Re:Gomistation.By2

A conclusion is the place where you got tired of thinking.

カテゴリ: 感想・評・レビュー等

( ^ω^)神様に返信するわけではないです。
( ^ω^)こんかいは言葉を調べる時間がないのじゃ



さいしょに。細田作品は例年ジブリとならんで作品公開前に放映されることが多く。とくに大ヒットした「サマーウォーズ」の後、それはそれは大変な期待をもって迎えられた「おおかみこどもの雨と雪」がなんと賛否を分けてしまった。そのために、初稿から8年経つ今でもコメントをもらう。

8年もだぞ8年。どういうこっちゃねん。まあ、これは残念ながら、その後の細田作品が世間が期待したほどではなかったこと、が影響しているんでしょうね。ぶっちゃけサマヲの時にはポスト宮崎駿、これから最高の作品が続いていくだろう、みたいな大きな期待に包まれていましたので。無敗の三冠馬だけど、春天にも宝塚にも出ないコントレイルかな?

はじめまして。
さきほどまで金曜ロードショーを見ておりました。
一言でいえば、つまらないという感想です。

もぞなぎぃさんのコメントにもあるように、1*児童相談所の訪問を悪として描かれていることに強烈な違和感を覚えました。
あの場面では、虐待や育児放棄が疑われてもおかしくない状況だと感じましたが、児童相談所の職員が無表情で、母親を追い詰める存在として描かれているのが不快でした。

また、転校生も雪にしつこく迫り、勝手に怪我をした割には、その点についての言及はなく「おおかみがやった」という中途半端な言い訳をしている点も不満でした。

「おおかみこどもの雨と雪」が面白くない理由
http://royal2627.ldblog.jp/archives/35843350.html



1*
不満点、おおいに同意。
でも、コネとポジショントークしかない、ジャップpoop批評家たちはこれを細田の家族愛の描き方(※噴飯物ですよ)としてみなしたりして鋭くツッコミをしない。分析もしない。構造を考えたり、どのようなものなのかを想定もしない。ここに無思考きわまれり。もっと批評家たちは批判的になれ。当たり前のこと言わすなや。バチバチで戦えよ、クリエイターと評価する側は馴れ合うな。ファック。

(;´Д`)ハァハァ
ふう…失礼( ^ω^)

繰り返しになりますが、金ローで細田作品が放映されるたびに、コメントをいただくことが多いです。エヴァも同様。


「おおかみこどもの雨と雪」はやりたいこと(※世界はとても理不尽で、狼が事故にあったりするのはごくごくあたりまえのこと。そして、その流れの中で生きていくしかないのである)は分かるけれど、それに見合ったことはできなかったという印象。もう正直覚えてねえ。


いちばんは、世界を操作しすぎた感が強い。操作とはなにかというと、児相を露悪的に描きすぎたり、「田舎の頑固者のジジイが実は優しくてマジで田舎幸せハッピー!」ってやりすぎた部分がそうです。これって、そのとある共同体や組織の”良い・ポジティブな”側面(※ないしは、それが過度に誇張されたステレオタイプ;田舎の人・しわくちゃなおばあちゃんは優しい、都会の人は冷たい、ツーブロックの営業マンは怖い)だけを抜き出しているから気色悪く映ってしまうんですよ。

インスタグラムやSNSを皮肉る画像があるじゃないですか

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(※スペイン出身のラファエル・アルヴァレス氏によるもの)


構造としては、これと同じですよね
投稿だけを見ると、このひとはとてもハッピーそうだけれど、隠された苦しみがある。そういうのをすべて排して、幸せの切り抜きを投稿しているよねっていうのがこの風刺画です。もちろん、人生上ではかならず苦しみも嫌なこともある。

そんで、「どちらかの側面だけを全力で抜き出し・誇張して演出すると、めちゃくちゃ気色の悪い映像になるんだね!」ってことが分かったのが、おおかみこどもの雨と雪の一つです。だから、これは演出ミスなんですよ。内容もそうだけれど、演出の割合が大きいとおもう。

世界を操作しすぎると、中立的にこのフィクションの世界が回っているとは思えない。この世界になにか、世界の外から力が働いているように思う。それが作劇では面白くなくなってしまう部分です。

つまるところ、これは、ご都合主義です。
細田の好きな世界で人形劇が行われているにすぎず、ぼくらを渡った普遍的な世界で描かれていない。

「ご都合主義だよね~」と感じる大半は”世界の無理やりな操作”です。


これはこの前の「エンジェルビーツ」でも同じく。露悪的にやればやるほど、描きたい状況・対象はフラットではなくなります。露悪的に描くことのデメリットは、その対象となる出来事など、たとえば児相、たとえば試験に向かう前の悲惨な列車事故、それらに「必ずこの感情を抱かせる」という強迫観念じみた演出になってしまうこと。いったいだれが、それでフィクションに没入することができるんだ?


