GOMISTATION★

タンゴを続けて─脚が絡まっても

カテゴリ: 監督・演出


かぐや様のチカダンス、すごく話題になってますね。藤原書紀の頭のおかしさを示すような、トリッキーなリリックとメロディに乗せて、チカが踊る。中山直哉さんという方がロトスコープを用いて描かれたそうで。特に良かったのは、「スカートの動き方」ですね。


・かぐや様は告らせたい:チカダンス(2019)#03ED
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ロトスコといえど、このストンと落下する感じ。実写映像から画をうまく拾ったんだろうなあ、ギャザースカートの重力を感じる。




さて、スカート作画にはいろいろあるのだぜ。チカダンス並に、それ以上にスゴイのもあるのだぜ。


・CLANNAD 〜AFTER STORY〜(2008)#ED
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これはフレアスカートですね。スカートが波状にうねるとだいたいフレアスカート。とんとんとジャンピング気味なので、スカートがダイナミックに動く。そのダイナミックさに合わせて、影の入れ方も激しくなっている。



・電脳コイル(2007)#OP
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OPの1カット、本田雄による作画
走ってきてゆっくりと止まるシーケンス。ゆっくりになるに従って、スカートの跳ねがだんだんと小さくなるところがポイント。スカートの跳ねが大きいことで、けっこうな速度で走ってきたのを伝える。


#02
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サッチーから逃げるところ。フレアスカートっぽい。必死に逃げる脚に合わせて、動くスカート。特にヤサコ(メガネ)のスカートの動きに注目。


同スロー
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動きを見ると、二人のスカートの素材・布地が異なっているのが明確にわかりますよね。ヤサコのはやわらかく、フミエのはやや硬め。なんかラーメンみてえだな。



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同じく02話から。本田雄による作画。重心の移動がスカートの動きによって示されている。


同スロー
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いったん右に寄ったため重心が傾き、スカートが右方向に跳ねる。ここが上手い。



・四月は君の嘘(2014)#20
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西井涼輔による作画
ややデフォルメ調に描かれている。スカート見事だなあ、揺れ+伸びが上手い


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左右にスカートが揺れて、ジャンピングに合わせてスカートも一緒に伸びて、着地したら横に膨らむ。



・進撃の巨人2ndseason(2017)#27
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村に帰る途中のサシャ。スカート長いのでロングフレアかな。それより大事なのは、巨人の間をすり抜け落下した後の動き。膝の形にスカートが変形し、立ち上がるときにスリムに変化。技巧光る。


#27 ★
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ローポジションから俯角への回り込みショット。サシャの鬼気迫った表情もそうですが、回り込みながらスカートが大きくなびくことで、画面全体に緊迫感をもたらし最大の山場を醸し出す。






ざっと見たけど、スカート作画のだいたいはこんな感じ。他にもたくさんあるでしょうけれど。ここで紹介したのは工夫されているのが分かる。けれど、これらを差し置いて、常軌を逸した「どうやって描いたんだ?悪魔とプリーツ契約でもしたか?」と思うくらいのスカート作画がある。




それは西井涼輔による「恋愛ラボ」のプリーツ作画です



・恋愛ラボ(2013)#1 ★★★
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プリーツスカートを書かせたら右に出る者はおるまい

スカートは最初だらっとしている。左足からダンボールに乗り、引っ張られる力の描写はさも当然のように着地した衝撃のリアクションまでスカートに反映させて揺らしている。精緻・繊細という言葉が似合うスカート


 
#12 ★★
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サヨは普通に走っているのでスカートはまとわり付くように動くくらいですが。キャピキャピしているリコのプリーツは左右に大きく跳ねる。体の動きは描ける人はいると思うけれど、リコの変な動きに合わせて装飾品であるプリーツを破綻なく描き切っている。最初のスライディングも含めて


チカダンスにハマっている人も、何気なしに覗いた人も覚えてもらう言葉は、板野サーカスならぬ「西井プリーツ」です。とんでもないよね西井涼輔のプリーツスカート作画。

<参考資料>
作画オタク2名との配信-ニコニコ動画




新海誠最新作。キャラデの田中将賀は、Z会CM「クロスロード」からのご縁でしょう。作監は、ジブリ作品などで有名な安藤雅司。




・彗星来訪
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彗星には青のイメージがありますが、ここでは先端になるつれ赤色に。大気圏に突入しているということなのかな。下から3本目の彗星に注目。これだけ失速して早めに落下している。これで画面が平坦なものになるのを防止している、と同時にリアリティもある。



