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馬之翁塞

カテゴリ:2014年アニメ > 四月は君の嘘


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小島さん1人原画回でした。良かった。


アバン:子ども時代の有馬・椿・渡 川への飛び込み

A:お見舞いと学校
・罪悪感を抱える有馬
・羨望を感じる有馬

B:椿と先輩、そして宮園と有馬
・どんてんもような関係性
・柏木さんカワイすぎてよくない



脚本・作劇・構成

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東和コンクールも終わり、宮園に対して罪悪感を抱く有馬。病院での気まずい雰囲気は、そのせいで起きてる。その中で確実に、「何のためにピアノを弾くのか」ということに対し、有馬は考えを深め始めています。「僕にはピアノしかない」という有馬の言葉に、宮園は「それではいけない?」と肯定的な意見を返し、椿は「他にもいいところがある」と否定的な意見を返すところは、2人の性格を反映しているように感じます。宮園は実直・素直な考え方であり、一貫している。「ピアノしかない」というネガティブな吐露に対して、肯定するのは彼女らしいといえます。普通は、椿のように励ますものですが、自分の考え・思考に素直なので、「いいじゃんそれで」ということが言える。忘れられないモノ=演奏終了後の喝采というのは、演奏者にとって特別なものであるがピアノの音がいまだ聞こえないことで、有馬は悩んでいます

宮園は有馬にピアノの再開を促しますが、この葛藤により、色々と言い訳をする。「楽譜を捨てた人間が今更やるべきではない」とか色々大義名分をかざす。だけども、宮園は本当に有馬にピアノを弾いてもらいたくて、全部跳ね返す。要するに、グダグダ言ってんじゃねえ、憧れなんだからやってよと。そういったとても自分に素直な宮園に惹かれていく有馬がこの話数では描かれている。

どんてんもようは、有馬の心情の情景描写。とても曖昧で、どうしたらいいか分からないと迷っている。しかしラストに宮園と会うシーンでは晴れている。彼にとっては、まさしく「日の当たる場所」に連れて行ってくれる存在なんだろう。一方このどんてんもようは、椿の心情も表していて、自分と有馬の関係性に対して少しずづ疑問符が生じ始めている。極端に言うと、自分だけのものだった有馬公生が他の女の子のモノにもなりつつあり、しかも憧れだった先輩とも再会し、非常に微妙な心情になっている。



作画・画面設計

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小島崇史さんの1人原画。僕は小島作画というものをあまり知らないんですが、やはりいちばん印象が強いのは「手」の作画ですね。当然他の芝居も良いんだけど、手に関しては本当に素晴らしい。 


特にすごかったのはこの2カット。

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これは有馬公生がコンクールを終えて立ち上がろうとするときに、転けそうになるシーン。椅子にかかる手の感じで重さが偏って(倒れそうになって)いるのが分かる。指への重さの表現は素晴らしく上手い。

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こっちも良かった。これは有馬が渡に少し羨望・嫉妬と、自分に対する自虐を感じてるシーンなんだけど、手だけでそれを表現している。グッと一瞬力が入る手によって感情まで伝わってくる。上手い。


このカットは普通に笑ってしまった。(※「カヲリちゃんチェケラ!」的なところ)
多分、有馬の心情的には笑うシーンではないんだろうけど。

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ここは作画はっちゃけてた。
でも、有馬主観だから楽しそうに見えて、演出的には良いのかな。


後は、最後の飛び込みカットはやけにぬるぬるしてましたね。

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中打ちまくってる感じだった。何でこうしたんだろう、あんまり分かんないけど。



そうそう、柏木がカワイすぎたのはイカンですね。
これは愛敬さんのキャラデだと思うんだけど。

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柏木は一歩引いた目線でみんなを見てるから、「可愛くない女の子」でないとならないんです。つまり、物語世界の女の子ではなくて、現実世界にいるような女の子。簡潔に言うと、少しブスでないといけない。少しブスだからこそ、この女の子は客観視・俯瞰視してることが伝わる。僕の希望は、もう少し目が死んでいて欲しい。何か酷いことを言ってるような気がするな…


