GOMISTATION.OLD01

I LOVE U,I KILL U

2020年02月

木曜日のフルット06-46
木曜日のフルット 06巻/46頁「ツノの巻」

パチンカスさなちゃんの急転直下。2コマ即落ち、アシスタント代が入った→(①ギャンブルに行ってもっと増やそう、②負けて帰宅)→ハンペンご飯になりパチンコ屋への恨みを抱く。フルットのまっとうなツッコミ。



その着せ替え人形は恋をする04-38
その着せ替え人形は恋をする 04巻/25話/38頁

憧れのジュジュ様といっしょにコスプレして撮影会をするはずだったのに、雨が降ってしまった。そんなアガっていた喜多川さんと、悲しむ喜多川さんの対比。こういう2コマ即落ちは、感情が極端になりますね。

まあこういう『2コマ即落ち』型はいくらでもあります。探しだしたらキリがないと思う。
ただ、オチをつけないパターンもあって



月刊少女野崎くん04-133
月刊少女野崎くん 04巻/133頁「気楽な待ち合わせ」

こういう風に自然に『2コマ即落ち』型を使われる場合もあります。学校でお祭りの相談をしてから、過程をすっ飛ばして、2コマ目では既に千代ちゃんは浴衣を着ている。場所も時間も省略する。自然すぎて気付かない例。




んで、さいきん凄かったのはこれです


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傷物語 I 鉄血篇 2016/映画 絵コンテ:尾石達也

廊下を歩くところまでは1カットで描写するのに、玄関に至るとカットは小刻みに。靴を履いた後に、次のカットではすでに外に出てしまっている。室内の明るさと外の暗さを有効に使った大胆な省略ショット。

アクションスパイ映画かと思ったら、宇宙パイロットを育てる物語だった。当時、好評を博しており、そのうち見ようと思ったら5年経っていた。気をつけようね。



キングスマン.mkv_snapshot_00.27.02_[2020.02.25_08.06.17]キングスマン.mkv_snapshot_00.27.28_[2020.02.25_08.06.37]

エグジーの成長する過程や、ハリーとの父子のような関係は素晴らしく描かれており、まさしく絶賛できうる作品である。これがヒューマン・ドラマなら。


キングスマン.mkv_snapshot_01.11.49_[2020.02.25_08.10.10]キングスマン.mkv_snapshot_01.55.28_[2020.02.25_08.26.35]
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アクション映画としては、まったく退屈なシーンの連続であり、まるで自称映画通を喜ばせるようなパロディの連続には興ざめした。スパイ試験は「ボーン」シリーズのそれほど、過酷でなく、リアリティの欠片すらなく、ままごとのようであった。スカッとアクション映画として見れば終盤は面白い。


ただ、終盤のあるカットはちょっと面白かった


銃Fixカット ☆
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銃をFixしながらもカメラはぐるりと90度回転する。奇抜でいいカット。これもなにかのオマージュなのかな?あまり見たことがないけれど。こういうのが間に入ると脳の処理が遅れるので、アクションシーンにはうってつけ。

さて先日、この記事について

対決03対決02

このように大匙屋さんから指摘が入った。で、記事を書いてはいかがかと言われもいるし、この件について考え直すことにした。この件とは、つまり「政治的主張に作品を利用するか否か」である。まずは要素を一つずつ追っていくことだ。

この件は倫理的な問題がメインだ。つまり、個人のモラルや態度、それだけ。だから、これはぼくがどのように不快になったかが肝心なのだ。きっかけとなったツイート、ぼくが不愉快に感じたツイートは見つからなかったが、だいたいの要旨は覚えている。

