GOMISTATION

足が絡まっても、踊り続けて

カテゴリ: 感想・評・レビュー等


シュタゲ劇場版、他の人の感想を読みました。まあ大抵似たり寄ったりなんですけど。 その中でも共通して多かった「キャラの行動が矛盾してる」というのには、あまり賛成できないので少し書きます。

例えば、「オレのことは忘れろ」と言いながら、紅莉栖にキスをする点。
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これは全然おかしくないんです。まず、アニメってどこから発生してると思いますか。現実世界に生きる作者の思考、経験、そして作者に対する他人の言動、社会背景から発生します。現実では、矛盾した行動を時に我々はとります。好きな人を殴ったり、壊したくもないものをわざと壊したりします。でもそれは人間が持つ理性の防衛本能だったり、無意識だったり、当然起こりうる行動なんです。「死にたい」と言いながら、死なないのはその最たる例であります。人間は本質的には、矛盾の生き物です。そんな人間から発生するアニメも、自分で一から創造できるとはいえ、矛盾した言動を脚本に抱えることは避けられないのです。なぜなら人間は、動物のように本能的な行動しかしないのではなく、矛盾した言動もする理性的な生き物だからです。


さて、この前提を踏まえた上で、本題に戻ります。
「『オレのことは忘れろ』と言いながら、紅莉栖にキスをすること」は、本当におかしいことでしょうか。
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オカリンだって当然、自分の存在がなくなるなんてのは耐えがたい現実なわけですし、紅莉栖やまゆりとずっと一緒にいたいに決まっています。これは、アニメの外にいる僕達が思う客観的な事実であり、オカリンの持つ一つの主観的な感情です。「オレのことは忘れろ」と言ったのは、紅莉栖とまゆりの平穏を考えたからであり、オカリン献身的な感情の表れです。これは、RS能力を持ち、数多の世界線を飛び続けたTV版から常に示されてきました。それでも、この言動とは矛盾する「紅莉栖やまゆりと一緒にいたい」という自己的な感情(エゴイズム)を持ってしまいます。これらのように、相反する2つの感情が1人の人間の中に存在している状態を、アンビバレントといいます。簡単に言うと、相反する2つの感情が内在している状態です。(憎悪+愛とか)

アンビバレントは、とても不安定な状態です。どっちに揺らいでもしようがないような状態です。あのシーンは、岡部は自分がいなくなるという前提に立った上で、紅莉栖と最後のお別れと自分へのケジメのつもりで「キス」をしたのです。つまり、自分がいなくなってしまう現実に怯えながら(エゴ)も、それを「オレのことは忘れろ」と彼女らに隠した上(献身的な感情)で、紅莉栖と離れたくないという自己的な感情(エゴ)と紅莉栖の持つ納得出来ない感情(紅莉栖にとってのエゴ)を満足させるためには、「キス」をするしかなかったのです。

合理的な選択として、記憶に強く残すのを避けたいのならば、「キス」などせずにさっさと去るべきです。でも完全合理な生き物はコンピュータであり、人間ではありません。感情という一つの基準があるから、人間は自分に関係のない落し物のために時間を浪費したり、他人にプレゼントを送ったりするのです。だから、オカリンの言動は矛盾していて、むしろ当然なのです。

これは、僕の解釈であり、確かに完全に正しい解釈ではないかもしれません。それでも、上っ面のセリフと行動を照らしあわせて、矛盾してるからおかしいと言うことは、この解釈という次元にすら立っていません。さらに、ここに至るまでに、岡部と紅莉栖の間で激しい口論があります。その文脈も踏まえた上で、アニメを見ていかないと誤った認識をしてしまい、結果「この脚本はおかしい」という短絡的な結論に至るのです。
これは何もシュタゲに限った話ではありません。

「エヴァQ」においても、ミサトのシンジへの愛情と恐怖の感情を読めない人がいて、ミサトの行動はおかしいと語るユーザーは少なくありませんでした。 DSSチョーカーを持つ手の震え方ですべてがわかるのに、ファンがわかろうとしない。艦長という役目で、人工使徒が次々と攻めてくる。しかも14年間も経っていて、どう接するべきかも上手く掴めない。サードはシンジくんが起こしたという、思い込みのようなものがあり、隔離すべきという艦長の役目と助けてあげたいというミサトさんの狭間で揺れていただけなのです。

こういうことを言うと、「ただの妄想だ」「制作者がどういう風な意図で作ってるかなんてお前に分かるのか」と言われがちです。確かに妄想にすぎないかもしれないし、制作者の意図も正確には分かりません。でも分かろうとすることが大事なんじゃないのか、と最近よく思います。

ファンと制作者が相互に交流して作品について語り合うことはまず出来ません。僕らにできるのは、差し出されたアニメーションをどう解釈するかということです。そして、その手がかりとして、監督のインタビューなりがあるんではないでしょうか。僕らは、もっと「アニメ読解力」を高めるべきだと思います。差し出された餌をそのまま食べるだけの家畜ではなく、人間であるべきです。


