GOMIstation

2025-1

カテゴリ: 2014年アニメ

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これまでの話数でまさしく、ピカイチだった。すごすぎた。


アバン:有馬と母親の過去

A:演奏開始~演奏ストップまで
・音符が消える表現
・渡「すげえ…」
・水に浸かる有馬

B:宮園演奏再開~ラスト喝采まで
・怒涛のラスト
・春が来た



脚本・作劇・構成

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22]29]

まず、アバンの過去回想は良かった。なぜ有馬公生がああいう風に(3話のように)呼ばれていたか、それが母親に依拠するということを執拗に描写してきたのだけども、この話数では表現手法が少し変わって、セリフが多くなっている。これが後半のAにおける、4段階ポン寄りのシーン(※車いすの母親が見えるところ)で素晴らしく活きてくる。ここは、色々なエフェクト(フォギー、パラ、ボカシ)がかかってる分、そのホラーチックに画面が仕上がっていて、一見幻想シーンの方が怖いと思うんだけど、シークエンスで見ると、何も存在してない方の画面が怖く感じるように仕組まれている。


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アバンではあれだけのセリフの文量で、有馬の暗い過去を描くんだけど、4段階ポン寄りのシーンでは一切のセリフなく、ただ音楽の高まりと共にシーンが進行していく。このシーンから(今まで明示されてこなかった)有馬の主観(※スポットライトはその示唆)へと没入していく。鍵盤を叩いても音が出ない、音符が消えていく、まるで海の底にいるような息苦しく・どうしようもない感じ、それら全てをセリフと音楽、そして映像で感じさせている。


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有馬の必死な形相とその言動、そして示される映像の息苦しさと苦痛。「叩いても音が出ない苦しみ」、それがどんなモノかというのはイメージBG的な手法で(※抽象的に)表現するのかと思っていたんだけど、イシグロ監督はまさに「実直に」有馬の苦痛を具体的で明確に表現しているので、ここは喝采すべきところだと思う。 有馬の向き合ってきたモノがどれだけ恐ろしく、それだけ苦痛に溢れているかが素晴らしく分かるシークエンスだった。


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シーンは現実(客観)へと帰り、有馬はピアノの演奏を中止する。これは宮園に迷惑をかけてはダメだという判断から。だけど、その宮園も演奏をやめてしまう。有馬と一応の会話(※いや感情的な機微の交換か)を交わし、有馬もそれを受け取る。そうして、宮園は「旅に出よう(※スヌーピーからかな)」と言い、演奏を再開する。しかし、演奏再開できない有馬。


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有馬は相変わらず海の底で苦しんでいるのだけど、ようやっと辛い記憶のリフレインではない、母親との記憶を思い出す。演出的にはここが素晴らしかった。ここまで、有馬と母親の過去回想では全てモノトーンに仕上げてきたからこそ出来る、対比的な「カラー(※色彩的・明度的)」による柔らかさ・優しさ・安心の表現。「母さんからもらった全てをぶつける」という意志の元、有馬は演奏にのめり込む。それが、3枚目のカット、有馬の目線の動きを描写したカットに表れていたり、4枚目の逆光のカットでも(※宮園から見た有馬として)有馬の本来持つポテンシャルが示されている。


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そして、演奏終了。終了に至るラストスパートは、画面も光源が強調されたモノとなっており、明度も上がっている。もがき苦しんでいた有馬に、わずかながら見いだせた希望の表現であり、宮園との演奏が楽しいという表現でもある。そして、有馬の主観(※未来)へと画面はジャンプカットし、ピアノ演奏の感情の再確認と同時に有馬の一つの思い出となっていることが分かる。 素晴らしい話数だった。





作画・画面構成

素晴らしかった、以上。
というのは流石に冗談(※冗談でもないか)ですが、これ以上は文量が多すぎる(※時間も足りない)ので、また別記事にでもするかも。簡単に言うと、序盤の演奏シーン、ラスト演奏シーン、控室での有馬のカチコチのシーン、ここらへんは何も言わずとも分かるように、素晴らしかった。濱口明はどこでしょうね、それは少し気になる。


以上です。 

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ちょっとアク強かった。これは賛否分かれるだろうなあと録画見ながら思ってたら、一週間が風のように過ぎ去っていきました。遅れてゴメンネ。4話もすぐに(三連休には…)記事にする予定。(※メソッドはまだ見てない。見る気も起きない。)

