Re:Gomistation.By2

A conclusion is the place where you got tired of thinking.

カテゴリ:雑記 > 近況・生存報告

■とても良いものを見たが、その一方で

挙式は地元・岡山で行われた。観光地である。自分にとっては通学路だったので、大した感慨深さはなかったが改めて見ると、それなりにキレイだなとは思った。4年もすると風景もそれなりに変わると思ったが、そもそも風景じたいの記憶がさほどなかったので変化は分からなかった。


コロナのせいで、度重なる延期があったにも関わらず、周到な準備がなされていたのは素直にすごかった。スタッフの配置やカメラの設置など、それなりに凝っていた。岡山に着いてからは、いろいろな不安だらけだった。まずぼくは人見知りだし、社交性もない。その上、挙式にくる友人はほぼ分からない。正直に言うと、行きたくなかった。

玄関でS(新郎)のご両親に挨拶を済ませた後(※自分のことをとても気遣っているように見えた)、待合室へと案内されると、思ったよりも人がいて驚いた。緊張させてくれるなあと思った。じぶんの服装のことでほぼ頭はいっぱいなのに話をしろという方が無茶なのだ。まあ、そこそこの会話はできただろう、65点ぐらいはあった。

挙式が始まるので移動を、とスタッフから声をかけられると、ぼくは2列目の椅子に座った。挙式は始まった。なんだろうな、作られている人工的なものにも関わらず、無垢に見えてしまう不思議な光景に見惚れた。ずっと、ただ眺めていた。良いものを見た、という感触が強かった。周りは慣れているのだろう、スマホでパシャパシャと写真やムービーを撮っていた。

それも含めて結婚式だから、出席者はいいとしても、カメラマンの移動が激しかったのは良くなかった。定点カメラを設置しておけばよいのに。この世で、いっかいの人生で、無垢に近い光景は少ない。この無垢さを壊さないで欲しいと思いながら眺めていた。


美しい和風の結婚衣装は、思ったよりも良かった。まあこういうのは、たいてい、不自然に見えるものと思っていたが、不思議なもので違和感がなかった。よく計算されている。挙式はさまざまな儀式をおこなったが、すべて良かった。儀式に慣れていない感じが良かったのだろう。ひとつひとつ丁寧に、とてもゆっくりと行われた。

挙式の必要性は肌身で感じた。これは確かに、ただ籍を入れるだけ、とは違う感じがした。形式的なものではあるけれど、それを真摯にこなすことが大事なのだ。良いものを見た。とても美しい式だった。


挙式後、少しSのご両親と話す時間があった。遠いところからありがとう、と感謝をいただいた。素直に嬉しかった。自分にとっては、初めての出席だったので、まずは服装でミスがないようにと慎重にここまでの1ヶ月は運んだ。移動よりかは下準備の方が大変だった。ジレとハンカチーフすら付けてこない男性陣にはほとほと呆れたところだが。ハンカチーフはいいにしても、ジレは身につけるべきだ。そんなに大変なことじゃない。



あ、ご両親との会話に戻ろう。ご両親はとても温かった。Sとは20年来の付き合いで、まあ出席者の中ではいちばん縁深いとおもう。Sの家でお父様がおやすみの日に遊んだりと、度々に渡って迷惑をかけた印象が強かったが、お父様にとってはSがぼくを振り回して困っただろう、とお話をされた。まあ、そういうヤツですから。と返事をした。うまくいえないですが、自分のことのように嬉しく、とても感慨深いです、とも伝えた。

じっさい、それは本音だった。かれはぼくにはとても及ばないが、マアきわめて繊細な生き物で、言ってしまえば取り扱いが難しい。この生き物と2、30年いっしょに生活できる女性など現れないだろうとまで思っていた。Sから奥さまを紹介されたときは、初めての会話でこのひとなら問題ないなと確信をした。生涯をともにする伴侶にふさわしいと思った。それは奥さまにとってもだ。

お互いがお互いにとって補完をする関係だなと思っている。かれらと会うと自然な笑顔が溢れていたのがその証拠だ。じっさいぼくも笑顔になった。周りまで笑顔にする関係はとても良い、持続性がある。


