2020年07月

もうはや3年、御命日には間に合わず



今年は、増尾さんの白コマのタイミングについて

増尾さんの白コマ、重ねた白コマの処理などの巧さについて、アニメーター・上妻晋作さんが呟いておられた。感覚的なものっぽかったので、以前ぼくは動画に説明を託しましたが、あまり理解されていない感じ。自分の中でも消化不良だった。



なので、今度は図解を交えて説明する


20200725052857
ジャイアント・ロボ[1992/OVA]01話

これなんてことないポリゴンショックに見えるよね。いやあこれがね、すごいんだわ。この白コマを理解すると、増尾作画はもっと深く理解できる。なぜかというと、増尾さんの白コマは、他アニメーターの使い方とハッキリと異なっているので、増尾作画のカットを理解する”手がかり”であり、増尾作画における”技巧”の一つでもあるから。

ショックコマは多岐に渡り、全てについて説明しようとすると煩雑になりそうだなと思った。ですので、今回は白コマに限って説明します。


まずは、「白コマ」そのものについて軽く。
大きく分ければ、白コマには2種類あります。



・白コマ
画面全部が白になっている。これを閃光や衝撃の表現として作画の途中にインサートする。
白コマ2




・重ね白コマ
もう一つは白コマを重ねて(特殊効果のエフェクト特殊効果として)使ったもの。
元となる絵があり、そこに特殊効果として白コマを重ねる。今風に言えば、レイヤーを元絵と白コマ、2枚重ねている感覚に近いと思う。
白コマ1

今回はこの2つを同じものとして扱います( ^ω^)
というか、自分はふだんからこの2つをあまり分けていません。さて、じっさいの例を見ていこうぞよ。



20200724143511
エヴァンゲリオン新劇場版:序[2006/劇場]

結論から言うと、増尾白コマでは「どこかのタイミングで、大きく一拍置く」。けっして、ランダムに、適当に白コマを入れ続けているわけではない。パターンがあるんです。これがもっとも大きな増尾ショックの特徴です・・・と以前言ったけれど、うまく説明できなかった。


はい( ^ω^)
ここまでが、今までの「考えるな、感じろ」のおさらいです。
今回はもっと踏み込んで、分かりやすい図表を用意しました。ただ、理屈的になりすぎてもアレなので、感覚も大事に一緒に見ていってね。


例1)一発入れて、「一拍」置いての白コマ
20200725090804

一つ目の白コマ(閃光)の後、じゃっかん間があるのが分かるだろうか。リズムで言えば、ドン(一拍おいて)ドドドン、みたいな感じだ。ここでは一拍の感覚を掴んで欲しい。


( ^ω^)図表じゃぞ
増尾昭一ショックコマ_04

※便宜上、2秒間を48コマに分けています。
水色・・・白コマ
青色・・・黒コマ、白コマ、混合
パープル色(枠)・・・ショックコマの1セット
黄色・・・一拍の区間

参考表を見ながら、GIFを見てクレイー

12~16コマ(だいたいでいい)に注目。白コマによる閃光表現が何回も入る中で、増尾白コマでは、こういう大きな間(つまり、一拍!)がある。カメラのシャッターが切られる瞬間が白コマとすれば、切られてない時間が一拍置いてる感じ。

ここで分からなくても大丈夫、ワシの増尾白コマGIFはたくさんあるぞよ




例2)連続する白コマの中で
20200725195135
ジャイアント・ロボ[1992/OVA]01話-02

増尾昭一ショックコマ_02

黄色の区間のコマとGIFをよく見て欲しい。これ分かりやすい。
一見、白コマが連続して入っているように見えるけれど、じっさいはそうじゃないというのが明確に伝わると思う。これは分類としては白コマが連射される中で「一拍」置くやつ。


例3)「一拍」を2回入れる
20200725195226
ふしぎの海のナディア[1991/TV]39話

増尾昭一ショックコマ_03

これは34~41コマの方が「一拍」としては分かりやすいかな。
一拍を2回入れているのが注目ポイント。このパターン、けっこう増尾さんやります。


例4)デジタル表現での白コマ・閃光表現
20200725195201
エヴァンゲリオン新劇場版:Q[2012/劇場]

