GOMI→STATION

さむくてエモい時期です

カテゴリ: 感想・評・レビュー等


久しぶりにグイグイ引き込まれるアニメでした。こういうギャグアニメ好き。


01話 脚本:横手美智子 絵コンテ/演出:石踊宏

内容は単純ですが、カット割りやタイミングに相当気を使っている。そういう印象を受けました。そんで、これほどシンプルな内容でもダレないのは、イメージBGのおかげだと僕は思った。

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こういったイメージBGが入ることで、それまであった普通の画面は一度リセットされる。イケメンやカエちゃんのノーマル顔を、ずっとディテールが多いまま描くと、どうしても映像は平坦になります。「カバネリ」 なんかが典型例だと思うんですけど、あれはどこが強調したい部分なのか分かりにくいんですよ。クオリティは高いんですが、画面に抑揚はなく平坦になってしまった。



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「私モテ」は、イメージBGやSDキャラのシーンを入れることで、映像に緩急をつけ、伝えたい部分を強調するのが上手い。野球で言えば、杉内俊哉みたいな緩急の付け方ですね。

あと、個人的に、小林ゆうはけっこう好きなんですよ、横島先生とか咲の加治木先輩とか。シリアスからギャグまで、芝居が上手いですよね。あと、ルカ子もいいよなあ。
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映画『シン・ゴジラ』公式サイト http://www.shin-godzilla.jp/index.html

以下、ネタバレを含みますので未見の方は注意(※スマホではトップに記事の文章が出てしまうので、この辺で少しネタバレ防止用の文章を作っときます。読まないで大丈夫です、スルーしてください。後、レイアウトやカット割り、映像方面については、別記事で言及します)







-ゴジラの恐怖は「進化」にあり-

ゴジラは最初小さい姿で上陸します。小さいヤツだったから、なんだこいつ弱そうってなったんですが、これがそもそもの罠。小さいヤツって「ジュラシックパーク」とかもそうですけど、どうしても観客は舐めてしまう。何だ弱そうだなと思っていたら、一瞬の内に何匹も現れるとか、でっかいティラノサウルスが現れるとか、そういう心の隙を付く。ハッと理解をした時には、目の前にデカイやつがいて恐怖でいっぱいになっている。

「シン・ゴジラ」では、まさしく「進化」がそれだった。油断をつくる最初のチビ。そもそも、予告編に出てたゴジラなんて全部デカイから、もう予告の時点から脳みそは操られていて、僕らの脳みそは勝手に、「最初から全長118.5Mのデカイやつが現れる」と決め込んでしまっていた。それが、実際はチビなんだから、油断してしまったわけです。



-愚かだったのは政治家だけか?-

前半部分は、主に縦割り行政に混乱する官僚や政治家を風刺します。それは、主人公が情報収集を依頼した後に、口を揃えて「どこの役所に言ったんだ?」と言ったセリフにも現れている通りです。「巨大不明生物などあり得ない」「生き物なら倒せるだろう」などと政治家は表面で判断してしまいます。ここで、観客は彼らの愚かさを滑稽に感じ嘲笑するわけですが、人間というのは馬鹿な生き物で、まるで自分のこととは思いません。

僕ら観客もこの滑稽な日本人の一員です。なぜ観客も滑稽なのか。それは、観客も「表面で」判断してしまった部分があるからです。そう、平泉成演じる里見臨時首相が就任した時に、観客の多くはこの男を「無能」と判断したはずです。前例がない危機的状況にもかかわらず、のんきにラーメンを食べる。官僚や政治家の早口とは対照的に、ゆったりとのんびり喋る。このような部分を見て、この男には誰一人期待をしていなかったはず。

しかし、核兵器が使用されるのを引き伸ばすよう外交努力をしてくれたのは、里見首相でした。結果的に、核兵器は使用されず、「ヤシオリ作戦」成功の一因となりました。さらに、ゴジラ対処後の国家構造の改革も視野に入れており、首相を引責辞任をします。彼は優秀な人間だったのです。