ぼくは自分の体力を見越し、1泊での出席に留めた。つまり、二次会などに出るほどの体力はないので、日曜を捨てて土曜にすべてを注いだ。式と諸々の話が終わると、新幹線に飛び乗った。岡山という土地はあまり好きではない。あまりではないかな、けっこうきらいだ。また、実は、特別なビデオを作ったのだが、後ほど夫婦から電話があり、とても喜んでもらえたようだ。良かった。心が洗われるようだ。



ご両親から、「ぼくの結婚式にSは必ず出席する」との旨を笑顔で伝えられた。そこで、自分の結婚について再び考えてみたが、そんな余裕はいっさいないなとやはり思う。

父の死去後、ぼくを取り巻く環境は、きわめて苦しいものだった。兄妹の助力はほとんどなく、姉とは絶縁関係に近い。兄貴は銀行口座さえまともに作れず、クレカすら持っていなかったことが先日判明した。さすがのぼくもこの事実には驚いた。すぐに作れといっても言い訳をして作らない。

それでいて、ぼくは兄貴に3桁の金額のお金を貸している。返す気配はいっさいないし、そのことが悪いと思う、最低限の道徳も持ち合わせていなさそうだ。同じ親の元で育ったのに、ここまで人間として、「良心」に差が出るのは珍しいなあとふと思った。知的な能力よりも、ぼくはそれを大事に思っている。環境要因など関係ないなとも思った。母親は高齢で体も弱いため、年金の手続きを委任していて、3ヶ月ほどの間、年金事務所の往復を繰り返した。兄妹は役に立たないのだ、ぼくがやるしかない。

ぼくはこの年越しですら、精一杯なのだ。肉体的にも、精神的にも。来年、どういった形になるのかすら分かっていない。せめて母親が存命している間に、どれくらい一緒に話をできるのか、どれくらい一緒に楽しいことをできるのか、ということを念頭にいまを生きている。

現状はとても厳しい。厳しすぎる。来年はすこし生きるのが楽になればいいなくらいにしか思っていない。ファッショナブルな希死念慮を見るたびに、ぼくはラクでいいなあとおもう。誤解なきように言っておくが、結婚する彼らもまた大変なのは百も承知だ。もう父親には結婚する姿を見せられないが、母親には見せてあげたい。少しでも安心して、彼岸へと向かって欲しい。ただ、現状はきわめて厳しい。ここまで大変だと、まあ少し笑いが出てくるものだ。どうすればいいんだろうね笑
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シン・エヴァ、もうすぐですね。あとわずかで新劇場版のエヴァが終わってしまう。そのことに正直にいえば、驚きは隠せません。

ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Qを見てきました
http://royal2627.ldblog.jp/archives/20047216.html

これ、このブログのいちばん最初の記事です。いい意味で、素直に、実直に書けている。自分の思いを10割、白状している。本当はこのためだけに作って終わりだったんですよ、ゴミステーション。


たくさんのご縁に恵まれました。本当に。

比喩でも謙遜でもなく、人生でアニメを僕はほとんど見たことがありませんでした。これを読んでいるみんなの方が見ているとおもう。教育家庭だったからですね、母は数学教師、父親は塾の経営者。ディズニーとピクサー、ジブリとドラえもん以外は見ることが基本的には許されなかった。友達がクレヨンしんちゃんのピクニックシートを持っていたりするのは、すこし羨ましかったけれど、家庭の状況が大しておかしいとも思わなかった。

それで、教育家庭だったので、アニメにおいて、ぼくにあったのは論理だけなんです。当時は、田中宏紀とか、まあ今でもそうですけど、アクション作画がメインストリームだったので、それらには対抗できないと考えました。だから、エフェクト作画に特化する必要があったんですね(*)。その成果は2014あたりですぐに出ましたね、時期も良かった。