理不尽の見せ方というのは、道端で人が死ぬのが画面端に映っても、主人公たちはべつだん気にしない。画面もわざわざそれをピックアップしない。とうぜんのことなのだから。それがとうぜん救いではなく苦しみではあるけれど、もはや慣れてしまった。そういうのが理不尽な世界の作り方なんですよ。わざと痛いところを見せない。

けれど、想像はさせる。エヴァのケーブル焼くところの叫び声とか、ですね。つまるところ、これは演出が上手くいっていないということではないですか?

ぼくらは新宿のヨドバシとかに行く時に架線下高架下のホームレスを目の端に入れますけど、過度にピントをあわせたり、それにフォーカスをあわせたりしないでしょ?だから、あれは仕方のないことだ、と自分たちがそう了承しているわけですよね。そういうのが理不尽の基礎です。

細田守は、この「おおかみこどもの雨と雪」という作品で、「世界の流れには人間は逆らえない」、みたいなことを描きたかったらしい。けれど、それは演出的に失敗してしまった。それだけのことです。

ようやくアニメリハビリも始まりまして、なんと2本もテレビアニメを見ました
・Angel Beats!
・神様のメモ帳→(別記事で、いやどうだろう?)
以上の2本です( ^ω^)



周回送れもいいとこだな!(^ω^)

*Angel Beats!(2010/TV)

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監督:岸誠二、脚本:麻枝准
会社:P.A.WORKS


AIRから逃げても、Keyアニメはおれを追いかける。
(※Key絡みとは知らんかったわ…)
タイトル、天使の鼓動?、鼓動ってなんだ、とずっと考えてた。OPもなんか知らんがずっと天使ちゃんはピアノ引いてるし。天使ちゃんの心残り出てこねえし。でもまあ、これはラストで、心臓移植かあ、ということで、やられました。なるほどなあ。そこが引っかかっていたけれど、推測はできなかった。うまいですね。

主人公の人生回想の保険証のサインあたりで察することなんでしょうが、あの辺は露悪的、なんというか、まさしく人生は理不尽で、かれがなにをしたところで世界はなんにも忖度しない。それどころか、救出が間に合ったのは、尽力した彼以外の人物たち。運悪く、かれは後一歩のところで間に合わなかった。という世界の残酷さ(※もっというと、世界はかれを殺すことに加担している感じまである)が、鼻について、あまり見ていられなかった。世界が中立じゃない感じがする。

終盤の影のあたりもすごく好き。天使ちゃんとの抗争も一段落ついたところで、この世界にまた別のエネミーが現れる。天使ちゃんということは、直井くんが連呼するような”神”的な存在がいてもおかしくはない。それが身内にいても。そういう風に考えながら見てました。ミスリードだったような気も。

結果的には、#12で「この世界に愛が現れたら、起動するプログラム」がモブを影に変えて、人格を保っている人々を飲み込むようにしました。んで、これは、愛を知って先立たれた恋人をひとり待ち続けていたとあるプログラマーによって作られ、防衛装置として働いた。「愛を知ると、この死後の世界は永遠の楽園になる」というのは、人格を保ったまま青春をループするってことなんでしょうね。それは楽しいけれど無意味でしかない。けっきょく、みんな死んでいるのだから。ということ。

ちょっと「ビューティフル・ドリーマー」みたいだな、お前な。さて、ここでゆりっぺがプログラム石田彰と対話するのは、彼女の人生と永遠という概念に対立があるからですね。まさに人生は有限ですが、ゆりっぺの妹たちには極端に時間がなかった。だから、対立の構造がきわだつわけですね。