・工場爆破
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橋本作画(※推測)。タタキにこだわりを感じる。従来のタタキというのは、粉塵エフェクトを表すものであり画面全体に効果をかけるものでした。「君の名は。」のこのカットでは、エフェクトだけにかかっているように見える。おそらく、星空を邪魔しないための措置。

煙はまんま橋本さん(でこぼこなフォルムに楕円ディテール)だと思うけど、爆発はすごい変わってる感じがする。橋本爆発のフォルムって、煙と同じででこぼこななんだけど、タコ足煙がある、みたいなイメージだった。後、ここまでディテール少ない橋本爆発は初めて見た気もする。



22]

渇き。」の大平作画っぽい感じ。かすれた描写が思い出させたのかな。かすれている部分はどういう技術でやっているんだろう?普通に線画なんだろうか。気になる。


48]40]
43]

手前に物を置きピンボケさせて、より奥側のキャラ/状況を強調。特に2枚目はレイアウトが素晴らしい。画面左下の葉っぱが画面を引き締めている。


18]

伸びる影の先端をボカしているのが地味ウマ。たぶんハッキリと輪郭を描写すると、夜の部屋の雰囲気って出ないんだろうなあ。



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1000年に一度の彗星来訪を巡る物語。七夕かな。キービジュアルとタイトルを見た時は、また「秒速」の頃のような無個性なキャラ2人で描くと感じて、がっくりしていた。というのも、前作「言の葉の庭」は年齢差のある恋模様を具体的なキャラクターで描いていて、今までの新海作品とは一線を画していたから。以前の方向性に戻ってしまうかもしれないのは、残念だなあと思っていた。

ただ、特報や予告が出るにしたがって、その不安は解消されていきました。主人公2人に個性がある。これだけで安心しました。安藤雅司さんの絵も良いですね、鼻が立体的に描かれてて好み。

さて、新海作品には「差/ズレ」が一貫してテーマにあります。「秒速」では”時間”が、「言の葉の庭」では”年齢”がそれぞれありました。今作は「クロスロード」で展開した、”地方と都会”というズレを使って彗星来訪の物語を描くようです。

私見ですが、「言の葉の庭」はそこそこ一般人にも受けたはず。だから、これまでで最も多くの人が期待している人と思う。公開は8/26。楽しみです。


「おおかみこどもの雨と雪」にはいろいろと他にもありますが、

「おおかみおとこの死
この点のみを、ちょっと追っていきたい。




10]06]

どうしても理解出来なかった点、それは、「おおかみおとこの死」のシーン。「おおかみこども」に関する議論、問題の本質というのはこの部分が大きな割合を占めると思います。おおかみおとこは、何故あのような理不尽な形でこの物語から退場せざるを得なかったのか。



<1、「おおかみおとこの死」の目的と、シーン自体の説得力の有無>
37]05]

花をシングルマザーにさせるべく、おおかみおとこを退場させたい」という目的は当然あると思います。描きたいシーンを妨げる要素はそれとなく退場させるべきです。この部分は問題ない。問題は、その描写のやり方、。説得力・合理性ある描写ならば、納得はできなくても理解はできる。

だけども、このシーンではそういう描写が欠如していると考えています。「おおかみおとこの死」というものに、こちらから見て納得できる描写があれば、その目的が何であろうと説得力あるシーンとなり、結果受けて側は享受できる。しかし、この「おおかみおとこの死」の一連のシーンには、合理的な演出や描写はほとんどないと言っていい。




<2、「おおかみおとこの死」の意図と、「理不尽」について>

「おおかみおとこ」の死によって、彼を退場させる以外に表現として何を達成したかったのか。
それは、おそらく「強烈な悪」の示唆。

50]05]
20]38]

花はおおかみおとこの死後、都会での生活に辛さや息苦しさを感じます。おおかみおとこの事を何度も思い、辛さに負けそうなことを伝える。この辺りから、「都会」というものは、花を困らせる厄介者として描こうとする意図を感じます。このように、都会を悪として描くのであれば、「児相」「近隣住民の苦情」などのジャブを重ねるだけで足りず、不快感を伴うぐらい強い「合理性の無い理不尽」を描かればならないはず。

これが、「おおかみおとこの死」ではないのかと思うわけです。児相なんて目じゃないくらい、この世には「とんでもない悪」があることを示唆している。このシーンは、都会に対しての印象を最悪なものにするためのものであり、非合理的な理不尽を描くべき部分です。ですが、その「非合理的な理不尽」に対して、少し違和感がある。


