GOMISTATION.GEA

ひっこし完了!

カテゴリ: 雑記

FC2拍手とか他のコメントとか
(※もしもブログに掲載されたくないという人がいたら、その旨をFC2拍手では書いてくだしあ)



1つ目
いつものアニメ演出の記事もとても面白いですが、こういうのもすばらしいですね。オタクとしては、右派はそもそも表現規制推進なので信用できないんですが、ここ数年は左派も心許なくて一体どうすればという感じですね……
安倍政権の終焉、と”政権?”の雑感

表現規制については、現状、超党派で対処していく他ないですね。左派、というか野党が心もとない、というのはめちゃくちゃ分かりますが、それ以上に現状の右派の一部は異常と認識せざるを得ない。ということで、消去法的に日本では左派支持になりそうな。

表現規制じたい、もう世界的に進んでいる感じですよね。ポリコレやLGTBに配慮を、ゲーム会社やアニメーションスタジオが”自主的に”行っている。圧力をかけられて自主的に行うものほど、悲しい選択はありません。ドスを喉元に突きつけられながら、銀行のパスワードを押すようなものですから。似非フェミニストに文句言われたくねえなあと諦観して、姿見もそうですけど、いろいろなスタイルが変わっていく。悲しい限りです。新しい文化が生まれるとしたら、この抑圧された状態からですので、パンクロックみたいなものに帰っていくのかもしれません。

あとは、FANZAとかから「催眠」とか「レイプ」とかが消えてるらしく。アダルト関係は相当にキツメの自主規制がなされているんじゃないですか。



2つ目
同記事、8番目のコメント
安倍政権の非難は根拠不足だと思ってます…

あのーまずは、安倍政権について振り返るときに聞きたいのは「公文書改ざん」についてなんですね。

「政府による公文書改ざん」についてどう思ってるのか知りたい。まず、公文書は「なにかの約束をした・する行政の文書」です。なにかを決めるときに、こうこうこういうプロセスを経ました。この人が最後にハンコを押した(決定の責任者)。ビルかなにかを作ってもらう会社をこういう方法で選んで、あの人が代表のこの会社が作って、きちんと公平にやりました。つまり、「責任の所在」や「関連した物事・人物の行動の証明」をする。というのが近代の行政機関における公文書のあり方です。

それで、(安倍政権で行われた)改ざんや書き換えを許してしまうと、どうなるか分かりますか。行政の決裁文書をいくらでも変更できるんですよ。ボンボンのアホの政治家の都合のいいように書き換えられてしまう。たとえば、あなたの家がカジノを建てるときに邪魔だけど、あなたの家には一銭もお金は払いたくないねえなあとか思うわけ国が。決裁文書つくったあとに、書き換えをして、「やっぱ払うのやめるわ^^」というのをあなたは容認しないといけない。改ざんを許すということはそういうこと。払う約束をしていた文章をあとで変更されても文句言えないねって話になるんですよ。

このたとえ話はミクロなものですからまだしも、もっと言うと、上位0.001%の人間で国家の物事を決められようになる。となると、これはもはや民主主義ではなく、独裁主義ですよね。国家の運営は、国民主権において、「国民がオッケー!」と言わない限り進めてはいけない。上層部だけで物事を自分たちの良いように進めてたら、国民主権の意味がありません。でも、みんなの意見を拾ってたら収拾つかへん!まとめきれへん!ということで、これを現実的なレベルに落として可能にしているの「間接民主制」です。自分たち国民の中から、投票によって代表者を決める。国会議員はかんたんに言うと、「国民がオッケー!」の代わりをする人です。

さて、決裁文書の書き換えがまかり通ってしまうと、国民主権によって保証されていた「国民がもつ国家の運営権」は失われます。つまり、国家に対してぼくたち国民はなにも関与できません。これ壊して新しくこれ作ってとか、もっと食べ物を安くしてとか何も言えなくなる。結果は、いいとこ奴隷です。中世、つまり16、17世紀でもこんな問題は起こらなかった。だから、これだけの大きな騒ぎになったんじゃないですか。んで、元首相・安倍晋三は犯罪者です。これはもうれっきとした事実。財務省と身内で庇い、森友学園の決裁文書を書き換えたわけですから。森友学園の建設に関して、安倍晋三夫妻は関係があるはずなのに、「関係がない」と「ハンコが押された決裁文書」を書き換えて「自分たちの都合のいいように」「文書の中身」を変えてしまった。政府のこの横暴によって、近畿財務局の官僚さんは自殺しましたよ、赤木さんという人。国民を自殺に追い込んだ政権を許すわけもない、怒りしかないでしょう通常は。こんなもんは、論ずるに値しない。

