GOMISTATION

足が絡まっても、踊り続けて

カテゴリ: カメラ・演出・カット


<あらすじ>
魔物から大陸を救った一輪の聖者は、その後また大陸に危機が迫った時に、大陸中から6人の勇者を選ぶようにした。それを人は「六花の勇者」と名付け、彼らは何度も大陸を救った。この10年で魔物、キョウマは増殖し、再び6人の勇者が選ばれるかと思ったら、7人目が出てきてしまって誰がニセモノか突き止めなくてはならなくなった。


<1、カメラワークと作画>

カメラワーク(CG背景)の仕上げの大部分がMADBOXだと思いますが、大変に素晴らしかったです。特に01話から、変わったカメラワークが多くてですね、この人狼的なお話においては効果的と思います。カメラがぐるぐるしたり、ダッチアングルが多用されることで、いろんなことが怪しく感じてくる。

例えば01話のコレ

01話
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うまいなあ、アドレットとナッシェタニアの最初の会話。面白いですよね、檻の扉を挟んでの1カット。PANスピードによって、どっちが心理的に優位かを表してます。アドレットはここで図星をつかれているんですが、それがクイックPANによって表されているんですね。「ギクッ」みたいな感じです。


04話
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こちらはぐるぐるカメラワークです。全員がを疑い合っている描写で、みなそれぞれに誰が怪しいかとか考えているのが分かりますよね。混乱してる、不安に思っている、そんな心理状況が伝わってきます。

個人的には、そこそこ面白かったんですけど、レール台車でやっても良かったかもです。FIXだと、正面からの顔しか見えないので、後ろ頭とかを画面に映した方がより「お互いを疑っている状況」を演出できたと思います。でもただキャラなめ+じわPANだと面白くないかもですね。本気でレール台車を1カットでやったら、大変な作業になりますね。



エフェクトが良かったのは11話。
正直、この話数と最初の2話以外はちょっと制作がきつかったと思う。

11話 フレミーズドーン
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マズルフラッシュの光の表現が上手いです。フレミーが一瞬青く光って、背景も暗くなる。1Fとかならこういうネガポジ反転的な画はよくあるんですが、1カット通して明暗をきちんとやってる(明→暗→明)所は中々凝っているかなあと。煙はもっとフレミーの後ろに流れていった方がリアルかなあとか思いますけど、画的に良いのでグー。


11話 煙詰め合わせ

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そこそこ良かった煙を詰め合わせ。2番目のカット書いた人は上手いですねえ、立体を保ちつつ動かそうとしている。この煙見たことあるんですけど、分からない。工原しげきさんかも。4番目も反射する光へのこだわりが垣間見えていいです、これは煙のフォルムもいいですね。


09話 もくもくエフェクト 
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後は09話のここも良かった。どなたか分かんないですけど、煙のもわっとした感じが良いですねえ。余計なディテールは付けずに、線の広げ方で立体を表現している。立ち上っていく煙の影の付け方も良いです。



09話 ドリーズーム
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ドリーズーム。アドレットが感じた違和感を上手く表しています。

ドリーズームは見れば分かるんだけど、なんか定義にしにくくて困ってたので個人的に整理。まず基本的な事柄ですが、TU/ドリーインは被写体に寄ります。一方、ズームイン/アウトは、拡大/縮小します。一見違いがないように見えますが、相違点はいくつかあります。

例えば、iPhoneを持ったまま寄っていくのがTU/ドリーで、iPhoneを持った人がその場で静止した状態で機能を使って撮るのがズーム。アニメには実際にカメラが無いのでわかりにくいですが、カメラが被写体に向かって寄っていくのがドリーインなんですね。下記参照。


ドリー1ドリー2

ドリー/TUは肉食系男子で、ズームは草食系男子と思ってもらえればいいです。大事なのは、カメラと被写体との間の距離が、短くなるかそうではないかです。もう1点押さえておきたいポイントは、画角の変化です。画角はカメラが映す範囲、とみなしてください。ドリー/TUの場合は画角は一定ですが、ズームは変化します。この画角のズレによって、ドリーズームは発生するんですね。

