2009年頃
友人に勧められ、金曜ロードショーで「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序」を見て圧倒される。初見で好きだったのは、電柱のケーブルが揺れるところ。この頃はそういえば、まだガラケーでした。面白かったので、当時公開されていた「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破」も見に行く。こちらも大満足。
その流れで、TV版の「新世紀エヴァンゲリオン」+旧劇を見ます。恥ずかしい話、「最初の方って序と同じだよ」と友人から言われたので、「じゃあ飛ばしてもいっか」となり、未だに未見という始末。
2010-11年頃
庵野秀明つながりで、「彼氏彼女の事情」を見る。自分の中ではエヴァよりも格段に面白く、徐々に庵野ファンになっていく。12話と18話がお気に入り。庵野秀明で検索をかけていたら、とあるブログを見つける。庵野爆発なんてものもあるんだなあと感心していた。
時を同じくして「深夜アニメ」というものの存在を知る。ちょうど、「シュタインズ・ゲート」や「まどマギ」なども流行っていましたが、(そもそもその存在を知らなかったので)「ゼロの使い魔」を見る(ニコニコで偶然OPを見たのがキッカケだったような気がします)。ルイズくっそ可愛い。ゼロ魔は相当ハマりました、2期も3期も全て見ましたもん。出来はやっぱり1期が一番いいですね。あとは、麻雀が好きだったので、「咲-Saki-」や「アカギ」もこの時期に見てたような気がします。
くぎゅうつながりで、「ハヤテのごとく!」を少し見る。あまり期待していた内容とは違っていたので、最後まで見ることはなかった。「みなみけ」とかも少し見てたかなあ。その後、ニコニコのランキングに上がっていた、シュタゲの1シーンを見て、「こいつぁ面白そうだ」と思い、視聴。めちゃくちゃ面白かったです。後は、ゆかなさんが好きだったんで、「コードギアス」「フルメタル・パニック」とか見てました。
後、このころネットでは「シャフトやらおん騒動」とかありまして、シャフトや「まどマギ」などに対しては偏見を抱くようになりました。「3話まで見たけど、つまらんかったなあ。なんでこんなもんが受けとんじゃ」→例の騒動→偏見の出来上がり。2016年になるまで、この偏見が無くなることはありませんでした。
2012年頃
「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q」の予告として、「EVA-EXTRA08」という新宿バルト前で壁面上映するイベントが発表される。友人を誘って、見に行くことに。多分、あれが今までのアニメの中で最も興奮したイベントでした。今でも時々見返します。
ほどなくして、「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q」の公開前日に。心臓をバクバクさせつつ、冒頭6分38秒を見る。興奮しすぎて、あまり寝られなかった記憶が鮮明にある。公開当日は、よく覚えてないです。しかし、居ても立ってもいられなくなり、このブログを作る。最初の記事は、公開日の翌日。当初はエヴァ考察ブログ(あとはまとめブログに対する糾弾をしていた)でした。懐かしい。
深夜アニメは何を見ていたかなあ、ゼロ魔の四期を楽しみにしてたはずなんですけど、急に熱が冷めてしまって見てないんですよね。ああ、「男子高校生の日常」「咲-Saki-阿知賀編」とか見てました。この辺りの時期で、ちゃんと細田守や今敏を知ったのかな。ちなみに、両監督の作品では「サマーウォーズ」と「千年女優」が一番好きです。
2013年頃(ブログ開始1年目)
こいつらいっつも英語の学び方ブクマしてんなと思いつつ、はてなブックマークを使うようになります。ある日のホッテントリーに、とある記事が上がる。その記事の内容に納得がいかなかったので、ツイッターで批判を垂れていると、ブログの本人からリプライされる。
「うん…このブログそういえば見たことがあるような気が…」(※当時の大匙ブログは、頻繁にブログタイトルを変えていた)と思い、確認すると同じ人物だということが分かり、「これはなんか偉い人かもしらん」とビビリ、速攻で謝罪する。
この辺りで、やや作画に興味を持ち出したような。微妙です。ブログのネタとして、庵野秀明作画の中で、あまり語られていなかった「うる星やつら156話」についての記事を書く。ホロホロさんという方から丁寧なコメントを頂く(これが無かったら、たぶん何も発展してないと思う)。
年末は適当に、ナウシカや王立宇宙軍の庵野作画を取り上げて終わり。この辺で、gifの作り方を把握したような気がする。
2014年頃(2年目)
増尾昭一について調べ始める。80年代なんてさっぱりだったので、知人や友人に尋ねたりwikiを見て、増尾作画の特徴を探したりする。数あるOVAの中でも、「イクサー1」は特に面白かった。この辺がいちばん楽しかったなあ。ちなみに、この時リアルでは休職中でした。だから、時間だけは死ぬほどあった。