「シン・ゴジラのとおり、この国は縦割りの行政が足を引っ張っている」

いやわかる。内容については、別に反対もない。スピードさが微塵もない後手後手に回っている対応を見れば、そのとおりだ。書いていて分かってきたが、不愉快だったのは、「シン・ゴジラという映画を見ただけで行政や国家についてまるっきり理解しきったその横柄な態度」である。それがおそらく、いつもならば別館に投げつけるようなところを本館ブログで公開した、というところだろう。つまるところ、正確に言うならば、先日の記事の主張は、「映画だけでなにかの事柄について理解した気になった発言をされるのが不愉快である」というマア、ぼく個人のナーバスなものであった。

この記事を書いたあと、上記画像ツイートでも述べているが、自分自身でも違和感を感じた。自分でも引用しているじゃないかと(それが「リーガルハイ09」である)。しかし、媒体を問わずに、公開される作品はその時代背景の影響を受けないことはいっさいありえない。ということは、作品じたいに政治的な主張が含まれていなくとも、その時代の世界の影響、たとえばSFボーイミーツガールの流行であったり、セカイ系であったり、貧困であったり、はいくらでも受ける。2019年に公開され大ヒットした、「ジョーカー」などまさにその典型例ではないか。

すなわち、すでに作品じたいに政治的なメッセージは意図せずとも込められている。込められていなくとも、時代背景を受けているために、人々が現実世界の問題に対して映画などを引用することはまったくおかしくない。「この問題は、あの漫画や映画と似ている」と、共通項を探すことで、その作品の普遍性を改めて実感することもできる。この1件を受けて、もう少し精緻に論理を組み立てて書くべきである、その点については失礼した。作品と現実世界は切っても切れないもの。その認識はきちんと持つべきだ。

ただ、「この世界の片隅に」における政治的な論争がくだらないという主張は変わり得ない。別に好きにすればいいが、あの映画において、細かいめんどうな問題に突っ込んで議論することに有意義な部分はなにもない。それは大匙屋さんもDMで認めているところで、多くの人がそこについて議論していることを残念がっていた。これくらいのやり取りのバラシはおそらく寛大な大匙屋さんは怒らないはずだ。たぶん。



あ、ここからは蛇足です。書きたくなっただけ。






《+α》《+β》

対決01

さて、「《+α》《+β》」と題したのは、このようなあからさまなアジテートを仕掛けられたからである。それで、ぶっちゃけ、内容についてはどうでもいい。ここでは書かない。これを見てから、ぼくは大匙屋さん、ぼくはその本人について書きたくなったのだ。そういえば、かれについてぼくは書いたことがない(※まあブロガーについてなどめったなことがないと書かないだろう、だいたいこういうのは気恥ずかしいし読者にとっては楽屋ネタのようなものでよくない)。だから。この”ついでに”乗じて書く。読者のみなさまにはまったくもって失礼だがご承知いただきたい。

ぼくとかれとの関係はけっこう長い。もはや6年くらいになる。「ヱヴァQ」を見た後このブログを作ったのだが、その後「ナウシカ」「うる星やつら156話」の庵野爆発を取り上げたりする内に親睦を深めていった。そもそも、かれのブログを知ったのは、「爆発1/2 金田爆発、庵野爆発」である。ぶっちゃけると、「こんな風に分析する人もおんねや」と文章を読んだわけではなく、やっぱり庵野ってすげえや!とスライダーをくいくいっと動かしていた記憶しかない。接触は「寒天プール」の際だ。正確に言えば、「あずまんが大王 第04話のプール表現。と、その先」の記事。これにTwitter上で、ぼくは罵詈雑言ではないが意見ともいいがたい微妙なツイートをした。

