GOMISTATION

足が絡まっても、踊り続けて

カテゴリ: 感想・評・レビュー等


【追記 2015/07/25】
新しいエントリー出しますので、しばしお待ちくださいませ
【追記 2017/03/11】
金ロー効果半端ねえなあと思ってます。
この記事は雑なので、こちらも合わせて
「おおかみおとこの死」の描写に関しての解釈と、細田監督の意図
http://royal2627.ldblog.jp/archives/45677579.html


さて金曜ロードショーで地上波初放映されました、「おおかみこどもの雨と雪」。
既に感想は出していますが→おおかみこどもの雨と雪、今更ながら見ました。

改めてなぜ面白くないと感じたのか書いていきたいと思います。




都会と地方の対立構造

おおかみおとこを失った後、花は子どもの真の姿を知られてはいけないため、必死に隠し通そうとしますが限界がきます。その後田舎に引っ越し、まるで20年前の固定観念のような田舎で暮らしていきます。
つまりは、「都会」に助けはなく、「田舎」にはあたたかみがある。そんな主張というか偏見で作っています。ここにおいて、その是非はどっちでもいいのですが、先述したとおり20年、いや何十年も前からの「都会は冷たい、地方はぬくもりがある」という固定観念で構成されているところに陳腐さを感じずにはいられないので、まず新鮮味が感じられません。あれこれ見たことあるくね?みたいな。当然、そのありきたりな題材の中でも、何か別の視点から描ければ全く問題はないと思いますし、面白くなると思いますよ。

基本的に、主張の仕方としては、一般論に対して批判的になること(※普段利用している電気の光は実は、自分たちの視野を狭くしているとか。まあ高校現代文ですね。)が当たり前なんですが、この作品はその逆をいっている。戦わなきゃいけない一般論に擦り寄り、媚びへつらっていては、何の主張があるんでしょうか。「トトロ」のまね事をして、ただ単に無難な選択肢を選んだようにしか思えません。



脚本によって殺される「おおかみおとこ」

個人としては、一番嫌なとこです。「おおかみおとこ」と一緒になって、子どもも出来て、さあこれからという時に「おおかみおとこ」はあっさりと死んでしまう。そのあっさりと死んでしまうことが、現代の理不尽さを示していると言われれば、少しは納得もできますが、やはり脚本的に死んでもらいたかったようにしか感じません。

今回細田監督は、「強く生きる女性」を描こうと思ったのでしょう。前作「サマーウォーズ」でもその徴候は出ていましたが、細田監督は大分フェミ。そのためには、せっかく出した「おおかみおとこ」が邪魔になってしまう。だから死んでもらおう、と。これ「おおかみおとこ」はハーフの子どものためでしかないですよね。単なるに、「おおかみと子どものハーフ」が欲しかったから、キャラとして入れただけ。つまり、簡潔にひどく言えば、「おおかみおとこ」は「種馬」でしかないわけです。



唐突な転校生の唐突さ

転校生は唐突に決まってるだろアホか。と言われそうですが、何故出したか分からない。確か怪我して、雨の中雨と(ややこしい)一緒に残って、雨「私おおかみハーフなんやで」と、多分これぐらいじゃないですか。こいつに何の意味があるかっていったら、次で説明しますけど、「選択の後押し」のためなんですよ。こいつもね、最初から出しといて、後からどんどんって形でもいいわけじゃないですか。 なんで途中で出してきて、勘が良くて、んでつきまとうのか。よく分かんない。

子ども二人は当然、2つ道があるから設定したわけで。「おおかみ」なのか「人間」なのか、どっちで生きていくのかっていうのを選ばせるわけですけど、その選択の後押しのために「転校生」出したと思うんですよ。 これが個人としては、後付みたいで嫌なんです。ツギハギみたいな感じの脚本が伝わってくるんです。



結局、何が言いたかったのか?

