2016年08月

■ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q(2012/劇場)★
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カラーデジタル部によるCG。
十字架の棺にアンカーフックを打ち付けた後に、残った部分のワイヤーが画面手前でたるむのが魅力的。そこから、一気に引っ張られることでワイヤーもピンと張り、すさまじい速度を感じる。「遠心力」というワードがこれほど似合うシーンも中々ない。


これって何のためにワイヤーを射出して打ち付けたかといえば、目標物へ「移動するため」です。この「移動するためにワイヤーを使う」という表現は、CGが発達してから多く見られるようになった印象ですが、昔からボチボチあります。



<1、移動するためのワイヤー表現>

■宇宙戦艦ヤマト(1974)09話 『回転防禦!!アステロイド・ベルト!!』
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ブレーキが壊れ、冥王星の引力に引っ張られるシーン。これじゃあ冥王星に落下しちまうヤベエということで、沖田艦長が「ロケットアンカーを打て」との名采配。冥王星の裏側に位置する衛星に打ち付け、ヤマトはなんとか墜落を防ぎます。



■NARUTO(2003/TV)30話『蘇れ写輪眼!必殺・火遁龍火の術!』
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枝にキュイキュイと紐を食い込ませながらのターザン。奥から手前に自然にスッと入って、カメラを追い越していく。タイミングが上手いです。



■「ルパン三世 (2015/TV)」第四期-01話『ルパン三世の結婚』
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3DCG背動+キャラ作画

ワイヤーが光を受けるときは、ハイライトを入れるか、もしくは線を切って描く事が多いです。線が途切れているのに、僕らがそれを気にしないのは、「太陽の光を受けて白光したために透明に見える」という風に認識するためです。



最近で流行ったアニメだと、「移動するためのワイヤー使用」はやっぱりこれですかね。


■進撃の巨人(2013/TV)
(※ぜんぜん最近じゃなかった)

進撃の立体機動装置はどれもカッコイイんですが、特に印象に残ったのは11話と24話。

《11話》
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江原康之作画+CG背景動画(MADBOX)

立体機動シークエンス。重力で体が下に落りるのをの建物へとワイヤーをくっつけることで、再浮上し前へと急スピードで前進していく。そのため画面がガクンガクンとなる。ややPOVにも似た快感がありますね。ミカサのシーンは、低空飛行でよりスリリングに。


《24話》★★
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今井有文作画

女型の巨人にワイヤーを射出した後、不安定な体勢を保ちつつ斬撃。焦点をミカサに当てたアングルが、横から縦へと移り変わることで臨場感を出す。あと、バタバタするマフラーと髪のリアクションからは向かい風の強さを伝えていますね。このミカサ、劇中内で一番好きです可愛い。



■DARKER THAN BLACK(2007/TV)15話『裏切りの記憶は、琥珀色の微笑み… (前編)』★
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柱にワイヤーを引っ掛けて、一気に地上へ急降下。柱に引っ掛けた後に、ワイヤーを巻き取るので体はぐわっと引っ張られる格好に。縦の構図(煽りの構図)も合わせて「性急さ」を表す、ここは黒が追う場面なんで。それにしても、最後の煽りアングルいいなあ。



■アルドノア・ゼロ(2015/TV)18話『深い森を抜けて-The Rose and the Ring-』
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メカ、ワイヤーともにCG作画

旋回のためのケーブル射出。不穏な空気を感じ取った伊奈帆は、小惑星群の一つへと突き刺さして、移動する。スッとカメラ前を通り過ぎるメカが場面転換の役割も兼ねてカッコイイですね。




ざっと、「移動するため」のワイヤー利用を見てきましたが、「攻撃」の手段として使われるケースも多々あります。というか、ワイヤーと聞くと「こっちだろ!」思う人が多いとも思う。