思い出01

そこにメンションをもらい即謝罪をし今に至る。さいしょのころは、まさしく殿上人であった。かれの書く記事はたとえば、自分自身が黙殺してしまった事柄を取り上げて批評をしていた。記憶に新しいのは、「プラウダの退き口」であろう。液体作画に対する執着はすさまじいものがあり、味噌汁の記事には驚かされた(あれには怒りが含まれている;なんだこの味噌汁はという怒りがぼくには見えた)。豊富な(圧倒的な、ないしは過剰すぎる)資料、知識、テキスト、これに同じ土俵で挑むのは無理であった。ゆえに、ぼくはじぶんがアニメに対する知識がないことを反らすために、地道に画面から拾った要素をもとに作画解釈をするしか道がなかったのだ。余談であるが、ぼくが最もよく書けた記事はこれ。今見ても、ああ、これ以上は書けていないなとおもう。まあそんなことはどうでもいい。いまは大匙屋さんのことだ。

かれの知識や資料の数はとんでもなく、的確にそして簡潔にわかりやすく記事を書く。すごいなあとは思いつつもなにか違和感が残る。その「違和感の正体」は別の方がしっかりと指摘されている。

大匙屋さんについて。大匙屋さんに向けて[かなり深刻な記事]
http://blog.livedoor.jp/chokohame/archives/52040008.html

ぼくはちょこハメさんのこの文章が絶妙だと感じている。
じぶんではこれ以上の的確さは出せそうにないので引用させてもらうと、
「大匙屋さんならもっと行けるはず」という考えはあるんだよね。つまり、しつこいようだけど(笑)、「寒天プールについて中立的、あるいは可謬主義的スタンスを保ったまま批評することができたはず、体系的な成果を得ることができたはず」という思いがあるわけ。三回ドカンについても同様で、帰納によって体系化する姿勢を見せながらもやはり批評的なスタンスの保持を諦めてしまう。
(中略)
おれが気持ち悪い奴(妙な奴)なだけなんだけどまあ、この気持ち悪いやつをも承服させるレベルに大匙屋さんは行ける可能性があるということなんだよね。
そう、もっといけるのだ。身も蓋もない言い方をすれば、めっちゃ体系化するような素振りを見せておいて最後はどこかに放り投げてしまう感がある。なにか本人には考えがあるのかもしれないが、当時から、この記事には全面的に同意している。ああそうそう、ちょこハメさんもすごいよ。ぼくはずっと作画でもアニメでも書くことに復帰して欲しいと願っているし、当人にもその思いは伝えた。ブログを書く上ですさまじい影響を受けたのは、ちょこハメさんと大匙屋さんの2人からだけ。

ちょこハメさんについて書くならば、野中作画の点だけで十分だろう。2014年当時、野中作画のタイミングについて、「木上作画のコミカルなやつ(と手触りが似ている)」とすっぱり言ってのけた。当時はまったくもって理解できなかったが、2019年になってようやく理解できた。野中のタイミングがきわめて異質なもの(そして特別に斬新なもの)であり、その上で木上作画のタイミングを持ち出せる人はいない。竹内とか田中とかはだれでも言える、木上や上妻作画は出てこない。持ち出せない。それだけ。あ、ちなみに凪あす17話まだ未見です。すいません。

彼ら2人はウエブアニメ評論として代表されるべき人物だ。スパチャされるべき。投げ銭されるべき。それだけは間違いない。あ、ちょこはめさんはちょっと文章が難しいかな・・・。いや、ぼくはあの文章が好きなんですよ。ああいうクセっ毛のような文章が好き。いっけん難しく見えるけど、取り繕うようには難しくしていないので明確に分かる。2年後とかに読むと理解できる。最後に大匙屋さんへ。「磯作画について書け」って毎度毎度ぼくは言ってますけど、これ冗談じゃないよ。2009年のあのラブレターのような磯光雄についての記事を見ると、あなた以外には書けないとおもう。

昨今、新型肺炎など政権責任問題の際に、「シン・ゴジラ」などのフィクション映画の内容を持ち出す人がいます。それは日本のネット上で見られる右翼左翼のように、どちらの陣営もです。まるで、自分の考えを代弁させるように、混紡などの武器として使うケースが多々見られます。「シン・ゴジラ」の作り手はネトウヨであるとか、ファンもそうであるとか、そういったくだらない次元のことは意味がありません。

