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カテゴリ: 雑記



<「リアル」と「リアリティ」について>

こういう記事を読んだので。この記事に限らず、リアリティについての誤解はよく見る。

憲兵までゆるふわ化してしまった『この世界の片隅に』
https://vergil.hateblo.jp/entry/2020/08/22/083835


まず抑えておくべきは、リアル(現実)とリアリティ(フィクションにおけるそれっぽさ)の違いです。リアルはみなさんの生きる、この現実世界です。ご飯を食べるときの箸の使い方、車の動き方、電車の電光掲示板、雲の動き方、雨の降り方、打たれ方など、さまざまです。よくある勘違いとして、フィクションの映像作品において「ぜんぶリアルどおりにやれば、リアリティある作品になるのでは?」というものがあります。断言しますが、これは明らかな間違いです。

たとえば、雨の降り方をリアルにしようと思えば、洋画・邦画問わずに、もっと降量を減らさなければならない。あんなに降るわけがない笑。アニメでも同じです、雨が長い線で描かれるのは正しいのか?正しくないのか?とかそういう面白くない話になってしまう。表現が面白いか/それっぽいか?という部分を失って、正確性を追いかけてしまうと、表現じたいがどんどん狭くなっていく。

以前も述べましたが、リアリティとは「それっぽさ・ありえるかも」なんです。全速力で走ると、こういう走り方になるかもなとか、爆発ってこういう膨らみ方かもなあ、とか。少し後ろにたじろいだときに、女の子の髪の毛ってこれぐらい跳ねても面白いかな?とか。もちろん、あるていどの正確さというのは重要ですが、フィクションはすべて「正しさ」で描けるものではないんです。そもそも、「リアルの正しさ」というのは、それぞれの視点/捉え方によって変わるもので、そこを突き詰めてたとしても、大多数の人を納得させることって不可能なんですよ。

トラを見て怖いと思う人もいれば、かわいいと思う人もいる。流血描写を見て、嫌悪を感じる人とそうではない人がいる。これらの問題を「リアルの正しさ」ですべて満たすことは無理だし面白くもない、だからフィクションならではの表現が生まれるわけです。むしろ、ここがフィクションの根本的な部分であり、最も面白いところだと思う。

「片隅に」おける憲兵については、あれぐらいでいいと思うんですよ。だって、メインテーマではないですもん。すずさんという一市民がどういう風に戦時を生きたか、ということが重要なのであって、モブ憲兵のディテールについて過度にやったとしても映画の面白さに寄与はしないと思う。そこにコストを割いても意味がないんです。というのも、別に「片隅に」は、なにかの政治的な、信念的な、プロパガンダ映画ではないわけですから。映像視聴の際に、正確性や整合性にこだわりすぎることで、いいことは全くありません。




<過剰な可視化>

ネット上でもはや可視化されすぎてしまった。現実とSNSの垣根はなくなりつつあり、個人とSNSのアカウントは紐付けられた。もはやネットの人格というものは存在していないのかもしれない。

ただこの可視化については、市民同士のごたごたが多い。一方で、可視化が必要なこと、つまり「本当に情報を出すべき」存在の可視化はなされていない。この代表例は、警察の取り調べなんか。本当に可視化すべきことがなされず、人々の間で相互監視な過剰可視化社会になってしまっている。一般人どうしでは可視化が進むけれど、権力を監視する可視化は進んでいない。




<画像>
はい、みなさん最高にエッチな「画像」を1枚だけ思い浮かべてください( ^ω^)
虹でも三次でも良い
さて、マジックのようにみなさんのエッチな画像を当てます( ^ω^)


( ^ω^)そろそろいいかな?












( ^ω^)それたぶん「なにか服を着ているキャラ」でしょう
( ^ω^)つまり、素っ裸ではないのだ

裸体のエロさって動画的なんですよ。連続してエッチな会話や息遣いや雰囲気があるからエロく感じるわけで。その瞬間でえっっっっっろと感じているわけではない。二次元で、こりゃあエッチッチコンロ点火すこすこスコティッシュフォールドと感じる画像に、全裸って少ないんですよ。

つまり、「抜ける裸体画」ってくっそむずいんです。
誤解しないで欲しいのは、うまいとか骨格がどうのこうのじゃないんだ、大事なのは抜けるかどうか。ぶっちゃけそうでしょ?どれだけ解剖学的に正しくても、どれだけ整合性が取れていても、抜けないエッチ絵に価値はない。ぼくの文章の文法や構造、接続詞などなどがいくら正しくても、記事の内容が面白くないと価値がないのと同じ。

