GOMISTATION.OLD01

I LOVE U,I KILL U

2014年10月

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これは「読む」アニメということに気付きました。

アバン:シオネ(青髪ヘッドホン)の昔に対する描写

A:オリエンテーション前半
・柚季(リュック)と湊太(双子兄)の対抗
・シオネとノノカのすれ違い・勘違い
・ノノカとこはる(看板娘)とユズキが仲良しに

B:オリエンテーション後半 
・いなくなる汐音
・探すノノカ
・戻ってくる汐音
・追いかけるノエル
・円盤=ノエル

という感じ。 

この「天体のメソッド」という作品は、どうにも「読みにくい」「見にくい」アニメだと思っていたんですが、1話で人間が処理できる範疇を超えて、色々とやりすぎなことに気付きました。僕は、「円盤」というものを中心に展開されていくと思ったんですが、決してそうではなく、過去の回想を含めた青春群像をまばらに意図的に描いています。チャレンジャーですね。

「わかりにくさ」には、何点も起因するところがあるのですが、特にそう足らしめている部分を列挙すると次のようになります。

・ノノカに対する主要キャラクターの記憶の差異
・主要キャラクター5人の現在と過去(回想)での描写+ノエル
・1話数に様々な要素を詰め込みすぎている
・呼び方が安定せず、キャラクターの把握がしづらい

・ノノカ自身の記憶の不明瞭さ


まず1点目についてですが、ノノカに対する記憶の違いというのは、「ノノカがこの街に昔いたかを覚えているかどうか」という部分です。こはる、柚季、湊太に関しては、ノノカを「転校生」「観光客さんじゃなかったんだ」という風に捉え、回想で描写された過去に関してはすっかり忘れているようです。しかし、汐音ただ一人だけは、「ノノカはこの街に過去にいた」と確実に記憶しており、こういった部分で少し錯綜している感じがします。

そして2点目ですが、これは1話に関して。アニメ作品における1話というのは、登場人物の紹介とキャラ付けと認識しています。しかし、この「天体のメソッド」では、「ガキ6人+過去回想での5人+円盤」というてんこ盛り具合で、1度の視聴では全体的な把握は困難を極めます。これは、次の3点目にも言えることですが、要素を入れすぎていて、主眼・焦点への視線誘導ができていないように感じます。要素詰め込むので一杯一杯みたいな。

3点目。前述の2点目に付け加えて、各キャラの心理描写と円盤がこれに相当します。主要キャラクターのノノカへの感情をそれぞれ丁寧に描いているという印象はなく、3話で柚季・ノノカ・こはるがそこそこ親密になっていたりと、絶望的に描写が足りません(※最低でも、オリエンテーションに行く班決めのシーンは欲しかった)。「キャラクターが友好的になっていく」という描写が少なく、ノノカとこはるの仲睦まじい様子は素っ頓狂な感じがします。つまりは、必要不可欠な描写の絶望的な欠如がストーリーの把握を困難なものにしています。 昨晩Twitterで申し上げた「回想・伏線のレンジが狭い」というのは、「回想シークエンスの長さ・描写が足りていない」、ということです。それ故、短い描写・回想で理解をしていくしか無いのです。特に、汐音のノノカに対する否定的感情はどこから発現しているのかということは、描写されなければならないような気がします。

4点目。これは個人的な問題かもしれませんが、「呼称の違い」というのは、ただでさえ覚えにくいアニメキャラクターの名前というものをさらに複雑化しているように感じます。特に3話が顕著。ノノカが汐音を呼ぶときに、「トガワさん」「シオネさん」と使い分けています。名前の使い分け、というよりも、その後に対する敬称の付け方が同じなので、脳内で違和が生じているんだと思います。「シオネちゃん」「トガワさん」と分けてくれた方が個人的には良かった。

5点目。1~3話まで観直しましたが、ノノカの記憶に関する描写も少ないんですよね。ノノカはどこから何処まで覚えてるとか、セリフ・回想で出てこない。回想では思い出すんだけど、それも唐突さがすごくあって。「子どもの頃のことはね、ほとんど覚えてないの」っていう風なシーンを挟むだけで全然変わってくると思います。


3話は、どうだったかというと。

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2話からの時間経過が分からないオリエンテーション。もっと柚季やこはるとの親密さを増す回を入れても何とも思わないし、そうしてもらわないと「何でこいつらこんな仲がいいんだ」と腑に落ちない。


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汐音のノノカに対する累積した負の感情は、当然その原因は推測することができます。円盤を呼んだのに、その後いなくなったとか。円盤を呼んだ張本人のくせにとか。しかし、絶望的に描写が足りてない。アンジャッシュ的なすれ違いにもなってない。「勘違いしている」描写があるから、その怒りも分かるというもので。汐音のその描写が存在していないのは、何ともいただけないなあと。だから、回想で「何で引っ越しちゃったのよ!何も言わずに」とか、そういった感じの場面をインサートすれば全然問題なかったと思う。



対して、円盤に対する描写は良かった気がします。

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こういう角度まで決まった煽りの画面設計は上手い。特に、左は1話にも同じ画面があって、円盤が存在する以前・以後の画面作りは意図的にやっているだろうし、そこは思惑どおりに反映されてると思う。 


こんなとこです。(1h20m) 

