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2014年08月

■野中記事

8月に書くとか言っといて、遅れてるね。もう少しかかる、と思う。
多分9月の中旬(15日あたりの三連休)で、仕上げられたなあと思ってる。


■紙の質

ツイッターでとある人と話してたんだけど、紙の質って本当に大事な要素だなあって。手塚治虫の文庫本って、秋田文庫と講談社文庫と2個あるんだけど、秋田文庫の方がいいんだよね。それは、指にかかるかどうかとかそういう種類のこと。秋田文庫の方が紙が柔らかくて、すげえ読みやすい。講談社文庫の方は、余白のクソさもある上、紙が硬くて読みづらい。しっかりと広げて読めるかどうかみたいな問題がある。読むシチュエーションって何も、机の上だけじゃないじゃんね。

これは先日言った「マテリアル」の問題にも絡んできて、付加価値を付けるためには、ただ「マテリアル」であるだけではダメということがよくわかった。よく言われるのは差別化とか、ブランド化とか、そういうこともあるけど、一番の価値は「この本の手触りから変更したくない」っていう受け手側の安心・信頼みたいなもんなんだと思う。電子書籍がさほど普及しないのは、出版社とか製本業者の関係もあるけど、消費者の大半がいいものと思っていないことに起因する、と思うんだよ。

実際に、電子書籍と文庫と、違う媒体で同じ本を読んだことはあるんだけど、圧倒的に紙の方が何かね、いいのよ。まあ、それは多分色んな所で言われてるから言う必要もないかもしれないけど。「すぐに別の巻を参照できる」とか「同時に読むことができる」とか、挙げ出したらキリがなくて、電子書籍は場所を取らない、どこでも読めるっていうのが長所だと思ってるんだけど、そんなもん指先一本で跳ね返しちゃうくらい利便性が高いんだよね。また違う話だけど、「紙はアイパッドに勝てない」っていうのは、岡田も宮崎も皆言ってて、それは本と同じく自由度の高さ(利便性の高さ)の点においてなんだよね。自分の思うがままに(それこそ手足のように)、色んな機能が使えるようになったら、電子書籍もアイパッドも一気に普及すると思う。スマホみたいに。



■気になってること

エーピクにそんな期待してなかったんだけど、これはそこそこ良さそう。というか、多分けっこう面白いと思う。寄生獣とか色々あるけど、これは見るべし見るべし。1話の出来にもよるけど、PVはいい感じなので。 後、『キルミーベイベー』『ズヴィズダー』に関しては、特異なアニメなので見ていただきたい。特に、『ズヴィズダー』。これは革新的な作品だと思ってる。商業的な大成功はしなかったけど。



■増尾配信は著作権侵害なのか?

これは相当考えましたが、結論から言うと、侵害してないと思う。「増尾昭一を語る」という命題の主張・議論・批評において、映像、図版等についてはそれぞれに説明・必要性の解説をしているし、命題に必要な材料であると僕は少なくとも認識してる。だから、「映像を使った批評」という今回の配信は、引用として認められるべきであると思う。図版や画像はまだ、引用の妥当性というものが認知されつつあると思うけど、「映像に関する引用の妥当性」という点は、非常にグレーなゾーンで冒険が必要だと思うのが僕の認識。

商用利用を問わず、今回は規模が小さいということで見逃されてる点があるのも事実。だけど、これがyoutubeで10万回再生とかされて、規模がでかくなった時に、著作権侵害となるかどうかは、もう企業のさじ加減としか言いようがない。まるまる無断転載をしたわけでもなく、それが必要だから引用として映像を使ったというのが僕のスタンスだけど、全く分からん。今でも、無断複製は企業によって対応が違うのが多いでしょ。サンライズ・ジブリは著作権侵害に厳しいけど、あそこは厳しくないとか。

でも引用という認識なので(※増尾昭一氏に関する映像を無断で複製して公衆通信化等をしてやろうという意図ではない)、引用と認めてもらいたいというのはあるけど、難しい問題だと思う。スクエニとSNKの問題を見てても思う。

「増尾昭一を語る」という命題は、「アニメーターの原画を語る」という事と同義であることは当たり前で、「原画を語る」ためには、そのための映像・画像・図版が必要だから、結局元の命題を満たすためには、映像等の引用は必要不可欠という認識が正しいと僕は思う。