なにが言いたいか。
裸オンリーでエッッッッッッな絵をかける人はめっちゃすごい可能性が高いからフォローしていったほうがQOLが上がるということ。そうやって追いかけていくと、自分の中の性癖やフェチが分かってくる。大事なことです。


<※追記>
同人で書いた木上記事、そろそろブログ上で公開しようと思います。ブログ版。


■放課後ていぼう日誌
配信で勧められました。魚や血に免疫のない、都会っ子が田舎に引っ越してきて、なぜか釣りの部活に入るというお話。そこそこ面白い。主人公の趣味の手芸との絡ませ方も上手い。「釣った魚は食べる」ことに主眼を置きつつも、ヒットしたときの快感、いろいろある釣りの種類それぞれの楽しさ、これらも良い感じかなと。

部長のスタイルがたぶんいいんですよ、この作品は。「釣っても釣れなくても」、みたいなのは別に珍しくないですが、部長は「釣りに関連する物事」すべてを楽しんでいるように見える。だから、みんな楽しそうに見えるのかなと。これは「天」の「赤木しげる通夜編」とも少し似ている点があって、あのとき赤木は「不運なことで気持ちが落ち込むことも、別に悪くはない」とかそういうこと言ってたはず。釣れなくても、事故で竿が折れても、フナムシに脚を噛まれても、そのことじたいで落ち込むことはあっても、べつにそれが悪いとは思っていないんだろうな、みたいな。それを含めて、釣りと思っているんだろうな。釣りの環境すべてを受け入れている。そういう態度が部長にはある気がする。


「部長の生足で抜かないやつは全員バカ」と配信で言いましたが、これは変わらず。断固として。しかし、ピクシブ18禁では、長身無口娘がなぜか人気でした。逆張ってんじゃねえぞハゲども。部長以外おらんやろがい。しかし、じっさいに、部長のそういうエッチな絵を見てもピンと来ない・・・。いや、放課後ていぼう日誌じたいにそういう感じがない。珍しいですね。



■ソウルイーター
10年前のものにハマる感じになっている。全巻大人買いしたせいで金欠や。1~6巻、最初のメデューサ戦くらいまでは圧倒でした。いやーすごい。「武器職人としてデスサイズを作る」という根本は後半になるにつれ、薄れていき、マカちゃんが出てこない巻数も多々あった。メデューサの支配下にあったクロナを救っていっしょに学校に行けるようになった話は泣きそうになった。そこからあれだからなあ・・・ああ、救いがない。

思ったよりも、鬼神、つまり、阿修羅の強さについてはそこまで描けていなかった印象。この世を滅ぼしかねないから、封印したぐらいの強さは、やっぱり表現が難しいんだな。だれも届かない強さ、みたいなのは難しいんですよ。ここは困ったとおもう。後半はぐちゃぐちゃでしたけど、クラスメートたちの活躍も良かったですね。ふつうに熱かった。ぼくはもみあげくんがけっこう好き。

アニメ版はまたラストの結末が違うらしく、見てみてるとおもう。1~4話ていどまで見ましたけど、ああ、これはボンズ信者を量産しても致し方ないなと。これ以降のアニメはどんな目で見てたんだろう。あと、ぼくは小見川千明すきなんですよ。しかもこれが初声優作品という衝撃。これキャスティングしたやつどんな脳みそしてんの?よう踏み切ったわ。




<+の内容>
えー野中正幸記事( ^ω^)
もう顔文字でもごまかせなくなってきた( ^ω^)

7月余裕!とかいったけれど、
まったく余裕じゃなかった。
すまんな( ^ω^)

8月末~9月くらいか、もうちょい待ってクレイ。8月は本数減るから他のブログに期待を。こんな時勢ですから、なかなか帰省できない人も多いとおもう。ぼくも帰れないんですけど。まあ帰るべき家は売ったんですけどねガッハッハ。今日は親父が夢に出てきてなあ、すこし辛かった。いや、お盆の時期に来てくれたと思いましょう。夢でも会えることは素晴らしい。お線香ぐらいはみなさんも立てるように。では。