<2、ワイヤーによる攻撃・戦闘の表現>

■DARKER THAN BLACK -黒の契約者- 外伝 04話(2009/OVA)
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煙幕から飛び出し、画面手前へと投擲。切り替わった瞬間に、額の中心に突き刺さる。これによって、投擲の精度の高さ、ひいてはレベルの違いを魅せつける。



■コードギアス 反逆のルルーシュR2(2008/TV)25話「Re;」★
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メカ作画(ACつなぎ)

ランスロット(スザク)と紅蓮(カレン)の最終決戦。上へと登った後、紅蓮はランスロットの後ろに回り込み、ワイヤーを射出して自分の方へと引き寄せる。ランスロットはそれを左で跳ね除けつつ、右腕で紅蓮へと殴りかかるが、紅蓮は左腕で防御する。お互い一歩も譲らない、拮抗/緊迫した攻防。

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ここは、地味にACつなぎをしていて2カットになっているんですが、その慌ただしいカット割りが、手練れのパイロット2人だけにしか認識・共有できない世界をうまく表現していると思う。



■銀河烈風バクシンガー(1982/TV)OP
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TBしながらのフックショット+貫通からの大爆発。自由自在に曲がるワイヤーが多い中、これは直線で相手を貫いてますね。正義のロボっぽくて良いです。



■HELLSING V(OVA/2008)※追加
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最強の執事、ウォルターおじいちゃん。黒BGで流れるようなワイヤーの斬撃を描写する。唐突な暗闇からの攻撃となり、恐ろしさが増す。



■機動警察パトレイバー the Movie(1989/劇場)※追加kastさんどうも)
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ラストシーン。アルの細やかな動きに注目。まるで、曲芸のように雁字搦めにする。4カット目のワイヤーの動きはたるみも兼ね備えており、気持ちいい。



これらはワイヤー自体を使ってのダイレクトな「攻撃」。つまり、ワイヤーの鋭さや重さを利用して、相手をぶっ倒してやるという表現例です。また、最初に紹介したのは「移動」のワイヤー表現でした。

そうなると、「移動」+「攻撃」のワイヤー表現はないのかと思いませんか?
あるんですよ、これがまた。
カッコイイんですよ、これがまた。



<3、「移動」+「攻撃」のワイヤー表現>

■キルラキル(2013/TV)10話『あなたを・もっと・知りたくて 』★★
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まずは鮮血をヒモにします。
片太刀バサミにヒモをくっつけて、カウボーイの投げ縄みたくします。
思い切るぶん投げて、ハート型のメカに突き刺します。

ついでに自分の体を固定するために、スカートからジャッと地面にアンカーフックを打ち付ける。意外とここは合理的ですよね。鮮血が賢いのか、流子ちゃんが脳筋ではなかったのか。おそらく前者。



■機動戦士ガンダム 第08MS小隊(1999/OVA)10話『震える山(前編)』★
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グフ・カスタム操る、おっさんの俊敏な動き・判断がヤバイ。
シロウが覚醒したと気付いた瞬間に、危機を察知。こいつはヤベエとなって離れたところにあるヒートサーベルをワイヤーを使って、まるで吸盤でくっつけるかのように、一瞬のうちに自分の手元にたぐり寄せる。隙を見せないのは、まさにスペシャリスト。この後の事はなかったことにしよう。



■機動戦士ガンダムUC(2014/劇場)EP.07『虹の彼方に』
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いつも強い人間ばかりがワイヤー使うと思ったら大間違い。
バナージがユニコーンに乗るまでの時間稼ぎに、敵わないと分かっているフル・フロンタルに捨て身の攻撃をしかける。この捨て身の攻撃、自己を犠牲にしても守るという描写があってこそ、共鳴するユニコーンのカッコよさやバナージの強さが引き立つんですわ。



■∀ガンダム(1999/TV) 34話『飛べ! 成層圏』
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ここは対角線の一貫性に注目。対角線いっぱいにハンマーを振り回すと、画面を突き抜けた格好になり、敵の足に引っ掛かった後は一気に左下へと落下させる。