続いた。
今回は、セル背景動画が中心。

回り込みの定義は、おそらくカメラが被写体の周りを鈍角以上(90度以上)ワークすれば、完全に回り込みとみなしていいような気がします。(※45度くらいあれば個人的には、いいと思いますが)

【追記 2014-08-29】
そうそう重要なことを言い忘れてた。何も水平方向にのみカメラが動くものだけを、「回り込み」と呼ぶわけではなくて、鉛直方向や、放物線的な立体的なカメラワークも「回り込み」とみなしていいと思う。
回り込み リファレンス図1

回り込みカメラワークの種類としては、「水平方向」「鉛直方向」「放物線的(立体的)」の3つに大別できると思う。



背景動画(背動)というのは、簡単にいえば、「パラパラ漫画」みたいなもんです。基本的にアニメでは、背景とセルで別れて作業しますが、これはアニメーター(作画・動画)が全部描いてる。厳密には少し違うけど、まあそんな理解で。



■『サクラ大戦3 〜巴里は燃えているか〜(2001)』 OP 
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一部背景動画による回り込み。放物線的カメラワーク。
キャラの斜め上から後ろに向かってカメラは移動し、お墓参りに来ている心情を描写している。かいま見える一瞬のせつない表情がいい。『サクラ大戦3』のOPはこれに限らず、鉄塔のシーンのカメラぐるぐるなど、全体的なカメラワークも、立体的で楽しいOP。


■『銀河旋風ブライガー(1981)』 OP
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金田伊功による有名なOP。水平方向タイプ。
3つほど異なるパースを抱えつつ動かす妙技は、今更言うまでもないですNE。異なるパースを含んだセル回り込み全面背動は多分コレしか無いと思う。4人のキャラを最初に見せておいて、主人公に寄っていくように回り込むカメラワークは、ぐっと主人公の元に引っ張られるようで自然で良い。


■『フォトカノ(2013)』
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近年における変態全面背動回り込み。立体的タイプ。
とにかく動かないモノ(イス、机、窓)のパースペクティブ変化の作画が大変ですね。ただでさえめんどいパースの変化というものを、セルで描いちゃうという。作品内におけるカメラでの目線ということで、こういう表現を意図的にしてるんだろうと思うけど。若干イスに違和感を感じる(※カゲのせいかも)けど、どうやって書いてんのかなあ。普通に書き送りですかね。


■『名探偵コナン 14番目の標的(1998)』
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一部背景動画での回り込み表現。水平方向タイプ。
若干バレットタイムっぽくもありますね。ストーリー的には、小五郎のおっちゃんが、過去に妃(奥さん)を撃ったことに蘭ねーちゃんは怒ってたわけですけど、その伏線を回収する大事なシーン。コナンくんが銃をとり、過去のおっちゃんと同じことをするわけですね。コナン君だけの主観的な時間になってることは分かると思う。当然みんな物理的に拘束されているわけではなくて、「息を呑む」という表現が一番いいのかな、そういう感じで動けなくて、コナンくんだけがゆったりと動く。結果的に、シーンの重みというのを上手く表現してる。


■『きまぐれオレンジロード(1988)』 3期OP
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全面背動回り込み。水平方向タイプ。
ペットのジンゴローを中心に、キャラを見せていく演出。カメラはラブコメに合わせるように、ゆっくりとした動きを見せてます。背景動画ですが、作画的には省略・簡略もあって、男の子の顔面をさほど細かく角度別で描かない(カメラのTUで回避してる)代わりに、ネコの方に力を入れているように感じる。「このカットではネコが重要なんだ」と、否応なく思わせる演出な気がします。マッチカット的シーンつなぎの連続で、面白いOPでもあるので未見の方は是非。(※こういった背動回り込みは、『ハイスクール奇面組』など、福富博作品ではあるある回り込み作画のようです。)


■『涼宮ハルヒの憂鬱(2009)』 24話
20140831022659

全面背動回り込み。立体的タイプ。
長門が去っていくのを呆然としながら捉える、キョンの目線がカメラに反映されている形。カメラはTBしつつ、ぐっと左に回りこむ。位置関係的には、こんな感じ。