ちょっと今回からタイトルも追加してみました。 


作劇・脚本・展開。

アバン:コンサート会場へ急ぐ一同
A:宮園かをり演奏
B:演奏終わり、後日談

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今回は宮園かをりの演奏の素晴らしさと聴衆への訴求性。同時にその演奏によって心揺さぶられる有馬公生。この2つを中心に描かれていました。ラブアンドコメディとボーイ・ミーツ・ガールの中間的作品ですが、今回(前回も)はどちらかというとラブコメ調ですね。

全体的には、良かったけれども、演奏終わりの有馬・渡・宮園の三人の演出はいただけないような気がします。Aは素晴らしかった。Bはね、作画も含めて、あんまり良くなかった。

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どう具体的に良くなかったかというと、「有馬の宮園を迎えに行くような動き」ですね。これは、原作読んでるからかもしれませんが、誤解を生みますよ。そもそも、原作では有馬は本当に蚊帳の外という感じで、迎えに行こうとすらしていない。それなのに、アニメでは一歩踏み出してしまって、何か宮園に声をかけにいくような様を描いてる。違うんですよ、ここでは有馬はそんな意識すらなく、自分から蚊帳の外に行ってると思うんですよ。

「映画のワンシーンのようだ」と有馬が再三言っていたように、有馬はこのシーン(宮園かをりと渡が再会するシーン)を客観視してるんですよ。ああ、すごいなって。でも僕は脇役でしかないっていう卑屈・陰鬱さを持って。それなのに、何故か一歩踏み出して行っちゃってる。ここはねえ、有馬にそういう希望(好かれてるかも)とかいう感情は多分一切無いし、関わりを持とうとも思ってない。それは前述したとおり、この場面・状況を客観視してるから。だからこの2話は惜しい。





作画。


アバンの歩き、Aの演奏、CGピアノ。良かったですね。
Bはちょっとヘタった感じがありましたけど、あれは作画配分の問題でしょう。

で、海外サイト(国内もかな)では、このシーンに対する酷評が多く。

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あんまり酷いとは思わないんですけどね。
「拡大作画にして」とまでは思わない、大変だろうし「これぐらい別に」と思う。
ただ、譜面が消えてしまってるのは、もったいないですね。
これはおそらく演出・作監・動検のミスですが、しょーもないミスを責めるのは酷でしょう。
ラッシュの段階で制作側もわかってるだろうし。そこら辺は、寛大にいきたい。


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対して、Aの演奏は良かったですねえ。
後ろのピアノ伴奏の戸惑ってる感じも素晴らしかった。基本2コマで。
(2枚目は、1コマでしたが、ここも譜面めくる等芝居が細かく描かれてた)

4枚目のピアノ・手CGは素晴らしかった。
サンジゲンに追いつくような勢いのCGですね。良かった。
これ音合せも相当頑張ったんじゃないのかなあ、すごかったですよ。

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後は、コンサートホールに入る瞬間のエフェクトが素晴らしかった。
閉塞的な空間に新鮮な空気が入っていくと同時に、その空間内との温度差とかそういったモンを表現してる気がします。後、ホコリの感じとか。すんごい上手くないすか。エフェクト好きなので、特に良かったです。


こんなとこです。(17m58s) 

通称『ゆゆゆ』。制作は『咲-Saki-』などで有名なStudio五組。

物語としては、「勇者部」という部に所属する4名の女子高校生がその活動や学校生活を享受しているところに、いつの間にか異空間が現れ、敵らしきモノと戦闘するという感じです。

劣化ビビパンとか、まどマギのパクリとか宣う猿がチラホラいますけど、もうそんなん言うやつにはイクサーロボで殴ってやれば良しです。果ては、『魔法騎士レイアース』でも「突然の異空間」は存在するわけで。自分の無知さを公に表明しているにすぎません。確かに既存的・既知的な展開ではあるかもしれませんが、それは「邪道が王道になっている」というだけのことであり、つまるところテンプレート化しているわけでしかありません。それに対し、やれパクリだのと罵るのは、「無知からくる王道に対する拒絶」であり、いわば高二病のようなものです。異空間に対する意見はこのへんで、長くなってもアレなので。 

この1話で一番良かったのは、下半身不随の障害者(原因は精神的衝撃かもしれませんが)であろう東郷の描写。障害者というキャラクターを、アニメですらすらと小川が流れるように描く様は感動を覚えました。(※ナナリーもいいんですけどね、ナナリーはちょっと何か別じゃん。)


例えば、学校でのこのシーン。
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生徒たちにとっては「これらは自然なこと」であり、日常生活での円滑さが伺えます。もちろん不便なのは不便なんだろうけど、それが当たり前になっているというか、基本的な行動は健常者に比べ遅くなる分、ホームページ作成という他の分野で補うのもいい。それでいて、何か補助をしてもらう時に傲慢さも何もない。全てが溶け込んでいるのが、いいですね。

当然、本題はここには無いかもしれないけれど、僕は一番良かったです。 





作画。


橋口(隼人)さんは、カレー猫を描いたらしく。(カワイイ) 
周辺のカットも担当されたのかなあと推測。

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野中は来ると思ってました。五組とは何だかんだ縁ありますよね。
パートはおそらく、「逃げて!ユウナちゃんが死んじゃう」から「ユウナちゃん!」ぐらいまで。