増尾昭一ショックコマ_05

白コマを挟んだ2回の一拍に注目
ここまで来ると「一拍」もだいぶ分かってきたと思う( ^ω^)後半31-32、39-41の白コマがタイミング的には特徴的ですね。たぶん増尾さんの仕事だと思うけど、カラーデジタル部、CG部だけでやってたら逆に驚く。


CGになると、白コマというよりは、部分的な発光になってますね。
エヴァQ.mp4_snapshot_00.13.07_[2020.07.24_09.14.47]エヴァQ.mp4_snapshot_00.13.08_[2020.07.24_09.15.04]

周りの物体や空間に陰影を付けることができるので、立体的な白コマとも呼べそう。これが増尾さんにとっての、デジタルとの融合を含めた閃光表現だと思う。上妻さんがおっしゃるとおり、増尾さんの1コマのタイミングの面白さとか凄さとかあるんだけれど、今回は白コマの説明でいっぱいになってしまった。まあ今回は、増尾ショックのタイミングをわかってもらえたら、これ以上はない。

もらったコメント
野中作画記事、需要しかないので嬉しいです!
すごく嬉しい。本当に嬉しい、こうやって言ってもらえることは数少ないおれの幸せだとおもう。だから、野中正幸作画記事はふつうに夏頃(7月末には)には第二弾を出せるかなと。その一方でおもうこともあり──

エフェクト作画をメインに記事にしてきて、もうはや5年くらい?今年は、DIYや政治などいろいろ挑戦的な記事内容になってますね。正直に、本音を言うと、エフェクト記事には限界を感じています。手応えがあった記事でもさほど伸びず、コメントもつかず、見返すと自分の中でもしっくり来ず。どうにも木上益治の特集でおれは燃え尽きていました。もうおれの役目は終わったので、次世代に書いて欲しい。次世代でブログを勧めた人は全員辞めてしまった、なんでかのう。業かのう・・・。

今のメインのプラットフォームはツイッターですかね。動画のほうがわかりやすいからね、しょうがないね。ただ、この作画というジャンルにもっとも不足してきたのは、体系化と言語化です。間違っているかもしれない、正確でないかもしれない、そういったくだらない障害に悩まされてここまで来てしまった。そうして、動画をぺちんぺちんと貼るだけの「おれたちだけわかっている感」に再帰してしまうことは理解できそうで出来ません。ブログを始めて作画について考えているのは、ライトな人を増やすことだけです。



おもうこと
※恋愛ラボは神、ぜんいん読め

今年は、先ほども言いましたが、チャレンジな年です。だからこそ、いつもより演出記事を多く書いている。まあエフェクト記事に伸びしろを感じなくなったので、試行錯誤でやっているのですが。あまり(いや、「まったく」だな笑)求められていないのが、とてもよく伝わってきます(※木上益治演出の記事については、あまりうまくいってないんだ)。

実は、エヴァガの記事って今年いちよく書けた記事なんですよ。まあ、生涯いちうまく書けた記事が伸びなかったり受けなかったりは常なんですよ。まあ、こういうのはエフェクト記事でもあるんだけど。これはさ、タイミングが悪かったとかじゃなくて、単純にもうべっこりと演出記事が下手なんだ。書く能力がない。大匙屋さんとか流星の人のブログ見ると余計にね。これはほんとうに、完敗だなあとがっくり来るわけ。嫉妬すら追いつかない。そんで、自分のを読み返すと「あ、たしかにこれは受けないわな」とわかるわけ。内容が天と地の差よなあ。なんかつまんねえもん、自分で読み返しても。

さいきん、こうやってブログの内情を話しているのは、まあ参考にして他の人がやってくれたらいいなという感じともうひとつあって。あとはネタバラシ的な意味でやってる。こうやってぼくはみんなを騙してきました、それは言い過ぎとしても、誤魔化してきました、というネタバラシをしている。

あまりにモチベが下がったときに欲しい物リストをいっしゅん貼ったけど、ああこれ何かちげえなあと思ったし、かといって作画記事かいてもツイッターとかにシェアされるわけじゃないし、指標がないのは意外と辛い。アクセスが上がったと思ったら、過去記事がツイートされてただけっていうことがたくさんある。昔よりアンテナが立っていない。いや、アンテナを無視してる。さっさと次の世代が書けばいいと思いつつ、おっちゃんもまだやれるぞ、という気分もある。PLUTOの1巻を思い出すぜ。スコアの再利用をお願いされるシーンな。