ハルヒ説明1 
この去っていく長門は、ネガティブなことを言ったので、キョンも呆然・呆気にとられて長門を目で追うしかなく、そのキョンのどうしようも無さとか、呆然としてる感じを上手く出してる。この図で言うと、左から右にキョンの視線が動くので、カメラは逆の動きになる。俯瞰的なアングルにしてるのは、そこに視聴者の客観的な目線を要求してる(※そういう風に見てね、という意図)からだと思う。この一連のシークエンスを目撃してしまった、みたいな。主観的なキョンの目線と、視聴者の客観的な目線が重なって、こういうカメラワークになってると思う。



今回はセル作画の回り込みを中心に見てきました。
これは、前回見た”擬似的な回り込み”とは違い、実際にカメラが回りこんでいます。だから、撮影や美術との兼ね合いというよりも、アニメーターに委ねられる場合が多く、アニメーター自身の技量が出る作画表現でもあると思います(※CGをアタリにして描いてるのありますが)。

何か上手いこと言えませんが、次回に続く。 

■野球

亀井・アンダーソン・長野・菅野の怪我は痛い。でも隠善が久しぶりに見れて、しかも打ててよかった。由伸が自分のように喜んでいたのは、きっと練習他色々と見てきた親心みたいなもんがあったんだろうね。星野上げろよ、原。外様に異様に厳しいよねこいつ、アホか。しかし、村田・大田は酷すぎる。サードいねえよなあ。坂口、中井ぐらいしかいない。後は大累か。坂本も地味に冷えてきた。けど、ここが正念場。9月頭の広島戦、ヤクルト戦、この6連戦が多分鍵を握ってる。主力が戻ってきて、さあどうなるかというところ。

今のうちに今年のベストオーダー(CSも含めて)出したいと思う。

DH無し:1長野2亀井3坂本4阿部5高橋6片岡7橋本or中井or横川8小林
DHあり:1長野2亀井3坂本4阿部5片岡6高橋7ロペス8橋本(上と同じく)9小林
控えは(8・9人)井端、中井、横川、鈴木、寺内、實松、ロペス、アンダーソン

もう亀井の体的にもサードで使うべき。
サードってそんな故障しやすい守備位置でもないよね。
飛びつくぐらいじゃ流石に壊れんだろうし。
まあ守備の人が復調すれば、当然6番ぐらいは打ってもらいたい。

こんな感じか。まさか由伸を2014になってもスタメンで見るとは思わなかったよ。
もう若手を見る余裕も無いだろうしね。 
阿部が復調しなけりゃ、ファーストはロペス・アンダーソン。 
松本は間に合わんだろうな、やっとこさ日シリの時期だと思う。 

由伸ケガを知ったのは、この2日後でした。泣きたい。
中井頑張れ。



■原画の名前表記

これは権利的な話ではなく、受け手側の目線から。
世の中には、「この原画を誰が描いたのか?」ということを原画に名前付きで紹介してもらいたい人が大勢いてひどくびっくりしてる。いや、パート当てゲームを楽しんでるとかそういうわけではなくて、僕としては純粋に絵だけを見たいのよ。例えば、「沖浦啓之」って表示されてたら、マーニーRT(どっかの誰かが晒してた原画に「沖浦」って表示があって、リツイートされまくってた)みたいに無条件・無自覚で賞賛されてしまうのが嫌なだけで。

権威主義に陥ると、前述した通り、瞬間で思考は盲目の世界になる。考えないで答えだけを見るのは、とても愚かな行為であるのは間違いない。悩んだ末に見たり聞いたりするのはいいと思うけど、すぐさま答えがあるのはおかしいんじゃねえのっていう。そこんとこ悩まない、バカはすぐ飛びつくんだろうけど。何らかの助力はあるにせよ、名前という表示は、自分で知って掴んでいくものだと思う。原画に名前が載ってるのは、数学のテキストなんかで言うと、解答だけ載ってて、過程の説明がない感じ。そこが一番楽しいはずなのに、何の実りもない。

「オレは別に権威主義なんかに引っ張られないから。」って考える人もいるだろうけど、権威主義って多分、僕たちが思ってるより強大な力があって、「沖浦啓之」っていう表示だけで凄まじい風圧がある。それまで丁寧に積み重ねていた思考なんてものは、たちまちふっ飛ばされる。