麻枝准という脚本家は、世界や人生の理不尽さというのを全面に押し出しますよね。そもそも、人生なんてものなんていうのは理不尽の塊だと主張している。それがゆりっぺの妹が10分ごとに一人殺害されたり、音無くんがなんとか人生をやり直そうとしたところで脱線事故にあって、尽力しても死亡したり、その音無くんの心臓を移植した天使ちゃんもけっきょくは死んどるやんけ…ってなる。まあ、ぶっちゃけると、ちょっと見た後の気分はさわやかではない。ラストは納得しただけで、いっさいの感動がない。ミステリーのパズルがはまった感じ。

なんだろう、人工的に作られた、パズルのような感動には、人の感情は動かないんですよ。オタクの感情は動くかもしれないけれど。

世間知らずのオタクは置いておいて、ぼくは世界の理不尽さなんて、こんなに誇張されなくても知っている。で、繰り返されるのは、殺人事件に巻き込まれて妹たちが30分で3人惨殺されたとか、ゆいが生前、首から下がまったく動かなかったとか、人生再起しようとしたところで列車が脱線してみんなをまとめたけど結果的に自分が犠牲になったとか、そういう、超特殊ケースを多く出すんですよ。そういうところが不愉快ですよね、見ていて気分が悪い。


ただ、見ている側を不愉快にさせてでも描き通すということは、書き手にはとても強い主張があるはずです。やはり感じるのは、相反するけれど、人生や世界というのはそれでも素晴らしいものなんだと信じたい、そういうものですよね。世界はいっさいの忖度をしないし、凄惨な事故・事件にあった人を救ったりはおそらくしないけれど、その代わりに人・仲間の絆や世界の運命を信じたい。そういう希望に対して、執着じみたものを感じる。だから、ラストには、来世で天使ちゃんと音無くんが、ガルデモの歌を通じて再開を果たすわけで。あそこは予定調和、出さないといけないシーンだったとはおもうけれど、まあやっぱり嘘くせえなってなったかな。まあでもたぶん、あれが麻枝准にとっての救済なんですよ。


岸誠二はやっぱり、こう雑な言い方ですけど、85点のディレクションをしますよね。「暗殺教室」もそうだけど、あと一歩ずれたら、もう見ていられない作品になりそうなところを上手いこと演出する。他の人がやったら、エンジェルビーツみたいなものは、もっと酷いことになっていると思う。題材の難易度が高い。その代わり105点みたいな演出はない感じ。


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#3

アニメで「DUO 3.0」が登場するとは思ってもみなかった。受験図書としてはさほど知名度が高くなかったイメージなので、ようやくメジャーになってきたようで。原作で描写がありますね。まあ、うるかに勧めるのはどうかと思うけど・・・もう片一方は「即ゼミ 英頻」でしょう。ロングセラー実践問題集。なんかZ会っぽい表紙ですが。昔は英頻だと駿台のヤツと2冊でどっちのだみたいな話もあった。

51YKr6HJumL._SX346_BO1,204,203,200_   DUO

■単語集
単語集にも流行りがあって、
1990年代「英単語ターゲット1900」/「ピーナツ」
1990年代後半「速読英単語」
2010年代「システム英単語」/「キクタン」/各出版社図書
直近「鉄壁」

こういうイメージで流行ってきたかなあ。アホみたいに流行ったのはターゲットと速単とシス単の3つだと思う。あとはそれぞれの宗派による。「DUO 3.0」は効率的ですが、例文を覚えさせるので英語を苦手としている受験生には向いてない。そして、たいていやり切れない。大学受験向けに出版されていなかったので、社会人TOEIC受験から輸入された感じ。

さいきんだと、「鉄壁」という参考書がアホみたいに流行ってます。進学校専門予備校・鉄録会が出版したけど、当初はさほど受けていなかった。よく見るけど1割もやり切れてないと思う。700ページもあるので。東大という言葉に押されているのかなにかあったのか、まあよくわかりません。

僕なら「シス単 BASIC」を勧める。そこそこ得意なら「速単」だろう。なんにせよ、英語ができない、うるかに「DUO 3.0」の選択肢はいっさいない。成幸は無能。というよりは、参考書の数が多すぎて何を選んだらいいのか分からないのが現状でしょう。今年から共通学力テストに変わりますしおすし。



■こういう系の”教師役”
ぼくべん01.mkv_snapshot_00.28_[2020.06.20_17.14.28]ぼくべん01.mkv_snapshot_12.32_[2020.06.20_17.18.05]
#1