アバン:カフェで食べる2人

A:トゥインクルと有馬がピアノ弾けなくなった原因
・グラフィニカいいなあ
・有馬の受賞歴については、もっと演出で盛り上げて欲しい
・伴奏に任命

B:伴奏への強制と走りだす有馬
・楽譜の貼り方よかった
・テンポもよかった
・明暗の表現(キリ
・二人乗りに厳しい世の中

 
脚本・作劇・構成

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59]02]

有馬が何故ピアノが弾けなくなったのか、ということが判明する回でした。で、そこから宮園にピアノ伴奏に任命され、伴奏をやるように椿共々言われまくるわけですが。一向に「してみようかな」というアクションすら見えない、社交辞令でもその場しのぎの発言でも全く言えない。だから、彼にとっては、ピアノを再開することは「絶対あり得ないこと」なんですね。


50]05]

それは例えば、このカフェでの表現でも示されています。
このカッとショックを受ける感じ。巧いですよね。タイミングも良かった。


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後は伏線としてのバスの宮園かをりですね。
ここは原作よりも巧いと思う。


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屋上での明暗シーンは誰にでも分かるような演出だったので、今一度ぼくが改まっていうことでもないと思うのですが。有馬が深い暗闇の中にいて、椿や宮園は明るい日の下にいるというのが表面的な表現です。ですが、ここはレイアウトでの演出を少し解釈したい。ここでこれだけ左に配置されているのは、誰しもが「有馬公生の立場になりうる」ということの示唆だと思います。つまり、その個々人の立場というものは非常に不安定で、固定的ではないということです。





作画・画面設計・カメラワーク

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A1はキャラ絵がすごく安定しますね。今回は、というか4話まででもほぼ全く崩れてない。それがいいことかどうかは分かりませんが、まあ大変なことで労力もかかっているだろうと思います。こういうことを軽視する人が大多数ですけど、この絵を保つのって大変ですよ。びっくりするほど崩れない。もっと輪郭なんて簡単に崩れるのに(※むしろ崩れろ、と思う。僕としては、いろんな人の「動く」絵が見たいので、総作監制度がいいシステムとはあまり思えません)。

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「ほらやっぱり幸せなピアノじゃない」のシーンは宮園かをりTBしながら、(OLしながら)有馬にTUしてもらいたかった。というか、その画面しか想定してなかった。このシーンの宮園にTBやTUしなかったというのはぼくにとっては非常に意外で、何でかというと、その次に弾けなくなるシーンとの「画面の硬度」によって、対比ができると思っていたから。

弾けなくなるシーンでは有馬公生がビクッとするわけですが、そういった「硬さ」を画面でも出してもらいたくて、対して、弾けているシーン(店員や子ども、宮園が幸せなシーン)では「柔らかさ」を画面で表現して欲しかった。この2つの対比があると想定していたので、特にカメラ指示が無かったのは本当に意外でした。


今回はこれぐらいでしょうか。後、暴力ヒロイン云々で騒ぐ輩がいますが、それはまた別の記事で(次の4話ででも)言及したいと思います。「うる星やつら」とか「鋼の錬金術師」、「らんま1/2」とか有名ドコロでもあるんですけど、何故かこの辺はスルーされるのに苛立っています。あのフレーズは、作品のアジテートのためとしか思えないんですけどね、今のところ。


後これはどうなんだろう。

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完全対称ではないんですが、それが合ってるのがどうかイマイチ分からない。鏡像はもっとベターと平面的になるべきな気がしますが。まあ些細なところなので、どうでもいいかもしれませんが。右目が映ってると何か少し違和があります。

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戦闘の巧さはコマ数がおそらくそう思わせてる。


アバン:戦闘開始の前に(3話の続き)

A:教会前での戦闘~教会の綺礼まで
・ufotable巧い
・作画がずば抜けている、というわけではない
・特効、画面処理、撮影がいい

B:教会~墓地での戦闘
・作画リソースの配分が巧い
・碇谷さんすげえ描いてると思う
・CGとの融合



脚本・作劇・構成

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10]04]

Fateも4話。
お話の方で言うことは特になし。戦闘回ですし。イリヤとバーサーカーが攻めてきて、それとアーチャーとセイバーが共同戦線を敷いて戦う。それぐらいですからね。強いていうならば、士郎の性格というものがよく分かる回だったのではないでしょうか。自己への責任感・一貫性が強すぎるからこそ、凛の「逃げなさい」という忠告にも従わず、セイバーと共に戦おうとする。彼のキャラを装飾するには、十二分なほどよく描写されてたと思います。イリヤに関しても、ミステリアスさを保ちつつ、大人びた感じを描いてた。





