GOMISTATION.OLD01

I LOVE U,I KILL U

はい、あけましておめでとうございます。
(かなり遅すぎですが)あけましておめでとうございます!
この前に1*着せ恋2期が怖くて見れねーだの悪役令嬢転生おじさんのopが好きだのほざいていた者です。まさか記事にしてくれるとは思わずテンション上がったンゴ(^^)

ところで話は変わるんですが、2*今年の灘中の入試(国語)でパレスチナの詩が2作出ました。何というか、2-1*トップ校が入試かくあるべしと模範を示してくれたような気がして心から安堵しました...。2-2*頭の体操みたいな問題もいいけどさ、こういう真摯な問題もいいよね...。
今年もよろしくお願いします / 2026から引用

1*
ああその節は…といってももう覚えてなかったですわね。記事みて思い出しました。たぶん竹内哲也オタクだろうなっていう勝手な偏見で考えてたかな。まあ、今もそうですが、ここ数年自分の中で停滞期なので、ああいったものをいただけるのはありがたいです。

着せ恋2期に限らず、あまりにも出来が良すぎると、「こ、これ以上のものが存在するのか?」といったハードル上げにつながりますね。これは前も述べたと思います。

着せ恋はどうなったんだろう。ボクはハニエルの段だけみたい。ああ、そういう人間だなあと最近しみじみ確信的に思います。本編全体のクオリティなんてどうせない、という前提から、気になってるところだけ見れたらいいかなみたいな。物語全体に興味は抱けない。
(※長くなったので後半に分割、読まなくてもいいです)


2*
はい。とても話題になっていますね。
教育の端っこにいた人間として、とても興味がある話題です。
https://x.com/kazu_fujisawa/status/2013128178336747737

まず1つ目に感じたことは、「東大入試(2003/数学)で『円周率が3.05以上であることを示せ』という問題が出たときと同じ流れ」だなあと。つまり、時事関係での出題ですよね。これは時事問題と呼びます。日本において最高学府の1つではありますが、その権威をもってして、作成された問題をすぐさまに評価するのはいかがなものかと思います。

これは、2日目の大問3(※後で説明)ですね。2つの詩ともに、一方的な民間人が虐殺される悲惨さ・無力さ(※ガザ侵攻についてはそう言っても差し支えないでしょう)を伝えるものでした。こういう割と衝撃の強い文章も出すんですね。チェンソーマンの影響かな。

ちょっと辛辣かもしれませんが、思ったことを書きますね。
(※コメントしてくれた方、というよりは一般的に書いてるので、気にしないでね)


<おもう問題点>
1、表層で評価をしてしまう人の多いこと:これは構造として「炎上商法」と同じ
2、この作問の対象は受験した子どもではなく、大人であり社会全体です。「問題そのもの」としての評価はすでに歪んだ。
3、東大・京大、他旧帝国大学を中心に大学進学をさせてから国家官僚を何百人も輩出してきた、灘中がそれを問題にするのはいささか欺瞞ではないか。内省的な態度はないのか。



1、表層で評価をしてしまう人の多いこと

これは構造として「炎上商法」と同じです。

まず前提として、灘・甲陽学院中学(関西圏の中学入試)は「連続した2日間にわたる入試」を行います。同じ科目を2日連続でやる(※時間も難易度も違う)、極めて特殊な入試形式です。灘の場合は1日目が知識問題と長文、2日目に本格的な読解をさせます。

灘中学校の受験傾向と対策 | プロ家庭教師なら 四谷進学会
https://www.yotsuya-s.co.jp/result/19797.html

んで、入試傾向として「詩」を1つの大問として扱うことが多いです。5000文字ていどの読解を大問1、2として暑かったラストの大問3に配置されていたと記憶しています。2日目の大問3で出題されたのが、今回話題となっている「詩 (ガザ侵攻)」です。

約5000文字と言っても、共通テスト(旧・センター試験)に出る大問は約8000文字ですので、それを考慮すると、小学6年生にどのような分量を読ませているのか理解できると思います。


