GomiSta@Kingly

拍手連打消せねえ WEB拍手設置予定

カテゴリ: 雑記


はてブはてブ03


さいきんはてブからこういったサービスを頂くことが多いので、世の中について書こう。そろそろ、新しいSBMが出てきてもいいころだと思うんだけどなあ。

一般的なスポーツとは明らかに異なっているので、野球やサッカーと比べるのはナンセンス。比較対象としてふさわしいのはモータースポーツでしょう。

<モータースポーツ>
競技人口:幅が広い(10代~40代)
観戦敷居:低い(基本的に車が走るだけ)

<esports>
競技人口:幅が狭い(10代~20代;フィギュアスケートとほぼ同じ)
観戦敷居:やや高い(対人ゲームはヤムチャ視点、ゲームに応じてルールがたくさん)


「APEX」「Shadowverse」「ストV」などの対人ゲームを見るに、プレイヤーとプロの距離感はモタスポよりも圧倒的に近い。同じフィールドで戦っているわけですから。野球やサッカーなどと違って自分もプロ、もしくはセミプロのようになれる可能性が存在する。ただ、競技人口の狭さやプレイングの限界を感じてしまい競技そのものを止めて、結果として、観戦しない可能性も大きくなる。

「プレイヤーかつ観戦する」人が減ってしまう。ここが大きな問題点なのです。繰り返しますが、他のスポーツと異なるのは、プレイヤーとプロの距離が近いということです。「プレイヤーでありながら見る人」を増やすことが先決なのです。DTNがTwitchでアクティブ1万前後を稼いでいるのは、あくまでもストリーマー、つまり「面白い配信者」というカテゴライズになっているからであり、プロゲームとしての凄みを伝えているようには思えない。釈迦は除く

要するに、ゲームそのものの面白さで見ている人がそんなに多いとは思わないんですよね。あのプロ喋りがおもれーwみたいな感じで見ている。その辺に違和感を抱き、対人ゲームの限界も感じるわけです。好きなストリーマーがやっていて、そのプレイを見て実際にやったけど、オフゲーじゃないから、終わりがない。区切りがない。それで、また同じジャンルの別のゲームに移っていく。付いていけないですよ。



だから、これからのesportsでは「オフラインゲー」を大事にすべきと思うんです。つまるところ、「RTA走者」なんですよ。ここが日本では、すさまじく過小評価されている。そもそも、esportsの意義ってなんですか。ゲームが上手い人をプロゲーマーとして、ゲームを競技化させることですよね。それだと、やはり人口を増やさないといけない。

昔のゲームなら、わざわざルールを覚えなくて済む。自分の知っているゲームのRTA走者を見て、懐かしんでバーチャルコンソールやSteamで買ってやろうと思う。これで「プレイヤーかつ観戦」の人口が増えていくわけです。ゲームありきなのも良いところですよね。

結局、ストリーマーありきになってしまっている、それが伸び悩んでいる理由であり認めて改善しないと斜陽にずるずるとなっていくように思います。

<参考文献>
RTA(リアルタイムアタック)は次のeスポーツカテゴリーになれるのか? 「RTA in Japan」に聞いてみた (1/2) 


[P.S]

Shadowverse 06_03_水 23_33_11 

Apex Legends 06_03_水 23_31_27


( ^ω^)・・・
( ^ω^)・・・なきたい


つらつらと(C97です)
告知;木上益治のドラ作画特集(C97/12月28日)

-yAhwBKz
(最初お話をいただいてからの計画とかメモとか)



自分の文章を客観的に見てもらえる
良し悪しは分かりませんが、やはり冗長になっている部分は指摘してもらった。とても自分の文章がシュッとしますね。シェイプアップする。洗練されていく。見直して削っていく作業は自分でも行うことですけど、やっぱり一人では気づかない点はあるわけで、他人から指摘してもらうと文章っていうのは全然変わります。


ブログとは書き方がまったく異なる
自分がブログで記事を作るときは、「それじたいにまったく興味がない読者に見て読んでもらわない」といけないと思っているので、「合いの手」とかを入れているつもりなんですよ。はい、みんな次の画像がすごいから見てね。みたいな文章を入れて、これすごいでしょ?ってやって、じゃあ今度はこれの説明に行きますっていう感じに「ここが大事!!!」っていうのを何度も繰り返すわけ。じゃないと、スルーしちゃうから。同じ主張を何度も書いて載せないと、ぼくら読み手は簡単にスルーしちゃう。自分の思考で文章を補完・解釈しちゃうので。