<3ー1、「理不尽」に内在する道理>

17]

まず1点目は、「理不尽に内在する道理」を描写していない部分。

「理不尽」というのは、「道理に合わないこと」を意味します。つまり、理不尽を描くためには、その道理を一緒に描く必要がある、と思うんです。『Aは怒られず、自分は怒られた』。これが理不尽の単純な構造です。「Aが怒られない(から自分も怒られない)」という道理を一緒に描写して初めて、理不尽を主張できる。道理が無ければ、理不尽は描けない。「おおかみおとこの死」には、「溺死した」という結果はあるんだけど、「~をした(から事故に合わない)」という道理は描いていない。

たとえば、死のシークエンスと合わせて、青信号一つ渡るのでも描写していたとしたら、それだけで道理になりうる可能性(※「信号機をきちんと守って渡るので、事故に合わない」という道理)はあった。しかし、それが明示されていないのでは、「おおかみおとこの死」は理不尽というよりは、「意味不明」になります。『非合理なシーン』であるべきなんだけど、根本的に描写が不足している、と思ってしまう。多少の理不尽さも含んでいるけれど、「おおかみおとこの死」については意味不明の方が印象として強い。



2点目は、キャラクターの動き方。

37]02]
48]32]

おおかみおとこは、普段から読書家で、勤勉でなおかつ聡明なキャラクターとして描かれています。その上、子供に対して面倒見が良さそうで、子供からも人気がある。つまり、秀才イケメン野郎です。

ここで、「おおかみおとこの死」の一連のシークエンスを振り返ってみましょう。あのシーンは、ナレーションでその日が淡々と述懐されるのみで、おおかみおとこがどのようにして死んだかは、溺死体で見つかったという結果でしか示されていない。ということは、受け手側の我々はその結果で判断せざるを得ないわけですが、このシークエンスだと少なくとも賢い印象とはならない。

このような聡明なキャラクターが、あのような「馬鹿みたいな死に方」をするのは少々納得がいかない。彼は賢いキャラクターなんだから、賢いまま理不尽に死んでいけばいい。それこそ、信号機を青で渡って、撥ねられるだけでその目的は達成されるわけで。こんな素人でも思いつくんだから、『非合理的な理不尽さを保ちつつ、聡明なままキャラクターを退場させること』を、あの細田守ができないわけがない。何か裏があるはず。




<3、細田監督の意図したところ ― (解答編)>

1、2と少し、おおかみおとこの退場について見てきました。「時かけ」「サマーウォーズ」でガチガチの合理的な演出をしてきた細田監督にしては不自然さがある。こんな安易な事をするとは、到底思えない。だったら本人に効いてみよう、ということでアニメスタイルのインタビューを見てみる。

細田 ただ、ひとつ確かにあるのは、今回の映画で描いたモチーフ、ストーリーの流れが、自分にとっては未知の領域だったというか……自分が今までに試したことのない表現を、作品そのものから求められている感覚は、すごくあったと思うんですよ。

小黒 作っている細田さん自身が、作品に求められたということ?

細田 そう。もちろん、モチーフやストーリーを決めたのは僕なんだけどね。それが今までの手管で表現できるようなものではないという実感は、絵コンテを描いている時からあった。自分の持ち駒では対応できないぞ、と。その持ち駒って何かというとジャンル映画的な作り方ですよね。そのジャンルの中でのお約束だとか、ウェルメイドな娯楽作だとしたらこういう流れになるだろうとか。

(中略)

小黒 この場合のジャンル映画というのは、アクション映画とか、ホラー映画のことだよね。もっと単純明快で、分かりやすい感動作にもできたわけだね。

細田 だけど映画って、そこには収まらない部分も出てくるわけ。ジャンル映画的な約束事からはみ出した部分が、実は映画の面白さだったりする。そういう部分の割合が、今回の作品は今までに比べてすごく多いという実感はありました。
(「アニメスタイル2013.03号」より引用) 
作品から自分の容量以上の求められていると思った細田守は、「お約束」、青信号を渡って撥ねられて退場なんて描写では、自分の描きたい世界は達成できないと考えた。こりゃあびっくり。つまり、あの「おおかみおとこの死」は、企画や出資者に何か言われたわけでも、制作が遅れたわけでも、コンテが間に合わなかったとか、そういうわけではない。そういう偶然ではなく、明らかに狙って外していたと。