権威主義は増強剤的役目も兼ねてるけど、それはいいと思う。
ちゃんと考えてるって分かる証拠だから。



■甲子園

三重の選手は素晴らしい。監督はほんとに素人かと思うぐらい酷かった。結果論でも何でもなくて、あのスクイズはあり得ない。当たってるんだから振らすべき。後は、2度(桐蔭のバッテリーミスも含めると3度)のバントミスが痛かった。きちっと、1死2,3塁の形を作れていれば、1点は入ってた。まあ、一番許せないのは終盤の思い出代打なんだけど。  

甲子園もますますセミ・ドラフトみたいになってきちゃって、何か良くないね。ダルが東北で投げてた頃ぐらいが一番良かった気もする。まあ裏金問題とか色々あった時期でもあるんだけど。よりマスコミが選手を押すようになった感じと言ったらいいのかなあ。そんな大選手でもないのに、名前だけで報道しちゃって(※龍谷大平安の4番とか色々)、これは原画の話にも通じるとこがある。後は、去年のカットマンと今年のイーファスだね。ああいうのは、何がしたいのか分かんない。物議を醸すことでもない。甲子園をダシにして騒ぎたい輩がやってるだけだよ多分。僕は、日本文理の飯塚くんとか、八頭のだれだっけ、すげーいいバッターと、後は、豊中の田中くんだね。彼らはプロか社会人行くと思うし、頑張って欲しい。全部見れたら、こいつは注目すべきとか分かるんだけど、流石に無理だからね。



■ジブリ後継者

まあ色々と雑感と意見を。米林、吾郎と色々試行錯誤して鈴木が何とか、存在しないはずの”ポスト宮崎”を作ろうとしたのは大体の人は分かると思う。宮崎駿は、今敏と同じく、ポストがいない存在だから。だけど、経営者的には次のジブリの看板を作らなきゃいけなかった。そいつが次のダライ・ラマにならなきゃいけなかったんだけど、結局『アリエッティ』も『ゲド戦記』もダライ・ラマたる存在になるには爆発力がなかった。

2作目の『マーニー』と『コクリコ坂から』もそんな爆発しなかった。本当にね、仕方ないことだと思うのよ。結果的には、自分で選んどきながら、その今までの労苦・努力・5カ年計画をかなぐり捨てたのは最低だけど、もうしょうがない。鈴木が後継者決めるのもおかしな話だと思うけど、宮崎駿から直々にするわけにもいくまいし。そんなことを公の場でする人でもないだろうし、鈴木がこれまでもあることないこと言ってきたし。もう身投げの宣伝だと思うんよ、この後継者問題っていうのは。正確には、虚像の”ポスト宮崎”という存在を作る作業なんだろうけど。

僕としては、何故森田にもう一本撮らさなかったのかっていう思いが非常に強い。一番はまってたのに。ファンタジーも十二分にできる監督だと思うんだよ、森田は。テーマ性とか、作家性みたいなこと言い出すと、全員もうダメになって、「家族で楽しめるジブリ」っていう方針なら全然いけたのに、そこにこだわりすぎた。実際、『猫の恩返し』『ゲド戦記(コクリコ坂から)』『アリエッティ(マーニー)』並べて、どれが一番茶の間で受けるかといったら、やっぱり『猫の恩返し』と思うんだよ。

それは何でかというと、ファンタジー感は他の2作に比べて少ないけど、デジタル初期ってこともあって、シンプルな線と色味がいい。それと、お話も難しくないし、キャラは立ってるし、茶の間では必ず受ける。そこにテーマ性があるかと言われると、絶対ないんだけど、そういう方針で行くべきだった。正確に言うと、”ポスト宮崎という虚像”を諦めて、ニュージブリ路線(※オールラウンダーな内容)の開拓をするべきだったと僕は思う。

だから、吾郎と米林と森田並べたときに、「どれが一番ジブリっぽいですか」って聞かれたら、それは、米林とか吾郎になるんだけど、「どれが一番家族と見たいですか」ってなった時には、『猫の恩返し』になると思う。これは僕の主観だけど、いくつか根拠もあって。例えば、カラスが喋るとか、ツンデレデブネコとか、スマートな紳士ネコとか、色々と押さえるべきポイント(※家族で見て、ヴィジュアル的に・直感的に楽しい)を押さえてる。主人公は女の子で、そんなクセがあるキャラデザでもないし。こういう感じで、森田に監督もう1本やらせろってのはずっと思ってた。

