カテゴリ: 雑記


七夕から竹の表現特集(あるのか?)、もしくは「アニメにおいて天の川はどのように描かれてきたのか」とかやったらウケるかもなと思いますが、いかんせん多忙でした

シン・エヴァのアバン1良かったですね。自分は新宿の会場で見ました。もう本当に2時間立たされてヘトヘトだったけど、そんなの気にならないくらいの良さがありました。真摯さがありました。完結へ向けて動き出しているんだなあという感想がある一方で、やはり奥底では「もっともっと」を求めてしまう。「Q」はアバンも壁面上映も出来すぎでした、というか2012年はいろいろとすごく出来すぎだった。



久しぶりに短冊も飾った。

「Q」やシン・エヴァでは、破まで特技監督を務めた増尾さんの偉大さが伝わる画面になっている箇所がいくつかあったような気がします。多すぎるような、少なすぎるような、その微妙なディテールの塩梅を、全員で埋めようとしている。序の画面の精緻さは早く記事にしたいなと思います。


報告の記事を書く余裕があれば、アニメについて書けと言われるのは重々承知の助。「盾の勇者」「ウテナ」は隙間があったら見ます。


■友人にブログがバレました\(^o^)/

同窓会のときに書いた懸念が形となって出てしまった。いや、なんだろう、この感覚は。やっぱりなあ、リアルとネットは分けたい。そういうのがどうしてもある。ニフティ世代やデジタルネイティブ世代は違うのだろうけれど、ぼくはリアルが入った途端に、感触が異なってしまうのでないかといったことがやや怖く。つまり、リアルにおける姿や印象の情報がネットのそれと接続されたときには、良い方向にも悪い方向にもひどくバイアスがかかってしまいそうなのだ。

たとえば、ネットで仲良くしてもらっている人々とリアルで交流したとすると、そういった人々がとんでもなくひどいことをしようとするときに、果たしてストップの一言がかけられるかどうかが微妙なのだ。もしもクリエイターであったならば、その人の作品に身内びいきが入ってしまわないか心配なのだ。そういった観点で、そういったバイアスを減らすべく、接続を極力避けてきた。まあ、その辺は変わりつつあるような気もする。


まあこのような話よりも、「どういった人物」にバレたかどうかが読者は興味があろう。興味がなくても、まあ暇つぶしに読んでみてくれ。

そう思うので、かれについて取り上げる。かれとは小学校3年からの付き合いで、もう二十年来の仲だ。おそらく親友といって差し障りない。かれの家にいっては、かれの父親がいない間に、パワプロをやり、桃鉄をやり、だらだらと過ごすことが多かったようにおもう。ぼくの家庭は門限が厳しかったがために、わざとパワプロを終わらすと「手を抜いたな」と言われ、門限ギリギリ家路についた後、「怒られなかった?」と嬉々とした様子で固定電話をかけてくる、わがまま放題の悪ガキ大将であった。

小学校のとき既にかれは身長が高く、まあモテた。脚も速かったし、そんなもんだ。けっして顔はすごくよい方ではない、ただ会話・交渉は巧みである。そういった類のものを使わせると手に負えない。人によって戦術を変え・・・といったレベルではなく、もはや言葉を自分の手足以上に器用に使える。おまけに、足も速い。モテないはずがないだろう。かれの度重なる恋人の登場や、他の友人の恋模様を、まあさまざまにおれは傍観していたので、観察眼や分析は磨かれたように思う。なにも嬉しくない。

さて、ここからは推測であるが、かれの本質は、おそらく「寂しさ」である。かれは誰にでも取り入れられるし、仲良くなることは可能であるが、それ以上につまらない会話や交渉、社交辞令にうんざりしているのではないか。すなわち、他人と接し相手の心を開かせるのは非常に得意であるけれど、そういったことは本当はしたくないのではないか、ということだ。これが何を意味するか。ストレスの蓄積である。おそらくかれは、他の人が思っているよりも、内心つまらない時間が日常でとても多い。そういったものまでもすべて隠しつつ、また興味もない他人と興味もない会話を楽しげにしなければならないのだ。大変そうだ。隠しているものごとが多すぎるのだ。

