諸事情あり、今年最大の話題作・名作(らしい)「宇宙よりも遠い場所」を見ました。

公式サイト


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まず最初に、自分には合わなかった(※ここ重要)です。だけれど、人気作である理由はなんとなく分かる。この作品はファンタジーに近いかなあ、というのが最初の印象でした。



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『宇宙よりも遠い場所』は、「南極に行くのは大変・きわめて困難」(=「勇気をもった挑戦」)を軸にお話が進んでいきます。周りの大人たちは、同伴する民間の観測隊も含め、「危険な航路」「(連れていくなら)他の隊員と同じ扱いをする」「お遊びじゃない」と言い、彼女たちもそれを了解していたはず。それこそ、物語の序盤では、南極探査の過酷さは、シラセの100万や彼女の視野狭窄(※JKビジネスバイトの下りなど)によって間接的に体現されてたわけです。

困難な物事の表現には、それ相応のストイックさ・本気さが説得力として必要なんですよ。アンパンマンって、バイキンマンに水かけられて力が出なくなるでしょ?バイキンマンも毎回本気でやってくる。アンパンマンを倒そうとやってくる。だから、バイキンマンの強さ・本気っぷりが分かるし、そこから復活して相手を倒すアンパンマンに対して僕らはカタルシスを感じるわけです。もし、バイキンマンが弱腰でちょいちょい攻撃してくるだけだったら、何の面白みもないですよね。



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そういう視点で、「よりもい」前半は、なるほどな~と見ていたんですが、後半になるにつれ、このストイックさが欠けていく。というか、お遊びになっていく。彼女たちの船内における行動は浮足立ったもので、たとえば、8話では猛烈な嵐に襲われて、船内はきわめて危険な状態になりますよね。こんな中で嵐の波を浴びて「友情サイコー!青春サイコー!」とかやってるの頭おかしいんですよ。ありえない。シラセの執心であった南極に付くこともなく、しょうもない原因で死ぬかもしれなかった。もちろん、これがユヅキのとき(※梯子でユヅキを迎えに来る)みたく夢オチであるかもしれませんが、夢の中でも止めなきゃ友達なら。キマリの言うことに周囲がノリノリでパリピすること、それが本当の友達なのか?それを疑問に思わない時点でバカなオタクがいるんだろうなと。


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せめて大人に怒られるまでがセットだろうと思ったら、シェフのおばさんも誰も怒らない。それで、だいたいこのあたりで確信したことが一つあります。それはですね、この物語の中で、彼女たちは「困難な夢」に向かって歩んでますよね。大部分はそれで承認・称賛されちゃう世界なんですよ。失敗を重ねず、夢に向かって自由気ままに挑戦できるような、挑戦それだけで称賛されるような世界を望んでいるじゃないんですかね、バカなオタクは。



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何度も言いますけれど、僕には合わなかったでも、絶賛される内容・絶賛している人も理解できる。よりもい好きな人もいて当然だなと思う。ただそれだけの話ですよね。彼女たちの勇気や挑戦も理解はできる。周りのひどい言葉を歯牙にもかけず、足を進めた彼女たちには共感・尊敬を覚え、拍手を送りたい人が山ほどいるのも分かる。それぞれ違った背景をもった4人が、それぞれの「引っかかった思い」を消化して前に進むために、南極にいくわけですから、その場所が重要でないことも分かる。



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しかし、これらは映像の説得力にはあんまり関係がないんですよ。原作・ホンが良くても、クソみたいな邦画だらけなのと同じ。それは置いといて、説得力の構造的な話をしましょう。構造的には2つの要素があります。彼女たちが引っかかりを乗り越え・消化して前に進む、これが「精神的な成長・歩み」の描写ですよね。一方で、同じように、砕氷船・ペンギン饅頭号も、3年ぶりの南極探査に向けて地道に準備を進めていました。これが「物理的な進歩・前進」の描写ですよね。同じ構造の2つを両輪にして、「よりもい」という作品は展開されていきます。



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精神的な成長の描写は十分にされていましたが、物理的な面の描写が良くなかった。そもそも、成長とか前進とか、どういう要素があるのかなと考えてみたんですが一概には言えない。この作品でいうと、ユヅキちゃんの友達契約書であったり、また砕氷船が南極への氷道を砕いていくことを指すと考えます。



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それで、精神的な描写については、繰り返しになりますが、4人それぞれの深いところ、また隊長を筆頭とする観測隊の後悔(※シラセ母に対する)もきっちり拾って解決している。一方で、物理的な描写ですが、これは船本体、南極への旅路、南極自体などですね。一言でいえば、「本当に宇宙よりも遠い場所(=過酷)なのか?」という描写に絞られる。毛利衛が語ったように、南極の昭和基地には何日もかかる。「本当に南極に行くのは大変なのか?」というところが物理的な描写においては重要なんです。アンパンマンの例を思い返してください。

実際どうだったかというと、巡航はきわめて良好だった。砕氷船が氷を砕いていくのもさほど労力を要した様には見えない。絶叫する60度の南極海においての嵐は、砕氷船や彼女たち4人を殺しにきていたか。波・氷の作画も含めて、そのあたりの描写がダメダメだった。(※付け加えるならば、「南極は過酷なのか?」という部分は割と良くできていた。吹雪の中の旗バタバタは良かったです)




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つまり、「成長や前進」というのは、「自分の苦手なこと・目を背けていることに対して、正面から向き合うこと」です。そういう点で、物理的な前進、すなわち簡明にいえば、「船の苦労」の描写がダメダメであり、彼女たち4人の精神的な成長ペースと合わず、2つの要素の間でズレが生じてしまった。結果として、脚本がそこそこよくできているだけの歪な作品になってしまった。というのがぼくの「よりもい」に対する考えであり評価です。


よりもいの中で良かったのは、主人公の絶妙なモブ顔さのデザインと、花澤さんの演技です。この2つがなかったら多分最後まで見なかった。ざーさん、監獄学園の花さんといい、ポンコツ美少女役をやらせたら天下一品ですね。