だとするならば、気になるのは、細田守が描きたかった「おおかみこどもの雨と雪」の世界。どんな世界を描くために、ああいった演出をしたのか。


小黒 単純にジャンル映画的にまとめられる内容ではなかった、と。

細田 そうですね。そもそも今回の映画は、モチーフからしてジャンル化できるものではなかった。つまり、親が子を育てること……その時々の大変なこと、楽しいこと、つらいことなどを積み重ねていって、その中で「親というのはどこから始まって、どこで終わるのか」ということをまるごと1本の映画の中で描きたい・・・・・・というような作品は、そもそもジャンル映画ではないわけですよ(笑)。
(中略)

小黒 分かりやすく面白がらせるような演出を避けたのは、どうしてなんですか。

細田 言い方が難しいんだけど、つまり、全人類の歴史の中に脈々と続いている「親が子を育て、子が成長していく」という営みのダイナミズムみたいないものを描くとき、そこに演出が出ちゃいけないような気がしたわけですよ。デフォルメしちゃいけない、と言ったほうがいいのかな。

小黒 なるほど。

細田 その上で、子供が成長していくということ、その時間の流れを、もっと大きな視点で捉えた映画にしたかった。部分ごとの面白さとか、分かりやすさではなくてね。モチーフに対して誠実になろうとすると、いよいよそうなっていくわけです。
(中略)

細田 もう少し違う喩えをすると、人が死ぬときに自分の人生に満足するかしないか、という話にもつながるわけ。なるべく満足して死ねたらいいな、と思うけど、本当にそんなことができるのかどうか分からないわけじゃん。人生、常に半ばなわけだから(笑)。

小黒 まあ、若い読者にはピンと来ない話かもしれないけれど、満足して死ぬために、毎日を積み重ねているわけですね。

細田 本当はそうなんだよね。もちろん、そんなにきっちりと思いどおりの生きざまを積み重ねていけるわけじゃないし、その時々によって激情に流されたりすることもままあるけど、(人生を)大きく見て、満足できるかどうか、達成感があるかどうか・・・・・・みたいなことが、その人の生きてきた時間の勝ちを決めるんじゃないかなと思うんだよね。

小黒 そういうことを描く映画だったと。

細田 うん、そうなんです。
(「アニメスタイル2013.03号」より引用) 


細田監督の意図としては、とにかく大きな流れの中での家族、生命を描きたかった。面白く分かりやすく描くことはできなくもないんだけど、それだとモチーフに対して誠実になれない。あの細田守をしても、人の一生を大きな流れの中で描くということは、演出の範疇を超えていると思わせた。

そういう点で見ると、賢いキャラクターがバカみたいに理不尽な死を遂げるのも、大きな流れの一つとしては、自然なのかなと腑に落ちた。なるほど、これはそういう演出で狙ってどうのこうのする話ではなかったんだなと。おおかみおとこが、普通に死ぬ方が分かりやすくていいんだけど、それではモチーフから逃げていることになるんですね。だから、あんな理不尽な死に方が、大きな流れで見た時には正しい。

いや正しいというか、「そうなってしまうこともあるよね」という感じだと思う。おおかみおとこは賢いんだけど、ついうっかり何かに気づかず車に引かれたとか、大きな流れの中では避けられない出来事が「おおかみおとこの死」であった。つまり、この非合理的な理不尽は、世界が主格だったんです。世界の大きな流れの中では、どうしようもなく避けられないことであった。

「おおかみおとこの死」に対しての細田監督の正確な狙いは分かりませんが、定型的な演出ではないことは間違いない。だとすると、「おおかみおとこの死」については、「意味不明」でいいんじゃないのかなあと思います。世界はいつも勝手で乱暴で、合理的ではないので、人の手で変えられるものでもない。世界の勝手さというか、どうしようもなく不可避な感じを出すためには、ああいう非合理な死を遂げるべきだったのかもしれない。


<参考文献>
アニメスタイル2013.03号 


今回は、シルエットの表現と大畑さんについて。


<1、シルエットの基本的な役割・意味合い>

シルエットの基本的な役割は、「キャラクターがどのような人物であるか」をオシャレに表現できる部分にあります。この部分は「とらドラ!」OP1が分かりやすいので、まずはこれを。

■とらドラ! OP1「プレパレード」(2008)

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53]59]

まずは、シルエットの色に注目。

大河はピンク、竜児はオレンジですね。竜児は不良のような姿見だけど、実際にはとても温和であることは劇中で示されている通りで、このシルエットは、彼が持つ温和な性格を表現している。一方、大河には刺々しいショッキングピンクを使っているのは、彼女の性格に合わせているから、と直感的に分かる。