でも、別に小説が好きなわけでもなかったし、何なら苦手だったので、文章を書くのは難しかったです。まあ慣れたら、それとない文章はいくらでも書けるようになれます。その、自分が憧れた文章にはなかなか至れないなあという感じで。ああいう文章を書きたいな、という一心で、書いては消しを繰り返してきたと思う。



では、なぜ今このような女々しい文章を書いているか。
やはり限界が来てしまった、から。

「宝石の国」08話/CGとプリヴィズ(松本憲生作画)の比較と分析
http://royal2627.ldblog.jp/archives/52552846.html

この記事を出したあたりで、自分の父親は死んでしまった。まだ50代だった。まだまだ生きれた。自分の父親は、身内びいきとしても、客観的に見ても、一人の講師として、完璧でした。小学校と中学校の5科目、すべてを一人で教えきる上、大学受験の対応までしかけた。恐るべきことです。作った3つの個人塾はどれも成功しました。つまり、どの地域においても人を集めて合格させた。まさに、超人としか言いようがなかった。

金勘定なんて些末なものは置いておいて、父親のすごさは、徹底した”指導”にありました。みなさんが思っているような、指導、たとえば、数学の解説がうまいとか、英語のここの教え方がうまいとか、そういうものではありません。そういうのはあまり次元が高くないんです。

数字の書き方からスタートするんですよ、最初の面接で直させる、「こんな6の書き方をしているから計算間違いをする」と。でも、それを直したら、おまえはもっと成績が今より上がると言う。で、この世の中、そのあたりを、しっかり言ってくれる講師はいないわけです。ご父兄もそれは信頼を置いてくれる。素晴らしい、完璧としかいいようがない。

そんな父親と、ぼくの性格や考え方は瓜二つでした。で、他の兄弟や母親には伝わらないであろう、意見を交換しました。小さいころから、ホワイトボードと、カラーペンカスの匂いが当たり前の中では、おれも一緒に、いつか父親と塾をやる日が来るんだろうな、とふんわりと思っていた。まあでもそれは今じゃなくても、いいかなと思っていた。なんとなく、自分しかできないなとも思っていた。

死んだ直後から、激しく、とても激しく、何日経っても、何年経っても、後悔をしている。もはやそういった気持ちを隠せなくなってきたんです。押し殺せなくなってきた。父親が死んだ後の塾の残務処理は、とてもやりがいがありました。本当にご父兄も優しく接してくれて、いっさいのトラブルなしに終わりました。周囲のお心遣いはありがたかった。父親の人望がなしたものとも同時に思った。

そして、父親と数十年来の付き合いがある会社の方から、なんとかこの塾を残せないか、と何度も打診を受けました。特殊な考え方を、ほぼそっくりに持った一人の人間がいるんだから、それは僕でもそう思う。やや傲慢かもしれないけれど。ただ、その人間には、なんにもなかったんです。中学5科目教える力量も、いや数学1科目でさえも、まったくになかった。新しい塾をスタートさせて、いちから中学科目を学び直しながら、生徒に教える勇気さえもなかった。自分の体調すらままならない人間だった。空っぽだった。

それが別にブログのせいとかではなくてね、その時点で、なにか一つくらいは、せめて体調くらいは、よくしておけばよかったという後悔があったのが、とても虚しかった。ひどく、とてもひどく、自分を恨んだ。人生で他人から大きな期待を持たれるなんてのは、さほどないことです。応えられないのが、とても申し訳なかった。

あと響いたのは、実家のこと。
形見分けで荷物を分けたら、あとは実家を売るだけ。実家を売却する際に、何十年も親しんだ親父の、クローゼットとか、ベッドとかも捨てなきゃいけないわけです。産廃業者を呼んで、かれらはいっさい悪くないんです、事情なんて知らないんだから。親父のベッドや、机が、粗大ゴミのように扱われるのは、たまらなくしんどかった。窓から放りなげて、壊して、間を適当に埋めて。がらんどうになった自分の部屋を見て、やはり寂しくなりました。

それは、あらためて父親の死をぶつけられるようなもので、思った以上に、何十倍もしんどかった。みんなも、そういうときがいつかは来るけれど、遺物整理は1人で絶対にしないようにね!家族で手分けしてやろう!ダメージは分散するんだ!

