前回というか、すごく前に紹介したことが1回ある。
今回はその総決算のようなもので、じっくりと映像とともに紹介したい。
「セント・オブ・ウーマン」は1992年に制作されたアメリカ映画。
ある事故で軍を退役し盲目となった、元・中佐「フランク・スレード」と、そのお世話のアルバイトにやってきた「チャーリー・シムズ」とが中心として物語を展開させていく。二人は、別々の岐路に立たされるが、その葛藤、苦しみを通して互いにわかりあっていき、「生きること」の素晴らしさを見つける作品。
この作品でたびたび挙げられるのが、フランク中佐を演じるアル・パチーノによる名演技である。
目を動かさず、まるで本当に見えていないかのような演技、そしてフランク中佐の鋭い洞察力や苦悩をその中で表現したというのは、すさまじいものがある。
また、チャーリ・シムズ役を演じた、クリス・オドネルはこの作品で助演男優賞を獲得した。その後も話題作に出るが、一時期人気が低迷してしまう。しかし、今はTVドラマなどで活躍中とのこと。
(※Wikipediaで画像を見たら、かっこいい二枚目俳優さんになっていた。もっと使ってもらいたい)
ちなみに、イヤなクラスメートを演じた、フィリップ・シーモア・ホフマンはこれが初出演作品であり、同時に注目を浴びた。その後も精力的に活動を続け、おそらく知らない人はいないであろう名脇役になりつつある。僕の印象では、「レッド・ドラゴン」の記者役など、フラグビンビンで死んでいく嫌味な役が多いように思う。それが彼の最大の持ち味であり、長年ハリウッドでやっていけている演技なのだろう。
さて、役者さんについてはこれぐらいにして、印象に残っているシーンを時系列順に紹介していこう。
まずは、チャーリーがフランク中佐の家を訪れる場面。
ここでは、劇伴など一切なく重苦しい印象を与えるシークエンスとなっている。


あらかじめフランクとの接し方について注意をする、姪っ子カレン。
扱いにくい人間であることをここで強調して、視聴者側にも用意をさせとく。

これが初対面。
チャーリーが”中尉殿”と誤って呼んでしまう場面では、
「軍に長年いたが、四階級も下げられたのは初めてだ」 という風にアメリカらしいジョークも挿入してくるが、チャーリーの心情では全く笑えない。

「お前はまだ何も分かっとらん新兵だ!」
この威圧感。
アル・パチーノといえば、「ゴッド・ファーザー」であるが、それを思い出す人も多いのではないだろうか。

やっぱり無理です。と伝えるチャーリー、だがカレンを筆頭に家族は旅行することに夢中で、フランクの世話をお願いをする。
勢いに押し切られ、しぶしぶ承諾するチャーリー。
この後のシーンで「本当は一緒に行きたいのよ」という風にフランクに答える。
しかし、これは全くの嘘のようにしか聞こえない。その事にフランクもわかっている様子。
大体、バイトを募集する時点で厄介者扱いをしていることが存分に伝わってくる。
この後、フランクは強引に、”ある計画”のためニューヨークへとチャーリーを連れて行く。
その場その場で、フランクのプライド、性格などを一部一部少しずつ表現していくので、見る側はすっとフランクのことをチャーリーと一緒に学んでいるようなシンクロニシティを感じる。
リムジンに乗り込んで、食事に向かう途中のカット。ここは一連の流れに注目してもらいたい。
どうしたんだ。

僕ですか?

(中略)

フランク「言うべきか、言わざるべきか…」
チャーリー「何故分かるんです?」
フランク「鋭いからさ」
相談する時はチャーリー→フランク中佐のカットを行き来し、ようやく本題に入る際に、こういう風に二人一緒のカットになる。
ここに至るまでのカットの割り方がうまい。
カットを行き来している間は、チャーリーは葛藤を重ね、言うことでもないと思い自分で何とかせねば、という風に考えている。これはチャーリーの生まれに起因するものである。彼は父を知らず、養父と母はオレゴンの田舎で何とか生活しているという家なのだ。これでは頼る人なんているわけもなく、これまでは、おそらく本当に自分で解決してきたのだろう。
しかし、今回ではずば抜けて頭のいい中佐と出会ったことで、チャーリーの思考は少し変わり、頼ろうとしている。
またフランク中佐の聞き方も抜群に上手く、「それで?」「どういう問題なんだ?」と詳しく、疑問を投げかけることで、チャーリーから話を聞き出そうとしている。
世の中の親たちには、これを見て反省していただきたい。こうやって教育とはすべきなのだ。
子供から話してもらうのをただ待ち続け、疑問を投げかけることができない親は意外と多い。