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ここのレイアウト(とカット割り)は上手いですねえ。



■化物語(2009/TV)08話『するがモンキー 其ノ參』★
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神原による腸ジャイアントスイング。奥行きあるレイアウトがいいですね。椅子や机が障害物となることで、ジャイアントスイングの威力を間接的に描写。パステルカラーでグロさ半減。



■IS<インフィニット・ストラトス> 07話『ブルー・デイズ / レッド・スイッチ』★
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オレンジCG。ラウラが酢豚の足にワイヤーを引っ掛けた後、セシリアの方向へとぶつける。流背っぽい線を入れることで、勢いと加速度を演出する。遠心力も重なり、地面へと叩き落とされる2人。すごい煙幕立ってるなあ、えげつない威力だ。



■蒼天航路(2009/TV)22話『呂布伝説』※追加
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一旦は捕らえられた呂布が人ごと鎖を振り回す。手前と奥を上手く使った画面だなあ。血の津波が凄まじい。呂布の圧倒的な強さが、語るまでもなく伝わってくる。



ふう…疲れた ひと休憩ひと休憩

さて、ここまでは「人間がある目的のために使う」ワイヤーの表現を見てきました。それは、敵の攻撃を避けるために使ったり、武器を拾うために使ったり、ワイヤー自体の鋭さ/切れ味を利用して相手を倒したりと様々でした。


ここからは、逆に「目的をもたない」ワイヤーやケーブルの表現を見ていこうと思います。目的をもたないというのは、「人間が意志をもって扱わない」ってことですね。なので、そういったシーンはより純度の高い物理現象として作画され、場面は人工構造物が中心になります。



<3、人工構造物のワイヤー表現>


■王立宇宙軍 オネアミスの翼(1987/劇場)

「シン・ゴジラ」総監督、庵野秀明作画。王立のラストシーンといえば、やはり氷の細かな描写が話題になることが多いんですが、実は連結しているケーブルの挙動もスゴイんですよ。

《発射台ケーブル1》
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発射台の挙動に合わせて、ケーブルやパイプがウニョウニョと動く。ロケットとの連結部分が動くと、結合部のケーブルは縮まって外へと膨らみ、後方や下方のケーブルは動いたエネルギーがそのまま伝わって波打つように動く。美しい。


《発射台ケーブル2》
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ケーブルは発射台に繋がっているので、ピンと張っています。そこから外れた瞬間、それまでの張力を失って空中に放り投げられる。この放り投げられて、たわんでいく様子がすごくフォトリアル。



■AKIRA(1987/劇場)★
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本谷利明作画。太いのでケーブルというよりはパイプになってしまうかな、まあ細けえことはいいや。内部の圧力に耐え切れず、縦横無尽に暴れまわるパイプが見所。



■コードギアス反逆のルルーシュ(2007/TV)25話『ゼ ロ』
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ゼロに対するニーナの鬱屈・憎悪が伝わってくるような、刺々しいケーブルの外れ方。これで不穏な空気が流れるわけですが、それがフレイヤの存在に繋がるんですね。



■大魔獣激闘 鋼の鬼(1987/OVA)
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怪獣の挙動に合わせて、無理に引っこ抜かれるケーブル。一瞬ピンと張るのは、ケーブルがこれ以上伸びない、限界の伸長であるということです。その限界を超えると、今度はケーブルに繋がった機械群が上へと持ち上げられる。つまり、「この怪獣はヤベえ」ってことなんですね。



■エヴァンゲリオン新劇場版:序(2006/劇場)
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サキエルさんの散歩による振動で、電柱のケーブルがばたばたと揺れるシーン。この電線のたるみと揺れ、いいですよね。赤信号の明滅も一緒になって「これから何かが起きる」という予兆になっている。