どこの画角のズレかというと、基本的には被写体と背景の画角です。被写体にはドリーという画角が変わらないもので寄っているけれど、背景に対しては画角が変わってしまうズームアウトを使用する。画面全体で画角が統一されてないことで、変な歪みが生じるんですね。大体こんな感じ。

上のgifの場合は、キャラTU+bookTB/背景TB(CGレイアウト)みたいな感じです。キャラの画角は変わっていませんが、背景の画角は大きく変わっているのがわかると思います。画角という日本語はわかりにくいので、画角は「カメラの映す範囲」と考えたら理解しやすいです。



ここからはストーリーについて。

<1、疑惑の目の解決と、対価>

古代サスペンスファンタジーでした。視聴前は、「ファンタジーバトル系かなあ」なんて思っていたんですが、まともに戦ったのは3回ぐらいで、後はひたすらにキャラクター同士の疑い合いと推論で埋め尽くされました。

主人公アドレットは、結界を作動させる神殿に最初に入ったために、「7人目(ニセモノ)」であると疑惑の目を向けられます。弁明を繰り返しますが、他の六花は聞く耳を持たず。この「疑惑の目」をいかに解決するかが、今作の肝であるように感じます。キーワードは「対価」です。


最初は、ハンスに対して。

ハンスを武力で叩きのめすのでは、主人公の無実の証明にはなりません。7人目の疑いは増し、逆効果です。そのために、「自分が7人目なら、ハンスを殺さざるを得ない」状況を作った上で、ハンスをわざと殺さない。このアドレットの論理によって9割程度は無実の証明を果たしましたが、決め手となったのは「ハンスはそれでも7人目と決め付け、アドレットはそれに従った」という対価です。

ハンスは殺し屋で合理的な男です。信用するべきことと、疑うべき事の基準はあるはず。だからこそ、信用した後は最後まで意見を変えなかった。合理的なハンスに対しては、論理と対価で何とかなりましたが、フレミーは一筋縄ではいかないです。

フレミーは、「信じるものがない屈折した」女の子ではなく、「誰も信じないと決めた」女の子です。彼女はチャモ暗殺のミスから、キョウマから用済みと認定され裏切られます。そこに、希望(信じられるかも)と恐怖(裏切られるかも)を感じてしまうアドレットという存在が現れてしまった。フレミーの感情は、ここですごく複雑なものになります。この複雑な感情は、10話の会話でちゃんと示されています。

【10話 アドレットとフレミーの会話】
1、フレミー「(理解できないけど)信じられるかもしれないから、もう少しここにいて」

2、フレミー「何でかばうのか教えて(銃口を向ける)」
>アドレット「好きだから」

3、フレミー「私に居場所なんてない(後ずさる)」
>アドレット「俺が作る、地上最強だからよ(笑)」

4、フレミー「やっぱりあなたは敵(発砲)」

ここでフレミーがアドレットに心を許さなかったのは、フレミーの求める対価がなかったからです。「言葉では何とでも言える」とハンスが言っていたように、ここでは言葉だけで対価がありません。そもそも、フレミーはアドレットのことを理解できていません。これではフレミーがアドレットを信用できるはずもないです。しかし解決するためにはハンスのように論理が必要かと言ったら、それは違います。なぜかというと、「信じないと決めて」いる以上、一般的な論理はフレミーの心を揺さぶれるだけの力を持てないからです。

最終的には、自分の身を投げ打って(俺が死んだら、ハンスを頼れ)と言い、フレミーの無実を完全に証明します。ここで、ようやく物理的な対価を手に入れたフレミーはアドレットに心を許すんですね。信用するにも言葉だけではどうも胡散臭い、でも自分のために(生死を問わずに)行動してくれた。フレミーが求める対価をきちんと払ってくれたことで、心が動いたと思います。