もらったコメント
野中作画記事、需要しかないので嬉しいです!
すごく嬉しい。本当に嬉しい、こうやって言ってもらえることは数少ないおれの幸せだとおもう。だから、野中正幸作画記事はふつうに夏頃(7月末には)には第二弾を出せるかなと。その一方でおもうこともあり──

エフェクト作画をメインに記事にしてきて、もうはや5年くらい?今年は、DIYや政治などいろいろ挑戦的な記事内容になってますね。正直に、本音を言うと、エフェクト記事には限界を感じています。手応えがあった記事でもさほど伸びず、コメントもつかず、見返すと自分の中でもしっくり来ず。どうにも木上益治の特集でおれは燃え尽きていました。もうおれの役目は終わったので、次世代に書いて欲しい。次世代でブログを勧めた人は全員辞めてしまった、なんでかのう。業かのう・・・。

今のメインのプラットフォームはツイッターですかね。動画のほうがわかりやすいからね、しょうがないね。ただ、この作画というジャンルにもっとも不足してきたのは、体系化と言語化です。間違っているかもしれない、正確でないかもしれない、そういったくだらない障害に悩まされてここまで来てしまった。そうして、動画をぺちんぺちんと貼るだけの「おれたちだけわかっている感」に再帰してしまうことは理解できそうで出来ません。ブログを始めて作画について考えているのは、ライトな人を増やすことだけです。



おもうこと
※恋愛ラボは神、ぜんいん読め

今年は、先ほども言いましたが、チャレンジな年です。だからこそ、いつもより演出記事を多く書いている。まあエフェクト記事に伸びしろを感じなくなったので、試行錯誤でやっているのですが。あまり(いや、「まったく」だな笑)求められていないのが、とてもよく伝わってきます(※木上益治演出の記事については、あまりうまくいってないんだ)。

実は、エヴァガの記事って今年いちよく書けた記事なんですよ。まあ、生涯いちうまく書けた記事が伸びなかったり受けなかったりは常なんですよ。まあ、こういうのはエフェクト記事でもあるんだけど。これはさ、タイミングが悪かったとかじゃなくて、単純にもうべっこりと演出記事が下手なんだ。書く能力がない。大匙屋さんとか流星の人のブログ見ると余計にね。これはほんとうに、完敗だなあとがっくり来るわけ。嫉妬すら追いつかない。そんで、自分のを読み返すと「あ、たしかにこれは受けないわな」とわかるわけ。内容が天と地の差よなあ。なんかつまんねえもん、自分で読み返しても。

さいきん、こうやってブログの内情を話しているのは、まあ参考にして他の人がやってくれたらいいなという感じともうひとつあって。あとはネタバラシ的な意味でやってる。こうやってぼくはみんなを騙してきました、それは言い過ぎとしても、誤魔化してきました、というネタバラシをしている。

あまりにモチベが下がったときに欲しい物リストをいっしゅん貼ったけど、ああこれ何かちげえなあと思ったし、かといって作画記事かいてもツイッターとかにシェアされるわけじゃないし、指標がないのは意外と辛い。アクセスが上がったと思ったら、過去記事がツイートされてただけっていうことがたくさんある。昔よりアンテナが立っていない。いや、アンテナを無視してる。さっさと次の世代が書けばいいと思いつつ、おっちゃんもまだやれるぞ、という気分もある。PLUTOの1巻を思い出すぜ。スコアの再利用をお願いされるシーンな。


こういう雑記は垂れ流しでほとんど修正しないんだけれど、それはじぶんの今の状態がわかってないから。どんな気持ちなのか、というのは書くと割とだんだんと分かってくる。で、これだけ垂れ流してみてもイマイチぴんときてない。もうちょっと調整が必要な感じですかね。リアルもしんどい。7月に入って少し盛り返してきた感じはある。アニメも見れてる。「見れてる」っていうのがもう終わっとんや。

まあ気長に・・・なんていうつもりはもうないぞ。まあいつも良い状況だったら気味も悪い。逆もしかり。言い訳せずに、焦らずに記事を出していく。かれらの土俵でやはり戦わない、おれの土俵で戦う。それはエフェクトに限った話ではないからね。方向を定めてしっかりと。ふらふらと曖昧には書かないことだけは決めた。ああいう天才共には戦略で勝たないとダメなのだ。