その姿見と表面的な行動から、観客は、里見首相に「無能」という判を押しました。それは、ゴジラのおどろおどろしい姿を見ても、「しょせん生き物だから武器で倒せる」と息巻いた政治家と何ら変わりません。「表面で」判断する愚かな人間という意味で、同じなのです。ですから、縦割りに戸惑う政治家だけが滑稽なのではなく、里見首相への浅はかな判断を下した観客も含めて、表面で判断してしまう日本への姿勢、その愚かさが滑稽であり、現代日本への風刺になっている。



-科学的な厳密さは必要ではない-

さて、ラストのゴジラを倒すシーンを中心に、科学的な厳密さに対する批判を散見しました。しかし、それは明らかな間違いです。まず、ヤシオリ作戦のシーンでは「血液凝固剤」の中身がどうのこうの、ゴジラとの反応がどうのこうのは、まったく重要ではありません。重要なのは、「血液凝固剤を使って」戦うことです。

ゴジラを倒すための血液凝固剤を作るには、牧元教授が残した複雑なデータを解析する必要がありました。巨災対のメンバーは寝る間を惜しんで、矢口プランを完成させようとします。綿密な情報収集を行い、ついに牧元教授の残したデータを解読し、血液凝固剤を完成させます。

彼らは、しぶとく熟慮し答えを導き出しました。正解を出せるかどうか分からない中、諦めずに考えました。これが重要。すなわち、矢口プランは「不退転」を示しています。対して、国連決議が下った核爆弾投下は、思考のかけらも、諦めない心もありません。自分たちが持つ最大火力、「核爆弾を使えば解決するだろう」というのは、第二次世界大戦の歴史を見ても分かるとおり人間の愚かな選択です。欧州米は早々に対処を諦め、人間の最終兵器に頼ってしまった。すなわち、シンゴジラにおける核爆弾は「諦念」を表しています。

名前を変えたヤシオリ作戦においても、矢口プランの持つ意味は変わりません。綿密に立てた作戦を信じ全員で取り組むことで、「(どんな災害や化物がきても)決して諦めないぞ」という意思表示をしています。これは、今作において、最も大きく、最も大切なテーマです。科学的な厳密さに対する批判は、手塚治虫に「ブラックジャックの内容は医学的に間違っている」という手紙を送った医大生と同じと思います。



-リアルな死の描き方-

ヤシオリ作戦では、リアルな死が描かれました。自分はここで一番ショックを受けました。第一小隊は、ゴジラに血液凝固剤を投与している中、目覚めたゴジラの熱線によって一瞬で消滅します。

消滅するときの描写は、遠方から映すのみです。叫び声を入れることもなければ、カメラが現場に寄りもしない。にも関わらず、これがめっぽうリアルです。リアルになっているのは、音も描写もなく、想像力にお任せしているからです。具体的な一つ画面を描いてしまえば、それ以上の感情は湧きませんが、想像力は無限です。この手法を庵野監督はよく使うのですが、そのおかげで今回はより静かで生々しい死が描写されていました。



-完全生物と不完全生物の構図-

ゴジラは完全生物、究極の生命体として描かれます。人間の8倍の遺伝子情報をもち、アメーバみたいに自己分裂も可能な、死をも乗り越えた究極の存在です。対して、人間は前述のとおり愚かな判断や選択、行動を繰り返す、不完全な生命体です。このような「完全-不完全」の対比構造は度々見られました。

この対比構造は、「核兵器」と「ヤシオリ作戦」の構図と同じです。核兵器は反応さえ起これば、後は自動的に爆発します。つまり、人為的なミスが起こる可能性が極めて低い。一方、ヤシオリ作戦は一人一人の行動によって、成功するかどうかが大きく変わってくる作戦内容です。実際、第一小隊は目覚めたゴジラによって消滅してしまいました。控えていた第二・第三小隊がやられていたらと考えるとキリがなく、リスクは高すぎると言わざるを得ない。