ストーリーについては、この辺で終わり。
以下は、「六花の勇者」の売上について少し考えます。



戦闘アクションに比重を置いた謎解きモノと感じた人が多かったと思いますが、実際は謎解きの比重がすごく高かった。そこに原因があるのではないかなと思う。アクションメインで謎解きもするモノを期待してた人にとっては、肩透かしの恰好になってしまったのではないのかと思います。

デスノートが実はバトルに比重置いてましたなんてことしたら、やっぱり何か期待してたのと違うと感じてしまうと思うんですよね。PVを見ても、激しいアクションがメインであるように感じます。不運なミスマッチで、いやあ、もったいないです。 


・COWBOY BEBOP(1998)「Tank!」
 
アニメでシルエットと言えば、まず「Tank!」を思い描く人が多いと思う。特に強調されるのは陰影で、最初タバコに火をつけるところやメカのシーンに顕著に現れている。今となっては、このように「シルエット=オシャレ」と言っても過言ではないくらいに、ポップカルチャーにおいてオシャレな演出手法になっている。


前回の記事のコメントでご指摘いただいた、ルパン三世、タッチなどはシルエット表現の前段階を指しているといえよう。照明がキャラに当たり、影ができる。そこから少し探っていこう。

・ルパン三世(TV第1シリーズ)(1971)「ルパン三世主題歌I」

初代ルパンは当初、「大人向け」に作りたいと予定されていたが、実際に流してみるとあまりに視聴率が悪く、「子供向けに作らんかこのドアホ!」という鶴の一声で宮崎・高畑コンビの台頭に繋がったのはまた別の話。この初代OPの時点では、大人向け・原作のハードボイルドさを十二分に出すことを意図していたのは明白である。

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(※左画像はパイロットフィルム版における1シーン)

このハードボイルドな表現は、おそらくフィルムノワール系の洋画からの影響だ。

フィルムノワールというのは、フランス語で「暗い映画」を意味し、代表作は「ビックコンボ(1941)」「過去を逃れて(1947)」等がある。ドイツ表現主義を背景とした、シニシズム・ニヒリズムな趣向の映画ジャンルである。フィルムノワールの画面は、一言で言えば、ハイコントラストな黒の世界。この極端な明暗描写は、ビックコンボなどの撮影監督である、ジョン・オルトンによって生み出された。


BigComboTrailer
ビックコンボ(1955)

画面は明暗のコントラストを強調する。(源流という意味合いで)アニメにおいてのシルエット表現は、フィルムノワール系洋画の影響があるように思う。また、恐怖・不安を感じさせる「陰鬱な画面」が、今ではオシャレな「明るい表現」として感じられる。これは不思議と言わざるを得ない。否定的な画面が、約50年あまりで肯定的な画面にそっくり転換しているのだから。


このシルエットのオシャレ化に起因するのは、一体何だろうか。
まずはシルエットの歴史から見て行きたい。

そもそも、シルエットとは18世紀における切り絵から始まったとされ、写真の登場まで人物の特徴を記録することに使われた。そして、19世紀前半にかけてアメリカで流行し始め、最初は肖像技法として用いられた。その後は、当分の間肖像技法として用いられたが、ここにポップ・アートの誕生が関係すると推論する。