同人文章だと、そういうのはむしろ邪魔になっちゃうわけだから、一回目に送った原稿はすごく冗長で長ったらしかったなあと見返して自分でも思う。ふつうに合いの手を入れちゃってましたからw


コミュニケーションと、「結果さえ良ければ」の危うさ
「コミュ力」というのは日本で忌避されがちですが、コミュニケーション自体はとても大切。この場合における、「コミュ力」とは相手に自分のやりたいことや、画像を載せる意図を説明する能力のことですね。これはもう相手と何度も交流して培っていくしかない。今回は編集の方がとても寛容な対応で、やり取りも普通に行えました。今まで商業も合わせて何本か書きましたけど、なんというか提案や発案をすると、だいたい否定されてきたので・・・そういう全否定の恐怖がなかったのは本当に良かった。

書き手と編集さんお互いに発案して、お互いに案を否定するのではなく、「こうした方がより良いのでは?」というコミュニケーションができて本当に楽しかった。仕事にせよ、アニメ以外の趣味にせよ、なんというか「こいつはキツイぜ!」という人と出会うことが多かったので、最初は涙目でビクビクしてました(その後、解消したのは言うまでもなく)。もちろん、寄稿依頼から始まったとはいえ、恐怖の方が大きかった。もうトラウマだったんでしょうね、ライティング作業みたいなものは。

世の中には、一緒に作業をさせてもらって、こんなに素晴らしい人がいるんだなあという気持ちになりました。もちろん、大変な作業もあったし、メール返信が遅れて編集さんに迷惑をかけた部分も多々ありましたけど、そこを補うのがコミュニケーションや思いやりだと思うので。

結果さえ良ければ、後は何でもいいやっていうのは長期的に見てナンセンスなんですよ。そういうのは、塾業界の方がよく分かっている。

塾業界に関わっていたので分かるんですが、「すべて合理的にやればいい」って実は典型的な失敗パターンなんですよ。これで失敗している講師を何人も知っている。「子どもにはこうやってこのルートで教えればいい」という風にすぐにマニュアル的、自己完結的になってしまう。けれど、それぞれ理解度も習熟度も苦手な部分も違うので個々の対応が必要なわけです。字の大きさ、クセ、それぞれ異なるわけですから。それぞれ伸び悩んでいる、理解がもう少し足りない生徒がいて、それをマニュアルどおりにやってダメだなと生徒の責任にしてしまうともう明らかに伸びなくなってマイナスになるんですわ。

いや、勉強してこない生徒はダメですよ。ただ、そこの原因は塾生と話しますよね。家でゲームを長時間やってしまうのか、部活動で忙しいのか、そういうところでコミュニケーションをする。コミュニケーションするだけで、生徒にも負い目があるので精神的にスッキリする。会話をすることで、お互いに信頼するようになる。親以外に頼れる・信頼できる大人と認識してもらうことが、塾って実はいちばん大事なんです。これは塾や教育関係の人にとてもよくわかってもらえると思う。なんのはなしだコレ。

話が脱線に次ぐ脱線で南極大陸までいきました。閑話休題。


・レイアウトはとても難しい
DTP(デジタル編集)の段階になると僕はInDesignが使えないので、自分のレイアウトが伝えにくかった。これは今後の課題ですね。三段B5用紙だったので、あるていど想定はしましたが、字数が増えたら、とうぜんそれに従って段落も変わってしまう、画像も変わってしまう。こういうところで、レイアウトの難しさを経験しました。ある程度、最初に決め打ちしとくべきなんでしょうが、自分の理想像すら曖昧でぼんやりとしていたので、仕方なかったかなとも思う。本当はもう10枚ぐらい画像入れたかったんですが、そこがやはりレイアウトと文章バランスの難しさです。



・書きたい結論が決まっている場合
以前あったケース。申し訳ないけれど、ご自分で書いた方が速いのではって話にどうしてもなってしまう。結論が決まっていて、そこに向かっていく文章を書くことは、ニュース記事のような単純な事実の伝達と同じと思います。これってとうぜんのことだと僕は考えますけどね。

少なくとも自分は、より良いものを作る人と一緒に何かをやらせてもらいたいので。もちろん、今回は違いましたヨ。他の寄稿者の方やアニメーターさんからすごく刺激をいただきました。良かったです。商業と同人では異なる部分もとうぜんありますでしょうけど、そういうものを差っ引いても今回のサークル様は素晴らしく体制が整っていたと個人的には思います。