そんなリスクも高く不完全なヤシオリ作戦を実行した矢口は、日本人の可能性、ひいては不完全な生命体が持つ可能性を信じたかったからです。そういう観点から、人間の可能性は完全生物をも倒しうるということを庵野は表現したかった。繰り返しになりますが、「巨大不明生物なんてありえない」と決め付けたが故に初動が遅れ、ギリギリまで外交努力に尽力した臨時首相を国民はその姿見で嘲笑い、無能な人物とレッテルを貼った。

そんな長年続いていたであろう、行き詰った国に牧元教授は絶望して、ゴジラへと姿を変えました。愚かな選択を繰り返すぐらいなら、誤りのない完璧な生物へと進化をした方がいい。牧の「私は好きにした。君らも好きにしろ」というのは、人間の可能性に対する選択と自分は解釈しました。牧元教授が不完全な生命体への希望を捨てたのと対象的に、矢口以下巨災対は最後まで人間の可能性を信じて作戦を指揮します。完全なものへ抵抗することにより「不完全なものに対する希望」、そういったものを庵野監督は描こうとしているのではないか、そう思いました。以上です。

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最近のアニメ映画を見て、瀬戸内海を、特に本州から見た風景を描く作品が多いように思う。

例えば、沖浦監督の「ももへの手紙(2014)」は広島県の大崎下島をモデルに小さな港町を描いている(ひろしま観光ナビ-映画のロケ地巡り)。大崎下島は、芸予諸島と呼ばれる諸島の一つである。地図で見ると、大体この辺。


495px-大崎下島位置図
(Wikipediaより引用)


沖浦監督の生まれは大阪だが、ルーツは広島県福山市の鞆の浦(とものうら)にあるらしい。
沖浦という苗字は瀬戸内の地名でもあって、うちの家系はもともと福山市(広島県)の鞆の浦の出身なんです。ひいおじいちゃんの代に大阪に出てきたので、僕自身は大阪出身なんですけどね。あと、学者のおじが以前自分のルーツである瀬戸内の調査を本にしていたこともあって、前作の『人狼 JIN-ROH』の制作が終わった後に瀬戸内に行ってみたんです。そのときは自分にゆかりのある場所を巡ってみようという理由だったんですが、今回の『ももへの手紙』を作り始めたとき、(自然と)舞台を瀬戸内にしたいと思ったんですよね。

引用元:ももへの手紙-沖浦監督インタビュー
まずは、家系にルーツがあったと。いざ瀬戸内へ赴いてみたのは、創作の目的ではなく、ただゆかりのある場所巡り。実際に描くとなった次第に、瀬戸内にしたいという風に至った。その芸予諸島の中でも、大崎下島を選んだのはどうしてなのか。

──瀬戸内海に数ある島の中、大崎下島を選んだ理由は?

沖浦:うちの叔父が学者なのですが、瀬戸内海に関する本も書いているんです。その叔父にも相談したところ「大崎下島が良いのではないか」という話を受け、自分の中でも大崎下島の印象がなんとなく良いなと思っていたこともあって大崎下島を選びました。また、島の大きさはそこそこあるんだけれどもこじんまりとまとまっていて、島の中で町が分かれているんです。その中で豊町という地域には主な産業がみかん農家で、生活感を表現するのにみかん農家だけに絞れるのが非常に魅力的でもありました。漁師の人を描いたり農家の人を描いたりと、様々な仕事をしている人を描いていると時間の割き方が難しくなるので……。後は景観というところでも、展望台から見た景色など良い場所がたくさんありまして、瀬戸内海を表現する上で色々な条件が整っていました。

引用元:Production I.Gがこの春送るアニメーション映画『ももへの手紙』の沖浦監督へインタビュー!
生活感の表現としては、主要産業が絞れてる方がいいと。なるほど。島がこじんまりとまとまっているのに加えて、いい景観・場所が揃っていた。瀬戸内海を表現するのに、適した条件が多くあったから選んだという感じですね。