シーン変わって、フランク中佐の兄弟がいる家にいるシーン。
甥っ子などから、邪険に扱われるフランクの寂しい目が印象的だ。

ここでも常に、フォーカスは中佐に向けられている。
じたばたする後ろとの対比で、中佐の孤独さをより鮮明に映す。


別のカット。ここでもチャーリーが相談するときは二人一緒にカメラに収まっている。
これはとても大事なカット構造で、後半に至っても続く。

今作品を語る上で外せないであろう、有名なタンゴのシーン。

チャーリーからフロアの大体の面積等を教えてもらい、初対面の美女とタンゴをする。
中佐は、失った自信を少し取り戻す。



しかし、生きていく希望を少し見い出せたのに、すぐに失ってしまう。
それを補うかのように、勘定を払わせてくれと要求する。

そしてこの落差のあるカット。
普段中佐とチャーリーに合わせられている、カメラの焦点もここでは特にない。
中佐の複雑でおぼろげな心情をうまく表現したカットである。

髪というのも非常に大事な要素である。
中佐の精神が中庸に無いときには、髪は乱れる。
そこに元・軍人としての自責感と、自分は何も役に立ってないという無力感を漂わせる。

ここではむしろ、チャーリーにフォーカスがかかっており、いつの間にか中佐を尊敬していることが伺える。
恐怖ではなく、純粋な尊敬なのだ。だから、出かけて欲しいし、元気でいて欲しいと感じる。


今作の監督マーティン・ブレストは、とても車の映し方がうまい監督の1人だと思っている。
フェラーリのこの撮り方は、魅力的だ。

中佐が運転するフェラーリのワンカット。
建物で車を隠すことで、カメラが追うフェラーリは疾走感を増す。

疲れ果てた中佐。
何をやってもうまくいかない、という心情が伝わってくる。

自殺しようとするのをチャーリーが止めるシーンでのワンカット。
まさしく名シーンである。
フランク中佐「どうやって生きていけばいい?」
チャーリー「たとえ間違っても、続けて」
フランク中佐「タンゴの調子でやれっていうのか」



最後の相談シーンも同じく、二人一緒に映るカットだ。
両方共に苦悩するのだが、カットの割り方で違いを出す。
チャーリーの苦悩は、前述した通り、こうやって二人一緒のカット、つまり「子が親に頼る」のを想起させる。
一方、中佐の苦悩は、チャーリーと中佐のカットをテンポよく連続で映し、それぞれの心情のぶつかりを表現する。
この2つの構造はとても面白い。


ここで流れるテーマソングとともに、もう僕は泣いてしまう。
1人で立ち向かわないといけない、という怖さを少しなりともチャーリーと視聴者は持っていたはずだ。
しかし、そこで中佐がくる。
中佐はチャーリーに感謝をしており、当然助けなくてはならないと思ったのだ。
そこに、両者の思いやりと気遣い、そして生き方を感じる。




約6分間にわたる中佐の演説シーン。

だんだんと中佐にフォーカスは寄っていく。

アル・パチーノの名演技が光る。

フーアー!(Whoo ah! 驚きをあらわす言葉)

演説後に、先生の1人がよってくる。
「ご結婚は?」と始まる中佐に、僕たちは笑顔を浮かべる。

車の撮り方がうまい。
多分レイアウトがうまいから、車を強調させて撮れるのだと思う。
(ここで言えば、木や手すり。)