かれにはうまいことやられたと思っている。どうやって彼を貶めようか、とおれこそ楽しくブログを書き始めたはいいが、なんとなく、かれの本当の姿(=普段あたかも楽しいように演じているピエロ)を知っていると、どうにも無茶なことは言えない。あと、かれは荒唐無稽なアイデアを言い出す。たとえば、「デリヘル経営って風営法届け出さずにできないかな?」のようなことを言い出す。まあ、ぼくはかれに「だれかがやっていない時点で、おそらく成立しえない。風営法を知らないぼくらが話しても時間の無駄である」と、きわめて本音と論理で返すのだけれど、「今日はやけに全面否定だな」と少し不機嫌になった。いま考えてみると、かれにとってはただの世間話であったのかもしれない。ぼくがマジに返しただけである。かれはただ、その成立するかもしれない事業に対して、あれやこれらを、日常のつまらない会話ではなく、おもしろく語りたかっただけだろう。それにしても、全否定はよくない。ネットでは諭され、リアルでもやや怒られるということは、おそらく、本当に直した方がいい部分だ。


まあ、このような人間に、おれのプライベート中のプライベートである6年間もやっているブログを見られるということは、もはや公衆の面前で素っ裸にされるのと同じことなのだ。まあかれの嫌いな部分といえば、なにをしなくても国語の点数が良かったことくらいだ。嘘です、まだまだあるわ。20年近く女を取っ替え引っ替えして、青春を謳歌したことも憎悪しております。小学校のころ、バレンタインデーになると、かれのいえの玄関のドアノブにチョコが何個もかかってるんだぜ?信じられる?。ムカつくな、という方が無茶である。こちらに紹介してくれたことは何度あるが(「これ自体に感謝しろ!」というのはもっとも)、なんでかおれが女と喋れないのは、読者のみなさんも御存知の通りで。気の強い女性は未だに苦手だ、これは完全に姉が原因だ。まあ、なぜかれと友人なのか、未だによく分からない。ひとつ言えることは、おれは小学校のときから虚弱であった。小学校のとき林間学校に行ってもそれは変わらず、具合がやや悪かったが、そんな自分をひとつたりとも笑わずに、それとなく慮ってもらったことは、鮮明に覚えているしずっと感謝している。こういう気恥ずかしいポエムが書けるのも、ブログの特権だ。


さて、かれはまったくとして、アニメや漫画といったサブカルチャーには関心がない。ここまでの話を読めば分かるとおり、まったくとして、アウトドアで活発な人間だ。アニメの演出や、作画なんて言ってもかれはおそらくまったく知らないし関心をもっていないだろう。これからも関心はもたないと思うけれど、そんなかれや、かれとおなじくアニメやサブカルチャーに関心がない人々に、ほんの少しでも関心をもってもらえる、好奇心をくすぐる記事を書けたらいいかなとは思う。もちろん、既に「ゴミステ、更新してねえかなあ」とたびたび来てもらっている方々にも同様である。さいきんはまったく書けていなくて申し訳ない。新作アニメについて一言二言ていどの記事は作りたいが、いかんせん暇がない。

一言二言くらいの感想記事は上げるとおもう・・・期待はしないでください。以上です。


一部の方には伝えていましたが、実は自分の親父が逝去しておりました~
享年50代後半くらい、わけーよなあ

ブログや配信で言おうかなとかずっと思ってたんだけど、なんか言わない方がいいかなあネタにしてるみたいで嫌だなあとかアレコレいろいろ考えましたが、まあ配信で話すと少し気が楽になったので、書いた次第。案ずるより産むが易し。あ、よくそういう状態で同窓会とかに出る気になったな~と配信で突っ込まれたんですが、少し違うんですよ。久々に会う不安や期待もあるけれど、いろいろやってみようかなと、あとで行っとけばな~とか後悔したら嫌だなあと思うようになったので。


2年前ぐらい。ブログでいうと、「宝石の国のプリヴィズ」の記事のあとでした。あのあと新幹線乗って、遺体確認して、通夜・葬式して、という感じで瞬く間に過ぎ去っていったよ。そういう意味では忘れられないアニメになったなあ、まあ嘘なんだけど。この記事書くまで記憶にもなかった。漫画は買ったけど、すごく面白いね!フォスの変化は辛いけれど。

弔事は末っ子ですが僕が書きました。形だけの文章だと通夜参加者にも親父にも失礼というか、もったいないと思ってエピソードを交えて書きました。喜んでもらえたとおもう。こういうところでブログの経験が生きたね!笑。無駄じゃなかった!笑。相当に捻くれている自分ですが、親父とはよく似ていて、家族の中でいちばん気があったし意見も合うことが多かった。大きな喧嘩もたくさんしたけれど、もう話せないと思うと、それだけで息が詰まる。みんな家族が元気であれば、可能な限り少なくとも話はした方がいい。顔だけでも見てあげた方がいい。大事にできなかった自分が言うのはダメかもしれないけれど、大事にしてあげてください。