こういう雑記は垂れ流しでほとんど修正しないんだけれど、それはじぶんの今の状態がわかってないから。どんな気持ちなのか、というのは書くと割とだんだんと分かってくる。で、これだけ垂れ流してみてもイマイチぴんときてない。もうちょっと調整が必要な感じですかね。リアルもしんどい。7月に入って少し盛り返してきた感じはある。アニメも見れてる。「見れてる」っていうのがもう終わっとんや。

まあ気長に・・・なんていうつもりはもうないぞ。まあいつも良い状況だったら気味も悪い。逆もしかり。言い訳せずに、焦らずに記事を出していく。かれらの土俵でやはり戦わない、おれの土俵で戦う。それはエフェクトに限った話ではないからね。方向を定めてしっかりと。ふらふらと曖昧には書かないことだけは決めた。ああいう天才共には戦略で勝たないとダメなのだ。

ただ、全体的にこういったアニメブログはシェアされにくい方向になっているような気もする。だから、見かけたらすぐにシェアしてあげよう。ここに限らず。



前々から気になっていた「ヴァイオレット・エヴァーガーデン(2018)」をようやく見ました。自分の中では、佳作とはいいがたく良作どまりでしたが、きわめて強烈に残るシーンがありました(※全体が面白いかどうかよりも、そういうカットやシーンを見つけられることのほうが、映像作品を見る際にとっては良いことなのです)。


義手の描写
主人公・ヴァイオレットは戦争で両腕を失くし、義手を付ける。感情がない、感情がわからないということはきわめて表現しにくい。鉄で出来た義手を他人に見せるたびに、その場は少しざわめく。冷たく、近寄りがたい印象を与える。

精巧な義手は、感情とはまったく真逆の性質を持ちます。その場その場で心がゆらいだり、話したことが全て本心でなかったりするように、感情は不安定な存在です。一方で、精巧な義手はそういった不安定さはいっさいなく、ただただ命令どおりに、調整どおりに完璧に動く。

#2
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タイプライターのために義手を調整するシーン
肘の可動部を開けると時計のような細工がある。調整部分を上に押し上げると、指の位置や動きが1ミリ単位で正確に変わる。精巧さを伝える。精巧さは「曖昧な感情」とは真逆ですので、ヴァイオレットが感情を持たないことを表すためには、この義手はなくてはならないのです。




001

「知りたいのです、愛してるを」とひたすらに繰り返す彼女は、少しずつ、少しずつ、それを紐解いていきます。ヴァイオレットはいくつもの体験と手紙を綴ることによって、感情を、心を理解していきます。そうすると、精巧な機械である義手にまで変化は及ぶのです。



#13ー1
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諦めないという覚悟を、壊れて2本指になった義手に託す。右PANの勢いは覚悟の大きさであり、ヴァイオレットの感情が、まるで義手にも移ったように見える。


#13ー2
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全力を尽くした末、壊れた義手の部品が散っていく様は儚く美しい。もう二度と、誰も失いたくない、その決心が二度目の両腕の破壊へと結びつくわけです。だからこそ、このシーンは美しい。


野中正幸は、ひとことで言えば、2010年代前半にもっとも作画ファンを驚かせたアクションアニメーターの1人であり、現在も活躍中です。

現在は天衝主催のバイブリーアニメーションに所属。2010年代後半の作画界隈に影響を及ぼしたであろう、と考えています。どの辺が影響となって他の作画にあらわれているのか。それらを説明していきたい。

野中正幸の作画に対して、作画のスタイル変化から以下のように5つの区分を設けました。

(1)初期(2010-2012)★→この記事
(2)中期    (2011-2013)
(3)デフォルメ期(2013-2015)★

(4)転換期   (2015)
(5)リアル傾倒期 (2015-2020)
★・・・大事な時期

全ての時期について、説明記事は出す予定。そうでなくっちゃ、このブログではないでしょう。

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