シコ火さんの配信を見て、ああいうの楽しそうだなあと思い始める。しかし、そこは奥手の自分。言い出せるはずもなく時は過ぎていく。とある日、ツイッターで増尾昭一の話になり、いとーさんと大匙屋さんとで、「増尾配信」をやることに決まる。
それから3ヶ月は、増尾昭一について各自調べて、担当パートを探したり、いろいろしました。自分がやったことは、「宇宙戦艦ヤマト」と2、3個の作品を見て、増尾パートか否かみたいなことだけだったんで、 実質的な作業はいとーさんと大匙屋さんにしてもらいました。
増尾配信は今でも昨日のことのように思い出します。すごい緊張してたなあ。ヤバかったです。原稿作ったって当時も言いましたけど、決定版まで何度も修正しました。3枚ぐらいのペラだったのに苦しんだ記憶があります、全体的には楽しかったです。
アニメは「咲-Saki-全国編」を見ていましたが、あまりの回想の多さにゲンナリして途中下車。「生徒会役員共*」は漫画原作からのファンだったので、最後まで見てました。後は「四月は君の嘘」「キルラキル」とかですかね。
ブログは、的を絞らないとお客は来ないだろうと思い、ニッチなエフェクト作画に絞って記事を書いてました。2014年は「2014年エフェクトアニメーション 10選」がバカ受けして驚いた記憶があります。そんな伸びる記事ちゃうやろ…と今でも思う。「アオイホノオはめちゃ面白い」 とかも書いてましたね。終わりぐらいから、本谷利明や黒田結花について調べ始めます。
2015年頃(3年目)
このブログの最盛期です。今はオワコンなんで。「楽園追放」記事がめっちゃ受けて、とどめの「マップ兵器」記事です。はてなブックマークの作画タグでは未だ一位です(さっさと誰か抜けよな)。ふふん。過去の栄光にすがることほど醜いことはありませんね。「夜のヤッターマン」事件とか、どなたかのアカウント消滅もこの頃ですね。
アニメは、「きんいろモザイク」とか「キルミーベイベー」を見てました。あ、「未確認で進行形」もこの辺で見たような…2014年だったかも。
自主制作アニメは2つも作ることができました。ほとんど手伝っていただいたスタッフさんのおかげですが(本当に恵まれていました)、自分の考えを盛り込んで2本くらい作れたのは面白かったです。それと同時に、自分の能力不足も痛感しました。
あとは、夏ごろに初めて出版社の方から、ライターのお仕事メールをいただきました。自分がメールチェックをミスってたんで、実現はしませんでした。もうそういうチャンスはないと思う。しかし、こういう事もあるんですね、当時はすごいびっくりしましたよ。自分の文章がウン万円になると聞くと、人間ヤバくなります。
この辺りから、数字にやけに執着するようになります。たぶん、前述のライターの件(「俺ってすごいんじゃね?」と勘違いした)が尾を引いたんだと思います。ブクマ数とかTweet数とか病的に気にしてました。承認欲求っちゅうのは使い方を間違えると怖いもんです。ここから、2016年初頭はいちばん辛かった時期です。
「柿田記事」とかも書いてましたね、放置しっぱなしですね。すまんの。「本谷利明」研究に関しては、一段落着いたころですね。この頃は、本谷利明作画集みたいな同人誌を作りたいなあと思っていましたが、同人誌に疎く、詳しい知り合いもいなかったので断念しました。
2016年(4年目)
もうアニメを見るのが、ブログのためとしか思えなくなり、非常にきつかったです。「87-88年問題」と自分で企画をはじめましたが、伊藤浩二、玄田さんなどを追うのが辛くなり休止。なんとか来年には再開させたいとこです。この頃はネットもあんま見てませんでした、自分でもびっくりするぐらいアウトドアな生活でした。
冬頃に、一件だけライターのお仕事をやらせてもらいました。自分が思っていたよりも、すごく高い壁でした。というか、ネットではすごく人の縁に恵まれるのですが、リアルでは良い縁がありません。また機会があれば、すごくやりたいです。まあやりたいだけじゃできないですけどねえ。
いろんなことが重なって辛かったんで、この辺でいったんブログを放置して、ニコ生で配信をするようになります。ニコ生の配信はいろいろあったけど、楽しかったことが多かったんで良かったと思う。
そのニコ生の配信の関係で、岩川さんというイケメンに田中宏紀記事を書いていただきました。自分で言うのもなんですけど、ぼくは義理人情で動くんですよ。「書いてもらったんやから、おれも書かな!」となって、久々に原画マン単体の記事を書く。田中宏紀に対する偏見を取り払ってもらったので、本当にありがたかったです。
「ガルパン劇場版」を見て、久しぶりにアニメに感動する。その後、プレッシャーをかけられつつも、「ガルパン記事」がそこそこ受ける。あれはきつかったんですよ。「絶対受ける」っていうのは、まさに棒球のまっすぐをホームランにしないといけないみたいな緊張感もあるので、相当に苦しかった。ですが、久々に良い感じの記事が書けたような気がします。
あとは、少し前から温めておいた「ワイヤー記事」を書きましたが、思ったより受けなくてニコ生でクサクサしました。ただ、ワイヤー記事は今の自分の最大限の力を込めた記事だったんで、そういう気持ちがあったんすよ。負けは認めないとダメですね。