ジブリ色というモノを捨てきれなかった経営陣の負け、と思う。ジブリというブランドは既に確立されてるんだから、そこを濃くする必要はない(※既に差別化しきってる)のに。だから、何度も言うけど、「家族で楽しめるジブリ」で良かった。安心して親が見せられて、親も少し楽しめるアニメにすればよかった。爆発力よりも、1000万人が安定して見れる力みたいなものが必要だった。そんな感じ。

もしかしたら、巨人の監督みたく、「生え抜きじゃないとダメ」みたいな理論があるのかもしれない。別に視聴者は気にしないと思うけど、世襲っていうモノを大事にするんでしょう。

「Under the Dog」というアニメが、今制作資金の募集中です。
公式サイト
公式 キックスターター  

監督は、アクションアニメが好きな人で知らぬ人はいないであろう、安藤真裕。
原作・脚本は、「428~封鎖された渋谷で~(canaan原作)」などで知られる、イシイジロウ。
キャラクターデザインは、ゲームなど多方面で活躍されている、コザキユースケ。

【OTAKON 2014】イシイジロウ氏原作SFアニメ『UNDER THE DOG』Kickstarterプロジェクトが始動!コザキ氏、由良氏と共に「OTAKON 2014」へ登場
安藤真裕、コザキユースケら参加──SFアニメ『UNDER THE DOG』始動  

この2つの記事が、全体の情報がまとまってるかな。

ちょっと上記のリンクから引用を。 

由良浩明(引用者注:プロデューサー。録音監督等で活躍)さんは「製作委員会方式はクリエイターを制限する側面がある。制限をなくしてつくりたいと思ったときに、Kickstarterで出資を募ろうと思った。新しいアニメの作り方、クリエイターにとって自由な場をつくりたい」と熱く語り、『UNDER THE DOG』にかける想いが並々ならぬものであることが伝わってくる。
ということで、「吉成アカデミア2」よろしく、製作委員会方式をとらずに、クラウドファンディングで制作資金を調達する方式です。この時点で、賞賛したい(※もちろん、これだけで作品の内容を全肯定するわけではない)。まあ、安藤真裕さんのネームバリューとかあるんだろうけど、ゲーム業界方面からこういうのが始まるっていうのが何か色々と感じます。

9月8日まで、制作資金の募集は続けており、2014/08/24現在は24万ドル(約2400万円)。後2週間で、半分ですね。そんで、パイロット映像というか、ティザー映像があって、なかなか見応えがあるものになってます。

■『Under the Dog ティザー映像』


制作は、キネマシトラスとオレンジ(CG)。『ブラック・ブレッド』等の体制と同じ。key animator(原画マン)というクレジットになってるのは、佐藤雅弘と石井百合子と伊藤秀次さん。全員、安藤監督作品の常連ですね。

この映像においては、多分佐藤雅弘がメインのアクションで、伊藤秀次は爆発と他キャラのような気がする。石井百合子さんは序盤の女の子とかですかね。(※初見では、爆発は阿部望かと思ったけど、タイミング全然違った。言い訳ですけど、この2人の爆発ちょっと似てる気がする。)


空から銃を撃ちながら、降りてくる主人公
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空中において、下半身(太ももや足先の)微妙なバランスを取りながら降下しているのがすごく伝わってくる。上手い。空気を足で掴んでいる感じが、ものっそい良い。足の広げ方の多少の差が、それを表現してる。


着地と敵キャラの落下
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画面にスッと入ってきて、鉄骨に着地。画面動もいい感じですが、やっぱ髪の毛がいい。遅れてくる髪の毛のリアクションは、『canaan』でも触れたとおり、やはり重心の移動がビジュアル的に分かりやすい。後は頭部の動きも同じく。また、敵キャラの崩れ方・落ち方も自然かつ、しつこい感じがしなくて良い。