【追記 2014/10/20】
変身後は野中らしい。(本人ブログに記載あり)
僕の推測したシーンが含まれているかどうかは不明瞭。

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ここすんげえ上手かった。
東郷の頭部から肩あたりの動かし方は、すごく良かった。
爆風の衝撃波が来て、それに仰け反るリアクションが緻密。
後、野中エフェクトって単色でやるんですよね。カゲあんまり付けない。

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こんな感じに。この作品でもありましたね。 



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(『さくら荘のペットな彼女(2012)』 8話)

まあ単色でやる人が多いってだけの話なのかもしれませんが。 
そんなとこです。 

新fateは第2話へ。(※第2話も2話数分の尺なんですね。)

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まあ#00で言ったとおり、同じ時間軸をどのようにシロウは過ごしているか、というものを描く話数でした。シロウというキャラクターの基本的な性質の描写については、今後もありますが、今のところ「DEEN」版の方が上手く描けているように思います。それは中心キャラクターを少ない人数に絞ったことであるとか、色々起因することはあると思いますが。

でもまだまだ実質1話ですからね、次からどういう風になるのか楽しみ。


アバン:冬木市過去回想~シロウの現在
OP:実写も交えて、カッコイイOP 若干zeroっぽさもある
A:シロウの食卓と学校生活
B:トレース・オンとか、弓道部ワカメとか、人違いとか
C:冬木回想 切嗣登場
D:戦闘に巻き込まれる、セイバー召喚
(パートは前回はきちっと分けたけど、今回は間違ってるかもだから参照程度に)

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アバンの「静」的な感じは凄く良かったです。自然であまり意味はないんだろうけど、岩井俊二的な日常生活感が出ててよかった。

小耳に挟んだところによると、「UBW」とはアーチャールートの事であり、すなわち「DEEN映画版」と同じルートという解釈でいいんでしょうかね。型月は化け物コンテンツですが、一方で複雑コンテンツでもあり分かりにくいですね。別のでは、もりやまゆうじさんも参加されてたりした記憶が。




今回は、ufotableのCGについて少し。
全般的にufotableが得意としているのは、光・破片・火などのエフェクトCGだと思っています。人のモデリング・アクションについては、Aパートの登校風景を見てもらえれば分かるように、おそらく得意分野ではないでしょう。
 
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後は人工建造物でしょうかね、まあ「オレンジ」とか「サンジゲン」にはそこまで及びませんが。この火花、光、炎等のエフェクトに関してはufotableはすごく強いです。画面の情報量のコントロールもしっかりできてると思う。



レイアウト。

まあ「DEEN」版の時とは違い、ロングショット(気味)が多用されている今作ですが、それは屋内でも変わらず存在しています。まあロングというか、少し遠目からの画面が多いということですね。

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こういう所。で、それ自体はそういう方針だから別段どうでもよくて。
野暮なツッコミかもしれませんが、机の大きさが画面に合っていないような気がする。
なんかね、ビスタ(スタンダード)サイズを制限いっぱいに使ってやろうみたいな。
エロゲー・ギャルゲーの画面意識かもしれませんが、何か少し違和だったので。


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まあでもこういうロングは上手いわけで。
今回は、ロングショット=ホラーとして使用してる感じがありますね。


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切嗣のところの演出は良かったと思う。
これは上手かった。 時々ジョージ・クルーニーの顔が脳裏に浮かびますが。



作画。

アクションでは、ここが一番良かった。

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シロウが踏ん張って、走る方向を変えるシーンね。
ここは上手かったなあ。誰が描いてんのかなあ、良かった。


エフェクトは、ここでしたね。

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まあもう少し、コマスピード落としても(基本1コマだったので、2コマでやっても)大丈夫な気はしましたが。こういった写実的な煙はいいですね。ここは原付きの挙動も含めてよかった。

後は、OPのここですね。

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おそらく阿部望作画。
OPスタッフクレジット何故か無かったと思いますが、まだ未完成なんですかね。


あ、後!

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中野フラッシュ!
嘘です、ごめんなさい。

といったところで終わり。 
 

カッターに始まり、カッターに終わる。当然、エロゲー原作ですけど、言うほどハーレムものでもないような気がします。風見にとっては、師匠とJBという存在がいて、まあそれが自分の価値観に直結してる。後は、サカキが一番まともそうですね。他はおかしいのばっかだけど。

アバン:カッターサカキ
OP:お前ペルソナみてえなOPしてんなあ。カッコイイ。野中作監(共同)。
A:師匠と本とザリガニと。ザリガニでけえな。
B:JBおばさん、いいですね。風見、既に他キャラと馴染んでで笑いそう。

今週一番おもしろかったのは、サカキの「(風見の)情報をいくら探しても、不可解に錯綜する。だから、風見はまともな人間ではない。」という論理。これね、本当に面白くて笑った。「あやしい人間」という感じなら分かるんだけど、まともじゃないって個人に対する否定は何か的外れで、でもそれがサカキっぽさなのかもしれないですね。



作画。

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総作監補佐ということで、動きには野中色も結構出てる気がする。
今季はグリザイアがっつり、という感じでしょうか。


アバン上手い。
アバンのカッターサカキは完全に野中。

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これは後でgifにして追記するかも。

後はB明けの最初のコケるサカキ。
「よれ。」の後ね。ここも野中っぽい。

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後、JBの車は、フェラーリのようで。
(※詳細な車種までは分かりませんが)