何回名シーンという単語を使ったかわからないが、個人的には最も素晴らしいのはここである。
最初と全く同じでありながら、全く違う様相をなす撮り方をする。すごい。

見送るチャーリー。

チャーリー視点で、中佐を見る。
ここで、カメラが寄らないのがとてもいい。
姪っ子の子供と仲直りする、フランク中佐の表情は視聴者の想像力に任せるのだ。

安心したチャーリーを乗せたリムジンは動き出す。


橋の向こうまでいき、見えなくなってエンド。
うまい。エンドカットに蛇足はなく、想像に任せるというのが素晴らしい。
さて、ここまで長いあいだお付き合いいただきありがとう。
最後に、僕が一番いいと思うセリフを載せて終わりとしたい。
Oh, where do I do from here, Charlie?If you're tangled up, just tango on.
今回はその総決算のようなもので、じっくりと映像とともに紹介したい。
「セント・オブ・ウーマン」は1992年に制作されたアメリカ映画。
ある事故で軍を退役し盲目となった、元・中佐「フランク・スレード」と、そのお世話のアルバイトにやってきた「チャーリー・シムズ」とが中心として物語を展開させていく。二人は、別々の岐路に立たされるが、その葛藤、苦しみを通して互いにわかりあっていき、「生きること」の素晴らしさを見つける作品。
この作品でたびたび挙げられるのが、フランク中佐を演じるアル・パチーノによる名演技である。
目を動かさず、まるで本当に見えていないかのような演技、そしてフランク中佐の鋭い洞察力や苦悩をその中で表現したというのは、すさまじいものがある。
また、チャーリ・シムズ役を演じた、クリス・オドネルはこの作品で助演男優賞を獲得した。その後も話題作に出るが、一時期人気が低迷してしまう。しかし、今はTVドラマなどで活躍中とのこと。
(※Wikipediaで画像を見たら、かっこいい二枚目俳優さんになっていた。もっと使ってもらいたい)
ちなみに、イヤなクラスメートを演じた、フィリップ・シーモア・ホフマンはこれが初出演作品であり、同時に注目を浴びた。その後も精力的に活動を続け、おそらく知らない人はいないであろう名脇役になりつつある。僕の印象では、「レッド・ドラゴン」の記者役など、
さて、役者さんについてはこれぐらいにして、印象に残っているシーンを時系列順に紹介していこう。
まずは、チャーリーがフランク中佐の家を訪れる場面。
ここでは、劇伴など一切なく重苦しい印象を与えるシークエンスとなっている。


あらかじめフランクとの接し方について注意をする、姪っ子カレン。
扱いにくい人間であることをここで強調して、視聴者側にも用意をさせとく。

これが初対面。
チャーリーが”中尉殿”と誤って呼んでしまう場面では、
「軍に長年いたが、四階級も下げられたのは初めてだ」 という風にアメリカらしいジョークも挿入してくるが、チャーリーの心情では全く笑えない。

「お前はまだ何も分かっとらん新兵だ!」
この威圧感。
アル・パチーノといえば、「ゴッド・ファーザー」であるが、それを思い出す人も多いのではないだろうか。

やっぱり無理です。と伝えるチャーリー、だがカレンを筆頭に家族は旅行することに夢中で、フランクの世話をお願いをする。
勢いに押し切られ、しぶしぶ承諾するチャーリー。
この後のシーンで「本当は一緒に行きたいのよ」という風にフランクに答える。
しかし、これは全くの嘘のようにしか聞こえない。その事にフランクもわかっている様子。
大体、バイトを募集する時点で厄介者扱いをしていることが存分に伝わってくる。
この後、フランクは強引に、”ある計画”のためニューヨークへとチャーリーを連れて行く。
その場その場で、フランクのプライド、性格などを一部一部少しずつ表現していくので、見る側はすっとフランクのことをチャーリーと一緒に学んでいるようなシンクロニシティを感じる。
リムジンに乗り込んで、食事に向かう途中のカット。ここは一連の流れに注目してもらいたい。

どうしたんだ。

僕ですか?

ああ、車が重い。
何故か分かるか?お前がクソ重いものを背負ってるからだ。
(中略)

フランク「言うべきか、言わざるべきか…」
チャーリー「何故分かるんです?」
フランク「鋭いからさ」
相談する時はチャーリー→フランク中佐のカットを行き来し、ようやく本題に入る際に、こういう風に二人一緒のカットになる。
ここに至るまでのカットの割り方がうまい。
カットを行き来している間は、チャーリーは葛藤を重ね、言うことでもないと思い自分で何とかせねば、という風に考えている。これはチャーリーの生まれに起因するものである。彼は父を知らず、養父と母はオレゴンの田舎で何とか生活しているという家なのだ。これでは頼る人なんているわけもなく、これまでは、おそらく本当に自分で解決してきたのだろう。
しかし、今回ではずば抜けて頭のいい中佐と出会ったことで、チャーリーの思考は少し変わり、頼ろうとしている。
またフランク中佐の聞き方も抜群に上手く、「それで?」「どういう問題なんだ?」と詳しく、疑問を投げかけることで、チャーリーから話を聞き出そうとしている。
世の中の親たちには、これを見て反省していただきたい。こうやって教育とはすべきなのだ。
子供から話してもらうのをただ待ち続け、疑問を投げかけることができない親は意外と多い。