壁を使い避けて攻撃するアクション
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銃弾を避けるために壁伝いに走り、体をねじって敵の方へ。壁から壁に移るときが、すごい。画像を見て分かる通り、この2枚で(壁から壁への)移動を表現してる。キャラの背中が全面に映るような作画がもう1枚要るような気がしてならないけど、それは多分蛇足で、この2枚でシーンは綺麗に繋がっている。後は、敵を蹴る時の無駄の無い機敏な動きとか、連鎖的に敵が殲滅されるのは『canaan』とよく似ている(※安藤真裕が、単純に好きなのか)。そして、敵を蹴る時に若干無理をしたので、着地の時に重心が若干ズレている描写もまた非常にスゴイ。(※佐藤雅弘を分析的に見たのは「canaan」のみなので、ここは的外れかもしれない。)


首切りアクション
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スッとジャンプして、倒立し首を掴んでから、切り裂くまで一瞬。最近だと、『黒塚』を思い出したりします。倒立状態になってから、切り裂くまでずっとキャラは敵の方をしっかりと見たままで、プロの傭兵感がバシバシと出ている。野球で言うと、最後までボールから目を離さないのと同じ。


CGバイクと爆発
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爆発するタイミングに一面デジタル効果の光エフェクトが広がって、衝撃波のように爆発のスケールやその爆発の瞬間自体を誇張している。爆発表面の温度表現(白→黄→赤→黒)も素晴らしく、また破片も(これはCG込みかもしれないけど)、画面の情報量的に良い感じ。後、一発目の爆発の後の破片は、画面右下に流れるように散ってる。これは多分、主人公のバイクが後退する場所に焦点がいくように計算されていて、画面に集中できると共に、その集中・没入のおかげで次の爆発がいきなり来るように感じられる。


ヘリ爆発
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これも上と同じく。破片は伊藤秀次っぽく、長方形とやや正方形の組み合わせで。画面に押し寄せる爆発は、言うまでもなく臨場感を増し(※対岸の火事であったモノが、あっという間に目前に広がる)、しかもデジタル的な撮影処理のおかげで、ダブラシ煙がいい感じに爆風を表現してる。ここは画面のレイアウトもよく、手前のビル内部がセルに移り変わる時も違和感は全くといっていいほど無い。爆発と熱風でねじ曲がるの描写しているであろう、ビル内部の描写もいい。(※余談ですが、「Q」で判明していなかったカッケエ爆発は、伊藤秀次であると今は思った。)


かっこいい。キネマシトラス+オレンジ制作ということで、当然CGにも期待できるだろうし作画も良さそう。一応暇があれば、キックスターター公式サイトも訳したい。(※まあ、CIA的には市場は日本には無いという事なんだろうけど。バイオ4とかのゲームが海外で大ヒットするように、やはりキックスターターの対象は海外の人でしょうけど。)

最初にも貼ったけど、一応もう一度キックスターター(制作資金を送れる)のページも貼っておく。 
『サイコパス』とか、ガンアクションやSFが楽しめる人には合うと思う。

公式 キックスターター 

■はてな民という民族

そういう括りで色々というとまた語弊があると思うけど、でもやっぱ賢くない人が多い集団。賢い人は、やっぱつまんなくないのよ。面白い。はてな民は、ウイットに富んだ自分たちっていう偶像に溺れてて(酔ってすらいない)、一部は文章の技術だけ達者で、やってることはしょうもないのに。で、それにリンク貼って、カウンター記事の繰り返しだから、何がいったい面白いのか分からない。後、彼らは「皮肉」とか「風刺」ということをきちんと理解していないと思う、残念ながら。カウンター記事とか、話題になってることのみを頻繁に取り上げるいやらしさっていうのは、マスコミのワイドショーと同じで。どのチャンネルに変えても同じことしかやってないから面白くない。まだ意見に差があれば面白いのに、差がない。というか皆自分の主張を通そうと必死で、他人の意見が闇の中。そんな感じ。

「はてブ」というシステム自体は素晴らしいものなのに、使うユーザーに賢い奴が殆どいないという何とも阿呆みたいな現実が、そこには横たわってる。いや、バカはどんなコミュニティでも一定数いるべきなんだよ、そこは否定してない。働き蟻の理論と同じく、2chにもミクシイにもニフティにも、ツイッターでもバカはいるけど、はてブは多すぎる。結果的にヤフコメと同じくらいの酷さ。それぐらい、自分では賢いと思って、そういうポーズをしてる人が多い。どんな人かは言うまでもない。