■新世紀エヴァンゲリオン03話(1995/TV)+劇場版「Air」(1998/劇場)
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どちらもアンビリカルケーブルの断線。03話では、画面いっぱいに断線したケーブルが暴れまわるのに対し、劇場版は右下でひっそりと切れている。この違いは何か。


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イカ戦はシンジの心情が不安定なので、ケーブルの断線というのは相当にまずいことだと示しているんですね。逆に、劇場版ではアスカが「この一万二千枚の特殊装k(ry」っていう風に、最強覚醒モードなので、ケーブルが切れたぐらいではアスカと弐号機は止めらんねえっていうことなんですわ。




ここまで見てくると、「ワイヤーとかケーブルっておっかないわあ…」と思われた方も多いと思います。こんだけ戦闘シーンばかりだと、ワイヤー自体が恐ろしいものに見えてくる。いやいや、それではワイヤーに失礼だ。恐ろしいワイヤーがあるのだから、その逆に「人を助ける」ようなワイヤーがあってもおかしくはないだろう。ということで、そういう表現を見ていきたいと思います。



<4、「人を助ける」ワイヤー表現>

■ルパン三世 カリオストロの城(1979/劇場)★
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気を失ったクラリスを抱きかかえながら、落下中のルパンが枝にワイヤーを引っ掛ける。この前のカットまで漫画みたいにふざけてたのに、一気に真面目になるルパンがカッコいい。ちょっと余った感じに、たるむワイヤーもいいなあ。

この部分は、2015年放映の第四期でオマージュされてたりもする。出来はあんま良くない



■コードギアス 反逆のルルーシュR2 13話『過去からの刺客』
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記憶が戻り錯乱したシャーリーを助けるスザクとルルーシュ。なんだワイヤーもケーブルも別に存在しないじゃないかと言われそうですが、ここではその代わりとして、

ギアス簡略図13-01

ルルーシュをケーブルとみなしてください。ケーブル(ルル)を掴んでいるシャーリーをスザクが引き上げる、という構図。ケーブル(ルル)を介して、シャーリーをスザクが引っ張り上げる。運動神経ゼロのルルはケーブルにでもなっていた方がいい。この順序が逆になったらマズイですよね。全員お陀仏になっていた可能性が高い。だから、ここのルルはケーブルになるのが正解なんです。何言ってんだか分からなくなってきた。



■ビアンカの大冒険(1977/劇場)
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ネズミのバーナードたちは、女の子を救うために、悪党メデューサを転ばせる作戦に出ます。投げ縄からパイプに引っ掛かけた後、紐がキュッと縛られる。引っかかった時にはネズミたちも少し浮く。小さいスケールがこそこそ感を上手く出しているシークエンス。



■機動戦艦ナデシコ -The prince of darkness-(1998/劇場) 
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ブラックサレナとの通信。心を閉ざしたアキトに、ルリルリが問いかけようと回線を直接繋ぐ。飛んでくる通信用ワイヤーに一瞥も向けないブラックサレナが、アキトの性格の変容を物語る。


今回は資料が多くて大変だと思いますが、もうひと踏ん張りしていただきたい。
ここまでの内容を踏まえた上で見てもらいたい作品があります。





メトロポリス(2001/劇場)★★

りんたろう監督、大友克洋脚本の名作映画。知らない方のために、これから紹介する終盤をかいつまんで説明すると次のような感じになります。


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感情を制御する部分が壊れてしまった人造人間の”ティマ”は、暴走してしまい人工知能をフルパワーで稼働させます。情報やエネルギーを効率的に取り入れるために、どんどんケーブルが繋がれていき、ティマの姿見からは人間味が失われていく。ティマをなんとか機械から引っぺがす友人の”ケンイチ”。


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引っぺがしたのはいいけども、ティマはまだ暴走状態のまま。「人間=悪」と認識しているので、旧友のケンイチの事も忘れており、暴走した思考のまま殺害しようとします。無機物なワイヤーは「彼女は今機械である」ということを強調している。