安倍政権には他にもいろいろな問題はあるけれど、この1点でオールアウトですよ。一発退場、一発免許取り消し、失格!チェンジ!、そのレベル。政治面うんぬんではなく、この事実を許すか許さないか、それだけです。だから、非難もクソもないわけです。あなたが知らないだけで、これだけ多くの法的にも倫理的にも根拠はあるわけです。国家が守らないといけない基本的なルールが破ったからやべえの

日本人が「公文書改ざんの重大性」にピンと来ないのはなぜか?
そもそも決裁文書って?書き換えなぜ起きた

この辺を読みましょう。




3つ目
制作進行してます。時間が空いたときに記事を読んで勉強させて頂いてますわかりやすく面白いです。更新楽しみにしてるので、今後も頑張ってください!
本音と葛藤/上半期整理
http://royal2627.ldblog.jp/archives/56965791.html

こういうコメントは時々いただきます。業界の方から参考にしていただいてもらうことが多く、小心者には胃痛で光栄です。開き直るわけではないのですが、昔の記述には技法の紹介で誤りや個人的な解釈も多く含まれます。これからもぼくは間違ったことを書くだろうし、どの辺を参考にしてもらっているのかは分かりませんが、明確な定義が決まっている技法などについては、公式サイトやさつま!様などで確認をしてもらえるとありがたいです。

まあ言いたいのは、ぜんぶ鵜呑みにしないでねということ。当たり前か( ^ω^)

今日はこれくらい、明日はストパンについての記事を出す予定。
おつかれぃ!


<「リアル」と「リアリティ」について>

こういう記事を読んだので。この記事に限らず、リアリティについての誤解はよく見る。

憲兵までゆるふわ化してしまった『この世界の片隅に』
https://vergil.hateblo.jp/entry/2020/08/22/083835


まず抑えておくべきは、リアル(現実)とリアリティ(フィクションにおけるそれっぽさ)の違いです。リアルはみなさんの生きる、この現実世界です。ご飯を食べるときの箸の使い方、車の動き方、電車の電光掲示板、雲の動き方、雨の降り方、打たれ方など、さまざまです。よくある勘違いとして、フィクションの映像作品において「ぜんぶリアルどおりにやれば、リアリティある作品になるのでは?」というものがあります。断言しますが、これは明らかな間違いです。

たとえば、雨の降り方をリアルにしようと思えば、洋画・邦画問わずに、もっと降量を減らさなければならない。あんなに降るわけがない笑。アニメでも同じです、雨が長い線で描かれるのは正しいのか?正しくないのか?とかそういう面白くない話になってしまう。表現が面白いか/それっぽいか?という部分を失って、正確性を追いかけてしまうと、表現じたいがどんどん狭くなっていく。

以前も述べましたが、リアリティとは「それっぽさ・ありえるかも」なんです。全速力で走ると、こういう走り方になるかもなとか、爆発ってこういう膨らみ方かもなあ、とか。少し後ろにたじろいだときに、女の子の髪の毛ってこれぐらい跳ねても面白いかな?とか。もちろん、あるていどの正確さというのは重要ですが、フィクションはすべて「正しさ」で描けるものではないんです。そもそも、「リアルの正しさ」というのは、それぞれの視点/捉え方によって変わるもので、そこを突き詰めてたとしても、大多数の人を納得させることって不可能なんですよ。

トラを見て怖いと思う人もいれば、かわいいと思う人もいる。流血描写を見て、嫌悪を感じる人とそうではない人がいる。これらの問題を「リアルの正しさ」ですべて満たすことは無理だし面白くもない、だからフィクションならではの表現が生まれるわけです。むしろ、ここがフィクションの根本的な部分であり、最も面白いところだと思う。

「片隅に」おける憲兵については、あれぐらいでいいと思うんですよ。だって、メインテーマではないですもん。すずさんという一市民がどういう風に戦時を生きたか、ということが重要なのであって、モブ憲兵のディテールについて過度にやったとしても映画の面白さに寄与はしないと思う。そこにコストを割いても意味がないんです。というのも、別に「片隅に」は、なにかの政治的な、信念的な、プロパガンダ映画ではないわけですから。映像視聴の際に、正確性や整合性にこだわりすぎることで、いいことは全くありません。