なにが言いたいか。
つまり、僕らが読んだのは「1日目、2日目を通した、灘中国語の大問1つ」にしかすぎません。それで、「なぜ灘中の国語を評価することがすぐさまにできるのですか」という疑問があります。他校のそれ(つまるところ、もちろん「詩」の題材です)と比較もしていないのに。できないですよ。

もちろん、ボクは灘中の入試をほとんど知らんですが、「作成された問題」に対して、「時事的なものであり、思想的な/センセーショナルな文章が含まれる問題を出題した」という観点だけで安易に評価をするのは危険です。非常に。

それで、人類は時として薄っぺれえ表層によって誤った評価をします。

・石破茂は顔がなんとなくイヤ!→きらい!→クビにしろ!
松本憲生がプリヴィズのラフ原を書いたから→(完成映像は)すごい!
・うさぎのVtuberが違法なROMを使った→やばい!


これって「正しい評価」ですか?何らかの手続きを踏まれてきた評価ですか?
なんか論理が飛躍していますよね。石破茂はたしかに顔面がネットリしているかもしれません。しかし、それがなんの政治施策の評価と関係するのですか?松本憲生はたしかに偉大なアニメーターの一人ですが、かれの役目とCGでの活用方法は別途なはずです。確かに110ちゃんはきわめて黒いROMを使った可能性が高いですが、それで彼女のストリーマーとしての評価をすぐに下げることは短絡的です。


5秒」考えたらわかることを日本人はしません。
(※何度も言うけど、コメントしてくれた人を非難しているわけではなくて一般的な問題ね)


2、この作問の対象は受験した子どもではなく、大人であり社会全体です。「問題そのもの」としての評価はすでに歪んだ。

たしかに灘中の詩はいいものでしょう。考えさせられる題材です。
これは明らかに社会へのメッセージ性を含んだインテリ臭さ、もっといえば「クリエイター気取り」です。おめえらガザとか難民の苦しさとか知らねえだろって感じ。お高くとまってらあ。まあそれを1万歩譲ったとして、では何かしら、ボクたちは「ガザ侵攻」の現状を知ろうとしましたか?この出題の後で。

おれ調べましたよ。ガザ侵攻に対しての日本の援助ってまだ「小切手外交」じゃね?みたいな。湾岸戦争の時代にはよく皮肉られたものですよね。じっさいはそうではないらしいです。確かなソースは微妙なのですが、NPOで後方支援されているようです。まあ、あんなんアメリカのマッチポンプやんな。

少しでも知ろうとしました?「ガザ侵攻」をテーマとして、称賛した時点で思考は停止したんじゃないんですか?


3、東京一工を中心に進学をさせてから国家官僚を何百人も輩出してきた、灘中がそれを問題にするのはいささか矛先をずらしてはいないか。内省的な態度はないのか。

こんな日本になってしまったのは、明らかに国民の問題もありますが、政治家のクソみたいな答弁を正当化もしくは助長するかのような官僚作文やごまかし答弁をボク達は繰り返し見てきました。なぜ内省されないのですか。中等教育の最高学府でもあろう、灘中学校がなぜ反省しないんですか。

あのようなペーパーモンスターを生み出して、反体制でもない反骨精神もない従順な人間をたくさん作成したことに対して、なにか思うところはないんですか?赤木俊夫という学閥からそれた人間を殺してまで、やるべきことでしたか。あなたがたの教育は。まあこれは論理の飛躍かもしれませんね。

たまには内省的な文章も出題してくださいよ。そんな偉そうなポジションにいないで。けったいなところから喋りよるわ。ボクより相当に頭がいい方々なんだから、わかるはずでしょ。そういう出題の方が先ではないですか?倫理的な出題ならば、とボク自身は考えます。


この件に対する反応は、きわめて短絡的です。とかくホルホルしたい日本人が多すぎて残念です。「ガザ侵攻の詩に対する称賛ポルノ化」によって、ボクらはそれらの詩に対して無礼ではないかなとまで考えます。そりゃあ、今度の選挙も自民が安泰ですよ。


