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はてブはてブ03


さいきんはてブからこういったサービスを頂くことが多いので、世の中について書こう。そろそろ、新しいSBMが出てきてもいいころだと思うんだけどなあ。

一般的なスポーツとは明らかに異なっているので、野球やサッカーと比べるのはナンセンス。比較対象としてふさわしいのはモータースポーツでしょう。

<モータースポーツ>
競技人口:幅が広い(10代~40代)
観戦敷居:低い(基本的に車が走るだけ)

<esports>
競技人口:幅が狭い(10代~20代;フィギュアスケートとほぼ同じ)
観戦敷居:やや高い(対人ゲームはヤムチャ視点、ゲームに応じてルールがたくさん)


「APEX」「Shadowverse」「ストV」などの対人ゲームを見るに、プレイヤーとプロの距離感はモタスポよりも圧倒的に近い。同じフィールドで戦っているわけですから。野球やサッカーなどと違って自分もプロ、もしくはセミプロのようになれる可能性が存在する。ただ、競技人口の狭さやプレイングの限界を感じてしまい競技そのものを止めて、結果として、観戦しない可能性も大きくなる。

「プレイヤーかつ観戦する」人が減ってしまう。ここが大きな問題点なのです。繰り返しますが、他のスポーツと異なるのは、プレイヤーとプロの距離が近いということです。「プレイヤーでありながら見る人」を増やすことが先決なのです。DTNがTwitchでアクティブ1万前後を稼いでいるのは、あくまでもストリーマー、つまり「面白い配信者」というカテゴライズになっているからであり、プロゲームとしての凄みを伝えているようには思えない。釈迦は除く

要するに、ゲームそのものの面白さで見ている人がそんなに多いとは思わないんですよね。あのプロ喋りがおもれーwみたいな感じで見ている。その辺に違和感を抱き、対人ゲームの限界も感じるわけです。好きなストリーマーがやっていて、そのプレイを見て実際にやったけど、オフゲーじゃないから、終わりがない。区切りがない。それで、また同じジャンルの別のゲームに移っていく。付いていけないですよ。



だから、これからのesportsでは「オフラインゲー」を大事にすべきと思うんです。つまるところ、「RTA走者」なんですよ。ここが日本では、すさまじく過小評価されている。そもそも、esportsの意義ってなんですか。ゲームが上手い人をプロゲーマーとして、ゲームを競技化させることですよね。それだと、やはり人口を増やさないといけない。

昔のゲームなら、わざわざルールを覚えなくて済む。自分の知っているゲームのRTA走者を見て、懐かしんでバーチャルコンソールやSteamで買ってやろうと思う。これで「プレイヤーかつ観戦」の人口が増えていくわけです。ゲームありきなのも良いところですよね。

結局、ストリーマーありきになってしまっている、それが伸び悩んでいる理由であり認めて改善しないと斜陽にずるずるとなっていくように思います。

<参考文献>
RTA(リアルタイムアタック)は次のeスポーツカテゴリーになれるのか? 「RTA in Japan」に聞いてみた (1/2) 


[P.S]

Shadowverse 06_03_水 23_33_11 

Apex Legends 06_03_水 23_31_27


( ^ω^)・・・
( ^ω^)・・・なきたい


なんかね、いろいろなことに疲れたねえ。疲れる世の中になった。

「モノは溢れ物質的には満ち満ちているけれど、精神は貧しい」と庵野が述べていたことを改めて痛感する。合理的な社会が素晴らしいかといえば、そんなわけもないのは、十全も承知のはずです。インプレッシブを優先する態度が社会的に求められ評価される。それはSNSだろうと、現実世界だろうと変わらんわけです。

それは分かるけれど、インプレッシブを優先する態度によって、なにも発言しない・触れない態度の評価が上がってしまう。つまり、タブーな事柄、民族だのレイシズムだの政治的な事柄については触れない方が評価されてしまう。おかしな話だ。


短期的な観点で見れば、これは戦略としては優れています。いつの時代も沈黙は金、人の噂も七十五日。ただ、10年20年という長期的には、大したプラスにはならないと僕は考えます。その人その人のオピニオンがこれから重要になっていく社会で、なぜか主張をずっとしない人がいる。「人狼」というゲームだと、ずっと黙っている村人がいるようなことで、その人の信頼や信用って相対的に薄れていってしまうんですよね。つまり、「なにも言わないとなにを考えているのかわからない」ので、怪しく見えてしまう。今は優秀な戦略ですが、高潔さの欠片もない。ノンポリならば、ノンポリのそれを述べて欲しいのですが、それを今はやってしまうと評価されないのです。前述の通り。だから、黙っているのが最善というおかしな構図になってしまった。

その延長線上にあるのが、「いいね」などのソーシャルアクションです。自分は主張しないけれど、この発言には賛成だということを示唆することができる。これ上手いことやってて、なおかつ制度的に良くない。なぜかというと、あくまで「示唆」の段階で止めることができるんです。自分の意見と似たものであるかどうか、それらをなにも言わないで、醸し出すように主張できるわけです。

で、こういったことが増えていくと、空中戦にならざるを得ず、意見や議論をダイレクトに交わすことはなくなります。議論を交わさないと、意見・主張の昇華はありません。意見の昇華、つまり、改善された意見や主張が存在しないことは、「だれかの発言」の代理戦争のオンパレードで、話す場所も成熟せず、人々はストレスフルになるのです。その結果、争いを好まない人々は争いが起きた段階ではまったく議論もできず、まあクソの役にも立たない。そういったことが積み重なっていくと、議論や論壇といったところからは遠いところになっていくのは目に見えますよね。だから、長期的に見て、大したプラスにはならないのです。

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