はてな民が真っ先にやるべきことは、「はてな運営にもっと辛辣になる」こと。このサービスクソ、もっと直せ、使いやすくしろ、UI変えろと毎日駄々っ子のように騒ぎまくる。何かずっと仲良しこよし(※正確には無関心、無接触)でやってる様子で、つまんない印象しかない。ニコニコや2chユーザーは日々文句言ってんぞ。はてな民が、それをできない理由は容易に分かる。自分の浸かってるサービスに対して、みっともなく反抗すると、必死で阿呆っぽく見えるから(笑)

ということは、至極まともに反抗できる能力がないと言える。だから、賢いヤツが少ないっていう結論に繋がる。でも、みっともない反抗って能力なくても多分出来るよね。それを邪魔してるのは、自尊心か矜持か何かそこら辺のクソみたいなもんで、結局、阿呆に見られたくないから、文句が言えない。

駄々っ子になる人が増えない(もっと言うと、いい子ちゃんぶってる奴が多い)から、FBも同じようにコンテンツとして成熟しない。だから、見た目は「はてな」とか「FB」の方が大人に見えるんだけど、中身を見ると「2ch」の方が大人なんだよね。「おっぱい飲みたい」って叫ぶことは、立派な自己主張で然るべき要求だから。コンテンツを家庭とすると、よく分かると思う。

で、これを書いたのが2日前なんだけど、今再考してみると、賢い人がいないんじゃなくて、ただ単に2ちゃんねると同じなんだなって。つまりロム専の方にいるということなんだ、多分。2006-8頃の2ちゃんねるのロム専は、どっちもいたと思うけど、はてブの場合は賢い人ほどコメント等残さないんじゃないのかな。なんとなくだけど。



■批評性

多分、何人かの賢い人は気付いてると思うし、「それをしないで、ただ今は逃げてるだけだ」、とも考えてると思う。僕の批評について。canaan記事を最後に、僕は批評をしていない。というか満足に批評・批判をしたのは、「エヴァQのカヲル君耳」記事とか「キルラキルの脚本」記事とかで、それ以外は多分批評のレベルにもない。「寄生獣」記事は少し頑張ったけど、あれもまだ全力じゃない。「おたくのビデオ」記事は、たまたま流れ的に(アオイホノオがドラマ化したとこに乗っかって)ウケただけ。

歯に衣着せない意見を表に出すのを恐れすぎてるきらいがあると自覚してる。それは、どっかに晒されたとか、はてブで的外れな事をボロクソに言われたとか、色々と外的な要因もあるんだろうけど、一番の原因は分かってるけど言えない。それは最低で、批評・批判・論評という事においては何の役にも立たないモノ。治したいとも思ってるけど、これは僕の人格的な問題にも波及する。 それを引きちぎって治せば、色々と悪いことが起きるのは間違いない。でも、多分良いことも起きる。正しく批評するということは、もっと正確に分析することに繋がるから。

結局、この場合だと防衛本能に帰結してしまう。そういう意味で、僕に必要なのは、多岐にわたる語彙と建前と本音の使い分けなんだろうか。建前は建前と分かった上で、使うことにより初めて効果がある。建前と本音の境界線が滲むと、曖昧になる。だから、物事が正確に見えなくなる。「僕の意見」というのは、たとえ似ている意見があってもオリジナリティの塊であるはず。バイアスがあるからこそ、意見は面白いと思う。他人と趣味や嗜好、価値観が一部共有して異なって、衝突するから、2chは未だに栄えてるわけで(ほぼ死に体だけども)、そこに根拠や論理があれば素晴らしいものになる。と思う。



■著作権は、これから必修科目かもしれない

軽く押さえるのであれば、誰でも出来るだろうし、著作権の中身と著作者人格権ぐらいも知っとくべき。後は、商標、特許、意匠をそれぞれ軽く押さえとけばいい。著作権の中身が重要というよりは、具体的な場面・状況での効果と権利を知る方が重要。「店内での音楽の使用は何にあたって、違法でないか否か」みたいな。 そういうのをいちいち考える方が楽しいし。

権利と義務の分野はやはり、真面目に教えるべきかもしれない。年間1単位でいいからね、保険とか源泉徴収とかそういう社会の基礎を考えてさせてね(知識としてではなく)、色々とやった方がいい。これは間違いなく。

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