*構造の処理をしている上で、欠陥になってしまった例


1:龍の歯医者
http://royal2627.ldblog.jp/archives/50745294.html

これが典型例ですかねえ。
ブランコという悪役に対して、行動原理を求めてしまっている。「かれが銃弾を恐れない理由は、いつか、この作品内で明かされるだろう」という推測のもと動いていますね。そこから、ブランコという悪役にチャームがない→衒学的でかれの行動は稚拙という判断をしている。その一方で、評価するならば、主人公・ベルだろうと。だから、これは構造処理(※キャラクターの行動原理・理由、それらの伏線・回収)で行っていることがわかると思います。

内容の処理ではないんですよねえ、これは。キャラクターの行動から、かれの評価をしている。



2:僕べん3話/英語の参考書ほか

作れるわけもなかろう…オリジナルテキストの回。
いや作ってもいいけど、じゃあ、真面目に教えるシーン入れるなや、とか思うわけ。リアリティもった作品なのか、デフォルメに振っているのか、どっちなんだと。あーそういえば、僕べんはエロゲみたいに個別成功ルート作ったんでしょ?それだけで最悪ですよ。真摯じゃない。きわめて真摯じゃない。一人の女と最後まで向き合えよ。それでも、ラブコメかァ!お前はァ!



3:スパイファミリーは原作既読
まあただ、原作は途中で読むのを止めました(※既読といえるのか?w)。
このシーンが原因

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[SPY×FAMILY 5話]

スパイファミリーは父・スパイ、母親・殺し屋、養子・超能力持ち、という設定で、小学校の試験を受けます。こっちでいう慶応幼稚舎とかに近いのかな、まあお受験ですよね。で、嫌味ったらしい教頭かだれかが子どもの文句や奥さんの文句を言い続けるわけです。

そこで、主人公であるスパイくんはキレて机を殴り割るんですね
えっ?と感じる。いや、おまえそれ生業にして何十年やってきて、異名まで付いた男なのに、なんでこんなことで怒っているんだ、落ち着けとなる。子どもに対して情があるなら、なおさらすべき行為じゃない(と確信をしているはず)。我慢して妄想の中でキレておけ、となってしまう。

まあ要するに、こんなシーンを見ると、「おまえのうん十年かのスパイ活動の背景が胡散臭くて見てられない。それでも異名を付けられたスパイか」となってしまう。こんな状況、いくらでもあったでしょう。

いや、もっと正直に言うねw


スパイが子どもの情にほだされて(※まだ、たったの5話だぞ?)机を叩き割る

そんなスパイがいてたまるか!あほらしェ…

スパイの人物造形くっそ雑やな…何にも考えてなさそうな作者でイヤだ

この後も、突拍子もない、クソみたいなご都合主義的な展開が出てきそう

読む気が失せる

という風な思考をたどります。

いやいや、ぼくも、リアリティ・ラインに対してのそれなりの妥協はしますよ、もちろん。じっさい、僕べんや五等分は妥協して読んでいる。それをK点超えした行為が、今までの作品群にはあるというだけです。



「コードギアス」の主人公・ルルーシュを見てくださいよ。あんだけ頭いいのに、二回目の市街地戦で、窮地に陥ったときはちゃんと「あ、これ4んだな」って自己申告するんですよ。頭がいいからこそ、”詰んだ状況”をいっさい否定しないで、あ、もうこれ無理だなと。

「フルメタル・パニック」の相良宗介もそうですよね。長年の傭兵生活で見についてしまった、異常な警戒心。それによって、下駄箱を吹き飛ばし、散髪にすらいけないわけで。どちらのマンガがよりリアリティに寄り添ってフィクションを描いているかという話なんですよ。


「リアリティなんて多数の読者は求めていない」
「面白ければそれでいい」
「リアリティ・ラインなんてのは、個人によって変わる。基準にはならない」

おっしゃるとおりです。だから、これが個人的な構造処理の欠陥だと思うのです。

まあ、こうやって見ていくと、自分は、キャラクター造形にイチャモンを付けやすい傾向にありますね。「このキャラかくあるべし」となっている。

こういう話と関係あるのは、”流血描写について”ですかねえ。



*四月は君の嘘(1話)の流血描写について
http://royal2627.ldblog.jp/archives/41313948.html


流血描写については、世代によって受け取り方に差がある感じ。暴力表現として、コメディで済むかどうか?の差ですね。これはアラフィフ以下・以上で受け取り方が変わってくるかなあ。



マア、こういう感じで構造的欠陥をしたという話です。