ただ、全体的にこういったアニメブログはシェアされにくい方向になっているような気もする。だから、見かけたらすぐにシェアしてあげよう。ここに限らず。


はてブはてブ03


さいきんはてブからこういったサービスを頂くことが多いので、世の中について書こう。そろそろ、新しいSBMが出てきてもいいころだと思うんだけどなあ。

一般的なスポーツとは明らかに異なっているので、野球やサッカーと比べるのはナンセンス。比較対象としてふさわしいのはモータースポーツでしょう。

<モータースポーツ>
競技人口:幅が広い(10代~40代)
観戦敷居:低い(基本的に車が走るだけ)

<esports>
競技人口:幅が狭い(10代~20代;フィギュアスケートとほぼ同じ)
観戦敷居:やや高い(対人ゲームはヤムチャ視点、ゲームに応じてルールがたくさん)


「APEX」「Shadowverse」「ストV」などの対人ゲームを見るに、プレイヤーとプロの距離感はモタスポよりも圧倒的に近い。同じフィールドで戦っているわけですから。野球やサッカーなどと違って自分もプロ、もしくはセミプロのようになれる可能性が存在する。ただ、競技人口の狭さやプレイングの限界を感じてしまい競技そのものを止めて、結果として、観戦しない可能性も大きくなる。

「プレイヤーかつ観戦する」人が減ってしまう。ここが大きな問題点なのです。繰り返しますが、他のスポーツと異なるのは、プレイヤーとプロの距離が近いということです。「プレイヤーでありながら見る人」を増やすことが先決なのです。DTNがTwitchでアクティブ1万前後を稼いでいるのは、あくまでもストリーマー、つまり「面白い配信者」というカテゴライズになっているからであり、プロゲームとしての凄みを伝えているようには思えない。釈迦は除く

要するに、ゲームそのものの面白さで見ている人がそんなに多いとは思わないんですよね。あのプロ喋りがおもれーwみたいな感じで見ている。その辺に違和感を抱き、対人ゲームの限界も感じるわけです。好きなストリーマーがやっていて、そのプレイを見て実際にやったけど、オフゲーじゃないから、終わりがない。区切りがない。それで、また同じジャンルの別のゲームに移っていく。付いていけないですよ。



だから、これからのesportsでは「オフラインゲー」を大事にすべきと思うんです。つまるところ、「RTA走者」なんですよ。ここが日本では、すさまじく過小評価されている。そもそも、esportsの意義ってなんですか。ゲームが上手い人をプロゲーマーとして、ゲームを競技化させることですよね。それだと、やはり人口を増やさないといけない。

昔のゲームなら、わざわざルールを覚えなくて済む。自分の知っているゲームのRTA走者を見て、懐かしんでバーチャルコンソールやSteamで買ってやろうと思う。これで「プレイヤーかつ観戦」の人口が増えていくわけです。ゲームありきなのも良いところですよね。

結局、ストリーマーありきになってしまっている、それが伸び悩んでいる理由であり認めて改善しないと斜陽にずるずるとなっていくように思います。

<参考文献>
RTA(リアルタイムアタック)は次のeスポーツカテゴリーになれるのか? 「RTA in Japan」に聞いてみた (1/2) 


[P.S]

Shadowverse 06_03_水 23_33_11 

Apex Legends 06_03_水 23_31_27


( ^ω^)・・・
( ^ω^)・・・なきたい


つらつらと(C97です)
告知;木上益治のドラ作画特集(C97/12月28日)

-yAhwBKz
(最初お話をいただいてからの計画とかメモとか)



自分の文章を客観的に見てもらえる
良し悪しは分かりませんが、やはり冗長になっている部分は指摘してもらった。とても自分の文章がシュッとしますね。シェイプアップする。洗練されていく。見直して削っていく作業は自分でも行うことですけど、やっぱり一人では気づかない点はあるわけで、他人から指摘してもらうと文章っていうのは全然変わります。


ブログとは書き方がまったく異なる
自分がブログで記事を作るときは、「それじたいにまったく興味がない読者に見て読んでもらわない」といけないと思っているので、「合いの手」とかを入れているつもりなんですよ。はい、みんな次の画像がすごいから見てね。みたいな文章を入れて、これすごいでしょ?ってやって、じゃあ今度はこれの説明に行きますっていう感じに「ここが大事!!!」っていうのを何度も繰り返すわけ。じゃないと、スルーしちゃうから。同じ主張を何度も書いて載せないと、ぼくら読み手は簡単にスルーしちゃう。自分の思考で文章を補完・解釈しちゃうので。