なんかね、いろいろなことに疲れたねえ。疲れる世の中になった。

「モノは溢れ物質的には満ち満ちているけれど、精神は貧しい」と庵野が述べていたことを改めて痛感する。合理的な社会が素晴らしいかといえば、そんなわけもないのは、十全も承知のはずです。インプレッシブを優先する態度が社会的に求められ評価される。それはSNSだろうと、現実世界だろうと変わらんわけです。

それは分かるけれど、インプレッシブを優先する態度によって、なにも発言しない・触れない態度の評価が上がってしまう。つまり、タブーな事柄、民族だのレイシズムだの政治的な事柄については触れない方が評価されてしまう。おかしな話だ。


短期的な観点で見れば、これは戦略としては優れています。いつの時代も沈黙は金、人の噂も七十五日。ただ、10年20年という長期的には、大したプラスにはならないと僕は考えます。その人その人のオピニオンがこれから重要になっていく社会で、なぜか主張をずっとしない人がいる。「人狼」というゲームだと、ずっと黙っている村人がいるようなことで、その人の信頼や信用って相対的に薄れていってしまうんですよね。つまり、「なにも言わないとなにを考えているのかわからない」ので、怪しく見えてしまう。今は優秀な戦略ですが、高潔さの欠片もない。ノンポリならば、ノンポリのそれを述べて欲しいのですが、それを今はやってしまうと評価されないのです。前述の通り。だから、黙っているのが最善というおかしな構図になってしまった。

その延長線上にあるのが、「いいね」などのソーシャルアクションです。自分は主張しないけれど、この発言には賛成だということを示唆することができる。これ上手いことやってて、なおかつ制度的に良くない。なぜかというと、あくまで「示唆」の段階で止めることができるんです。自分の意見と似たものであるかどうか、それらをなにも言わないで、醸し出すように主張できるわけです。

で、こういったことが増えていくと、空中戦にならざるを得ず、意見や議論をダイレクトに交わすことはなくなります。議論を交わさないと、意見・主張の昇華はありません。意見の昇華、つまり、改善された意見や主張が存在しないことは、「だれかの発言」の代理戦争のオンパレードで、話す場所も成熟せず、人々はストレスフルになるのです。その結果、争いを好まない人々は争いが起きた段階ではまったく議論もできず、まあクソの役にも立たない。そういったことが積み重なっていくと、議論や論壇といったところからは遠いところになっていくのは目に見えますよね。だから、長期的に見て、大したプラスにはならないのです。


おっすおっす( ^ω^)
新型肺炎の影響で、在宅の時間が増えている方もいると思います。

IMG_1932


いきなり脱線しますが、ブログのアクセスにもその影響が現れている。

一斉休校が発表された20/3/2から、普段とは明らかに違う動き。大学生はもともと春休みなので、ここでPV・UUが増えるとしたら中高生か社会人かという感じなんだけど、こんなブログを真面目に読む中高生はいないと思う。だから、おそらく時短勤務になった社会人、お子さんがいるご父兄などがメインに見てもらっている状況でしょうか。もっと人生大事にしたほうがいいぞお前ら

ということで、人生をもっと有意義にする。QOLを上げるためにも、いろいろ今リフォームを行っています。賃貸ですけどね。基本的には、よほどの毀損をしない限り大丈夫ダヨという認識でやってます。DIYはみんなにもオススメしていくぜ。


(1)クロスの補修
クロス遠目01 クロス近影01

よくあるクロスに穴を空けちゃったパターン。2019の夏頃に空けてからテープ貼って放置してた。


<使ったもの>
・壁の穴埋めパテ(ダイソー)40g
・要らないSUICA;平らにならすためのヘラ代用として

クロス-01

改めて見るとそこそこ大きい( ^ω^)親指大くらい?



クロス02 クロス03

パテで埋めていく( ^ω^)このときは厚紙を使って、平らにならしてますね。
ヘラとかなくていいです。いらないSUICA・カードは便利ぞ。たとえば窓の遮熱シートだったり、そういう貼る作業にもめちゃ重宝しますので。ヘラを押さずにSUICAや厚紙を押すには僕なりの理由があるんですよ。DIYやらない一番の言い訳は「道具を買うのが面倒」なんで、さっさと「DO IT!」するケツたたきには、「身近なもので出来る」ってことを明らかにするほうが大事。


クロス04 クロス05

整えていく。これ本当は赤線から外をマスキングテープなどで養生するべきです( ^ω^)
「養生」とは、まあ「作業部分に関係ないところを覆って保護する」ということですね。配信で突っ込みをいただきました。ありがたいですね!