これは「この世界の片隅に」でも同様でした。戦争映画としての解釈を否定しているのではありません。自分の思想的な意見や考えを補助するものとして、映画を使うべきではありません。自分の主張を成立させようと、もしくは戦争映画的な解釈において、最後の部落問題に対して争うことに意味はありません。些細な思想で争い、本質的なすずさんの心境を追わないことはまったくもって無粋・愚かという他ありません。少なくとも、うちのブログ読者にはそういった人々がいないことを願います。

・「情報」とは
安倍政権の連日のひどさについて、ぼくが改めて言うことはありません。憲政史上最悪の権力暴走であり、50年後には教科書に載り100年後には常識になる。私利私欲のために、公文書改ざんにより「正常な情報」を破壊した。なぜ、情報公開は正常でなくてはならないのか。それを説明するためには、まず「情報」について考える必要があります。

要注意!一次情報と二次情報の取り扱い
https://www.enago.jp/academy/primary-sources-secondary-sources/

すごく簡単に言ってしまえば、一次情報とはオリジナルな情報です。たとえば、「あさごはんを食べて、めっちゃ旨かった」というツイートであるとか、政府統計であるとか、公式サイトのアナウンス、映画やアニメであるとか、これは一次情報です。対して、二次情報は、それらを新たに解釈したり整理したもの、と言えば簡潔でしょう。すなわち、マスメディアによるニュースや伝聞、二次創作だとか、または、まとめブログのような情報です。

この2種類の情報を、現在のぼくらは得ていろいろな判断をしています。二次情報にさほど信用性がないのは、なんとなく分かると思います。人間が情報を整理し直すときに、その人の意図が入らないことはありえません。その意図をもって情報を解釈し整理し直せば、それは一次情報とは性質がきわめて変わります。その解釈によって、一次情報とは正反対の内容にすらできます。「咲-Saki-」の新子憧ちゃんを思い描いてください。ほらね?

ですから、一次情報のほうが信用度は高いのですが、専門的な分野になるとぼくら一般国民は理解をするのに時間がかかってしまい現実的に困難です。そのため、基本的にぼくらは新聞などの二次情報を主に得て判断を下しています。ただ、これだけの情報氾濫社会になると、二次情報をさらに解釈した、もっと信用度の低い情報群が出てきます。ですので、自分の気になるトピックに対しては一次情報を用いる、というのが最も正確で確実です。好きなアニメの情報は公式サイトで集めるはずで、変なサイトの情報を鵜呑みにすることはないはず。ここまでは当然のことです。ただ、一次情報と二次情報というワードを使って整理しただけ。


本丸は、なぜ「公文書改ざん」と「情報」に関係があるか

「一次情報」である、財務省が出した「公文書」が一個人のために捏造されていた。これが大問題なのは、信用度の低い二次情報を使わず、信用度の高い一次情報を使う、ということが実質的に難しくなってしまったからです。どういうことか。

公文書改ざんや度重なる一次情報の不手際によって、いま現在、新型肺炎コロナウイルスの問題において、厚労省の出す統計データについて、ぼくらは疑心を持たざるを得ません。一次情報であるにも関わらず、まるで二次情報のように疑いの目をもって接してしまう。すなわち、政府の出す一次情報の信用度はきわめて低くなってしまった。

他の一次情報も同じです。あれだけのことがあっても、信用度が低いと分かっていても、ぼくらは財務省の情報を使うほかない度重なる一次情報のずさんな扱いによって、それには信用を持てない。だから、「公文書改ざん」というのは大きな問題なのです。



・失敗も喧嘩もしたくない「エセ現実主義な」人々

もはや現実主義というのは、くだらないイデオロギーになりつつあります。聞こえはいいけれど、それはただのカッコつけであり諦念的な現実主義です。このことについて、「希望をもたない現実主義者はたくさんいる」と端的に述べた人物がいます。みなさんはアニメばかり見て、もしくはくだらない事に時間を費やしているので誰が述べたのかすら知らないでしょうけど。まあ、宮崎駿なんですけどねコレ。