<過剰な可視化>

ネット上でもはや可視化されすぎてしまった。現実とSNSの垣根はなくなりつつあり、個人とSNSのアカウントは紐付けられた。もはやネットの人格というものは存在していないのかもしれない。

ただこの可視化については、市民同士のごたごたが多い。一方で、可視化が必要なこと、つまり「本当に情報を出すべき」存在の可視化はなされていない。この代表例は、警察の取り調べなんか。本当に可視化すべきことがなされず、人々の間で相互監視な過剰可視化社会になってしまっている。一般人どうしでは可視化が進むけれど、権力を監視する可視化は進んでいない。




<画像>
はい、みなさん最高にエッチな「画像」を1枚だけ思い浮かべてください( ^ω^)
虹でも三次でも良い
さて、マジックのようにみなさんのエッチな画像を当てます( ^ω^)


( ^ω^)そろそろいいかな?












( ^ω^)それたぶん「なにか服を着ているキャラ」でしょう
( ^ω^)つまり、素っ裸ではないのだ

裸体のエロさって動画的なんですよ。連続してエッチな会話や息遣いや雰囲気があるからエロく感じるわけで。その瞬間でえっっっっっろと感じているわけではない。二次元で、こりゃあエッチッチコンロ点火すこすこスコティッシュフォールドと感じる画像に、全裸って少ないんですよ。

つまり、「抜ける裸体画」ってくっそむずいんです。
誤解しないで欲しいのは、うまいとか骨格がどうのこうのじゃないんだ、大事なのは抜けるかどうか。ぶっちゃけそうでしょ?どれだけ解剖学的に正しくても、どれだけ整合性が取れていても、抜けないエッチ絵に価値はない。ぼくの文章の文法や構造、接続詞などなどがいくら正しくても、記事の内容が面白くないと価値がないのと同じ。

なにが言いたいか。
裸オンリーでエッッッッッッな絵をかける人はめっちゃすごい可能性が高いからフォローしていったほうがQOLが上がるということ。そうやって追いかけていくと、自分の中の性癖やフェチが分かってくる。大事なことです。


<※追記>
同人で書いた木上記事、そろそろブログ上で公開しようと思います。ブログ版。

■放課後ていぼう日誌
配信で勧められました。魚や血に免疫のない、都会っ子が田舎に引っ越してきて、なぜか釣りの部活に入るというお話。そこそこ面白い。主人公の趣味の手芸との絡ませ方も上手い。「釣った魚は食べる」ことに主眼を置きつつも、ヒットしたときの快感、いろいろある釣りの種類それぞれの楽しさ、これらも良い感じかなと。

部長のスタイルがたぶんいいんですよ、この作品は。「釣っても釣れなくても」、みたいなのは別に珍しくないですが、部長は「釣りに関連する物事」すべてを楽しんでいるように見える。だから、みんな楽しそうに見えるのかなと。これは「天」の「赤木しげる通夜編」とも少し似ている点があって、あのとき赤木は「不運なことで気持ちが落ち込むことも、別に悪くはない」とかそういうこと言ってたはず。釣れなくても、事故で竿が折れても、フナムシに脚を噛まれても、そのことじたいで落ち込むことはあっても、べつにそれが悪いとは思っていないんだろうな、みたいな。それを含めて、釣りと思っているんだろうな。釣りの環境すべてを受け入れている。そういう態度が部長にはある気がする。


「部長の生足で抜かないやつは全員バカ」と配信で言いましたが、これは変わらず。断固として。しかし、ピクシブ18禁では、長身無口娘がなぜか人気でした。逆張ってんじゃねえぞハゲども。部長以外おらんやろがい。しかし、じっさいに、部長のそういうエッチな絵を見てもピンと来ない・・・。いや、放課後ていぼう日誌じたいにそういう感じがない。珍しいですね。



■ソウルイーター
10年前のものにハマる感じになっている。全巻大人買いしたせいで金欠や。1~6巻、最初のメデューサ戦くらいまでは圧倒でした。いやーすごい。「武器職人としてデスサイズを作る」という根本は後半になるにつれ、薄れていき、マカちゃんが出てこない巻数も多々あった。メデューサの支配下にあったクロナを救っていっしょに学校に行けるようになった話は泣きそうになった。そこからあれだからなあ・・・ああ、救いがない。

思ったよりも、鬼神、つまり、阿修羅の強さについてはそこまで描けていなかった印象。この世を滅ぼしかねないから、封印したぐらいの強さは、やっぱり表現が難しいんだな。だれも届かない強さ、みたいなのは難しいんですよ。ここは困ったとおもう。後半はぐちゃぐちゃでしたけど、クラスメートたちの活躍も良かったですね。ふつうに熱かった。ぼくはもみあげくんがけっこう好き。