クロス06

スヌーピーのアップリケを貼ってごまかして終了じゃ( ^ω^)
こういうのは女受けいいので、モテたい人にはおすすめです。

<結果>
・使った時間:15分ていど

[反省点]
・マスキングテープなどで養生しなかったこと;仕上げが汚くなった

[良かった点]
・「意外と自分でもDIYいけるやん!」となったこと
・アップリケでオリジナリティを出せた


はい、次いくどー( ^ω^)


(2)トイレの木部塗り
木部01

夏頃に皮膜が剥がれ、むき出しになった状態( ^ω^)
施工の悪さが伺えますね。ほとんど原状回復されてねえよこの賃貸物件

あ、トラブルになりそうになった際には下記を参照してくだぱい

*「原状回復をめぐるトラブルとガイドライン」について
https://www.mlit.go.jp/jutakukentiku/house/jutakukentiku_house_tk3_000020.html
これでほとんどの揉め事は解決します。タバコを吸ってクロスが汚れた、とか、経年劣化や、通常損耗(;結露によるクロスの変色、画鋲などによるクロスの傷)は借主側が負担する必要がありません。それでもボッタクられそうなら、国民生活センターに相談か内容証明郵便をぶち込んでやればいい。


木部01-02 木部01-03

はい失敗例です( ^ω^)
百均の塗装スプレーでいいかなと思ってやったんですが、まったくダメ。そもそも色がまったく異なる上に、乾かない、汚れを落とすともっと損害が激しくなりました。

養生もまだ適当ですね、中途半端はあかん。
ということで、本格的な塗り作業を実行することを決意しました。

使ったもの01

<使ったもの>
木部を塗るキット(ハンディ・クラウン):オススメ!
nuro/ライトカーキ(カンペハピオ):オススメ!
・ニス用ヘラ(カンペハピオ)
・つや出しニス(ワシン)
・ダンボール(※道具の置き場所として)

前回のスプレー失敗がトラウマになっていたので、ヘラで塗ることにしました。スプレーにはスプレーのメリットがあるんでしょうけど、まだイマイチ分かってない。「nuro」はチューブ式の絵の具みたいで、めちゃくちゃ使いやすかった。ワシンは老舗メーカーさん。店頭ビデオはとても参考にさせてもらいました。わかりやすい!


木部02-01ニス前

今度はマスキングテープできちんと養生してから全面塗装( ^ω^)
途中経過とか撮りたかったんですが、ぶっちゃけそこまでの余裕はなくw

木部02-02ニス後

きちんと乾いたのを確認してから、つや出しニスを塗った( ^ω^)
めっちゃキレイやろ!どやどや!(ニスは好みで、必須ではない)
nuroの塗料は乾くのが速く1時間ていどの放置でニスも塗れます。しかし、温度にもよりますので、基本的には1日置いたほうがいいと思います(一敗)。マスキングテープの養生については、経験でしょうね。塗ってる最中に、「あ!ここ養生しとかないといけないじゃん」とか多々ありました。

<結果>
・使った時間:2,3日
養生マステの時間  :30-90分ていど;ここ焦らずにしっかりと!
→塗料を塗るための時間:30-60分ていど
→乾くのなどの待機時間:2時間-1日ていど
→ニスを塗るための時間:10-20分ていど
→後片付けの時間   :30分ていど

塗っていくとウヒョーと楽しくなってくるので、時間はすぐに経つ( ^ω^)

塗り残しとかあったら、ヘラ洗えばおk。ヘラはカチカチになってますけど、温水で洗えばまた使えるので安心されたし。同じ色に限りますけどね。今回の経験から行くと、ヘラは3本くらい買っておいても無駄にならないので不安なら多めに。

[反省点]
・養生の経験不足で、マステ貼って塗ってまたマステ貼ってと交互になった


[良かった点]
ヘラで塗るの楽しすぎワロタ
→細かいところまで塗れるので、ほぼ自分の思い通りにできる
→自信がみなぎる
・割といい運動になる
・木部などの人工物に愛着が湧いてくる
→「俺の塗り方が悪かった、お前はもっと輝ける」と言いながらニスを塗るようになる
→結果として、他人に優しくなれる