こんなところです。(45m)


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これまでの話数でまさしく、ピカイチだった。すごすぎた。


アバン:有馬と母親の過去

A:演奏開始~演奏ストップまで
・音符が消える表現
・渡「すげえ…」
・水に浸かる有馬

B:宮園演奏再開~ラスト喝采まで
・怒涛のラスト
・春が来た



脚本・作劇・構成

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まず、アバンの過去回想は良かった。なぜ有馬公生がああいう風に(3話のように)呼ばれていたか、それが母親に依拠するということを執拗に描写してきたのだけども、この話数では表現手法が少し変わって、セリフが多くなっている。これが後半のAにおける、4段階ポン寄りのシーン(※車いすの母親が見えるところ)で素晴らしく活きてくる。ここは、色々なエフェクト(フォギー、パラ、ボカシ)がかかってる分、そのホラーチックに画面が仕上がっていて、一見幻想シーンの方が怖いと思うんだけど、シークエンスで見ると、何も存在してない方の画面が怖く感じるように仕組まれている。


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アバンではあれだけのセリフの文量で、有馬の暗い過去を描くんだけど、4段階ポン寄りのシーンでは一切のセリフなく、ただ音楽の高まりと共にシーンが進行していく。このシーンから(今まで明示されてこなかった)有馬の主観(※スポットライトはその示唆)へと没入していく。鍵盤を叩いても音が出ない、音符が消えていく、まるで海の底にいるような息苦しく・どうしようもない感じ、それら全てをセリフと音楽、そして映像で感じさせている。


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有馬の必死な形相とその言動、そして示される映像の息苦しさと苦痛。「叩いても音が出ない苦しみ」、それがどんなモノかというのはイメージBG的な手法で(※抽象的に)表現するのかと思っていたんだけど、イシグロ監督はまさに「実直に」有馬の苦痛を具体的で明確に表現しているので、ここは喝采すべきところだと思う。 有馬の向き合ってきたモノがどれだけ恐ろしく、それだけ苦痛に溢れているかが素晴らしく分かるシークエンスだった。


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シーンは現実(客観)へと帰り、有馬はピアノの演奏を中止する。これは宮園に迷惑をかけてはダメだという判断から。だけど、その宮園も演奏をやめてしまう。有馬と一応の会話(※いや感情的な機微の交換か)を交わし、有馬もそれを受け取る。そうして、宮園は「旅に出よう(※スヌーピーからかな)」と言い、演奏を再開する。しかし、演奏再開できない有馬。


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有馬は相変わらず海の底で苦しんでいるのだけど、ようやっと辛い記憶のリフレインではない、母親との記憶を思い出す。演出的にはここが素晴らしかった。ここまで、有馬と母親の過去回想では全てモノトーンに仕上げてきたからこそ出来る、対比的な「カラー(※色彩的・明度的)」による柔らかさ・優しさ・安心の表現。「母さんからもらった全てをぶつける」という意志の元、有馬は演奏にのめり込む。それが、3枚目のカット、有馬の目線の動きを描写したカットに表れていたり、4枚目の逆光のカットでも(※宮園から見た有馬として)有馬の本来持つポテンシャルが示されている。


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そして、演奏終了。終了に至るラストスパートは、画面も光源が強調されたモノとなっており、明度も上がっている。もがき苦しんでいた有馬に、わずかながら見いだせた希望の表現であり、宮園との演奏が楽しいという表現でもある。そして、有馬の主観(※未来)へと画面はジャンプカットし、ピアノ演奏の感情の再確認と同時に有馬の一つの思い出となっていることが分かる。 素晴らしい話数だった。





作画・画面構成

素晴らしかった、以上。
というのは流石に冗談(※冗談でもないか)ですが、これ以上は文量が多すぎる(※時間も足りない)ので、また別記事にでもするかも。簡単に言うと、序盤の演奏シーン、ラスト演奏シーン、控室での有馬のカチコチのシーン、ここらへんは何も言わずとも分かるように、素晴らしかった。濱口明はどこでしょうね、それは少し気になる。