現実主義って目を反らしているだけなんですよ。その場しのぎの対応でしかない。この7年間で日本はどうなりましたか。現実主義的な保守政権(※まあ保守ではないよなあ)の安倍政権によって、とうとう2019/10-12の四半期別GDP速報値は年率換算で成長率-6.3%になりました。

2019年10~12月期四半期別GDP速報 (1次速報値)
https://www.esri.cao.go.jp/jp/sna/data/data_list/sokuhou/files/2019/qe194/pdf/gaiyou1941.pdf
(※ちなみに一次情報です)

GDPが相対的な値とはいえ、東日本大震災やリーマンショック超えのマイナス成長。個人消費と民間設備は絶望的なマイナスの値、これは内需(国内の景気)がめっちゃ衰退傾向にあるってことです。国内の景気っていうのは、「国内の金回り」のことだと思ってもらえれば。新規設備に投資もしたくない、消費もしたくない、会社も個人も財布のヒモは堅いまま。ね、金回りが悪いでしょ?

くだらないイデオロギーと言いましたが、その考えは否定しません。考えているだけまだマシ。もっとヤバいのは、「無思考な安定志向」がきわめて高まっていること。安定したい気持ちは分かるけど、現実的にきわめて困難。

なんでかって、そりゃ人口問題よ。今の10,20代が40歳ぐらいになる2040年には65歳以上の高齢者が全人口において35%の割合を占めると予測されている。2015年時点では27%だヨ。他方、働き手となる、生産年齢人口はとうぜんグラフでは上にズレるので減少するよね。2015年時点では60%、これが2040年では54%まで落ちる。高齢者は8%増えて、働き手は6%減少するんだから、まあ細かいことはともかくとして直感的にヤバいよね。

2015年では1人の高齢者を2.4人の働き手で支えていましたが、これが2040年には1.5人の働き手で支えることになる。とんでもないよね。5年後は団塊世代がごそっと高齢者になります。これもヤバい。んで、こんな予測が出ている中で、「安定志向」なんてそれこそ幻想なんですわ

現実主義なら余計に困難だと考えるはずじゃね。どれだけの社会保障費がかかって、それを誰が補っていくのか。そんなん今の政府がやってくれるわけないですやん。コロナの問題に対して厚生労働委員会を1/24宮本徹などの野党議員が開けっつってるのに、開かない与党だよ。クソみたいなトートロジー答弁で、議会の進行を遅らせている内閣だよ。そんなのに安易にふわっとなんとかなるだろうと思っている。だから、脳みそ使ってない「無思考な現実主義」っていうのが妥当だなと。

喧嘩も失敗もしたくない、ということは行動しなきゃいいわけです。そういう人々がさいこうに増えている。過剰な利己主義で、脳足りんが増えすぎた。甘ちゃんだね。

マア、ぼくがいまんところ、最優先に求めるのは、
1)議会進行の正常化(議会論法の立法・成立)
2)情報の扱いと公開の正常化(透明化、正確化、行政文書5年保存の厳守)
3)二大政党制への尽力(権力暴走の措置)
4)現総理、および疑惑がある閣僚の逮捕と処罰

これくらい。まあ流石に先日の辻元質疑は痺れた。完璧な詰将棋だったね。
これでとりあえず、議論もできない地獄の政権は終わる。

<参考資料>
・https://www5.cao.go.jp/keizai-shimon/kaigi/special/future/sentaku/s2_3.html
・https://www.jcer.or.jp/blog/miyamototaro20181017.html

昨年2019にTRIGGER最新作として公開された、「プロメア」は意欲作でしょう。

カメラは終始ぐるぐる回転していて、ジェットコースターかよと思う感じの酷さ。あと前半の色指定はパステルカラーにパステルを乗せて(爆発したりで)白く発色しちゃってみたいな感じだったので、見にくかった。けれど、その辺は今石&サンジゲンのチャレンジだと受け取っている。