今回は以上です。テレワーク、時短勤務などで時間が空いた人も多いと思う。そんなときに、DIYはいいぞ!自分でも出来るというのはとてもいい体験です。自信もつく。この消費限界社会において、自分で何かを修繕するというのはこれから必須とも思う。まあ、DIYじたいが楽しいので、ネットに疲れたりしたらすごく精神衛生上グイッと回復します。タフになる。

次回は、塗りその2と面取りの予定です。


さて先日、この記事について

対決03対決02

このように大匙屋さんから指摘が入った。で、記事を書いてはいかがかと言われもいるし、この件について考え直すことにした。この件とは、つまり「政治的主張に作品を利用するか否か」である。まずは要素を一つずつ追っていくことだ。

この件は倫理的な問題がメインだ。つまり、個人のモラルや態度、それだけ。だから、これはぼくがどのように不快になったかが肝心なのだ。きっかけとなったツイート、ぼくが不愉快に感じたツイートは見つからなかったが、だいたいの要旨は覚えている。

「シン・ゴジラのとおり、この国は縦割りの行政が足を引っ張っている」

いやわかる。内容については、別に反対もない。スピードさが微塵もない後手後手に回っている対応を見れば、そのとおりだ。書いていて分かってきたが、不愉快だったのは、「シン・ゴジラという映画を見ただけで行政や国家についてまるっきり理解しきったその横柄な態度」である。それがおそらく、いつもならば別館に投げつけるようなところを本館ブログで公開した、というところだろう。つまるところ、正確に言うならば、先日の記事の主張は、「映画だけでなにかの事柄について理解した気になった発言をされるのが不愉快である」というマア、ぼく個人のナーバスなものであった。

この記事を書いたあと、上記画像ツイートでも述べているが、自分自身でも違和感を感じた。自分でも引用しているじゃないかと(それが「リーガルハイ09」である)。しかし、媒体を問わずに、公開される作品はその時代背景の影響を受けないことはいっさいありえない。ということは、作品じたいに政治的な主張が含まれていなくとも、その時代の世界の影響、たとえばSFボーイミーツガールの流行であったり、セカイ系であったり、貧困であったり、はいくらでも受ける。2019年に公開され大ヒットした、「ジョーカー」などまさにその典型例ではないか。

すなわち、すでに作品じたいに政治的なメッセージは意図せずとも込められている。込められていなくとも、時代背景を受けているために、人々が現実世界の問題に対して映画などを引用することはまったくおかしくない。「この問題は、あの漫画や映画と似ている」と、共通項を探すことで、その作品の普遍性を改めて実感することもできる。この1件を受けて、もう少し精緻に論理を組み立てて書くべきである、その点については失礼した。作品と現実世界は切っても切れないもの。その認識はきちんと持つべきだ。

ただ、「この世界の片隅に」における政治的な論争がくだらないという主張は変わり得ない。別に好きにすればいいが、あの映画において、細かいめんどうな問題に突っ込んで議論することに有意義な部分はなにもない。それは大匙屋さんもDMで認めているところで、多くの人がそこについて議論していることを残念がっていた。これくらいのやり取りのバラシはおそらく寛大な大匙屋さんは怒らないはずだ。たぶん。



あ、ここからは蛇足です。書きたくなっただけ。






《+α》《+β》

対決01

さて、「《+α》《+β》」と題したのは、このようなあからさまなアジテートを仕掛けられたからである。それで、ぶっちゃけ、内容についてはどうでもいい。ここでは書かない。これを見てから、ぼくは大匙屋さん、ぼくはその本人について書きたくなったのだ。そういえば、かれについてぼくは書いたことがない(※まあブロガーについてなどめったなことがないと書かないだろう、だいたいこういうのは気恥ずかしいし読者にとっては楽屋ネタのようなものでよくない)。だから。この”ついでに”乗じて書く。読者のみなさまにはまったくもって失礼だがご承知いただきたい。