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やっとティマの暴走は止まったけども、体を支えることができずケンイチに倒れかかり、ジグラットから2人とも落下してしまう。ケンイチは何とか自力で這い上がるわけですが、ティマは機械の基盤のおかげでなんとか助かっている状況。そのティマを見て、急いで助けに行くケンイチ。




脆くなってしまったケーブルを懸命にケンイチは引っ張り上げますが、無情にもだんだんと切れていく。しかし、ケンイチは諦めません。引っ張り続けます。そして――


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ケーブルが切れる間一髪のところで、ようやくケンイチはティマの手を掴めます。

このシークエンスは本当によく出来ていて、

(1)頼みの綱であったケーブルが切れる(希望その1)
(2)引っかかっていた基盤が空中へと放り投げられる(希望その2)
(3)それらの代わりとして、ンイチがティマの手を握る
(4)ケンイチが新たな希望となる

こういう流れなんです。「ティマを救う」という希望が、ケーブルからケンイチという人の手に受け継がれた、ということなんですね。この流れが上手いので、後のシーンもすごく説得力があるのですが、それはこのようなサイトではなく是非本編で見て楽しんでいただきたいと思います。




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00]10]

「メトロポリス」におけるワイヤー表現のすごさというのは、「変化」にあります。ティマに取り付いていくケーブルは、最初は無機質で恐ろしいものでした。それが、次の場面では、ケーブルの基盤が引っかかり、純粋な物理現象として描かれる。ここでは、まだ人間の意志は関与していません。そこに、ケンイチの意志が入ってくると、今度は「助けるため」のケーブルになる。

全て同じケーブルであるにもかかわらず、状況やキャラクターの心情が変わっていくと、その意味がたちまち変わっていく。これがすごいと思うんです。最初はあんなに無機質で恐ろしく見えたケーブルが最後には、ケンイチが懸命に引っ張ることで、無機質な”モノ”ではなくなってしまう。無機質であるはずのケーブルが、まるで意志をもったかのごとく映る。これが素晴らしいと思うんです。

たまにはな。新しい感じのも取り上げていかないとな。


ビームからの着弾
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マップ爆発が均一に広がってるんで、Flashによる作画かな。多分、CGではないとおもう。ビームはサーカスな感じで、流れと左右に分かれる電撃のタイミングがカッコイイ。ビームはこれなんで途中で途切れてんだろう、着弾地点が思ったより近いのかも。後はできることなら、突き破った後のダブラシの風は動かしたかったんじゃないのかなー



斬撃1
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3つほど電撃フォルムが入ってますね(一つは斬撃の軌跡かな)。十字クロス光がいい味出していて面白い。電撃・衝撃のフォルムというと鋭角的なものを思い浮かべるので、丸っぽいフォルムは意外な印象を受ける。やり過ぎ感はあるけど、これはこれで。爆煙は内部に巻き込んでいく感じで上手い。



斬撃2
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お見事。十字クロス+ショック→爆発。最初の方は素早く冷めていくんだけど、後半はじっくりと変わっていくので、温度表現に緩急がついてて良い。あと、爆発の黄色部分はぐるっと回転させてるかな、細かいですね。爆発を見るという点では、非常に女の子が邪魔w

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あと、ここの輪っか(ベイパーコーンかな)はめっさ上手いですね。輪っかが現れて消えてのタイミングと、レイアウトがいいです。



キックでどかーん
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奥でいったん爆発させて、次に手前の方で爆発させるので画面に奥行きや臨場感が出る。爆発のタイミングもいいですね。

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1カット目は親しみ深い、鋭角的な電撃フォルムですね。2カット目の、電撃・衝撃ディテールは「斬撃1」と同じく、斬新なフォルム。この辺は理屈抜きでかっこよけりゃ良し!みたいな。田中宏紀のクロス光と同じかな。「ナデシコ」のカットインとかそういう美学を感じる。