シーン変わって、フランク中佐の兄弟がいる家にいるシーン。
甥っ子などから、邪険に扱われるフランクの寂しい目が印象的だ。

ここでも常に、フォーカスは中佐に向けられている。
じたばたする後ろとの対比で、中佐の孤独さをより鮮明に映す。


別のカット。ここでもチャーリーが相談するときは二人一緒にカメラに収まっている。
これはとても大事なカット構造で、後半に至っても続く。

今作品を語る上で外せないであろう、有名なタンゴのシーン。

チャーリーからフロアの大体の面積等を教えてもらい、初対面の美女とタンゴをする。
中佐は、失った自信を少し取り戻す。



しかし、生きていく希望を少し見い出せたのに、すぐに失ってしまう。
それを補うかのように、勘定を払わせてくれと要求する。

そしてこの落差のあるカット。
普段中佐とチャーリーに合わせられている、カメラの焦点もここでは特にない。
中佐の複雑でおぼろげな心情をうまく表現したカットである。

髪というのも非常に大事な要素である。
中佐の精神が中庸に無いときには、髪は乱れる。
そこに元・軍人としての自責感と、自分は何も役に立ってないという無力感を漂わせる。

ここではむしろ、チャーリーにフォーカスがかかっており、いつの間にか中佐を尊敬していることが伺える。
恐怖ではなく、純粋な尊敬なのだ。だから、出かけて欲しいし、元気でいて欲しいと感じる。


今作の監督マーティン・ブレストは、とても車の映し方がうまい監督の1人だと思っている。
フェラーリのこの撮り方は、魅力的だ。

中佐が運転するフェラーリのワンカット。
建物で車を隠すことで、カメラが追うフェラーリは疾走感を増す。

疲れ果てた中佐。
何をやってもうまくいかない、という心情が伝わってくる。

自殺しようとするのをチャーリーが止めるシーンでのワンカット。
まさしく名シーンである。
フランク中佐「どうやって生きていけばいい?」
チャーリー「たとえ間違っても、続けて」
フランク中佐「タンゴの調子でやれっていうのか」



最後の相談シーンも同じく、二人一緒に映るカットだ。
両方共に苦悩するのだが、カットの割り方で違いを出す。
チャーリーの苦悩は、前述した通り、こうやって二人一緒のカット、つまり「子が親に頼る」のを想起させる。
一方、中佐の苦悩は、チャーリーと中佐のカットをテンポよく連続で映し、それぞれの心情のぶつかりを表現する。
この2つの構造はとても面白い。


ここで流れるテーマソングとともに、もう僕は泣いてしまう。
1人で立ち向かわないといけない、という怖さを少しなりともチャーリーと視聴者は持っていたはずだ。
しかし、そこで中佐がくる。
中佐はチャーリーに感謝をしており、当然助けなくてはならないと思ったのだ。
そこに、両者の思いやりと気遣い、そして生き方を感じる。

チャーリー「どうしてここへ?」
フランク中佐「私の席はあるか」
理由などいらない、何を言っても蛇足なのだ。
理由などいらない、何を言っても蛇足なのだ。



約6分間にわたる中佐の演説シーン。

だんだんと中佐にフォーカスは寄っていく。

アル・パチーノの名演技が光る。

フーアー!(Whoo ah! 驚きをあらわす言葉)

演説後に、先生の1人がよってくる。
「ご結婚は?」と始まる中佐に、僕たちは笑顔を浮かべる。

車の撮り方がうまい。
多分レイアウトがうまいから、車を強調させて撮れるのだと思う。
(ここで言えば、木や手すり。)

何回名シーンという単語を使ったかわからないが、個人的には最も素晴らしいのはここである。
最初と全く同じでありながら、全く違う様相をなす撮り方をする。すごい。

見送るチャーリー。

チャーリー視点で、中佐を見る。
ここで、カメラが寄らないのがとてもいい。
姪っ子の子供と仲直りする、フランク中佐の表情は視聴者の想像力に任せるのだ。

安心したチャーリーを乗せたリムジンは動き出す。


橋の向こうまでいき、見えなくなってエンド。
うまい。エンドカットに蛇足はなく、想像に任せるというのが素晴らしい。
さて、ここまで長いあいだお付き合いいただきありがとう。
最後に、僕が一番いいと思うセリフを載せて終わりとしたい。
Oh, where do I do from here, Charlie?
どうやって生きていけばいい、チャーリー?
足が絡まっても踊り続けて、 タンゴのように。