tima

いい映画ですよね~

あまり仔細に語るのも無粋かもしれませんが



あの段階に至るまでに、ティマの感情・認識はいろいろな変遷をしています。
これを追っていくのが大事です。


ケンイチと出会う前(誕生したとき)→いっさいの感情を持たない、アイデンティティも持たない人造人間(※ティマの自己認識は人間です)
ケンイチと出会った後→感情をもち、ケンイチに信頼を寄せる(※ティマの自己認識は人間です)

つまるところ、ティマにとって、ケンイチは自分のアイデンティティの半分以上を占めていました。その後で、ティマとケンイチは離れ離れとなり、自分が人間ではないと知らされます(※雪のシーン、レッド公の息子ロックから)。それでもなお、自分は感情があり人間であるとティマは信じている。ティマは葛藤します、ティマの自己認識は、ロボットと人間との間で葛藤するのです。自分を人間と信じるティマは、ケンイチに会いたがります。それは、レッド公に連れていかれた後の一室ぜんめんに敷き詰められように書かれた「ケンイチ」の文字の異常さによって示されています。

最も重要なのは、「超人の間」のシーンです。ロックに撃たれた箇所から、機械が露出します。ティマはさんざんに自分は人間なのか、ロボットなのか、葛藤をしてきました。機械が露出してしまったので、ティマは自分をロボットと認めざるを得ない。ケンイチと同じではない。自分はロボットであり、先程までレッド公が言っていたすべてを認めざるを得ない。オイルの涙を流します。

「人類はいらない」とすぐさまに判断した超人ティマを、ケンイチはなんとかその台座から引っ剥がします。しかし、「人類はいらない」という判断は消えておらず、その身でケンイチを殺害しようとする。最後の最後、ケンイチに引き上げられながら、ティマはいちぶ作動が戻ります。しかし、その作動や修復は不完全なもので、最初の記憶(1*)しか復元できませんでした。

1*…ケンイチ「自分のことは、ワタシっていうんだ」というティマとの会話


そこで、「ワタシはダレ…?」というティマのセリフになります。「ティマが人造人間である」ということについては、視聴者にさいしょからネタバラシされています。ただ、「ティマが自分をどう認識するのか」についてはいっさい明かされていない。この作品は、ここが肝心なのです。ここがテーマなのです。だから、ぼくらは、ティマと同じスピードでそれを追っていきます。

自分のことを人間だとずっと思っていたティマが、自分は世界を壊す危険なロボットと知る。人間がレイシズムを持って接してきた、あのロボットたちと同じであると知る。感情を失いすべて機械になってしまったかと思えば、もう一度、正常に戻り記憶が戻ってしまう。それも不十分な形で。人間たちに振り回された、この理不尽さが悲しく刺さるのです。


つまり、これは、ティマの自分に対する認識の話なのです。

1、ケンイチと同じ人間だと思っていた
2、機械とロックから知らされた時点で「自分は人間なのかロボットなのか」の疑問が発生
3、超人の間において、皮膚から機械が露出して、自分はロボットだと確信してしまった
4、超人の間から引っ剥がした後は、認識の葛藤がなくロボットとして動く
5、ラストにおいて、感情の機能が戻り、認識の葛藤が再開してしまう

「ワタシはダレ…?」というセリフは直接的には、単にケンイチとの最初の会話です。ただ、これだけの認識の変遷があるので、視聴者側はこのセリフを単純に受け取りません。いや、受け取れません。この女の子はダレだったんだろう、なんだったんだろう。人間の勝手な意図で作られ、人間のエゴで殺される。この女の子はなぜこのような理不尽な道を通ったんだろう。

ロボットを忌避・排除しながらも人造人間を作ってしまった人間(レッド公たち)のエゴと、ケンイチとティマのきわめて無垢でまっすぐな信頼関係が対比されることも一因ですネ。同時期に公開された、「A.I.(2001)」との比較がもっぱらですが、ぼくはあっちを見るのが本当に辛くてですね。宇宙人によって望みを叶えてもらうシーンとか。

こう考えると、ようできとる映画です。メトロポリスは。