アニメ版はまたラストの結末が違うらしく、見てみてるとおもう。1~4話ていどまで見ましたけど、ああ、これはボンズ信者を量産しても致し方ないなと。これ以降のアニメはどんな目で見てたんだろう。あと、ぼくは小見川千明すきなんですよ。しかもこれが初声優作品という衝撃。これキャスティングしたやつどんな脳みそしてんの?よう踏み切ったわ。




<+の内容>
えー野中正幸記事( ^ω^)
もう顔文字でもごまかせなくなってきた( ^ω^)

7月余裕!とかいったけれど、
まったく余裕じゃなかった。
すまんな( ^ω^)

8月末~9月くらいか、もうちょい待ってクレイ。8月は本数減るから他のブログに期待を。こんな時勢ですから、なかなか帰省できない人も多いとおもう。ぼくも帰れないんですけど。まあ帰るべき家は売ったんですけどねガッハッハ。今日は親父が夢に出てきてなあ、すこし辛かった。いや、お盆の時期に来てくれたと思いましょう。夢でも会えることは素晴らしい。お線香ぐらいはみなさんも立てるように。では。

もらったコメント
野中作画記事、需要しかないので嬉しいです!
すごく嬉しい。本当に嬉しい、こうやって言ってもらえることは数少ないおれの幸せだとおもう。だから、野中正幸作画記事はふつうに夏頃(7月末には)には第二弾を出せるかなと。その一方でおもうこともあり──

エフェクト作画をメインに記事にしてきて、もうはや5年くらい?今年は、DIYや政治などいろいろ挑戦的な記事内容になってますね。正直に、本音を言うと、エフェクト記事には限界を感じています。手応えがあった記事でもさほど伸びず、コメントもつかず、見返すと自分の中でもしっくり来ず。どうにも木上益治の特集でおれは燃え尽きていました。もうおれの役目は終わったので、次世代に書いて欲しい。次世代でブログを勧めた人は全員辞めてしまった、なんでかのう。業かのう・・・。

今のメインのプラットフォームはツイッターですかね。動画のほうがわかりやすいからね、しょうがないね。ただ、この作画というジャンルにもっとも不足してきたのは、体系化と言語化です。間違っているかもしれない、正確でないかもしれない、そういったくだらない障害に悩まされてここまで来てしまった。そうして、動画をぺちんぺちんと貼るだけの「おれたちだけわかっている感」に再帰してしまうことは理解できそうで出来ません。ブログを始めて作画について考えているのは、ライトな人を増やすことだけです。



おもうこと
※恋愛ラボは神、ぜんいん読め

今年は、先ほども言いましたが、チャレンジな年です。だからこそ、いつもより演出記事を多く書いている。まあエフェクト記事に伸びしろを感じなくなったので、試行錯誤でやっているのですが。あまり(いや、「まったく」だな笑)求められていないのが、とてもよく伝わってきます(※木上益治演出の記事については、あまりうまくいってないんだ)。

実は、エヴァガの記事って今年いちよく書けた記事なんですよ。まあ、生涯いちうまく書けた記事が伸びなかったり受けなかったりは常なんですよ。まあ、こういうのはエフェクト記事でもあるんだけど。これはさ、タイミングが悪かったとかじゃなくて、単純にもうべっこりと演出記事が下手なんだ。書く能力がない。大匙屋さんとか流星の人のブログ見ると余計にね。これはほんとうに、完敗だなあとがっくり来るわけ。嫉妬すら追いつかない。そんで、自分のを読み返すと「あ、たしかにこれは受けないわな」とわかるわけ。内容が天と地の差よなあ。なんかつまんねえもん、自分で読み返しても。

さいきん、こうやってブログの内情を話しているのは、まあ参考にして他の人がやってくれたらいいなという感じともうひとつあって。あとはネタバラシ的な意味でやってる。こうやってぼくはみんなを騙してきました、それは言い過ぎとしても、誤魔化してきました、というネタバラシをしている。

あまりにモチベが下がったときに欲しい物リストをいっしゅん貼ったけど、ああこれ何かちげえなあと思ったし、かといって作画記事かいてもツイッターとかにシェアされるわけじゃないし、指標がないのは意外と辛い。アクセスが上がったと思ったら、過去記事がツイートされてただけっていうことがたくさんある。昔よりアンテナが立っていない。いや、アンテナを無視してる。さっさと次の世代が書けばいいと思いつつ、おっちゃんもまだやれるぞ、という気分もある。PLUTOの1巻を思い出すぜ。スコアの再利用をお願いされるシーンな。