神山監督の最新作「ひるね姫 〜知らないワタシの物語〜(2017年予定)」でも、瀬戸内海に面した岡山県児島市が舞台に選ばれている。

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(上記公式サイトより図版引用)

描かれているのは、児島の住宅密集地と、瀬戸大橋だ。瀬戸大橋は、本州と四国を結ぶ本州四国連絡橋の一つで、児島-坂出ルートとも呼ばれている。1988年に完成した(※ちなみに、「ももへの手紙」の舞台は、尾道-今治ルート線上にある)。電車も走っており、この背景図だと、道路の真下を走行している。当然、電車の下には瀬戸内海が広がっており、きれいな内海が堪能できる。率直に言うと、高所恐怖症にとっては足元がおぼつかないために、めっちゃ怖い。タマヒュン。

児島市のすぐ西には、水島コンビナートが広がっており、煙を上げている。さきの三菱自動車燃費不正問題で煽りを食らった工場もあったりする。岡山県の工業高校生はたいてい水島コンビナートの工場に就職するイメージ。


ひるね姫にかんしての神山監督のコメントを見てみよう。

重苦しい現実と対峙していかなければならない時代に、アニメーション映画がやるべきことは何か?自問自答していたある日、『自分の娘に観せたい映画を作ったらどうだ』と言われ、ふっと天真爛漫な女の子とお父さんの物語が浮かんできました。でもこれがなかなか一筋縄ではいかずどうしたら娘に観てもらえるかを考えながら奮闘する毎日でした。この物語は、あるミニマムな個人の想いに寄りそった『父と娘の物語』です。
ミニアムな想いを表現するならば、児島市の中でも離島を扱うのかもしれない。瀬戸大橋の同一線上に存在する離島は2、3島ある。まあフィクションなのだから、あくまで参考程度だと思うが。

また、児島の近くには鷲羽山という山があり、鷲羽山ハイランドという遊園地もある。岡山県民にとっては、チボリ公園と並んで有名な遊園地だ。その鷲羽山から四国側を眺めた画像がこちら(GoogleMapより)。

鷲羽山景色

瀬戸大橋の遠近感がいいですね。


「ひるね姫」で公開された背景にアングルを合わせてみると、次のようになる。

児島市からの景色

大迫力の瀬戸大橋が望める。
というか、こんな近くで橋が見れるとこあったのか。


先ほどから挙げている、本州四国連絡橋は3つあり、尾道-今治(広島-愛媛間)ルート(「ももへの手紙」)と児島-坂出(岡山-香川間)ルート(「ひるね姫」)を紹介した。となると、神戸-鳴門ルート(兵庫-徳島間)を題材としたアニメがあってもいいように感じる。淡路島もあるし。

少し探してみただけども、アニメは無さそうだった。
競女!!!」っていう漫画はありました。よくわかんなかったです。


他に瀬戸内を題材としたアニメといえば、「瀬戸の花嫁」ぐらいしか思いつかんですね。

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この記事において、これだけ四国側が舞台となっています。さぬき弁なのかな、あのしゃべり方は。広島、岡山弁はよく言われる通り任侠のイメージが強い方言で、正直あんまりキレイな言葉ではない。「じゃけん、~じゃ」「でーれー」「なんしょんなら」とか平気でみんな使ってたが、今思うとカオス。


オリーブチョコめっちゃ美味しくて好きなので、小豆島を舞台としたアニメがあるといいなあとか思ってます。「二十四の瞳」はあるけど小説だしと思って調べたら、アニメ化されており驚き。まあでもこれは除外かなあ。ホントいい場所なんで、いつ舞台になってもおかしくないと思う。



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あと、庵野監督の生まれは山口県宇部市、水島と同じく工業地帯になっている(※太平洋ベルト地帯なので、瀬戸内に面した地域は工業地帯が多いことも一つポイントかも)。工業地帯や港、離島が入り交じる瀬戸内は、意外とクリエイティブな地域なのかもしれない。

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