GOMIstation

2025-1

カテゴリ: マンガ(YJ中心)

かぐや様のチカダンス、すごく話題になってますね。藤原書紀の頭のおかしさを示すような、トリッキーなリリックとメロディに乗せて、チカが踊る。中山直哉さんという方がロトスコープを用いて描かれたそうで。特に良かったのは、「スカートの動き方」ですね。


・かぐや様は告らせたい:チカダンス(2019)#03ED
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ロトスコといえど、このストンと落下する感じ。実写映像から画をうまく拾ったんだろうなあ、ギャザースカートの重力を感じる。




さて、スカート作画にはいろいろあるのだぜ。チカダンス並に、それ以上にスゴイのもあるのだぜ。


・CLANNAD 〜AFTER STORY〜(2008)#ED
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これはフレアスカートですね。スカートが波状にうねるとだいたいフレアスカート。とんとんとジャンピング気味なので、スカートがダイナミックに動く。そのダイナミックさに合わせて、影の入れ方も激しくなっている。



・電脳コイル(2007)#OP
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OPの1カット、本田雄による作画
走ってきてゆっくりと止まるシーケンス。ゆっくりになるに従って、スカートの跳ねがだんだんと小さくなるところがポイント。スカートの跳ねが大きいことで、けっこうな速度で走ってきたのを伝える。


#02
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サッチーから逃げるところ。フレアスカートっぽい。必死に逃げる脚に合わせて、動くスカート。特にヤサコ(メガネ)のスカートの動きに注目。


同スロー
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動きを見ると、二人のスカートの素材・布地が異なっているのが明確にわかりますよね。ヤサコのはやわらかく、フミエのはやや硬め。なんかラーメンみてえだな。



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同じく02話から。本田雄による作画。重心の移動がスカートの動きによって示されている。


同スロー
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いったん右に寄ったため重心が傾き、スカートが右方向に跳ねる。ここが上手い。



・四月は君の嘘(2014)#20
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西井涼輔による作画
ややデフォルメ調に描かれている。スカート見事だなあ、揺れ+伸びが上手い


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左右にスカートが揺れて、ジャンピングに合わせてスカートも一緒に伸びて、着地したら横に膨らむ。



・進撃の巨人2ndseason(2017)#27
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村に帰る途中のサシャ。スカート長いのでロングフレアかな。それより大事なのは、巨人の間をすり抜け落下した後の動き。膝の形にスカートが変形し、立ち上がるときにスリムに変化。技巧光る。


#27 ★
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ローポジションから俯角への回り込みショット。サシャの鬼気迫った表情もそうですが、回り込みながらスカートが大きくなびくことで、画面全体に緊迫感をもたらし最大の山場を醸し出す。






ざっと見たけど、スカート作画のだいたいはこんな感じ。他にもたくさんあるでしょうけれど。ここで紹介したのは工夫されているのが分かる。けれど、これらを差し置いて、常軌を逸した「どうやって描いたんだ?悪魔とプリーツ契約でもしたか?」と思うくらいのスカート作画がある。




それは西井涼輔による「恋愛ラボ」のプリーツ作画です



・恋愛ラボ(2013)#1 ★★★
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プリーツスカートを書かせたら右に出る者はおるまい

スカートは最初だらっとしている。左足からダンボールに乗り、引っ張られる力の描写はさも当然のように着地した衝撃のリアクションまでスカートに反映させて揺らしている。精緻・繊細という言葉が似合うスカート


 
#12 ★★
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サヨは普通に走っているのでスカートはまとわり付くように動くくらいですが。キャピキャピしているリコのプリーツは左右に大きく跳ねる。体の動きは描ける人はいると思うけれど、リコの変な動きに合わせて装飾品であるプリーツを破綻なく描き切っている。最初のスライディングも含めて


チカダンスにハマっている人も、何気なしに覗いた人も覚えてもらう言葉は、板野サーカスならぬ「西井プリーツ」です。とんでもないよね西井涼輔のプリーツスカート作画。

<参考資料>
作画オタク2名との配信-ニコニコ動画

藤原書紀が踊る、かぐや様3話のED通称「チカダンス」はその愛くるしさで、瞬く間に広がっていった。多くの人の感想は「かわいい」「実写に見えるほど動いている」と、とにかく絶賛の嵐が吹き荒れている。ただ、僕は納得がいかない。お得意の逆張りだろうか?