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279fded760

http://minkara.carview.co.jp/en/userid/445057/blog/25646172/から引用

フェラーリの画像参照例

まあ、どうでもいいですが、カッコ良かったんで。
(もっと流線の部分に濃いディテール付けてもいいと思ったけど。)
もうちょっと目が尖ってるイメージなんですが、意外と丸っぽいフォルムでしたね。


【2014/10/21 追記】

えっと、車に詳しい方から情報を頂きまして。
「グリザイアの果実 2話」に出てくるJBおばさんのフェラーリ車種は、「360モデナ」という種類のようです。

1. 通りすがり 2014年10月20日 20:25
Tumblrで記事を知ったので。
フェラーリのモデルは「360モデナ」だと思います。
少し前の型ですね。 
01y 360 umekomiFerrari_360_interior

カッコイイ!
中古でも900万ぐらいはするようですね。JBおばさんに養われたい。
運転席内部も少し古さは感じますが、オシャレ。 

これはwikiにも書いてあることなんですが、ちょうどF1におけるフェラーリが躍進していた時期なんですね。だからバカ売れしたそうです。じっさい、フォルムの流線(特にやっぱ顔だなあ)カッコイイですしね。スポイラーは、またレース用とかにもよりますけど、高くしても似合いそうですね。

ということで、通りすがりさん、情報ありがとうございました。 

お話的には、ノノカとユズキ、後バスの中の女の子との出会い。青髪すまし顔の女の拒絶。「円盤」というものの存在を認めたくない、ユズキ。過去に何かがあったであろうノノカの、友達を思いやってのユズキへの同意。ノエルを「反対派」に誘って終わり。

アバン:ノエルとの再会の続き(1話のC後)
A:バス、身支度、学校
B:ユズキに付き合って、「円盤反対」する。ノエルも参加。

ノノカって多分誰しもが気付いてるんだけど、偽善的だよね。仮面的というか。ユズキへの賛同は心からのことではなく、過去に何かあったから、「友達を失いたくない(もしくは、友達に嫌な思いをさせたくない)」という防衛原理で行動してる。

ノエルって女の子の立ち位置は巧妙に分からないよう設計されてるように感じる。ティンカー・ベル的な存在なのか、はたまた普通の女の子なのか(それはないか)。ノエル=円盤じゃないの、なんて思ってる。メンタルモデルとはちょっと違うような。もっと分からないのは、ノエルとノノカの関係なんだけど。あれかな、「火の鳥」の鳳凰編みたいなノリなのかな。

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後は、第一話にも出てきたと思うけど、こういったカット。「円盤」というものに対する、具体的な言及は相変わらず無い代わりに、最低限の想像はできるように「引き上げ」とか「円盤対策課」とかを挟んでくる。視聴者の目線に立ってる人間が作品にいないのは、新鮮な気がします。





作画。

野中パートはおそらく、Aのこの辺。

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「学校」「えっ!嘘」のカットは凄く野中っぽい。
その後の走りは違うと思う、野中ならもっと面白く動かす。

後は、ポツポツこのへんが良かった。

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Aの最初は、すごくぬるぬるしてましたね。何でだろう。何か官能的だった。
市役所はリアクションが面白かった。
荷物の引っ張り合いは、単純に作画良かったような気がします。
手とか反発とか全部含めて。


後は、エフェクトで気になったこと。

20141015010209

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この花火の描写(ノノカの回想シーン)は、タタキの技術を参考にしてる感じがすごくあった。
2枚で繰り返してやってたりした気がする。花火の点が小さいのと大きいのとで。
 

ちょっと物議を醸しているようなので。

問題の中心となってるのは、「椿が打った打球がガラスを破り、有馬の頭にぶつかり、血を出しながら倒れている」という一連のシーン。とりあえず、カットで追っていきましょうか。(公平性を期すために、全カット拾ってる)

君嘘問題シーン


おそらく、問題となっているのは、3・4~13カット目の頭からの出血描写であり、また14~22カットまでのガラスに触れて怪我する危険がある(とそれを心配する椿)描写でしょうね。前者をAとし、後者をBとします。


この問題の本質というのは、「デフォルメ演出」です。

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Aの描写は言うまでもなく、大げさなデフォルメ・ギャグ描写であり、それを裏付ける根拠として、6、7、8、12(13)カットがあります。「流血した」という事象に対して、あくまでもコミカルなデフォルメで対応し、椿の「死体だ―!」というセリフからも冗談(コメディ的な暴力)であることが大いに分かります。


対して、このように、Bの(ガラスで手を怪我する可能性がある)描写では一切デフォルメ描写がありません。つまり、Aの描写は冗談めいていて、Bの描写はシリアス・真剣であるということが言えます。 

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またB描写では、ガラスの尖っていて危ない感じ、有馬の手はそれとは対照的に脆そうな感じが存分に演出されています。椿が心配して、ホウキが倒れるカットもそれを表しています。


これらのことから言えることは、ただひとつしかありません。

Aというコミカル・コメディな描写は、B描写のために用意された「比較装置」であるということです。頭からの出血、というものを大げさに描いたのは、B描写、すなわち「有馬公生の手指の貴重性」を表現するためです。