もっと単純にアニメは作れるっていうものが理想にあるんだと思う。色や線が多すぎる、もっと減らせる、面も減らせる、みたいな。



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フル3DCG

キャラやメカの色と爆発などの閃光の白色とが上手くマッチしていなかった前半だったが、夜のシーンになっては打って変わってバッチリに。がむしゃらな力と力のぶつかり合い。リオ竜がタワーに襲いかかってから、白い炎をぶわあとするところがいちばん良い。夜の空間と白い炎、この対比がええんじゃ。

[*]手前の黒い建物や破片の舞ってからの落下も地味に、いや実にいい。




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作画→フル3DCG

リオくんつながりでもう一つ
スライディングからのタイヤ切りまで、これはCGでうまくやってるな~と。初見は作画かと思った。嘘パースな超広角レイアウトのアクションつなぎ。ダイナミックでなおかつテンポがいいですよね。そこまですごい速いテンポでくるので、最後の後ヅメがスゴく目に残るんですわ。


あと音楽はもう素晴らしかったです、言うことなし。あとはクレイを演じた堺雅人です、前半はどうしてもクレイではなくかれの俳優としての演技になってしまっていたけれど、後半クレイが本性を見せてからの演技は圧巻。「違うなァ?救ー世ー主だよお゛お゛」はこの作品においてベストな声でした。まあでも急いで見る必要はとくにない、レンタル準新作ぐらいになってから見るくらいがハードルも下がっていいと思います。

■参考者やテキストってすげえやってなったとき

学習塾というものはまず、生徒に配るものを決めるために数十冊くらいテキストを比べるんですが、その際に教材会社から来るのは「ご検討用見本」。んで、これはとうぜん塾生だったりに配るわけにはいかない。新品じゃないので。どこにいくかというと、学習塾によって異なると思うけれど、自分の家の場合は自分に「ほれほれ」とテキストが渡された。ちょうど中学生のとき。

教育家庭でしたが、学習塾に行ったことは小学生のときの一度しかなく中学に入ってからも家計に負担をかけまいと…うそです、塾に行くとなぜか具合が悪くなってしまうので単に行けなかった笑。自分のペースでやれないし、圧迫的な空間とよくわからないマウントを取ってくるクソキモメガネと会話する空間が嫌だったんだろうと思います。ぼくは単に学ぶこと、理解することが楽しかっただけなので。

で、中学になるとぼくはほぼ学習を放棄しました。理由は簡単です。友達とたくさん遊びたかったからw公立中学校なんてのは、もう授業なんてやること(※レベルとかではなく内容が)退屈なわけです。偉そうにしながら、面白い授業なんてなかった。もっとおもろい問題や授業くれやと思ってました。そこに、親父からテキストがきたわけです。

教材会社のお古のテキストは実に自分好みでした。魅力的な問題だらけで、レイアウトも美しい(※書くスペースが広い!)、紙質もよく何度消しゴムで消してもほとんど破れなかった(※公立中学はわら半紙だらけなのだ!)。友達とたくさん遊びたいので、中学生のときに決めていたことは「試験の1週間前だけそのテキストに取り組むこと」だけだったので、もう楽ちんですよね。分からないところがあれば父親に聞いて解決しました。まあこんなやり方だったんで高校受験は苦しんだんですけどね・・・懐かしい。

高校に上がると、流石にあの苦しみを繰り返してはいけない、と深く心に刻んだ。でも、高校の教材会社テキストってそんなにいいものがないらしく、というか当時扱ってなかったのかな。まあいろいろあって、使えなくなってしまった。でも塾には行きたくねえなあと思うわけです、行けば具合は相変わらず悪くなったので笑

