貞元エヴァは、TV版エヴァの第一回放送の前に連載が始まりました。
そして、休載に次ぐ休載により、やっとこさ18年で終了。
貞本さんお疲れ様でした。もっと働け。
いやこれは意地悪でもなんでもなく、アニメーターとしても天才なんだからアニメだったら「作画監督」もやって欲しいし、「監督」もやって欲しいということです。(※多分監督の方は一生しないと思いますけど。)
ここから個人的な感想に入って行きたいと思います。
(※ネタバレ注意)
「エヴァ」はアニメだからできた
まず、「エヴァ」という作品はアニメだからこそ出来た作品だ、という個人的な見解というか偏見があります。
それ故、貞元エヴァは避けていたんですが、去年辺り友人から借りてやっと読みました。
そんな感じだから、あまり真剣ではないんです。内容もちらほら忘れてるし。
んな奴が、最終話だけ感想書くなや!って話なんですけどね。
まあそこんとこは、ご了承ください。エヴァファンなら何か色々申したくなる部分もあるのです。ごめんね。
漫画とアニメの違い
貞本エヴァと庵野エヴァ(TV版、旧劇場版)には色々と違う部分があります。その中でも一番違うのは、「シンジ」の性格です。
コミック1巻で、貞本さんが「庵野さんは優等生だから、シンジも優等生っぽくなるけど。自分は少しひねくれているから、そんなシンジになっている」という感じの発言があります。
確かに、 13巻でアスカを助けたりだとか、カヲルを鬱陶しがるとか、庵野エヴァでは見られない場面があるのです。庵野シンジが、否定的、鬱的、受動的だとすると、貞本シンジは、肯定的、能動的、そして切り替えが早いなどプラスな面が多いです。庵野シンジは、やっぱり「オタク(※その負の側面)」なんですよ。貞元シンジは、そうじゃなくて「リア充」もしくは「一般人」なんです。「オタク」であったとしても、別側面なんです。なんとなくそんな気がします。
先月号のお話
で、 先月号では、旧劇場版のような「太陽と月さえあれば、どこでも生きていけるわ」「生きろ」といった感じのセリフがあったと思います。つまり、旧劇場版とあまり差異はない。差異が大きい所で言えば、シンジのユイに対しての回想の仕方が違っていたりしますけど。本題や主旨は変わっていない。
結局サードインパクトは起きてしまったし、そのせいで本部の周りは掘削されて、黒き月が元の状態に戻って、巨大綾波も出るし。本当に変わってないんですね。
(STAGE84で巨大綾波が雪みたいに散らばるシーンがあったそうです。なにそれ見てみたい)
最終話の概観
そして本題の今月号、最終話、「旅立ち」です。
(※画像は各自で補完してね・・・)
一言で言うと、第1話と同じなんですね。描くのは、「東京」に高校受験しに行くシンジくん。
最初に、何処か別の場所に「希望」を持って、不安を抱えつつも向かうシンジくんなんです。
よく考えると、「東京」って時点でおかしいんです。
セカンド・インパクトで東京は壊滅したため、第3新東京市(箱根)、第2新東京市(長野県)ができたんですから。
じゃあ、ここはドコとなった時に新幹線も使ってるし、どっかの田舎なんでしょう。
それこそ、山口だったり。箱根だったら新幹線必要ないですもんね。
ここで出てくる友人は、ケンスケとかでは無いような気がします。よく分からんけど。
トウジなら関西弁一つでも出してくるだろうし。
というか、一応サーパク途中まで起きたんだから、死んでてもおかしくないんですけどね。
一面雪景色。厚手のコート。セカンドインパクトの影響で、地軸がねじ曲がり、季節が「夏」しかなかった「エヴァ」の世界では、ありえない事です。多分、サーパクの影響で元通りになったんですかね。確実にそうとは言い切れませんけど。
では、TV版26話の学園エヴァのようなパラレルワールドなのか?と思いきや、量産型の跡が残ってるんです。
偉い学者によると、「遺跡」として残ってるらしいんです。 じゃあ多分パラレルではないなと。
実際にサードインパクトは発生し、その後は旧劇場版とは異なる「歩み」であるんです。
で、東京のラッシュに巻き込まれるシンジ。そこで「アスカ」のような人と出会う。「ケンスケ」のような人とも出会う。でも「レイ」のような人は出てこない。やっぱパラレルではないんだ、けどどれだけ後の話かも分かりません。
歩いて行くシンジが、「僕の未来は、無限に広がっている」と言って、ミサトさんの十字アクセが輝く。
これで終わりです。
最終話の感想、妄想とテーマ
初見の感想は、ワケワカンネーです。Qと結構同じ。
みんな記憶ないの?一旦サーパクでリセットされて(※旧劇場版のように魂が黒き月の中に入っていく感じ)復元されたら、白紙のみんなができあがったのか。
それとも「碇」としか言っていないから、サーパクから10000年後ぐらいの話なのか。
よく分かんないってのが本音です。
「おばさん」ってのは、TV版エヴァでいうとこの「センセイ」と同じ意味合いだと思います。
じゃあ、最終話のテーマってなんだろうと考えると、やっぱ「自分の足で進んでけ、若人よ」ってことなんだと思います。この若人ってのには、当時の貞本さん自身も入ってる気がします。 何でかというと、元々貞本さんは、山口県から上京して、東京造形大学に入るんです。それと少しダブらしてんではないかと、個人的には思います。
こんな感じです。
うーんもっと良い感想が書きたかった!他の人の感想も読んでみたいですね。