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このように、シルエットによる簡略化はキャラクターがどんな性格・性質であるか、極めて簡単にいえば、「こいつは青だからクールなキャラだな」のような印象付けに効果的な手段と思います。アニメキャラの髪色の役割と似ていますね。



<2、シルエットの動きを活かした、「踊り」の芝居>

シルエットではキャラクターの輪郭が強調されるために、「キャラの動き」というものがとても目を引く。そのため、踊りの芝居をするOP・EDも多く散見されるのもまた特徴の一つであって。具体例を何個か見てもらいたい。


■つり球 OP「徒然モノクローム」(2012)
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目、鼻、表情、服、その他のディテールを全て排除され、キャラの輪郭のみを描くことにより、焦点は「動き」そのものに自然と行く。魚というモチーフをシルエットにし、クレジットや背景で使っているのもポイント。

彼らの陽気さ・元気さ、お話自体の爽快さを小気味いい踊りによって演出するとともに、キャラ立ても達成している上手いOP。



■うる星やつら ED07「OPEN INVITATION」(1984-85)
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踊るラムちゃん。つり玉OPと構造は似ていて、やはりディテールの有無によって比較させる。これは点滅が特徴的かな。点滅を繰り返すことで、(色付きのラムちゃんが強調され)より可愛さが引き立つ。ちょっと見えない方がエロいみたいな、そんな感じ。


■東京アンダーグラウンド OP2「HEY YOU!!〜失ってはならないもの〜」(2002)
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(絵コンテ・演出:都留稔幸)

情念たっぷりの手の芝居が見所。ふんわりしてるスカートもいいですね。これを手掛けたのは、都留稔幸というアニメーターで、彼は『NARUTO』での活躍が有名でしょうか。この都留さん関連でもう一つ。


■GTO OP2「ヒトリノ夜」(2000)
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(絵コンテ・演出・作画:都留稔幸)

アクション作画に造詣が深くなくても分かる、キレッキレの芝居。シルエットによって確かに動きは強調されるけれども、それは芝居の細かさ・内容までを担保しない。鬼塚がパンチを避けて、一発ぶち込んで、キックしてというのが鮮明に伝わる。芝居が上手い。


このように、シルエットを採用することでキャラクターの動きが強調・誇張され、結果的にシルエットの使用はキャラクターが躍動的になるかどうかにも影響することが分かります。作画だけでも押しきれる場合はあるけれど、シルエットを採用すると、アクションがより際立ちキャラが躍動する。

このシルエットの効果を非常に洗練して使ったOPがありまして。日常系アニメOPの歴史において、このOPがエポックではないかなと。



<3、エポックメイキングな発明:「シルエット影」>


あずまんが大王 OP「空耳ケーキ」(2002) 
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(絵コンテ・演出:大畑清隆)

それが、「あずまんが大王のOP」です。これは後続作品に多大なる影響を与えたのではないかなと。特に、踊り跳ねる少女たちの後ろの影、このシルエット風の影(以下、シルエット影)がエポックな発明です。


59]53]

とてもシンプルな背景に、キャラクターと影のみという構成。この時点で度肝も抜かれる。シルエット影の使用の意図は、立体と躍動の演出でしょう。真ん中に光源があるかのような感じですよね。この影が凄まじい。


32]07]

さきほどまで散々見てましたが、シルエットでは動きが強調されます。ただ全部シルエットにしてしまうと、キャラクターのディテール的可愛さが消えてしまうのは言うまでもなく。キャラクターの可愛さと動きを両立させ、躍動感を出せているのは、このシルエット影のおかげ。


このシルエットの使い方は当時、画期的だったはず。というのも、今となって、これぐらいのシンプルな背景は「日常系アニメ」で散々に見られますが、当時は当然そんなジャンルは無く、4コマ萌え漫画も皆無に等しい状況でした。そうなると、シンプルな背景を使ったOPもほとんどないわけで、そもそもシルエット影自体を使う機会が無かった。「日常系アニメ」の黎明期たる2002年近辺で、このOPが画期的なのは必然とも言える。

そういう具合に考えると、4コマ萌え漫画の始祖たる「あずまんが大王」のアニメが後続作品(※特に日常系アニメ)に与えた影響は相当なものだろうと思うわけで。特にOPの影響は大きい。