テーマが分散してるんですよ。「都会と田舎」、「おおかみか人間か」、「生きること」、「強く生きる女性」とか色んなことが詰め込みすぎて、結局主題が雲散霧消してしまっている。「エヴァ」なら、他人と自己の問題じゃないですか。「ナウシカ」なら、自然との対立と巨神兵の業、「ガンダム」なら対話、とはっきりしてるんですよ。受けそうなテーマ色々突っ込んだけど、結局全部中途半端な感じで何かうーん、といった感じで。

かといって商業性に特化していると言われれば、そうでもない。田舎からは、ほとんど「トトロ」だし。何か「サマーウォーズ」みたいにドッカーンとか映像だけで楽しいシーンが多いわけでもなし。

どこの層狙ってるかというと、やっぱり母親とファミリー層なんだろうなとは思いますけどね。それでも大分退屈な作品でした。一応擁護として、これ多分いろいろ企画や製作から言われたりしたんじゃないんかなーとか思います。「ジブリみたいにやってくれ!」「トトロみたいなの作ってくれ!」みたいな。

何にせよ、次回作に細田監督の評価は持ち越されそうです。


 


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ただ、高畑さんは、自分がそのアイデアに自分が乗り気でなくても面白い事を言い出す人なのです。ある時、僕に聞いてきたのです。
「かぐや姫は、月の人でしょう。数ある星の中で、なぜ地球へやってきたんですか」と。
こう言われると、答えが出ない。「なんで、ですかね。難しいですね」と。

その後に、「なんで一定期間いて、月に戻ったんですか?」という。これもわかんない。そうかと思うと「地球へ来て、彼女はどんな気持ちで、毎日をどう生きてたんですか?」って言われたのですよ。これも、また、わからないのです(笑)。
最後に高畑さんが言い出したのが、「そもそも地球へやってきたのは、彼女が、地球に憧れたからじゃないか」と。それで、「月の人が地球に憧れる事は罪だろうと。だから罰として地球へ送り込まれたんだろう」と。「では、なんで、また元に戻らなければならなかったのか。多分、もう一つ、本当の罰があったのかな?」という。
こんな事を言われると、「面白そうですね」という事になるわけですよ(笑)。
 


才能がありすぎますね、高畑さんは。
こんな発想できないですよ。

中でも、「本当の罰があったのかな?」という部分は気になります。 
それは、それこそ高畑勲にしか分からんわけですけど。

僕も自分なりに考えてみたんですけどね。

地球人的な考え方をしてしまったから月から追放されたんじゃね?とか。
実は偉い人(地球で言うトコの天皇とか)の子どもなんだけど、出生がよくなくて(側室の不倫の子どもとか)、そういった後継者の候補からは外されてた、とか
でも、実際には月で戦争が始まってしまって、他の王子や王女たちは皆死んでしまって、追放したはずの「かぐや姫」を取り戻さなくてはならなくなった、とか
ある特定の子孫でないと、動かせない機械、機構、組織があるだとか。

全然及びませんね…


「かぐや姫の物語」は11月公開。
楽しみです。




_SS500_
まずは話の流れから。

マケドニアのフィリッポス王は、ギリシアの統一を果たそうとしていた。
そこで、マケドニアによる統一を阻もうとするアテネ側に与する2都市”ビザンティオン”と”ペリントス”に狙いを定め、海と陸両方からの攻めを始める。
ビザンティオンは、フィリッポスが、ペリントスは、パルメニオンが、それぞれ陸から攻め込んだ。
海、つまりマケドニア艦隊には指揮官はいなかった。陸戦を得意とするマケドニアにとっては当然のことであったのだが…


まずは、対ビザンティオン攻城戦である。

アッタロス率いる、攻城隊はビザンティオンの堅い守備によって阻まれ、投石機など当時としては最新の攻城兵器を用いるが、城壁破壊はできずにいた。結局、分散していた「もぐら攻め」 の隊を東に集中させることで、攻略しようと軍議でフィリッポス王は決める。

そこで、伝令が軍議へと突然やってくる。
「ペリントスを攻めていたマケドニア艦隊がやられた」と。
当然、ビザンティオンにもアテネ艦隊は来襲することが予想される。しかし、ここではビザンティオンの方が比重として高く気づかなかったのだろう。