アンディ-ウォーホル-マリリン・モンロー-1967-ホットピンク hair-ribbon    
☆ポップ・アートは、第一人者のアンディー・ウォーホールやロイ・リキテンシュタインによって、大衆文化に受け入れられた、大量消費社会を表現する芸術運動の一つだ。アンディー・ウォーホールは、ポップ・アートの先駆者であり、コントラストを効かせた「マリリン・モンロー」等が有名である。アンディー・ウォーホールは、アメリカ内で大量生産され流布したシンボル(スープの缶、)を作品化したことで知られている。「記号性」という観点で見ると、シルエットに通ずる部分は多い。この点については、少し引用する。
マリリン・モンローは、二〇世紀アメリカの巨大なマス・メディアがつくりあげたセクシーな「女」の記号です。(中略)
彼女は、本当の自分を見いだそうとさまざまな人生遍歴を歩みましたが、それがまたマスコミにスキャンダラスにとりあげられ、ますますその虚像をふくらませていきました。彼女の悲劇は現代の記号による疎外の象徴です。マリリンはその悲劇性にも高められ、私たちの情感を刺激する「女」の記号の典型となりました。
実在の人物であった彼女は、今や生死を超えた完全なイメージの記号です。ウォーホルのねらいは、完全なイメージの記号となったマリリンを使い、現代の記号性と私たちの情感の関係をあからさまにすることです。現代の社会のなかで、私たちはマス(大衆)としてあつかわれ、機械的に量産された記号によって人間的な情感をかきたてられ、充足を得るようにうながされています。ウォーホルは、同じ一つの記号がマス(大衆)としての私たちに一斉に同じ感情的な反応を呼び起こす事実を、驚きをもってとりあげています。

引用元:20世紀アメリカ現代美術作家論 「アメリカ現代美術は何を残したか」 河瀬 昇
マリリンのイメージは、セクシーな「女」という記号化であり、その単一の記号によって大衆が皆同じく感情的な反応を起こす。これは現代アニメにおいて、「シルエットをオシャレを感じる」のと同じ現象と言っても相違ないだろう。さて、ロイ・リキテンシュタインだが、彼の作品群の特徴は、「単純化された線」と力強い色使いにある。これも「単純化」という観点で、大いにシルエットに通じる。この点についても少し引用したいと思う。


リキテンシュタインは、現代のマス・メディアが私たちに差し出すヴィジュアルな記号の一つ、漫画を取りあげます。 漫画はその内容を一瞬のうちに伝える記号性をもっています。その一こまは雄弁かつ瞬時に、全体の筋書き、面白さ、対象とする読者の層までもを物語ります。 彼は劇的な漫画の一こまを選び取り、そのまま大画面にに引き伸ばしたように描きます。

リキテンシュタインは、漫画の記号性を題材にしたことについて次のように語っています。
「それは何かの絵のように見えるのでなく、物そのもののように見えるのです」 
ロイ・リキテンシュタインは、漫画の持つ、内容の単純化、すなわち「記号性」を全面に押し出した描写方法で、作品を作った。上記引用において語られているとおり、「絵ではなく、物そのもの」に見えるように、すなわち記号性の拡大によって、作品を現実に敷衍しようとしたことが分かる。

これらポップ・アートが今日のシルエット表現のイメージを決定づける要因となった、とまでは断定することができないが、少なくとも、「オシャレ化」への重要な部分的影響力はあったのは確実である。そういうわけで、今日のシルエットのオシャレ化の源流に、ポップ・アートが存在していることは明らかだ。



・「ドクター・ノオ(1962)」 オープニング・シークエンス

映像分野においての「オシャレ化」は、フィルムノワールの延長線上に位置する「007」の第一作「ドクター・ノオ(1962)」に大きく現出している。定番のオープニングシークエンスでは、シルエットでダンスする様が見受けられ、フィルムノワールからの発展表現が展開されている。フィルムノワールにおけるシルエットは、極端なコントラストにより恐怖・不安を表し「否定的な表現」であったが、「ドクター・ノオ」においては、ポップさを表しており、「肯定的な表現」へと劇的に変化を遂げている。

この変化に起因するものは、おそらく世相である。シルエットという表現がポップカルチャーに進出したのは、特に40年代から50年代にかけてである。第二次世界大戦からレッド・パージの当時の暗い世相は、不安を喚起させるフィルムノワールに反映されており、これがシルエット表現の根底となった。その後に生じた、アメリカ経済の急成長と繁栄を反映し、シルエットは「オシャレ」になっていった。前述の「ドクター・ノオ」はシルエットのオシャレ化の先駆である。また「ドクター・ノオ」は1962年の世界興行成績では第1位となっており、大衆文化に大きな影響を与えたであろう。