◆かぐや様は告らせたい「チカっとチカ千花っ♡」


ロトスコープによって描かれた本映像は、近々にメイキング映像が出されるそうだが、その前にすべての陰謀を暴いてやる(※なにもかも間に合いませんでした)。世界を騙せ、可能性をつなげ、世界は欺ける、というコンセプト。


まあロトスコ関係の細かい話はやめにしました。どうせ文章なんて読み飛ばされるものですから。ロトスコープが、M・フライシャーによって発明されたという通説はあるけれど、彼がギャロップ連続写真(1886/エドワード・マイブリッジ)にすげえ影響を受けたんじゃねっていう推論なんて誰も読みません。それで、かぐや様3話EDっていうのはぶっちゃけ大したことしていない。たしかに、ロトスコープなのに、線が歪んでいない、実写映像からの抜き取りが上手い、というのは確実にあります。どうやって抜き取って整理したんだろうか、繋げたんだろうか、というのは疑問です。高いレベルで、「大したことない」と言っているので注意されたい。ちゃんと読め。



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それで、まあ本題はそういうことではない。素晴らしく可愛いならそれでいいじゃないか。たくさんの人を幸せにしたならそれでいいじゃないか。しかし、これだけ絶賛されているのはなにかあるはずだ…と考えた結果、これは「TikTok」である、という結論に辿り着きました。




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TikTokとは、ティーン向けの動画投稿SNSサービス。リズムに合わせて芝居をする動画が日々アップロードされています。んで、これは藤原書紀のTikTokなんですよ(鍵垢)。だってさ、一人残った放課後の生徒会室で、カメラを固定しながら音楽に乗せて、芝居している。最初から、伏線としてウルシゴキブリを配置しオチ要因まで用意している。TikTok以外のなにものでもない。

TikTokとアニメオタクって一見離れたところにあるように見えますが、今回の件を見るに、なんだろう近いところにあると思う。けっこうVtuberと同じ感じなんですよ、だからTikTokなんて使わない20代付近のアニメオタクにも受けたんじゃないかなあ。Vtuberと違うのは、ポップでリズミカルな音楽に乗せて「自分らしい情緒的な芝居」をするところ。それ以外は大雑把に言えば、かわいい女の子がかわいく演技する、みたいなもんですから。そのため、着想としてはTikTokみたいな動画共有SNS、みたいなものがあるのかなあ、そのためティーンから20代の共感を得て絶賛されているのかなと結論付けました。自分でも思います、ちょっと強引ですね。普段こういう語り方をしないにしても、いかがなものか。すいません。

わたモテというと、さいきんはなにかと百合百合しい話題が多いです。「ゆりちゃ」には自分も驚きを隠せませんでしたが。あれはね、あそこでゆりちゃんの反応を見せないのが良いんですよ。反応を見せたら、その段階・レベルまでしか読者は想像ができないんです。見せないことで、想像を膨らませる。ホラーやサイコ映画だと、この表現手法は頻出しますよね。直接お化けやサイコキラーを描いても恐怖は引き立ちにくい。「そこになにかいる/なにか起きるかも」、という曖昧な感じが視聴者の想像を掻き立て、その結果、大きな恐怖・不安に繋がるわけです。



なんのはなしだっけ。そうそう、ぼくはゆりちゃんが出てくる回も好きですが、雰囲気がもっとも好きな回は、喪109「モテないし雪の日の学校」です。あらましを言うと、大雪のため、午後休校になる回です。もこっちは朝出かけるのを面倒くさがり、学校についても「午後は休校になれ」と思っている。つまるところ、めっちゃネガティブですよね。流石に2年もぼっちやってない。