五等分の花嫁01  僕べん01-01
(「五等分の花嫁」5巻/「ぼくたちは勉強ができない」1巻)

オリジナルテキストや問題集を作ってしまう。教えることに対する情熱や貢献・献身を、ひいては彼自身の努力家なところ、面倒見が良いところを示すためなんでしょう。演出の理屈はわかりますよ。それを差し引いても、フィクションだとしても、こういうのは物理的に不可能だと感じるので受け付けられない。まあフィクションだからという理由で流しますけど、やはり違和感を抱くところで。

こういうところから思うのは、「天才ではない秀才」を、あるていどのリアリティをもって描くのは非常に難しいことなんだなあと。ラブコメという前提がある以上、フータローや成幸くんにベタ惚れする部分がないといけないわけです。それは読者に対しても。だから、こういった「不可能だけど彼女たちのために頑張る」部分が必須になる。

ああ、これならおれの好きな三玖もフータローにやってもええわな、「これだけ頑張っているなら」みたいな話になる。それが、オリジナルテキストやプリントといった不可能なものを読者が受け入れられる要因になるわけです。でもまあ、不自然さは拭えない、というのが正直なところ。だって、一日でオリジナルテキストとか無理だもん。それなのに、ちょっと真面目に勉強を教えている描写があると困る。つまり、デフォルメとリアル、どっちに振りたいんだ?、どこまでマジなんだ?となってしまう。

チーズタルトのくだりとか、作者設定忘れてんのか?とか思ったくらい、よくわかんないですよ俺は。まあラブコメだから、という一言ですべて流したほうがいいんです、こういうのは。

僕べんに関しては8話ぐらいまで見ました。いい感じじゃないでしょうか。OPの吉成鋼については触れるまでもあるまい、当時話題になったはず。あとは、汗の描写が面白かったかな。



勉強系ラブコメについては、野崎くんの一言が刺さる
野崎くん02-22

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ときどきみる

こういう意見を時々見るんだけれど、いやそれは違うかな、たぶんそういう経験がない人の理想論だなあと思ったので。おっこほど若くはないにせよ、似たような日々を送った自分からすると、若おかみの見方は随分と異なる。



自分の父親は塾を経営してました。全科目、そして事務処理も含めて全て1人でやっていた。で、2年ほど前に急逝しました。だれが残務処理をするか、そこで割と復職が楽であり親父の塾の最後をきちんとやってあげたい自分が手を挙げました。というか、まあ正直に言うと自分にしかできなかった。

親父が急に死んで、たった1人で塾の残務処理(精算)をする、そして、塾をそのまま続けるか決断を迫られた。随分きつかったけれど、まずは身内の死亡の際に「じっとしている」とおかしくなりそうになるんです。忙しい方がいい。これから受験の生徒に対して最大限できることだったり、自分なりになんとかやる。ご父兄のみなさんとの面会でも、たとえば、他への転塾はどこがいいか、とか相談に乗る。関係会社と連絡を取り合う。銀行や役所に毎日行って煩雑な手続きをする。これほんの一部ですけど、それだけ忙しいと、親父が死んだ事実と四六時中付き合わなくて済むんです。




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成長物語として描くのは異常だ、という言説がありますが、いや、親が死んだ時点で成長せざるを得ないんです。だってこれから、おっこは少なくとも「両親がいない子供」として生きていかなくてはならないんですから。そして、おっこを一人にしてぼーっとさせてはいけないんです。これは確実に言える。彼女に休ませる時間を与えようっていうのは、いっけん優しく見えるんですけど、時間をたっぷりと与えても、ただ四六時中ぼーっとして親の死と向き合うわけなんで、おかしくなりそうで余計にきついんです。だから、おばあちゃんは若女将に据えたんじゃないかな。なにかの役目を与えてあげることで、彼女なりに熱中できる部分を用意した。

ラストは微妙だけど、物語の全体構造が、なにか現実とはかけ離れた異常なものであるとはまったく思いません。むしろ、監督はこういった経験をしたことがあるのではないか。それぐらいの勘ぐりをしてしまうぐらいには、「身内の死」についてはリアリティのある映画でしたよ。

