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さむくてエモい時期です

カテゴリ:監督・演出 > 細田守

「おおかみこどもの雨と雪」にはいろいろと他にもありますが、

「おおかみおとこの死
この点のみを、ちょっと追っていきたい。




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どうしても理解出来なかった点、それは、「おおかみおとこの死」のシーン。「おおかみこども」に関する議論、問題の本質というのはこの部分が大きな割合を占めると思います。おおかみおとこは、何故あのような理不尽な形でこの物語から退場せざるを得なかったのか。



<1、「おおかみおとこの死」の目的と、シーン自体の説得力の有無>
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花をシングルマザーにさせるべく、おおかみおとこを退場させたい」という目的は当然あると思います。描きたいシーンを妨げる要素はそれとなく退場させるべきです。この部分は問題ない。問題は、その描写のやり方、。説得力・合理性ある描写ならば、納得はできなくても理解はできる。

だけども、このシーンではそういう描写が欠如していると考えています。「おおかみおとこの死」というものに、こちらから見て納得できる描写があれば、その目的が何であろうと説得力あるシーンとなり、結果受けて側は享受できる。しかし、この「おおかみおとこの死」の一連のシーンには、合理的な演出や描写はほとんどないと言っていい。




<2、「おおかみおとこの死」の意図と、「理不尽」について>

「おおかみおとこ」の死によって、彼を退場させる以外に表現として何を達成したかったのか。
それは、おそらく「強烈な悪」の示唆。

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花はおおかみおとこの死後、都会での生活に辛さや息苦しさを感じます。おおかみおとこの事を何度も思い、辛さに負けそうなことを伝える。この辺りから、「都会」というものは、花を困らせる厄介者として描こうとする意図を感じます。このように、都会を悪として描くのであれば、「児相」「近隣住民の苦情」などのジャブを重ねるだけで足りず、不快感を伴うぐらい強い「合理性の無い理不尽」を描かればならないはず。

これが、「おおかみおとこの死」ではないのかと思うわけです。児相なんて目じゃないくらい、この世には「とんでもない悪」があることを示唆している。このシーンは、都会に対しての印象を最悪なものにするためのものであり、非合理的な理不尽を描くべき部分です。ですが、その「非合理的な理不尽」に対して、少し違和感がある。


<3ー1、「理不尽」に内在する道理>

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まず1点目は、「理不尽に内在する道理」を描写していない部分。

「理不尽」というのは、「道理に合わないこと」を意味します。つまり、理不尽を描くためには、その道理を一緒に描く必要がある、と思うんです。『Aは怒られず、自分は怒られた』。これが理不尽の単純な構造です。「Aが怒られない(から自分も怒られない)」という道理を一緒に描写して初めて、理不尽を主張できる。道理が無ければ、理不尽は描けない。「おおかみおとこの死」には、「溺死した」という結果はあるんだけど、「~をした(から事故に合わない)」という道理は描いていない。

たとえば、死のシークエンスと合わせて、青信号一つ渡るのでも描写していたとしたら、それだけで道理になりうる可能性(※「信号機をきちんと守って渡るので、事故に合わない」という道理)はあった。しかし、それが明示されていないのでは、「おおかみおとこの死」は理不尽というよりは、「意味不明」になります。『非合理なシーン』であるべきなんだけど、根本的に描写が不足している、と思ってしまう。多少の理不尽さも含んでいるけれど、「おおかみおとこの死」については意味不明の方が印象として強い。



2点目は、キャラクターの動き方。

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おおかみおとこは、普段から読書家で、勤勉でなおかつ聡明なキャラクターとして描かれています。その上、子供に対して面倒見が良さそうで、子供からも人気がある。つまり、秀才イケメン野郎です。

ここで、「おおかみおとこの死」の一連のシークエンスを振り返ってみましょう。あのシーンは、ナレーションでその日が淡々と述懐されるのみで、おおかみおとこがどのようにして死んだかは、溺死体で見つかったという結果でしか示されていない。ということは、受け手側の我々はその結果で判断せざるを得ないわけですが、このシークエンスだと少なくとも賢い印象とはならない。

このような聡明なキャラクターが、あのような「馬鹿みたいな死に方」をするのは少々納得がいかない。彼は賢いキャラクターなんだから、賢いまま理不尽に死んでいけばいい。それこそ、信号機を青で渡って、撥ねられるだけでその目的は達成されるわけで。こんな素人でも思いつくんだから、『非合理的な理不尽さを保ちつつ、聡明なままキャラクターを退場させること』を、あの細田守ができないわけがない。何か裏があるはず。