■今年もよろしくお願いします

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あけましておめでとうございますですよ。
本年もGOMISTATIONをよろしくお願いいたします、わよ。

えーっとどうしようかな、と思っている部分ではあります。
2019年以前の仕様に戻そうかな。バラした体で戻すのはあれだけど。
流石に「楽しい記事」だけの場所にしたい欲が強い。

スパイトな性質の日本人に嫌気が差している…とかいっても仕方ないでしょ笑
でもネタバラシをしたから、もう逆なのかな?
そういうあるていどの分別と知性がある人(発信すること自体もリスクになってしまうと理解している人)たちには、なんとなく伝わる可能性が大きいとも思う。

まあそういう記事はええか…
いますぐ練炭で一家心中して、大事なものがすべて火の中で燃えちゃえばいいのにねとか書いても、ま、ええか。炭火焼きにコンガリされた子どもを抱きかえているところをカメラに収めたいですよね。家族が黒ずみの死体が川の字でならんでもいい。どれでも素晴らしいことです。

こういうブラックジョークは日本人からするとすごく琴線にふれるようで。
(※でもいま読んでいるあなたは少しギョッとしたよね笑 大脳皮質が刺激を感じている笑)
オレからすると、「法には触れない、地味で不快な(受けて側が)消耗する行為」の方がもっと嫌で実際に害が生じると思うんだけど、これが理解されない。
実害性はどちらにありますか?」という真面目な選択肢を出すと、日本人は途端に言葉を濁す。


みなさん、こういったことご経験ありません?



■日本社会とスパイトな性質
「地味な不快行為はあるていどは、承諾される社会」ではありますよね。銃でも持ち込まれていたらまったく様相は違っただろう。つまるところ、「暴力が存在していない」んですこの日本社会には。

「暴力が存在していない」ということは、「あるていどの不快な行為」を抑制させる仕組みがないんです。社会の構造的に、人間を「躾ける」仕組みがない。だから、ぶつかりおじさん・おばさんは存在するし、スパイトな性質(不快行為を行う)人間が過剰に存在している。

たちが悪いことにこれはその人々が権威や目上に行うのではなく、「自分から見て格下/弱者の人間」に行うところにあります。権威主義的であり、もっというと、なおかつ奴隷的でもある。格下の人間はアメリカのように銃を所持しておらず、反撃がされないことが確定している。そういった部分を踏まえて、スパイト行為をするんです。とても卑怯ではないですか。

目上や権威に対しては、ヘコヘコと腰を曲げ、反撃がないであろう格下の人間にはスパイト行為を行う。これが今の日本社会に対するオレの印象です。奴隷でなおかつ従順、反骨精神などなく、権威といっしょに動くことを良きとする。


--整理すると、
・権威に対して奴隷的である
・権威や構造に対して従順的である
・その2つに対して、無思考的である
・自分から見て、格下に対してのみ攻撃的になる
・なにかに対して意見をもたない  /  それを言葉にすることを空気的に良しとしない
・意見を発信している人 / 戦っている人を冷笑する


恥ずかしい人間性ではなかろうかね?
これから大変な社会になって行く際に、こういう人たちと肩を組んで大きな組織と戦おうと思う?



答えはノーだぜッ!
変わるべきは社会の仕組みであり、その仕組みはひとりひとりの道徳・思考によって構築されていく。

だからこそ、「教育」「思考」「反骨精神」が大事っていう話ですね。
三が日から変な話になりましたが、これが日本社会の病巣であることには間違いありません。
大変な世の中になっていく際に、目をつぶってそれが過ぎ去ることを願うのは無駄でしかない。


■今年も1年お世話さまでしたわよ

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(エイラかわいい)

お世話になりました。
「シンデレラグレイ」ですかね、まともな記事は。
あとは競馬とゲームと仕事とかしてました。
仕事は転職成功から立て直しを図り、技術力の底上げをするために日々勉強です。
(※さいきんはあまりできていないですが…)