つまり、有馬公生、ひいては「四月は君の嘘」内においては、「頭部からの出血」 よりも「有馬公生が手指をケガする」方が、「物語の死」に近づく恐れがあるということです。現実世界で考えれば、当然、頭部からの出血の方が一大事のように見えますが、この世界においては、それが逆転しているということです。(※まあ、頭をケガしたことがある人ならわかると思うんですが、ふとした衝撃でドバドバ血が出ますけど。) 

結局は、「有馬公生の手指の貴重性」というものを示すために、この一連のシークエンスが存在しています。有馬公生の脳みそなんてのは二の次であり、その貴重な手指だけは死んでも守らねばならない、ということをここでは伝えているように感じます。 じっさい、有馬公生の手指は貴重なものであり、ピアノクラシックという題材の下では、至ってシンプルな演出だと思います。


何故、問題になった(物議を醸した)のかは、おそらく、若干A描写にコミカルさが不足していたからでしょう。その微妙な不足さを持ってしても、一連を見渡せば、べつだん難しい演出とは僕は思えませんが。アニメ読解というのは、制作側の意図がまず前提として存在していて、それを視聴者が解釈するものであるので、あの流血シーンだけを抜き出してどうこう言うのは、ちょっとおかしいな、と思っています。

その観点では、バイアス、偏見というものはゴミでしかありません。視聴・読解という点において、一番やってはいけないことであると思っています。

■短絡的な「承認」

世の中21世紀ともなると、Twitter等SNSで短文形式が流行ってきた。それは、「時間」に厳しい日本社会であったら楽な手段であり、当然とも思える。30分かけて書くウェブログよりも、3秒で自分の意見が発信出来る方が効率化の究極だろう。そうして、RTやら安価やら何だか知らんが、短絡的な「承認」をもらえる。一例によると、ウェブ上で他人から自分の意見に同意されるのは、セックスするより快楽らしい。承認は短絡的になって当然とも言える。

別にそのこと自体が悪いと言いたいわけではない。ただ、テキストで発信してみたらどうかと思う。僕の視点では見つからない、とてもいい情報がTwitterで流れても発見はしにくいが、ブログであれば発見しやすい(※パソコンに詳しいわけではないので、どういう風な選定基準で検索エンジンに引っかかるようになってるかは知らんのだが。)。自分が欲しい情報を検索で調べた際に、Twitterは基本的に見つかりにくい。つまり、とても貴重なことを言っていても発見されにくい、ということ。これは僕が思いついたわけじゃないんだけど、とてもいいことだと思ったので、雑記に書き留めておくことにする。

僕の見方では、今のネットは星新一の「殉教」っぽい状況だと思っている。今どきは、この酷くパソコン音痴な自分でも、便利なサービスは今多い。ツイッターに流れていく情報の数々を見てると、実にもったいないと思うことが山ほどある。最初は、みすぼらしくていいと思う。試行錯誤でいいと思う。じっさい、去年の「キルラキル」辺りの記事を見ると、あまり出来はよくはない。けど、記録として残すことが大事と思う。

何か偉そうになった、ごめんなさいNE。でも、僕がいいなあと思う人には、「ブログ書いて!」って頼んでる。続かない一番の理由は、当然アクセスなんだろうけど。やっぱ見られてないと思うと恐怖だからだと思う。お金なんてもらってないんだから、見てもらうのが報酬であると思うから。後は反応。アクセスないときに、何故かコメント頂いた時はありがたかったし、今もありがたい(流石に人格否定はつらいけども、ないよりはマシかもしれない)。リアクションがないというのは、素通りされてる感じで辛いから。

究極的に言うと、ブログなんて続かなくてもいいもんであって。何かに関する意見だけ言っちゃえば、増田でも何でもいいような気もする。なるべく寛容に。それでいて、「ここは違うなあ」というのがあったら、それは当然指摘されるべきだし、意見されるべきだと思ってる。個々人によって、意見は違って当然だから。最低限の礼儀さえあれば、大抵真面目に返信するだろうし皆。

「違和を覚えた時」、「他人に知ってもらいたい時」。この2点の時に、それを言語化してテキストにまとめる行為は非常に自分にとっても整理になるのでオススメです。このブログ、来年も続いてたらいいですね。長い人は6年とか7年やってるわけですよね。その人達は、その時点ですごいと思う。自分は今3年目だから。でも多分コツとか見えてくるものが違ったりするんだとも思ったりする。





■野球

CSはとりあえず、どっちが勝ち上がってくるかは分かりませんが、個人的には阪神の方がいい。クリーンナップの怖さは阪神だけど、投手・守備まで含めて考えるとやはり広島は戦力がある。

ちょっと仮スタメン(希望)
1長野2片岡3坂本4アン5亀井6村田7阿部8橋本(大田)

亀井と片岡がどうするかという感じで。片岡ラスト調子良かったんですよね。やっぱこれかなあ。
橋本、大田とどっちも俊足、守備範囲広いのはありがたい。両者、守備固め起用可能だから。