ヤマト01

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ワニくんの『~まで 残り(あと)◯日』というフレーズは、「まほろまてぃっく」が元ネタではないのか、という声が散見されました。しかし、もともと「宇宙戦艦ヤマト」の頃からありますので、これについては日本のサブカルチャー上ではとくだん珍しくもないかと思う。

まあ、要するに日本では受け入れられやすい・目を引く設定ではないかなと。ヤマトも毎週放送でしたから。古典的な方法に近い気がする。


さて、100日ワニくんについては、いろいろな想い・意見・批判が飛び交いました。ワニくんに生きていて欲しいだとか、100日目はどうなるんだ、商業展開が速すぎて仕組まれていたんじゃないのか。純粋に鑑賞したことや、あのときの感動を返して欲しいという言及まであった。相対的に見ていくと、モヤモヤが残った人が多いんじゃないんでしょうか。

モヤモヤが残った人にはおそらく、なんとも言えない気持ち悪さを抱いたと思います。では、この「ワニくんを巡る一連の流れ」は一体なにか。これは、オチがない「トゥルーマン・ショー」なんですよ。




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■トゥルーマン・ショー(1998)/主演:ジム・キャリー/脚本:アンドリュー・ニコル

今の人にとっては「イエスマン」の人であろうかジム・キャリー。昔は「マスク」の人で通じた。「トゥルーマン・ショー」はコンテンツの消費者をシニカルなオチであざ笑った傑作です。みんなが抱えているモヤモヤはこれでだいたい解決するとおもう。

名作ですから知らない人なんていないと思うけれど…
まずは、お話をざっくりと見ていきましょう。


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生命保険会社に勤める”トゥルーマン”はいつも笑顔なサラリーマン。
美しい妻を持ち親友もいて人生順風満帆といった感じ。


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しかし、そんな彼にも苦手な場所があった。それは水辺。子供の頃にボートが転覆して、一緒に乗っていった父親を亡くしてからは近寄ることすらできない。小さい橋すら渡れない。


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そしてある日、なんと死んだと思っていた父親を見かける。けれど、父親はすぐさま誰かに連れ去られてしまい話すこともできなかった。「父を見たんだ」と母親に言っても、妻に言っても「よくあることよ」と言われて信じてもらえない。


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自宅の地下室でふさぎ込みトゥルーマン。袋から取り出したのは、大学生時代の想い人・ローレンのカーディガン。右画像のおばさんが言う通り、そう「彼女を忘れられない」んだ。

え、いやいや、このおばさんはいったいだれだよ。
まるで彼のすべてを知っているかのような素振り。そう、残酷なことにこれはTVショーなのです。おばさんはそのいち視聴者で、トゥルーマン本人の生きている世界は「作りもののTV番組」だった。


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彼の生きる世界は、人工的に作られた巨大なドームの中によって全てが操作されていた。天気も、車の渋滞も、流れるラジオや、風景に至るまで。このTV番組に出てくる商品はすべて宣伝のためのものであり、この番組内宣伝(今風にいうと;プロダクト・プレイスメント)を行うことで、CMを挟むことなく24時間生放送を何十年も続けてきた。彼が望まれぬ子としてこの世に生まれてきてからずっと。水辺に恐怖症を持たせたのも、この世界から出ないようにするため。なんたることか。


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父親との再会をきっかけに、過去のローレン(本名:シルヴィア)の言葉を思い出す。「あなたはみんなに見られている、あなたの前で芝居をしている」と。トゥルーマンの世界に対する違和感はどんどん深まっていく。


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会ったこともない警官が、なぜか自分の名前を知っている。
口論の最中に、妻がなぜかココアをやたら詳しく紹介し飲もうと提案してくる。


この意味の分からない状況に、トゥルーマンの抱く違和感は最高潮に達し妻と刃物で喧嘩になってしまう。幸い大きな事件にはならなかったけれど、彼と世界のズレはもう限界だった。そんなズレを解消するために、番組のディレクターはある手を打つ。

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そう父親との再会だ。血縁的にはいっさい関係はない。視聴者を感動させるように、ディレクターはたっぷりと細かく演出する。カメラワークから音楽に至るまで。


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まるで宇宙飛行機の打ち上げに成功したかのような歓喜と祝福の表情。トゥルーマンが捨てられた子と分かっているはずなのに。ワニくんにも同じような「気持ち悪さ」があります。そして、それをみんな感じていた。だからモヤモヤしているはずです。