思うことは同級生の訃報が増えてしまったこと。
そういう年齢にもなってきたので、身体にも気を使っていきたいですね。
お察しの通り、ブログはまともに更新できる状態ではありませんでした。

ただ、なんというか、やはり自分はどこか他人と相容れない人間だと自覚はしているので、そのあたりの憤りをブログにぶつけたい気持ちはあります。人間が苦手という話ですね。

アニメはまったく見なかったかな。
「機械仕掛けのマリー」をちろっと見たくらい、あとはPV、OPについて配信でぼやいてました。
漫画は「九条の大罪」や「凍牌」ぐらいかな。あとは気に入った作品をただひたすら見直してた。
それぐらい今は、なんとなく同じような毛並み?のような作品がおおかったですね。

言葉を濁さすして言えば「藤本タツキ」系の不条理キャラ56し系、「チ。」であるとか、そういったクダラナイ作品については考えが及ぶことはありませんでした。思想がない。矜持がない。そういったものに自分の目には映りました。何もかれらの作品をみて、持ち帰るものがないんです。



■作画やアニメーターについては?

これはここ5年くらいの傾向ですが、中村豊、松本憲生、田中宏紀の3点バーストぱくりばかりで見る気にもなりません。ただ、野中正幸系のフォロワーが一般層に評価されているのはいい傾向です。作画オタクよりも、一般人の方がしっかりと自分の目で見ていますね。

ボクはけろりらが次世代の100人とかどうでもよくて、さっさと野中を連れ出してこいって言いたい。「バイブリーから救えるのはあなたしかいないわよ、梅原翔太くん」。「九条の大罪」のぴえん事件と同じような気持ちです。救ってあげてください。

彼は超人です。まごうことなく、かれは今後100年にわたって出てきません。それが自分の気持ちでフリーに活動できないのは、明らかに業界の損失であり、今後のアニメーションの歴史すら変わってきます。BTRもノンクレ参加、なにか思うところがあるんじゃないですか。

「バイブリーから野中正幸を救えるのはあなたしかいないわよ、梅原翔太くん」

頼みましたよ。梅原先生。

といったところで、あるていどの希望は持ちつつ来年に臨みたいと思います。
今年は低頻度の更新にもかかわらず、これだけ見てもらえる人がまだいるんだという事実がわかって、やはり少し恩返しをしたいです。

ではよいお年を。


えーといろいろ書いてきました。
・2014年 アニメーション・エフェクト作画 10選+α / 2014
https://royal2627.ldblog.jp/archives/42286758.html

・ガルパン劇場版に見る、エフェクトに込められた技術と意味 / 2016
https://royal2627.ldblog.jp/archives/48837335.html

・「楽園追放」のエフェクト作画から見る、CGと手描きの差異とその見所 / 2015 https://royal2627.ldblog.jp/archives/43188889.html

・「宝石の国」08話/CGとプリヴィズ(松本憲生作画)の比較と分析  / 2017-2018
https://royal2627.ldblog.jp/archives/52552846.html
 
・アニメにおけるワイヤー・ケーブルの作画表現のいろいろと、その両面性 / 2016
https://royal2627.ldblog.jp/archives/48152829.html


10年ぐらいこういうのを続けて分かったことは何個かあるんですが、



・おそらく、自分自身の意見を読んでもらえているわけではない
 →悲しいw

コンパクトな資料性の記事(参照性が高い)がウケているだけ
 →コスパ・タイパよく生きたい人間が世の中本当に多いものです。
 →地盤固めをしっかりとしないと本当はこういうものを参照しても仕方ない。

・意見を読んでもらっても、ホイ卒みたいな返答が多い
 →議論ができない/検討ができない/新たな発見が薄い/建設性がない。
 →昔みたく濃密なやり取りができなくなってしまった。