でもおそらく現実はこっち。
1長野2橋本(大田)3坂本4阿部5アン6亀井7村田8片岡

もう阿部の体ボロボロだから、4番阿部は無茶があると思うんですけどね。
村田が打っとけば、全部解決するんですがねえ。

キーマンは、井端・鈴木・亀井・坂本・長野・片岡あたりだと思ってます。
井端、鈴木は言うまでもなく。
亀井以下4人が、どれだけいい所で打てるかですね。  




と書いたのがCS前なんだけど、これ去年に比べれば最高にいいですよね。

何で最高にいいかと言うと、去年までは阿部におんぶにだっこのチームだったわけで。後、期待できるのは坂本ぐらいだった。本当に。長野もダメだったし。その阿部が、今季キャリアで一番の不振にあえいでいるというのは大きい。その中で、補強した片岡であったり、5年ぶりに陽の目を見た亀井であったり、橋本・大田の台頭であったり、助っ人アンダーソンと、沢山いいことがあった。総合力とか、数字とか、そういう面では、はるかに去年・一昨年の方が見栄えがいいんだろうけど、今季は本当の全員野球で来たからワクワクしてる。

原監督が言ってたように、「楽しい試合」というのは殆ど無かったけれども、故障者は相次いだし、こんなに切羽詰って野球を見たのは2012CS以来だと思う。あれが毎日続くんだから、今季の巨人ファンはきつかったでしょう。胃薬がどれだけあっても足りなかったし、精神的に辛い試合が多かった。

でも、これは「巨人は阿部のチーム」という呪縛から解き放つことができるチャンスなんだよね。巨人の選手はみんな心の底で、阿部は35っていう年齢もあって、当然次世代は自分たちが引っ張らないといけない、という覚悟はあったんだけど、実際には顕在化してなくて、つまり、油断してた。

だから、この2014阿部不振というのは、きっと大きな影響を与えたと思うし、しかもいい影響だと思う。大田の奮起は彼自身の努力や背水的な感情もあるけど、ファームでは思ったほど数字残せてないからね。中々芽が出なかった大田の活躍によって、若手(というかセンスある選手)の台頭に期待ができるようになった。来季からは内田コーチも就任するし、本当に楽しみ。辻、坂口あたりは本当に楽しみで頑張ってもらいたい。

ポスト山口、マシソンというのは多分もう作れないと思う。山口の存在は、ここ10数年の巨人で見ると、大きすぎる。この後釜というのはほぼ不可能。高木京が、何かしら再覚醒できれば話は別だけど。アンダー25でいい投手がいるかと言われれば、やはり高木、今村、笠原、宮国にかかってるわけで。後は江柄子、松竜くらいか。今後は、この選手らが(山口ほどではないにせよ)安定するかにかかってる。3点台でシーズン60登板できれば御の字のレベル。

即戦力の有原なんて、もう争奪戦だろうから巨人行かないと思うなあ。智弁岡本は結構真面目にあるんじゃねーの。サード薄いし、何より村田が落ち目すぎて何も言えない。でもドラ1かなあと言われたら違うような気もする。ドラフトはまた本買わんとダメですね。(これ前も言った)

そんで、今は、やや打撃に労力をかけた方がいい。それは、リリーバーで3人(西村、山口、マシソン)もすごいのがいる、というのは無理なのでというのもある。だからこその、内田コーチ就任だと思う。村田真一では無理だろうしね。後藤コーチはそのままみたいだけど。とりあえずは、CS阪神に対して、どれだけいけるか。短期決戦だからね、もうこれは準備も大事だけど、運とか流れというのが非常に傾いてきて、その危うい中でどれだけ普段のプレーができるかにかかってるね。

まあ楽しみです。

01]

勝手に僕が呼んでいるだけですが。



■『生徒会役員共(2010)』 OP
20141013023255 


■『COPPELION(2013)』 1話
20141013023250

ぐわんぐわんと動きまくるカメラ。たまんないっすよね。今まで見てきた「回り込み」関連の記事は、基本的に作画メインみたいなところありましたが、これは純粋にカメラメインです。ここまでカメラワークで魅せるって、スゴイっすよね。ゴーハンズは神。

で、この2個のgif、何だか似てませんか?
そうなんですよ、カメラワークがそっくりなんです。
名付けるならば、「ゴーハンズ回り込み」。


定義(くだらない)

「ゴーハンズ回り込み」とは、

①キャラに最大までTU(寄って)し、
②わずかにカメラを右に傾けて回り込みを始めた後、
③その跳ね返りで、左に(30度ほど)傾けながらカメラが回り込みをする。


つまり、役員共OPで言うと、

①キャラに最大までTU+②わずかにカメラを右に傾ける
20141013023259

分かるかなあ。
右への傾けは、ラスト2枚ぐらいが分かりやすいと思う。
(※BGを比較してもらえれば、多分大丈夫。)


③その反動で、左に傾けながら回り込み
20141013023258






この構造は、「COPPELION」の方が分かりやすいかも。


①キャラに最大までTU
20141013023251 



②わずかにカメラを右に傾ける
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③その反動で、左に傾けながら回りこみ
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というわけです。

これを踏まえてもう一度最初のgifを見てもらうと、僕の言いたいことは多分伝わります。

作画でバシバシやる回りこみも面白いんですが、こうぐわぐわカメラ動かすのも面白いですよね、ということで。特に、「ゴーハンズ」はこういったカメラワークをビシッと入れてくるので面白いです。

探せばきっと他作品にもあるような気がしてならない、ゴーハンズ回り込み。

とうとうド本命作品。
これは原作単行本でハマりまして、そしたらすぐにアニメ化という感じで。
監督はイシグロキョウヘイ、キャラデ・総作監は奥さんの愛敬由紀子。
制作は、A-1Pictures。