ちょっと申し訳ないです。ごめんね。ではでは。
そして、休載に次ぐ休載により、やっとこさ18年で終了。
貞本さんお疲れ様でした。
いやこれは意地悪でもなんでもなく、アニメーターとしても天才なんだからアニメだったら「作画監督」もやって欲しいし、「監督」もやって欲しいということです。(※多分監督の方は一生しないと思いますけど。)
ここから個人的な感想に入って行きたいと思います。
(※ネタバレ注意)
「エヴァ」はアニメだからできた
まず、「エヴァ」という作品はアニメだからこそ出来た作品だ、という個人的な見解というか偏見があります。
それ故、貞元エヴァは避けていたんですが、去年辺り友人から借りてやっと読みました。
そんな感じだから、あまり真剣ではないんです。内容もちらほら忘れてるし。
んな奴が、最終話だけ感想書くなや!って話なんですけどね。
まあそこんとこは、ご了承ください。エヴァファンなら何か色々申したくなる部分もあるのです。ごめんね。
漫画とアニメの違い
貞本エヴァと庵野エヴァ(TV版、旧劇場版)には色々と違う部分があります。その中でも一番違うのは、「シンジ」の性格です。
コミック1巻で、貞本さんが「庵野さんは優等生だから、シンジも優等生っぽくなるけど。自分は少しひねくれているから、そんなシンジになっている」という感じの発言があります。
確かに、 13巻でアスカを助けたりだとか、カヲルを鬱陶しがるとか、庵野エヴァでは見られない場面があるのです。庵野シンジが、否定的、鬱的、受動的だとすると、貞本シンジは、肯定的、能動的、そして切り替えが早いなどプラスな面が多いです。庵野シンジは、やっぱり「オタク(※その負の側面)」なんですよ。貞元シンジは、そうじゃなくて「リア充」もしくは「一般人」なんです。「オタク」であったとしても、別側面なんです。なんとなくそんな気がします。
先月号のお話
で、 先月号では、旧劇場版のような「太陽と月さえあれば、どこでも生きていけるわ」「生きろ」といった感じのセリフがあったと思います。つまり、旧劇場版とあまり差異はない。差異が大きい所で言えば、シンジのユイに対しての回想の仕方が違っていたりしますけど。本題や主旨は変わっていない。
結局サードインパクトは起きてしまったし、そのせいで本部の周りは掘削されて、黒き月が元の状態に戻って、巨大綾波も出るし。本当に変わってないんですね。
(STAGE84で巨大綾波が雪みたいに散らばるシーンがあったそうです。なにそれ見てみたい)
最終話の概観
そして本題の今月号、最終話、「旅立ち」です。
(※画像は各自で補完してね・・・)
一言で言うと、第1話と同じなんですね。描くのは、「東京」に高校受験しに行くシンジくん。
最初に、何処か別の場所に「希望」を持って、不安を抱えつつも向かうシンジくんなんです。
よく考えると、「東京」って時点でおかしいんです。
セカンド・インパクトで東京は壊滅したため、第3新東京市(箱根)、第2新東京市(長野県)ができたんですから。
じゃあ、ここはドコとなった時に新幹線も使ってるし、どっかの田舎なんでしょう。
それこそ、山口だったり。箱根だったら新幹線必要ないですもんね。
ここで出てくる友人は、ケンスケとかでは無いような気がします。よく分からんけど。
トウジなら関西弁一つでも出してくるだろうし。
というか、一応サーパク途中まで起きたんだから、死んでてもおかしくないんですけどね。
一面雪景色。厚手のコート。セカンドインパクトの影響で、地軸がねじ曲がり、季節が「夏」しかなかった「エヴァ」の世界では、ありえない事です。多分、サーパクの影響で元通りになったんですかね。確実にそうとは言い切れませんけど。
では、TV版26話の学園エヴァのようなパラレルワールドなのか?と思いきや、量産型の跡が残ってるんです。
偉い学者によると、「遺跡」として残ってるらしいんです。 じゃあ多分パラレルではないなと。
実際にサードインパクトは発生し、その後は旧劇場版とは異なる「歩み」であるんです。
で、東京のラッシュに巻き込まれるシンジ。そこで「アスカ」のような人と出会う。「ケンスケ」のような人とも出会う。でも「レイ」のような人は出てこない。やっぱパラレルではないんだ、けどどれだけ後の話かも分かりません。
歩いて行くシンジが、「僕の未来は、無限に広がっている」と言って、ミサトさんの十字アクセが輝く。
これで終わりです。
最終話の感想、妄想とテーマ
初見の感想は、ワケワカンネーです。Qと結構同じ。
みんな記憶ないの?一旦サーパクでリセットされて(※旧劇場版のように魂が黒き月の中に入っていく感じ)復元されたら、白紙のみんなができあがったのか。
それとも「碇」としか言っていないから、サーパクから10000年後ぐらいの話なのか。
よく分かんないってのが本音です。
「おばさん」ってのは、TV版エヴァでいうとこの「センセイ」と同じ意味合いだと思います。
じゃあ、最終話のテーマってなんだろうと考えると、やっぱ「自分の足で進んでけ、若人よ」ってことなんだと思います。この若人ってのには、当時の貞本さん自身も入ってる気がします。 何でかというと、元々貞本さんは、山口県から上京して、東京造形大学に入るんです。それと少しダブらしてんではないかと、個人的には思います。
こんな感じです。
うーんもっと良い感想が書きたかった!他の人の感想も読んでみたいですね。
ちょっと申し訳ないです。ごめんね。ではでは。