自分の中では、シュタゲの映像化ってTV版で終わっていたんですが、知人が「スゴい面白いから見たほうがいいよ!Qがクソに見える!」とおっしゃっていたので、重い腰を上げてようやく見ました。

結論を先に言っとくとですね、アニメでハマった人は見てもしょうがないんじゃないかなあと。
これは僕の推測ですけど、リアタイで見てた人ってきっとSF的な要素に面白さを感じたと思うんですよ。まあ岡部と紅莉栖の絡みもハマる部分ではあると思いますが。大きな部分としては、「SFがあった」っていうのは間違いないんです。



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アバンはね、素晴らしいんですよ。この上なく。「あ、これは当たりかも」という感じで見ることができていたんです。紅莉栖はスゴい色っぽいし、飛行機のカットで、ああアメリカから帰ってきたんだなって分かるし、いとうかなこのOP流れるしでもう非常にワクワクしてたわけですよ。


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そんでラボメンと会ったりとか、導入的なところはそれなりに良かった。一見さんお断りには違いないんですけど。まあ流石に、紅莉栖のツンデレキャラ押しは少ししつこかったと思いますが。


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物語のメインとして、「RSを繰り返した岡部に、過負荷がかかっている」ということを説明するカットが最初から何個も挿入されます。劇場版を作る上で、これ以上何をやるのかと思っていたんですけど、この設定はいい。オカリンだけが持つRS(リーディング・シュタイナー)、世界線を跨いでも記憶を完全に保持しつづけられる能力に、何か副作用的なものが無いと確かにおかしい。うんうんなるほど、という感じで説得力がある。


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そんで、「RS=デジャブ」という可能性を見出しつつ、真面目なお話を岡部と紅莉栖がします。こういう真面目で、ちょい真剣なSFタイムはたまらんわけなんです。現実的に見て、説得力が増せば増すほど、面白くなるんです。そして、話の途中で岡部は消えてしまう。この2カットが上手い。岡部がいなかった世界に突然なって、思考と記憶が上手く結びついていかない紅莉栖の行動の表現に感心するわけです。


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鈴羽から言われていたとおり「電子レンジ、携帯、SERN」をヒントにタイムリープマシンを使い、焼き肉パーティ前まで遡ります。ここでラボメンの中にも、少なからず別世界線、タイムリープマシンを作っていた時の記憶がある描写も上手い。みんなそれぞれRSを持っている=デジャブというのが面白いわけです。上のカットは、オカリンがシュタインズ・ゲート(SG)世界線にいるとき(左)と、その近くにいるR世界線に引っ張られて、消えているとき(右)。ここは紅莉栖の表情も合わさって凄くいい。


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上は、R世界線説明をするためTV版でも頻繁に用いられた世界線描写カット。二重らせん構造のようで、ビジュアル的に美しい。しかも、科学的に二重らせん構造は安定的なはずなのに、オカリンにとっては不安定というのも皮肉めいていて面白いわけです。


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鈴羽との対面。ここでもう一捻り欲しかった。年をとった紅莉栖が、科学者と女の間で葛藤して「昔の自分なら、素直に岡部を救いたいと思えるかも」っていう理由にはして欲しくなかったんです。個人的には。でも百歩譲って、ここはまだいい。科学を超えた感情を理由に描くなら、それはそれでとも思えるし、何よりディストピア云々だとTV版の焼き直しみたいで同じ嫌ですし。


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二度目のオカリン消え去りシーン。このドクペが落ちていく表現が上手いなあと。本題は、岡部の存在をわずかながら思い出して泣き崩れる紅莉栖に対して、ダルが「痴漢にでもあったん?」と言うんですが、こんなセリフ言わせるべきじゃない。シリアスシーンだったら、そんなこと言うキャラではないんですよ。焦って「ちょ、どしたん牧瀬氏」とかいうとこなんですよ。流石にアホだろホン書きと思った。


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ここで萎えました。
ウェルズの子供が監督した「タイムマシン」的な展開にしても良かったかな。まあそれだと、α世界線の岡部の奮闘と被ってしまって駄目ですかね。いずれにせよ、一回ショタ岡部が紅莉栖の代わりに死んじゃって、紅莉栖は恐怖を味わい、「SG世界線の岡部に強烈な印象を植え付けるための」解決方法は思いつかないけど、とりあえず過去に行って、キスして解決しちゃった、は駄目ですよ。90分尺なら何でも許されると思うなよと。こんな滅茶苦茶な解決方法で、納得するわけないじゃないですか。もっと、TV版の時のような説得力が欲しかった。


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「返してくれないか。俺のファーストキスを」「ダメ」で、ああただのオカクリだったんだなと。いやこれならOVAでええですやんと。劇場でわざわざやる必要性を内容の点からは、全くとして感じない。ニトロプラスとか5pbがもっと儲けたかったんだろうなあと思っちゃうわけです。当然、キス一つで最終的には解決してもいいんですよ。でもそれは、いろんな方法、過程を経た上でやってこそ、カタルシスにつながるわけで。さしてTV版オカリンのように、死力を尽くしたわけでもなく、オカリンの一回の死に自責をつのらせただけでは、視聴者は納得しないんですよ。少なくとも僕は。