すべての処理を終えて、東京に帰ってきて、やはりここ数年は精神的に参っていた、と思います。冗談抜きで、競馬とブログと家族と友達がいなかったら、そこらでおっ死んでいた笑。正直にいえば、ほとんどの物事は楽しくないんですよ今は。なにをやっても、なにかを変えても、ちらつくのは、後悔ばかり、父親の姿ばかり。

だから、少し今は休ませて欲しい。それがお知らせです。

明けましておめでとうございます。

■残滓捻出
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当ブログも今年でなんと8年目に突入しました。斜陽感は否めませんが、まあそれなりに頑張っていこうと思います。いや頑張りません。流石に、うずらインフォさんの件は個人的に思うところがありました。ネットのコンテンツに対してああいった認識が多いのは残念です。

昨年はシャニマス、年始にはアリスギアのハラスメントおすすめされたので、今年は馬をみんなにオススメしていこうかなと思っております。みんなも万馬券や推しウマを作ろう!( ^ω^)オススメするときにスルーされてばかりで、おじさんは泣いています。

競馬ブログ(4年目)
ゆらぎを観測する競馬予想 - ブロマガ
https://ch.nicovideo.jp/gomistation_next

配信
生ゴミ - ニコ生コミュニティ
https://com.nicovideo.jp/community/co3800057




・・・( ^ω^)
とは言いつつも、これらを全て並行してやってきた3年間だったので、割と時間的な余裕はありませんでした。まあ楽しいからいいんですけど、これではこっちのブログがなかなか更新できない。ですので、それなりに絞ろうかなと。まあバランス見ながらですかね。

まあ今年も自分にできることを精一杯に仕上げる、それに集中していきたいと思います。まずは健康ですね。昨年は虚弱体質がモロに出ましたので。今年は食事から気にしたい。まあ、あとはなんだろうな、わかんない。ちょっと勉強がんばろうと思います。それぐらい。

まま、今年も一つ、よろしくお願いします。

もらったコメント
野中作画記事、需要しかないので嬉しいです!
すごく嬉しい。本当に嬉しい、こうやって言ってもらえることは数少ないおれの幸せだとおもう。だから、野中正幸作画記事はふつうに夏頃(7月末には)には第二弾を出せるかなと。その一方でおもうこともあり──

エフェクト作画をメインに記事にしてきて、もうはや5年くらい?今年は、DIYや政治などいろいろ挑戦的な記事内容になってますね。正直に、本音を言うと、エフェクト記事には限界を感じています。手応えがあった記事でもさほど伸びず、コメントもつかず、見返すと自分の中でもしっくり来ず。どうにも木上益治の特集でおれは燃え尽きていました。もうおれの役目は終わったので、次世代に書いて欲しい。次世代でブログを勧めた人は全員辞めてしまった、なんでかのう。業かのう・・・。

今のメインのプラットフォームはツイッターですかね。動画のほうがわかりやすいからね、しょうがないね。ただ、この作画というジャンルにもっとも不足してきたのは、体系化と言語化です。間違っているかもしれない、正確でないかもしれない、そういったくだらない障害に悩まされてここまで来てしまった。そうして、動画をぺちんぺちんと貼るだけの「おれたちだけわかっている感」に再帰してしまうことは理解できそうで出来ません。ブログを始めて作画について考えているのは、ライトな人を増やすことだけです。



おもうこと
※恋愛ラボは神、ぜんいん読め

今年は、先ほども言いましたが、チャレンジな年です。だからこそ、いつもより演出記事を多く書いている。まあエフェクト記事に伸びしろを感じなくなったので、試行錯誤でやっているのですが。あまり(いや、「まったく」だな笑)求められていないのが、とてもよく伝わってきます(※木上益治演出の記事については、あまりうまくいってないんだ)。