<4、シルエット影の影響と一般化、その後の大畑OP>

そんで、ここからはその影響について見て行きたい。


特に分かりやすいのは、シャフトの演出家である大沼心さん。
彼は非常に影響を受けていて、手がけた作品に顕著に出ている。

■ひだまりスケッチ×365(第2期)「?でわっしょい」(2008)
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お手玉な感じでぽんぽんと女の子が飛ぶ。こりゃまあオマージュですよね。
オマージュだと思うけど、本家と見比べると落ちていく様子が足されているのが分かる。
新たな表現を追加して昇華しているのが良い。


■化物語 10話OP「恋愛サーキュレーション」(2009)
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有名な化物語のOP。シルエット影を効果的に使用することで、彼女の重層性を表している。
影も単調にならないように、カットによってスピードを変えてたり。
特に1カット目は、PAN方向に合わせて慣性が効いてる感じが出てて上手い。


■ef - a tale of memories「euphoric field」最終話ver(2007)
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全面シルエットの飛び込み。
2人の関係性について、想像が深まる。
最終話以外だと泡のように弾けていて、それも良かった。


後は、「夏のあらし」(※ED)ではシルエットオンリーで演出していたりする。こんな感じで、大沼さんはすごく影響受けてます。まあ大沼さんぐらい凄腕の演出家が影響を受けているのならば、その他諸々大勢の演出家にも同じように影響はあっただろうと。実際に、次のように日常系アニメでは散見される。



そんで、大畑OPのシルエット影の影響というのはもう沢山ありまして、少し探しただけでもこれだけ見つかる。「よく分からない所(背景)にキャラクターがいて、そこに影がつく」というのは凡そ大畑OPの影響と言っても良いのではないかと思う(※キャラの縁取りとかは4コマ漫画からの影響かもしれないから微妙な所だけど、まあ広義的に)。

46]16]
(とらドラ! OP1「プレパレード」(2008))


59]42]
30]41]
(上から順に「僕は友達が少ない」、「GJ部」、「SHIROBAKO」、「がっこうぐらし!」OP)

日常系アニメの乱発と、それによるシルエット影の一般化により、まあ珍しいもんではなくなってしまった。その結果、今大畑OPを見てもさほど驚きがない。特殊な物が一般化したことで、良くも悪くもオリジナルの特殊性が喪失してしまった。



さてその後の大畑OPはというと、更に洗練されたものになっている。


■WORKING!!(第1期)「SOMEONE ELSE」(2010)
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本家のシルエット影は一味違う。他のと比べるとちょっと遠目に付けてますね。影自体は、「あずまんが大王」と比べるとシンプルなものに。動き重視で、影とキャラの連動で立体を生み出す。さらに、クレジットや背景に被さる時に影が屈折してることで、キャラクターの存在・立体感がより増している。

58]17]

驚くのは、影が付いてる場所。「あずまんが大王」のシルエット影も(ビジュアル重視だったので)さほど厳密ではなかったけれども、これだけずらしているのに違和感ないどころか立体を感じられるのはまあスゴイ。


■WORKING!!'(第2期)「COOLISH WALK」(2011)
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2期も同じく、やはりこの影の屈折・曲がり方が上手い。
「キャラ→クレジット→BG」と段差が設けられているので、奥行きが出ている。


■WORKING!!!(第3期)「NOW!!!GAMBLE」(2015)
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37]50]

山田ァ!うざ可愛いじゃねえか!
アクションつなぎからの着地のキレ、そして髪の毛のリアクションが良い。
こういうところで、シルエット影は大活躍する。


シルエットという部分に絞って、大畑清隆という演出家について少し見てきました。遅筆だとか色々言われますが、それを補って余りあるくらいには才がある。各話演出もいいんだけど、個人的にはOPですね。OPのコントロールは抜群にずば抜けている。最近は、「魔法少女リリカルなのはViVid」「WORKING!!!」で久々に各話演出を担当しているので、これから各話演出・コンテを多くやってくれるかもということで期待。

何か上手くまとまらないが、こんな感じで…
大畑清隆と言えば、「シスプリ」のEDも必見です。岸田隆宏との名ED。



<参考文献>
原作のラストまで描ききる! TVアニメ「WORKING!!!」鎌倉由実監督インタビュー
大畑清隆 OP・ED集


■異能バトルは日常系のなかで http://www.tv-tokyo.co.jp/anime/inoubattle/index2.html

えーとですね、まず僕は『彼氏彼女の事情(98)』の大ファンであって、アニメから原作単行本を購入するに至るぐらい好きな作品なんですね。そんで、先日知人から「異能バトルがカレカノっぽいよ!」と言われたのが、視聴のきっかけです。最初の方の話数では、その異能バトルにおける「カレカノっぽさ」というのは、あまり感じなかったんですね。キャラの掘り下げ方は確かに「カレカノっぽいなあ」という程度。それぐらいの感覚で、「うーんまあ少しカレカノっぽいかなあ」の認識でした。