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さて、これでトゥルーマンが抱いた違和感も消えたかと思えば、そんなことはなかった。彼は正気に戻ったふりをして脱出を試みます。トゥルーマンがいないことに気付いた番組スタッフたちは、TVを止めエキストラを総動員して彼を探しますが、島のどこにもいない。


残るは──
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水辺は彼の最も苦手なところでした。それ以上にトゥルーマンは本当の世界が知りたい。隠しカメラには真実を求めシルヴィアを求めて、ボートに乗るトゥルーマンの姿が映る。ディレクターは彼をこの世界に戻すために、転覆ギリギリまで海を操作し彼の心を折ろうとしますが、



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ついぞ彼の心は折れなかった。そして、ついに”出口”へとたどり着く。この壁には僕も衝撃を受けましたよ驚いた。さて、彼は最後にディレクターに「何か話せ!TVに映っているんだぞ!」と言われ、次のように言います。


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つまり、自分のいつもの挨拶をしたんですね、ごきげんようと。


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脱出成功に、狂喜乱舞する視聴者たち。
この辺はワニくんで「感動した」と騒ぐ人たちと構造がいっしょですよね。



しかし、真にシニカルなのは最後の2カットなんだ。ぶっちゃけここまでは前フリにすぎない

★★★
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さっきまで「トゥルーマン・ショー」に夢中になっていた視聴者は、なんの余韻もなく、すぐさま別の番組に切り替えます。ここが凄まじい。これが冒頭に述べた、コンテンツの消費者をシニカルにあざ笑ったシーン。

TV番組「トゥルーマン・ショー」じたいが重要なのではなく、コンテンツじたいが流れている・存在していることが重要である。そんな視聴者だらけだろう?中身なんて関係ないだろう?そのときそのときにみんなで盛り上がれたら気持ち良いだろう?、という皮肉を本映画では明確に突きつけたわけです。




日本誕生-03
(これは「日本誕生」における木上益治作画のワニ→研究本

誤解を招きたくないので、いちおう。ワニ本編=映画「トゥルーマン・ショー」ではありません。ワニを取り巻く胡散臭さや消費者の喜怒哀楽、これらを含めた状況が映画「(シニカルさのかけらもない)トゥルーマン・ショー」であると僕には見えた。考えていくと、そうにしか見えなくなった。だから、気色悪いなと思ったんです。シニカルさがない「トゥルーマン・ショー」というのはすなわち、このオチである2カットがない、ただトゥルーマンの脱出劇を喜んで終わりというだけですから。

シニカルかどうかはどうでもよくて、創作作品なのにオチがないからみんな困っている。「ワニくんの死んだことでオチてるやん!」と思われる方もいらっしゃるだろう。いや、ワニくんの死というのは、「トゥルーマン・ショー」における「脱出成功」なんですよ。つまり、あらかじめ決まって(予期されて)いること。ワニくんの死んだ後の、その先のオチがないと完成しないんですよ、こういうメタ作品は。

たとえば、ねず公が黒幕でした、でもそれなりに納得できる。賛否は分かれるだろうけど、ただ読者に与えられたメタ情報(100日後に死ぬ)がそのまま遂行されただけでは完成しない。クリエイターとしては最低です。オチを放棄したので賛否もクソもない。だから、みんなモヤモヤして困っている。

それなのに、なんか知らないけど、1時間も経たないうちに、当然いきものがかりが何か歌うらしいし書籍化もされる、映画化もされる。そりゃモヤモヤも増してとうぜん。ステマ・広告代理店案件と言ってもいいけど、それより僕らがこの件で学ぶべき教訓はトゥルーマンの思考です。

流されず、自分の目で見て、自分が考えた・感じたことを受け取って、前進していく。自分の判断力を十全に信じ切ってあげる。まあ作品が、何らかの組織的な操作や仕掛けをされているといった単純なことでも萎えますけどね。もちろん。それはもはや作品ではありません、棚に陳列される商品です。


wani

あとはなんか調べていくうちに、面白そうなワニの絵本が多かったのでそのリンクだけ貼っときます。あんなものを読むくらいだったら、もっと有意義なワニの絵本買いましょう。拝金主義は怖い。以上。

ワニの絵本
https://00m.in/LARAe

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