( ^ω^)神様に返信するわけではないです。
( ^ω^)こんかいは言葉を調べる時間がないのじゃ



さいしょに。細田作品は例年ジブリとならんで作品公開前に放映されることが多く。とくに大ヒットした「サマーウォーズ」の後、それはそれは大変な期待をもって迎えられた「おおかみこどもの雨と雪」がなんと賛否を分けてしまった。そのために、初稿から8年経つ今でもコメントをもらう。

8年もだぞ8年。どういうこっちゃねん。まあ、これは残念ながら、その後の細田作品が世間が期待したほどではなかったこと、が影響しているんでしょうね。ぶっちゃけサマヲの時にはポスト宮崎駿、これから最高の作品が続いていくだろう、みたいな大きな期待に包まれていましたので。無敗の三冠馬だけど、春天にも宝塚にも出ないコントレイルかな?

はじめまして。
さきほどまで金曜ロードショーを見ておりました。
一言でいえば、つまらないという感想です。

もぞなぎぃさんのコメントにもあるように、1*児童相談所の訪問を悪として描かれていることに強烈な違和感を覚えました。
あの場面では、虐待や育児放棄が疑われてもおかしくない状況だと感じましたが、児童相談所の職員が無表情で、母親を追い詰める存在として描かれているのが不快でした。

また、転校生も雪にしつこく迫り、勝手に怪我をした割には、その点についての言及はなく「おおかみがやった」という中途半端な言い訳をしている点も不満でした。

「おおかみこどもの雨と雪」が面白くない理由
http://royal2627.ldblog.jp/archives/35843350.html



1*
不満点、おおいに同意。
でも、コネとポジショントークしかない、ジャップpoop批評家たちはこれを細田の家族愛の描き方(※噴飯物ですよ)としてみなしたりして鋭くツッコミをしない。分析もしない。構造を考えたり、どのようなものなのかを想定もしない。ここに無思考きわまれり。もっと批評家たちは批判的になれ。当たり前のこと言わすなや。バチバチで戦えよ、クリエイターと評価する側は馴れ合うな。ファック。

(;´Д`)ハァハァ
ふう…失礼( ^ω^)

繰り返しになりますが、金ローで細田作品が放映されるたびに、コメントをいただくことが多いです。エヴァも同様。


「おおかみこどもの雨と雪」はやりたいこと(※世界はとても理不尽で、狼が事故にあったりするのはごくごくあたりまえのこと。そして、その流れの中で生きていくしかないのである)は分かるけれど、それに見合ったことはできなかったという印象。もう正直覚えてねえ。


いちばんは、世界を操作しすぎた感が強い。操作とはなにかというと、児相を露悪的に描きすぎたり、「田舎の頑固者のジジイが実は優しくてマジで田舎幸せハッピー!」ってやりすぎた部分がそうです。これって、そのとある共同体や組織の”良い・ポジティブな”側面(※ないしは、それが過度に誇張されたステレオタイプ;田舎の人・しわくちゃなおばあちゃんは優しい、都会の人は冷たい、ツーブロックの営業マンは怖い)だけを抜き出しているから気色悪く映ってしまうんですよ。

インスタグラムやSNSを皮肉る画像があるじゃないですか

CORV3olUsAAAYDL
(※スペイン出身のラファエル・アルヴァレス氏によるもの)


構造としては、これと同じですよね
投稿だけを見ると、このひとはとてもハッピーそうだけれど、隠された苦しみがある。そういうのをすべて排して、幸せの切り抜きを投稿しているよねっていうのがこの風刺画です。もちろん、人生上ではかならず苦しみも嫌なこともある。

そんで、「どちらかの側面だけを全力で抜き出し・誇張して演出すると、めちゃくちゃ気色の悪い映像になるんだね!」ってことが分かったのが、おおかみこどもの雨と雪の一つです。だから、これは演出ミスなんですよ。内容もそうだけれど、演出の割合が大きいとおもう。

世界を操作しすぎると、中立的にこのフィクションの世界が回っているとは思えない。この世界になにか、世界の外から力が働いているように思う。それが作劇では面白くなくなってしまう部分です。

つまるところ、これは、ご都合主義です。
細田の好きな世界で人形劇が行われているにすぎず、ぼくらを渡った普遍的な世界で描かれていない。

「ご都合主義だよね~」と感じる大半は”世界の無理やりな操作”です。


これはこの前の「エンジェルビーツ」でも同じく。露悪的にやればやるほど、描きたい状況・対象はフラットではなくなります。露悪的に描くことのデメリットは、その対象となる出来事など、たとえば児相、たとえば試験に向かう前の悲惨な列車事故、それらに「必ずこの感情を抱かせる」という強迫観念じみた演出になってしまうこと。いったいだれが、それでフィクションに没入することができるんだ?


理不尽の見せ方というのは、道端で人が死ぬのが画面端に映っても、主人公たちはべつだん気にしない。画面もわざわざそれをピックアップしない。とうぜんのことなのだから。それがとうぜん救いではなく苦しみではあるけれど、もはや慣れてしまった。そういうのが理不尽な世界の作り方なんですよ。わざと痛いところを見せない。

けれど、想像はさせる。エヴァのケーブル焼くところの叫び声とか、ですね。つまるところ、これは演出が上手くいっていないということではないですか?

ぼくらは新宿のヨドバシとかに行く時に架線下高架下のホームレスを目の端に入れますけど、過度にピントをあわせたり、それにフォーカスをあわせたりしないでしょ?だから、あれは仕方のないことだ、と自分たちがそう了承しているわけですよね。そういうのが理不尽の基礎です。

細田守は、この「おおかみこどもの雨と雪」という作品で、「世界の流れには人間は逆らえない」、みたいなことを描きたかったらしい。けれど、それは演出的に失敗してしまった。それだけのことです。