まず前提として、「異能バトル」の魅力として確実にあるのは、大地コンテの良さですよね。

30]41]
46]59]
03]09]
(『異能バトル』02.04話 大地コンテ回)

ここは、「異能バトル」見てる人みんな相違ないと思う。だから、「カレカノっぽさ(90年代のガイナっぽさ)」=大地さんかと思った。大地さんは、緩急のついたカット割り、テンポが良いギャグシーンでは直感的な普通の構図で漫画的表現を多く入れて、逆にシリアスな場面では俯瞰アングルや逆光の使用で演出します。こういったのが、僕が感じる「カレカノっぽさ」かなあと眺めてた。



ですが、06話見ると、考えが全くとして変わったんですよ。びっくりするほど。

58]01]
25]27]
35]40]
(『異能バトル』03.06話 小倉コンテ回)

『異能バトル』の魅力=90代のガイナ的な魅力=大地コンテ、かなあ思ってたんだけど、03.06話(特に06話)を見ると、考えが変わりました。大地コンテの面白さは当然あるんだけど、「カレカノっぽさ」という観点においては、そういった部分は小倉陳利・大塚雅彦から発生してる気がしたんです(※高橋・清水コンテもいい感じなんだけど、ここでは割愛)。小倉コンテ、大塚演出ですね。ここから発生している気がする。

小倉さんは、『彼氏彼女の事情』において初コンテを担当し、平松禎史、高村和宏さんと共に活躍された人です。『新世紀エヴァンゲリオン 劇場版』においては、磯パートの後(※弐号機にロンギヌスの槍がグサグサ刺さる所)を担当したりとアニメータとしても凄い方です。安藤健・大塚雅彦(現:トリガー代表取締役)さんは、同じく『彼氏彼女の事情』において、演出を6話数ほど担当し、同作品の作風を支えました。



(0)、そもそも「カレカノっぽさ」ってなんなのか。

57]01]
04]30]

大量のモノローグを退屈にしないカット割りや、フランクな心情をそのまま示す直接的な映像だったり、作画負担が多いわけではないのに自然と絵に没入できるというか、反転画像などトリッキーで実験的な映像などが挙げられますが、一番は独特のキャラクターの掘り下げ方(※キャラクターに内在する弱い側面の描写)ですね。こういうのが「カレカノっぽさ」と考えてる。

今回、『異能バトル』から漂う「カレカノっぽさ」を考えるため、『カレカノ』小倉コンテ回だけ見直しました。その上で、『異能バトルは日常系の中で 06話』と、『彼氏彼女の事情 02話』を比較しながら、小倉演出・コンテについて自分なりの考えを説明していきたいと思います。


まずは、ボクが思う小倉コンテ、大塚演出の具体例を箇条書きでダダっと。

(1)構図の手法
  横顔ドアップ抜きで口元(感情)隠す
  同ポ、ポン寄り、その逆の多さでテンポを出す
  
(2)止め絵の手法
  バンクの積極的使用
  顔隠しの絵作り
  
(3)深刻なシーンの描き方
  シリアスな場面を直接的に描写
  回想シーンのインサート方法


それぞれ、以下で説明していきます。


 
(1)構図の手法


(a)横顔ドアップ
小倉コンテでは、日常の些細な事象、キャラクターの心に内在する感情の機微な表現をまず、平面的な構図で演出します。特徴的なのは、こういった横顔ドアップのカット。

59]08]
07]30]
(『彼氏彼女の事情』02話)


27]02]
49]42]
(『異能バトルは日常系の中で』06話A)

こうした横顔ドアップが非常に多い。(ここでは載せていませんが)『彼氏彼女の事情 12話』では、口元を隠すぐらいまで寄るカットもあり、キャラクターの感情表現において最も重要であろう「目」「口」を画面外に出す。画面外に出すことで、キャラクターの心理は視聴者に委ねられる。つまり、想像力を喚起させるような演出をしているということです。



(b)同ポ(同ポジション)・ポン寄りの多用
39]28]
36]41]
40]41]
(『彼氏彼女の事情』02話B)