過度な期待というのは、原作付きでは決してしてはならないもので(※アオイホノオでも散々に言いましたが)、昨今の失敗例が頭の中をぐるぐるしていて、この「四月は君の嘘」も例外ではありませんでした。最初のキーヴィジュアル発表のときは、少し妖艶すぎないか、これ大丈夫かなんて思ったりもして、結構心配でした。

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(第一弾 キーヴィジュアル)


もうね、今季ナンバーワンだと思います。こんなにパワフルな作画で、ギャグとシリアスのバランスがとれた演出、ホワイトバランスの感じ、そして、音楽の表現、ピアノCG、電柱・送電線の感じ。たまらん、たまらん。(※あまりに長くなったので、そのあたりの話は後半に回しました。暇な人だけ読んでね。)


あらすじ

主人公、有馬公生は神童と呼ばれ、数々の賞を総なめにした天才ピアニスト、ついたアダ名が「人間シンドローム」。そんな有馬は、ある時を境にぷっつりとピアノを止めてしまう。そのまま、中学2年生になった有馬の前に1人のヴァイオリニスト、宮園かをりが現れる。動き出す、有馬公生の青春、14歳のピアニスト。

というわけで、まあ内容は全部知っております。
ですが、アニメを見て感想を求めている方が訪問すると思うので、僕も順に追っていくことにします。ただ、原作等のネタバレは感想に必要であれば少ししてしまうかもしれません。その辺はご容赦下さい。


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宮園かをりの1人歩き。ここでの黒猫はただの黒猫かもしれないが、漫画原作では、有馬の内面に黒いネコがいる。というか、有馬は元々黒いネコを飼っていたが、有馬を引っ掻いたため捨てられた。そういう「罪」の意識の顕在化であるのが、黒猫であるので、これはおそらく、有馬という寂しい黒猫との出会いを示唆するもの。



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オープニングアニメ。OPコンテ・演出を担当したのは、中村亮介。最近でいうと、「ねらわれた学園(2012)」で監督を務められた方です。後は、「あいうら(2011)」ですね。「ねらわれた学園」は、細居美恵子の作監による色っぽさというのもあるんですが、中村監督に依拠する部分も大きく、このOPでもそれが存分に発揮されています。色調の感じが凄くいいですね。

特にここが最高に良かった。

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柔らかい色調の画面で、TB。そして髪のリアクション。穏やかな風が吹き込みながら、穏やかな時間が流れていることがとてもよく分かる。舞う花びらもディテールアップに貢献してる。



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有馬公生の少年時代の回想。機械的なムダのない動きが描写されていて、少し不気味である。いや、不気味ぐらいがちょうどいいのだろう。有馬にとっては、おそらく辛い時期であったろうから。



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そうして、現実の時間へと繋がる。友人2人。椿と渡。この「男2人女1人」の構図は、たとえば「時をかける少女(2006)」のような、友人なのかどうなのか曖昧な関係を生むような気がします。まず現実では僕は殆ど見たことはありませんが。幼なじみが進行していくと、「恋」という感情が曖昧なものになって輪郭がおそらくぼやけます。



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椿との帰り道。Aパート最後。モノトーンとカラフルという見え方の違い。椿の声で再三に渡って流れますが、つまりは、立つ所によって全く景色が一変するということ。ここでは有馬はそれに懐疑的というか、諦観的というか。決して気取ってるわけではなく、本当にモノトーンなんでしょう。ピアノが弾けなくなった自分に対する、存在意義の無さとか、意味の欠如とかそういったもんを感じてる。



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ピアノの再開を促す椿と有馬の会話シーン。「音の確認してただけ」「バイトだから」と色々弁明をしていますが、これは確実にピアノに対しての未練とそこに纏わりつく様々な感情から目をそむけてるから。そらまあ、この後を見れば当然と思えます。ところで、このシーンにおける、椿の心情とはなんでしょうか。もう既に恋心は発生しているんだけど、それに気付いてないだけというのは分かるんだけど。母性からくる本心(悪い言い方をすれば、お節介)という感じなんでしょうかね。



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少年時代の有馬と母親。ストイック、というレベルを超えた、病的なレッスン。そして、そこに潜む暗い影の描写のために、こういった画面にしてる。その次で手袋をしながら寝てるのは、「未練がある」というよりも、有馬の中に根付いて離れない習慣・日課のような気がします。そっちの方が自然ですよね。


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宮園かをりとの出会い。劇中曲は、「天空の城ラピュタ(1986)」でパズーがラッパで吹いていた「ハトと少年」。ここでは、宮園かをりがピアニカで演奏してる。DFかフォギーか明度を上げてるのか分かりませんが、ちょっと眩しめの画面に。これは当然、有馬目線での印象なんですね。一目惚れ的な。



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友人A、ホールへと走って行く。ここのスロモ感良かったです。そんで、宮園かをりの有無を言わせず、連れて行く感じがいい。理由とか説得とかしてもここでは無駄なんですよ。百聞は一見に如かず。「オレの歌を聞けー」じゃないですけど、もう「感じることが全てで、それ以外は蛇足」って分かってるんですよね。宮園かをりは。ここらへんも、女の子の方が少し成長早いというリアル感あっていいです。



それでは、映像面へ。

作画に関しては、A-1だしそんなに期待して無かったんですが、良かったですね。というか凄く良かった。特に、走り・歩き作画は全部レベルが高くてすごすぎた。河野、げそ、伊藤、小島さんと。