☆シルエットという表現は、1940年代のWW2からレッド・パージの暗い世相を反映し「フィルム・ノワール」となった後、50年代のポップカルチャーを牽引していたアメリカ経済の繁栄に引っ張られ、それらを反映した「明るい表現」、今ぼくらが持つ「シルエット=オシャレ」という表現になったと、推論する。




・ルパン三世(第二2期)(1978)「ルパン三世のテーマ」(第27話~51話)

さて、日本アニメーションにおいてだが、当時『宇宙戦艦ヤマト』によって日本では第一次アニメブームが起きていた。そのアニメブームの中、音楽:大野雄二などの体制が整い、ルパン三世の象徴となるテーマソングが誕生したのが、この「新ルパン三世(第2期)」である。

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このOPでは、狙いを付けているスコープを撃ち飛ばす「ドクター・ノオ」のオマージュが見られる(※動画では42秒あたり)。その他も艶めかしく、ポップ・アートらしさも取り入れた洒落たOPであることが分かる。特に、ポップ・アートの初期であるコミックスの画面があるのが特徴的だ。



・ルパン三世(第二期)(1978)「ルパン三世'80」(第104話〜155話)

青木悠三によるコンテ・作画のOP。シャキシャキとした独特なタイミングと色のセンスによって、「ルパン三世」に茶目っ気を含ませたオシャレなイメージをもたらした。前述したOPとともに、現在の「ルパン三世」のイメージを作り上げたと言ってもいいだろう。

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不二子のスカートに対しての光源を線で単純化したり、ビリヤードの状況をさほど見せずに登場人物同士が丸になることで記号的に表現している。「単純」と「記号」はシルエットにとって重要なのは前述したとおりで、それらの要素が効果的に出ているOPだ。


その他のアニメにおいては、「キャッツアイ(1983)」のEDなどにも散見される。ディスコブーム、バブル時代を反映するかの如くに、艶めかしく派手な映像となっており、シルエットのオシャレ化が進んでいることが分かる。映像表現に、世相はやはり強く影響する。この後の時代、2000年代以降のシルエット表現は大畑清隆によって発展させられていうことは既に述べた(※80年代後半、90年代については、正直何が大きな影響であったか分からない。機会があればまた調べていく)。


・ipod  commercial(2003)

その後、映画・アニメ以外で、「シルエット=オシャレ」という概念を普及させたのは、おそらくはiPodのCMだ。2003年に初出した後、数年間にわたって使用され続けた。シルエット化された人物が、iPodで音楽を聞きながら、楽しげに踊る。このCMが印象に残っている人も多いことだろう。ここにおいて、シルエットが持つ意味合いは確実なものとなった。




シルエットの根底にあるのは、フィルムノワール的、換言すればドイツ表現主義としての「不安」の表現である。その恐怖・不安といった表現から始まり、「ドクター・ノオ」に代表されるポップな表現となった。ポップ・アートにおいて、アンディー・ウォーホールらによってシルエット的表現が大衆文化に受け入れられていった。時を同じくして、日本ではアニメブームが生じており、その最中に「ルパン三世」は制作され大人気となった。とりわけ第二期のOPアニメーションにおいて、今のルパン三世の洒落たイメージとともに、シルエットのオシャレ化が促進された。その結果、シルエットはオシャレに僕らの目に映るようになったのだ。