作画・画面設計

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「作画がスゴイ」というよりは、「画面づくりがスゴイ」といった方が正確な気がします。碇谷、阿部さんの作画が良いのは分かるんだけど、それと同じくらいCGとの組み合わせで画面全体の密度(=画面の情報量)を増してる。これは、2話ぐらいで述べたと思うんだけど、ufotableの得意分野なんですね。作画とCGの融合、という点においては、多分ufotableが一番優れてる。


碇谷さんに関しては、おそらく墓場での戦闘シーン。
特にこの辺。

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阿部さんに関しては…正直分からん。CGエフェクトばっかだったし。
まあでも、やはり墓場での戦闘シーンなのかなあ、そこはよく分かんないです。




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後は、瞬間的な速さを出すための、1カットにおける計算されたコマのやり方ですね。瞬間的な速さ、というのは他だと3k(3コマ)ぐらい使うと思うんですが、ufotableの場合は1~2kでやってる。だから、戦闘自体が板野サーカス的な誇張された表現になっているのかもしれない。金田作画とはまた違うコントロールの仕方で、スッとした感じ、急速に移動する感じを表現してる。画像においては、2コマおいてスクショしてる。



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後は、アーチャーの宝具か何か分かりませんが、この飛んで行く弓矢の描写が上手かった。ちゃんと段階踏んで、瞬間的な時間のシーンを少し引き伸ばして見せ場にしてる。何かやけに丁寧でしたね。



ここからは、金田エフェクトについて(ほぼ趣味です)。こんなにガッツリ、どんな作品でもやってますっけ。金田光(広義)や板野光がやけに目に留まったので、色々とスクショして確認。金田光は、十字と丸で構成されるので、レンズフレアとかハレーションの誇張表現なのですが、まあ至る所にあったので、ufotableってそんな『グレンラガン』みたいなことすんのかなあって疑問に思った次第です。

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鍔迫り合いでも、魔術での爆発でも、弓矢の発射でも、凛の宝石魔術でも何でも見境なしに使ってますからね。ぼくがただ単に見てないだけで、最近のアニメでは(ごくふつうに)頻繁に使用されているのかもしれませんが。ちなみに、十字単体はクロスフィルター(典型的な例は、砂浜におけるキラキラシーン)の誇張表現かもしれないということです。推測で申し訳ないんですけど、CG班ってやっぱり撮影からの人も多いイメージ(カラーの瓶子さんとか)でして、こういったカメラ的な表現(ハレーション、レンズフレア、クロスフィルターなど)をアニメに落とし込もうとしてるのかな、なんて思ったりしています。ただまあ画面はキレイになりますよね。


そうそう!

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これは中野フラッシュと呼んでいいのか分かりませんが、まあそれっぽい奴が随所に使われていたりと。このシーンでは別にあってもなくても大丈夫ですからね、多分。撮影・CG班はやはり、こういうのが好きな人が多かったりするのかもしれません。


そんな感じです。

今までの話数の中では演出的には一番よくできてる、と思う。すごい。

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アバン:死についての会話(ミチルとユウジ)

A:宿舎でのそれぞれ、ミチル中心
・マグロマンでお腹痛い
・ミチル回
・雷と停電
・時々変なことをするミチル

B:ミチルの人格
・丘でミチルとユウジの会話
・二重人格ミチル
・キス
・その後ツンデレ・ミチルと接吻未遂
・口へのアプローチでの差異

C:黒猫の死
・アバン、Bからの伏線回収
・血のエフェクト上手い


脚本・作劇・構成

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グリザイアもとうとう4話。今回はミチル回。
そして、ミチルは二重人格者ということが判明したわけなんですけど、そこにおける描写の精密さが心地いい。「二重人格者」というキャラクターに必要な「パーツ」とか「要素」といったものは昔から存在していて、それが明らかな「静」と「動」によるものだったり、『妄想代理人』だと、外面的な姿見に依拠している。ミチルも、そういった基本的な二重人格のテンプレートは抑えつつも、「注目すべきポイント」を小粋に演出してるのが素晴らしかった。
 
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ミチルを見分ける方法は(確実性に欠けるが)「口元」であり、これはおそらく意識的に作画も描画してる。ツンデレ・ミチルの時は、口元に色気がない。対して、悟った・ミチルの方は、口元にやけに艶があり、ツンデレ・ミチルとの比較対象となっている。 これ自体はなんてことは無いんだけど、この思考へ持ってくる演出がうまい。序盤から、「紙パックジュース」「フレーバー」という要素や、「キス」というシチュエーションによる、口元への視線・思考誘導が至妙だった。