これは一連のカット(※一部短いショットは省略)です。宮沢が有馬に未経験の感情を抱き始めているシーン。同ポとは、同じポジションでのカットのこと。そのまんまですね。そして、そこからのポン寄り(キャラへの寄り)をして、また同ポに帰ってくる。こういうカット割り構成がまたしても多い。


15]12]
13]18]
(『異能バトルは日常系の中で』06話A)

これはサユミさんの妹マイヤと電話をして、サユミさんの中学生時代の情報を集めてるシーン。サユミさんの不機嫌さの原因を究明しようとしてる。べつだん難しい構図を使用するわけでもないのに、同ポとポン寄りの使用で、テンポが良くなる。それぞれ、途中に回想の短いカットを挟んだりしてスピード感を増すが、最終的には元ある構図へと帰ってくる。ただ近年は、OL(オーバーラップ)の効果も追加されていることが多い。


次は、(a)(b)の応用例。

32]34]
37]
(『彼氏彼女の事情』02話Bラスト)

45]47]
(『彼氏彼女の事情 02話』Bラスト)

横顔ドアップ+3段階のポン寄り。ここでは構図は全く変わっていない。最初は、客観的であった画面がどんどん主観的になっていくのが分かるだろうか。有馬という人物に対して、視聴者が最初は観客として見ていたが、同一化して、有馬と近い感情になっていくことが分かる。2つ目は、画面的なカッコよさの演出。



(2)止め絵の手法


(c)半分顔隠し・カゲ付けの進化
56]14]
46]14]
(『彼氏彼女の事情』02話Aラスト)


55]35]
09]52]
(『異能バトルは日常系の中で』 06話Aラスト他)

これは(1)と通じるところが多いですね。見る側の想像力にお任せ、という感じの演出。だけど、「異能バトル」ではその演出が少し現代風に進化していて、まあこういったのは小倉コンテ限らずよく見るんですが、目より上にカゲを落とすってヤツですね。これを(1)と併用したりもする。『カレカノ』みたいな、キャラ顔前アップ画面もいいんだけど、もっと現代風なスマートな表現に昇華されていますよね。
 


(3)深刻なシーンの描き方


(d)直接的な感情(エゴ・内在する弱い側面)描写
07]14]
28]34]
(『彼氏彼女の事情』02話Bラスト)


25]33]
15]44]
(『異能バトルは日常系の中で』06話AB他)

エゴ、自己に対する言及、正直な気持ちの独白について。小倉コンテでは、『新世紀エヴァンゲリオン』のような直接的な描写をします。こういった直接的な描写は、モノローグが多くなる少女漫画では、顕著に見られます。だけど、アニメでこれを再現しようと思うと難しい。「こいつはペラペラ喋るキャラ」とばかり認識されてしまう可能性も少なくないからですね。

「私のどこがおかしいのよ(カレカノ)」「私はみなさんの能力が怖いんです(異能)」とか、そういった自分の存在に対する問いかけや、自分の正直な(恐怖や心配といった)弱い気持ちの吐露というのは幼稚でかっこわるいような描写と見受けられがちです。しかし、こういった深刻な描写は思ったよりも大事なんですよ。キャラクターというのは、いつも強い存在で描くと、立体的になり得ません。それは、現実には、いつも強く明るい人など存在しえないからです。




以上の3点。1、構図(ポン寄り、その逆、同ポの多使用)。2、止め絵(顔隠しによる想像力喚起)。3、弱い側面の直接的な描写。これらに、小倉コンテ、ひいては「カレカノっぽさ=90年代ガイナっぽさ」が起因しているのではないのかと考えました。

簡潔にまとめると、バンクと同ポ、ポン寄りだけで、お話を展開させて、しかも面白くしてるトコに凄みを感じます。予算や時間も少ない中、こういった作画負担を軽減するようなコンテ・演出というのは、『新世紀エヴァンゲリオン』『彼氏彼女の事情』などでは多く見受けられ、今回の『異能バトルは日常系の中で』でも意図的な作画リソースへの配慮を感じます。何よりも一番、難しい構図なんていうのは殆どないんですよ。それがスゴイ。


といった感じです。小倉、安藤、大塚さんは、庵野・鶴巻といった「ガイナ」の遺伝子を受け継いでいるように感じます。ガイナックスファンは見たほうが良さげな気がしますよ。それぐらい、この『異能バトル』は普遍性を持つ良い作品になり得えると思っています。

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