特に気になったとこを箇条書き


・ACつなぎの多さ
>尾藤が書類をバサッと机に置くとことか、必須でもないところで細かく割る
>人を挟んで画面転換していた
・ACつなぎしかり、細かくカットを割るのは性急さや焦りを出すためか
(ブコメでCGの粗を誤魔化すためかもとあったけど確かに)
・この慌ただしいカット割りで思い出したのは、堤のジャンプカット多用 
・ただ庵野の場合ジャンプはさせてない
>ショットとショットの間で省略する時間はほとんどない
>時間を省略するのではなくて、1つで済むカットを何個ものショットに分けているイメージ
>これが気持ちええんじゃ


・レイアウトはほぼ庵野・樋口コンビ、時々摩砂雪 
・庵野は会議室がメインか
>庵野は極端に長い机や不完全なシンメトリー(≠アシンメトリー)の構図を多用する

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(エヴァ01話 奥の柱を見るとわかるが完全なシンメトリーではない)

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(ナディア37話) 

>自衛隊の作戦会議室や原子力監視室はそんな感じの構図が見られた
>閣僚会議でも、両端の人物を変えることで完全なシンメトリーにはしていなかった
>観葉植物を挟んだ構図、冒頭の電話を受けとる時の極端な煽りアングル、この辺は実相寺アングルのリスペクトと言って差し支えないとおもう
(参考:実相寺昭雄のアングル


・樋口は、遠方からのロングショット広角が上手いイメージ 
>今回で言うと、ゴジラを俯瞰から眺めるシーンとか
>ラストでゴジラに相対するヘリPOV(俯瞰)
>代表的なのは、「序」でのラミエル戦や「破」の疾走初号機

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(「エヴァ序」)

27]29]
(「エヴァ破」)


・摩砂雪は、広角の(一点透視)レイアウト
>エヴァで印象的なカットは摩砂雪というイメージ
>例えば「序」のこれとか

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(「エヴァ序」宣伝用ポスター)

・これは庵野ラフだったかも(全集で摩砂雪ラフ・L/Oあったら教えてくれたのむ)
・ラストの新幹線爆弾や、電車のホーム外観は摩砂雪の仕事だとおもう
>新幹線のカットは歪めるほど広角で寄ってた



<エフェクト>
・建物が倒れたり、破片が良かった
・煙は終始薄くダブラシっぽく
・破片は特にガラス!ガラスが割れるシーンは、相当CGに気を使ったとおもう
・ゴジラが初めて炎を噴射した後の、東京を覆う爆発や炎も凄かった
・あれってやっぱCGなんかな

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映画『シン・ゴジラ』公式サイト http://www.shin-godzilla.jp/index.html

以下、ネタバレを含みますので未見の方は注意(※スマホではトップに記事の文章が出てしまうので、この辺で少しネタバレ防止用の文章を作っときます。読まないで大丈夫です、スルーしてください。後、レイアウトやカット割り、映像方面については、別記事で言及します)







-ゴジラの恐怖は「進化」にあり-

ゴジラは最初小さい姿で上陸します。小さいヤツだったから、なんだこいつ弱そうってなったんですが、これがそもそもの罠。小さいヤツって「ジュラシックパーク」とかもそうですけど、どうしても観客は舐めてしまう。何だ弱そうだなと思っていたら、一瞬の内に何匹も現れるとか、でっかいティラノサウルスが現れるとか、そういう心の隙を付く。ハッと理解をした時には、目の前にデカイやつがいて恐怖でいっぱいになっている。

「シン・ゴジラ」では、まさしく「進化」がそれだった。油断をつくる最初のチビ。そもそも、予告編に出てたゴジラなんて全部デカイから、もう予告の時点から脳みそは操られていて、僕らの脳みそは勝手に、「最初から全長118.5Mのデカイやつが現れる」と決め込んでしまっていた。それが、実際はチビなんだから、油断してしまったわけです。