・だれもが読めるような可読性の高さにしてしまった功罪
 →注意喚起(素人のブログなのでちゃんとした裏取りをしてね)も時々している通り、あれは予防線ではなくて、ちゃんとまともなページ読んで勉強してねっていうこと。
 (※著名な方に読まれているのは嬉しいけれど、どこを参照しているんだろうっていう疑問)


こういうのの積み重ねでイヤになったんです。だれかを不快にさせようという気持ちなんてあるわけないのにね。だから、こういう特集やめちゃった。ウケるだろうけど、そういうのを求める心も少なくなりつつある。


んで、自分自身もこれ以上、こういった特集で面白いものが作れる感じが無くなっちゃった。
求められているのはどうせコンパクトな資料性なんだろうっていう。
「おれじしんの意見ではない」というのを突き刺されるとじわじわと出血をし、幾年も重ねると敗血症になるのです。


もう1点はライバルの不在で、おれとバトれる人間が減った。
所詮は合わせ馬なんですよ自分はだれかが一緒に走ってくれないとソラを使ってしまうしモチベがなくなる。だれも走ってくれない。一緒に走れよ、目の前のお前だよお前。
Twitterのザコどもと走りたくねえんだよ、なあわかるだろ?
病的な執着は君らTwitterの変な語りべたちにあるわけないんだ。命を賭けろよ。

もう1点は、どうせこういうことを言うのは、おれだけっていうこと。
昔の記事の振り返りなんてしたとしても、よう書けてたなこの時期はっていう程度なんで。
「こんな記事もう書きたくない!!!」「読者のお前ら、メンタルが不安定だから助けろ!!!!」っていうのはたぶんおれだけでしょう。


この後の続き、なにか想定はしていたはずなんだけど、忘れちまったぜ。
「野中正幸」と「バンパイア・ハンターD」については必ず出したい(※これ3年ぐらい言ってない???????何の成果もないよ)けど、もうどうしたらいいだろうねwモチベは少しあるけど、これずっと続くわけじゃないし。
仕事が今は楽しいし、やりがいもある。大変なことは多いけどおもろい。

という課題を大晦日に出すっていう笑


着せ替えとうとう完結しましたね。
最終巻はどうかなーと思っていたのですが、素直に最後まで楽しめました。

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いろいろ語りたいところはあるのですが─

ボクにとっては「ハニエル」の章、最後のコスプレショーである「コミケの段」が最も刺さりました。理想を中々作れず、それでも足掻いたごじょーくんの姿に感銘を受けたのもありますが、最もインパクトが大きかったのは「ハニエルの造形」と「喜多川のコミケでの振る舞い」です。


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さて、劇中漫画「天命」のハニエルを描いたのは、司波刻央でしたよね。見て分かる通り、司波刻央は天野喜孝をモデルとしています。天野喜孝は80~00年代のキャラクターデザインの頂上にいた人物です。つまるところ、この物語のラスボスとしてふさわしい。

それで、天野喜孝のキャラは、その繊細さのために「一枚絵」で最も魅力が出る。
逆に、実写・アニメーションとなると途端に難しい。
(※そういえば「天使のたまご(1985/映画:」押井守作品)」も北米上映で人気を博していました)。


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コミケでの喜多川のハニエルコスプレショーは圧倒的でした。
なぜなら、繊細なキャラクターが実在しているかのように振る舞ったからですね。

もう少し言うならば、アニメと違ってコスプレイヤーは素の部分も見られてしまうわけで、その部分すらひょいと飛び越えて、劇中原作「天命」を想起させるまでに及んだショー。アスペな厳格な司波センセもこれには、少し考えた後で、このコスプレショーに納得をせざるを得なくなった。




これからかれらは最良の人生を歩んでいくんだろう、ごじょーくんも喜多川さんも。良かった良かったチャンチャン…と終わる前に…



ボクとして「困った」点をいくつか
まず1つ目に、ごじょーくんの気持ちはあまり追えませんでした

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ごじょーくんは顔にもモノローグにも、どこにも相手に対する感情を出せません。
ここは実は少し個人的に困った。アンフェアだったなあ。