その後は配信をメインにして、いろんな話をしてました。エロ話は盛り上がるから好き。アニメはまだなんか見る気になれないですが、「シンゴジラ」や「オデッセイ」みたいな映画は何か楽しく見れます。あとは、リアルではスロットにハマる。
2017年(5年目)
なにをしていたっけ・・・とブログをざっと見直してきた。そうそう、「このすば」にドハマリしました。ダクネス・フォード・ララティーナ、やはり好きです。この辺から、ブログをやっと再開できるようになってきたのかな。今もですが、「映像のテンポ」という表現に注目するようになります。福島喜晴さんの件とかこの頃ですね。あとは残像表現も追ってましたね。ああ、初エロアニメ記事も書きました。なんだろう、性癖全開で記事を見られているのがこっ恥ずかしくてですね、悶えてました。
あと、賭ケグルイが始まるということで、ギャンブル論を開陳する。賭ケグルイみたいな後出しジャンケンギャンブル漫画はあまり好きではない、というか嫌いなんですよ。ちゃんと心理戦せえやっていう思いがある。
増尾さんが亡くなられたのも2017年ですね。まあ、気持ちはそんなに落ち込まなかったけれど、なくなってから形だけRIPする人たちに腹を立てていました。そんなに雑に扱われるとぼくは辛い。山本沙代の密着マルチについても整理したなあ。あと、たしか、この頃、コンジョーロンさんと出会ったんではないだろうか。
2017年(5年目)
なにをしていたっけ・・・とブログをざっと見直してきた。そうそう、「このすば」にドハマリしました。ダクネス・フォード・ララティーナ、やはり好きです。この辺から、ブログをやっと再開できるようになってきたのかな。今もですが、「映像のテンポ」という表現に注目するようになります。福島喜晴さんの件とかこの頃ですね。あとは残像表現も追ってましたね。ああ、初エロアニメ記事も書きました。なんだろう、性癖全開で記事を見られているのがこっ恥ずかしくてですね、悶えてました。
あと、賭ケグルイが始まるということで、ギャンブル論を開陳する。賭ケグルイみたいな後出しジャンケンギャンブル漫画はあまり好きではない、というか嫌いなんですよ。ちゃんと心理戦せえやっていう思いがある。
増尾さんが亡くなられたのも2017年ですね。まあ、気持ちはそんなに落ち込まなかったけれど、なくなってから形だけRIPする人たちに腹を立てていました。そんなに雑に扱われるとぼくは辛い。山本沙代の密着マルチについても整理したなあ。あと、たしか、この頃、コンジョーロンさんと出会ったんではないだろうか。
この年、いちばんは「宝石の国のプリヴィズ」ですね。なんかそんな大した話はしてないんで、よくわからないけれど、めっちゃ受けた。それで、本当にすぐに親父が急逝しました。ここから先の半年ぐらいは、ずっと大変だったかなあ。いろいろと。
2018年(6年目)
覚えてないってことはロクな記事を出していないんでしょう。まあ、リアルがリアルでしたから。まあまあの精神状態まで戻ってくるのに時間がかかった。定期的に、野中作画記事は出していた感じですね。「キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン」のテンポ記事、これええやん。面白い。そうそう、この頃から競馬にハマります。まあ、パチンコ・パチスロときて、競馬をしないわけがないよね。大変に今でも楽しいです。配信やブロマガは競馬メインになりました。
シュタゲゼロで少しアニメに戻ってきたかなあ。その後は、「うちのメイドがウザすぎる」とか「ゾンビランドサガ」を見て感想書き書き。ゾンサガはもう自分のハードルをかんたんに超えてしまって、すごかったです。1話見て、そんなにすごいアニメか?っていう自分は盲目でした。なにも分かっちゃいねえよお前さんは。熱を失っていたけど、ガルパン最終章で戻りました。ガルパンありがとなあ。
2019年(7年目)-2021年(9年目)
覚えてないです。
この辺から馬にハマりました。
特にこの年はキングリーがクラシックだったので、とても興奮して見ていました。この傾向は2021年の引退まで続きます。
年数に数えて良いのか…?
2022年(10年目)
ある程度雑記など増やした時期です。
自分のしてきたことの正体を暴露した時期でもあり、コメント返信などもいろいろアプローチを変えたシーズンでした。どうなんでしょうね?やる気はないと思いますが、コメントでいろいろと読者と触れ合えたと思います。その点は、楽しかったです。
2023年(11年目)
そろそろ振り返っても良い頃合いかなあと思い、少し振り返ってみました。これからも、ぼちぼち更新していくと思います。あまり大きな記事は、昔ほど作れないと思いますが、コメントや感想も励みになります。ありがとうございます。
2024年(12年目)
ほぼ更新なく終わってしまったシーズン、いろいろいそがしかったです。仕方なし。
2024年(12年目)
ほぼ更新なく終わってしまったシーズン、いろいろいそがしかったです。仕方なし。
イアキ(伊秋秀治)
2016年初稿
2019年08月06日追記
2025年01月19日追記
2016年初稿
2019年08月06日追記
2025年01月19日追記