GOMISTATION

沈む時期

カテゴリ: 漫画・コミカライズ


キャラクターの絵に特別なこだわりはないんだけれど、どうにも羽海野チカ絵(特に女の子)は苦手で避けていた。ただ、うちの親が絶賛しており(なんとアニメまで見ていた精力的)、はよ読んでみんしゃいと急かされダンボールで送られてきたので、読んだ。徹夜しました。



まず最初に思ったのが、複雑な状況を何個も作ることで、読者もその状況下にいるように感じさせるところが一つの魅力だ。零くんの将棋のこと、そんで川本家のこと、ひなちゃんのこと、幸田家のこと、学校のこと、これらを同時に進行させていくので、頭がそれに集中して、没入していく。

この複雑な状況をよくこんがらないように作って描いたのがすごいなと思った。まるで、混線したケーブルをゆっくりと解いていくかのように、一つ一つの問題にたいして、その場しのぎの対応ではなく、根本から地道に向き合おう、という作者の覚悟が心に響いてくるようだった。問題にかんしても、すべてきれいには解決されない。

たとえば、川本家の中学校でのいじめ事件では、被害にあった、ちほちゃんは最後まで後遺症を抱えたままだった。これがマンガっぽくなくて、面白かった。現実と同じような、時間の進み方で、そんなに簡単に心は治らない。だけれど、フィクションらしく希望もあって、その塩梅が良かった。いじめた方の女子も、単純な勧善懲悪で裁かれるのではなく、地道な話し合いの末に、学年主任によって、「自分で気付くしかない」とされ、放置された。裁かれるのでもなく、(なにか偶発的で)短絡的な罰を受けるわけでもなく、放置されたので、ああ、これはリアルだなと感じた。

このマンガの主題は、もつれにもつれた問題や自分の心に「向き合うこと」にあるように思う。表面的に解決を図ったり、誤魔化したりをいっさいしない。これが最大の魅力だと感じる。その点でいえば、川本父の登場とエピソードには少し疑問が残る。彼は極めて単純だからだ、他のお話のように、もつれていない。このキャラクターを出すことによって、何を描きたかったのかがいまいち分からないのだ。単純に、ひなと零くんとの間に婚約フラグを立てたかったため、とは思えないから、もう少し考えてみることにする。


島田先生がかっこよすぎる(2回目
キャラクターはまったく違うけれど、まるで「天」のアカギみたいだ。


さて、3月のライオンを読み終わった。4.5巻が一番面白かったなあ。今は主人公は底を抜け幸せ街道まっしぐらなので、重たいエピソードを拾っていくんだろうか。


その残すメインは、姉・香子とのエピソードだろうな。意図せずとも養子の方が可愛がられ、捻くれてしまった凡人の屈折がどういったところに着地するのかという部分は最大に気になる。彼女は歩よりも将棋について、未練があった。未練があったけれど、父親から将棋は諦めろと言われた。側では、養子として自分よりも優秀、かつ両親に愛されている零の姿がある。これで屈折しない方がおかしい。

彼女が、凡人として、辛かった幼少期の問題について、どういった風な決着をつけるのか。それが描かれるのが、物語としては大きな部分となるような気がする。まあ、どうなるかはまったく分からんが、11巻ラストでは零はひなたに婚約を申し出た。過去に”家庭をめちゃくちゃにされた”という感情が強く残っているとしても、後藤とのエピソードを見る限り、どうにも荒らそうなどとは思えん。



あと、クズの見本として川本家の父親が話題になりましたが、実際のところ、この漫画における、一番のゴミクズは幸田母です。幸田父も半分入る。歩や香子は将棋の家庭に生まれて、厳しく育てられたのにもかかわらず、零に自分たちの存在意義や家庭における立ち位置を奪われてしまった。だから、彼らの零に対する憎悪というのは、この上なく理解できる。歩が描かれないのはちょっと謎ですが(※2人描くのはキツイから、姉の香子に託したのかもしれない)。

幸田母は、零が家に戻ってきたときに、当時を回想していました。零はいい子だった、自分たちの子どもはどうして上手くいかなかったのか、自分はできることがなかった、と結論を出している。


その10巻Chapter97は相当に胸糞悪い。

「居間が凍りついていただろう、ほっとした」
「(心配していることを口に出せず)この子の表情は柔らかい、大人になった」
「まだ歩は子どもなのに」

零が帰ってきて真っ先に考えたのは、零の状況ではなく、家庭の雰囲気。半ば強制的に家から追い出したくせに、「大人になった、向かい合ってくれる」と独白する。零に対する後ろめたさすら、言葉に出して謝罪できない。自分の子どもに対しては、まだ成人前にもかかわらず、もう将来がないかのような扱い。