学校に来た人数が少ないので、1限目は図書館で自習になります。ここでおすすめの本をゆりちゃんが聞いたことで、もこっちに本を勧めてもらう流れに。ガチレズさんが来た後はおのおのの時間を過ごしますが、その後も少しだけ共通した流れがあります。それは、おすすめされた本を読む(吉田さんに読める本はなかった、ヤンキーは寝ているのが似合う)部分です。

大雪の中でたまたま学校に来れた生徒の中だけで少し繋がりがありますよね。その中で、おのおのの時間がわずかに共通した部分をもって流れていくのが自然でいいなあと。最後は、加藤さんから本のお礼を言われマニキュアを塗ってもらう。

もこっちの感想が、曖昧なのがすげえ良いんですよ。少なくとも、行かなきゃ良かった・最悪だとはなってない。「大雪の中でイヤなことしか待っていないはず」と、もこっちは感じていたけれど、行ってみると思ったよりも楽しかった。ふだんあまり接点のない加藤さんと話して、やったこともないマニキュアを塗ってみたりした。それがもこっちにとって、素敵だったかどうかはどうでもいいことなんですよ。大事なのは、思ったよりも楽しかったということです。

もこっちにとって楽しかったことに間違いはない。けれど、マニキュアを塗ってもらった指を映して終わるのがいいんですよ。結果的に、ああ良い雰囲気だよなあと想像できるので。もしも漫画内でもこっちの感情の機微を描いてしまうと、その段階でイメージは終わってしまうんです。もこっちは、「これぐらい楽しんだんだな」と終わってしまう。そうさせないところがわたモテの作者は上手いですね。描かない表現をよくよく理解している。

ギャンブル漫画において、僕らが快感を抱く、面白い、すげえと思う部分とはどこなのか。

そのほとんどって、賭けに勝って大金を得たことより、主人公の思考・行動が勝利に至る過程なんですよ。小さな観察を何個も積み重ねて、勝てるように絞りに絞っていくけれども、それでもどっちに転ぶか分からない選択肢がある。そこで初めて、「何かに賭ける」という行為になる。この過程をすっ飛ばして、最初から賭けるのはただの運否天賦であり、ギャンブルジャンキーです。

この構造は、「嘘喰い」における「ハングマン編(廃坑のテロリスト編)」が分かりやすいと思うんで、順を追って説明していきたいと思います。


1、ギャンブルの説明
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ハングマンにおいては、ババ抜きが採用された。ババに書かれた数字だけ、ハングマン(首吊り機)の工程(全11工程)が進んでいく。当事者同士に発覚しないイカサマは不問。





2、思考の流れ/状況を、いろいろな角度から描写する


Ref01、先手後手を決めるじゃんけんの描写
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何かに違和感を感じる獏の姿を描写する。その一方で、第三者の視線として、梶の感想を入れる。



Ref02、ミスリードを誘う、第三者の描写


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(第5巻、最初のババ抜きで負けた直後の嘘喰い側陣営)

ギャンブルの当事者だけではなく、第三者からの思考も入れて、ミスリードを誘う。ここでは、梶の考え=獏の考えのように見せかける。獏の狙いは、まだ分からない。読み手側に色々と考えさせる。梶を通して描写することで、「ここは獏にとって重要な行為」ということを気付かせる。隠さない。



Ref03、繰り返し
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(画像右:3連敗し後がない状況の獏の手)

指でトントンする描写を何度も繰り返す。繰り返すことによって、それがただの苛つきではないと印象付ける。ただ、これが「何をしているか」までは分からない。絶妙な塩梅の描写加減。



Ref04、敵陣営の思考描写
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(同5巻:2戦連続、獏が勝った後の敵陣営)

敵の思考が混乱している様子を描写する。全ては、まだバラさない。「アレ」や「コイツのおかげで…」とぼやかすことで、何のことを指しているか不明瞭にする。ヒントは出すが、答えは出さない。それが、読み手に「何のことについて言っているのか?」を考えさせ、没頭させる。