特にすごかったと感じたのは、この4つぐらいかなあ。


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OPのの1カット。滑るまでの芝居、滑った後、上に持ち上げようとするときに足にも力が入ってることが分かるのがいい。リアル感増す。


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歩き・走りはどれも素晴らしかったんだけど、これがメチャクチャ良かった。ここでは宮園かをりがカワイイ振りをしてるシーンなんだけど、その表現が、例えば振り振りする手であったり、歩幅の狭い小刻みな走り方であったりに如実にあらわれてる。ここ誰でしょうか。すげえ上手い。


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これは風に飛ばされた後の舞う帽子。桜のディテールアップもそうだけど、滞空してる感じがすごく良かった。ふんわりと穏やかな風に流されてる感じ。


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これは上手くスクショできなかったんだけど。まずは、奥2人の動きに注目。やけにぬるぬるしてて、2コマっぽい。左の椿の膝でクッションしてる感じの跳び方や、渡の小刻みな芝居も凄くいい。(これロトスコくさい、逆にロトスコじゃなかったら凄技ですね。)手前の2人は3コマだけど、こっちも中々にいい。有馬の強引に連れていかれてる感じが、手のぶらぶら加減と、もつれそうな走り方で表現されてて素晴らしい。




こっからは、うだうだとアニメ「四月は君の嘘」の映像表現について、色々語ってます。ちょっとメンドウな内容もあって、分かりやすいように書いてないので、読みたい人だけどうぞ。




デフォルメ(漫画的誇張表現)

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大抵の作品は、アニメ化しちゃうと漫画的誇張表現、つまりデフォルメの部分がどうしても削られてしまう場合が多いです。作画的な配分とか、作品全体の絵の均一感を保ちたいとか、単純にデフォルメというものを挟む考えもないとか、そういったことだろうと思いますが、とかく原作の良さは失われてしまうわけです。

アニメ化とは、作品の再表現であり、それがとても困難であるということはいつか言及しました。当然、漫画的表現をそのままアニメでやったら、妙なぎこちなさが出てしまったり、とにかく「失敗」とみなされる場合も多く、前述のとおり保守的な作品は少なくありません。今作は、漫画的表現を半ば冒険的に・積極的に使用しながらも、デフォルメとリアルのバランスを取るのが非常に上手い、と感じています。2014個人的イチオシであった「ズヴィズダー」と同じくらい、いやそれ以上に優れているといっても過言ではありません。



電柱・送電線(人工建造物)の描写

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「新世紀エヴァンゲリオン(1995)」以降、電柱・送電線という僕らの身近にあるディテール・カットを挿入するアニメ・漫画は多くなりました。電柱等の人工建造物は、「(少なくとも日本人にとっては)身近なもの」という点で、現実世界へのパスポートのようなものであり、作品への没入を容易くしてくれます。またそれが持っている「不変性」というものは、心情描写に役立つ演出的な要素でもあります。ここでいう、「不変性」というのは、時刻が変わろうが、閑散としていようが騒乱していようが、いつもそこにある変わらぬ景色という意味です。つまり、比較対象としての電柱等の人工建造物は、キャラクターの感情に囚われない唯一の存在であり、そのおかげで僕らの心情理解はもっと深くなることができるのです。



漫画からアニメへ、変換的な演出

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原作にはない、アニメでの演出。いわば、アニメでの変換的演出は、とても冒険が必要です。なにせ、そのカット・表現はアニメで初登場するのであり、アプローチを間違えると瞬く間に台無しになります。ここでは、有馬公生の過去を有馬目線(=モノトーン)で表現しています。これが素晴らしかった。このシーンは、「僕にはモノトーンに見える」というセリフを引きずる必要性があるし(モノトーンに見える原因の一端だから)、それを分かった上での意図的で冒険的な演出が僕にはたまらなく嬉しく感じられました。よもすれば、画一的になりがちな現在の深夜アニメにおいて、勇気ある演出でしょう。これを「手抜き」などと無粋なことを言う輩は、映像の何たるかを分かっていません。



緻密で詳細なディテールの表現

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ロングショット(1枚目)
ここでは、美術のディテールとセンスが発揮されています。キャラに無駄に寄らない、絵を映さないことで、想像力を喚起させます。全てが制作者の主張で作られると、想像力が入り込むスペースがなくなり、窮屈になります。アクセルペダルのあそびと同じですね。

全セルでの散らばった本類(2枚目)
細かい。これは特撮作品でも言われることですが、リアル・写実性というのは、細部の緻密な描写の積み重ねで発現します。ここでは、本やダンボールが全てセルで書かれていることが分かります。そして、ホコリを被っているピアノ。この1カットだけで、長い間使われていないピアノを理解することは難しくありません。

全セル机、教科書(3枚目)
これも2枚目と同じく。机が全セルだけではなく、机の中の教科書まできちんと描いてる。細部の積み重ねによって、どんどんとリアルになっていく。


ピアノCG

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これは、咲-Saki-CG方式といっていいのかな。手元を中心に映す時のみ、CGに移行して、それ以外は手書き。有馬少年の一連のピアノシーンは、どこからどこまでがCGなのか少し微妙なくらい、完成度高いですね。鍵盤と手元だけが映ってるシーンは間違いなくCGなんですけど、違和ないですね。何でだろう。


まあ、こんなとこです。

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