これはですね、多分狙ってる層が違うんですよ。TV版は深夜アニメだし、オタクも多い。じゃあ、少し小難しいことやっても大丈夫だろうと。メインターゲットはゲームからの人とオタク男性だったわけです。でも劇場となると、今度はお一人様にたくさん来てもらおうっていう感じの戦略では、リクープ(制作費を回収すること)が比較的に難しくなってしまう。だから、カップル狙いで行くのが妥当だと製作は考えたと思うんですよ。そういう層はライトユーザーだし、コアな層と違って口コミも広がりやすいし、でリスクは格段に下がるわけです。マーケティングとしては優秀なんだろうけど、近年の劇場ムーブメントにも便乗した形になって、僕としては印象悪いです。

始めからオカクリとして見ていたとしても、中途半端な内容なので、個人的には多分ダメに思っちゃいます。うーんなんだろうなあ、本当にOVAでいいじゃんっていう内容だったんで、残念で仕方ないです。企画の安田猛は、結構なやり手プロデューサーだと思ってたんですけど、今回ので見方が少し変わりそうです。 


今回は少し真面目に脚本の方のお話を。
(※書いてると長くなったので、作画ピックアップとは分けました。)


とうとう大詰めな感じ
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21話
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皐月は四天王と連携をとり、純潔流子を救命具で助けようとするが失敗に終わる。
一方ラ行は、人間カバーズを動力源として原初生命繊維に乗り、「始まりの地」へと向かう。
攻防終盤、皐月の一瞬の隙をついた攻撃により、傷口から流子にマコと鮮血が入り込む。
そこで、ようやく流子は正気に戻り…血の雨を浴びながら終わる。


残り3話。もう3話しかないのか。
主な伏線は、NBサイドの過去に服に着られた女性だけになった気がする。
これすっげえ重要だと思うけど、どこで回収してくんのか。


超怪しい、ラ行の秘書とそろいさん
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なんだか知らんが超怪しい。
ミスリーディングである可能性は高いけど、そういう演出をしている風に感じる。



「皐月!」「皐月様!」「皐月ちゃん!」
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「乃音」は、まさしく今作のキーパーソンであろう。
物語を円滑にするための、半分視聴者側のキャラと言っても過言ではない。

この人じゃないと駄目なんだ!という声優は、みんなそれぞれいると思うけど。
自分の場合は、新谷さんがまさにそれ。
「風立ちぬ」の庵野秀明と同じくらい、希少で魅力的な声を持っている。
キルラキルの視聴きっかけは、半分以上が新谷さんである。

後、何気に乃音ちゃんの過去回想の伏線回収してたりする。(お城の話ね)



キルラキルは、壮大な兄弟、親子喧嘩
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キルラキルの全体像は、壮大な親子喧嘩であり、壮大な兄弟喧嘩でもある。 
世界規模になってしまった喧嘩は、実は僕らの身近にあるものであることに気付く。
そのおかげで、王道な、悪く言えばありきたりなストーリー展開でありながら、
視聴者は「キルラキル」を陳腐なものとは感じない。

手塚治虫が過去に言ったように、身近なものを取り込んだ作品は親近感を湧かせるのだ。
古臭く感じ、敬遠されるのを回避しているのは、多くがここに起因する。
「兄弟喧嘩」という身近なものであるおかげで、僕らはこの作品に沈み込んでいけるのだ。



パロディの多さとオリジナリティ
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(※比較対象は、上から順に「エヴァ旧劇」、「彼氏彼女の事情」、「エヴァ旧劇」)

キルラキルは「炎の転校生」「あしたのジョー」から始り、「キルラキル」へと変身を遂げる。
その道中に、「彼氏彼女の事情」「エヴァンゲリオン」を通って行く。

最初は、ただのパロディ満載、既視感バリバリのアニメが、知らぬ間に斬新さを放つ。
パロディ・オマージュの多様性から、オリジナリティが発現するのだ。
これはアニメとしては、「トップをねらえ!」「エヴァンゲリオン」が代表的である。
過去作品の模倣、オマージュを繰り返すことで、親しみやすくする。
そうして、いつの間にか、オマージュを超え、オリジナリティが出てくる。

「いつの間にか」と言ったように、一体どこから「キルラキルさ」が出てくるのかは定かで無い。
おそらくオマージュを繰り返した、作品全体から出てくるのではないか。
「キルラキル」24話全体を俯瞰することで、ようやくオリジナリティは出てくるのだ。 


久しぶりに真面目に語ったような気がする。
正直に言うと、「キルラキル」は「ナディア」のような感じ。
つまり、今石は次の作品で、もっとすごい何かを起こす。
10年代を代表する、アニメ監督になる可能性がある、と感じている。

 

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