<3、細田監督の意図したところ ― (解答編)>

1、2と少し、おおかみおとこの退場について見てきました。「時かけ」「サマーウォーズ」でガチガチの合理的な演出をしてきた細田監督にしては不自然さがある。こんな安易な事をするとは、到底思えない。だったら本人に効いてみよう、ということでアニメスタイルのインタビューを見てみる。

細田 ただ、ひとつ確かにあるのは、今回の映画で描いたモチーフ、ストーリーの流れが、自分にとっては未知の領域だったというか……自分が今までに試したことのない表現を、作品そのものから求められている感覚は、すごくあったと思うんですよ。

小黒 作っている細田さん自身が、作品に求められたということ?

細田 そう。もちろん、モチーフやストーリーを決めたのは僕なんだけどね。それが今までの手管で表現できるようなものではないという実感は、絵コンテを描いている時からあった。自分の持ち駒では対応できないぞ、と。その持ち駒って何かというとジャンル映画的な作り方ですよね。そのジャンルの中でのお約束だとか、ウェルメイドな娯楽作だとしたらこういう流れになるだろうとか。

(中略)

小黒 この場合のジャンル映画というのは、アクション映画とか、ホラー映画のことだよね。もっと単純明快で、分かりやすい感動作にもできたわけだね。

細田 だけど映画って、そこには収まらない部分も出てくるわけ。ジャンル映画的な約束事からはみ出した部分が、実は映画の面白さだったりする。そういう部分の割合が、今回の作品は今までに比べてすごく多いという実感はありました。
(「アニメスタイル2013.03号」より引用) 
作品から自分の容量以上の求められていると思った細田守は、「お約束」、青信号を渡って撥ねられて退場なんて描写では、自分の描きたい世界は達成できないと考えた。こりゃあびっくり。つまり、あの「おおかみおとこの死」は、企画や出資者に何か言われたわけでも、制作が遅れたわけでも、コンテが間に合わなかったとか、そういうわけではない。そういう偶然ではなく、明らかに狙って外していたと。

だとするならば、気になるのは、細田守が描きたかった「おおかみこどもの雨と雪」の世界。どんな世界を描くために、ああいった演出をしたのか。


小黒 単純にジャンル映画的にまとめられる内容ではなかった、と。

細田 そうですね。そもそも今回の映画は、モチーフからしてジャンル化できるものではなかった。つまり、親が子を育てること……その時々の大変なこと、楽しいこと、つらいことなどを積み重ねていって、その中で「親というのはどこから始まって、どこで終わるのか」ということをまるごと1本の映画の中で描きたい・・・・・・というような作品は、そもそもジャンル映画ではないわけですよ(笑)。
(中略)

小黒 分かりやすく面白がらせるような演出を避けたのは、どうしてなんですか。

細田 言い方が難しいんだけど、つまり、全人類の歴史の中に脈々と続いている「親が子を育て、子が成長していく」という営みのダイナミズムみたいないものを描くとき、そこに演出が出ちゃいけないような気がしたわけですよ。デフォルメしちゃいけない、と言ったほうがいいのかな。

小黒 なるほど。

細田 その上で、子供が成長していくということ、その時間の流れを、もっと大きな視点で捉えた映画にしたかった。部分ごとの面白さとか、分かりやすさではなくてね。モチーフに対して誠実になろうとすると、いよいよそうなっていくわけです。
(中略)

細田 もう少し違う喩えをすると、人が死ぬときに自分の人生に満足するかしないか、という話にもつながるわけ。なるべく満足して死ねたらいいな、と思うけど、本当にそんなことができるのかどうか分からないわけじゃん。人生、常に半ばなわけだから(笑)。

小黒 まあ、若い読者にはピンと来ない話かもしれないけれど、満足して死ぬために、毎日を積み重ねているわけですね。

細田 本当はそうなんだよね。もちろん、そんなにきっちりと思いどおりの生きざまを積み重ねていけるわけじゃないし、その時々によって激情に流されたりすることもままあるけど、(人生を)大きく見て、満足できるかどうか、達成感があるかどうか・・・・・・みたいなことが、その人の生きてきた時間の勝ちを決めるんじゃないかなと思うんだよね。

小黒 そういうことを描く映画だったと。

細田 うん、そうなんです。
(「アニメスタイル2013.03号」より引用) 