となるとテキストから参考書に行き着くわけです。こりゃお得だ!と確信しました。毎月5万やそこら塾に払うのはそれ相応の価値がありますが、自分のように合っていない人間には無価値です。銭どぶ。だいたい1冊1000円くらい。高くてもせいぜい2000円。20冊買っても月謝とトントンとくれば、買わない理由はない。

ただ、もう最初はなにも分からんわけです。当時はガラケーだったし調べる方法が今より少なかった、地方で情報もなんもなかったので、近くの書店でうーんうーんと悩む感じでした。父親が「いいのを選んでやるぞ!」と息巻いて一緒に丸善に向かったわけですが、2時間いろいろ見て「いいのがねえな!」ということで1冊も買わずに解散になりました。親父ィ!

まあ確かにすごい冊数のテキストがあって、こりゃ困る。今は情報は増えましたけど、増えすぎて本も多いし大変だ。ただ定番書みたいなのは昔からありますよね。チャート式であるとか、そういうのにたどり着きます。目が肥えていたのもあったと思う、買って合わなかったらすぐにゴミ箱へ。そういう経験値は失敗しないと溜まっていかないもので…月謝よりは得という理屈で親を説得しました。

自分の時代は黄色が良かったんですよ。青はダメすぎた、難易度高すぎたのと無駄な問題が多くてこなせない。あとは「一対一」とか、これねえ今見ると中身のレベルすげえ下がってんの。当時は高くて困った。黄色と一対一の架け橋がなかった感じ。ネットで有名な水野は無能だけど参考にはしましたよ。あとは基礎英文問題精巧とかもう流行から外れててね、自分より前の世代の人には合ったんだろうけど。これ今なにを書いているかというと、ただの思い出ばなしです。

伊藤和夫先生の著書だったり。まあビジュアルは装丁がハードカバーで硬くて使えねえ!ってなりました。そういうのって中身より大事だったりするんですよ。気持ちよく継続できることがなによりも重要なので。今はどうか微妙ですけど、入門英文解釈の技術は良かったなあ。桐原英語科のエースと言う感じ。ネクステなんかやりきれるわけないだろ!いい加減にしろ!瓜生先生と桐原は世の中にあんなものを出して普及させたことを反省しろ。まあ超進学校で流行ったものって地方の先生はすぐさまパクるので、そういう遠因もあるにはあります。フォーカスゴールドとチャートなんて別に好みの違いでしかないのに。

ちなみに、数学はチャート式・坂田アキラ先生、英語は大矢・戸澤(ちょっと竹岡)先生、国語は代ゼミの田村・望月先生(あと河合出版)を信奉していた。ただ、物理だけはナンボやってもダメでなあ…そういう理系コンプレックスはずっとあります。浜島エッセンスは説明少ないし(※名門の森の基礎編を求めていたのだ読者は、あのテイストで出してくれよ)、漆原はくっそ変なやり方だし、ちょっと前に生徒のために探していて良かった本はありました。当時見つかっとけよ・・・

やまぐち健一の わくわく物理探検隊NEO 「力学・熱力学・波動編」
https://www.amazon.co.jp//dp/4774163511

物理(物理基礎・物理)入門問題精講 改訂版
https://www.amazon.co.jp/dp/401034220X

鈴木誠治の物理が初歩からしっかり身につく 「力学・熱力学編」
https://www.amazon.co.jp//dp/477416321X


ティーン(もしくは物理をやり直すハメになった大人)でなおかつ物理に困っている入門者、初級者でなおかつ本ブログの読者がいたら上記3冊のどれかを勧めます。いきなし微積でやるのは指導者がいないとたぶん無理。その辺詳しい人いたら聞いてみたいぞ!