以上です。 


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ちょっとアク強かった。これは賛否分かれるだろうなあと録画見ながら思ってたら、一週間が風のように過ぎ去っていきました。遅れてゴメンネ。4話もすぐに(三連休には…)記事にする予定。(※メソッドはまだ見てない。見る気も起きない。)

アバン:カフェで食べる2人

A:トゥインクルと有馬がピアノ弾けなくなった原因
・グラフィニカいいなあ
・有馬の受賞歴については、もっと演出で盛り上げて欲しい
・伴奏に任命

B:伴奏への強制と走りだす有馬
・楽譜の貼り方よかった
・テンポもよかった
・明暗の表現(キリ
・二人乗りに厳しい世の中

 
脚本・作劇・構成

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有馬が何故ピアノが弾けなくなったのか、ということが判明する回でした。で、そこから宮園にピアノ伴奏に任命され、伴奏をやるように椿共々言われまくるわけですが。一向に「してみようかな」というアクションすら見えない、社交辞令でもその場しのぎの発言でも全く言えない。だから、彼にとっては、ピアノを再開することは「絶対あり得ないこと」なんですね。


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それは例えば、このカフェでの表現でも示されています。
このカッとショックを受ける感じ。巧いですよね。タイミングも良かった。


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後は伏線としてのバスの宮園かをりですね。
ここは原作よりも巧いと思う。


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屋上での明暗シーンは誰にでも分かるような演出だったので、今一度ぼくが改まっていうことでもないと思うのですが。有馬が深い暗闇の中にいて、椿や宮園は明るい日の下にいるというのが表面的な表現です。ですが、ここはレイアウトでの演出を少し解釈したい。ここでこれだけ左に配置されているのは、誰しもが「有馬公生の立場になりうる」ということの示唆だと思います。つまり、その個々人の立場というものは非常に不安定で、固定的ではないということです。





作画・画面設計・カメラワーク

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A1はキャラ絵がすごく安定しますね。今回は、というか4話まででもほぼ全く崩れてない。それがいいことかどうかは分かりませんが、まあ大変なことで労力もかかっているだろうと思います。こういうことを軽視する人が大多数ですけど、この絵を保つのって大変ですよ。びっくりするほど崩れない。もっと輪郭なんて簡単に崩れるのに(※むしろ崩れろ、と思う。僕としては、いろんな人の「動く」絵が見たいので、総作監制度がいいシステムとはあまり思えません)。

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「ほらやっぱり幸せなピアノじゃない」のシーンは宮園かをりTBしながら、(OLしながら)有馬にTUしてもらいたかった。というか、その画面しか想定してなかった。このシーンの宮園にTBやTUしなかったというのはぼくにとっては非常に意外で、何でかというと、その次に弾けなくなるシーンとの「画面の硬度」によって、対比ができると思っていたから。

弾けなくなるシーンでは有馬公生がビクッとするわけですが、そういった「硬さ」を画面でも出してもらいたくて、対して、弾けているシーン(店員や子ども、宮園が幸せなシーン)では「柔らかさ」を画面で表現して欲しかった。この2つの対比があると想定していたので、特にカメラ指示が無かったのは本当に意外でした。


今回はこれぐらいでしょうか。後、暴力ヒロイン云々で騒ぐ輩がいますが、それはまた別の記事で(次の4話ででも)言及したいと思います。「うる星やつら」とか「鋼の錬金術師」、「らんま1/2」とか有名ドコロでもあるんですけど、何故かこの辺はスルーされるのに苛立っています。あのフレーズは、作品のアジテートのためとしか思えないんですけどね、今のところ。


後これはどうなんだろう。

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完全対称ではないんですが、それが合ってるのがどうかイマイチ分からない。鏡像はもっとベターと平面的になるべきな気がしますが。まあ些細なところなので、どうでもいいかもしれませんが。右目が映ってると何か少し違和があります。

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