こういう雑記は垂れ流しでほとんど修正しないんだけれど、それはじぶんの今の状態がわかってないから。どんな気持ちなのか、というのは書くと割とだんだんと分かってくる。で、これだけ垂れ流してみてもイマイチぴんときてない。もうちょっと調整が必要な感じですかね。リアルもしんどい。7月に入って少し盛り返してきた感じはある。アニメも見れてる。「見れてる」っていうのがもう終わっとんや。

まあ気長に・・・なんていうつもりはもうないぞ。まあいつも良い状況だったら気味も悪い。逆もしかり。言い訳せずに、焦らずに記事を出していく。かれらの土俵でやはり戦わない、おれの土俵で戦う。それはエフェクトに限った話ではないからね。方向を定めてしっかりと。ふらふらと曖昧には書かないことだけは決めた。ああいう天才共には戦略で勝たないとダメなのだ。

ただ、全体的にこういったアニメブログはシェアされにくい方向になっているような気もする。だから、見かけたらすぐにシェアしてあげよう。ここに限らず。

はてブはてブ03


さいきんはてブからこういったサービスを頂くことが多いので、世の中について書こう。そろそろ、新しいSBMが出てきてもいいころだと思うんだけどなあ。

一般的なスポーツとは明らかに異なっているので、野球やサッカーと比べるのはナンセンス。比較対象としてふさわしいのはモータースポーツでしょう。

<モータースポーツ>
競技人口:幅が広い(10代~40代)
観戦敷居:低い(基本的に車が走るだけ)

<esports>
競技人口:幅が狭い(10代~20代;フィギュアスケートとほぼ同じ)
観戦敷居:やや高い(対人ゲームはヤムチャ視点、ゲームに応じてルールがたくさん)


「APEX」「Shadowverse」「ストV」などの対人ゲームを見るに、プレイヤーとプロの距離感はモタスポよりも圧倒的に近い。同じフィールドで戦っているわけですから。野球やサッカーなどと違って自分もプロ、もしくはセミプロのようになれる可能性が存在する。ただ、競技人口の狭さやプレイングの限界を感じてしまい競技そのものを止めて、結果として、観戦しない可能性も大きくなる。

「プレイヤーかつ観戦する」人が減ってしまう。ここが大きな問題点なのです。繰り返しますが、他のスポーツと異なるのは、プレイヤーとプロの距離が近いということです。「プレイヤーでありながら見る人」を増やすことが先決なのです。DTNがTwitchでアクティブ1万前後を稼いでいるのは、あくまでもストリーマー、つまり「面白い配信者」というカテゴライズになっているからであり、プロゲームとしての凄みを伝えているようには思えない。釈迦は除く

要するに、ゲームそのものの面白さで見ている人がそんなに多いとは思わないんですよね。あのプロ喋りがおもれーwみたいな感じで見ている。その辺に違和感を抱き、対人ゲームの限界も感じるわけです。好きなストリーマーがやっていて、そのプレイを見て実際にやったけど、オフゲーじゃないから、終わりがない。区切りがない。それで、また同じジャンルの別のゲームに移っていく。付いていけないですよ。



だから、これからのesportsでは「オフラインゲー」を大事にすべきと思うんです。つまるところ、「RTA走者」なんですよ。ここが日本では、すさまじく過小評価されている。そもそも、esportsの意義ってなんですか。ゲームが上手い人をプロゲーマーとして、ゲームを競技化させることですよね。それだと、やはり人口を増やさないといけない。

昔のゲームなら、わざわざルールを覚えなくて済む。自分の知っているゲームのRTA走者を見て、懐かしんでバーチャルコンソールやSteamで買ってやろうと思う。これで「プレイヤーかつ観戦」の人口が増えていくわけです。ゲームありきなのも良いところですよね。

結局、ストリーマーありきになってしまっている、それが伸び悩んでいる理由であり認めて改善しないと斜陽にずるずるとなっていくように思います。

<参考文献>
RTA(リアルタイムアタック)は次のeスポーツカテゴリーになれるのか? 「RTA in Japan」に聞いてみた (1/2) 


[P.S]

Shadowverse 06_03_水 23_33_11 

Apex Legends 06_03_水 23_31_27


( ^ω^)・・・
( ^ω^)・・・なきたい

↑このページのトップヘ

©GOMISTATION 2012-2020 All rights reversed