もうオカンも還暦すぎなんで、覚悟はある程度しているんですけど、この前も骨折って入院したりで不安定でした。そういう意味で、ブログは、一時期もうどうでもいいかなあとか思っていたんですが、まあこれからもアニメや映像を見続けていくだろう。それは間違いないなと思ったんで、まあなんというかゆっくりとした航路にお付き合いいただければと思います。ずっと前から不定期ですけど、これからのテーマは「いろいろやる!悩んだら記事にする!悩む前に記事にする!そしてオタクを怒らせて炎上する!」といった感じのテキトーさでやっていければなと思います。

しかし、こういうときのソーシャル系ボタンは使えないなあ。この記事に、「いいね!」「拍手」とか心理的にできるわきゃないだろう。そういう意味では、ツイッターのハートマークへの変更は先見があったのかもしれません。クッソどうでもいいね!まあともかく、これからも面白い楽しい記事を書いていきたいので、よろしくお願いします。



【追記】
みんなわかってるね!!おれが上のような記述をした時に拍手を押せる人、おれの心を分かっている笑。いやじっさいは違うのかな、まあどっちでもいいか。というか、普段から読んでくれてありがとう!これ忘れてました。好感度上げとかないと・・・笑


「批判すると仕事がなくなってしまうから」というなんともジャーナリズムにあるまじき情けない理由で、批評活動は、今日において日本内アニメに対してほとんど行われていない。それでもなお、「なんちゃって批評家(実情はインタビュアーだろうな)」を褒め称えて、かれらの仕事を評価したために、アニメ・漫画映画からは批判性質が失われた。これは、しみったれた前世代的な「知識量を権威」とみるところに起因する。つまりは、たくさんの知識を所有しているから権力がある、という風潮は未だに根強く存在しているのだ。目の前の箱や板によって差異が少なくなったにもかかわらず、知識の所有の優位性(「あの作品にはこんな裏話があった!」という態度)にいまだ強引に縋り付いているのだ。知識優位的権威の姿勢は、批評から批評性を奪い映像評論を成り立たなくした。同時に、批評することによって得られる体系化もされてこなかった。

つまり、いま僕たちが見ているアニメは、どのような風に地続きになっているのか、だれもかれもさっぱり分からないのだ。体系化など微塵もしてこなかった。そして、一部のみが、その地続きを所有している風に見せかけており、あるときは隠したり、あるときはまるで全て把握しているかのごとく喋ることで権威を維持している。眉唾ゼロ年代批評もその一部である。「なにか賢そうなことを言っている」という、逆説的な知性のなさに、批評性はまったくとして必要とされなかった。そこに、「知性がありそう」と思わせるだけでアニメオタクを錯乱させるのには十分だった。

現状、地道に良いところ/悪いところを列挙しても、「悪いところ探しをするな」と言われる事態だ。比較分析すれば、「好きなアニメを持ち上げるために、別の作品を持ち出すな」と予想外の家から投石が届く。この国民に批評は早すぎたとしか思えない。ひとたび意見すれば、否定と勝手に誤った認識を起こし拒否を行う。否定と批判と、嗜好と分析、主観と客観の区別がつかない。そんな論理性が欠けた国民であるがゆえに、アニメ批評の土壌は育たなかったし、これからも作られることはないだろう。


さあ、「知識を捨てよう」といっても受け入れられない。なぜか。知識こそが彼らのアイデンティティであり、彼らの自尊心を支える石杖だからだ。それを捨ててしまっては何もできないのだ。なんと情けないことか。かれらは汚くなってしまった十二単を脱げない平安貴族である、さて脱ぎ捨てて楽になろうと言ってもなれない。なぜか。それが、彼らにとってはステイタスであり常識だからだ。腐り果てるまで、十二単を脱ぐことはないだろう。