細田監督の意図としては、とにかく大きな流れの中での家族、生命を描きたかった。面白く分かりやすく描くことはできなくもないんだけど、それだとモチーフに対して誠実になれない。あの細田守をしても、人の一生を大きな流れの中で描くということは、演出の範疇を超えていると思わせた。

そういう点で見ると、賢いキャラクターがバカみたいに理不尽な死を遂げるのも、大きな流れの一つとしては、自然なのかなと腑に落ちた。なるほど、これはそういう演出で狙ってどうのこうのする話ではなかったんだなと。おおかみおとこが、普通に死ぬ方が分かりやすくていいんだけど、それではモチーフから逃げていることになるんですね。だから、あんな理不尽な死に方が、大きな流れで見た時には正しい。

いや正しいというか、「そうなってしまうこともあるよね」という感じだと思う。おおかみおとこは賢いんだけど、ついうっかり何かに気づかず車に引かれたとか、大きな流れの中では避けられない出来事が「おおかみおとこの死」であった。つまり、この非合理的な理不尽は、世界が主格だったんです。世界の大きな流れの中では、どうしようもなく避けられないことであった。

「おおかみおとこの死」に対しての細田監督の正確な狙いは分かりませんが、定型的な演出ではないことは間違いない。だとすると、「おおかみおとこの死」については、「意味不明」でいいんじゃないのかなあと思います。世界はいつも勝手で乱暴で、合理的ではないので、人の手で変えられるものでもない。世界の勝手さというか、どうしようもなく不可避な感じを出すためには、ああいう非合理な死を遂げるべきだったのかもしれない。


<参考文献>
アニメスタイル2013.03号 

【追記 2015/07/25】
新しいエントリー出しますので、しばしお待ちくださいませ


さて金曜ロードショーで地上波初放映されました、「おおかみこどもの雨と雪」。
既に感想は出していますが→おおかみこどもの雨と雪、今更ながら見ました。

改めてなぜ面白くないと感じたのか書いていきたいと思います。




都会と地方の対立構造

おおかみおとこを失った後、花は子どもの真の姿を知られてはいけないため、必死に隠し通そうとしますが限界がきます。その後田舎に引っ越し、まるで20年前の固定観念のような田舎で暮らしていきます。
つまりは、「都会」に助けはなく、「田舎」にはあたたかみがある。そんな主張というか偏見で作っています。ここにおいて、その是非はどっちでもいいのですが、先述したとおり20年、いや何十年も前からの「都会は冷たい、地方はぬくもりがある」という固定観念で構成されているところに陳腐さを感じずにはいられないので、まず新鮮味が感じられません。あれこれ見たことあるくね?みたいな。当然、そのありきたりな題材の中でも、何か別の視点から描ければ全く問題はないと思いますし、面白くなると思いますよ。

基本的に、主張の仕方としては、一般論に対して批判的になること(※普段利用している電気の光は実は、自分たちの視野を狭くしているとか。まあ高校現代文ですね。)が当たり前なんですが、この作品はその逆をいっている。戦わなきゃいけない一般論に擦り寄り、媚びへつらっていては、何の主張があるんでしょうか。「トトロ」のまね事をして、ただ単に無難な選択肢を選んだようにしか思えません。



脚本によって殺される「おおかみおとこ」

個人としては、一番嫌なとこです。「おおかみおとこ」と一緒になって、子どもも出来て、さあこれからという時に「おおかみおとこ」はあっさりと死んでしまう。そのあっさりと死んでしまうことが、現代の理不尽さを示していると言われれば、少しは納得もできますが、やはり脚本的に死んでもらいたかったようにしか感じません。

今回細田監督は、「強く生きる女性」を描こうと思ったのでしょう。前作「サマーウォーズ」でもその徴候は出ていましたが、細田監督は大分フェミ。そのためには、せっかく出した「おおかみおとこ」が邪魔になってしまう。だから死んでもらおう、と。これ「おおかみおとこ」はハーフの子どものためでしかないですよね。単なるに、「おおかみと子どものハーフ」が欲しかったから、キャラとして入れただけ。つまり、簡潔にひどく言えば、「おおかみおとこ」は「種馬」でしかないわけです。



唐突な転校生の唐突さ

転校生は唐突に決まってるだろアホか。と言われそうですが、何故出したか分からない。確か怪我して、雨の中雨と(ややこしい)一緒に残って、雨「私おおかみハーフなんやで」と、多分これぐらいじゃないですか。こいつに何の意味があるかっていったら、次で説明しますけど、「選択の後押し」のためなんですよ。こいつもね、最初から出しといて、後からどんどんって形でもいいわけじゃないですか。 なんで途中で出してきて、勘が良くて、んでつきまとうのか。よく分かんない。

子ども二人は当然、2つ道があるから設定したわけで。「おおかみ」なのか「人間」なのか、どっちで生きていくのかっていうのを選ばせるわけですけど、その選択の後押しのために「転校生」出したと思うんですよ。 これが個人としては、後付みたいで嫌なんです。ツギハギみたいな感じの脚本が伝わってくるんです。



結局、何が言いたかったのか?

