安野モヨコがマリとか、そういうクダラナイ、メタ的な記事ではございませんのでご安心ください。





<シン・エヴァ:雑感1>



シンエヴァの核とは、確信をもって、Aパートです。他は旧劇の焼き直しだからどうでもいい。8号機も2号機もCGも庵野は画面サボってる。めんどくせえから任せたろ、デジ部に。摩砂雪を監督から下ろすのやめろや、画面が良くなくなる。本田雄がいない時点で映像面は破綻していたのかもしれないけれど…


なんとなく書き下し
・3番目の綾波(シンエヴァでは黒波)のやり直し
・シンジくんに対する、外部の強制力のなさ
(放っておいてもらえた、考える時間をもらえた;旧劇だと大人に振り回されて、いっさい休息がなかった)
それが、田舎っぽい、地産地消的な「第3村」につながったのでは
・だから、黒波が消えても踏ん切りがついたのか?
・黒波の部分だけわかんない


おれがシンジくんだったら、黒波の消滅によって、もう一度、立ち直れなくなる/苦しむと思うんですよ。重要なポイントではないかもしれないけれど、とても個人的には気になるところで。でも、あれなのかな、いろいろ支えてもらって、それもとても繊細に。それで、その支えてもらった分だけ頑張ろう、みたいな。自分にできることを、みたいな。

シンジくんも、黒波がうすうす消滅してしまう、4んでしまうことは気づいていたのかもしれない。そもそも、綾波レイの影を追っていなかった。だって、「Q」ではあれだけ3番目(黒波)とは会話できていませんでしたもんね。「綾波」に対する執着、つまり依存がなくなったのかなあ

なんかそんな感じがする。新劇場版は綾波を軸に見ていくと、構造がおもしろい。綾波レイと最初のコンタクトをする「序」。綾波レイと親睦を深めて、サードインパクトを起こすほどの影響をもたらした「破」。2番目(髪長・綾波)にこだわって、ダダをこねてヴィレとヴンダーから出ていった「Q」。なんと綾波は大量生産されていることがわかって(冬月との将棋シーン)、その結果、何にも興味がなくなり、気力もなくなった「Q」のラスト。

と考えていくと、「Q」までは、綾波レイにとても依存していたことが分かります。すると、「シン」は綾波から、ひいては何かから、自立する物語だったのでは。ゲンドウもそんな感じだったし(うろ覚え)、大人になることが自立ならば、まあラストのサラリーマン・シンジくんもなんとなく納得がいきますよね。書いてて思うが、自立というテーマを描きたかったのではないかなあ。

ゲンドウの独白のシーン、Dパートかな。あれもものっそい長いですけど、要するに、「ぼくはユイに会いたい」ですから。「なにか」から、自立できたシンジくんと、最後まで依存してしまったゲンドウの対立の構図なんだコレは。


ということで、ようやく、踏ん切りもつきました。
「ヱヴァンゲリヲン新劇場版」のラスト、シン・エヴァンゲリオン劇場版はようやく少し分かったかなあという感じで感想が出せてほっと一息…



ん?コメントが来ている
で ウルトラマン見たの?

[UMA]6回目の偉業は、ぼくのダービーもようやく終わらせてくれた
http://royal2627.ldblog.jp/archives/59365863.html


鬼畜かな?( ^ω^)
見てるわけねえだろw

こんなに燃費がわるい物書きにお付き合いいただき感謝ですが、まあそのね、少しでもご支援していただけたら、まあそれこそリッター5キロみたいな燃費も少しは良くなるものです。よろしくお願いします。

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