実は、エヴァガの記事って今年いちよく書けた記事なんですよ。まあ、生涯いちうまく書けた記事が伸びなかったり受けなかったりは常なんですよ。まあ、こういうのはエフェクト記事でもあるんだけど。これはさ、タイミングが悪かったとかじゃなくて、単純にもうべっこりと演出記事が下手なんだ。書く能力がない。大匙屋さんとか流星の人のブログ見ると余計にね。これはほんとうに、完敗だなあとがっくり来るわけ。嫉妬すら追いつかない。そんで、自分のを読み返すと「あ、たしかにこれは受けないわな」とわかるわけ。内容が天と地の差よなあ。なんかつまんねえもん、自分で読み返しても。

さいきん、こうやってブログの内情を話しているのは、まあ参考にして他の人がやってくれたらいいなという感じともうひとつあって。あとはネタバラシ的な意味でやってる。こうやってぼくはみんなを騙してきました、それは言い過ぎとしても、誤魔化してきました、というネタバラシをしている。

あまりにモチベが下がったときに欲しい物リストをいっしゅん貼ったけど、ああこれ何かちげえなあと思ったし、かといって作画記事かいてもツイッターとかにシェアされるわけじゃないし、指標がないのは意外と辛い。アクセスが上がったと思ったら、過去記事がツイートされてただけっていうことがたくさんある。昔よりアンテナが立っていない。いや、アンテナを無視してる。さっさと次の世代が書けばいいと思いつつ、おっちゃんもまだやれるぞ、という気分もある。PLUTOの1巻を思い出すぜ。スコアの再利用をお願いされるシーンな。


こういう雑記は垂れ流しでほとんど修正しないんだけれど、それはじぶんの今の状態がわかってないから。どんな気持ちなのか、というのは書くと割とだんだんと分かってくる。で、これだけ垂れ流してみてもイマイチぴんときてない。もうちょっと調整が必要な感じですかね。リアルもしんどい。7月に入って少し盛り返してきた感じはある。アニメも見れてる。「見れてる」っていうのがもう終わっとんや。

まあ気長に・・・なんていうつもりはもうないぞ。まあいつも良い状況だったら気味も悪い。逆もしかり。言い訳せずに、焦らずに記事を出していく。かれらの土俵でやはり戦わない、おれの土俵で戦う。それはエフェクトに限った話ではないからね。方向を定めてしっかりと。ふらふらと曖昧には書かないことだけは決めた。ああいう天才共には戦略で勝たないとダメなのだ。

ただ、全体的にこういったアニメブログはシェアされにくい方向になっているような気もする。だから、見かけたらすぐにシェアしてあげよう。ここに限らず。

つらつらと(C97です)
告知;木上益治のドラ作画特集(C97/12月28日)

-yAhwBKz
(最初お話をいただいてからの計画とかメモとか)



自分の文章を客観的に見てもらえる
良し悪しは分かりませんが、やはり冗長になっている部分は指摘してもらった。とても自分の文章がシュッとしますね。シェイプアップする。洗練されていく。見直して削っていく作業は自分でも行うことですけど、やっぱり一人では気づかない点はあるわけで、他人から指摘してもらうと文章っていうのは全然変わります。


ブログとは書き方がまったく異なる
自分がブログで記事を作るときは、「それじたいにまったく興味がない読者に見て読んでもらわない」といけないと思っているので、「合いの手」とかを入れているつもりなんですよ。はい、みんな次の画像がすごいから見てね。みたいな文章を入れて、これすごいでしょ?ってやって、じゃあ今度はこれの説明に行きますっていう感じに「ここが大事!!!」っていうのを何度も繰り返すわけ。じゃないと、スルーしちゃうから。同じ主張を何度も書いて載せないと、ぼくら読み手は簡単にスルーしちゃう。自分の思考で文章を補完・解釈しちゃうので。

同人文章だと、そういうのはむしろ邪魔になっちゃうわけだから、一回目に送った原稿はすごく冗長で長ったらしかったなあと見返して自分でも思う。ふつうに合いの手を入れちゃってましたからw