作画は一段落ついたので演出の方を探っていこうと思う


氷菓(2012)5話
絵コンテ・演出:三好一郎(※木上益治の変名)

【全話までの流れ】
子供のころの叔父との会話が思い出せない千反田えるをきっかけに、45年前の学校そのものに何があったのかを奉太郎たちが推理していく。そして、見事に過去の出来事を暴き出した。しかし、えるたそ~は違和感が残っている様子。それが前話数までの流れ、つまり、5話は真の解決編です。




・姉から電話を受け取るシーン
氷菓05-06話.mkv_snapshot_04.45_[2020.02.01_12.19.28]氷菓05-06話.mkv_snapshot_04.45_[2020.02.01_12.19.30]
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連続3カット

1カット目:受話器なめて後ろに奉太郎は小さく/広角気味/バストショット
2カット目:受話器を取る奉太郎
3カット目:姉からの電話とわかる/望遠/ロングショット

レンズの意識なんてのは木上益治の演出なら言うまでもなく、問題はそれをどう使っているかです。このシーンでは、1カット目に受話器を手前で大きく映し(「なめて」と言います)奉太郎を左後ろに配置させることで、受話器じたいがキーアイテムであることを主張している。

2カット目は普通のカット。奉太郎が電話に出る。目を引くのは3カット目ですねえ。姉からの電話とわかった途端に、このロングショット&望遠の画面。この異質さ。いつもと違った画面にするのにはなにか理由がある。ここは姉からの電話がめっちゃ重要やでっていうのを客観カメラで伝えるためですよね(主観・客観カメラはキャラ目線かそうでないかだけです、この区別が大事かな、と個人的に思っている)。客観カメラでやっている理由はぶっちゃけ分からん。奉太郎の主観を入れないようにするため?



・姉と談笑する奉太郎
氷菓05-06話.mkv_snapshot_04.52_[2020.02.01_12.19.52]

こういう分かりやすく誇張するレイアウトを木上さんは好きそうではある
家具とか家財の後ろから映すのが好みなのか、しかしキレイに収まっている



・姉から「カンヤ祭」が禁句であると聞いて考え込んだ後
氷菓05-06話.mkv_snapshot_07.00_[2020.02.01_12.23.14]
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3カットAC(アクション)つなぎ

一連の行為をわざと切って、複数のカットに分ける技法をAC(アクション)つなぎと言ったりします。ここでは奉太郎が姉からの電話を受けて、自分の推理にはどこか不足しているところがあるのではないか、ないしは間違っている部分があるのではないか、ということで、追求すると決めたシーン。単純だけれど、奉太郎の覚悟が伝わってくる。



・序文を書いた本人は分かってからお前ら図書館いくどーのシーン
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連続4カット

1カット目は前述の通り、大きな棚の後ろから奉太郎たちを映す。画面をさらに絞って誇張する。んで2カット目ではいきなり、奉太郎の足へ。ここは奉太郎だけが序文を書いた本人をすでに知っている(さらにその本人が45年前の真相を知っているだろうことまで分かっている)、という部分が大事なので、他の無知な3人は目立ってはいけない。奉太郎だけ。「Just Hotaro.」

3カット目はその延長でやや引いた画面でパンアップしていく。後ろ姿を映すことでミステリアスな感じに。4カット目の目線なしも、そういう意図なんだろう。目線を消すことで、余計に彼の存在を目立たせる。


★関谷純の名前を聞いて、糸魚川(郡山)先生のリアクション
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氷菓05-06話.mkv_snapshot_12.55_[2020.02.01_12.24.20]

ここバリ上手い
序文を奉太郎が渡して、糸魚川先生は書いた本人だと認める。んで、糸魚川先生は。奉太郎たちが聞きたいこと、それは45年前の運動についてという所まで察しがいった。ただ、予想外だったのは「関谷純」という名前が出てきたこと。それは予期していなかったんだろうと思う。2カット目、広角レンズで歪んでますよね。これは糸魚川先生の動揺を示したカットだと思う。糸魚川先生の声は明らかに動揺を隠そうとしている様子で、それが画面に滲み出てしまった。

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