後は、構成が巧いですね。1話で全体像を紹介し、2話はサカキ、3話は天音、4話でミチルと。それぞれのキャラに焦点を当てることで、「このキャラを掘り下げる」という考えが明確で分かりやすく、自然と画面へと没入しやすい。これと対極にあるのが、『天体のメソッド』ですね。





作画・画面設計

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クレジットを見るまでは、まさか全員3文字原画とは分かりませんでした。レベル上がってますね、驚きました。「ぎこちない動き」というのは強いていうならば挙げられる程度で、そこまで違和のある動き・キャラ絵というのは存在しなかったように思います。総作監・作監のおかげも当然あるでしょうけど、すごいですね。特に、Bのミチルの接吻未遂シーンあたりが上手かった。3コマ作画(非金田系)的なノリで。Aのツンデレ・ミチルが帰ってきた後の作画も良かった、ぬるんとしてた。



後、シネスコについてですが―

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こういった画面を監督がやりたい為に、もしくはエロゲー画面の意識からシネスコを採用したのではないでしょうか、と思っています。ビスタだと2枚目みたいなのは、どうしても画面が詰まってしまうし、「隙間としての空間(余白的な空間)」というのを演出したいように感じます。


という感じでしょうか。
ちなみにエイトビットはサテライトからの派生スタジオで、今年5年目の新規スタジオです。 

もうとっくの昔に見てるんですが、感想を残す気になれなかったという。
(何か「ああ…」という感じで、有益なものが残せそうにない。)


アバン:エッチなお姉さん(野中)

A:何でも屋メイド他
・周防天音の交通事故と失語症(ミサトさんかな) 
・ミチルとのくだらない作戦(テンポいい)

B:睡眠の重要性!
・ヤブイヌさんポーチ
・野球
・天音を保健室に連れて行く速水
・裏がありような告白
・おねえちゃんになってあげるよ→は?



脚本・展開・作劇

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今回の主題は、「周防天音という人物」でしょうね。過去に何かあった反動でとか、まさしくミサトさんっぽいんですけど、まあ開幕オナニーは予想できない。サカキという人物は、やはり最初から狂言回しとしての役割を持ち、ストーリーを展開させてますね。「あなたを含めて」とか「まともな人間なんていない」とか。 ストーリーテラーとは少し違うと思う。

周防天音はどちらかというと、かき回していくキャラで、出来事を主体としてる。オナニーシーンもそうだけど、彼女は、保健室だとか、そういうシチュエーションでのキャラ。だから、状況がないと、このキャラは活きてこない。他のミチルとかメイドとかは違うと思うんだけど。

周防天音というのは多分正ヒロインであると思うし、物語の核のような人物である気もする。なんでかというと、他のキャラに比べて、彼女を象徴するような要素や部品がないから。ミチルはツンデレ、メイドはメイドで大体、既存的なキャラづくりがあるんだけど、周防天音には強烈なそれが存在していない。それゆえ、彼女は他のキャラに比べて、内面的な特徴付けが必要になってくる。内面的な問題は、大きく扱うことが多いので、やはり正ヒロインだと感じる。





作画・レイアウト・画面設計

そういえばOPに触れてなかった。OPは全体的になんとなしに「ペルソナ」っぽいんですが、まあそう足らしめていう部分はテロップでしょうかね。よくわかんないけど。

野中パートについてですが、おそらく原画はこの2カットと思う。

13]39]

いや、右(2枚目)は違うような気もするけど。
共同作監なだけあって、大分混沌としてる。


ここも(OP1カット目)微妙ですが、少し野中っぽい。

28]
 
まあ作監なので言い出したらキリないですね。
野中っぽさが全面ではないですが、それなりに出てるOPだと思います。



アバンの変態性

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これは内容ではなく。野中の話。
アバンは間違いなく、誰が見ても野中なんですが、これすさまじいですよね。 

周防天音の忍び寄る動きの柔らかさとか、「もう!」ってただ立ってる時の揺れ方とか、首を振って周囲を伺う姿とか、三枚目の(おそらく2コマ打ちによる)下半身の色っぽさとか。もう分けわからんという感じで。

上2枚については基本3コマ打ちで、時折2コマを混ぜつつやってると思う。中割りは基本的に少ないんですが、それでも何故かぬるっと感じる。というか野中は中割りで、こういうことやってるのかどうかよく分からない。3コマ打ちで中割りの多寡で表現してるのか、2コマ、1コマを混ぜて原画主導でやってるのか、よう分からんのです。そこら辺は、もう少し時間があるときにしっかり見て考えたいんですが。


という感じです(45m)

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