この時点で、だいぶイライラしてたんですが、決定的なのは最後のコマで、

「零が自分の子どもであった(普通のこどものようだった)夢を見て、ほっとした」


ここでダメだった。極端にいえば、幸田母は平和に暮らせたら、子供とかどうでも良かったんですよ。

幸田母の思考には、子どもなんてのは、そもそもある程度は堕落するのが当たり前というのが根底にあって、本来は香子と歩の存在を許容するはずだった。けれど、零の出現によって、香子と歩が相対的にひどくダメに見えるようになった。で、子どもたちが反抗して家庭が崩壊した中で、辛い思いを抱えてしまい、許容できなくなってしまった。それが、「子育てに失敗したのかな」「歩はまだ子どもだ」という独白に発露している。

零に対しての目線も、「いい子(家事も手伝う、棋士としても素晴らしい)だった」という無責任クソ親なだけだったらまだ良かったんですが、上記のセリフから、「堕落してない零が悪かったかもね、もっと普通に堕落してくれていたら楽だったのに」と読み取れる。楽だったというのは、当時の家庭の崩壊はなかったかもね、あー子育てってしんどー、と解釈できる。零に対しても、こいつ「いい子すぎて邪魔だなあ」という、まったく逆の感情があったと思うんですよね。つまり、子どもたちの態度がバラバラだったことで、歪みが生まれ、冷え切った家庭の中において過ごした、自分への同情が強く残っている。なんやこいつ。

これ矛盾しているように見えるんですが、2パターンの場合に分けられて、

(1)子ども全員が、零みたいだったら良かった
(2)子ども全員が、堕落してたら良かった

こういう感じなんですよ。つまり、平和だったら何でも良かったという感じで、子どもたちに対しては「心の弱さに負けた」、夫に対しては「専門分野だから任せた」と、自分は悪くないと言い聞かせている。主体性のなさ、責任感のなさに呆れて閉口。川本父なんてのは分かりやすい悪でカワイイもんですよ、幸田母のほうがきつい。


と思ったら、既に書かれていた。やはり多くの人が思うんでしょうね、あれは。

「三月のライオン」に見る毒親からの呪縛


【追記】
父親は将棋一筋のバカですから、歩や香子に、他の道を探したあげることができるのは、幸田母1人だけなんですよ。彼女しか子どもたちを守ってあげることはできないんです、結果がでなくても、そこまでの過程を褒めてあげれば良かった。他の道の可能性を示してあげれば良かった。少なくとも、「なんでうちの子はいい子に育たなかったんだろう」みたいなことは、口を割けても言ってはいけない。子供の教育を放置して、自分の幸せや気持ちを優先させる。勝手に育ってくれたにもかかわらず、迷惑をかけた零に対して謝罪もできない。だけれど、いい母親でありたいという体裁は残す。こういうのが、本当に虫唾が走る。


まあ、まだ物語は終わっていないから、この姉弟についても描かれる予定があるのかもしれない。それが楽しみだなあ。とにもかくにも、島田先生はかっこいいです。かっこよすぎて困る。



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「かぐや様は告らせたい」とはミラクルジャンプで平成27年7月から連載がスタートした、恋愛マンガである。今は週刊ヤングジャンプに連載の場を移している。この漫画を知ったのは、ヤンジャンに掲載されていたからだ。本題に入る前に、読むに至った経緯を説明させていただきたい。

筆者は大の「嘘喰い」ファンであるが、ヤンジャン自体には毛ほども興味がなかった。単行本派であったためだ。ただ、単行本を買って読み進めていくと、39巻の終わりで非常に面白いゲームが始まってしまった。そう、エアポーカーである。久々に漫画の続きが気になって仕方がなくなってしまい、脳みそは嘘喰いのこと以外考えられなくなった。こうなっては致し方ない、善は急げだ。深夜に原付を飛ばし、コンビニを2、3軒回ってやっとこさ購入した。

こういう次第で定期的にヤンジャンを買うようになるのだが、当初は他の漫画など見る気が起きなかった。内容が分からない漫画は、よほどのインパクトがないと途中からは入りにくい。だから、実質的にはヤンジャンは嘘喰い専用機となっていた。たまに「うまるちゃん」を眺め見るくらいだった。


とてつもない衝撃が走ったのは、「かぐや様」がヤンジャンで連載を開始したYJ17号、ではない。YJ17号では2話掲載だったが少し眺め読みする程度で、そこまでの衝撃ではなかった。単行本を購入するまでに至らせたのは、その次のYJ18号掲載の第3話「かぐや様は口付けたい」である。


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伝統ある名門高校の生徒会メンバーである、会長の白銀御行と副会長の四宮かぐやは、どちらも相手のことを思いつつも、その強靭なプライドによって、「付き合ってやってもいい」というスタンスであった。しかし、何事もなく半年を過ぎると流石に焦りも出てくる。その間に彼らの思考は、「いかに相手に告白させるか」というものに変わっていった。 

このあらすじだけで、彼らの合理性が伺い知れる。「付き合ってやってもいい」では事態が進行しなかったために、「相手に告白させる」という方向へと思考がチェンジした。素直になれない相手に対し、自分への好意を認めさせ告白へと導く…無駄なプライドは高く保ちつつ理路整然としている。