3、ネタバラシ

ここまで書いといてなんですが、やっぱ読んでもらいたいので、ネタバレしない笑。全ての描写が大事であって、こんなちょっとした引用では伝えきれない。「ハングマン」においては、2段階のネタバラシでした。一度目は、勝負中に堂々とネタバラシをし、ああ、そういうことだったのか、でも、どうやってそれを可能にしているのか、まではバラさない。そして、勝負が終わった後に、全貌のネタバラシを行う。

読み直すと、「この描写も、あの描写も全て結びついていた」となるのが気持ちいいんですよ。勝つために何を行っているのか。イカサマをしている方は、それがバレないようにどのように振る舞っているのか。それが、ネタバレにならない程度の範囲で描き、読者にある程度の情報を把握させ推測させる。

全て分かってしまうように情報を描写しては冗長になるし、まったく描写しないのは後付になる。情報の小出しは、ギャンブル漫画の要ですが、こと「嘘喰い」においては、それが大胆なときがある。全て描写されているのに気付かない、しかも、それがミスリードやブラフだったりする場合がある。ここが「嘘喰い」において、最も感嘆するところです。


同じような構造は、「銀と金」や「カイジ」などでも見受けられます。ギャンブルの説明を行い、主人公が、それにもとづいて観察を行い行動をする。何かに気付いたときには、それをコマに入れて、描写する。主人公に、少し遅れてついていくぐらいの描写加減。で、最後に、ネタバラシをする。これが、まあ、一般的というか、自分が読んできて面白かったギャンブル漫画の流れです。

とにかく言えることは、まず1つは、主人公が観察している、何かに違和感を感じている、それらの描写がないと最後のネタバラシには意味がありません。2つに、この塩梅が非常に重要です。全て開陳してしまえば、もはや読者にはそれ以降の展開が手に取るように分かり、退屈になってしまう。まったく描写しなければ、意味不明、後付のように感じる。

以上の2点が、ギャンブル漫画において、まず最も重要と考えています。

キャラクターの絵に特別なこだわりはないんだけれど、どうにも羽海野チカ絵(特に女の子)は苦手で避けていた。ただ、うちの親が絶賛しており(なんとアニメまで見ていた精力的)、はよ読んでみんしゃいと急かされダンボールで送られてきたので、読んだ。徹夜しました。



まず最初に思ったのが、複雑な状況を何個も作ることで、読者もその状況下にいるように感じさせるところが一つの魅力だ。零くんの将棋のこと、そんで川本家のこと、ひなちゃんのこと、幸田家のこと、学校のこと、これらを同時に進行させていくので、頭がそれに集中して、没入していく。

この複雑な状況をよくこんがらないように作って描いたのがすごいなと思った。まるで、混線したケーブルをゆっくりと解いていくかのように、一つ一つの問題にたいして、その場しのぎの対応ではなく、根本から地道に向き合おう、という作者の覚悟が心に響いてくるようだった。問題にかんしても、すべてきれいには解決されない。

たとえば、川本家の中学校でのいじめ事件では、被害にあった、ちほちゃんは最後まで後遺症を抱えたままだった。これがマンガっぽくなくて、面白かった。現実と同じような、時間の進み方で、そんなに簡単に心は治らない。だけれど、フィクションらしく希望もあって、その塩梅が良かった。いじめた方の女子も、単純な勧善懲悪で裁かれるのではなく、地道な話し合いの末に、学年主任によって、「自分で気付くしかない」とされ、放置された。裁かれるのでもなく、(なにか偶発的で)短絡的な罰を受けるわけでもなく、放置されたので、ああ、これはリアルだなと感じた。

このマンガの主題は、もつれにもつれた問題や自分の心に「向き合うこと」にあるように思う。表面的に解決を図ったり、誤魔化したりをいっさいしない。これが最大の魅力だと感じる。その点でいえば、川本父の登場とエピソードには少し疑問が残る。彼は極めて単純だからだ、他のお話のように、もつれていない。このキャラクターを出すことによって、何を描きたかったのかがいまいち分からないのだ。単純に、ひなと零くんとの間に婚約フラグを立てたかったため、とは思えないから、もう少し考えてみることにする。


島田先生がかっこよすぎる(2回目
キャラクターはまったく違うけれど、まるで「天」のアカギみたいだ。

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