コミュニケーションと、「結果さえ良ければ」の危うさ
「コミュ力」というのは日本で忌避されがちですが、コミュニケーション自体はとても大切。この場合における、「コミュ力」とは相手に自分のやりたいことや、画像を載せる意図を説明する能力のことですね。これはもう相手と何度も交流して培っていくしかない。今回は編集の方がとても寛容な対応で、やり取りも普通に行えました。今まで商業も合わせて何本か書きましたけど、なんというか提案や発案をすると、だいたい否定されてきたので・・・そういう全否定の恐怖がなかったのは本当に良かった。

書き手と編集さんお互いに発案して、お互いに案を否定するのではなく、「こうした方がより良いのでは?」というコミュニケーションができて本当に楽しかった。仕事にせよ、アニメ以外の趣味にせよ、なんというか「こいつはキツイぜ!」という人と出会うことが多かったので、最初は涙目でビクビクしてました(その後、解消したのは言うまでもなく)。もちろん、寄稿依頼から始まったとはいえ、恐怖の方が大きかった。もうトラウマだったんでしょうね、ライティング作業みたいなものは。

世の中には、一緒に作業をさせてもらって、こんなに素晴らしい人がいるんだなあという気持ちになりました。もちろん、大変な作業もあったし、メール返信が遅れて編集さんに迷惑をかけた部分も多々ありましたけど、そこを補うのがコミュニケーションや思いやりだと思うので。

結果さえ良ければ、後は何でもいいやっていうのは長期的に見てナンセンスなんですよ。そういうのは、塾業界の方がよく分かっている。

塾業界に関わっていたので分かるんですが、「すべて合理的にやればいい」って実は典型的な失敗パターンなんですよ。これで失敗している講師を何人も知っている。「子どもにはこうやってこのルートで教えればいい」という風にすぐにマニュアル的、自己完結的になってしまう。けれど、それぞれ理解度も習熟度も苦手な部分も違うので個々の対応が必要なわけです。字の大きさ、クセ、それぞれ異なるわけですから。それぞれ伸び悩んでいる、理解がもう少し足りない生徒がいて、それをマニュアルどおりにやってダメだなと生徒の責任にしてしまうともう明らかに伸びなくなってマイナスになるんですわ。

いや、勉強してこない生徒はダメですよ。ただ、そこの原因は塾生と話しますよね。家でゲームを長時間やってしまうのか、部活動で忙しいのか、そういうところでコミュニケーションをする。コミュニケーションするだけで、生徒にも負い目があるので精神的にスッキリする。会話をすることで、お互いに信頼するようになる。親以外に頼れる・信頼できる大人と認識してもらうことが、塾って実はいちばん大事なんです。これは塾や教育関係の人にとてもよくわかってもらえると思う。なんのはなしだコレ。

話が脱線に次ぐ脱線で南極大陸までいきました。閑話休題。


・レイアウトはとても難しい
DTP(デジタル編集)の段階になると僕はInDesignが使えないので、自分のレイアウトが伝えにくかった。これは今後の課題ですね。三段B5用紙だったので、あるていど想定はしましたが、字数が増えたら、とうぜんそれに従って段落も変わってしまう、画像も変わってしまう。こういうところで、レイアウトの難しさを経験しました。ある程度、最初に決め打ちしとくべきなんでしょうが、自分の理想像すら曖昧でぼんやりとしていたので、仕方なかったかなとも思う。本当はもう10枚ぐらい画像入れたかったんですが、そこがやはりレイアウトと文章バランスの難しさです。



・書きたい結論が決まっている場合
以前あったケース。申し訳ないけれど、ご自分で書いた方が速いのではって話にどうしてもなってしまう。結論が決まっていて、そこに向かっていく文章を書くことは、ニュース記事のような単純な事実の伝達と同じと思います。これってとうぜんのことだと僕は考えますけどね。

少なくとも自分は、より良いものを作る人と一緒に何かをやらせてもらいたいので。もちろん、今回は違いましたヨ。他の寄稿者の方やアニメーターさんからすごく刺激をいただきました。良かったです。商業と同人では異なる部分もとうぜんありますでしょうけど、そういうものを差っ引いても今回のサークル様は素晴らしく体制が整っていたと個人的には思います。

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