知識は楽しむもので、知識ありきの態度を他人に押し付けるものではない。所有していないと駄目なものではない。クリエイターのインタビューなど、眉唾ものでその発言は信じるに値しない。いちばん大事なのは画面である、それだけ。そんなシンプルなことを5年続けても、ほとんど伝わっていないと思う。「画面を楽しむこと」はひっそりと忘れ去られている。副産物であるクリエイターの裏話などが主たる”批評”になっている。未だにあのようなエセ批評家どもの文章を読み、文章やコラムに金を払っているのがその証左であり僕の憎悪だ。はっきり言ってしまえば、ぼくはアニメを見る習慣などない。アニメを見ない理由にとくだんのものなどない。だからこそ、ほんとうに偶然別の角度から入ってこれたと考えているが、これだけ多くの人間に本当の意味での思考や寛容のなさを感じると辟易する。

いつまでも親鳥のエサを待つ小鳥のようだ。

知識満点のステーキコラムを読み─
それらしい要素が散りばめられたエッセイを読み─
汚いコネ知識に金を払い─
とんでも理屈に感銘を覚え─
いっけん賢そうな論壇を真似していく─


そうしていつまでも、本質たる画面を置き去りにするのだ。画面の技術やクリエイターを「わからない/知らない」と言えない社会は息苦しい。気軽に教えてもらえない雰囲気が漂う社会はつねに苦痛で嫌気が指す。「知っていて当然/知っているべきだ」という態度や前提がいかに多くの人を遠ざけているか、諸氏は自省されたい。

クリティックの存在しないアニメ言及は成長せず、フィードバックもないので、アニメそのもののクオリティも向上しない。脚本家は推敲を繰り返し、原画マンは不眠不休で働き、動画マンは貯金と命をすり減らし、制作進行は何人も過労で倒れる、そうやって作られた作品自体の批評をさして行わないのだ。異常ではないか。現場を考慮して同情的になることは、むしろ彼らにとって侮辱的ではないか。彼らの労力をただ称えたり、彼らの血反吐に前時代的な拍手をし感動ポルノ化させ咀嚼するのみが僕らの役目か。きわめて懐疑的にならざるを得ない。

本当に評価されるべきクリティックは評価されずに、ネットを漂っているばかりで見ていられない。アニメーションという素晴らしいものはあっても、この国にはそれは早すぎた。いち映画監督である山本寛が、前述した批評家たちなどとは比類しない批評的文章を開陳できる現状は正直に言って異常というほかない。


[追記]
わかりにくいのは僕の文責なんで、チラ裏はどっか他所でどうぞ。ゼロ年代批評のあの賢そうな文体は嫌いな人も多そうだから反発する気持ちは分からんでもない。ああいう感じを皮肉ったつもりだったんだけど、後出しじゃんと言われたらそれまでだねえ。そこはすまんごねえ。というか、表面はどうでもいいです、内容の批判なら受け付けますよ!議論しましょう!


■情熱
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去年は、みなさま御察しの通り、情熱が奈落の底まで暴落しました。それは記事にも現れていると思います。そのかわり、なんとアニメをわりと見れている。自分でも驚くばかりです。ゴブスレ、ゾンサガ、よりもい(※メイウザはどこへ…)、同時進行で3つも全部視聴したという快挙。おどろき桃の木山椒の木。


■考え深くを捨て、決断はやく
考えに浸ること多く、記事を作っては消し作っては消し、アイデアが浮かんだはいいが気力がない。ということで、今年は、考えを外しはしませんが、深さを水たまりレベルまでにはもっていきたいなと思います。決断はやく、作る記事を絞っていこうかなと。絞ったら、とことんやろうかなと。去年は、あまりブログ記事受けず、まああんまり面白い記事ないなあと見返してもおもう。テンポ関係ぐらいですね。


■企画とか
あとは、配信とかで面白い映画とかアニメを教えてもらうことが多いんですよ。だから、これをブログに逆輸入して、読者の方からおススメを教えてもらおうかな!と。メールかなんかのシステムで募集して、とりあえず送られてきたオススメ作品には反応します。コンセプトは「これならイアキを倒せる!」という感じでお願いします。150%納得できたら、いくら天邪鬼の自分といえど、ああこれは素晴らしいナアと感嘆に浸り記事を作るであろう。ということで、最高の、オールタイム・ベスト、惚れた作品、そういったものを、聖水のようにですね、私に投げつけて浄化していただければと思います。


あとは、どうにも悪いところ探しちゃうクセが付いてるかなあと思うので、良いとこドリップな考えにしていきたいですね。まあ、年始で変なテンションですから、これら半分でもできたら御の字も御の字です。昨年も、たくさんの方に見てもらい感謝でございます。今年もよろしくお願いします。

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