-愚かだったのは政治家だけか?-

前半部分は、主に縦割り行政に混乱する官僚や政治家を風刺します。それは、主人公が情報収集を依頼した後に、口を揃えて「どこの役所に言ったんだ?」と言ったセリフにも現れている通りです。「巨大不明生物などあり得ない」「生き物なら倒せるだろう」などと政治家は表面で判断してしまいます。ここで、観客は彼らの愚かさを滑稽に感じ嘲笑するわけですが、人間というのは馬鹿な生き物で、まるで自分のこととは思いません。

僕ら観客もこの滑稽な日本人の一員です。なぜ観客も滑稽なのか。それは、観客も「表面で」判断してしまった部分があるからです。そう、平泉成演じる里見臨時首相が就任した時に、観客の多くはこの男を「無能」と判断したはずです。前例がない危機的状況にもかかわらず、のんきにラーメンを食べる。官僚や政治家の早口とは対照的に、ゆったりとのんびり喋る。このような部分を見て、この男には誰一人期待をしていなかったはず。

しかし、核兵器が使用されるのを引き伸ばすよう外交努力をしてくれたのは、里見首相でした。結果的に、核兵器は使用されず、「ヤシオリ作戦」成功の一因となりました。さらに、ゴジラ対処後の国家構造の改革も視野に入れており、首相を引責辞任をします。彼は優秀な人間だったのです。

その姿見と表面的な行動から、観客は、里見首相に「無能」という判を押しました。それは、ゴジラのおどろおどろしい姿を見ても、「しょせん生き物だから武器で倒せる」と息巻いた政治家と何ら変わりません。「表面で」判断する愚かな人間という意味で、同じなのです。ですから、縦割りに戸惑う政治家だけが滑稽なのではなく、里見首相への浅はかな判断を下した観客も含めて、表面で判断してしまう日本への姿勢、その愚かさが滑稽であり、現代日本への風刺になっている。



-科学的な厳密さは必要ではない-

さて、ラストのゴジラを倒すシーンを中心に、科学的な厳密さに対する批判を散見しました。しかし、それは明らかな間違いです。まず、ヤシオリ作戦のシーンでは「血液凝固剤」の中身がどうのこうの、ゴジラとの反応がどうのこうのは、まったく重要ではありません。重要なのは、「血液凝固剤を使って」戦うことです。

ゴジラを倒すための血液凝固剤を作るには、牧元教授が残した複雑なデータを解析する必要がありました。巨災対のメンバーは寝る間を惜しんで、矢口プランを完成させようとします。綿密な情報収集を行い、ついに牧元教授の残したデータを解読し、血液凝固剤を完成させます。

彼らは、しぶとく熟慮し答えを導き出しました。正解を出せるかどうか分からない中、諦めずに考えました。これが重要。すなわち、矢口プランは「不退転」を示しています。対して、国連決議が下った核爆弾投下は、思考のかけらも、諦めない心もありません。自分たちが持つ最大火力、「核爆弾を使えば解決するだろう」というのは、第二次世界大戦の歴史を見ても分かるとおり人間の愚かな選択です。欧州米は早々に対処を諦め、人間の最終兵器に頼ってしまった。すなわち、シンゴジラにおける核爆弾は「諦念」を表しています。

名前を変えたヤシオリ作戦においても、矢口プランの持つ意味は変わりません。綿密に立てた作戦を信じ全員で取り組むことで、「(どんな災害や化物がきても)決して諦めないぞ」という意思表示をしています。これは、今作において、最も大きく、最も大切なテーマです。科学的な厳密さに対する批判は、手塚治虫に「ブラックジャックの内容は医学的に間違っている」という手紙を送った医大生と同じと思います。



-リアルな死の描き方-

ヤシオリ作戦では、リアルな死が描かれました。自分はここで一番ショックを受けました。第一小隊は、ゴジラに血液凝固剤を投与している中、目覚めたゴジラの熱線によって一瞬で消滅します。

