GOMISTATION

足が絡まっても、踊り続けて

カテゴリ: 感想・評・レビュー等


ギャンブルは何かを賭け、何かを得るものです。高レートになればなるほど、敵が強くなればなるほど、得るものは大きくなっていき、リスクも高まる。で、表題の「勝利に貪欲でないギャンブル」というのは、簡単にいうと、ギャンブル中毒のことです。賭け事をする際に、そのリスク故に興奮し勝ち負けはどちらでも良い。これはギャンブルの側面の一つではありますが、正面ではありません。

面白いギャンブル漫画に共通していることって、「勝利に貪欲だ」と思うんですよ。とにかく、勝てれば、何をしても良い。過程がどうあれ、勝利すれば良い。相手の裏を読み、イカサマをし、またはイカサマを逆手に取って、果ては勝負じたいには負けて命をもぎ取る。

0 167-010 167-02
(嘘喰い37巻より引用)

たとえば、迫稔雄による「嘘喰い」では、「何かを得ようとすると、それ相応の対価がいる」というセリフが多用されるのですが、これがギャンブルの本質と思います。プロトポリス編で、ある勝利のために、その勝負とは関係ない簡単なギャンブルで、なんと主人公・獏は指を落とします。この勝負に拘っている、必死である、そういった事を敵陣営に思い込ませる。結果、獏の作戦は成功。「対価」という概念は、ギャンブル漫画では以前から存在していましたが、たぶん「嘘喰い」で初めて明確に描写されたんじゃないかな。


0 167-03
(同37巻より引用)

ギャンブル中毒みたいな漫画は、何か違うな、面白くねえなと感じる。こいつ勝つ気ねえのか、アホかと思う。と同時に、そういう態度って凡人側(もしくは敵勢力側)なんですよ。「勝たなくても、この演出が見れた(興奮できた)」と言って、50k投資して、40k回収して「マイナス減って良かった」みたいに喜ぶ凡人が漫画に出てきても面白くない。相手に対してのアジテートはブラフであって欲しいし、くだらねえひと言も何かの伏線であって欲しい。ギャンブルに狂ってるフリをして、実はまったく狂っていない。すべての言動を勝ちに繋げて欲しい。そういう思いがある。

7月から始まるギャンブル・アニメに、「賭ケグルイ」というのがあります。タイトルから見ちゃうと、「賭ケグルイ」はギャンブル中毒者っぽいんですが、こればっかりは、まあ見てみな分からん。ただ、けして「勝てなくても、リスクに身をおいて楽しんでいる」凡人側に来て欲しくない。そんな変な思いがあります。


どうも、便乗シリーズ第二弾です。「けものフレンズ」は3話が一番好きです。

あらかたの感想・批評は出たと思います。ロボやセルリアンのSF感や、ジャパリパークの不穏な感じとかはもう語り尽くされていると思うんで、僕は別の視点から言及したいと思う。



実際見たところ、よく言われる不穏さとかそういう事を僕は感じなかった。ロボについても、人がいない錆ついたジャパリパークについても、不穏な感じはさほど受けず、むしろ、誰もいない廃墟を、自分だけの世界として巡ることに、自由さ・開放感を感じていました。


そのけもフレで感じた手触りと似ていたのは、
「ドラえもん のび太の鉄人兵団」と「うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー」などです。 




鉄人兵団01鉄人兵団05

鏡の世界では、あべこべな事と無人以外は、元の世界と何も変わらない。何をしても全て自由な世界でした。買い物に行くシーンが良いんですよ。レジ通すんだけど、けっきょくみんなタダっていう。空き地で、焚き火しても怒られない。こんな風に自由だけれど、それにつきまとうものもある。


鉄人兵団03

それは、自衛という義務です。他の惑星から来たロボットたちはこの鏡世界を地球と勘違いし、攻め込んできますよね。ここで、ドラえもんたちは、自分の身を守らないといけない。だから、ロボット感知器みたいな線を引いたり、やまびこやまを置いたりして自衛する。



45]17]

「ビューティフル・ドリーマー」の『夢世界』も同じく、あたるたちは好き勝手に廃墟化した町で遊びまくります。ただ、食料の管理はあたる母の許可制と、規則を設けて義務としている。


要するに、これら2つは、自分の好きなように生きていい、そういう世界ですよね。そこには、自由さから生じる義務(自衛)や責任もあるけども、それを差し置いても、得がたい「自由さ」がある。