喜多川はバッコリと、いやベッツリと感情をあらわにして相手に伝えるわけです。「ちゅきちゅきごじょーくん♡」のように。これが「ごじょーくんの心」や「不自由さのテーマ(1*)」と対比になっていることは承知の上なのですが、クラスメイトと打ち解けた後はもう少しナチュラルに出ていいのではないか。

自分の気持ちにごじょーくんが気づいた後に起こる喜多川さんとのケンカの解決も、なんでこんなに早いのか、と驚くばかりで。ごじょーくんが最終的に(これまでの物語上で)自分自身で気付いて、自分から言い出さないと意味はないので。ちゃんと気付くんですが、言うまでに至ったのか?というのが少し気にかかった。

結果的には、喜多川さんの勢いに押されたなあ~という感想しかなく。まあそういうコンセプト、「人生なんてためらってないで、勢いでIKEA!オラァ!」っていう回答なのかもしれない。あとは縁がキミを導くだろうなんだろうなという風にあるていどの納得をしました。

(1*)...好きなことや趣味をおおっぴらに好きとはいえない、息苦しい不自由な世の中


2つ目にごじょーくんが好きなものを言えなくなった。
ひいては対人×コミュ障クソ人形オタクになってしまった原因である、のんちゃんの雑な扱いです。

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これなんだったんだよ。あのときはごめんちょして終わりて。なんだこれ。小学校のときはイジメてメンゴメンゴwこれからは仲良くしようぜ、みたいな雑さ。

それでまあ喜多川さんと衣服の店長の昔話と、それぞれが組み合わってごじょーくんは自分の気持ちを理解して、やるべきこともわかるわけです。「さあ勇気出して、後悔しないようにね」って外部から押し出されている感じ。ごじょーくんに自発さを感じなかった


のんちゃんは舞台装置でしかないんですよ。モノ扱い。女はモノ。産む機械。ごじょーくんに嫌がらせをして塞ぎ込む理由を作って解消するためだけに生まれたモノ。これって代わりがいくらでもいるじゃないですか。のんちゃんでないといけない理由が存在していないのが好かん。なんでほぼすべて解決した後にちょろっと出てきたのか。お前の役目はねえ!けえれ!っていう感じ。



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いやまあ、ごじょーくんと喜多川さん、のんちゃんも含めて当時の誤解も解けて、かれらのこれからの人生が上手く行きそうなら良いんじゃないですか。作品構造に対して、ボクが納得できていない(違和感を抱いている)だけで、別に良いと思うんだ。

考えていくと、これはコミケの段を含めて、「他人との接触 / 人間関係の素晴らしさ」を主張したいんだろうな。この作品は、いろいろな人間関係によって、「縁がキミを導くだろう」みたいなことが多かった。ただ、ごじょーくんにとっては、人間関係というのは恐怖の対象しかなかった。ネガティヴな要素しかなかった。

でも喜多川さんと出会ってから、段々とごじょーくんのその人間関係に対する認識は変化していく。時々怖いところもあるけれど、やはり他人との関係によって、自分の考えや認識も変化していく。衣服屋の店長なんかがそうですよね。ごじょーくん、キミは怖がらなくていいんだよ。他人は見かけによらないし、こっちを気遣ってくれる人たちもたくさんいる。そういう喜びや幸せを問いている。

(やはり、旧劇を思い出してしまうなあと個人的には。
こんなに世界はキレイでないと思ってしまう笑)


コミケの段は素晴らしく、言う事なく。
ハニエル以降はやや舞台装置化、仕組みによって動いているような感じだった。まあどこにエンドをおいているかの話ではあります。ボクは、ありのまま言えば、ごじょーくんや喜多川さんに幸せになってほしく無かったのかもしれない。それは今の段階ではわからないですね。




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少なくとも、ごじょーくんという魅力的なキャラクターは、舞台装置のようなロボットによって自分の行動を動かされるものであってほしくはなかったということだけは言えます。


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