同人文章だと、そういうのはむしろ邪魔になっちゃうわけだから、一回目に送った原稿はすごく冗長で長ったらしかったなあと見返して自分でも思う。ふつうに合いの手を入れちゃってましたからw


コミュニケーションと、「結果さえ良ければ」の危うさ
「コミュ力」というのは日本で忌避されがちですが、コミュニケーション自体はとても大切。この場合における、「コミュ力」とは相手に自分のやりたいことや、画像を載せる意図を説明する能力のことですね。これはもう相手と何度も交流して培っていくしかない。今回は編集の方がとても寛容な対応で、やり取りも普通に行えました。今まで商業も合わせて何本か書きましたけど、なんというか提案や発案をすると、だいたい否定されてきたので・・・そういう全否定の恐怖がなかったのは本当に良かった。

書き手と編集さんお互いに発案して、お互いに案を否定するのではなく、「こうした方がより良いのでは?」というコミュニケーションができて本当に楽しかった。仕事にせよ、アニメ以外の趣味にせよ、なんというか「こいつはキツイぜ!」という人と出会うことが多かったので、最初は涙目でビクビクしてました(その後、解消したのは言うまでもなく)。もちろん、寄稿依頼から始まったとはいえ、恐怖の方が大きかった。もうトラウマだったんでしょうね、ライティング作業みたいなものは。

世の中には、一緒に作業をさせてもらって、こんなに素晴らしい人がいるんだなあという気持ちになりました。もちろん、大変な作業もあったし、メール返信が遅れて編集さんに迷惑をかけた部分も多々ありましたけど、そこを補うのがコミュニケーションや思いやりだと思うので。

結果さえ良ければ、後は何でもいいやっていうのは長期的に見てナンセンスなんですよ。そういうのは、塾業界の方がよく分かっている。

塾業界に関わっていたので分かるんですが、「すべて合理的にやればいい」って実は典型的な失敗パターンなんですよ。これで失敗している講師を何人も知っている。「子どもにはこうやってこのルートで教えればいい」という風にすぐにマニュアル的、自己完結的になってしまう。けれど、それぞれ理解度も習熟度も苦手な部分も違うので個々の対応が必要なわけです。字の大きさ、クセ、それぞれ異なるわけですから。それぞれ伸び悩んでいる、理解がもう少し足りない生徒がいて、それをマニュアルどおりにやってダメだなと生徒の責任にしてしまうともう明らかに伸びなくなってマイナスになるんですわ。

いや、勉強してこない生徒はダメですよ。ただ、そこの原因は塾生と話しますよね。家でゲームを長時間やってしまうのか、部活動で忙しいのか、そういうところでコミュニケーションをする。コミュニケーションするだけで、生徒にも負い目があるので精神的にスッキリする。会話をすることで、お互いに信頼するようになる。親以外に頼れる・信頼できる大人と認識してもらうことが、塾って実はいちばん大事なんです。これは塾や教育関係の人にとてもよくわかってもらえると思う。なんのはなしだコレ。

話が脱線に次ぐ脱線で南極大陸までいきました。閑話休題。


・レイアウトはとても難しい
DTP(デジタル編集)の段階になると僕はInDesignが使えないので、自分のレイアウトが伝えにくかった。これは今後の課題ですね。三段B5用紙だったので、あるていど想定はしましたが、字数が増えたら、とうぜんそれに従って段落も変わってしまう、画像も変わってしまう。こういうところで、レイアウトの難しさを経験しました。ある程度、最初に決め打ちしとくべきなんでしょうが、自分の理想像すら曖昧でぼんやりとしていたので、仕方なかったかなとも思う。本当はもう10枚ぐらい画像入れたかったんですが、そこがやはりレイアウトと文章バランスの難しさです。



・書きたい結論が決まっている場合
以前あったケース。申し訳ないけれど、ご自分で書いた方が速いのではって話にどうしてもなってしまう。結論が決まっていて、そこに向かっていく文章を書くことは、ニュース記事のような単純な事実の伝達と同じと思います。これってとうぜんのことだと僕は考えますけどね。

少なくとも自分は、より良いものを作る人と一緒に何かをやらせてもらいたいので。もちろん、今回は違いましたヨ。他の寄稿者の方やアニメーターさんからすごく刺激をいただきました。良かったです。商業と同人では異なる部分もとうぜんありますでしょうけど、そういうものを差っ引いても今回のサークル様は素晴らしく体制が整っていたと個人的には思います。

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