30年ぶりのTVシリーズ「ルパン三世」OPにも、シルエットはとても大人しく、そしてひっそりと煌めいている。


<参考文献>
資料集 > 映像で見るiPod(CM集) 
007 ドクター・ノオ-Wikipedia  
フィルムノワール-Wikipedia 
007ジェームズ・ボンド「ドクター・ノオ」:James Bond – Dr. No 1962 
フィルム・ノワール傑作選PART 2  
20世紀アメリカ現代美術作家論 「アメリカ現代美術は何を残したか」 河瀬 昇


新世紀いんぱくつ。」は日本アニメーター見本市で公開された映像作品です。これはカメラワークが非常に良く出来てまして。特に前半部分。氷川言及あり(http://animatorexpo.com/news/125)。

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アヤコを見送るシーン。ここではカメラは客観位置。第三者的な立ち位置。


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これはイズミの主観POV。自動販売機でコーヒーを買ってハルカに渡そうというシーンなんだけど、バストショットを映さないことでコーヒーを握るイズミが緊張感を持つことを示す。


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☆ハルカの主観POV。ここでカメラに手ブレが入る。これがハルカの視線で、有している不安・恐怖というものをカメラで間接的に表している。


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その後は、客観位置のカメラが続く。イマジナリーラインは跨がずに、ここではハルカを主に取り上げる。画像2では、不安の大きさをハルカのキャラ自体の大きさで演出し、逆に画像3では彼女を画面の下部に設置することで、その小ささ(不安)を強調する。会話の内容自体は日常に溢れているけど、郷愁や哀愁が感じられるのはカメラに起因する。

 
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画像1:ハルカ「どんどん人減っちゃうな…」を受けて、画像2ではイズミの目線で葛藤を表す。言わなくてはいけないが、疎開することを発言することは序盤のアヤコを見送る描写に現れている通り、ハルカを悲しくさせるものであり、イズミはそれを理解した上でためらっている。


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☆ここからが上手い。
画像1でアヤコはハルカに疎開する意図を伝える。これはハルカにとって予期せぬ事態であり、画像2の主観んPOV画面(画像1のポン寄り)は手ブレする。ハルカの動揺をカメラ越しに伝えているのだ。予期せぬ事態に動揺する口元を画像3で映した後、画像4から客観位置にカメラは戻る。客観位置に戻ると、会話の中でハルカは気丈に振る舞う。しかし、ハルカの動揺は彼女では制御できず、画像5のハルカ主観POVになると、すぐさまブレてしまう。彼女が友達に心配をかけまいと努力しながらも、やはり心の底では不安と不服があり、暗示をかけるように「仕方ないよね…」を繰り返す。画像6になると再びカメラは客観(ややハルカなめて)位置に戻る。ここでは、そのハルカの意志をイズミが察しており、ハルカよりも画面上部に位置することで精神的な優劣を表している。


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カメラは完全な客観位置へ。彼女たちではどうにもならない外部環境による選択の無さ、どうしようもない状況で立ち尽くすしかない様子を明確に表している。ここがエヴァ本来のニュアンスと通じる。エヴァパイロットは、搭乗することへの拒否権がほぼ無いに等しい。


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二人は幸せなキスをして終了(大嘘)。使徒の襲来による不安・恐怖に対してはどうしようもない状況であり、彼女たちに出来ることはこれ以外になかったのではないのかなと。世界の決定に対する、子供のささやかな抵抗である。


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後半パート、曲が始まってからの手ブレ・ピンぼけは、彼女たちの持つハンディカムによるものであり、前半で見た演出的なブレとは異なっている。彼女たちが歩んできた、疎開前までの平和な日常を表しており、前半部の陰鬱さを少し吹き飛ばす。


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しかし、ラストは客観カメラによって、無情・非情なまでにハルカの孤独が強調される。結局のところ、使徒や使徒による戦闘とは無関係でいられない。安保法案、シリア難民等の世相も反映しているような感じがする。今までは対岸の火事であった「戦争」や「貧困」「飢餓」が、これからは他人事では済まされない領域があることを示している。


新世紀いんぱくつ。 -日本アニメ(ーター)見本市第32話

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