テーマが分散してるんですよ。「都会と田舎」、「おおかみか人間か」、「生きること」、「強く生きる女性」とか色んなことが詰め込みすぎて、結局主題が雲散霧消してしまっている。「エヴァ」なら、他人と自己の問題じゃないですか。「ナウシカ」なら、自然との対立と巨神兵の業、「ガンダム」なら対話、とはっきりしてるんですよ。受けそうなテーマ色々突っ込んだけど、結局全部中途半端な感じで何かうーん、といった感じで。

かといって商業性に特化していると言われれば、そうでもない。田舎からは、ほとんど「トトロ」だし。何か「サマーウォーズ」みたいにドッカーンとか映像だけで楽しいシーンが多いわけでもなし。

どこの層狙ってるかというと、やっぱり母親とファミリー層なんだろうなとは思いますけどね。それでも大分退屈な作品でした。一応擁護として、これ多分いろいろ企画や製作から言われたりしたんじゃないんかなーとか思います。「ジブリみたいにやってくれ!」「トトロみたいなの作ってくれ!」みたいな。

何にせよ、次回作に細田監督の評価は持ち越されそうです。


 

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TSUTAYAさんで今日レンタルしてきました。
最新作なので、一週間は無理らしく、三泊四日で借りました。

点数化はなんかやですね。
なんか、こうそういうもんを付けたいんですけど。
やっぱ点数が一番わかり易いですかね。

60点とかいう平凡な数字を出しておきます。すいません。

減点・加点箇所は次の3項目たち。

1、脚本のためにキャラを殺したこと (ー30)
これはおおかみおとこのことですね。細田監督は多分シングルマザーと地域との交流とか、それでいて家族関係を描きたかったんだと思います。

最近良く見るパターンで結論に合わして前提や根拠を変えるという喋り方、言論の仕方があります。
これが僕非常に良くないと思うんですよね。嫌いですし。
ネトウヨなんかがいい例じゃないでしょうか。 

で、おおかみこどもの場合は、いつの間にか川で溺れ死んでた。
考えました。これは、世の中にどうしても存在する理不尽な被害を表現してるのではないかと。
でもそうする理由って、この作品に必要かどうかで考えたら、必要じゃないですよ。

例え殺すにしても、もっと違う死んでもらい方というのがあった思います。
おおかみおとこは何歳を超えたら、人間には戻れなくなるとか。だから君とは暮らせない。とか。 

自然でなくてはならないんです。頭に引っかかるような内容では駄目なんです。

雪が勝手に家を出て行って、車にはねられそうになってそれを阻止して死ぬ。
こんな陳腐な内容でも、まだましだと思います。



2、転校生(ー15)
言わずもがな。
急に出てきて、急に恋して、急に怪我して。
伊坂幸太郎並のご都合主義。


3、結論は結局?(+5) 

テーマは一体何だったんでしょうか。(そんなもんねーよと言わればそれまでですがw)
人間と動物、これは日本人と外国人と見てもおかしくはありません。
差別を受けるのも同じ。
でも多分、テーマはここにはない。

僕個人としては、生き方というのがテーマだと思うんです。
狼として生きるのか、それとも人間として生きるのか。

ここは素晴らしかったです。 

でも、希望としては、1人の女の子の葛藤が見たかった。

「魔女宅」のキキではありませんが、迷ってしまうと、オオカミでしかいられないとか。
その逆もまた然りで、最終的には迷って迷って決めて欲しかった。

やはり少し、テーマというか脚本の分散が見られるんですよね。
詰め込みすぎても、良くない。



あと蛇足ですが、同時にAKIRAも借りてきて見ました。

やはり全盛期IG!そしてAKIRA組の面々の方々。素晴らしすぎて感動(作画)
ホンは、原作とは違いましたが、(というか原作を劇場化しようと思ったら最低2部作は必要だし、大変)、結構良かった。 最後は寝てしまって覚えてないんですが(笑)


劇ナデも借りてこようかなあ… 

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