けもフレも、構造としては、これらとほとんど同じなんですよ。かばんちゃんとサーバルがいる。で、彼らは、何をしてもいい。かばんちゃんは自分が何のフレンズか分からないから、自分探しの旅へと出かけるわけですが、その道中もサバイバルですよね。やっぱり、自分の身は自分とサーバルで守りつつ、そして助けられつつという感じで、やはり構造は似ている。


けもフレの大ヒット、大人気の根底には、こういった自由さ・開放感があると思うんだけど、触れている文章がなかったので書きました。まあ、ぶっちゃけると、森恒二「自殺島」がもっとも「けものフレンズ」と近いんですよ。あのサバイバル感と、作者の自己体験を挿入するところとか、めっちゃ近い。気が向いたら続きを書くかも。


冴えカノ2期です

まあぶっちゃけ、ぼくは1期で満足しきっていて(彼らの旅路はこれから続いていくんだ的なエンドで良いと思った)、2期はいらない、必要ではない、蛇足じゃねえかなあと。そういう考えの元、2期を見たわけですが、必要かもしれねえ、いや微妙だなあっていうのが、今の率直な感想です。

先に言い訳しておきますが、考えながらに書くので、文章が長くなる。3行以上読めない人ばかりでしょう。だから、メイドラの記事と同じく、読み飛ばして良いです。たぶん面白くないんで。



ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

冴えカノの面白い部分は、ゲーム制作の中での衝突やその解決、まあそういった所だと思うんですが、2期1話でも結構、普段見過ごされがちな所に突っ込んで作ってますよね。



冴えカノ01-03冴えカノ01-02

1年前に、エリリは倫理くんに勧められて、霞詩子の「恋するメトロノーム」を読み感動した、そして作者にも敬意を抱いた。サインを欲しがり、本棚に丁寧に飾った。そのラノベも含めて倫理くんと語り合いと思う中で、屋上でイチャラブする女、詩羽先輩が登場し、彼女の存在にひどくイラつき、ドギツく当たるわけですが、なんと詩羽先輩は、作者、霞詩子その人であった。で、葛藤するわけです。


冴えカノ01-04冴えカノ01-05

エリリにとっては、作家としての霞詩子はサインを欲しがるほどに大好きだけれど、現実でトモヤとイチャラブされる詩羽先輩は嫌い。嫌いというか、私のトモヤを取るんじゃねえみたいな、嫉妬心がある。こりゃあ、「作者と作品の関係」について、よく踏み込んでるなと思う。

インターネットが発達し、SNSで作者が発信できるようになると、僕らはたびたび、幻滅しました。ドギツいネトウヨ発言を日々垂れ流すアニメの作画監督とか、五体不満足で、立派な本を出しといたくせに、不貞行為をしてネットでは言い訳を繰り返す人とか、まあ数知れません。こういったのは、ハロー効果っていいますね。



冴えカノ01-06

で、エリリは、自分のプライドとして、詩羽先輩には頭を下げてまでサインをもらいたくない。「作品は好きだけれど、あいつは認めたくない」と。そんな中、詩羽先輩も、エリリの存在(私の倫理くんを困らせて!)に苛立ち、彼女の美術部の個人部屋へと赴きます。で、詩羽先輩もエリリが同人作家であることに気づく、いや、そんなことよりも衝撃だった、彼女のイラストの妙を認めざるを得なかったのは、イーゼルに立て掛けられていた、キャンパスの絵でしょう。



冴えカノ01-07冴えカノ01-08

詩羽先輩はそのとき、素直に感動してしまった。作者がいかに偏屈であっても、クズであっても、どうであれ、圧倒的なものを見せられて感動してしまえば、素直に認めざるをえない。「作者と作品は分ける」というよりも、「作品がすさまじければ、作家がどうとか関係ない」という風に判断をした。そして、1年後に、お互いにサインを求めた。これは、「作者と作品の関係」に対する一つの答えですよね、素直になれよと、それがよく描けていたと思う。

「冴えヒロ」と呟いた人を片っ端からブロックしていく、どっかの難ありキャラクターデザイナーも、僕は絵に惚れているので、まあ関係ありません。そういうことですよね。

↑このページのトップヘ

©GOMISTATION 2012-2017 All rights reversed