ぼくとかれとの関係はけっこう長い。もはや6年くらいになる。「ヱヴァQ」を見た後このブログを作ったのだが、その後「ナウシカ」「うる星やつら156話」の庵野爆発を取り上げたりする内に親睦を深めていった。そもそも、かれのブログを知ったのは、「爆発1/2 金田爆発、庵野爆発」である。ぶっちゃけると、「こんな風に分析する人もおんねや」と文章を読んだわけではなく、やっぱり庵野ってすげえや!とスライダーをくいくいっと動かしていた記憶しかない。接触は「寒天プール」の際だ。正確に言えば、「あずまんが大王 第04話のプール表現。と、その先」の記事。これにTwitter上で、ぼくは罵詈雑言ではないが意見ともいいがたい微妙なツイートをした。

思い出01

そこにメンションをもらい即謝罪をし今に至る。さいしょのころは、まさしく殿上人であった。かれの書く記事はたとえば、自分自身が黙殺してしまった事柄を取り上げて批評をしていた。記憶に新しいのは、「プラウダの退き口」であろう。液体作画に対する執着はすさまじいものがあり、味噌汁の記事には驚かされた(あれには怒りが含まれている;なんだこの味噌汁はという怒りがぼくには見えた)。豊富な(圧倒的な、ないしは過剰すぎる)資料、知識、テキスト、これに同じ土俵で挑むのは無理であった。ゆえに、ぼくはじぶんがアニメに対する知識がないことを反らすために、地道に画面から拾った要素をもとに作画解釈をするしか道がなかったのだ。余談であるが、ぼくが最もよく書けた記事はこれ。今見ても、ああ、これ以上は書けていないなとおもう。まあそんなことはどうでもいい。いまは大匙屋さんのことだ。

かれの知識や資料の数はとんでもなく、的確にそして簡潔にわかりやすく記事を書く。すごいなあとは思いつつもなにか違和感が残る。その「違和感の正体」は別の方がしっかりと指摘されている。

大匙屋さんについて。大匙屋さんに向けて[かなり深刻な記事]
http://blog.livedoor.jp/chokohame/archives/52040008.html

ぼくはちょこハメさんのこの文章が絶妙だと感じている。
じぶんではこれ以上の的確さは出せそうにないので引用させてもらうと、
「大匙屋さんならもっと行けるはず」という考えはあるんだよね。つまり、しつこいようだけど(笑)、「寒天プールについて中立的、あるいは可謬主義的スタンスを保ったまま批評することができたはず、体系的な成果を得ることができたはず」という思いがあるわけ。三回ドカンについても同様で、帰納によって体系化する姿勢を見せながらもやはり批評的なスタンスの保持を諦めてしまう。
(中略)
おれが気持ち悪い奴(妙な奴)なだけなんだけどまあ、この気持ち悪いやつをも承服させるレベルに大匙屋さんは行ける可能性があるということなんだよね。
そう、もっといけるのだ。身も蓋もない言い方をすれば、めっちゃ体系化するような素振りを見せておいて最後はどこかに放り投げてしまう感がある。なにか本人には考えがあるのかもしれないが、当時から、この記事には全面的に同意している。ああそうそう、ちょこハメさんもすごいよ。ぼくはずっと作画でもアニメでも書くことに復帰して欲しいと願っているし、当人にもその思いは伝えた。ブログを書く上ですさまじい影響を受けたのは、ちょこハメさんと大匙屋さんの2人からだけ。

ちょこハメさんについて書くならば、野中作画の点だけで十分だろう。2014年当時、野中作画のタイミングについて、「木上作画のコミカルなやつ(と手触りが似ている)」とすっぱり言ってのけた。当時はまったくもって理解できなかったが、2019年になってようやく理解できた。野中のタイミングがきわめて異質なもの(そして特別に斬新なもの)であり、その上で木上作画のタイミングを持ち出せる人はいない。竹内とか田中とかはだれでも言える、木上や上妻作画は出てこない。持ち出せない。それだけ。あ、ちなみに凪あす17話まだ未見です。すいません。

彼ら2人はウエブアニメ評論として代表されるべき人物だ。スパチャされるべき。投げ銭されるべき。それだけは間違いない。あ、ちょこはめさんはちょっと文章が難しいかな・・・。いや、ぼくはあの文章が好きなんですよ。ああいうクセっ毛のような文章が好き。いっけん難しく見えるけど、取り繕うようには難しくしていないので明確に分かる。2年後とかに読むと理解できる。最後に大匙屋さんへ。「磯作画について書け」って毎度毎度ぼくは言ってますけど、これ冗談じゃないよ。2009年のあのラブレターのような磯光雄についての記事を見ると、あなた以外には書けないとおもう。

↑このページのトップヘ

©GOMISTATION 2012-2020 All rights reversed