アテネ艦隊の指揮官は、弁論家で政治家の「フォーキオン」 であった。
このフォーキオンは、戦の指揮において堅実かつ着実であり、また冒険家ではなく、確実性を重んじる指揮官であった。
しかも、ペリントスの前には、 エウボイアという島があり、その島の三都市をまたたく間に開城させての、ペリントス来襲であった。
まさに、この知将フォーキオンあってこそのアテネ艦隊とも言える。

エウメネスは軍議後、ふと気付き、フィリッポスに進言するが時既に遅し。
フォーキオン率いるアテネ艦隊は、ビザンティオンにやってきたのだ。

三段櫂船の軽さ、歩兵の軽装、それによる機動性、そして操船の練達度のあまりの違い。これらをもってして、マケドニアは海戦においてアテネに完敗する。 
しかも、対岸にはアテネの陸援軍も配置され、ビザンティオン攻城戦は諦めざるを得ない状況となる。

この2ヶ所での戦において、ペリントス、ビザンティオンどちらも攻めるには堅い都市であることも判明し、またマケドニアにとっては海戦での圧倒的な差を見せつけられた形となった。



そしてマケドニアの首都、ペラに帰ろうぜとなるかと思いきや、もう一つ戦が始まる。
ビザンティオンの北部、スキタイのアタイアスの王国は隣国イストリアとの戦いにより疲弊しきっていた。
そこへ、マケドニア軍(陸)がやってきているではないか。
この陸軍を使えば、イストリアを挟撃することができると考えた、アタイアスはフィリッポスに援軍の見返りとして王位を継承すると言い出しだのだ。
マケドニア、スキタイの王フィリッポスとなれば、アテネどころではなくペルシアにも対抗できるかもしれない、そのためフィリッポスは進軍を決めた。


しかし、マケドニアが北へと向かう途中、イストリアの王が急死し、イストリアの勢力は見る見るうちに萎んでしまった。これでは、もはやマケドニアの手を借りる必要もない。 ということで、王位継承の話もなくなり、遠征費など出さぬということで、フィリッポスの逆鱗に触れることとなる。

そして紀元前399年、マケドニアVSスキタイの戦が始まる。
しかし、当時においては最強陸軍のマケドニア。
一方的な展開で勝利を収め、捕虜2万、良質な馬2万を率いて帰る。 



ところが、遠征帰りに地元のトリバロイの人々には、マケドニアがスキタイから分捕った財宝があるという誤報が流れており、フィリッポスは敵襲により太ももに大怪我を負う。

エウメネスは斥候、偵察や追跡を果たす役割を自ら担い、アッタロスの気絶を利用し、各将軍へと命令を下す。
その結果、何とかトリバロイは退いていった。
しかし、マケドニアとしては、この戦で捕虜の大半を失い、フィリッポス王の大怪我というまさに痛すぎる損害であった。





ということで読み終わりました、ヒストリエ8巻。

2つの都市を攻め込もうぜということで始まった戦でしたが、ビザンティオンは堅すぎるわ、ペリントスにいる艦隊はフォーキオンに落とされるわで、全くの完敗でした。

エウメネスが進言した、帆と帆柱を外すという軽量化作戦があったとしても、あの練達度が高いアテネ艦隊には勝てなかったろうなあと思いましたが、それにしてもフィリッポス王は油断し過ぎ。 ビザンティオンにかける思いが強かったのは分かるんだけども。

そして、思ったのは最後の遠征帰りの奇襲の時に、さっさと他の部隊も斥候出せやと。エウメネスだけじゃん。どっかの一つは物見を出していたようですが。
個々の将軍の力が弱すぎやしませんかと感じました。

ざっとこんな感じです。 

岩明均さんって確か、アシ使ってない上に手の集中が上手く効かないらしくて(アフタヌーン6月号あたり)
もっと読みたいんですけどねえ。
多分、次は2014年の秋、冬頃じゃないかなあとか思っとります。

「ヘウレーカ」みたいなのも大好きです。 

ではでは。 

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