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この日は、書記である藤原千香が持ってきたコーヒー豆を発端とし、コーヒーを飲むためのティーカップを巡って、かぐやと会長の間で頭脳バトルが勃発する。


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まずは会長がティーカップに何かが付いていることに気付く。どうにもこれは四宮のリップクリームであるようだ。ティーカップは四宮のものであり、取り違えたことに気付いた会長は四宮に伝えようとするが、そこである事に気付く。



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この事に気付いてしまった会長は、「四宮のティーカップを使い、(過失で)口を付けよう」という思考に陥る。しかし、会長は全国2位の頭脳を持つ男である。完全なロジックでないと、自分を欺けない。

付いているのはステッィクのりではないか、いやそもそもこれがリップクリームであるということを証明はできないのではないか…と自分を納得させる論理を考えていくが、シアバターの匂いによって儚くもロジックは崩壊させられる。




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狼狽する会長を傍目に、四宮へと視点は移る。



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お前だったのかよ!いやいや、かぐや様がカップに触った形跡なんて… 


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めちゃくちゃ普通にありました。なんとさり気ない伏線。そして、きちんとカップのデザインも変わっている。すげえ。短時間でリップクリームを利用しての策を思いつく、かぐや様もハンパない。



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慌てふためく会長を見ながら優雅なコーヒブレークを楽しもうとするが、ここで謎の罪悪感を感じてしまう、かぐや様。


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そう、この意図的なカップの取り違えは、ド変態行為であるということに気付いてしまうのだ。四宮家は日本でも有数の財閥、かぐや様は紛うことなき令嬢である。そんな令嬢が変態などあってはならない。会長はロジックの形成に頭を悩ませ、四宮は自身の変態性について思考を巡らせている。


結果、こうなる。
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声に出して笑ってしまった。周りから見ればくだらなく、当人たちは本気であるという状況のギャップが面白い。藤原書記も銘柄を思い出すのに必至で、生徒会は静寂に包まれる。しかし、両者の目的はどちらとも「間接キス」である。同じ目的ならば、両者が取る行動はシンプルだ。


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状況への協調と容認である。どちらもこの状況を認めていれば、会長も四宮もどちらの論理も通用する。というか必要がない。リップクリームが付いていようが、変態的行為であろうが、 この状況を両者が看過した時点で、それらはすべて意味をなさない。


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そして、とうとう間接キスへ…となったところで、藤原書記が銘柄を思い出す。普通は分からないような、コピ・ルアクというマイナーな銘柄に2人は反応し(糞から生成された豆なので)飲むのを止める。そして、このオチ。


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そうなのだ。コピ・ルアクもそうだが、そもそも2人が賢くなければ、このような事態は生じていない。リップクリームには気づかないだろうし、気付いたとしても取り替えるだろう。会長のように「この状況を利用して」という策略は思いつかないのだ。そもそも、取り違えに気づかないかもしれない。


彼らは賢いがために、前進できずにいるのだ。なんと面白い悲劇だろうか。もしくはプライドを捨て素直になれば、すぐに解決するようなことなのに、それができない。努力家の天才と令嬢では致し方ないことなのだ。その縛りがまた良い。


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「恋愛」という未知なものに対し、彼らは怯んだり屈したりしない。素直などという乙女的にはNO!な行為は排除し、徹底して合理的な思考にすがるのだ。恋愛本やジェンダー理論、さまざまな理論を使い、あくまで相手に本気で告白をさせようとする。

この構造は、「嘘喰い」における立会人や賭郎の思想を思い出させる。

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(「嘘喰い」39巻より)

「かぐや様」では”恋愛は好きになったほうが、負けである”というルールを自らに課して、「嘘喰い」では上記のように自分に課したルールを破ることなく、その中で戦っている。言ってしまえば、「かぐや様」において、相手に告白することは死よりもあり得ないのだ。

勝負は、どんなものでも本気であればあるほど面白い。本気の斬り合いこそ、魂を揺さぶる。それは、「嘘喰い」でも「かぐや様」でも同じだ。本気で戦うほど、物語は面白くなっていく。だから、「かぐや様は告らせたい」はとても魅力的であり、面白いのだ。


現在、ニコニコ静画で第1話から5話まで無料公開中だ。
こちらも面白いのでオススメである。

かぐや様は告らせたい~天才たちの恋愛頭脳戦~
http://seiga.nicovideo.jp/comic/17780?track=verticalwatch_cminfo5 



ちなみに、タイトルもまたいい。
「告白させたい」ではなく「告らせたい」となっている。主語はかぐや様であるから、これは当然かぐや様の気持ちである。表面上は大人びている令嬢でありながら、中身には高校生としてのあどけなさも残っている。「告る」という言葉は、上から目線の理想恋愛という点も含みつつ、同時にあどけなさも表しているように感じた。また、普通の青春を送りたいと思いつつも、令嬢の身ではそれが叶わない。そういう状況に置かれた、かぐや様のささやかな抵抗をタイトルで表現しているようにも感じた。

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