消滅するときの描写は、遠方から映すのみです。叫び声を入れることもなければ、カメラが現場に寄りもしない。にも関わらず、これがめっぽうリアルです。リアルになっているのは、音も描写もなく、想像力にお任せしているからです。具体的な一つ画面を描いてしまえば、それ以上の感情は湧きませんが、想像力は無限です。この手法を庵野監督はよく使うのですが、そのおかげで今回はより静かで生々しい死が描写されていました。



-完全生物と不完全生物の構図-

ゴジラは完全生物、究極の生命体として描かれます。人間の8倍の遺伝子情報をもち、アメーバみたいに自己分裂も可能な、死をも乗り越えた究極の存在です。対して、人間は前述のとおり愚かな判断や選択、行動を繰り返す、不完全な生命体です。このような「完全-不完全」の対比構造は度々見られました。

この対比構造は、「核兵器」と「ヤシオリ作戦」の構図と同じです。核兵器は反応さえ起これば、後は自動的に爆発します。つまり、人為的なミスが起こる可能性が極めて低い。一方、ヤシオリ作戦は一人一人の行動によって、成功するかどうかが大きく変わってくる作戦内容です。実際、第一小隊は目覚めたゴジラによって消滅してしまいました。控えていた第二・第三小隊がやられていたらと考えるとキリがなく、リスクは高すぎると言わざるを得ない。

そんなリスクも高く不完全なヤシオリ作戦を実行した矢口は、日本人の可能性、ひいては不完全な生命体が持つ可能性を信じたかったからです。そういう観点から、人間の可能性は完全生物をも倒しうるということを庵野は表現したかった。繰り返しになりますが、「巨大不明生物なんてありえない」と決め付けたが故に初動が遅れ、ギリギリまで外交努力に尽力した臨時首相を国民はその姿見で嘲笑い、無能な人物とレッテルを貼った。

そんな長年続いていたであろう、行き詰った国に牧元教授は絶望して、ゴジラへと姿を変えました。愚かな選択を繰り返すぐらいなら、誤りのない完璧な生物へと進化をした方がいい。牧の「私は好きにした。君らも好きにしろ」というのは、人間の可能性に対する選択と自分は解釈しました。牧元教授が不完全な生命体への希望を捨てたのと対象的に、矢口以下巨災対は最後まで人間の可能性を信じて作戦を指揮します。完全なものへ抵抗することにより「不完全なものに対する希望」、そういったものを庵野監督は描こうとしているのではないか、そう思いました。以上です。

レイトで見てきたぞ
CpWhUnLUEAE0SrG


感想(ネタバレ避けつつ)

[レイアウト]
レイアウトだけで語れるっていうのは嘘じゃないくらいバシバシ決まってた。素晴らしい。レイアウトに関しては、最初からクライマックス。タイヤなめてのとことか好き。あと、カット割りのテンポめっちゃいい。ジェットコースターみたい。

[CG]
ちょっとアレだな~と思ったビークルは何個かあったけど、気にならない。ゴジラと自衛隊関係はすごい良かった。破片・エフェクトは、ずば抜けてよく出来てた。

[お話]
(中略)は2回だろ!おい庵野!
ノンフィクション以上にリアルに感じた。恐ろしい。二度と見たくないと思うくらいヤバイ。

[音楽]
あの音楽があそこで流れて、当時の記憶を思い出しました。庵野ファンは大喜びすると思う。


なんか語彙力ないから抽象的になってるけど、大体こんな感じ。すごい面白かったし楽しめた。ただ、精神はごっそり削れたなあ。あれで心抉られない人は精神強いわ。個人的には、2回も3回も何度も見て楽しむ映画ではないと思う。1回見て、心が締め付けられて終わる感じ。(ゴジラ映画ってそういうものかもしれないけれど)。二度は見れないかなあ後半は特に。



パンフ買えなかったから、もう一度見に行くと思います。 

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