。


アスリートの新型コロナのワクチン摂取・東京五輪開催の是非などに対する態度・オピニオンについての整理
http://royal2627.ldblog.jp/archives/58014149.html

同意です。巧妙に脱政治化された発信ばかり持て囃されるのはもううんざり。
(FC2拍手より)
まあ、こればっかりはもう多くの人(?かな)が思っていることですね。いただいたコメントでは、巧妙にという表現が素晴らしく適切かなと思います。
”脱政治化”された発言というのは、たとえば、今回でいうと、

・「いま争っている場合ではない、国民みんなで五輪を頑張ろう!
建前:争いはよくない、五輪を頑張ろう
本音:政府を批判するな

・「医療の現場はいま逼迫している、枝野さんも政府と一丸になるべき
建前:医療現場の逼迫を混乱させるべきではない
本音:野党は政府対策に対して批判をしてはならない


こういった本音と建前がまったく違うもの。つまるところ、「最初から本音を言え」と言いたくなるような、あくまで中立的立場な保って行う党派性のある発言です。マアこれは卑怯ですよね、自分の立場をまさしく”巧妙に”隠したままで、批判の非難を行うわけですから。

それを持て囃すのもありえません。感動を届けようとか、そういった薄っぺらいスローガンにじつはプロパガンダが含まれている。利益誘導がなされている。そういう実態のないものが日本は得意になりすぎました。残念としかいいようがない。



こういった発言によって、ぼくは反日左翼だとか、売国奴とかよく言われるんですが、マアいっさい構いませんね。冷笑主義・ニヒリズムや「だれかがどうにかしてくれるだろう」みたいな思想では、物事はまったく解決しないとわかってしまった、それがコロナ禍における不幸中の功績です。

ぼくの友人も国体に出ようとしていて驚きましたよ。自分本位でしかない。ここまでくると笑ってしまう。まるで政治の世界が、ぼくらが生きている世界とは別のどこかで行われているような、そういった言動なんですよね。なにも考えていない。すごいですよ、いまの20代後半は。自分の体が直接ガソリンで燃やされてもギリギリ気付かなさそう。そういった思考しか見えない。



<コーチング・講師について>
塾の子のコーナー( ^ω^)

やたらめったらコーチングという言葉をさいきん耳にします。
まあ何らかのスポーツなどにおいて、指導者が選手に教える、というだけなんですけど、あまり上手くいっている例を見ない。というのも、塾業に少しばかりでも携わっていると、

・もともと生徒側に素質があった(こちらサイド0)
・こっち側で改善を行い生徒も能力を上げて、結果が残せた(こちらサイド30)
・能力がなく、無理やり結果を残した(こちらサイド100)

という感じにだいたい3パターンに分けられるので、結果だけだと分からないんですよ。
「このコーチの指導力が素晴らしい」みたいなのってわからないんですよ。いっさいね。それはコーチングしている側も気付いているはず。厳しく指摘すればいいわけではないし、かといって甘やかせばいいわけでもない。途中で生徒を投げている例をみるとコーチングなんて名乗るなよと言いたくなりますよ。だから、指導って世間が思っているより難しいんです。


講師って、お師匠さまですから。なにをもって講師と呼ぶかなんですけど、やはり「確固たる信頼」を得ないとダメなんです。青少年期の少年少女というのは、両親いがいに信頼たる大人を作ることが難しいのです。人生の岐路に立ち、人生に関する相談までする、それぐらいの信頼です。


世の中の人は、講師を舐めすぎているといのが今回の本題。だから、平気で先生になったり、アルバイトで塾講したりするじゃないですか。ありえないですよ、塾の子としては。もしかしたら自分が教えたことによってとても悪くなってしまうことがあるかもしれない。人生に大きな影響を及ぼすかもしれない。もちろん、それが誤解で直すことができれば問題ないんですが、基本的に塾講って期間限定なので。それを放置したまま、ルンルンとアホ面で帰っていくわけです。

おれは教えたぞ、と。そんで、ちゃんとした”講師”がその尻拭いをするんですよ。